「野原、あいつらから武器を奪っとけ。次起きたとき抵抗できないようにな」
「ほーい」
桐原のアドバイスを受け、使用済みのネットランチャーをそこら辺に捨てたしんのすけが、四肢をネットの網に絡め取られながら眠りこける男達へと近づき、無造作に手を突っ込んで次々と武器を後ろに投げ捨てていった。サバイバルナイフや伸縮警棒など様々な武器が出てくるが、拳銃などの火器類は持っていないようだった。
ポイポイと武器を投げ捨てていくしんのすけに、それを後ろから覗き込むように眺める桐原。
そんな2人を前に、紗耶香は襲い掛かるでもなくジッとそれを見つめていた。
「2人共、ずっとここで待ち伏せしていたの……?」
「まぁな。おまえらが最初からここが目当てだったのは知ってたからな。――それにしても意外だな、銃の1つくらいは持ってると思ってたが」
「……アタシ達は、役目が終わったらすぐに離脱するよう言われてたから」
「成程な、だから重装備は却って逃走の邪魔になると」
周りの騒動に気を取られてここにやって来る者などいないと踏んでいたのか、それとも学生程度ならば銃など無くても蹴散らせると高を括っていたのか、あるいはそれ以外の思惑があったのか。どちらにせよこちらとしては好都合か、と桐原はここに来る直前にしんのすけから渡され、そして現在制服の中に着ているインナーに手を遣りながらそう思った。
そのインナーは見た目こそ普通のそれと同じだが、マシンガン程度の銃弾ならば防げる防弾性能を持つ優れ物だ。頭を狙われたら意味無いのでは、とそれを手にした桐原は一瞬思ったが、戦闘中では外す可能性の高い頭部よりも、少し外れても体のどこかに当たりやすい胴体を咄嗟に狙うことが多いらしい。もちろん、撃たれないで済めばそれが一番なのだが。
と、桐原がそんなことを考えている間、紗耶香の視線が彼の隣にいるしんのすけへと移った。普段通りの飄々とした表情で突っ立っている彼の右腕には、“風紀委員”とプリントされた腕章が部屋の照明に照らされて僅かに光を反射していた。
彼女にはそれが、まるでその存在を声高に主張しているように見えた。
「……そう。そうやって桐原くんも、アタシ達の邪魔をするつもりなのね」
敵意を多分に含んだ紗耶香の発言に、桐原が眉を吊り上げて口を開く――直前、
「もう紗耶香ちゃん、そういうこと言っちゃ駄目でしょ! 桐原くんは紗耶香ちゃんのことが心配で、オラと一緒にここで紗耶香ちゃんを待ってたんだから!」
「へっ? 桐原くんが?」
「あっ、おい野原――」
紗耶香が虚を突かれたように目を丸くし、桐原が焦った様子で詰め寄ろうとするも、しんのすけの口は止まらない。
「桐原くんね、克人くんに紗耶香ちゃん達がここに来るって聞かされたとき、克人くんに必死に頼み込んだんだって。紗耶香ちゃんと一度しっかりお話したいから、紗耶香ちゃんのことは自分に任せてくれないかって」
「おい野原、そういうのは――」
「そうなの、桐原くん?」
しんのすけの口を塞ごうとしたのか腕を伸ばしかける桐原だったが、紗耶香がそう問い掛けるとその勢いもみるみる萎んでいき、やがて自棄になったように頭をガシガシと掻いて、
「……あぁ、そうだよ。だっておまえ、この学校の剣道部に入ってから随分と変わっちまったじゃねぇか。あんなにまっすぐだった剣も妙に荒々しくなるし、自分の周りはみんな敵だって感じの目をするしよ……」
「……そりゃそうよ。実際、アタシの周りには敵しかいなかったもの」
おそらくそれに反論しようと口を開きかけた桐原を視線で制し、紗耶香は話を続ける。
「確かにアタシは一科生の奴らよりも魔法の腕では劣る、だから二科生であること自体に文句は無いわ。でもアイツらは、ただ魔法が使えるというだけで、アタシ達二科生より何もかも優れていると思っているの! どれだけ剣の腕を磨こうが、アイツらは『どうせ魔法が使えないんだから』とか『所詮は自分達の予備でしかないのに』ってアタシの存在ごと否定して嘲笑ってくるのよ!」
「一科生全員が、二科生を馬鹿にしていたわけじゃねぇだろ」
「えぇ、確かに面と向かって馬鹿にしてくる人達ばかりじゃなかったわね。でもどうせそいつらだって、内心ではアタシ達のことを馬鹿にしているに決まっているわ。――何てったって、普段から一科生と二科生を平等に扱うべきだと嘯く渡辺先輩ですらそうだったんだから!」
紗耶香のその言葉に、怒りを滲ませていた桐原の表情に疑問と困惑が浮かんだ。隣でそれを聞いていたしんのすけも、その特徴的な太い眉を八の字にして首を傾げている。
その反応が気に食わなかったのか、彼女はますます目を吊り上げて怒りで顔を真っ赤に染めた。
「信じられないみたいだから教えてあげるわ! 私が1年生のとき、風紀委員だった渡辺先輩に手合わせを申し込んだら、『おまえではアタシの相手にならないから無理だ、もっとおまえに相応しい相手を選べ』なんて言って断ったのよ! 結局あの人も口先だけで、アタシ達二科生のことを蔑んでるのよ!」
「渡辺委員長が? おまえの勘違いじゃないのか?」
「勘違いなはずが――」
「二科生の人達は? 味方じゃなかったの?」
水掛け論になりかけた2人の横から、しんのすけが素朴な疑問を挟んできた。
紗耶香は一瞬口を閉ざして彼を一瞥すると、それに答えるべく口を開いた。
「二科生のクラスメイトも、アタシと同じことで悩んでたわ。アタシみたいに一科生から理不尽に嗤われては、裏でみんなで集まってそいつらの悪口を言い合ってるのを何度も見てきたもの。――でもあいつらは文句を言うばかりで、けっしてそれを改善しようと動くことは無かったわ。口先だけで文句を言って、現状を仕方なく受け入れているだけの彼らが、アタシは一科生の奴らと同じくらい嫌いだった」
「だから、エガリテに参加したっていうのか?」
「えぇ、そうよ。まだ部長になる前だった司先輩から他の剣道部員も何人か参加してるって聞いたから、アタシもそれを手伝うことにしたの。今の学校をアタシ達の手で変えて、よりアタシ達がアタシ達らしくいられるように」
どことなく胸を張ったような姿勢で、紗耶香はそう言い放った。しかし先程から2人を警戒するようにチラチラと見遣っているからか、どうにも虚勢を張っているような印象を捨て切れない。
と、彼女の説明に桐原の雰囲気が剣呑なものとなる。
「――やっぱり、剣道部の奴らが壬生を誑かしたんだな」
「誑かす? どういう意味かしら?」
「そのままの意味だよ。剣道部の奴らがおまえをだまくらかして、自分達に都合の良い駒に仕立て上げたってことさ」
おそらくそれに反論しようと口を開きかけた紗耶香を、桐原は視線だけで制した。
先程とはまるで逆の構図だった。
「アタシらしくいられるように、だぁ? 俺の知ってるおまえは、その程度のことで挫けるようなタマじゃねぇだろ。――壬生紗耶香っていうのは、たとえどれだけ周りに馬鹿にされようとも、それでどんなに悔しい思いをしようとも、それでも必死に歯を食い縛って剣を振り続けるような奴だったはずだ」
「……アタシのことを、勝手に決めつけないでよ」
「おまえ、憶えてるか? 俺達が小さい頃、道場の男子達に女だからって馬鹿にされたことがあったろ。あのときもおまえは悔しくて物陰で泣きまくって、それでも剣道を辞めることなく剣を振り続けた。そうしてたらいつの間にかそいつらがおまえにまったく歯が立たなくなって、おまえに対してそんなことを言う奴は1人もいなくなってた」
「……そんな昔のこと、もう憶えてないわ」
「おまえはいつだって、そうやって周りのくだらない言葉を自分の力でねじ伏せていったんだ。その度に俺は、おまえのことを
桐原はそう言って、紗耶香に向けるその目を眩しそうに細めた。口元には嘲りなど一切無い、純粋な笑みが浮かんでいる。
そんな彼から逃げるように、彼女は目を逸らして顔を伏せた。
「……この学校の差別問題は、そんな単純な話じゃないの。学校の制度や体質のレベルで差別が蔓延しているこの状況を打開するには、多少強引でも改革を推し進めていかなきゃいけないのよ!」
「多少強引、だと? 武装して学校に襲撃かますこの状況が“多少”で済むと思ってんのか? 自分達のやってることがおかしいことくらい、おまえならすぐに分かるはずだろうが!」
「――――!」
桐原の叫びにビクリと肩を跳ねて1歩後退る紗耶香だったが、それでもギロリと彼を睨みつけて再び1歩前へと踏み出した。
「桐原くんはどうせ一科生だもの! アタシがどれだけ馬鹿にされて理不尽な思いをしたかなんて分かりっこ無いわ! それどころか、桐原くんも他の一科生みたいに剣道部の邪魔をしてきたじゃない! 新入生勧誘のときとか!」
「あ、あれは! こいつらのせいで壬生がおかしくなったんだって思ったら、無性に腹が立って我慢ができなくなったっていうか――」
「だからって、アタシに負けたからって魔法まで使ってくることないじゃない! 普通に停学レベルの暴挙だし、1歩間違えればそのまま退学よ! 何考えてんのよ!」
「そりゃぁ、俺もさすがに馬鹿なことしたと思ってるけどよ! おまえがあのとき『真剣だったらその右腕はもう使い物にならない』なんて言いやがるから!」
「はぁっ!? アタシのせいだって言いたいわけ! 桐原くんって、本当に昔からそういうところあるわよね! なんでそれで桐原くんが魔法でアタシに襲い掛かることになんのよ!」
「だっておまえ、昔はそんな“真剣”だの“実戦”だの余計なことを考えずに、ただひたすら剣道だけを貫いてきてたじゃねぇかよ! 俺はおまえの、そういう剣に対して真っ直ぐなところが好きで憧れだったのに、そんなところまでエガリテなんかのせいで穢されたと思ったら――」
「す、好きって……って! だったらなんで桐原くんは剣道を辞めて剣術に行っちゃったのよ! 自分だけ魔法の才能があるって分かった途端に道場を離れて! 中学生になるときに『代々木コージローを倒して日本一になるんだ』ってアタシに誓ったのは嘘だったの!?」
「えっ、よよよぎくんを? 桐原くん、そうだったの?」
桐原と紗耶香のまるで付け入る隙の無い言葉の応酬にすっかり置いてけぼりを食らっていたしんのすけだったが、自分の知ってる名前に反応してようやく話に割り込むことができた。
もっともそれは、今まで矢継ぎ早に叫んでいた桐原が、息を呑む表情で固まったまま黙り込んでしまったからなのだが。
そんな彼の目が、一瞬だけしんのすけへと向けられた。
そして直後に、紗耶香の方へと戻される。
「壬生、俺が実際に代々木コージローと戦ったときのこと、憶えてるか?」
「……えぇ、憶えてるわ。中学1年生のとき、関東大会のときでしょ?」
「おっ? 桐原くん、よよよぎくんと戦ったことあるんだ。それで、結果はどうだったの?」
桐原に対して多少前のめりになりながらそう尋ねるしんのすけに、桐原はフッと自嘲的な笑みを漏らした。
そんなの考えるまでもないだろ、と言わんばかりに。
「……負けたよ。2本先取でストレート負け、トータルでも10秒掛かってねぇよ。2回共“刃崩し”で竹刀をぶっ飛ばされて、思いっきり面を叩き込まれて終わりだよ」
「まぁ、それがよよよぎくんの得意技ですからなぁ」
「いや、負けたこと自体は良いんだ。それ以上に俺がショックだったのは、試合直前に顔を合わせて竹刀を向けられた瞬間、まったく体が動かなくなっちまったことだ。あいつは俺と目を合わせただけで、俺との格の違いを見せつけてきやがったんだ。――試合を始める前から、俺はあいつに負けていたんだ」
「……もしかして桐原くん、剣術に転向したのって……」
「あぁ、その直後に俺は剣道を辞めて剣術に転向した。魔法の才能だなんて、俺にはどうでもいいことだった。ただ俺は、代々木コージローと戦わなくて済むなら何でも良かった。――まさかこんなタイミングで、それを思い出させられるとは思っちゃいなかったがな」
桐原はそう言ってしんのすけへと視線を向け、むりやり口角を上げて笑顔を作った。
そんな彼の姿は、紗耶香が常に思い描いていた一科生のイメージとはかけ離れたものだった。それはむしろ、二科生が常日頃から背負わされている“劣等生”のイメージそのものだった。しんのすけがキョトンとした表情で「おっ?」と首を傾げているのが、さらにそれを際立たせている。
「意外か? 俺がこんなことを考えてるなんて」
「……正直、桐原くんはそういう劣等感みたいなものとは無縁だと思ってた」
「俺だけじゃねぇよ。二科生に対してウィードだ何だの言ってるような連中だって、心の中じゃそういう劣等感みたいなものを抱えてる。俺だってこれでも入試の成績は良い方だったが、それでも上には上がいる。それに今は3年生に“三巨頭”なんて分かりやすい天才がいるんだ、むしろその人達と同じ一科生の方がそういう感情を強く感じてると思うぜ」
桐原の言葉に紗耶香は口を引き結び、それでも小さく首を横に振って、
「……だからって、アタシはあいつらから馬鹿にされるのを、黙って受け入れることなんてできないわ」
「あぁ、そりゃそうだ。誰かに馬鹿にされたらカチンと来るのは当然だ。だからよ――」
桐原はそこで言葉を区切り、紗耶香に向けてその腕を伸ばした。
「俺とおまえで、そいつらに“理想の一高生”ってヤツを見せてやろうぜ。剣道部に喧嘩を売るでもない、放送室に立て籠もるでもない、ましてや学校に襲撃かますでもない、もっと他の奴らにも受け入れられるような方法でよ」
「……今更、そんなことができると思っているの?」
「そりゃまぁ、それで何か変えられたとしても微々たるもんだと思うし、俺達が卒業するまでに結果が出るかどうかも分かんねぇ。だが少なくとも、ここの非公開資料を盗み出すよりは効果的だと思うぜ」
「そうじゃなくて、アタシ達はこんなことを仕出かしたのよ。タダじゃ済まないわ」
「そんなの、おまえに対して魔法を使った俺だって同じだろ。――まぁいざとなったら、2人仲良く退学処分にでもなってみるか?」
そう言って歯を見せて笑う桐原の目は、まだまだ空元気の印象は拭いきれないものの、代々木コージローの話をしていたときよりは多少覇気が戻っているように見えた。
「……何よそれ、そんなことになったら何の意味も無いじゃない」
呆れ果てるような紗耶香の言葉だが、それを口にしたときの彼女の表情は、この部屋に入ってから初めて見せる自然な笑顔だった。
そんな彼女に釣られてか、桐原も今度は自然と口角が上がっていった。ついでに言うと、その頬は若干赤らんでいた。
「うんうん、どうやら仲直りできたようですな」
そしてそんな2人から少し離れた壁際で、腕を組んだしんのすけが頷きながらそう呟いていた。
まさにそんな、これにて一件落着という空気が流れかけた、そのときだった。
「……成程、そういうことだったのか」
「――部長!」
「おっ?」
突然聞こえてきたその声にしんのすけ達が顔を向けると、剣道部主将にしてブランシュの下部組織エガリテのリーダーである
そんな彼の登場に、紗耶香は自然と彼から距離を取るように数歩後退り、そしてそんな彼女を守るように桐原が彼女の前へと躍り出た。そのこめかみには青筋が走り、敵意を一切隠そうとしない鋭い目つきで彼を睨みつけている。
「……よう、部長さん。こんな所に何しに来たんだ?」
「剣術部の桐原くんに、風紀委員の野原くんか。君達がここにいるということは、やはり僕達の情報は漏れていたということになるな」
甲は忌々しそうにそう吐き捨てながら、右手の携帯端末を無造作に制服のポケットに突っ込んだ。ひょっとしたらここに来るまでの間、仲間に連絡を取ろうとしていたのかもしれない。
「確かに教師や風紀委員達に比べたら実力不足は否めないが、それでも不意討ちさえ決まっていればここまで一方的にやられるほどではなかったはずだ。いくら有事に対するマニュアルがあるとはいえ、あまりに向こうの手際が良すぎるとは思っていたが……」
「それで? 今この状況なわけだが、素直に投降する気はあるか?」
「投降、か……」
甲はそう呟いて、部屋の様子をざっと見渡した。
桐原は自前の武装一体型CADを握り締め、いつでも飛び出せるように半身の構えを取っている。剣術で鍛えられた自己加速術式を織り交ぜた戦闘技術は校内でも屈指の実力であり、下級生だからと油断して良い相手ではない。
彼の後ろにいる紗耶香は、自分に対してどう接すれば良いのか迷うような表情でこちらの様子を窺っている。一応伸縮警棒は持っているものの、特に構えているわけではないので咄嗟に動けるかは疑問が残る。
――やはりこの中で一番危険なのは……、
2人とは少し離れた所に立ち、おそらくブランシュのメンバーから奪ったであろう伸縮警棒を手に持つ、この中で唯一の1年生であるしんのすけ。新入生総代である司波深雪に次ぐ入試総合成績2位の実力者であると同時に、中学時代にあの代々木コージローを倒して全国制覇を成し遂げた剣道の天才だ。
ならば、と甲は自身の左手に右手をそっと添えた。
その指には、真鍮色の指輪が嵌められていた。
「桐原くん! あの指輪――」
「遅いっ!」
甲がその指輪にサイオンを注入すると、その指輪から魔法師にしか感知できないサイオンノイズが発振された。
すると、
「ぐっ――!」
「桐原くん、しっかりして!」
「おっ? おっ?」
桐原が途端に苦悶の表情を浮かべて、その場に崩れ落ちて膝を突いて片手を床に置いた。何とか立ち上がろうとするも四肢に力が入らないようで、青く染めたその顔に困惑と焦りの色が浮かぶ。
そしてしんのすけも戸惑うような表情を浮かべて、一瞬だけ体をよろめかせた。しかし彼は桐原と違い崩れ落ちることは無く、咄嗟に壁に手を突いて体重を支えることで踏み留まった。
その指輪は、“アンティナイト”と呼ばれる特殊な金属で作られていた。単一元素ではないが合金でもない、現行のテクノロジーでは再現不能なオーパーツであるその金属は、高山型古代文明の栄えた地にのみ産出される希少なものだが、一般的に流通していないのはその希少性からなる値段の高騰のみが理由ではない。
この金属の最大の特徴が、サイオンを注入することでキャスト・ジャミングの効果を持つサイオンノイズを発振する、というものだ。無意味なサイオン波を大量に散布することで魔法式がエイドスに働き掛ける過程を阻害する、つまり魔法を使えなくしてしまうという効果を持つ。さらに桐原の反応からも分かる通り、サイオンを鋭敏に知覚できる者ほど立つのもやっとなほどの不快感をもたらすのである。
しかしそれをもってしてもしんのすけが倒れていないと知るや、甲は持ち前の身体能力を活かして彼との距離を一気に詰めた。
いくら相手が実力のある魔法師だろうと、魔法自体が使えなければ最大の武器が奪われたも同然だ。しかも彼の反応からして、キャスト・ジャミングを受けたのは今回が初めてだろう。ならば困惑で隙が生まれている間に、一気に叩かせてもらおう。
甲はそんなことを考えながら、拳を固く握り締めて大きく振り被った。右手に持つ警棒にも警戒を怠らないが、彼の右腕は力無くダランと垂れ下がっているのみで反撃の兆しを見せない。
「まずい! 野原、避けろ!」
「しんちゃんっ! 逃げてっ!」
貰った、と甲が確信し――
「おおっと!」
ごちぃんっ!
部屋中に響いたその音は、甲が拳をしんのすけに叩きつけた音――ではない。
しんのすけが反撃のために警棒を振り抜いた音――でもない。
キャスト・ジャミングを掻い潜って魔法を発動させた音――でもない。
「あっ、ごめんね。そんなつもりは無くて、ただ避けようとしただけで……」
前に転がり込むことで甲の攻撃を避けようとしたしんのすけの頭が、見事なまでに甲の急所――つまり、股間にクリーンヒットした音だった。
「●※〒∞◆∴♂■♀¥℃▲$¢£#▼&*@★§!」
声にならない声をあげて苦痛の表情と脂汗を浮かべながら、甲はその場に崩れ落ちていった。
そうして意識が薄れていく中、彼は思った。
魔法とかそれ以前に、自分はまだまだ修行が足りなかったんだな、と。
* * *
魔法科高校のすぐ近くにある、ブランシュが拠点とする元バイオ燃料生産工場。
元は生産ラインの中核として様々な機械を置いていたであろうだだっ広い部屋に、白衣に長いマフラーに眼鏡という出で立ちの男・司一が立っていた。彼は携帯端末で誰かと短い会話を交わし、そしてそれを切ると上着のポケットにそれを入れる。
その口元には、隠し切れない笑みが浮かんでいた。
「今、向こうの“連絡係”から電話があった。作戦は実に順調、機密情報を盗み出すのも時間の問題だそうだ」
ポツリと呟かれたその言葉に、周りの人間は一切口を開くことはなかった。しかし一が気分を害した様子は無い。そもそも、返事を期待して発せられたものではなかった。
「魔法科高校の機密情報を入手できれば、我々の悲願成就への大きな足掛かりとなる……。それにしても、“魔法師”なんて大層な肩書きを持っているが、所詮はただの学生か。僕の“力”を持ってすれば、たとえどれほど優秀な魔法師だろうと簡単に僕の部下になってくれる」
彼の“独り言”は少々声が大きく、そして大分芝居掛かっていた。多大な時間とコストを掛けた今回の作戦がもう少しで成就することで気分が良くなっている、という見方もできるが、おそらく彼の元々の性格から来ているところが大きいだろう。
「さてと、この作戦が終われば我々がここにいる理由は無い。君達も早いところ荷物を纏めておきたまえ」
一の言葉に、周りの部下が一斉に「はいっ!」と返事をした。キビキビと統率の取れた動きでそれぞれが準備を始めるその光景は、彼らが集団行動というものをそれなりに訓練してきたことの表れだった。
そう。あくまで“それなり”なのである。
特に、“プロ”の目で見た場合は。
「――な、何だ!」
部下の1人である男の叫び声に、一を含めた全員がそちらへと顔を向けた。
市販のスプレー缶のようなものが見えたのはほんの一瞬で、直後に猛烈な勢いで噴き出された白い煙によってその姿が掻き消されていった。それでも煙の勢いは弱まるどころかどんどん強くなり、結構な広さであるはずのその空間があっという間に煙で満たされていく。
「侵入者か! おまえら、周りを警戒し――」
「ぐっ!」
「ぶべっ!」
「がぁっ!」
視界を白に塗り潰されながらも一が声を張り上げて指示を出そうとした次の瞬間、白い煙の向こう側から苦悶の声をあげる部下の声が次々と聞こえてきた。それと同時に何かを打ち付けるような音も彼の耳に届き、白い煙に囲まれて孤立している状況と相まって彼の不安感を煽っていく。
だからなのか、風を起こして煙を吹き飛ばそう、という至極単純なアイデアを思いつくのにも数秒の時間を要した。
そしてその数秒こそが、命取りだった。
「――ぐっ!」
突然背中を殴りつけられたかのような衝撃が走り、一は一瞬息が詰まって体を強張らせた。その隙に何者かが彼の後ろから圧し掛かって強引に床に叩き付けると、おそらく膝か何かで彼の腕を押さえつけながら彼の両目を布で覆い隠してしまった。
両目を覆われてしまったら、ご自慢のマインドコントロールも使えない。とはいえ、この煙ではどのみち満足に使うこともできなかっただろう。義弟やその後輩を毒牙に掛けたその魔法の正体は、催眠効果を持つ光信号を相手の網膜に投射する光波振動系魔法であるため、光波が相手の目に届かなければ効果は発揮されないのだから。
「司一、並びに彼の部下全員を拘束しました」
「了解。作戦通り、例のポイントまでターゲットを搬送する。ターゲットの救出を目的とした襲撃の可能性もあるため、各自警戒するように」
「はっ!」
両目を覆う布のせいで何も見えないが、一を拘束した者に指示を出しているその声は女性だった。凛々しく艶やかな声で紡がれる彼女の命令に、部下と思われる男達が寸分違わないタイミングで一斉に返事をする。
と、女性の声が聞こえてきた方向から、コツコツと足音が近づいてきた。それは彼のすぐ傍で止まり、耳元に口を近づけてくるのが気配で分かった。
やがてその予想通り、凛々しく艶やかな女性の声が、こんな言葉を呟いた。
「“革命ごっこ”は終わりよ、――坊や」
「――――!」
瞬間的に頭に血が上り、呪詛の1つでもぶつけようと口を開いた一だったが、声を出す直前に体をむりやり引っ張られたためにそれは中断されてしまった。
こうして、何年にも渡って第一高校を内側から蝕んでいたブランシュ日本支部は、あまりにも手際よく鎮圧され、消滅した。
* * *
第一高校の敷地内にある建物の中で最も高い、教室や職員室などがある“本棟”。その建物には入口に鍵が掛けられているものの屋上が存在し、敷地のほぼ中心に位置しているためにそこから校内をほぼ一望することができる。
つまり、校内のあちこちでテロリストが拘束されている様子も、ここからならば一目で見ることができる。
「さてと、どうやら終わったようですね」
「……あぁ、そうだな」
そして現在その屋上には、2人の生徒がいた。
1人は、艶のある黒いおかっぱ頭に同色の大きな瞳、そしてそれを囲む赤縁の眼鏡という出で立ちの女子生徒。
そしてもう1人は、高校生とは思えない筋肉の鎧を身に纏う巌のような存在感の男子生徒・十文字克人だった。
「向こうも片付いたみたいですし、私もそろそろ上がらせてもらいますね」
「……あぁ」
つい先程まで頻繁に使用していた携帯端末をポケットにしまう彼女に、克人は最低限の言葉で了承の返事をした。その際、克人の視線が彼女の手首にある
おそらく、という言葉を付けるまでもなく、彼女にはもはや必要の無いものだった。
彼女が“潜入”していたその組織は、今まさに目の前で制圧されて消滅したのだから。
「……君も、SMLの一員なのか?」
「いいえ、SMLとは今回の任務限定で契約を結んでただけで、私自身はフリーでやってます」
「フリー? スパイにもフリーとかあるのか?」
「割といるみたいですよ? 私はこれ一本ですけど、本業が別にあってアルバイト感覚でスパイやってる人とかいますし」
「そうか。……魔法科高校に通っていたのは、エガリテに潜入するためか?」
「まぁ、そうですね。――さてと、私のことを探ろうとするのは構いませんけど、ちゃんと情報操作はお願いしますよ。そっちが面倒な雑事を請け負うことを条件に、こっちは襲撃犯の細かい情報とかその防弾インナーとか提供してあげたんですから」
「……あぁ、分かっている」
克人の答えに彼女は満足げに頷き、軽く手を振りながら「じゃ、そゆことで」と言い残してその場を後にした。
彼女の後ろ姿を見送りながら、克人はポツリと呟いた。
「――
『こちらお色気、ターゲットの捕縛が完了した。これより移送任務に移行する』
「こちら筋肉、了解した。こちらも作戦を終了し、引き上げる。――何だ、いざってときのためにせっかくスタンバってたのに、結局出番無しか」