嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第17話「空を自由に飛びたいゾ」

 日本に幾つか存在するCADメーカーの1つ、フォア・リーブス・テクノロジー。英名は“Four Leaves Technology”(通称FLT)であるが、会社登記および商標表記は故意に“フォア・リーブス”となっている。

 元々は魔法工学部品メーカーとして知る人ぞ知るといった立ち位置の会社だったのだが、謎の天才開発者“トーラス・シルバー”の開発したCADシリーズ“シルバー・モデル”の大ヒットにより、完成品のCADメーカーとして大きく存在感を放つ企業へと飛躍した。その成長は留まるところを知らず、今や日本だけでなく世界の有力メーカーがその動向に注目するほどだ。

 実はこの企業、四葉家からの出資で設立されたものである。しかし金の流れは巧妙に秘匿されており、大国の情報機関が調べ上げてもその尻尾すら掴ませていない。ちなみに名前に“四葉”が使われてはいるが、日本には四葉家とは繋がりが無いにも関わらず虎の威を借る目的で“四葉”を意味する名称を採用する企業が多く存在しており、FLTもそんな企業の1つと見なされている。

 

 やたら上機嫌な雰囲気の深雪を引き連れた達也が、貴重な休日に交通機関を乗り継いで2時間を掛けてやって来たのは、そんなFLTの開発センターの1つが収められたビルだった。

 ここを拠点とするのが達也もエンジニアとして秘密裏に所属する“CAD開発第三課”であるが、こんな辺鄙な場所に拠点が置かれていることからも察せられるように、元々は技術部のはみ出し者や権威に逆らった人間を集めて作られた“厄介払いの部署”だった。しかし“シルバー・モデル”を世に出したことで一気に会社内部で高い発言力を有するようになり、本社の技術者からは『キャプテン・シルバーとその一味』という蔑みだかやっかみだか分からない通称で呼ばれていたりする。

 企業スパイ対策による機械や人の目による厳重な警備を抜け、LEDライトで照らされた窓の無い廊下を悠然と歩く2人がやがて辿り着いたのは、10人以上の研究員が忙しなく走り回っている、CADのテストを見守る観測室だった。

 

「あっ、御曹司じゃないですか!」

 

 達也たちが部屋に入ってきた途端、あれだけ忙しそうにしていた研究員が全員手を止めて集まってきた。その視線には媚びるような卑しい感情も、内心見下すような蔑みの感情も無く、ただ相手への尊敬や親しみが込められていた。

 そしてそんな視線を一身に受けるのは、深雪ではなく達也だった。学校ではその類稀なる容姿と実力で称賛の視線を浴びる彼女が、ここではあくまで“自分達が尊敬する司波達也の妹”という扱いを受ける。

 もっとも、深雪がそれを不満に思うことはない。それどころか、尊敬の念を集める達也に恍惚の表情を浮かべてすらいる。

 

「お邪魔します。牛山主任はどちらに?」

 

 “御曹司”という呼び名がこそばゆいのか、達也は苦笑いをしながら一番近くの研究員に尋ねた。

 すると、研究員の人垣を掻き分けて、癖の強い髪を持つ男がやって来た。

 

「お呼びですかい、ミスター?」

「すみません牛山主任、お忙しい中」

 

 牛山と呼ばれたその男は、頭を下げる達也にチッチッと指を横に振ってみせる。

 

「おっと、いけませんなミスター。ここにいるのはアンタの手下ですぜ、下手に遜りすぎちゃ示しがつきませんよ」

「しかし皆さんは親父に雇われているだけあって、俺の部下というわけでは――」

「何を仰いますやら、天下のミスター・()()()()が。俺たちゃ全員、アンタの下で働けるのを光栄に思っているんですぜ?」

「それを言うのなら、名実共にここのヘッドはあなたでしょう? ミスター・()()()()

 

 そう。2人の言葉からも分かる通り、FLT躍進の原動力ともいえる“シルバー・シリーズ”の開発者である“トーラス・シルバー”とは単独の開発者ではなく、達也と牛山の2人から成る共同開発としての通名である。

 達也がアイデアとソフト部分を、牛山がハード部分を担当し、数々の革命的なCADを世に送り出してきた。その功績は目覚ましく、ループ・キャストを世界で初めて実現し、特化型CADの起動式展開速度を20%向上させ、非接触型スイッチの誤認識率を3%から1%未満へ低下させるなど、魔法技術を10年は加速させたと称されるほどだ。

 

「よしてくだせぇ、俺はただの技術屋ですぜ? アンタのアイデアにあぐらを掻いているだけなのに共同開発者なんて、本当は今でも恐れ多いと思ってるんですから。アンタが頑なに単独の開発者になるのを拒んでいるから、仕方なく連名ということにしていますが」

「主任のハードに対する知識と技術力が無ければ、“ループ・キャスト・システム”も机上の空論で終わってましたよ。どんな理論や技術も、製品化されて初めて意味を持つものでしょう?」

「あーもう、やめやめ。御曹司に口で敵うはずがねぇ。それよりも、仕事の話をしましょうや」

「そうですね。それでは、これを」

 

 そう言って達也が取り出したのは、片手で覆えるほどに小さなCADだった。卵型のそれには上下の2つしかスイッチが付いておらず、何かの家電を操作するリモコンのようにも見える。

 CADと呼ぶには簡素なそれを受け取り、牛山は様々な角度からそれを観察した。

 しかしふいに何かに気づくと、途端に表情を引き攣らせ、CADを持つ手もプルプルと震わせる。

 

「このデバイス……まさか、“飛行術式”ですかい?」

「ええ」

「テストは?」

「いつも通りに。こちらでは成功していますが、俺も深雪も()()()()魔法師とは言い難いので」

 

 ゴクリと唾を呑み込んだ牛山が、近くで同じようにCADを見つめている研究員へと顔を向けた。

 

「テツ、T-7型の手持ちは幾つだ?」

「……じ、10機です」

「馬鹿野郎! なんで補充しとかねぇんだよ! いいから全部持ってきて、今すぐこのシステムをコピーしろ! ヒロ、テスターを全員呼べ! 休みなんか関係あるか、首に縄つけて引きずってこい! 残りは全員今の作業を中断して精密計測の準備だ! 良いかおまえら、分かってんのか! ――魔法の“歴史”が変わるんだぞ!」

 

 牛山の声に、観測室中にいる研究員が先程以上に忙しなく走り回った。機械に齧り付いて起動を確かめたり、相手に怒鳴りつけるような勢いで電話をしたり、とにかく観測室は混乱の極みに達していた。

 そんな中、深雪だけが誰の邪魔にもならないように部屋の端っこで達也を眺めてはニコニコと楽しそうに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 現代魔法の誕生に繋がる超能力者の発見から100年ほど経ち、世界中の機関で日夜研究が行われているが、まだまだ魔法には未知の領域が多く、その全貌は一向に解明される気配が無い。

 有名なところでは、“加重系魔法の三大難問”の1つである“汎用的飛行魔法”が真っ先に挙げられるだろう。

 加速・加重系統を得意とする魔法師ならば、1回の魔法で数十メートルもジャンプすることが可能だ。一時的ではあるが、その場に浮遊する魔法も確立されている。それなのになぜ、空を自由に飛び回れる飛行魔法は(正確には“誰にでも扱える定式化された飛行魔法”は)実現されていないのだろうか。

 

 一度魔法が作用した物体の状態を変化させようとすると、作用中の魔法よりも強い事象干渉力が必要となる。魔法による飛行中に速度や方向を変えるにはその都度魔法を重ね掛けしなければならず、その分だけ必要な干渉力が跳ね上がっていく。1人の魔法師では、せいぜい10段階が限度だろう。

 ならば重ね掛けではなく、魔法そのものをキャンセルすれば良いという発想になるのが自然だ。実際に一昨年にイギリスで、その方針を元に大規模な実験が行われている。しかし、結果は失敗。要求される干渉力が、普通に連鎖発動するよりも急激に高くなってしまったらしい。つまり逆効果に終わってしまったということだ。

 失敗の原因は、実験の企画者が魔法の無力化について錯覚していたためだ。終了条件が充足されていない魔法は消滅せず、対象のエイドス(物体に付随する情報体)に留まったままになる。よって1回の飛行状態変化のためにキャンセル分の魔法式が余分に上書きされることになり、余分な上書きが累積されるために事象干渉力の限界点に到達するのも早くなってしまったのである。

 

 そこで、達也は考えた。

 1つの魔法式だけで自由に飛び回れるようにするのではなく、一度発動させた魔法を途中でキャンセルするのでもなく、発動時間が非常に短い魔法をタイムラグ無しで連続発動させたら良いのではないか、と。

 魔法を連続発動させるシステムについては、達也のCADにも使われる“ループ・キャスト・システム”で確立されている。これは一度読み込んだ起動式をコピーして連続発動するものだが、今回は魔法の起動時点を記録して変数のみを書き換えて起動式を連続処理するシステムを採用する。飛行するスピードや方向だけを変えられるようにしておき、魔法の切れ目のときにそれを調整できるようにすることを目指したというわけだ。

 そうして出来上がったのが、先程牛山に渡した卵型のCADだった。

 

 

 

 

 強化ガラス1枚隔てた向こう側で自由に空中を飛び回るテスターの姿に、達也は人知れず自身の拳を力強く握り締めた。

 一般の魔法師であるテスターが使っても問題無く起動し、フワリと自分の体が宙に浮き上がった瞬間、彼は細部をチェックするのも忘れて興奮した様子で空中を飛び回り始めた。それを見ていた他のテスターも我先にとCADを装着して飛び始め、終いには予定には無かった空中鬼ごっこまで開催される始末であった。

 当然、常時サイオンを吸引し続ける魔法を長時間使えるはずもなく、程なくして全員の魔法力が枯渇して床にへたり込んでしまっている。幸いにも後遺症が残るほどではなかったが、牛山は呆れ果てた表情で彼らを見下ろしていた。

 

「おまえらアホか! 体内のサイオンを自動吸引するっつったのに、へばるまで飛び回りやがって! 超勤手当出さねーからな!」

「えぇっ! そりゃ無いッスよ、主任!」

 

 テスターから一斉に巻き起こるブーイングを余所に、牛山はテスト結果を真剣な表情で見つめている達也と話し合いを進めた。当面の課題として、起動式の連続処理による負担軽減のためにサイオンの自動吸引をハード面からより効率化する。後は他の企業に先を越されない内に飛行術式のノウハウを発表し、9月を目処に製品化することで双方の意見は一致した。

 とりあえずそれについては牛山達に任せるとして、達也はここに来た“もう2つ”の理由についての話題に切り替えることにした。

 

「主任、こんなときに何ですが、少し相談したいことが……」

「何ですかいミスター、そんな改まって」

「はい。実は今度行われる九校戦で、エンジニア代表に選ばれまして――」

「おぉっ、それはめでたい! つっても、天下のミスター・シルバーにとっちゃ役不足も良いところではありますがね。それで、その件で俺達の手を借りたいと?」

 

 牛山の問い掛けに、達也は小さく頷いた。

 

「俺達がオーダーメイドで作ったベルト型CAD、憶えてますか?」

「あぁ、酢乙女家のお嬢ちゃんがやたら注文を付けてきたヤツですね? 何だか特撮ヒーローの変身ベルトを作ってるような気分になって、俺も久々に趣味全開で楽しかった案件ですよ」

「はい、それです。先程言った九校戦に向けて、そのベルト型CADを作ろうと思いまして――」

「あぁ成程。確か九校戦って、CADの性能に規定がありましたよね。それをクリアするために、敢えて性能を落とした物が欲しいと。以前に作ったヤツのデータはここに残ってますんで、そんなに時間は掛からないと思いますよ」

「ありがとうございます。俺としては、今回は汎用型ではなく特化型にした方が良いと考えているのですが」

「パフォーマンスをできるだけ維持したいのであれば、それが無難でしょうな。――まぁ、細かい話は追々詰めていくとして、他には何かありますかい?」

 

 やはり牛山との話し合いはテンポ良く進んで気持ちが良い。

 達也は僅かに口角を上げながら、2つ目の相談について口を開く。

 

「武装一体型CADについて1つアイデアがありまして、主任にはそのハード部分を作ってもらえれば、と」

「おぉっ! ミスター・シルバーの新アイデアとは、胸が躍りますなぁ!」

「そんな大した物ではありませんよ、ちょっとした思いつき程度ですので。一応、簡単な設計図は書いてみたのですが――」

 

 達也はそう言うと、ジャケットの裏ポケットから数枚の紙を取り出して牛山に渡した。

 牛山はそれをざっと読み込み、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「何だミスター、もうほとんど出来てるじゃないですか。これなら設計図のデータを入れれば、ほとんど機械で自動的に出来ますぜ。明日の朝にでもミスターの家に届けておきますよ」

「いえいえ、そこまで無理をさせるわけには――」

「遠慮しないでくださいよ、俺とアンタの仲じゃないですかい」

「……ありがとうございます、主任」

 

 頭を下げる達也に、牛山は気にするなとばかりに笑ってみせた。

 そんな2人の遣り取りを、深雪は誰の邪魔にもならないように部屋の端っこでニコニコと楽しそうに眺めていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 本日の用事をすべて終えた達也、そしてそんな彼に付き従う深雪が、来たとき以上に研究員が忙しなく走り回る観測室を後にしようとした。しかしそんな中でも牛山は部屋の外まで見送ると言い出し、せっかくの好意を無駄にするのもアレだと考えた達也は素直にそれを受け入れた。

 と、そんな牛山がふいに申し訳なさそうな表情を浮かべてこう言った。

 

「すみません、ミスター……。本部長も今日はこちらにいるはずなので連絡したんですが、結局お見えになりませんで……」

 

 それに対して、達也は気にしていないという感じで首を横に振った。しかし彼の後ろにいる深雪は、隠しきれていない不機嫌が表情に浮かび上がっていた。

 牛山と別れた2人は、来たときと同じように窓の無い通路を歩いていく。観測室にあった珍しい機械や製品化される前のCAD、そして飛行術式のテストに夢中になるテスターの様子を楽しそうに話しながら、入口まであと1区画という所まで差し掛かる。

 と、そのとき、

 

「これは深雪お嬢様、ご無沙汰致しております」

 

 入口真正面に備え付けられたソファーの傍に立つ男性2人組とバッタリ顔を合わせ、そして片方の男が深雪に気づいて恭しい態度で頭を下げてそう声を掛けてきた。彼の視線は彼女のみに固定されており、その隣にいる達也へと移る気配は微塵も無い。

 その人物とは、四葉家の執事である青木だった。財産管理の一端を任せられているほどの人物であり、世間一般でいう執事とは格が違う。だからこそ、達也と深雪の実父でありFLTの本部長でもある司波龍郎のお付きも任されているのだろう。

 一方、彼の隣に立つ龍郎は、その視線を深雪と達也の間で行ったり来たりさせながら、所在悪そうに口を開きかけては閉じるを繰り返していた。

 

「お久しぶりです、青木さん。しかしここにいるのは、私だけではありませんが。――お父様もお元気そうで。先日の入学祝いのお電話、ありがとうございました。ですが実の息子には何も無かったそうですね?」

 

 冷えきった声でそう言う深雪に、龍郎は気まずそうに目を逸らし、青木は一切動じなかった。

 

「お言葉ですがお嬢様、私は序列4位の執事でございます。家内にも“秩序”というものがございますので、一介のボディーガードに礼を示せと仰られましても些か困ります」

「私の兄ですよ?」

「畏れながら、深雪お嬢様は次期当主の座を家中の皆より望まれているお方。そこの者とは立場が違います」

「おや、青木さん。随分と穏やかではないことを仰いますね」

 

 自分を軽んじる発言にも眉1つ動かさなかった達也が突然口を挟んだことに、青木はあからさまに気分を害した様子で達也を睨みつける。

 しかし達也は、それを無視して話を続ける。

 

「今の発言は、他の候補者の方々に対してあまりにも不穏当ではありませんか? 叔母上はまだ次期当主をご指名なさっていなかったと記憶しておりましたが、それともご本人から内定でもお聞きになりましたか?」

「――――!」

 

 達也の指摘に、青木は自分の失言に気づいてハッと顔を引き攣らせた。秩序を乱す行為を咎める発言をしておきながら、自分は家督相続に関する自身の思い込みを、あろう事か次期当主候補に吹き込むなどという、如何にも秩序を乱すような行動を取ってしまったことになるのだから。

 青木は悔しさに顔を真っ赤に染めながら、達也を睨みつけるその目をさらに細めた。達也の顔はいつも通りの無表情であるが、彼には内心自分を馬鹿にしているという被害妄想染みた思いに駆られていた。

 

「……御当主様は、確かに何も仰ってはいない。しかし共に暮らしていれば、互いの心は通じるものなのだ。貴様のような()()()()()エセ魔法師ごときが――」

「青木さん、それ以上は」

 

 ヒートアップしていく青木の発言を止めたのは、彼の隣で気まずそうに成り行きを窺っていた龍郎だった。どちらに味方するのか明確にしないどっち付かずの態度を見せていた彼のハッキリした物言いに、青木だけでなく達也と深雪の2人も驚きの表情を見せた。

 しかしそんな彼の視線は、達也たちではなく彼らの背後へと向けられていた。そして青木はそれに気づくと、即座に納得したように頭を下げて(それでも最後に達也を一睨みするのは忘れずに)口を噤んだ。

 そんな彼らの背後、つまり会社の出入口の方から声が聞こえてきたのは、その直後だった。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした、司波様」

 

 特に声を張り上げたわけでもないのによく聞こえる凛とした声と共に、その少女は廊下の角から姿を現した。

 前髪を切り揃えた長い黒髪が艶やかな、気品あるオーラを嫌味無く漂わせる少女だった。如何にも高級そうな生地を使った臙脂(えんじ)色の服もよく目立つが、何よりも彼女の目を惹くのは、老若男女の区別無く引き込まれてしまいそうになるほどの美貌だった。ちなみに彼女の隣には、黒い髪に黒いサングラスに黒いスーツという全身黒ずくめの男が付き従っている。

 

「――――!」

 

 そんな彼女の登場に、達也は思わず息を呑んだ。

 彼女の美貌に惹かれて、ではない。彼は美人の異性に心奪われるといった、世間一般の男子高校生のような感情など持ち合わせてはいない。もっとも、深雪に対しては例外であるが。

 彼がその少女に対してそのような反応を見せたのは、彼女のことを知っていたからである。

 

 酢乙女ホールディングス。

 

 それは世界中のあらゆる国で事業展開を行う、日本発の企業グループの名である。世界トップクラスの関連会社数・社員数を誇り、『どこかテキトーな場所に立ち、テキトーな方向に目を向ければ、その会社が関わる何かしらの商品が目に入る』とまで言われるほどに多種多様な産業を網羅している。グループ全体の総売上はまさに天文学的数字であり、一部の小国においては政府よりも力を持っているとまで噂されるほどだ。

 そしてそんなグループ企業の次期後継者の最有力候補として知られているのが、目の前にいる少女・酢乙女あいである。その美貌からメディアでも度々紹介されている彼女は、高校生になったばかりの年齢だというのに既に会社の経営に関わっており、そして少なからぬ成果を挙げているのだという。

 

 しかし達也にとって最も重要なのは、彼女が例の現象に巻き込まれたために100年ほど5歳児のままだったこと、そして同じ幼稚園に通っていた野原しんのすけと未だに個人的な付き合いがある、という点だ。

 それもただの友人ではなく、“トーラス・シルバー”謹製のCADをプレゼントするほどに入れ込んでいる。となると、彼と現在近しい関係にある自分達も或る程度知られていると考えた方が良い。

 

「大変失礼致しました、司波様。到着して早々、会社から電話が掛かってくるなんて」

「いえいえ、お気になさらず。お忙しい身であることは重々存じてますので」

 

 そんな彼女が、自ら出張ってまで達也の父親と接触を図ってきた。

 いったい何が狙いなのか、と達也の警戒心が自然と湧き上がってくる中、あいは達也と深雪の2人に目を向けると、初めて気づいたとばかりに首を傾げた。

 

「そちらにいらっしゃるお2人と、何かお話をされていたのですか? それでしたら私のことはお気になさらず、どうぞお続けになってくださいな」

「お気遣いいただき、大変感謝致します。ですがお忙しいご様子ですので、今日のところはこのまま失礼させていただきます」

 

 スラスラと淀み無くそう言う達也に、あいはニッコリと優雅な笑みで返す。

 

「ご心配には及びませんわ。今日はじっくりと話し合うつもりでしたので、この後のスケジュールには余裕がありますの。せっかくの親子水入らずですもの、積もる話もお有りのことでしょう?」

 

 ――やはり、さっきの話は聞いていたか。

 

 達也は心の中で、彼女に対する警戒心をさらに募らせた。先程の会話では、四葉家を連想する単語は誰も口にしていない。たとえ盗み聞きされたとしても、複雑な御家事情を抱えている程度しか分からないだろう。

 

「いえいえ、こちらの都合でご迷惑をお掛けするわけにはいきません。それにまぁ、自分達もこの後に用事がありますので……」

 

 今すぐにここを離れたい、とばかりに達也は彼女から目を逸らして言い淀んでみせた。先程の会話を聞いていたのなら、複雑な事情で親子関係が上手くいっていないと推測できる。そんな父と顔を合わせたくないという名目ならば、この場を離れたがっていても不思議ではない。

 そんな達也に対し、他の3人は口を閉ざしたまま成り行きを見守っていた。この場を穏便に済ませたいのは全員同じだ、下手なことを言って場を拗らせたくはない。

 そしてあいは、ほんの短い時間だけ彼の頭から爪先まで視線を1往復させると、

 

「ところで本日は、どのようなご用事でこちらにいらっしゃったのですか?」

「こちらの会社を見学させてもらっていたんです。自分は魔工技師という職業に興味がありまして、実際に一度職場を覗いてみたかったもので」

「まぁ、とても勉強熱心な方なのですね」

 

 あいは晴れやかな笑みでそう言うと、その笑顔を龍郎へと向けた。

 急に自分の方を向いたからか、彼はピクンッと肩を跳ね上げた。

 

「素晴らしいですわ、司波様! 自身の“私情”に囚われることなく、ご子息のお願いを叶えて差し上げるだなんて!」

「えっ? えぇ、まぁ……。息子はとても優秀ですので……」

 

 とても戸惑った様子でそう答える龍郎に、達也も深雪もほんの少しだけその目を細めた。

 と、あいが再び達也へと向き直った。

 

「ところで勝手なお願いで申し訳ないんですけれども、今日私がこちらに伺っていたことは他言無用でお願いできますか?」

「はい、もちろんです」

「私からも、お約束致します」

「まぁ、頼もしいですわね。そうですわ、こちらのように絶対外部に漏らせない開発中の技術や新商品が数多くあるような施設の見学を許されるほどですもの、そういった事情に関してもよくご存知でしょうね」

 

 彼女が満足そうに頷いたこのタイミングを見計らって、達也は「それでは失礼します」と頭を下げてから建物の出入口へと歩いていった。深雪も丁寧な所作でお辞儀をして兄に続く。

 達也が一瞬だけ振り返ったとき、龍郎が何か言いたげに口を引き結んでいたが、生憎と彼にはそれへの興味は微塵も無かった。

 それよりも彼は、未だにニコニコと笑みを浮かべてこちらをじっと見つめるあいが気掛かりで仕方がなかった。




「あれっ? 達也くんと深雪ちゃん、今日は学校に来てないの? んも~、休日とはいえ学校に来て練習しないなんて、代表としての自覚が足りないんじゃないの~?」
「おまえだけは絶対に言えた義理じゃねぇけどな、野原」

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