プルルルルルル――。
達也と深雪の自宅にその電話が掛かってきたのは、入学式前日の夜、そろそろ明日に備えてベッドに入ろうかと2人が思っていたときのことだった。
「――――!」
「――――!」
その瞬間、2人の表情が一気に警戒の色に染まった。
現代社会では電話の機能も持った携帯端末がほぼ100パーセントの割合で普及し、ほとんどの人はそれを使って電話をするので、自宅の電話に掛けないどころか自宅に電話が無いことも珍しくない。達也も深雪も中学時代の友人がいないわけではないが、携帯端末に直接掛かるため自宅の電話が鳴ることは無い。
しかも今回の電話は、通常の回線とは別物の“秘匿回線”を用いて掛けられたものだった。通常のそれとはセキュリティが段違いであるそれを使うということは、盗聴の類を仕掛けられると非常に困るような内容を伝えようとしていることを意味する。
『夜分遅くにごめんなさい、達也さん、深雪さん』
果たしてテレビ画面に映ったのは、ほとんど黒に近い色合いのロングドレスを身に纏い、異性を妖しく惹きつけずにおかない妖艶な魅力と、思春期の少女を連想させるような可愛らしさという相反した印象を同居させた女性だった。
「――どのような用件でしょうか、叔母様」
そんな彼女に対し、深雪は緊張感を内に秘めながら問い掛けた。
その隣に寄り添う達也も、彼女ほど表には出さないものの、画面に映る女性をまっすぐ見据えている。
その女性の名は、四葉真夜。
名字に“四”が含まれている四葉家の現当主であるが、四葉家は単なる“
一口に“数字付き”と言っても、その全てが平等の立場というわけではない。“二十八家”という頭一つ抜きん出た存在である家系が28存在し、さらにその中から4年に一度行われる会議で選ばれた10の家系を“十師族”と呼ぶ。日本の魔法師達が所属するコミュニティの頂点に君臨する十師族であるが、四葉家は七草家と並んで一度も十師族選定から落ちたことが無く、いわば“日本最強の一族”と表現しても差し支えない。
そんな一族の当主との会話は、たとえ親族である達也たちでさえ緊張するものだ。もっとも彼らの場合、別の事情も関わってくるのだが、それは今ここで書くことではないので割愛する。
『2人共、いよいよ明日が第一高校の入学式ですね。魔法師として非常に大事な3年間となると思いますが、2人にはそのことを頭から離して、純粋に学生生活を楽しんでくれたら嬉しいです』
「……お気遣い、感謝致します」
深雪がそう言って頭を下げるのに合わせて、達也も真夜の映像に向けて頭を下げた。しかし2人共、彼女がそのような世間話で電話をしてくる性格でないことは重々承知であり、どのような“本題”をぶつけてくるのか気になって仕方がなかった。
『さてと、私がどんな内容で電話してきたのか気になって仕方がないって顔をしてるから、手短に話そうかしら。――あなた達と同じく明日入学する新入生の中に、1人気になる子がいてね』
「……気になる子?」
真夜の言葉に、達也も深雪も訝しげな表情を浮かべた。日本だけでなく世界でもその名を恐れられている“四葉家”の当主であり、本人も“世界最強の魔法師”の一角に顔を並べている彼女の気になる存在となれば、余程の人物だということになるからだ。
『別に四葉家に対して不利益な存在というわけではないのよ。むしろ逆と言っても良いわ。もしもその子の身に何か困ったことが起きたとき、できるだけあなた達も力になってほしいと思って、こうして電話を掛けたのよ』
「……力に?」
『そう。まぁ、あの子のことだから、わざわざこうして伝えなくても自然にあなた達を巻き込むことになるでしょうけど。何てったってあの子は“嵐を呼ぶ”存在だもの』
真夜の話を聞いていて、達也はますます訳が分からなくなった。彼女の言葉の端々から、その人物に対して好印象を持っていることが明らかに伝わってくる。普段は自分の感情を表に出すことのない彼女からしたら、それは非常に珍しいどころの騒ぎではない。
『そんな訳で、あの子とはできるだけ仲良くしてちょうだいね』
「……かしこまりました。で、その人物の名前は?」
達也の質問に、真夜は口元の笑みをますます深めながら、ゆっくりと口を開いた。
『――“野原しんのすけ”くんよ』
* * *
入学式を終えた次の日、4月4日の早朝。
司波兄妹の2人の姿は、自宅から少し離れた所にある鬱蒼と生い茂る森の中、そこに隠れるようにしてひっそりとある寺の境内にあった。長い石階段を昇った先に広がるのは、伝統的な建築技術で建てられた建物に、四方を森に囲まれた開放的でありながらどこか閉鎖的な雰囲気が漂う、まさに“寺”と聞いて浮かぶイメージそのままの場所だ。
しかし2人は、特に信心深い性格というわけではない。表向きは天台宗総本山である比叡山の末寺を標榜しているこの寺だが、というか実際にそうなのだが、その寺の住職である九重八雲は“忍術使い”として名高い古式魔法師であり、達也は数年前から彼に体術を指南してもらっているのである。
この日も日課である体術の稽古を終えた彼らだが、今日の達也たちはそれ以外に重要な用事があった。
「へぇ、まさか入学初日で彼と顔見知りになるとは、さすがは達也くんといったところかな? いや、今回の場合はむしろ彼の方を褒めるべきか」
「その口振りからすると、師匠は野原しんのすけを知っているのですね」
「むしろ君達が何も知らないことの方が驚きだけどね」
出家した世捨て人で俗世には関わらないことを戒めとしていながらも俗世についてよく把握している八雲に対し、駄目元で野原しんのすけに関することを話した達也は、むしろ知っているのが当然と言わんばかりの彼の反応に意外感を隠せずにいた。
さて何から話せば良いか、と八雲は考える素振りをして口を開く。
「野原しんのすけ。旧埼玉県春日部市出身、1985年5月5日生まれの15歳」
今は西暦2095年。普通に考えれば15歳どころか110歳という超高齢、そもそも生きているかどうかも怪しい年齢のはずだ。しかし八雲はそんなつまらない嘘や勘違いをするような人間ではなく、そうなるとそのプロフィールも事実ということになる。
「これだけで、おおよその察しが付くんじゃないかな?」
「……成程、そういうことですか」
八雲の言葉通り、達也は首肯し、隣で聞いていた深雪は驚いたように目を見開いた。
春日部市。旧埼玉県(現在は都道府県制が廃止され、広域行政区制にシフトしている)の市町村の1つであり、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線と東武野田線が交差する交通の要衝だ。20世紀後半の高度経済成長時に東京のベッドタウンとして開発されたことで人口が増加、その後の少子化や第三次世界大戦を経て減少に転じたこともあるが、現在でも約20万人ほどがその地に居を構えている。
住民達には申し訳ないが、普通ならば単なる地方都市の1つとして特に取り沙汰されることのない街のはずだ。
春日部市で発生していた、例の“不可思議な現象”さえ無ければ。
その現象の存在に気づいたのは、今から10年ほど前。当時は世界的なニュースにもなったし、様々なメディアで連日連夜放送されるほどの大混乱を巻き起こした。
その内容とは、『春日部市を始めとしたごく一部の地域、あるいは一部の人々が、局所的・限定的な時間のループに囚われていた』というものだった。
その現象に囚われた人々は、時間の経過という概念自体は認識しているが一切歳を取ることが無く、何十年も同じ姿で生活を続けていた。寿命を迎えることも無く、学生は学生のまま進級せず、社会人も階級や部署すら変わらずに働き続けていた、ということだ。それはまるで何十年も続く日本の長寿アニメのような世界であり、それもあって一部の界隈ではこの現象を“サザエさん時空”と称している。
それだけでも驚きだというのに、この現象のさらに大きな特徴が、このような不自然極まることが起きているにも拘わらず、誰1人としてそれを変だと認識しなかったことである。本人も、周りにいる友人達も、彼らの所属する学校や会社も、果ては国や世界さえも、一切歳を取らずに生き続ける彼らを当然のように受け入れていたのである。
しかし10年ほど前、突如として世界中の人間が一斉にこの現象の存在を認識した。何の前触れも無く、彼らが歳を取らないことをおかしいと思い、そして本人達も自分が歳を取らずに生き続けていることをおかしいと自覚した。そしてそれを自覚した途端、その現象は嘘だったかのように消え失せ、人々が再び歳を取り始めたのである。
当然ながら世界中の様々な機関が、この不可思議な現象の調査に名乗りを挙げて我先にと原因究明に乗り出した。その結果、少なくとも100年近くその現象が続いていたことは分かったのだが、なぜそんなことになっていたのか、そしてなぜそれが解消されたのかは未だに不明のままだ。
「彼が普通の人とは違う身の上であることは分かりました。しかしそれは、何も彼に限ったことではありません。叔母が俺達に彼との協力関係を構築するよう命じる根拠にはなりません」
「確かにその通りだ。しかし彼がごく一部の有力者の間で名前が売れているのは、その現象が発覚するよりもかなり前からのことなんだよ」
「つまり彼はその現象に囚われていた100年の間に、世界各国の有力者の目に留まるような出来事を起こしたということですか?」
「その通り。しかも一度だけじゃない、それこそ何十回もだ」
八雲はそう前置きして、春日部市に関することを話し始めた。先程の時間ループ現象については世間一般で既に認知されていることだが、ここから先はごく一部の人間しか知らない事実である。
この100年の間に人類は魔法という力を手に入れ、第三次世界大戦という悲劇を乗り越え、そして魔法を中心とした世界を構築しつつある。
しかしそれ以外にも、世界では様々な“事件”が巻き起こった。そしてその中には、“魔人”と呼ばれる存在を利用して世界征服を企む悪の組織、理想の世界を作るために開発した匂いによる集団洗脳、果ては巨大ロボットの侵攻など、フィクションの世界でしか有り得ないような出来事も多くあった。春日部市においても20世紀の終わり頃に、先に述べた巨大ロボットによって街が壊滅の危機に陥ったことがある。
しかしそれらの事件は、取り返しのつかない事態になるよりも前に解決へと導かれた。巨大ロボットの例を挙げれば、自衛隊でもまったく歯が立たなかったロボットを一組の家族が生身で空を駆けながら破壊した、という眉唾物の報告がなされている。しかし当時の記録や関係者の証言、そしてそれに関わった人々に集団幻覚の痕跡が見られなかったことから、現在では“事実と認めざるを得ない”という結論に達しているという。
そのような事件を次々と解決したとなれば、有力者達がその“英雄”に興味を持つのも自然の道理である。
「まさか、その人物というのが――」
「そう。その人物こそが、野原しんのすけだ。もちろん彼1人で全て成し遂げたわけではなく、彼の家族や友人、そして当時彼と行動を共にした協力者達がいたからこそとはいえ、中心として動いていたのは間違いなく彼だ。――もっとも、彼本人にその自覚があるかは疑問だけどね。彼はいつだって自発的に事件に関わったわけではなく、あくまで巻き込まれただけに過ぎないのだから」
だが、と八雲は話を続ける。
「彼の活躍によって救われた者達が大勢いることも、揺るぎない事実だ。彼が解決した事件の中には、そのまま放置していれば世界的にも甚大な被害が及ぶことが想定されたものも数多くあることから、彼を英雄視している者もけっして少なくない。だからこそ君の叔母が彼の手伝いをするよう言いつけたとしても、さほど不思議は無いんじゃないかな」
真意を読ませない能面のような笑みを浮かべる八雲の言葉は、確かに傍目には筋が通っているようにも思える。
しかし四葉家のことをよく知る達也からしたら、どうにも納得し難いものがあった。彼女は、というより四葉家というのは『世界がどうなろうと知ったことではない』というスタンスであり、たとえそのような“英雄”が自分と同じ学校に入学するにしても、わざわざ自分達に電話を掛けてまで彼への助力を命じるとは思えない。
「まぁ、確かに気になることが多いのも事実だ。だけど残念ながら、今まで彼が関わってきた場所では、必ずと言って良いほど何かしら“騒動”が起こる。だから君達が望む望まないに拘わらず、君達はその騒動に巻き込まれることになるだろうね。だったらその英雄と対立するよりは、素直に協力体制を築いた方が楽だと思うよ」
「……師匠、ひょっとして楽しんでませんか?」
「あ、分かるかい? だったら頼んじゃうけど、いつか都合を作って彼をここに連れてきてもらえないかな? 稀代の英雄の姿を、ぜひともこの目で拝んでみたいものでね」
八雲のミーハーな一面に、達也は今日一番で大きな溜息を吐いた。
「お兄様……」
そしてそんな兄の姿を、深雪は実に心配そうな表情で見つめていた。
* * *
「おぉっ、深雪ちゃん! こんばんはー!」
「……今は朝だから“おはよう”ではないかしら?」
「おぉっ、そうとも言うー」
第一高校の昇降口にてしんのすけとバッタリ顔を合わせた深雪は、ほんの一瞬だけ表情を強張らせるも、すぐさま立ち直って慣れないツッコミを口にした。そしてそのときになってようやく、自分が彼と同じクラスであることを思い出したのである。
「いやぁ、深雪ちゃんがいて助かったゾ。風間くん達は違う学校に行っちゃって誰も知ってる人がいなかったから、不安で不安で仕方がなかったんだゾ」
「そ、そうなの。それなら良かったわ」
昨日1日付き合った感じでは不安な様子は一切読み取れなかった深雪だが、それを口に出すことはしなかった。下手なことを言って、関係が険悪なものになったらまずい。別に彼女は真夜の忠実な僕というわけではないが、それによって兄が不利益を被るのは彼女の望むところではない。
何か話題は無いか、と深雪は視線をあちこちにさ迷わせて、ふいにしんのすけの持つ鞄に付いているキーホルダーが目に留まった。
「あらっ? ひょっとしてそれって“アクション仮面”じゃないかしら?」
「おぉっ! 深雪ちゃんもアクション仮面のファンだったり?」
「いえ、特に好きというわけではないけど、色々と話題になっているから知ってるの」
アクション仮面とは、20世紀末からシリーズが続いている特撮作品の名前、並びにその主人公の名前である。同一俳優が主演を務める作品物としては世界最長ということでギネスにも登録されている人気シリーズだが、例の現象が発覚し、主役を務めている俳優の郷剛太郎(ちなみに劇中の役名も一緒だ)も歳を取っていなかったと判明してから再注目を集めている。
「しんちゃんは、アクション仮面が好きなの?」
「そりゃあもう! テレビの放送は毎回観てるし、豪華客船での新作映画上映イベントも行くくらいだゾ! それに自慢じゃないけど、オラ、アクション仮面とはマブダチなんだゾ!」
「マブダチ? 個人的な付き合いがあるってこと?」
深雪の問いに、しんのすけは「そーそー」と首を縦に振った。そのときの表情は所謂“ドヤ顔”であり、どう贔屓目に見ても自慢していることは明らかだ。
しかし深雪はそんなことよりも、もっと別のことが気になっていた。
――その俳優は確か、春日部市の出身ではなかったはず……。春日部市の住民以外にも例の現象に囚われていた人がいたけど、何か共通点があるのかしら……?
「良かったら深雪ちゃん、アクション仮面のDVD貸そっか? すっごく面白いから、深雪ちゃんも観れば絶対にハマると思うゾ! どんなに強い敵が出てきても、アクション仮面の必殺技“アクションビーム”でビビビーッとやっつけちゃって――」
興奮した様子で劇中のヒーローが取るポーズを真似してみせる彼は、高校生にしては不釣り合いなくらいに子供っぽく見えた。元々そういう性格だという見方もあるだろうが、100年近くもの間5歳児のままだったせいで、肉体的に成長してもなかなか精神が追いつかないのかもしれない。今まで深雪の近くにはいなかったタイプなので、彼女にはそれがとても新鮮に思えた。
それにもう1つ、自分に対して自然体に接してくるのも、彼女にとって非常に新鮮に感じた部分だった。彼女は自分の容姿が普通の人と違うことを自覚しており(もっともその程度の認識ではまだ甘いことを彼女自身はまだ知らない)、男子のほぼ全員が彼女に対して壁を作ったり自分を良く見せようと装ったりするのだが、彼にはそれが一切見受けられなかった。
真夜の命令によって彼と交流を持たなければいけないことについては未だに憂鬱な気分になるが、彼自身の性格が深雪にとって好ましいものであることはせめてもの救いだった。
「おっ、着いたゾ深雪ちゃん。ここが1年A組だって」
「……えぇ、そうね」
おそらくこのドアを潜った先には、幾重にも困難が待ち受けているのかもしれない。普通の人とは違う人生を歩んできた深雪ですら手に負えない出来事が、自分達の身に降り掛かってくるのかもしれない。
しかし深雪は、心の中で拳を強く握りしめて決意した。どんな困難が降り掛かろうとも、最愛の兄と一緒ならきっと乗り越えられるに違いない、と。
「そんじゃ、失礼しまーすっと」
呑気な声でドアを開けたしんのすけに続いて、深雪は凛々しい表情で教室へと足を踏み入れた。
「ところでしんちゃん、アクション仮面以外には何か見るの?」
「うーん、そうだなぁ……。おっ! 去年の大河ドラマは毎週観てたゾ!」
「へぇ、そうなの。確か去年のタイトルって……、そうそう、『青空侍』だったわね」