嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第25話「犯人は誰? 大波乱の九校戦だゾ」

 大会3日目。

 女子バトル・ボード準決勝の会場は、優勝候補の大本命である摩利の出番がもうすぐ始まるということでほとんど満席になっていた。現在はスタート直前の最終調整を行っているところであり、相手の三高と七高の選手が緊張で顔を強張らせているのに対し、摩利は不敵な笑みを浮かべてボードの前で仁王立ちをしている。そんな彼女の堂々とした振る舞いに、ますます観客の女性陣が熱狂的な歓声をあげていた。

 そんな彼女達を横目に、達也がスタートラインを見下ろしながら口を開いた。

 

「それにしても、去年の決勝カードがここで見られるとはな」

「渡辺先輩が本命ならば、あの七高の選手は対抗」

 

 達也の独り言にも似た呟きに、この中では一番の九校戦フリークである雫が答えた。先程彼が言った“去年の決勝カード”という情報も、彼が元々知っていたのではなく雫からの情報である。

 そしてそんな彼女の言葉に反応したのは、短い期間ながらすっかり一緒に行動することが当たり前となった春日部組の1人・野原みさえだ。

 

「何? あの選手って、そんなに凄いの?」

「七高は瀬戸内海に近い場所に設立されていて、海上で有用となる魔法を通常のカリキュラムとは別に教えているんです。なので別名“海の七高”とも呼ばれているんですよ」

「へー。ということは、そう簡単に勝たせてくれないってことね」

 

 そう言う彼女の声色は、若干の期待感が込められたものだった。しんのすけが身を置く一高を応援しているのは事実だが、スポーツというのは誰が勝つか分からない接戦こそが最も面白いというのもまた事実だ。同年代の中ではトップクラスの実力を誇る者同士による熱戦の予感に、最前列の女性陣とはまた違った意味でボルテージが高まっていく。

 しかしそんな観客達の中でエリカは、日差しが強い中で一切日焼けしていない細い脚と腕を組んでむくれるという、如何にも機嫌が悪いとアピールするようなポーズを取っていた。スタートを待つ摩利や熱狂する観客席を映し出すモニターに目を遣っては、イライラを吐き出すように大きな溜息を吐いている。

 そしてそんな彼女の隣に座るネネも、同じようにイライラした様子で鼻を鳴らした。

 

「まったくさぁ、いくら格好良いからって試合とは関係無いところで歓声をあげるのはどうかと思うわよねぇ」

「へっ? あっ、そ、そうね! ネネの言う通り、ちゃんと試合を観ないと!」

 

 エリカに同意したはずなのになぜかどもる彼女の反応に、ネネは若干不思議そうに首を傾げた。

 しかし彼女のそんな疑問は、1人の少年の登場によって掻き消された。

 

「ほっほーい。みんな、おまたー」

「もう、しんちゃん! 遅かったじゃない! もう少しで始まるところだったわよ!」

「んもう、ネネちゃんったら怖いんだからぁ。し()()ないでしょ、なかなかウンチが出なかったんだからぁ」

「ちょ――ハッキリ言うんじゃないわよ!」

 

 目を吊り上げて怒号をあげるネネに、しかし彼は一切悪びれること無くおどけた様子で体をくねらせ、マサオとボーの間にあった空席へと滑り込んだ。もちろん偶然空いていたのではなく、わざわざ彼のために空けていたものだ。

 と、それを待っていたかのようなタイミングで、会場中にブザーが鳴り響いた。まもなくレースが始まる合図であるそれに、摩利を始めとする選手達は一斉に構えの姿勢に入った。先程の女性客達も含めて観客達が静まり返り、スタートの瞬間を見逃さないように固唾を呑んで見守っている。

 そしてその数秒後、スタートの合図であるブザーの音が鳴り響いた。

 

 3人の選手が一斉にスタートするが、先頭に躍り出たのは摩利だった。しかしさすが準決勝、そのまま一方的な試合展開にはならず、七高の選手がピッタリと彼女の後ろにつけている。2人の間にある水面は、互いに魔法を撃ち合っていることで大きく波立っている。普通ならば前を走る摩利が引き波の相乗効果で優位に立つのだが、七高の選手は巧みなボード捌きでそれを補っていた。

 観客席前の長い蛇行ゾーンを通り過ぎても、2人の差はほとんど変わらない。ここを過ぎると、最初の難関である鋭角カーブに差し掛かる。ここからは観客席からコースが見えなくなるので、観客は一斉にモニターへと顔を向けた。

 達也も他の観客と同じように、大きなモニターに映し出された鋭角カーブの映像に目を向ける。他の観客が選手の様子に目を奪われている中、達也はコーナーの出口辺りに何と無しに目を遣り、

 

「――むっ?」

 

 おそらく彼でなければ分からないほどに小さな“違和感”に、目を奪われた。

 なので彼は、不覚にもその瞬間を見逃した。

 

「あっ!」

 

 観客の1人があげたその悲鳴に、達也が即座に選手へと視線を戻す。

 今からカーブに差し掛かるというのに、七高のボードは猛スピードで水面を走っていた。それに乗っている選手は、大きく体勢を崩している。

 

「おいおい、何かあの選手、様子がおかしくないか?」

「……明らかにオーバースピードだ」

 

 ひろしが若干焦った声をあげ、達也が抑揚を抑えた声で呟いた。七高の選手は、モニター越しでも分かるほどに動揺している。まさか、制御ができないのだろうか。

 もはやスピードの出しすぎで水面も碌に掴めていないそのボードは、その勢いのままフェンスに激突しようとしていた。

 前を走る摩利を、巻き込もうとしながら。

 

「――――!」

 

 ちょうどフェンスの方へ体を向けていた摩利だったが、異常に気づいたのか後ろを振り返った。猛スピードでこちらに突っ込んでくる七高の選手の姿を見るや、フェンスからの反射波も利用して素早くボードを反転させると、七高のボードを移動系魔法で吹き飛ばし、残った選手を待ち構えるようにその場に踏み留まった。

 

「おい、まさか選手を受け止める気か!」

「そんなことしたら、渡辺先輩もフェンスに激突しちゃう!」

 

 レオと美月が顔を青ざめて叫ぶが、達也が冷静な表情のまま2人に話し掛ける。

 

「問題無い。加重系の慣性中和魔法を自分の体に掛けている。あれならば選手が激突してきても、渡辺先輩の体は1ミリたりとも動かない」

「そ、そうか……。なら安心だ――」

 

 レオがほっと息を吐こうとした、そのとき、

 

 

 摩利の足元の水面が、大きく沈み込んだ。

 

 

「――――!」

 

 発動しかけていた慣性中和魔法は、ふいに浮力を失ったボードに体勢を崩されたことで不発、そしてそのまま七高の選手と激突した彼女はその衝撃に大きく吹き飛ばされ、そのままもつれ合うように後方にあるフェンスに激突した。どう見ても受け身が取れたようには見えず、摩利が起き上がる様子は無い。

 会場中にブザーが鳴り響き、レース中断を知らせる旗がバサバサと振られる。

 

「――摩利ちゃん!」

「待て、しんのすけ! ――深雪達はここに!」

「了解しました、お兄様!」

 

 真っ先に飛び出していくしんのすけに、達也は素早く深雪に指示を出して即座にその後を追った。突然の事態に周りの観客がパニック状態になっている中、2人はそんな彼らの間をスルスルと擦り抜けてあっという間に姿を消した。

 

「皆さん! 今は落ち着いて、ここから動かないで!」

「わ、分かった! ――おい、みんな! とりあえず一旦座るぞ!」

 

 深雪の呼び掛けにひろしが即座に答え、彼の言葉で今にも駆け出そうとしていた春日部組の面々がストンとその場に腰を下ろした。この中では最年長であるひろしが真っ先に指示を出せたことが功を奏したようだ。

 とはいえ、完全に落ち着きを取り戻したとは言い難く、特に摩利とさほど歳の離れていない子供を持つみさえなど、モニターに映る摩利の倒れ伏す姿に顔を真っ青にしている。

 

「ね、ねぇ! あの子、大丈夫なの!?」

「問題ありません! 今の医療技術ならば、事故直後に適切な応急処置を行えばそうそう大事には至りません!」

 

 実際は怪我の程度を診なければ断言できないのだが、深雪は敢えてそう言い切った。そのおかげかみさえは強張っていた顔を若干和らげ、他の皆のようにその場に座って気を落ち着かせるように深呼吸をする。そしてそれを、隣に座るひろしが彼女の背中を擦ってやることでサポートする。

 当面は問題無いと判断した深雪は、摩利や七高の選手を映すモニターへと目を向ける。

 その表情は摩利の身を案じるものであり、そして彼女をこんな状態に追いやった“原因”に対する怒りを滲ませるものだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 たとえ会場がどれほどの喧騒に包まれようとも、遮音性能の高い防弾ガラスで仕切られている特別観覧室には直接届くことは無い。会場の音声自体は部屋の中にあるスピーカーから伝わってくるが、一定以上の音量は自動的に抑制されるので実際の会場ほど騒がしくなく、せいぜいファミレスの話し声程度だ。

 そんな部屋の中では現在、3人の男女がそれぞれ1つずつソファーに座って会場の様子を見守っていた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 酢乙女あいは、その大きな黒い両目を鋭く細めて身を乗り出して。

 スンノケシは、背もたれに寄り掛かりながらも表情固く口を引き結んで。

 九島烈は、背筋を伸ばして真意を読み取らせない無表情で。

 姿勢や表情に若干の違いはあるものの、全員が口を開かずに摩利と七高選手の救助光景を中継しているモニターをじっと見つめている。2人の周りでは大会の医療スタッフが忙しなく動き回っているが、その中に観客席から駆けつけたと思われる達也としんのすけの姿もあった。

 やがてその場での応急処置が終わり、本格的な治療のために彼女達を運ぶ準備が始まった辺りで、スンノケシが烈へ視線を向けて口を開いた。

 

「こういった事故というのは、この大会では珍しくないのでしょうか?」

「いくら殺傷性の高い魔法を制限しており、選手の安全には最大限の注意を払っているとはいえ、怪我の可能性を完全に排除するなんてことはできませんよ。――とにかく今は、彼女達の無事を祈るばかりですな」

「……確かに、そうですね」

 

 スンノケシはそう呟き、ふと先程から黙り込んだままのあいへと視線を向けた。

 モニターを見つめる彼女は目を見開いて口元に手を遣り、若干青ざめたように顔色を悪くしていた。確かに自分とほぼ同年代の同性が大怪我を負うというのは、かなりショッキングな光景に見えることだろう。世界を股に掛ける大企業の令嬢とはいえ、やはり彼女も年頃の少女ということ――

 

「あの渡辺摩利とかいう女……、あろう事かしん様に介抱されるなんて……。私もそんなことしてもらったこと無いというのに……」

「…………」

 

 彼女の呟きは聞こえなかったことにしたスンノケシだった。

 

 

 *         *         *

 

 

「――ここは?」

 

 摩利が目を覚ましたとき、最初に目に映ったのは見覚えの無い天井だった。体に重くのし掛かる倦怠感からか、頭に靄が掛かったように現状を上手く把握できない。

 

「摩利、私が分かる?」

 

 と、聞き覚えのあるその声に、彼女はそれに縋るように顔をそちらへと動かした。

 心配そうな表情を浮かべる真由美と目が合った。

 

「真由美……、ここは病院か」

「ええ、裾野基地の病院よ。――あ、まだ動いちゃ駄目。肋骨が折れてたから魔法で繋いでるけど、まだ定着していないわ」

 

 現代魔法の発達は、医療技術にも多大な恩恵を与えた。つい100年ほど前とは比べ物にならないほどに技術は進歩し、昔なら全治に何ヶ月も掛かるような大怪我すら簡単に治してしまう。

 とはいえ、あくまで魔法治療は応急処置であり、完全に骨が定着するには1週間ほどの時間を要する。

 

「1週間って……! それじゃ――」

「ええ、ミラージ・バットも棄権ね。仕方ないわ」

「……レースはどうなった?」

「七高は危険走行で失格、一高(ウチ)は二高と3位決定戦よ」

「……他の選手は?」

「はんぞーくんが決勝進出。ピラーズ・ブレイクは、十文字くんと花音ちゃんがそれぞれ決勝リーグに進出したわ」

「……成程、私だけが“計算違い”というわけか」

 

 右手で目元を隠しながら、摩利は悔しそうに歯噛みした。

 

「でも摩利のおかげで、七高の子は大した怪我も無かったわ。もしあのままフェンスに激突していたら、魔法師生命を絶たれるほどの大怪我だったでしょうね」

「……それで自分が大怪我をしてたら世話無いがな」

 

 悪態を吐いてみせる摩利の偽悪的な態度に、真由美はクスリと笑みを漏らした。

 

「でも摩利がそれくらいの怪我で済んだのは、あのときにきちんと応急処置がされたおかげなのよ? 後で達也くんとしんちゃんにお礼を言わないとね」

「何? まさかその2人が、アタシの怪我の応急処置をしたというのか?」

「メインでやったのは達也くんだけど、しんちゃんだって色々と手伝ってくれたわ。大会の医療スタッフよりもあの2人の方が駆けつけるのが早かったし、達也くんが作業してる間にしんちゃんが担架を持ってきたりとか息ピッタリだったんだから」

「……そうか。風紀委員の活動が活きたようで何よりだな」

 

 徐々に普段の調子を取り戻していく摩利に真由美もニッコリと笑みを浮かべ、しかしふと真面目な表情になると摩利に向き直った。

 

「――摩利、あのとき、第三者による妨害を受けなかった?」

「……どういうことだ、真由美? 確かにボードが沈み込んだとき、足元から不自然な揺らぎを感じたが……」

「そう。私もモニターで見ていたとき、魔法特有の不連続性があったように感じた。だけどあなたも七高の選手も、そんな魔法は使っていない。残る可能性があるとすれば、第三者による魔法での妨害しか有り得ない」

 

 ハッキリと言い切った真由美に、摩利の顔にも自然と緊張が走る。

 

「今、達也くんたちが大会委員会から事故の映像を借りて解析してるところよ。もし本当に第三者による妨害があったとしたら、もうこれは一高の順位だけの問題じゃない。――九校戦全体、ひいては魔法科高校全体に関わる問題なんだから」

 

 

 *         *         *

 

 

 一方その頃、達也は卓上用の小型ディスプレイ(小型といっても20インチほどはある)の画面を2分割して、原因の究明に当たっていた。1つは事故の瞬間をそのまま記録した映像が、もう一方はそれをワイヤーフレームに変換したシミュレーション映像が映し出されている。

 彼が現在いるのは、達也としんのすけが寝泊まりしている部屋。2人の部屋は機材置き場も兼用するため通常のツインよりも広い部屋を取っており、少々の来客ならば迎え入れられるだけの余裕がある。

 よって現在ここには部屋の主である2人だけでなく、達也の妹である深雪、達也と一緒に解析作業をしていた五十里、彼のフィアンセということでついて来た花音、そして達也が協力を要請した幹比古の姿もあった。

 

「ねぇ司波くん。同じ技術スタッフの啓は分かるけど、なんで吉田くんもここに呼んだの?」

「それは順を追って説明します。まずはこちらを見てください」

 

 達也が画面の前からどき、それに合わせて4人が身を乗り出して画面に注目する。

 1人足りない気がするが、それは気のせいではない。なぜならしんのすけは最初から画面を見る素振りも見せず、自分の使っているベッドに腰掛けて遠巻きに眺めるだけだからだ。

 達也はそれに対して追及するつもりは無く、さっさと本題に入ることにした。

 

「結論から言うと、第三者の介入があったとみて間違いないでしょう。誤差では片づけられない力が、“水中”から掛けられているのが分かります」

「――水中?」

 

 その言葉の不可解な点に真っ先に疑問の(と同時に不審の)声をあげたのは、花音だった。

 

「ええ。俺も最初は、外部から高圧の空気塊を水面に叩きつけたのだと思っていました。まぁ、そんなことをして渡辺先輩が気づかないはずがないので、あくまで低い可能性でしかなかったんですが。――しかしこの映像を見ている限り、水面を陥没させた力は水中に生じています」

「司波くんの解析が間違っている可能性は?」

 

 花音の遠慮の無い物言いに深雪がムッと顔をしかめるも、彼女が口を開く前に五十里が首を横に振った。

 

「いや、司波くんの解析は完璧だ。少なくとも僕じゃここまでの解析はできないし、できたとしてももっと時間が掛かる」

「そっか。啓がそう言うんなら、そうなんだろうね。ごめんね、司波くん」

 

 啓の言葉というだけであっさりと丸め込まれ達也に謝罪する花音に、達也は内心その変わり身の早さに驚きながらも「いえ、気にしないでください」と口にした。

 ちなみに不機嫌になりかけていた深雪もあっさりその感情を引っ込め、まるで自分のことのように嬉しそうにしていたことについてはスルーすることにした。

 

「でも司波くんの解析が正しいとしても、外部から水面に向かって魔法を掛けたら間違いなく監視装置に引っ掛かるよね?」

「あらかじめコースに魔法を仕掛けておく、というのも考えづらいね。魔法式の情報自体はコース上に存在しているから、コースを点検しているスタッフが気付かないはずが無いし……」

「そうなると水中に何者かが潜んでいて、タイミングを狙って魔法を発動させたことになりますが、そんな荒唐無稽な話があるのでしょうか?」

「しかしそれが、“人間”以外だったらどうだろうか?」

 

 達也の唐突にも思えるその仮定に、議論をしていた花音・五十里・深雪が首を傾げ、傍でそれを眺めていた幹比古がピンと来たように僅かに身構えた。

 そして一瞬後、五十里も同じようにピンと来たようで、

 

「つまり司波くんは、精霊魔法の可能性を考えているのかい?」

「ええ。吉田は精霊魔法を専門にしてますので、専門家としての意見を聞こうかと」

 

 本当は霊子光に対して特に鋭敏な目を持つ美月にも来てもらおうと考えていたのだが、普段眼鏡によってその症状を抑えている彼女では心霊的な存在を見つけるのは難しいだろう、と協力を取り止めたという経緯がある。現に幹比古に協力を仰ぐときに美月にもそれとなく尋ねてみたが、特におかしい点は見られなかったという返答だった。

 

「そういうわけだ、幹比古。改めて尋ねるが、数時間単位で特定の条件に従って水面を陥没させる遅延発動魔法は、精霊魔法によって可能か?」

「可能だよ」

「――――!」

 

 即答で返す幹比古に、質問者の達也、遠巻きに会話を聞いているしんのすけ以外の全員が驚きの表情を浮かべた。

 

「今の条件ならば、渡辺先輩のレースの開始時間を第1の条件、水面上を誰かが接近することを第2の条件にすれば、後は術者が任意のタイミングで精霊に命令すれば魔法は発動できる。式神でも可能だろう」

「幹比古でも、か?」

「準備期間によるかな。今すぐには無理だけど、半月くらい掛けて会場に何度か忍び込むことができれば可能だ」

 

 それを聞いて真っ先に達也が思い浮かべたのは、大会の前日にここに侵入した例の賊だった。今頃奴らがどうなっているかは知る由も無いが、何かしらの情報は引き出せているかもしれない。

 と、幹比古が何やら悩ましげに顎に手を当てて考え込んでいるのに気づいた。

 

「どうした、幹比古?」

「いや、自分で言い出しといて何なんだけど……、そんな術の掛け方では、ほとんど意味のある威力は出せないんだよ。精霊は術者の思念の強さに応じて力を出してくれるものだから、そんなに時間を掛けてたらせいぜい水面の選手を驚かせる程度の猫騙しレベルにしかならないと思う」

「おそらく、そのレベルで充分だったんだろう」

 

 達也の言葉に、幹比古が眉を寄せる。それを聞いていた他の者達も、同じような表情ばかりだ。

 

「確かに単体で見ると、猫騙しレベルでしかないんだろう。だが猫騙しというのは、使うタイミングさえ考えれば想像以上の効果を得られるものだ。――例えば、予期せぬアクシデントで焦っているときとか」

「――――!」

 

 全員が、一斉に目を丸くした。どうやら彼の言葉の“真意”を、皆しっかりと理解したらしい。

 事故の直前に起きた七高のオーバースピードも仕組まれたものだ、という真意を。

 

「これを見てください」

 

 達也がそう言って指し示したのは、先程まで解析に使っていた小型ディスプレイだった。今はちょうど、七高の選手がカーブに差し掛かる場面が映し出されている。

 その映像をコマ送りで再生しながら、達也が横から説明を入れる。

 

「本来ならこのタイミングでスピードを落とさなければいけないのですが、この選手はあろう事か更に加速をしています」

「本当だ。カーブの直前に加速するなんて、“海の七高”って言われてるほどの高校の選手がこんな初歩的なミスをするとは思えない」

「ということは、この選手のCADに細工がされていたってこと?」

 

 花音の問い掛けに、達也は力強く頷いた。

 

「減速の起動式と加速の起動式を入れ替えれば、間違いなくこのコーナーで事故を起こします。去年のこの選手と渡辺先輩の記録を考えれば、最初のカーブまではほとんど差がつかないことも充分予想できます。優勝候補2人がもつれ合ってる状況を狙えば一気に脱落させられる、と考えても不思議じゃない」

「とはいっても、CADの細工なんてそう簡単にできないよ? 競技用のCADは、各校が厳重に管理してるんだから。考えられるとすれば、七高の技術スタッフに裏切り者がいる場合だけど……」

 

 五十里の仮説は、言っている本人すら信じられないといった声色だった。

 

「俺個人としては、むしろ大会委員に工作員がいる可能性の方が高いと思っています」

 

 しかし達也の口から語られた仮説は、それ以上に信じられないものだった。五十里も花音も幹比古も、口をあんぐりと開けて絶句している。

 そんな中で冷静だったのは、彼の言葉を疑うという選択肢が存在しない深雪だけだ。

 

「しかしお兄様、大会委員に工作員がいるとして、いつどのようにしてCADに細工を?」

「確かに競技用のCADは各校が厳重に管理しているが、必ず一度、規定内のものか検査するために大会委員に引き渡される」

「あっ――!」

 

 反応できたのは、またしても深雪だけだった。五十里達は続々と提示される仮説に、まだ理解が追いつかないのか絶句したままである。

 

「だが、その手口が分からない。そこが厄介だな……」

 

 万が一にも、警戒を怠ることはできない。

 これから試合を控える深雪、そしてそのCADを調整する達也は、そのことを深く心に刻んだ。

 

 

 *         *         *

 

 

「おっ、いってらっしゃい、達也くん」

「……今帰ってきたんだから“おかえり”なんじゃないか?」

「そうとも言うー」

 

 “所用”で部屋を出ていた達也が戻ってきたとき、しんのすけはベッドで仰向けに寝っ転がり、顔の正面に携帯端末を掲げて画面を操作しながらお馴染みの挨拶で迎えた。その表情はどこかぼんやりとした無表情で、普段から感情に合わせてコロコロと忙しなく表情を変える彼にしては珍しい。

 しかし達也はそれを追及することなく、自身に宛がわれたベッドに腰を下ろして一息吐く。

 そのタイミングで、しんのすけが尋ねてきた。

 

「んで、真由美ちゃんは何て言ってたの?」

「怪我をした渡辺先輩の代わりに、深雪がミラージ・バット本戦に出場することになった」

「おぉっ」

 

 達也の返答に、しんのすけが感嘆の声をあげた。

 今回は事情が事情であるためエントリー変更が認められた形であるが、そこで1種目しか出場しない先輩ではなく1年生の深雪が選ばれたのはまさに“大抜擢”と言えるだろう。

 理由は幾つかある。対抗馬である第三高校とのポイント差が想定よりも小さいため、ミラージ・バット本戦の結果次第では逆転の可能性がある。よって鈴音を始めとした作戦スタッフは、新人戦を多少犠牲にしたとしてもそちらを優先することに決定したのである。

 また、補欠を用意していなかったことも影響している。たった数日で付け焼き刃的な練習をして本番を迎えるよりは、新人戦とはいえ練習を重ねてきた深雪の方が適性だと結論づけたのだろう。

 そしてこれが一番の大きな理由だが、深雪ならば本戦でも充分結果を残せると判断したためだ。事実この提案を真由美から聞かされた達也は「自分がエンジニアを担当すれば優勝も可能だ」と断言してみせた。ここまで大見得を切ったのは、少なからず不安を覚えていた深雪を安心させるというのもあるだろう。

 

「そっかぁ、頑張ってね達也くん」

 

 携帯端末に視線を固定させたまま、若干投げ遣りにも聞こえる口調でしんのすけはそう言った。

 そこで初めて、達也は彼へと振り向いた。

 

「しんのすけ、何か気になることがあるのか?」

「……達也くん。摩利ちゃん達に怪我をさせた犯人は、なんであんなことしたのかな?」

 

 その質問に、達也は改めて思考を巡らせる。

 仮に幹比古の言った通りの下準備が行われたとしたら、犯人はかなりの手間を掛けて今回の事故を引き起こしたことになる。しかし会場に何度も忍び込むというリスクを犯したにしては、得られた結果は(試合を棄権した本人の無念はともかく)選手2人に怪我を負わせた程度でしかない。

 あるいは選手に大怪我を負わせて、魔法師生命を絶たせることが狙いだったのか。だとしても、なぜそのターゲットが摩利だったのか。確かに彼女は優秀な魔法師だが、狙うとしたら同じ高校生でも十師族として影響力の大きい真由美や克人、あるいは三高の一条将輝の方が得られる結果が大きいと思える。

 

「こういった場合、それによって誰が得をするかで考えるのがセオリーだ。今回の事故だと、三高の選手が真っ先に挙げられるな。あの選手だけスタートが遅れてビリだったが、結局前の2人があんなことになったために繰り上がりで決勝進出だ」

「でもさ、さっきの話じゃすっごーく前から色々と準備してたんでしょ? そんなことするくらいなら、自分の力で2人に勝ってやるって練習する方が良くない?」

「まぁ、その通りだな。しかしそれは、あくまで選手本人の話だ。もしかしたら第三者の人間が、三高を勝たせようとしているのかもしれない」

「何のために?」

 

 しんのすけの端的な質問に、達也が返したのは、

 

「正直、まったく分からん。そもそも犯人の動機がそれと決まったわけでもないし、むしろ情報が少ない今の段階で犯人を絞り込むのは逆に危険だ。どんな事態にも対処できるよう、警戒を怠らないようにしなくてはいけないだろうな。――しんのすけも、自分でできるだけ注意をしてくれ」

「ほーい」

「…………」

 

 本当に分かったのか不安になる気の抜けた返事に、達也は何か言いたげに口を開きかけ、そしてそれを呑み込むように口を引き結んだ。

 そんな彼を横目に、しんのすけは携帯端末の画面をタップした。




「それにしても、達也くんもしんちゃんも、観客席にいたのによく医療スタッフより早く駆けつけられたな」
「客席の通路を走って摩利の倒れてる場所の真上まで行って、そこから一気に飛び降りたみたい。ちょうど着地する瞬間が映ってたけど、自分の背丈の何倍もあるのに魔法も使わず綺麗に着地したときは、何かのアクション映画みたいで客席のあちこちから拍手があがってたわ」
「……人が大怪我したというのに、随分と楽しそうじゃないか?」

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