嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第28話「みんなには内緒のお話だゾ」

 昼休憩を挟んで、午後のプログラムが始まった。敷地内のホテルや点在する屋台で昼食を終えた観客達が、目当ての競技、あるいは目当ての試合が行われるスタジアムに続々と集まっている。ほのかが出場する女子バトル・ボードの会場もほぼ満員であり、かなりの大所帯であるエリカ達が1ヶ所に集まって座るには、まだまだ空席が目立っていた昼食の時間帯から席を確保する必要があったくらいだ。

 バトル・ボードの試合時間は、平均して15分。しかしボードの上げ下ろしや水路の点検、損傷した箇所の補修などが試合の合間に行われるため、競技スケジュールは1時間ごとに1レースとなっている。つまり後のレースになるほど選手は長く待たされることとなり、テンションの調整が上手くいかずに不本意な結果に終わる選手が毎年1人か2人はいるらしい。

 しかしこの日の最終レースにてようやく出番がやって来たほのかは、少なくともモニターからはそのような不調は感じられなかった。彼女は本戦で摩利がしていたようにボードの上で仁王立ちをしているが、彼女の見た目からか摩利のような女王様然とした印象は受けず、気丈に振る舞う様がむしろ微笑ましくすら思える。

 

「さてと達也くん、いったい何を企んでるのかそろそろ話してもらおうかなぁ?」

 

 と、モニターを眺めていたエリカがふいに達也へと視線を向け、ニヤニヤと意味ありげな笑みでそんなことを尋ねてきた。

 そんな彼女に、達也はうんざりといった表情を浮かべて、

 

「……何を言っているんだ、エリカ? 人聞きの悪い」

「いやいや、明らかに何か企んでるだろう?」

「あんなの、ほのかちゃんの趣味じゃないでしょうしね」

「もはや何も企んでいないって方がおかしいよね!」

 

 他の面々はどうやらエリカの味方なようで、レオが真っ先に達也の言葉を否定すると、ネネとひまわりがそれに乗っかって追撃を加える。幹比古・美月・風間といった控えめな性格の者も、口にこそ出していないがウンウンと小さく頷いてそれに同意していた。

 そうして先に発言した3人が揃って指差した先、モニターに大きく映し出されたほのかは現在、サングラスにも見えるほどに濃い色をしたゴーグルが掛けられていた。そしてそれは確かに、彼女の趣味にしては少々無骨なデザインをしている。

 時間の経過によって日が大分傾き、直接向き合うと邪魔になる程度には眩しくなっているが、グラス面に付着した水飛沫が視界を遮るのを嫌い、ゴーグルの類を使用する選手はあまりいない。現にほのか以外の選手はゴーグルを着用しておらず、彼女を時折不思議そうにチラチラ見遣るほどである。

 

 では、なぜそれが達也の仕業かと皆が考えているかというと、数時間ほど前に達也と深雪、そして雫の3人でほのかの控室にお邪魔していたからである。

 前述した通り、この競技ではテンションの維持も勝利の大事な要素となってくる。しかしほのかの担当エンジニアはあずさであり、元来気の弱い2人は控室で共にプレッシャーに押し潰されていないかと心配になったのである。案の定3人がやって来たときは、ほのかもあずさもホッとしたような表情で3人を快く出迎えてくれた。

 そしてその場で達也が何かしらのアドバイスをして、その結果がほのかの掛けているゴーグルなのだろう、と全員が考えたのである。達也の隣で深雪がニコニコと機嫌良さそうに彼の様子を窺っているというのも、その考えを補強する要因となっていた。

 そうして面白半分期待半分の目を一身に受けた達也は、やがて観念したように両手を軽く挙げて口を開いた。

 

「別に大したことじゃない。ちょっと考えれば、すぐに分かることさ」

「……いや、そう言われてもよ、もうちょっとヒントをくれよ」

 

 レオの言葉に、他の面々も無言で頷いていた。

 

「それじゃ……、バトル・ボードで禁止されていることは?」

「えっと、他の選手を魔法で直接妨害すること、ですか?」

 

 真っ先に答えた風間に、達也が「その通り」と頷く。

 

「“直接”っていうのが、このルールにおけるポイントだ。つまり直接でない場合、例えば水面に魔法を掛けることは許されている。だから水面に魔法を掛けて()()()()他の選手を妨害した場合は、ルール違反にはならない」

「うん、それは分かってるよ。だから他のレースでも、大きな波を立ててライバルを妨害したりしてるんだから」

 

 幹比古達が首を傾げて答えを考えている中、

 

「あっ、分かったかも」

「単純、だからこそ有効」

 

 ほぼ同時に声をあげたのは、みさえとボーだった。

 

「えっ! 分かったのか、みさえ!」

「言わないで、ママ! 今考えてるから!」

「ボーちゃんもだよ!」

 

 他の皆がより一層必死になって考えている横で、心配そうな表情を浮かべたみさえが達也へと尋ねる。

 

「ねぇ、達也くん。確かに効果がありそうだけど、他の子達は大丈夫なのかしら?」

「心配いりませんよ。ちゃんと加減していますので」

「そ、そう? なら良いんだけど……」

 

 と、丁度そのとき、静かにするようにとのアナウンスが会場中に響いた。スタートが近づいている緊張感に、観客が途端に静まり返る。

 やがてブザーが鳴り、本日最終レースの火蓋が切って落とされた。

 

 その直後、スタート地点の水面で強力な光が炸裂した。選手達は反射的に目を覆うが、その中の1人が光をモロに見てしまった影響でバランスを崩し、落水していた。

 突然のアクシデントで他の選手がスタートにもたつく中、ただ1人悠然とスタートダッシュを決めたのは、ほのかだった。

 その瞬間、会場の誰もが気づいた。犯人は彼女だと。

 

「よし」

「いや、よしじゃねーよ! 何だよ今のは! いくら何でも狡すぎんだろ!」

「何を言ってるんだ。イエローフラッグは振られていない。つまり審判はさっきの魔法を認めたということだ」

「確かにルールには反してないけどさ……」

 

 スタートの遅れ、そして強烈な光を受けたことによる視界不良と精神的動揺、もちろんほのか自身の運転技術も相まって、みるみる後続グループとの距離が開いていく。

 

「水面に干渉するとなると、波を立てたり渦を作ったりとか“水面の挙動”にばかり意識を向けがちだが、許可されているのはあくまでも“水面に魔法で干渉して他の選手の妨害をする”ことだ。さすがに水面を沸騰させたり凍結させるのはまずいが、目眩まし程度のことは逆に今まで行われてこなかったことの方が不思議だな」

「へぇ……、“工夫”って本当に大事なんですねぇ……」

「いや、確かにこれも“工夫”だけどさ……。何か納得できないわぁ……」

 

 美月が素直に感心し、レオやエリカ達が悩ましげに頭を抱えている中、なお平然とした表情のままの雫が達也に話し掛ける。

 

「でも達也さん、大丈夫なの? 予選の段階で手の内を見せて。多分これ、1回しか通用しない戦法でしょ?」

「もちろん、その辺りも考えている。この目眩ましは予選を勝ち抜くためのものだけでなく、次の試合の布石でもあるんだからな」

 

 意地の悪い笑みを浮かべる達也に、雫は感心したように頻りに頷いていた。

 

「おいおい、まだ何か企んでいるのかよ……」

「何だか私、達也さんがラスボスか何かに見えてきたよ」

 

 そしてそんな達也に、ひろしとひまわりが顔を寄せ合ってそんな会話をしていた。

 レースの結果は、もちろんほのかがぶっちぎりで1位となった。

 

 

 *         *         *

 

 

 こうして大会4日目、新人戦初日の全日程が終了した。

 その日の夜、第一高校のミーティングルームにて、三巨頭である真由美・克人・摩利、そして作戦スタッフである鈴音がこの日の結果を纏めていた。

 女子のスピード・シューティングは3人が揃って表彰台を独占するという最高の結果に終わり、女子バトル・ボードもほのかを含む2人が見事に予選を突破した。そのレース内容も彼らの納得の行くものであり、明日以降のレースも大いに期待できるだろう。

 この結果に、4人は満面の笑みを浮かべて――いなかった。それどころかむしろ揃って表情を曇らせており、どうしたものかと頭を悩ませているのが見て取れる。

 

「森崎くんが準優勝したけど、他の2人は予選落ちか……」

 

 彼女達が見ていたのは、午後に行われた男子スピード・シューティングの順位表だった。

 先程真由美が呟いたように、森崎が見事に準優勝を果たしたが、他の2選手は予選落ちという不甲斐ない結果に終わってしまった。現在総合成績2位の第三高校の選手が1位と4位を獲得したため、せっかく女子の方で稼いだポイント差を縮められてしまっている。

 

「だけど森崎くんは、本当によく頑張ったと思うわ。自分があまり得意ではないスピード・シューティングで、ここまでの成績を残すことができたんだから。もし決勝の相手があの“カーディナル・ジョージ”じゃなかったら、優勝できたかもしれないわね」

 

 真由美の言葉に、他の3人が無言で肯定する。

 だからこそ、歯がゆかった。

 

「男子の不振は“早撃ち”だけじゃない。“波乗り”でも女子は2人が予選突破したのに対し、男子は僅かに1人だ。このままズルズルと不振が続くようでは、今年は良くても来年以降に差し障りが出るかもしれない」

「それはつまり、負け癖がつくということか?」

「その恐れは、充分にあるだろう」

 

 克人の言葉が、他の3人に重くのし掛かる。自分達の所属する第一高校は、ただの魔法科高校ではない。九校戦で過去9回中5回も優勝している“強豪”だ。一高のリーダーを自認している彼らからすると、『今年が良かったから』などという安逸に甘んじることはできないのである。

 

「男子の方は、テコ入れが必要かもしれんな」

「テコ入れと言っても、いったいどうするんだ? もう九校戦は始まってしまっている、今更選手もスタッフも変えることはできないぞ」

 

 摩利のその言葉に、克人は何も答えなかった。

 答えられなかった、なのか、答えはあるが黙っている、なのかは本人のみぞ知ることだが。

 

 

 *         *         *

 

 

 明日行われる競技は、男女クラウド・ボールの予選から決勝、そして男女ピラーズ・ブレイクの予選となっている。前者はしんのすけが、後者は深雪と雫が出場する競技であり、達也は後者のエンジニア担当となっている。しんのすけのエンジニア担当は五十里であるが、CAD自体は達也が用意したものなので実質的にはそちらも兼任していると言っても良い。

 風間少佐から警告された例の犯罪組織は、摩利の事故以来目立った動きを見せていない。しかし達也は、決して気を抜くことはしなかった。彼の読みではCADに細工を仕掛けるのは競技の直前ではあるが、夜の内に妨害工作を受ける可能性もゼロではない以上、用心するに越したことはない。

 なので達也は作業車でCADの最終調整を終えると、システムで厳重にロックを掛けた後に保管庫のドアを三重に施錠した。作業車を出た後も周りに常に意識を向け、人間の気配もそうでない気配も感じないことを確認してからホテルの中へと入っていった。

 

 もう夜も遅いし、明日も朝一からエンジニアとしての仕事が待っている。睡眠不足は集中力を低下させ、思わぬミスに繋がりかねない。

 なので達也は、さっさと自分の部屋に戻って寝ようと思っていたのだが、

 

「夜遅くまでお疲れ様ですわ、司波達也さん」

「…………」

 

 フロントにすらスタッフがいないため完全に無人となっていたはずの玄関ロビーにて、トレードマークである臙脂色の服ではなく、暗闇に溶け込むような真っ黒な軽装に身を包んだ酢乙女あいと鉢合わせた。ちなみに彼女の傍に寄り添うようにして立つ黒スーツの男は、今回はどこにも見当たらない。

 

「こんな所にお1人とは、少々危ないのでは?」

「彼は些か目立つので、少し離れてもらいました。それにせっかくあなたと話をするというのに、彼が傍にいたらできる話もできなくなるでしょう?」

「……自分と話、ですか」

「はい。――とりあえず、座りましょうか」

 

 あいに促されるまま、達也はロビー脇の休憩所にあるソファーへと腰を下ろした。ちなみにその近くには水の流れるオブジェが鎮座しており、普段なら誰もいないこの時間でも変わらず稼働している。そこまで激しい流れではないので2人の会話を妨げることは無く、しかし外から2人の会話を盗み聞こうとする者への防波堤になってくれる。

 そしてあいは達也と同じソファーに、体1つ分ほどの距離を空けて座った。

 

「さてと、まずは女子スピード・シューティングでのトップ3独占、真におめでとうございます」

「選手の努力の賜物です。自分は何も」

「あらあら、随分とご謙遜なさるのですね。見る者が見れば、その活躍の裏に優秀なエンジニアがいることは分かるのですけど」

「謙遜ではないのですけどね」

 

 軽く肩を竦めてそう答える達也に、あいはニコリと笑みを浮かべた。

 

「それで、どのようなご用件で?」

「……そうですわね、夜も遅いですし、あまり長引かせて明日に支障が出ては困りますわ」

 

 あいは上半身を達也へと向け、まっすぐ彼を見据えて話を切り出した。

 

「あなた、私の会社に来ませんか?」

「……これはまた、随分と直球ですね」

「嫌いじゃないでしょう?」

「なぜ自分なのでしょうか? もし今日の試合を観てそう思ったのでしたら、その判断は些か早急なのでは? あなたの期待に応えられるような技術が自分にあるとは思えないのですが」

 

 達也の疑問に、あいは口に手を当ててクスクスと含み笑いをした。蝶よ花よと大事に育てられたお嬢様然とした優雅な所作であるが、その目の奥には獲物をどう追い詰めようか企む鋭い光が宿っている。

 

「……何か、おかしなことでも言いましたか?」

「いえ、気にしないでください。何というか、随分と堂に入った“演技”だなと思っただけですわ」

「……どういう、意味でしょうか?」

「だって、あなた以上の技術を持つ高校生なんてまずいないもの。いいえ、世界中の現役魔工師と比べてもトップレベルと断言して良いでしょう。

 

 

 ――あなた自身はそう思わない? “ミスター・シルバー”」

 

 

「――――!」

 

 その瞬間、達也の血の気が一気に引いた。反応を表に出さずに済んだのは、普段から無意識のように感情を抑えている習慣によるものだった。

 しかし目の前にいる彼女には、自分の動揺がどこまで気づかれたか分からない。ちょっとした気配の変化だけで精神的な動揺を察知する程度のことはやってのけそうだ。

 

「いきなり何を言い出すのでしょうか? 何の話だか、自分にはさっぱり――」

「あぁ、そういうのは結構です。正直に言ってしまえば、あなたのことは実際こうして顔を合わせて会話をする前から知っていたので」

 

 達也の言葉を途中で遮って突っ撥ねる彼女の表情、そして仕草は、彼の観察力をもってしても嘘やハッタリとはとても思えなかった。達也を“トーラス・シルバー”ではなく敢えて“ミスター・シルバー”と呼んだことからも、それが達也1人ではなく牛山との共同ネームであることも突き止めており、そしてそれを確信できるだけの確固たる情報を掴んでいることが分かる。

 

「……いつから、ですか?」

「あなたにしん様のCAD製作を依頼したときから、ですわ。まさか当時中学生のあなたが世界にその名を轟かせる“トーラス・シルバー”の片割れだとは信じられませんでしたが、出来上がった物を見る限りその名に偽りは無かったと認めざるを得ませんわ」

「……FLTの開発センターで顔を合わせたのは、ひょっとしてわざとですか?」

「いいえ、あの場で出会ったのは本当に偶然でしたの。本来ならば、こうして話を持ち掛けるのはもう少し後の予定だったんですわ」

「……いったいどこから、自分の情報を?」

「あら、それを素直に教えるとお思いで?」

 

 FLT所属の天才技師“トーラス・シルバー”の正体は、同じ開発室のメンバーとごく一部の経営陣しか知らない超極秘事項だ。業界第2位であるドイツの魔法工学機器メーカー“ローゼン・マギクラフト”など専門の調査部署を立ち上げてまで突き止めようとしているが、それでも尻尾を掴ませていないほどに情報統制がしっかりしている。

 どこから情報が漏れたのか非常に気になるところだが、今は目の前の少女への対応に集中することにした。

 

「それで“トーラス・シルバー”である俺を、自分の会社に引き抜きたいと?」

「まぁ、そうね。どうかしら? 今の給料の5倍は出すし、当然働きによっては臨時ボーナスも付けるわ」

「俺が金で釣れるような人間だと?」

「もちろん、あそこの開発室にいる全員を丸ごと引き抜いても良いわ。私の会社でもまったく同じメンバーで開発できるし、何を開発するかについてもあなた方の自由。あなたの興味の赴くまま好きなだけ好きなことを研究して構わないし、そのための費用にも糸目はつけないわ」

「ほう。俺を引き抜くために、随分と必死ですね」

「もちろんですわ。あなたにはそれだけの価値があるもの」

 

 一人称が変わり、挑発的な言葉が見られるようになっても、あいの達也を見つめる目と口元に浮かぶ微笑は微塵も揺らがない。

 しかし揺らがないのは、達也も同じだった。

 

「せっかくの申し出ですが、お断りさせていただきます」

「あらまぁ、もしかして今の会社に対して引け目を感じるとか? 100年前の日本ならまだしも、今は自身のキャリアアップのために転職を重ねるなんて珍しくないでしょう?」

「別に俺はキャリアアップなどに興味は無いですし、今の環境も悪くないと思っているんですよ」

「そうかしら? 今のあなたの会社が、あなたの働きを正当に評価できるとは到底思えないのだけれども。あなたのご両親に手柄を横取りされないか注意しながらコソコソ開発するなんて面白くないでしょう?」

「随分とお調べになっているようですが、特に両親に対して思うところは何も無いので」

 

 あいの言葉をバッサリと否定する達也だが、人を見る目に長けた彼女から見ても嘘を言っているようには感じられなかった。本当に彼は現状に満足しているのか、それとも――

 

「そうですか、よく分かりました」

 

 自分の話にも一切靡かない達也の姿に、あいはそう言って達也へと乗り出していた体をスッと引いた。

 どうやら諦めてくれたようだ、と達也は内心胸を撫で下ろし――

 

「それじゃ、あなたの会社を買収しちゃいましょう」

「はいっ?」

 

 何てことないかのように言ってのけるあいに、達也は滅多に出さないような間抜け声をあげてしまった。

 隣へと顔を向けると、彼女はしてやったりと言わんばかりの所謂ドヤ顔で彼を見遣る。

 

「ウチの魔法工学メーカーに吸収させるか、それともFLTの名前を残したまま子会社化するか、具体的な部分については追々詰めていくことになるでしょうけど、そう遠くない未来にあなたの職場が私達のグループ会社になるからそのつもりで」

「あの――」

「さっきあなたに言った給料5倍臨時ボーナス付きも、ちゃんと実現させてあげるから安心しなさい。もちろん人員はそっくりそのまま続投するから、あなたの開発部署は今まで通り研究を続けられるわ。まぁ、上層部の顔触れは少し変わるかもしれないけど、少なくともあなたの悪いようにはしないから――」

「いや、ちょっと待ってください」

 

 どんどん話を進めるあいに、達也は腕を伸ばすジェスチャーを付けてむりやり遮った。

 

「買収すると簡単に言ってますけど、そんなことができると――」

「思っていますよ。FLTが発行している株式を買い取れば良いのですから。経営権を獲得するには過半数超えで充分ですが、大事を取って100%取るのが理想ですね」

「それは……確かに、そうかもしれませんが……」

 

 確かに()()()()()()()()、あいの理屈その通りだ。

 しかし達也は、FLTが普通の会社とは事情が違うことを知っている。

 

 FLT(Four Leaves Technology)は、日本を裏で牛耳る十師族の中でも最も恐れられている四葉家の出資で設立された会社だ。トーラス・シルバーの開発した様々な製品の売上、さらには開発した新技術を他の会社が利用するときに発生する使用料もかなりの額になり、けっして表に名前を出さないように“大企業の親会社の親会社の~”という形で支配する四葉家にとっても大きな資金源となっている。

 だからこそ四葉家は、万が一にもどこぞのファンドや企業からのM&Aを受けないよう、株主の全てを四葉家の息の掛かった者に限定している。筆頭株主に至っては達也の父親で同社の開発本部長を勤める司波龍郎であり、そして彼はその性格上、まかり間違っても四葉家の意にそぐわぬ行動をするような、いや、できるような人間ではない。

 

「なぜそこまでして、俺のことを引き入れようとするのですか? しんのすけのCADを診させてもらいましたが、あなたの会社にも優秀な人材はいるでしょう?」

「あら? あなたほどの技術力ならば、何としてでも自分の会社に迎えたいと思うのは当然ではなくて? だからこそ他の会社も、あなたの正体を血眼になって探しているのですから」

「……自分で言うのも何ですが、確かにそうなのかもしれません。しかしあなたからは、それ以外にも狙いがあるように思えてならないのですが」

「あらまぁ、それはどういった根拠で?」

「根拠はありません。強いて言うならば、俺自身の勘によるものです」

「あなたらしくもない非論理的な理屈ですね。――まぁ、嫌いではないですけど」

 

 あいはそう言って含みのある笑みを浮かべ、そして1拍置いてから再び口を開いた。

 

「まず初めに言っておきますが、私はあなたに対して何ら特別な感情は抱いておりません。むしろ個人的には、あなたのことは気に入らないくらいです」

「なぜそこまで嫌われているのかは知りませんが、前半については理解しました」

「ですがそれを踏まえたうえで私はあなたの“実力”を見て、ぜひともあなたを“味方”に引き入れたいと考えました」

「味方? あなたの、ですか?」

「いいえ。――しん様の、です」

 

 あいの答えは、達也にとっては予想の範疇内ではあった。わざわざ自分を指名してしんのすけのCADを特注するほどに入れ揚げているくらいだし、過去に何があったか知らないがよほど彼に心酔しているのだろう。

 しかし、“味方”という表現には少々違和感を覚えた。しんのすけのCADを作らせるだけなら、FLTを買収しようがしまいが自分に依頼するだけで事足りる。そのようなビジネスライクな関係に“味方”という表現は少々似つかわしくない。

 

「あなたのことだから或る程度はお調べでしょうけど、しん様は本来これだけ自由に動き回れるような身分ではありませんわ。今は学校に通うために単身者用のマンションで1人暮らしをしておりますが、本来ならば広大な敷地を与えられ、国を挙げて保護されるべき立場のお方ですわ」

「…………」

「ですがそれをしないのは、しん様が現在進行形で世界を無自覚に救っているからですわ。そのためにも、しん様には自由に動いてもらう必要がある。――しかしそれは同時に、世界を巻き込む事態に発展する可能性のあるトラブルに巻き込まれる危険も孕んでいる」

「……つまり“味方”になれというのは、そういった危険の露払いをしろ、ということですか?」

「もちろん、お1人ではありませんわ。()()()()()()()()()優秀なお仲間は大勢いますもの」

 

 成程。つまりSMLやレモンのように、いざというときにしんのすけの味方となる者が他にも大勢いるのだろう。そして達也にも、そんな者達の1人になってほしいということか。

 

「それを聞いた後だと、あなたのスカウトを受けるのは憚られるのですが」

「確かにその通りですわね、なので返事はまたの機会まで保留としますわ。――とはいえ、しん様と縁浅からぬ関係となった以上、あなた達がトラブルに巻き込まれるのはほぼ決まったようなものですが」

 

 なんて傍迷惑な、と達也は思わず口から漏れかけ、すんでのところでそれを呑み込んだ。

 しかしほんの僅かにしかめられた表情を目敏く読み取ったのか、あいはそんな彼に向かってフッと笑みを浮かべた。

 

「そんな顔をしないでくださいな。私の個人的な感情を抜きにして、あなたとはこれからも“末永いお付き合い”をする必要があるのですから」

「……それはまた、何とも――」

「2人共、こんな所で何してるの?」

「――――!」

「――――!」

 

 突然聞こえてきた第三者の声、しかも非常に聞き馴染みのあるそれに、達也とあいが同時に反応して瞬時にそちらへと振り向いた。

 そこにいたのは、パジャマとして利用しているジャージ姿のしんのすけだった。

 

「しんのすけ、どうしてここに?」

「ジュースを買うついでに散歩でもしようかなって思って歩いてたら、2人がここにいるのが見えたんだゾ。んで、2人はなんでここに?」

「……偶然顔を合わせてな、せっかくだから少し話をしていたんだ」

 

 何とも苦しい誤魔化しであることを自覚しながら達也がそう言うと、案の定しんのすけは不思議そうな表情で達也を見つめた。

 そして彼の視線が、隣に座るあいへと移る。

 それから再び達也へ。そして再びあいへ。

 それを数回繰り返したしんのすけは、ふいに「あぁ」と声を漏らした。

 

「ほーほー、2人はそういう関係だったのですなぁ」

「あ、あの、しん様?」

 

 今までの余裕たっぷりな言動から一転、あいが引き攣った表情と声を出した。

 

「なーんだ、それじゃオラ邪魔しちゃったね。ゴメンゴメン」

「ちょっとお待ちになって、しん様! それは誤解です!」

「えっ? だってさっきあいちゃん、達也くんに『これからも末永いお付き合いを~』みたいなこと言ってなかった?」

「よりによって、その部分を!? お待ちくださいしん様、あれは言葉の綾というか気取った言い回しというか――」

「ダイジョーブ! オラは空気の読める大人の男だから! 2人のことは他の皆には黙ってておくから安心して良いゾ!」

「違うんです、しん様! 本当に誤解なんです!」

「それじゃ、お邪魔なオラは部屋に戻ってるから! そゆことで!」

「しん様! しん様ぁ!」

 

 しんのすけは優れた運動神経を活かした全速力でその場を立ち去り、あっという間に姿を消してしまった。彼女の悲鳴にも似た呼び掛けが、2人以外誰もいないロビーに虚しく響き渡る。

 しかしそれでめげるようでは、世界最大規模の大企業の後継者は務まらない。

 

「こうしちゃいられませんわ、今すぐしん様の誤解を解かなければ!」

 

 色々なものをかなぐり捨てる勢いで、彼女はしんのすけが去っていった方へと走っていった。

 水の流れるオブジェがザバザバと音を立てるのみのロビーに、呆然とした表情の達也が1人取り残された。

 

「……成程、トラブルとは例えばこういうことを指すのか」

 

 ぽつりと呟いた達也の独り言が、水の音に掻き消されて霧散した。




「森崎くんお疲れ~、準優勝おめでと~」
「……結局『“カーディナル・ジョージ”が大本命』という下馬評は覆せなかったけどな」
「甘美なる情事? どしたの森島くん、急に下ネタだなんて」
「“カーディナル・ジョージ”! 僕が決勝で戦った相手だよ、野原も観てただろ!?」
「あ、ごめん。観客のお姉さんのナンパに夢中で、決勝見逃しちゃったゾ」
「嘘だろ、おまえ!」

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