嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第29話「オラも参戦! クラウド・ボールだゾ」

 連日熱い戦いが繰り広げられている富士演習場とは打って変わって、ここ旧埼玉県春日部市は実にのどかで平和なものだった。

 第三次世界大戦によって一時期は人口の減少が著しかった日本も、戦後の復興により生活が安定してきたことで現在は回復傾向にある。なので年齢別で見ると若年層の割合が大きくなっており、それは公園や商業施設、さらにはレジャースポットに集まる多くの子供や若者の姿からも窺い知ることができる。しかも現在は夏休みなこともあり、その賑やかさは普段の数割増しだ。

 それでは普段子供達が通う学校などはさぞかし暇を持て余しているだろう、と思われがちだがそんなことは無い。中学校や高校は夏休み中も部活動や夏期講習などが執り行われるし、小学校や幼稚園などは生徒のいないこの時期に備品や施設の整備をするため教員は出勤することが多く、また地域のイベントの見回りに駆り出されることもあるため案外忙しいのである。

 

 そんな春日部の教育施設の1つ、ふたば幼稚園。

 普通の人々にとっては数多くある幼稚園の1つに過ぎないが、その裏では世界中の有力者がこの場所に注目し、その動向を見守っていた非常に重要な場所だった。

 なぜならこの幼稚園こそが、現在もその一挙手一投足に注目が集まる人物・野原しんのすけが100年近く通い続けてきた場所だからだ。当然ながら彼の幼馴染である春日部防衛隊4人、そして経済界を飛び越えて大きな存在感を放つ令嬢・酢乙女あい、さらにはその雰囲気を無意識に感じ取っていたのか何かと優秀な子供が集まる傾向にあった。一説にはその注目度は、それこそ先進国の首脳官邸にも匹敵、あるいは凌駕するレベルだったという。

 しかしそれも、現在ではほとんど下火となっている。他ならぬ中心人物であったしんのすけが成長し、卒園を迎えたからである。それと同時に何かと騒がしかった幼稚園にも平穏が訪れ、今ではすっかり他の幼稚園と同じ日常が流れるようになった。

 

「かぁー、あっちぃ! 昔は夏でも長袖だったのが嘘みたいだぜ!」

 

 園内のグラウンドに転がる細かい石を箒で掃いていた1人の女性が、煌々と照りつける太陽の日差しに我慢ならないといった感じで吐き捨てた。その口調は乱暴にも聞こえるが、子供達が怪我をしないように石を掃くその手つきはとても丁寧だ。

 彼女の名は、桶川竜子。かつては親友2人と共に当時でもレトロなスケバントリオ“埼玉紅さそり隊”を結成し、一部の界隈から恐れられたりからかわれたり変な人扱いされたりしていたが、根っこは普通に善良な女子高生だったため、“サザエさん時空”を抜け出して高校を卒業した後は大学に進み、卒業後はかつて職業体験で好印象だったふたば幼稚園の先生となった。子供目線に立って一緒に遊んでくれる先生として、子供達だけでなく親御さんからも評判は上々だ。

 

「おーい、リーダー! いつまで掃除やってんスか!」

「早くしないと、試合始まっちゃいますよー!」

 

 そしてそんな彼女に建物の中から大声で呼び掛けるのは、彼女と同じ歳、そして職場の同僚でもある女性2人だった。

 この2人は前述した“埼玉紅さそり隊”のメンバーであり、竜子はその名残で今でも“お銀”や“マリー”と呼んでいる。昔はコンプレックスだった可愛らしい唇をマスクで隠さなくなったお銀と、子供達と一緒に走り回っているためか一回り痩せたマリーとは今でも変わらず親友で、竜子はよく「心の中では“埼玉紅さそり隊”は今なお続いている」と豪語しているが、2人からの反応は正直微妙なものだった。

 そんなことはさておき、2人に呼ばれた竜子は「もうそんな時間か」と手にしていた箒を一旦その場に置き、建物の中にある事務所へと入っていった。部屋の奥には来客用の応接セットと共にテレビが置かれ、現在はそれを取り囲むように他の同僚、さらにはふたば幼稚園の園長並びに園長婦人がそれに注目していた。

 

「もう試合始まっちゃいました?」

「大丈夫よ、今まさに入場してきたところだから」

「しかしまぁ、生意気なガキンチョだったあの子があんなに立派になっちゃって」

「こ、こんな大きな大会に出られるなんて、し、しんちゃんは凄いですね」

「子供達が立派に育っていくのを見ると、この仕事をやって良かったと改めて思いますね」

「本当に、色々ありましたからねぇ」

 

 竜子の質問に答える、まさに保母さんといった優しい雰囲気の女性・石坂みどり。

 その隣で長い脚を組み、切れ長の目をテレビに向けて感想を漏らす女性・松坂梅。

 遠慮がちに、しかし楽しそうに前のめりでテレビを見つめる眼鏡の女性・上尾ますみ。

 まるでヤから始まる自由業の人物かと見紛う強面ながら、テレビに映る人物を見て感慨深げに頷く園長・高倉文太と、彼の隣に寄り添ってにこやかに笑う園長婦人・高倉志麻。

 この5人は“サザエさん時空”が起こっていた時代から幼稚園で勤め、しんのすけ達が在園していた100年近くを共に乗り越えてきた面々だ。しんのすけ達が巻き起こすトラブルだけでなく、時には世界の有力者達が注目するような重大事件に巻き込まれることもしばしばだった彼女達だが、だからこそ100年という長さを抜きにしても彼らとの思い出は強く、また深かった。

 

「頑張って、しんちゃん。私達が見守っているからね」

 

 両手を握り締めて祈るような仕草で、当時彼の担任だったみどりが呟いた。

 

 

 *         *         *

 

 

 九校戦5日目、新人戦2日目。

 男子クラウド・ボールを執り行うスタジアムの観客席は、ほぼ満席だった。

 

「フレー! フレー! しんのすけ!」

「頑張れー! しんちゃーん!」

「お兄ちゃん、ファイトー!」

 

 そんな観客席の最前列に座って一際大声をあげて応援に精を入れるのは、野原ひろし・みさえ・ひまわりの野原一家に、風間トオル・桜田ネネ・佐藤マサオ・ボーの春日部防衛隊。試合が始まる数時間前、それこそ開場と同時に最前列の席を確保した彼らの目当ては当然、今まさに入場してきたしんのすけの雄姿をその目で見届けるためだ。

 ちなみに現在この場には、昨日まで一緒に行動していた魔法科高校の面々はいない。同時刻に行われ、深雪と雫が選手として、そして達也がエンジニアとして出場する女子ピラーズ・ブレイクがあるためだ。どちらも互いの試合を生で観られないのを残念がり、そして互いの健闘を祈ってホテルを後にした。

 さて、そんな感じで見える所と見えない所から様々な人達の期待を一身に受けるしんのすけは、数千人にもなる観客の歓声も相まってさぞ緊張している――と思いきや、

 

「ねぇねぇお姉さーん、オラが優勝したらあの夕日の見えるホテルのレストランで一緒にお食事しなーい?」

 

 試合直前という大事なときに、あろう事か観客の女性をフェンス越しにナンパしていた。

 

「おいコラ、しんのすけ! おまえ、こんなときぐらい緊張感持てよ!」

「んもう、トオルちゃんったらそんなに嫉妬しちゃってぇ」

「だ、誰が嫉妬するかぁ!」

「第一高校の君! 早くコートに着きなさい!」

「ほら、審判が呼んでるぞ! さっさと行け!」

「ほいほーい」

 

 前代未聞の理由で失格処分が下されるところだったしんのすけだが、足早にコートへと駆けつけたことでそれは免れた。ネットの向こう側では、対戦相手である選手が非常にイライラした様子で彼を睨みつけている。もしこれが相手の冷静さを欠く精神的攻撃ならば作戦通りと言えるが、十中八九しんのすけにそんな意図は無い。

 

 この段階に来てようやく真面目にやる気になったのか、しんのすけの表情が若干真剣なものとなり、自身の腰に巻かれたベルト型CADの具合を確かめるようにグイッと引っ張り上げた。普段彼が使っているのと同じように見えるが、大会のレギュレーションに合わせて達也がわざわざ試合のために新調した物だ。普段と違って1つの系統魔法しか登録できない特化型だが、普段と同じく音声認識で動かすことができる。

 クラウド・ボールの場合、作戦は大きく分けて2つ。機動力を魔法で上げてラケットで打ち返すか、なるべくその場を動かずに魔法でボールを打ち返すか、だ。なので選手が入場した時点でどちらの作戦で来るかある程度予想でき、相手選手はCAD以外何も持っていないので後者、しんのすけは市販されているラケットを片手に持っているので前者だと分かる。

 

「――――それでは、試合開始!」

 

 審判の合図と共に試合開始のブザーが鳴り、その瞬間、しんのすけのコート目掛けて低反発のボールが山なりに飛んできた。

 しんのすけは魔法を使わず早足でボールへと駆け寄り、

 

「ほいっと」

 

 ばすんっ――!

 

 気の抜けた声からは想像もつかない鋭いスイングで、レーザーのように強烈な軌道を描いてボールが相手コートに叩き込まれた。相手選手が顔色を変えて魔法でボールを打ち返したときには、しんのすけのスコアに1の数字がでかでかと刻まれていた。

 鋭い角度でしんのすけのコートに迫るボールだが、しんのすけが「変身」と呟いて駆け出した次の瞬間にはもうボールに追いついていた。そして駆け寄る勢いもラケットに乗せて振り抜き、ほぼ同じスピードで相手コートへと打ち返す。しかし今度は相手も不意を突かれることなく、冷静に魔法をボールの軌道に合わせて発動して打ち返した。

 しばらくラリーが続いた頃、新たにボールが追加された。今度は相手コートへと飛んで行ったそれを、相手選手は自分へと向かって来ていたボールも同時に照準を合わせ、ほとんど同時に、しかしまったく別方向へと飛ばした。コートのほぼ真ん中にいたしんのすけの正面で、2つのボールがそれぞれ左右のラインぎりぎりに向かっていく。

 貰った、と相手選手がニヤリと笑った、

 次の瞬間、

 

 スパパンッ――!

 

「なっ――――!」

 

 その瞬間、しんのすけが2人に増えた。

 2人のしんのすけがそれぞれボールがバウンドするであろう場所に先回りし、ほとんど間を空けずに2つのボールが打ち返された。相手選手は咄嗟に動くことができず2つのボールが自分のコートでバウンドするのをただ見届けるしかない、という数秒前まで自分が彼相手に想像していたことをそっくりそのままやり返された。

 もちろん、実際にしんのすけが増えたわけではない。

 彼はただ単純に、ボールに向かって走り打ち返す、という行動を2回繰り返しただけだ。しかし彼の場合、スタート時に魔法で一気にトップスピードまで持っていき、ボールに追いついた瞬間にタイムラグ無しで魔法を終了させている。そして次の瞬間に再び魔法を発動、即座にトップスピードに乗って次のボールに辿り着く。これを相手の網膜に残像が生まれるほどに短い時間でやってのけたために、あたかも彼が分身したように見えたのである。

 

 しんのすけの動きに、何年も九校戦で様々な選手を見てきた観客達からもどよめきが起こった。徹底的に無駄を排除した達也のエンジニアとしての技術と、魔法のオンオフ切替が抜群に上手いしんのすけのセンスが合わさって実現したその動きは、目の肥えた観客をも唸らせるものだった。

 相手選手も彼の想像以上の実力に顔をしかめるが、すぐさま気を取り直してボールにベクトル変換魔法を掛けた。しかし先程も見せたスピードで対処するしんのすけに、相手選手もなかなか攻めあぐねている様子だ。

 

 と、ここで3つ目のボールが追加された。相手選手は思わず舌打ちするが、しかしそれは同時にしんのすけに対しても脅威となるはずだ。相手選手は山なりに落ちてくるボールに銃口を向け、魔法を掛けてしんのすけのコートへと打ち込んだ。

 しかし彼のスピードは、ボールが3つになっても揺るがない。相手選手は彼の動きが崩れるのを待ちながら、時折左右に打ち分けたりと揺さぶりを掛けていく。

 そうしている内に、4つ目のボールが追加。

 5つ目、6つ目、7つ目、8つ目――。

 そしてとうとう、最大数である9個のボールが両方のコートで縦横無尽に飛び交うようになった。相手選手はサイオンの消費で顔色を悪くしながらも、力を振り絞って9個のボールに次々と銃口を向けていく。ここまで来るともはやコースの打ち分けなんて言ってられる状況ではなく、透明な壁や天井のおかげでアウトの心配も無いので、とにかくボールを打ち返すことだけに集中した。

 向こうの様子はどうだろうか、と相手選手はフッと顔を上げて、

 

「嘘、だろ――!」

 

 ネットの向こう側で、しんのすけがさらに増えていた。

 常に3人は彼の姿が見えているような勢いでコートの中を走り回り、ときには空中に跳び上がってラケットを振り下ろそうとする彼の姿が、まるで機材の調子が悪いホログラム映像のように現れたり消えたりを繰り返している。ほんの一瞬だけ彼の姿が見えた場所でボールが打ち返され、相手選手のコートに叩き込まれていく。

 一方それとは対照的にその場を動かずにいた相手選手が、ここに来てフラフラと動き回るようになった。CADの魔法で打ち返すのは変わらないが、少しでも早く返したいという感情が1歩2歩ボールに近づくという動きで表れているのかもしれない。

 

 ビ――――――――!

 

 試合終了のブザーが鳴り響いた。その瞬間に相手選手はその場で足を止め、両膝に手を突いて大きく息を荒らげるほどに疲労困憊だった。9個のボールに常に気を配りながら魔法で打ち返し続けるというのは、それだけ気力と体力(この場合は魔力か)を消耗することなのである。

 しかし現実は非情であり、これでもまだ1セット目が終わっただけだ。たった3分だけのインターバルを挟んで次のセットが始まり、男子の場合5セット行われてようやく試合が終了する。

 

 相手選手は、スコアボードに目を遣った。

 67対4。しんのすけの圧倒的リードだ。

 次に相手選手は、ネットの向こう側へと目を遣った。

 

「ねぇねぇお姉さん、オラと一緒にこれからの魔法ギョーカイについて語り合わなーい?」

「おい、しんのすけ! まだ試合終わってないぞ、まだ油断するな!」

 

 自分よりも圧倒的に動き回っていたはずの彼は、頭をタオルでガシガシと力強く拭いながら客席の女性を口説いていた。それはまさに3分前の試合直前に見た光景とほぼ同じであり、そして彼の様子もあれだけの運動を挟んだとは思えないほどほぼ同じだった。

 

「…………」

 

 第2セットを終え、通算で148対6。

 次のセットが始まる前に相手選手が棄権を申し出たことで、しんのすけの勝利が決定した。

 

 

 *         *         *

 

 

「お疲れ様、野原くん」

「どもども」

 

 試合終了後、第一高校の天幕に戻ってきたしんのすけを出迎えたのは、この種目でのエンジニア担当である五十里だった。彼はしんのすけからベルト型のCADを受け取ると、即座にCAD調整機にそれを繋げてコンディションを確認する。

 ときどき画面を確認しながらキーボードに指を走らせていた五十里は、ふとしんのすけへ視線を向けて問い掛ける。

 

「野原くん、疲れたりしてないかい? 試合まで休んでて良いんだよ」

「全然疲れてないから大丈夫だゾ」

「……さすがだね、野原くん。いや、この場合は司波くんも、か」

 

 五十里は半ば呆れるような声色でそう呟きながら、達也が作ったベルト型CADを改めてしげしげと眺めた。この種目での担当エンジニアという立場にいる彼ではあるが、しんのすけの場合は達也が提供したこのCADがハード・ソフト共にしっかりと作り上げられているため、特にこの場で彼が行うことは何も無い。しいて挙げるならば、何か不調を起こしていないかチェックするくらいだ。

 いくらCADが優秀でサイオンの消費が抑えられているとはいえ、あれだけ魔法をフル使用したしんのすけのサイオン消費量は相当なもののはずだ。しかしこうして彼を見ても疲れている様子は無く、そして疲労をむりやり隠している様子も無い。常に前を突っ走っていく婚約者を長年見てきた彼の目は、そう簡単に誤魔化せるものではない。

 

「総合成績2位は伊達じゃない、と言うべきかな」

 

 五十里はそんなことを独りごち、CADを調整機から外した。

 不調は、一切見られなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 2回戦。

 

「凄いわね、しんちゃん。今回も相手が最終セットまで保たなかったわ」

魔力量(スタミナ)が尋常じゃないな、あれはもはや化け物レベルだ」

 

 第一高校の作戦本部にて、しんのすけの試合を観戦していた真由美と摩利がそんな感想を口にした。なぜ会場ではないのかというと、深雪達の出場するピラーズ・ブレイクの動向も非常に気になることから、どちらの試合もモニターで確認できるここにやって来たというわけである。

 

「それにしても、あれだけスタミナがあるんなら、真由美みたいに逆加速魔法を壁にすることもできたんじゃないか? そっちの方が確実だろう」

 

 摩利がそう尋ねたのは、真由美を挟んだすぐ傍で同じく観戦していた鈴音だった。彼女は作戦スタッフの1人として、しんのすけの練習に何回か付き合っている。

 

「私もそう思い何回かやらせてみましたが、残念ながらできませんでした。魔法の構築は問題無いのですが、3分間それを持続させるだけの集中力が保たなかったようです」

「あぁ、しんちゃん、その場で何もしないでじっとするとか苦手そうだものね」

「だからといって、その代案が『自己加速術式を残像が見えるレベルで使いまくる』というのが凄まじいな。力ずくにも程があるだろう」

 

 まるで疲れた様子を見せずコートを後にするしんのすけの映像を観ながら、3人は思わず苦笑いを浮かべていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 3回戦、準々決勝。

 

「今回は最終セットまで行ったけど、結局点差が開いていくだけだったわね」

「野原のスタミナ切れを狙ったのかもしれねぇが、あいつにそんな小細工は通用しねぇよ」

 

 会場の観客席にて試合の様子を見守っていた紗耶香が緊張で強張らせていた肩の力を抜き、落胆する相手選手を見遣る桐原がニヤリと不敵な笑みを浮かべてそう言った。

 そんな彼の様子に、紗耶香は内心ホッと胸を撫で下ろした。クラウド・ボールでのショックから立ち直った彼ではあるが、こうしてしんのすけの試合を観てそれがぶり返さないか秘かに心配していたのである。

 そんな中、紗耶香とは桐原を挟んで反対側に座る服部の表情は固いままだった。

 

「しかし、いつまでもあんな戦い方が通用するとは限らない。今は疲れていないように見えても、知らない内に疲労は蓄積されている。どこかのタイミングで一気にそれが襲ってくる可能性だって無くはない」

「おいおい、そんなネガティブになるなよ服部。五十里がついてるんだから、いざってときには何か対策するだろ。今はただ、あいつの快進撃を素直に喜んでやろうぜ」

「桐原……」

 

 随分と楽観的な、と服部は思わなくもなかったが、彼はすぐに思い直した。

 この会場に到着してから、服部はどうも調子を崩していた。会場に向かう途中の交通事故で自分は何もできず、1年生である深雪が見事に事態を鎮静化してみせたことを気にしていたのである。

 しかしそれを聞いたとき、桐原は軽く笑い飛ばした。『人によって得手不得手があるのだし、そもそもあの場面では下手に魔法を使わない方が得策だった』と。それでも“魔法師としての資質”が自分に足りないのではと落ち込む服部に対し、彼は『だったらこの学校でそれを身に付ければ良い』と言ってのけた。

 そのアドバイスのおかげで少しでも気分が紛れたのは、間違いなく事実だ。

 だからこそ、

 

「……いや、やはり念の為に様子を窺うことにしよう。ちょっと行ってくる」

「かぁー! どこまで心配性なんだか!」

 

 桐原の呆れ果てた声をよそに、服部は席を立った。

 第一高校生徒会副会長として、そして何より1人の先輩として。

 

 

 *         *         *

 

 

 準決勝。

 

「棄権を申し出たか。三高(ウチ)の次期エースですら、最終セットまで保たないとは……」

「負けた方も、この後に3位決定戦が控えてるからね。下手に食い下がって無駄に体力を消耗するより、確実に3位を取ることを選んだんだろう」

「戦略としてはそっちが良いのかもしれないが、俺としては消極的で気に入らないな」

 

 第三高校の特色である紅蓮色の制服は重厚感があり、様々な服装で溢れるカラフルな観客席の中でも特に人目を惹く。そんな第三高校の生徒達が集中するこの一画は、まるでそこだけ穴が空いたかのように遠くからでもすぐに見分けがつくほどだ。

 そしてそんな一画のほぼ中央に座るのは、今年の1年生の中で名実共に中心人物となっている一条将輝と吉祥寺真紅郎の2人だった。先程までしんのすけと試合を行っていた同級生を応援する名目でここに来ているが、その試合内容に将輝は不満を露わにしていた。

 

「つまりそれだけ、彼のスタミナが驚異的だってことだよ。普通ならば試合を重ねるごとに疲労が蓄積されて動きが鈍るものだけど、彼の場合は変わらないどころかリズムを掴んだのか洗練されているとすら感じる。この様子じゃ、決勝戦の見所は相手が最終セットまで保つかどうかだけだね」

「……そんな奴が、モノリス・コードに出てくるか。ジョージ、どう見る?」

「彼は中学に剣道で全国チャンピオンになってるけど、モノリス・コードでは相手への直接戦闘は禁じられている。それは得物で相手を攻撃することも含まれてるから、そこだけは彼にとって不利と考えられるかな。でも代表選手に選ばれてるからには魔法による攻撃も侮れないってことだし、そうなるとあのスタミナはかなりの脅威だ」

「……成程、やはり一筋縄ではいかない相手ということか」

 

 将輝はそう結論づけると、フィールドを後にするしんのすけへと鋭い視線を向けた。

 敵意や悪意などといった負の感情が一切含まれていない、如何にも楽しみで仕方ないといった好戦的なそれに、真紅郎はやれやれと言わんばかりの苦笑いを浮かべた。

 

 

 *         *         *

 

 

『たった今、情報が入りました! 相手選手がこれ以上の競技続行が困難であるとし、棄権を申し出たとのことです! これにより、第一高校の野原しんのすけ選手の優勝が決定致しました!』

『凄いですね、彼は。第1試合の勢いのまま、決勝戦まで戦い抜いてしまいましたからね』

『まさに破竹の勢いといった感じでしたね。誰も彼を止めることができませんでした――』

「――――ん?」

 

 突如街中で聞こえてきたスピーカー越しの会話に、その少年は足を止めてそちらに目を遣った。

 家電量販店のウィンドウディスプレイに並んだテレビの画面には、現在開催中の九校戦の中継映像が映し出されていた。ちょうど男子クラウド・ボールの優勝者決定の瞬間であり、優勝したというのにこれといった反応も無く、むしろ観客やチームメイトの喜び様に困惑すらしているしんのすけの様子が映し出されている。

 そんな彼の姿に、少年はクスリと笑みを漏らした。

 

「おいおい、俺様を誰だと思ってるんだ!?」

 

 しかし彼のその笑みは、テレビの音声以上にやかましい叫び声によって消え失せた。

 少年がそちらに目を遣ると、周りの通行人よりも頭1つ背が高く、体格も1回り大きく、ついでに顔もゴリラみたいに厳つい男が目の前のカップルに怒りを露わにしていた。その手には竹刀を握り締め、見せびらかすようにその先端をカップルの男性の眼前へと向けている。

 

「俺は剣術で有名な百家本流“九十九里浜家”の道場の一番弟子なんだぜ? 怪我したくなかったら、俺様の前でイチャつくなんてふざけた真似をするんじゃねぇぞ!」

 

 ゴリラみたいな顔を真っ赤にしながら怒号を飛ばす彼の威圧感に圧倒され、カップルの男性は顔を真っ青にしてビクビクと震えていた。それでも自分の後ろにいる女性を自分の体で庇おうとする姿に、男はますます怒りを募らせる。

 そしてとうとう、男はその手に持つ竹刀を思いっきり振り上げた。

 カップルの男性が思わず目を瞑り、女性が悲鳴をあげ、遠巻きに眺めていた群衆も後の惨劇を想像して息を呑む。

 

「――――あん?」

 

 しかし男が腕を振り下ろしたその瞬間、男の手に竹刀は無かった。

 そしてその竹刀は、いつの間にか男の目の前に現れた少年の手に握られていた。

 

「てめぇ、俺様の邪魔をすんじゃ――」

 

 何が起こったのかよく分からなかった男だが、おそらく目の前の少年が何かしたのだろうと当たりを付けて、男は丸太のように太い腕を少年の頭目掛けて振り下ろし、

 

「――――あれっ?」

 

 なぜかいきなり、男は膝から崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。

 周りの群衆も突然の出来事にざわめくが、それよりも近くでそれを見ていたカップル2人も、ましてや男自身も何が起きたのかまるで分からなかった。両膝がジンジンと痛むのでおそらくそこをやられたのかもしれないが、自分から奪った竹刀を使ったのか、あるいは単純に足で蹴ったのか、それすらも分からなかった。

 困惑で頭がいっぱいになっている男の目の前で、少年が膝を折って男の顔を覗き込む。

 その表情は、貼りつけたような笑顔だった。

 

「あなた、九十九里浜家の道場の一番弟子と言ってましたね?」

「あ? 何だ、今更怖じ気づいたのか――」

()()()()()()()()()()()()()道場に興味があります。場所を教えてください」

「あぁ? 何だてめぇ、そんなこと知ってどうするつもりだ? 道場破りでもするつもりか? 止めとけ、てめぇみたいなガキなんか5秒でのされて――」

「分かりました。自分で調べます」

 

 つらつらと話す男の言葉を無視して、少年は立ち上がって携帯端末を取り出した。おそらく九十九里浜家の道場を検索するつもりなのだろう。百家本流とはいえ、道場のように一般的に解放されている施設などを運営している場合、普通にインターネットにその情報が載っている。

 何となくその場を立ち去る機会を見失ったカップルが、その少年が背負う竹刀袋に目を遣った。

 

 その袋はよく使い込まれた古い物で、“代々木コージロー”と書かれていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 しんのすけが華々しい優勝を飾ったその日の夜、場所は横浜の中華街。

 そこに軒を連ねる店の1つにて、満漢全席とまではいかないが一般の食卓ではまず見られないであろう中華料理が並ぶフルコースが円卓上に敷き詰められ、それらを囲む男達の姿があった。目の前の料理を前にさぞ心を躍らせているだろうと思いきや、その全員が陰鬱で苛立たしげな表情を浮かべていた。赤と金の色彩豊かな内装と相まって、彼らの顔色の悪さが際立っている。

 

「……どういうことだ? 新人戦は、第三高校が有利ではなかったのか?」

 

 彼らの内の1人が口にしたのは、英語だった。とはいえ、それはネイティブのものではなく、どことなく東アジア系のイントネーションが混じっている。

 

「女子の“早撃ち”では一高の選手が1位から3位までを独占、男子の“クラウド”もご覧の有様だ。あれだけ動き回ったらその内バテるから平気だ、と言ってたのはどこのどいつだ?」

「せっかく本戦の“波乗り”で一高の選手を棄権に追い込んだというのに、このままでは結局第一高校が優勝してしまうぞ」

「それはまずい。本命が優勝してしまっては、我々胴元の大損だ」

「今回の客は大口ばかりだ、配当額は相当なものになる。間違いなく、今期のビジネスに大きな穴を空けることになる」

「そうなれば、我々全員が粛正対象となるぞ。損失額によっては、ボスが直々に手を下すこともあり得る」

 

 男の1人が、空中でうねり渦を巻く竜が金糸で刺繍された掛け軸を見上げた。まるで今にも動き出しそうな迫力のそれであるが、その竜は胴体だけで首から先が綺麗に切り取られている。

 その竜の姿に自分達の未来を暗示されたようで、彼はブルリと体を震わせた。

 

「――死ぬだけなら、まだ良いが」

 

 ポツリと呟かれたその声は、震えていた。しばらくの間、彼らのいる部屋を沈黙が包み込む。

 やがて彼らの内の1人が、意を決したように口を開いた。

 

「……こうなったら、仕方がない。明日、もう一度仕掛けよう」

「“波乗り”か? “氷倒し”か?」

 

 重々しい声色で問い掛ける男に、彼は答えた。

 

「――“波乗り”だ」




「いやぁ、良いものを観させてもらったよ。さすがは噂に名高い野原しんのすけくんだ」
「山中先生、随分と楽しそうでしたものね」
「そう言う藤林だって、彼に何度もナンパされたときは内心嬉しかったんじゃないか?」
「先生、セクハラで訴えますよ」
「えぇっ!?」

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