嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第36話「モノリス・コード決勝戦だゾ」

 試合開始の合図と共に、両陣営の間で挨拶代わりの砲撃が交わされた。魔法による遠距離攻撃の応酬という如何にも“魔法師同士の勝負”と呼べる光景に、観客は興奮の歓声と共にそれを迎えた。

 両陣地の距離は、およそ600メートル。実弾銃ならば狙撃銃の領域になる距離にて、三高からは将輝が、一高からは達也が、外見上は自動拳銃そのもののCADを互いに突きつけて撃ち合いながら、お互いに歩み寄っていた。

 

 達也は予選と同じ(あまり披露する機会は無かったが)2丁拳銃スタイル、対して将輝は準決勝に使っていた汎用型を特化型に切り替えている。つまりそれは、準決勝のときに披露していた絶対防御をあえて捨てたということを意味している。

 その結果、元々大きな差のあった攻撃力がさらに広がっていた。将輝の攻撃は1発1発が決定的な打撃力を秘めているのに対し、右手のCADで将輝の攻撃を撃ち落とし左手のCADで攻撃を仕掛ける達也の射撃は、牽制以上のものにはなっていなかった。単に相手に届いているだけで、魔法師が無意識に展開している情報強化の防壁で防がれてしまう程度の振動魔法であり、手数も圧倒的に劣っている。

 しかし、達也のことを“二科生の新入生”という限られた情報でしか見ていなかった一高の上級生などは、()()()()()()総合的な魔法力が劣っている彼が、相手の攻撃に晒されながら肉眼で見ることも難しい距離を的確に狙えることに驚いていた。その胆力は、間違いなく新人離れしていると言えよう。

 しかしながら、彼をよく知る一高生徒達の顔は優れない。達也と将輝が1歩1歩近づくごとに、達也は防御に力を回すことを強いられ、その分攻撃の手数が減っていることに気がついていたからである。

 

 ジリジリと、しかし確実に達也が追い込まれていく状況に、彼らを応援している一高スタッフや関係者達はやきもきしながらその様子を見守っていた。

 だからこそ、疑問だった。

 

「……しんちゃんは、何をやってるの?」

 

 そんな攻防を繰り広げる達也のすぐ隣にピッタリと寄り添って歩く、しんのすけのことが。

 

 

 

 

 強力な魔法を的確に放ち続ける将輝と、それを“術式解体”(グラム・デモリッション)で撃ち落とし続ける達也。観客の視線はほぼこの2人に釘付けとなっていたが、とりわけ達也の方にその注目が集まっていた。

 “術式解体”は規格外のサイオン保有量を要求されるため、専門的な研究家ですらそれを目にする機会は少ない。なので観客は具体的にどうやって魔法を撃ち落としているのか知らないのがほとんどだが、サイオンの可視化処理が施されたディスプレイ越しに見る光景は、激しく輝くサイオンの砲弾が空気圧縮の魔法式を撃ち抜き消し飛ばし、それによってサイオンの嵐が吹き荒れるという、何とも幻想的かつスペクタクルで観客の興奮を誘うものだった。

 

「おぉっ、なかなかの大迫力ですなぁ」

 

 特に達也の傍でそれを眺めていたしんのすけの場合、直接その目でサイオンの動きを把握できる。なので観客の誰よりもその光景を間近で見ることができ、現在試合中、しかもその当事者である自覚があるのか疑うほどにそれに夢中になっていた。

 そんな彼に対し、実際に将輝の魔法を無効化し続けている達也から声が飛ぶ。

 

「しんのすけ、景色に見惚れてる場合じゃないだろ」

「んもう、分かってるゾ達也くん。大丈夫、そろそろ行けるゾ」

「……さすがだな、もう少し時間が掛かると思ってたが」

「まぁまぁ、オラに任せなさい。――“変身”」

 

 しんのすけが最後に口にしたワードによって、ベルト型のCADがサイオンを一瞬だけ放ち、そしてすぐに消え去った。それは彼のすぐ傍で荒れ狂うサイオンの嵐からしたら微々たるもので、おそらく気づいた者はほぼいないだろう。

 ちなみにそのときの彼は、今までのように特撮ヒーローの変身ポーズなど取らず普通の姿勢のままだった。そもそも彼の使うCADは音声認識なので、魔法を発動させるのにポーズを取る必要は一切無い。いわば今までのは単なる本人の気分によるものであり、そして今回は達也によってポーズを取らないようきつく言い渡されていた。

 

「んじゃ、行ってらっしゃい」

「それを言うなら『行ってきます』だ、しんのすけ」

「そうともゆ~、熱海の湯~」

 

 そんな気の抜けたギャグを残して、しんのすけは予備動作無しで地面を蹴った。

 その瞬間、彼の姿がその場から掻き消えた。

 

 

 

 

「来たよ! 自己加速術式だ!」

 

 三高の陣地内で2人が戦う光景を見つめていた真紅郎が、しんのすけが猛スピードでこちらに駆け出したのに気づき、チームメイトに聞かせるようにそう叫んだ。

 しかし、駆け出した直後、とはいかなかった。達也と将輝がぶつかり合う隙にしんのすけがこちらに突っ込んでくると予想を立て、だからそれを迎え撃つためにこうして2人がディフェンダーとして陣地に残って警戒していたのだが、それでも魔法の兆候や予備動作の無さに不意を突かれた形となってしまっていた。

 さすがに一筋縄ではいかないか、と真紅郎が歯噛みしたそのとき、

 

 ドォンッ!

 

 しんのすけの真横付近で、まるで爆発のような勢いで空気が膨張した。サイオンが見えない者にとっては何が起こったのかすら分からない状況だろうが、真紅郎はそれが将輝の仕業だと即座に理解した。おそらく達也の隣にいたしんのすけが駆けてくるのを見て、そちらに狙いをシフトしたのだろう。

 しかしその空気の爆発は、しんのすけに当たらなかった。魔法が発動する直前、まるでそれを予想していたかのように、大きく横に飛んでその場から離れたためである。それを見ていた真紅郎とチームメイトが、揃って舌打ちをした。

 その直後に同じことが立て続けに2回起き、そして通算4回目の爆発。

 その爆発は、しんのすけのすぐ背後で起こった。死角ならば反応できないだろう、と将輝が考えたのかもしれない。

 

「――何っ!」

 

 しかしそれも、しんのすけにダメージを与えることは無かった。

 いや、それどころか逆に利用された。

 爆発が起こる直前、しんのすけは身につけていたマントを外して何やら魔法を掛けた。すると、普通ならば空気抵抗や風によってバサバサとはためくマントが鉄板のように皺1つ無くピンと広がった状態で固まり、彼のすぐ背後に即席の防壁を作り出した。

 爆発が起こったのはその直後であり、マントの壁はそれによって吹き飛ばされ、すぐ目の前にいたしんのすけを押し上げた。そして彼は敢えてそれに逆らわず地面から足を離し、空気が膨張するスピードそのままにマントの壁に押されながらその距離を稼いでいった。

 ほぼ水平に押されていたとはいえ、スピードが緩やかになる頃には彼の体は数メートルほど上空にあった。しかしその絶好の攻撃の機会に将輝からの攻撃は無く、彼はそのまま地面に下り立ち、予選でも見せたように前方に3回転して衝撃を受け流しながら立ち上がった。

 

 そして再び、三高陣地に向けて駆け出していく。

 将輝と大きく距離を取り、彼のいるラインを通り越した。

 

「打合せ通り、僕が行くよ」

「オッケー。ここは俺に任せとけ」

 

 チームメイトの頼もしい言葉に真紅郎は頷き、しんのすけを迎え撃つべく陣地を離れた。

 

 

 

 

 一方しんのすけが進撃を開始した直後、達也も将輝に対して仕掛けていた。

 今までは慎重な歩みだったその足を疾走へと切り替え、まるで自己加速術式でも使ったかのようなスピードで将輝へとその距離を縮めていく。だが将輝は慌てることなく、圧縮空気弾の魔法を彼へと放ってきている。

 ジグザグに走りながら魔法を避ける、なんてことはしない。予選の二高選手とは違い、拳銃型CADを実際に手で向けて照準を付けているわけではないからだ。達也は走りながら空気中に生じる事象改変の気配に神経を張り巡らせ、“術式解体”であるサイオンの砲弾をそこにぶつけて将輝の魔法が顕在化する前に潰すということを繰り返しながら、300メートルの距離を一気に駆け抜けようとする。

 

 と、ここで将輝がしんのすけに対しても攻撃を仕掛けてきた。実際にそちらに目を向けなくても、将輝の反応でその成果が芳しくないことは分かった。しんのすけも自分と同じように空気中に生じる事象改変の気配でその兆候を感じ取っているのだろうが、あのとき隣で攻防を眺めているだけでよくそれが分かるようになったな、と達也は内心で秘かに驚嘆を覚えた。

 しかし、しんのすけに攻撃の手を割いていることで、こちらへの攻撃が若干緩んだ。当然その隙を突いて、達也は一気にフィールドを駆け抜けて将輝との距離を大きく縮めた。それに気づいた将輝が初めて焦燥の表情を浮かべながら、しんのすけへの攻撃を諦めてこちらの対処に集中する。

 しかしそれによって、残り50メートルを切った段階で達也はとうとう将輝の攻撃を捌ききれなくなった。撃ち落とし損ねた圧縮空気弾が達也を襲い、彼はそれを五感すべてで察知しながら本能レベルで染みついた体術で躱し、なおも将輝へと進もうとする。

 数十メートルの距離が、達也にとって何よりも厚い壁となっていた。

 

 

 

 

 30メートル強の距離を空けてしんのすけを迎え撃つ真紅郎が、得意魔法の“不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)”を放とうとする。

 しかしその直前、しんのすけがマントを翻し、そのまま自身の正面で大きく広がったまま固まった。即席の防壁によって彼の姿が隠され、真紅郎は悔しそうに舌打ちをする。やはりあのマントは視認しなければ照準を付けられない自身の魔法対策か、と確信しながら。

 しかし、いつまでも悔しがってはいられない。横手から自身を目掛けて、しんのすけが使う武装デバイスの空飛ぶ刃が飛んでくるのを感じた(“見えた”ではない)からだ。真紅郎は一瞬で移動魔法を発動し、大きく後ろへとジャンプすることでそれを避けた。

 ところが空飛ぶ刃は真紅郎が直前にいた箇所でピタリと静止すると、ミサイルのような勢いで前方へと、つまり真紅郎のいる場所へと突っ込んでいった。

 

「ぐっ――!」

 

 刃が真紅郎の鳩尾辺りに激突し、彼は肺から空気を絞り出すような苦痛の声をあげて片膝をついた。いくら防護服を着ているとはいえ、急所に伝わる衝撃とそのダメージはかなりのものだ。

 真紅郎が苦悶の表情で正面へと顔を向けると、マントに掛けた魔法を解いて姿を表すしんのすけと目が合った。

 つまり真紅郎に刃をぶつけたとき、まだマントの魔法は解かれていなかった。

 

 ――僕が後ろに飛んで避けることを、読んでいたのか……。

 

 普段から将輝のブレーンを自認し、実際に今回の九校戦でも作戦スタッフの役割もこなしていた自分が、まんまと相手の読みに嵌って攻撃を食らう。

 ただ単に攻撃を受けた以上のショックが真紅郎に襲い掛かるが、それでも彼の思考が止まることは無かった。マントの壁から姿を表したしんのすけに向けて、今度こそ“不可視の弾丸”を放つために魔法の予備動作に入る。

 そしてそれを見たしんのすけが、武装デバイスを振りかざしながらこちらへと駆けてくる。

 それでもこちらの方が早い、と真紅郎が構わず魔法を発動する、まさにその直前、

 

 がこんっ。

 

「――――!」

 

 突然背後から聞こえてきたその音に、真紅郎は顔を引き攣らせてバッと後ろを振り返る。

 三高のモノリスが開き、勝利条件である512文字のコードが晒されていた。

 

「なんで――」

 

 真紅郎は思わず疑問を口にするが、モノリスが開くなど鍵となる専用の無系統魔法を10メートル以内の場所から放つ以外に有り得ない。そして達也が将輝と魔法を撃ち合い、しんのすけが今まさに自分と戦っていたのだから、その犯人は残る1人の一高選手以外に有り得ない。

 現にモノリスから10メートルほど離れた場所に、その一高選手・幹比古がいた。そしてディフェンス役を請け負ったチームメイトが、今まさに彼に気づいたような反応で戦闘を仕掛けているのが見えた。

 

 その瞬間、真紅郎はようやく気づいた。

 将輝を引き付けている達也も、自分と対峙しているしんのすけも、全ては幹比古をモノリスに接近させるための囮でしかなかったのだ、と。

 

 ド派手な魔法の撃ち合いや自己加速術式での移動を繰り広げる2人の選手に目を奪われて、おそらくこの場にいるほとんどが一高のモノリス付近にいると思い込んでいたディフェンダーのことなど気にも留めていなかった。目の前の選手に集中していた将輝も自分も、いつの間にか彼の存在が頭から抜け落ちていた。

 いや、しかしディフェンダーのチームメイトまでそちらに目を奪われていた、というのは少々おかしい。それに将輝や自分だって、目の前の戦闘に集中しすぎて第三の選手を見逃すなんて初歩的なミスをするだろうか。いや、実際してしまったのだから言い訳しようが無いのだが。

 だが、もし認識阻害の魔法を掛けられていたのだとしたら。

 それこそ懇親会で九島烈が見せたような魔法を、幹比古が使っていたのだとしたら――

 

 ズドォンッ!

 

「――――!」

 

 突然の爆発音に、真紅郎は我に返った。

 そしてその音が聞こえた方へと顔を向ける――前に、自分が今まさに戦っている最中であることを今更ながらに思い出した。

 普段なら有り得ない失態に苛立ちを覚えながら、真紅郎は正面へと向き直る。

 先程まで対峙していたはずのしんのすけが、その場からいなくなっていた。

 

 

 

 

「モノリスが開かれただと――!」

 

 三高のモノリスが開かれたという事実は、達也を追い詰めていた将輝にも大きな衝撃を伴って伝わった。なぜそんなことになったのか真紅郎ほど細かな分析ができたわけではなかったが、それでも自分達が相手の策にまんまと嵌ってしまったことは理解でき、将輝はギリッと奥歯が鳴るほど強く食い縛って悔しさを露わにする。

 そうして驚きのあまり攻撃の手が止まった将輝を、達也が見逃すはずもない。彼は鍛え抜かれた体術を駆使して、50メートル弱はあったその距離を一気に5メートルほどまでに縮めた。

 

 達也ほどにもなれば、1回の呼吸で詰めることのできる間合いである。

 詰めるまでに、1回の呼吸を必要とする間合いである。

 将輝の顔に、明らかな動揺が走った。それは実戦を経験したことのある魔法師だからこそ抱いた、自分を脅かすかもしれない存在に対する恐怖である。

 そして実戦を経験している戦士は、そういった恐怖に対して、思考を挟まない脊髄反射で対抗するようにできている。

 その結果将輝は、明らかにレギュレーションを超えた威力の圧縮空気弾を16発、達也に向けて放っていた。

 

 そして達也はそれを見て、“術式解体”では明らかに間に合わないことを瞬時に悟った。

 それでも尚、情報構造体を()()する“術式解散”(グラム・ディスパージョン)を選択することは無かった。追い詰められた状況でも人前で軍事機密指定された魔法を使わない、という達也の矜持は揺るがなかった。

 その代わり、傍目には使用したと分からない“フラッシュ・キャスト”をフル活用する。

 通常はCADから起動式を読み込み魔法演算領域で魔法式に変換するところを、洗脳技術の応用で記憶領域にイメージ記憶していた魔法式を直接読み込むことで発動スピードを極限まで短縮する秘術。今までとは比べ物にならないスピードで次々と“術式解体”が放たれ、将輝の魔法を無効化していく。

 しかしそれも、14発まで。

 最後の2発が、達也の体に直撃した。

 

「――――!」

 

 地面に倒れ込む達也の姿が、将輝には映像をスロー再生するようにゆっくりに見えた。

 明らかなルール違反を犯し、それが原因で相手に深刻なダメージを負わせてしまった。いくら衝動的な危機感に襲われて咄嗟にしてしまったこととはいえ、そして魔法による戦闘を行う以上怪我を負うのも覚悟の上とはいえ、元々正義感の強い彼がそれに対して罪悪感を覚えないはずがない。

 さらに、

 

「達也くんっ――!」

 

 背後から彼に呼び掛けるその声に、将輝は後ろを振り返った。

 真紅郎と戦っていたはずのしんのすけが、必死の形相でこちらへと駆け寄るのが見えた。

 戦闘中にするべき行動ではない、と将輝はそれを責める気にはなれなかった。後遺症が残るかもしれない怪我をチームメイトが負ったとなれば、このような反応になるのが普通だ。それに彼は予選で、本来のチームメイトが目の前で重傷を負ったところを目の当たりにしている。そういったことに対して敏感になっていてもおかしくない。

 と、こちらへ駆けてくるしんのすけと、目が合った。

 瞬間、

 

「――――」

 

 将輝の体が、まるで金縛りに遭ったかのように一切動かなくなった。その癖意識はハッキリしており、ピクリとも動かせない自分の体をまるで他人事のように認識しているのが、ますます金縛りを髣髴とさせた。

 左頬の辺りに、まるでカミソリで切ったかのような鋭い痛みが走った。それは左頬だけでなく、防護服で完全に隠れているはずの体のあちこちから感じ取れた。左頬から流れる血液の感触が、その痛みが気のせいでないことを証明する。

 しんのすけがこちらへと駆けながら、武装デバイスを振りかざしているのが分かる。それが横薙ぎに振られ、その瞬間に刃先が分離して自分へと迫ってくるのも分かる。

 しかしそれでも、将輝は逃げることができなかった。自分の体が動かないのもあるが、たとえ動けたとしても、そもそも“逃げる”という発想が思いつかないほど頭の働きが鈍っていた。

 このまま自分は彼の攻撃を受けるのか、と最後まで他人事の感覚が抜けることの無いまま、将輝は刃先が自身に到達するのを見つめて――

 

 そして将輝の体に衝突する直前、何の前触れも無くその刃先がバラバラに()()された。

 

「――――!」

 

 意識内では驚愕を覚える将輝だったが、表情はピクリとも動かなかった。

 棒立ちのまま攻撃を受け入れていた彼の体を、細かな部品ごとにバラバラになった金属片が横殴りに降り掛かった。スピードはそのままだが質量が大きく減少したそれぞれの部品に、防護服を貫通して大きなダメージを与えるほどの威力は無い。

 それらの部品が全て通り過ぎた頃になってようやく、将輝は自分が無事であることを理解した。

 もっともそれは、後ろから彼の耳元にヌッと差し出された手によって否定されるのだが。

 

「えっ?」

 

 か細い声と共に視線を向けると、そこには先程自分の過剰攻撃(オーバーアタック)で深刻なダメージを負っていたはずの達也が平然と立ち、こちらに腕を伸ばしていた。その手は親指と人差し指の先端をくっつけ、今にも弾かれようと力を溜め込んでいる状態だった。

 将輝が反射的に足を引いたその瞬間、音響手榴弾に匹敵する破裂音が達也の指から放たれた。

 鼓膜の破裂と三半規管のダメージによって将輝は意識を刈り取られ、彼はその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

「将輝が……、負けた……?」

 

 真紅郎にとって、それは信じられない光景だった。たとえチームが負けることはあっても、将輝が負ける可能性など考えたことすらなかった。将輝がやたらと警戒していたしんのすけならあるいは、と思ったかもしれないが、相手はエンジニアとしては天才であっても魔法師としての腕はけっして脅威とは言えない達也である。

 

「ぐあっ!」

「――――!」

 

 そんな彼の耳に、チームメイトの悲鳴が届いた。ハッと我に返って後ろを振り返ると、三高モノリスを開いた張本人である幹比古の正面で、チームメイトが地面に倒れ伏したまま動かなくなっている光景が飛び込んできた。

 とうとう自分1人だけになってしまった、と真紅郎が理解するのと、幹比古がこちらに目を向けるのが同時だった。

 そして次の瞬間には幹比古の手がCADに伸び、15回キーを操作するとその両手を地面に叩きつけた。

 するとその手元を起点として、地響きを伴って地面が揺れた。

 

 如何にも魔法使い然としたマントとローブを身に纏った人物によるアクションも相まって、真紅郎は“掌で叩いたから地面が揺れた”という錯覚を引き起こした。いくら頭では単なる振動魔法であると理解していても、心の奥底での感情がそれを否定する。

 すると今度は、幹比古の手元から真紅郎の足元へ向けて地割れが走った。加重軽減と移動魔法を複合して空に逃れようとするが、まるで動物のように動く草が彼の足に絡みついているせいで地面から離れなかった。

 その間にも地割れが足元に到達し、深い地中へと引きずり込まれるような感覚を味わった。それから逃れるために、真紅郎は魔法力の大半を使って草を引き千切りながらむりやり高く跳び上がった。全ては状況が引き起こした錯覚で、本来大した力も必要とせずに逃れられる程度のものでしかないとも知らずに。

 そうして不可思議な魔法から脱出できたことで、真紅郎は安堵感に満たされた。

 だからだろう、上空から活性化した独立情報体が自分を狙っていることに、彼は最後まで気づかなかった。

 

 “地鳴り”、“地割れ”、“乱れ髪”、“蟻地獄”、そして“雷童子”。

 5つの魔法を連続発動することによる幹比古の連撃に、真紅郎は地面へと撃ち落とされた。

 

 

 

 

「……勝ったの?」

「……勝った、と思う」

 

 目の前で起こっている出来事であり、実際にこの目で見ているにも拘わらず、ほのかの呟きは疑問形だった。そしてそれに対する雫の答えも、とてもあやふやなものだった。

 それが合図だった。誰かが歓声をあげたのを皮切りに、まるで水面に石を放り込んで出来た波紋のように、一高生の間でみるみる歓声が広がっていき、やがてスタンドを揺るがすほどの叫び声となって歓声が爆発した。それはあまりにも無邪気で純粋に自分の気持ちを表すものであり、同時に敗者である三高生を打ちのめす残酷なお祭り騒ぎであった。

 

 だがその騒ぎも、1人の生徒によって唐突に終わりを告げる。

 応援席の最前列に座り、両手で口を押さえながら無言で嬉し涙をぽろぽろと流す深雪の姿に、周りの生徒達は叫ぶのを止めて彼女を祝うように拍手をした。

 その拍手はやがて一高の応援席を超え、敵味方の区別無く、激闘を終えた選手を讃える拍手となって会場中に鳴り響いていった。

 

 

 

 

 決勝戦に相応しい白熱した試合に、観客が熱の籠もった感情と共にそれを振り返っていた。1人で来た者は頭の中で静かに、グループで来た者は仲間と興奮を共有しながら騒がしく。

 そんなわけで選手がフィールドを去った後も興奮冷めやらぬ様子で騒がしい観客席の中で一際騒がしいのが、ひろし達春日部の面々を含めたグループだった。

 

「な、なぁ! さっきのは何だったんだ!? 達也くん、明らかにヤベー魔法を食らってたはずだよな!」

「達也くんが倒れたとき、さすがにまずいってかなり焦ったわよ! それなのに普通に立ってるし、怪我した様子なんて全然無いし!」

 

 その中で断トツで年上のひろしとみさえが一番騒がしいというのは如何かと思わなくもないが、自分と同じくらいの年齢の子供が瀕死の重傷を負ったと思っていた彼らの衝撃を考えれば致し方ないだろう。現にその他のメンバーも、あのときの光景には大なり小なり衝撃を覚えていたし、その疑問も皆が抱いているものだった。

 その場にいる全員の視線が、おそらくこの中で最も魔法の知識に長けているであろう修次へと向けられた。予想していたとはいえ、彼は口元が苦笑で歪むのを抑えられなかった。

 

「確かに自分の目から見ても、彼が少なくとも2発は魔法の直撃を受けたと思っていました。しかし彼は現にああして立ち上がり、怪我人には不可能な動きで敵を倒しています。なので少なくとも、怪我に関しては心配する必要は無いでしょう」

「そ、そうですか……」

「しかし実際の方法については、自分でも分かりませんね。妹から聞いた話では、彼は古流の武術にも長けていると聞いています。古流には肉体そのものを強化する技や、衝撃を体内で受け流す技もあると聞いたことがあります。あるいは“魔法が直撃した”ということ自体が、何かしらの幻術による錯覚だとも考えられます」

「世界は不思議なことで溢れてる、ってことだね!」

「……そうだね、ひまわりちゃん」

 

 ひまわりが満面の笑みで話題を締め括ったことで、達也に関する話題は打ち切りとなった。

 

「それにしても、まさか本当に優勝するとは思いませんでした」

「いいや、俺はあの3人ならやってくれるって思ってたね」

「とにかく、しんちゃん達が怪我も無く終わったのが何よりよね」

「そうだね。達也くんが怪我したように見えたとき、しんちゃんも凄く心配そうだったもんね」

「あんなに焦るしんちゃん、随分久し振りに見た」

「そりゃまぁ、客席で見てた僕達ですら焦ったんだもんなぁ」

 

 そうして皆の話題は、一高がモノリスで優勝できたことに対する歓喜と、そして何より全員深刻な怪我も無く無事に終えられたことに対する安堵へと移り変わっていった。

 修次は彼らを一瞥してから、隣に座る妹のエリカへと視線を向けた。

 クラスメイトが華々しく優勝したというのに、未だに表情を強張らせる彼女と目が合った。

 

「しんちゃんが一条将輝に攻撃するときに見せた“アレ”って……」

「あぁ。おそらく“剣気”だろうね」

 

 それは言ってしまえば、単なる“威圧”だ。しかし優れた剣士がそれを放つと、切られたと錯覚した相手の皮膚が実際に裂けることもあるのだという。修次も意識的に放つことは可能であるが、逆に言えばそれだけ剣を究めた者でなければ辿り着けない領域の代物だ。

 しんのすけが剣気を放ったこと自体は、彼の剣の腕を考えれば有り得ることだ。しかし、いくら達也に過剰攻撃(オーバーアタック)をしたショックの隙を突いたとはいえ、実際に戦場で活躍したことのある一条将輝をして完全に動けなくするほどの威力は、修次でも出せるかどうかといったところだ。

 もしそんな状態で“小通連”が振り払われていたのなら、たとえ刃を潰された模擬刀のようなものとはいえ、どうなっていたことだろうか。

 

「その点でいえば、“小通連”があのタイミングでバラバラになったのは幸いだったね。予選からあれだけ無茶な使い方をしていたんだ、それに耐えられずに自壊したとしても不思議じゃない。そうだろう?」

「……えぇ、そうですね」

 

 修次の言葉に、エリカはやや間を置いて肯定した。その視線は、既に誰もいなくなったフィールドへと向けられている。

 それに釣られるように、修次もそちらへと視線を向けた。

 2人共、その顔にはありありと『まるで納得していない』と書かれていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日の夜。

 横浜中華街にある、とあるビルの最上階。

 首から先が切り取られた竜の掛け軸が飾られたその一室は、葬式か何かと思うほどに沈痛な雰囲気に包まれていた。

 

「……第一高校が、モノリス・コードを優勝したようだ」

「どういうことだ! 野原しんのすけ以外は急遽用意された代理の選手だったはずだろう! まさかこうなることを見越して、本命の選手を温存してたわけではないだろうな!」

「代理の選手といっても、1人は第一高校が新人戦でここまで躍進する原動力となったエンジニア・司波達也だ。後の1人は選手登録すらされていなかった無名の選手だが、私の記憶が正しければ日本の古式魔法を使う吉田家の人間だ」

「まずいぞ。モノリスのポイントは他の競技の2倍だ、もはや第一高校の優勝は決定的だぞ」

「そうなってしまっては、我々の負け分は1億ドルを超える。ステイツドルで、だ」

「ここまでの損失だ、楽には死ねんぞ? 良くて生殺しの“ジェネレーター”、適正が無ければ“ブースター”として死んでなお組織に搾り取られる末路を迎える」

 

 テーブルに着く5人の男が口々に捲し立てるものの、その議論はもはや出口の見えない袋小路に陥っているような状況だった。

 男の1人が、チラリと視線を外した。

 壁一面に作られた防弾ガラスの窓の前に2人、部屋唯一の出入口であるドアの前に2人、そして左右の壁にそれぞれ2人ずつ、がっしりとした体つきでサングラスを掛けた若い男達が身じろぎ1つせずに直立していた。彼らは単純にテーブルの男達の護衛であると同時に、この部屋全体を包み込むように掛けられた障壁魔法を維持する役割も持っている。

 そんな彼らの姿に、男の表情が引き攣った。

 

「……もはや手段を選んでいる場合ではないと思うが、どうだ?」

「大会が中止になれば、払い戻しは当初の掛け金のみだ。損失ゼロとはいかないが、まだ許容範囲内だろう」

「よし。――実行は17号だけで大丈夫か?」

「多少腕が立つ程度なら、ジェネレーターの敵ではない。武器は持ち込めないが、素手でも100人や200人は呼吸をするように簡単に殺せるさ」

「異議は無いな? ならば、ジェネレーターのリミッターを――」

 

 リーダー格である男が命令を口にしようとしたまさにその瞬間、男のポケットに入っていた携帯端末が震えた。

 発言を遮られた形の男は不機嫌そうに顔をしかめてそれを手に取るも、画面に表示された電話の相手を見て血相を変えると、即座に画面をタップして耳に当てた。

 

「もしもし! 何かございましたか、――ボス!」

「――――!」

 

 男の発言によって電話の相手を知った残りの4人も、一斉に表情を固くしてその会話に耳を傾けた。ちなみに彼らを取り囲むスーツの男達は、そんな状況ですら表情1つ変えることは無かった。

 しばらくは“ボス”の話を黙って聞くだけだった男だが、ふいに「どこでそんな情報を!」とか「しかしそんなことをすれば――」とか幾つか言葉を発し、やがて「……はい、承知しました」と心なしか覇気の無い声で返事をしてから電話を切った。

 

「ボスは何と?」

「……我々への“依頼”だ。もしこの依頼に成功すれば、我々の今回の失態を帳消しにしてやる、との仰せだ」

「おぉっ! それは願ってもないことだ! このまま粛清されるのを待つよりもずっと良い!」

「それで、その内容とは?」

 

 まさしく渡りに船とばかりに内容も聞かずに乗り気な4人を前に、男は恐る恐る口を開いた。

 

「……ボスの掴んだ情報によると、現在、九校戦の会場にブリブリ王国のスンノケシ王子が来ているらしい」

「何だと、極秘に来日したというのか! しかしなぜ――」

「おそらく、かねてより親交のあった野原しんのすけに会うためだろう。……そしてボスの“依頼”というのが、そのスンノケシ王子を誘拐しろ、というものだ」

「――――!」

 

 4人の間で、稲妻のような衝撃と共に緊張感が走った。

 ブリブリ王国は、CADの機能を無力化するアンティナイトの一大産出地だ。市場に売り出せば間違いなく莫大な利益を生むことになるであろうそれだが、現在は国王の一存によって産業化が禁止されている。

 それを思い起こした4人は、即座に悟った。自分達のボスは王子と引き換えにアンティナイトを手に入れようとしている、ということを。

 

「しかしスンノケシ王子は、野原しんのすけと近しい人間だ! 下手に手を出して、万が一のことがあれば――」

「そんなことは百も承知だ! ――しかし現状、我々が今回の失態を挽回するためにはそれだけの危ない橋を渡らなければいけないことは、おまえ達だって充分に理解しているはずだ!」

 

 男の言葉に、反論しようと口を開いていた4人が、何も言わずにそっと口を閉ざした。

 先程自分達がやろうとした方法で大会を中止にしたところで、損失が出ている以上は無事でいられる保証は無い。しかしこの依頼を達成すれば失態を帳消しにできるというのは、他ならぬボスが明言している。ボスは非常に恐ろしい人間だが、一度口にしたことを違える真似は絶対にしない。

 ならば、自分達はすることは1つだけだ。

 

「……全てのジェネレーターに命令する。明日の競技中、会場にいるブリブリ王国の王子・スンノケシを、傷1つ付けること無くここに連れて来い。――もちろん、邪魔する奴らがいたら容赦無く始末しろ」


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