嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第37話「ミラージ・バットとジェネレーターだゾ」

 九校戦9日目。新人戦が終了したことで、今まで中断していた本戦が再開する。

 今日の空は昨日までの晴天から一転、今にも雨が降りそうな分厚い雲に覆われた曇天となった。今日行われるミラージ・バットにとっては絶好の試合日和なのだが、観客にとってはやはり憂鬱な気分になってしまうのか、空を見上げては残念そうに顔をしかめる仕草がよく見られている。

 そんな曇り空の下、昨日のモノリス・コード優勝の余韻に浸ることも無く、エンジニアとして第一高校の天幕にやって来た達也は、中に足を踏み入れるタイミングでふと空を見上げてポツリと呟いた。

 

「……どうにも、波乱の予感がする」

 

 それに真っ先に反応したのは、達也にピッタリと寄り添って歩く深雪だった。

 

「お兄様、何か気になることでもありますか?」

「……いや、深雪が心配することじゃない。何があろうとも、深雪は俺が守ってみせる。――強いて挙げるとするならば、このまま雨が降らずに曇りのままでいるかどうかが心配だな」

「夕方から晴れると、天気予報で言っていましたよ」

「星明かりも結構邪魔になるんだが……。まぁ、雨よりはマシか」

「あらあら? まるで決勝進出が既に決まっているかのような口振りねぇ。油断大敵よ」

 

 後ろから突然話し掛けられた司波兄妹が振り返ると、ニコリと実年齢より幼く見える笑顔を浮かべる真由美がすぐそこにいた。

 既に天幕の中にいた生徒達が一斉に挨拶するのを真由美は笑顔で返し、キョロキョロと中を一通り見渡して達也へと視線を戻す。

 

「しんちゃんは、ここにいないのかしら?」

「しんのすけですか? おそらく家族達と一緒に観客席にいると思いますが、用事があるなら呼びましょうか?」

「あぁ、わざわざ呼びつけるほどじゃないわ。今日の結果次第では総合優勝が決まる可能性もあるし、せっかくだからみんなで一緒に観戦したかったってだけ」

 

 現在2位の第三高校との点差は、155ポイント。真由美の言う通り、新人戦での快進撃もあって最終日を待たずに第一高校の総合優勝が決まる可能性が出てきた。なので現在天幕内は、今日の時点で総合優勝を決めてやるという気概で充ち満ちていた。

 特に深雪と共に出場する小早川という上級生の選手は、随分と気合が入っているように見えた。摩利曰く気分屋なところのある選手らしいが、これだけの重要な局面でそれを意識するなという方が難しい。そしてそれは、彼女のエンジニアを務める平河というスタッフも同じようだった。

 

 ――とはいえ、この程度なら心配はいらないだろう。

 

 それより今は、深雪のために準備を進めておくべきだ。

 達也はそう判断し、深雪を連れてCAD調整器の置かれたテーブルへと歩みを進めた。

 

 

 *         *         *

 

 

 深雪の出番は、第2試合となった。本当は休憩時間を多く取れる第1試合の方が良かったのだが、第3試合にならなかっただけ良かったとしよう、と達也は早々に考えを切り替える。

 第1試合に出場した小早川は、特に危なげなく早々と決勝進出を決めた。チームの中には当然ながら、小早川に続いて深雪も、という雰囲気が漂っている。

 ミラージ・バットのコスチュームを身に纏った深雪がフィールドに姿を現した途端、観客のボルテージがむりやり引き上げられた。体のラインが丸見えでありながら嫌らしさが微塵も感じられない神秘的な姿に、観客席の青少年は揃って動悸や息切れを起こし、選手にではなく観客に担架が用意されるという自体になりかねない。

 それに釣られたわけではないだろうが、予定時間よりも数秒早く試合開始のブザーが鳴った。

 

 光のホログラムが空中に現れた瞬間、選手達が一斉にそこへと向かって飛び立っていく。

 その中でも観客の目を惹いたのは、やはり深雪だった。細く長い手足に緩やかな曲線を描く胸や腰、そして花のように咲き誇るその美貌に、観客はまるで本物の妖精を見ているような心地になった。たとえ彼女が誰にも劣らぬスピードでホログラムに向かって飛び立ったとしても、彼女だけは“ふわっ”という擬態語が似合うことだろう。

 こうして深雪が観客の視線を独り占めにしながら、第1ピリオドが終了した。

 もしこの競技が空中を飛び上がる美しさを競うなら深雪が間違いなく1位だろうが、残念ながら本戦はそこまで甘くはないらしい。

 

「まさか、深雪さんがリードされるなんてね……」

 

 一高の天幕でモニター越しに試合を見守っていた真由美が、詰めていた空気を吐き出しながら呟いた。

 

「今のところ、トップは二高の選手か……。BS魔法師とまではいかないが、“跳躍”の魔法に特化した魔法性能を持っているみたいだな……」

「しかも飛び上がるコースを計算して、深雪さんを徹底的にブロックしています。ここまで来ると、ミラージ・バットのスペシャリストと表現した方がしっくり来るでしょう」

 

 摩利と鈴音の2人も、深刻な表情でそれぞれ正直な感想を口にしていた。

 

「元々あの選手も、摩利と並んで優勝候補と言われてた選手だものね」

「そう簡単に、ぽっと出の選手に優勝をかっ攫われるわけにはいかないってことか」

 

 そんなことを言う真由美と摩利だが、けっして深雪の勝利を諦めたわけではない。

 あの2人がこのまま終わるなんて有り得ない、という絶対の信頼がそこには隠されていた。

 

 

 

 

 次に行われた第2ピリオドで、深雪が逆転してトップに立った。しかし2位の二高選手とはほんの僅かしかポイント差がない。深雪もまだまだ余力は残しているが相手もそれは同じようで、第2ピリオドはペースを調整していた節も感じられる。

 限定された状況下とはいえ、まさか深雪と張り合う魔法師が高校生に存在していたとは思っていなかった達也は、相手が他校の選手であることも忘れて素直に賞賛していた。無意識に二高のブースへと視線を向け、いったいどのような選手だろうと興味を向ける。

 しかし彼のそのような行動は、クイクイと深雪に袖を引っ張られることで中断した。

 

「お兄様、“あれ”を使わせていただけませんか?」

 

 その目に強い光を宿しながら、深雪は達也にそう問い掛けた。その表情からは相手選手に負けたくないという思いがありありと滲み出ており、可愛いだけの“お人形さん”ではないことを示すこの顔が達也はとりわけ好きだった。

 

「良いよ。すべてはおまえの望むがままに」

 

 それは今後の作戦や打算などを一切度外視した、おおよそ達也らしくない、しかし極めて達也らしい行動だった。

 

 

 

 

「あれ? 深雪さんのCADが変わってる……」

 

 3人の中で最初にそれに気づいたのは、真由美だった。先程までいつもの携帯型CADを使っていた深雪が、今回はブレスレット型のCADを身につけている。左手にもCADを持っていることが、ますます彼女らに深雪の狙いを分からなくしていた。

 いや、作戦スタッフとして達也からそのCADについて説明を受けていた鈴音だけは何かを悟り、そして普段よりも若干表情を固くしていた。

 

「どうやら達也くんは、“切り札”を使うことにしたようです」

「切り札だと? 鈴音、何か知っているのか?」

「はい、練習のときに使っているのを見ていましたから。――おそらくお2人も“アレ”をご覧になれば、度肝を抜かれると思いますよ」

 

 普段から物事を冷静に観察し、けっして過大評価することの無い彼女からそんな言葉を引き出すとは、いったいあのCADに何が隠されているというのか。今すぐにでも聞き出したい衝動に駆られる真由美と摩利だったが、どうせ試合ですぐにでも明かされるだろうということで何とか我慢することができた。

 やがてブザーが鳴り、最終ピリオドが始まった。

 ホログラムが空中に現れ、深雪がそこに向かって飛び立った。すぐさま二高の選手も向かい、絶妙なタイミングで深雪の行く手を遮った。このままでは、深雪の方から選手に激突することになってしまう。

 深雪は自らのスピードを上げることで、それを回避した。観客からどよめきがあがるのを聞きながら、深雪は体を反転させてその場に急停止、すぐさま次のターゲットへ向けて飛んでいった。

 

「……ん?」

 

 と、その光景を眺めていた摩利が、違和感に気づいた。

 それを耳聡く拾った真由美が、彼女に尋ねる。

 

「どうしたの、摩利?」

「いや……、いつ足場に()()()のかと思ってな……」

 

 その答えに真由美は少し考え、そして彼女と同じく気づいた。

 そして深雪が一向に足場へと下りていく様子も無く、そのまま次々と別のターゲットへと向かっていくその光景に、観客も徐々にそのことに気づき、歓声を絶句へと変えていく。

 

「まさか深雪さん、――()()()()の?」

 

 他の選手が10メートルほどの高さを何度も往復しているのに対し、深雪は高度10メートルを維持しながら自由自在に方向やスピードを変え、次々とホログラムを消して得点を重ねていく。そもそも移動しなければいけない距離が違うのだから、あの優勝候補の二高選手でさえ、今の深雪では相手にもなっていなかった。

 

「おい……、まさか飛行魔法か……?」

「まさかあのCAD、トーラス・シルバーの……?」

「そんな……。あれは先月発表されたばかりだぞ……」

「でもあれは、間違いない……! 飛行魔法だ……!」

 

 呆然と深雪を見つめていた観客が、次々と囁き始める。その囁きが波紋となって広がり、それぞれの心に大きな衝撃となって降り注いでいく。

 バランスや方向転換のために手足を振り出す深雪の姿が、まるで風と手を取り合って踊る天女のように見えた。空を飛ぶという、現代魔法で不可能と言われた技術が今まさに目の前で繰り広げられていること、そしてそれを実現している少女の美しさに、年齢を超えて、性別を超えて、そして敵味方すら超えて、文字通り空を舞う彼女の姿に見惚れていた。

 そしてそれは、試合終了のブザーが鳴り、彼女が地面に足をつけるその瞬間まで途絶えることはなかった。

 ミラージ・バット予選第2試合は、深雪の圧倒的勝利に終わった。

 

 

 *         *         *

 

 

 発表されたばかりの新技術が九校戦で突如お披露目されたこと、そしてそんな新技術を使いこなす深雪の人間離れした美しさに、観客達がただただ目を奪われ、言葉を失っていた頃。

 そんな観客達の中にいながら深雪には一切目を向ける様子も無く、それどころか試合をよそにヘッド・マウント・ディスプレイ(HMD)を装着してメッセージを眺める1人の男がいた。周りと違う行動をすれば普通は目立つものだが、存在感自体が希薄だからか、あるいはそれすらも気を配る余裕が無いからか、周りの誰も彼を気に留める様子は無い。

 そんな彼が、おもむろにHMDを脱いだ。無表情というよりは、表情が欠落しているのではと思わせるほどに“無機質”なものだった。そして彼はゆっくりと立ち上がると、その場から離れて通路を歩いて観客席を後にした。

 

 試合の真っ最中であるため人が疎らに行き交うのみの建物内を歩いて男が向かうのは、VIP専用の観戦部屋である“特別観覧室”だった。その部屋の場所は会場にある案内板に記載されていないが、観客席から部屋自体は確認できるため推測できないことも無い。

 しかし当然ながら、普通の観客席からそこへ向かうには『STAFF ONLY』と書かれたドアを通り抜ける必要がある。そしてそのドアの前には現在、黒スーツに黒サングラス姿の男性とレディスーツ姿の女性の2人が、おそらく警備員として立ちはだかっていた。

 その2人が視界に入った瞬間から、男の視線はそこに固定されていた。まるで、肉食獣が獲物に狙いを定めているかのように。

 そして男はふいに体をビクンッと跳ねさせて自己加速魔法を展開させると、彼らに向かって1歩大きく足を踏み出した。肉体が持つ限界を超えたスピードで女性の方へと迫り、人間の知覚では反応できないスピードで腕を振り下ろした。

 

 そして次の瞬間、男の体が宙に浮いていた。

 

 普通ならば何が起こったのか分からずパニックを起こすところだが、男はそのような“雑念”とは無縁の存在であるため、即座に慣性中和の魔法を発動して姿勢を整え、脚のバネ、腹筋や背筋や両腕を駆使して音も無くその場に着地した。

 そして顔を上げると、おそらく男を宙に浮かせた実行犯である黒スーツに黒サングラス姿の男性――酢乙女あいのボディーガードである黒磯が、レディスーツ姿の女性――スンノケシ王子の秘書であるルルを背に男を見据えていた。

 しかし男にとって、目の前の人物が誰だろうと関係無かった。スンノケシを連れ去るよう命令された彼にとって、邪魔する者は等しく排除対象だからだ。

 なので男は即座に黒磯へと襲い掛かり、そして黒磯はそんな男に向けて掌を向けるように右手を差し出した。

 そしてその直後、まるでトラックにでも衝突されたかのような勢いで男が後ろへと吹っ飛び、数メートル離れた床に叩きつけられた。脳を揺さぶられたのか、男は立ち上がることもできずに体をビクビクと震わせている。

 

「黒磯さん、こちらは私が」

 

 ルルの短い言葉に黒磯が右に視線を振ると、先程の男と同じようにほとんど表情が動かない男が今まさにこちらへと向かって来るところであり、そしてルルが右脚をスッと後ろに下げて半身の構えを取って男を待ち受けるところだった。

 そうして男に向けて差し出した彼女の指には、真鍮色の指輪が嵌められていた。

 男はルルの頭を目掛けて、手刀を繰り出した。そのスピードは尋常でなく、もしそれが当たれば頭蓋骨すら粉砕する威力が込められている。

 もっとも、それはあくまで“もし”の話であり、ルルはその手刀をまったく慌てる様子も無く、頭を僅かに傾ける動作のみで避けた。

 しかもそれと同時に、男の顔面に指輪を嵌めた方の手で掌底を叩き込んだ。男が怯んで後ろによろけた隙に、追撃として彼の両膝に鋭い蹴りを2発放つ。男の膝は嫌な音をあげて反対方向に曲がり、自重を支えることすら困難になった男はその場に倒れ込んだまま立ち上がれなくなった。

 

「終わりました。如何でしょうか?」

「……いやはや、さすがですね」

 

 床に倒れた男から視線を固定したままルルが呼び掛けると、しなやかな筋肉を軽装に隠す痩せ形の男性が近くの柱の陰から姿を現した。

 彼は、達也も所属する独立魔装大隊の幹部である柳連(やなぎむらじ)大尉。体術の中に魔法を発動する結印の動作を混ぜた古式魔法師であり、相手の運動ベクトルを先読みして体術と魔法を連動させる白兵戦技を得意としている。

 そんな彼が畏敬の念を込めて見遣るのは、黒磯だった。

 

「先程見せた体術は、もしや“(てん)”でしょうか?」

「転……と呼ばれるものかは分かりません。お嬢様をお守りするために身に付けたものです」

「ほう……。いや、自分も同じような技を使うのですが、そちらはあくまで魔法を使った真似事でしかないんですよ。魔法を使わないオリジナルを実際に見たのは初めてでして」

 

 柳の言葉に、黒磯は「はぁ……」と薄い反応を示すのみだった。

 なので柳は次に、もう1人の襲撃者を倒したルルへと向き直る。

 

「ルルさんも、その指輪はアンティナイトですね。ブリブリ王国産ですか?」

「はい。我々が撃退すべき敵の中には魔法師も含まれていますので、産業化はせずとも利用できるものは利用します」

「成程。しかしアンティナイトで情報強化の防御壁を無効化したとはいえ、魔法なしで“ジェネレーター”を正面から倒す実力とは……」

「ジェネレーター、とはこの男のことですか?」

 

 床に倒れたまま尚ももがき続ける男に視線を遣りながら、ルルが尋ねる。

 

「はい。脳外科手術と呪術的に精製された薬品の投与によって意思と感情を奪い去り、思考活動を特定方向に統制して雑念が発生しないように調整された、魔法を“発生させる道具”という意味を持つ生命兵器です」

「人間を兵器に作り替えるなんて……。非道な……!」

 

 柳の説明に、ルルはギリッと奥歯を鳴らして怒りを顕わにする。

 そしてそんな彼女に代わり、黒磯が柳に話し掛ける。

 

「我々の実力は、今ので分かってもらえたと思います。なので柳さんは、他に不審者がいないか捜索をお願いします」

「……いえ、自分もここで襲撃に備えさせてもらいますよ。さっきはお2人の意向もあって様子を見守っていましたが、本来はあなた方も我々にとっては守護対象なんですから。それに捜索については、自分の同僚達が請け負ってくれてますので」

「……了解しました。頼りにさせてもらいます」

 

 こうして、ドアを警備する者は2人から3人となった。

 もっとも、この後にここを襲撃する者はいなかったのだが。

 

 

 *         *         *

 

 

 裏でジェネレーターと呼ばれる生命兵器の襲撃があることも露知らず、ミラージ・バットの会場ではまもなく始まる決勝戦に観客達が今か今かと待ち構えていた。

 

「いやぁ、まさか達也くんが飛行魔法を隠し球に持ってたとはねぇ!」

「さすがに飛行魔法を持ってこられちゃ、如何に優勝候補といえども敵わねぇだろうな」

「それにしても、大丈夫かな……? 大会委員が達也さんにCADの提出を求めてたって聞いたけど……」

「心配無いよ。CAD自体は大会の規定に収まったものだから、提出しても困る代物じゃないし」

 

 エリカら魔法科高校生の面々とひろしら春日部組のグループも、当然ながら会場で深雪の登場を心待ちにしていた。この試合の結果次第では第一高校が総合優勝を決めるかもしれない重要な局面だけあって、エリカら一高の生徒だけでなく、ひろし達もその表情に緊張感を滲ませている。

 と、そんな中、思わず口から漏れ出たといった感じでネネが呟いた。

 

「それにしても、なーんかズルくない?」

「ネネちゃん、ズルいって何が?」

「いや、だって空を飛べるのって深雪ちゃんだけなんでしょ? そんなの、深雪ちゃんが優勝するに決まってるじゃない」

「うーん、それはそうかもしれないけど――」

「そうとも限らない」

 

 やけにハッキリと言い切るボーに、他の全員が一斉にそちらへと振り向いた。

 

「どうして、ボーちゃん?」

「予選から今までの間で、他の選手も飛行魔法を使えるようになってるかもしれない」

「でも、たった数時間だよ? それまでの時間で使えるようになるもんなの?」

「飛行魔法の術式自体は、トーラス・シルバーによって公表されている。それに“誰でも使える”ことを目的に開発されたものだから、技術的な課題はそれほど高くない」

「よく分かんないけど、とにかく油断するなってことね!」

 

 彼にしてはかなりの長台詞だったのだが、ネネからは“よく分かんない”の一言で切り捨てられてしまった。心なしか顔を俯かせる彼に、隣でマサオが「げ、元気だしなよ……」と励ましている。

 と、そうこうしている内に、深雪を含めた全選手がフィールドに登場した。頭上には上弦の月、足元には星空を反射する湖面という幻想的な空間に、淡い色のコスチュームを身に纏った少女達が集う様子は、まさしく“妖精のような”という使い古された形容が似合う光景だ。先程までざわついていた観客達が、それを目の前にしてしんと静まり返る。

 会場が静かになって少し経ち、試合開始のブザーが鳴った。

 そしてその瞬間に6人の選手が一斉に空へと飛び上がり、一高の小早川を除く5人がそのまま足場に下りることなく宙に留まった。

 

「やっぱり、飛行魔法を使ってきたか……」

「あれ? でもなんで小早川先輩は使わないんだろう?」

「使えるようにならなかったから、とか?」

「いや、小早川先輩も相当な実力者だ。他の選手が使えているのに、彼女だけ使えないということはないだろう。きっと何か理由があるはずだ」

「理由か……。何だろ……?」

 

 レオ達が考えている間にも、試合はどんどん進んでいく。空を舞う6人の少女の姿は、綺麗な星空と相まってまさしく“妖精のダンス”と評される美しさを秘めている。観客は1人の例外も無く、その試合に夢中となっていた。

 だが幻想的な光景に興奮していた観客達は、徐々に或る事実に気づいていった。

 

 同じ飛行魔法を使用しているはずなのに、順調に得点を重ねるのは一高の選手だけである、と。

 

 他の選手がおっかなびっくりで初めての飛行魔法を使っているのに対し、深雪の動きは素人目で見ても分かるほどに洗練されていた。素早く優雅に滑らかに身を翻し宙を滑り上昇して下降する、という自由奔放な舞に誰1人ついていけなかった。

 そして慣れない飛行魔法のせいで挙動に無駄が生じた他の選手は、飛行魔法すら使っていない一高の小早川にすら得点を許してしまっていた。彼女は予選で自分達が使っていた“足場から飛び上がり、綺麗な放物線を描きながら別の足場に着地する”という基本的な動きを忠実に反復し、飛行魔法を使う他の選手よりも早くホログラムへと辿り着いていた。

 だが彼女達は、今更元の戦術に戻すことはできない。戻したところで空を自在に飛び回る深雪に敵うはずがない、と無意識に認めてしまっているからである。

 

 と、選手の1人が空中でグラリと体勢を崩して僅かに高度を下げた。その表情は苦悶に満ち、疲れ切っているのがよく分かる。

 まさかサイオンが枯渇したのか、と観客が悲鳴をあげるが、その選手はゆっくりとした動きで徐々に高度を下げ、そのままゆっくりと足場へと下り立った。会場のあちこちからホッと溜息が漏れるのが聞こえる。

 

「良かった……、無事に下りられたみたいで」

「でも何か、急に落ちるスピードがゆっくりになったよな。あれは何だ?」

「安全装置が作動したんです。良かった、変なアレンジとかしてなくて」

 

 ひろしの質問に、同じ競技の代表選手として深雪と共に練習を重ねてきたほのかが答えた。 

 公表されている飛行魔法の術式には、術者からのサイオン供給効率が半減すると自動的に10分の1Gの軟着陸モードへと変更される“安全装置”が組み込まれている。新たな術式が開発されると真っ先に気になるのが安全性だが、奇しくも九校戦という実戦の場でそれが実証された形だ。

 しかもこの九校戦は現地でも1万人、中継映像を含めると軽く100万人は超える人々が注目している。特に魔法関係者はほぼ全員が観ていると言って良く、そんな場面で新製品の安全装置が正確に作動した今の映像は、普通にCMをテレビで流す以上の宣伝効果を生むだろう。

 現にフィールドの傍で試合を見守っていた達也は、今まさにグッタリとした様子でゆるゆると足場へと下り立つ別の選手に、心の中で腹黒い笑みを浮かべていた。

 

 第1ピリオドでの脱落者は、この2人だった。そしてこの2人は、そのまま試合を棄権する。

 第2ピリオドでも1人が脱落、そのまま棄権。

 結局第3ピリオドは、深雪と小早川、そしてもう1人の選手との三つ巴となった。

 とはいえ、結果はほぼ決まったようなものだろう。

 深雪は圧倒的な点差でトップ、序盤から着実に点数を重ねてきた小早川が次点、そして今にも脱落しそうなほどに疲労困憊な他校の選手。おそらくこの順番でほぼ決まりだろう。

 

 だが深雪はけっして、力を抜くことをしなかった。最後の最後まで、優雅に空を舞って点数を稼いでいく。

 まるで、自分の兄が開発した飛行魔法を一番使えるのは自分だ、と主張するかのように。

 とはいえ、そんな印象を抱くのは、飛行魔法を開発したのが達也であることを知るごく一部の者だけだろう。他の大多数の観客は、彼女の姿が無邪気に遊ぶ妖精のように見え、まるで現実世界のものではないかのようにうっとりと見つめている。

 やがて最後のホログラムが彼女の手によって掻き消され、試合は終了した。

 

 一高選手のワンツーフィニッシュという、一高関係者にとって最高の結果となった。

 そしてその瞬間、一高の総合優勝が決定した。

 

 飛行魔法で魔力を酷使した他校選手が足場に両膝を突いて崩れ落ち、基本に忠実だった小早川ですら荒く息を吐いている中、照明をスポットライトのように浴びながら、優雅な所作でフィールドの足場に下り立った深雪。

 そして彼女に対して、熱狂的ともいえる万雷の拍手を贈る観客達。

 そんな拍手に応えて深い一礼で返す彼女の姿は、美しい女優が主演舞台を見事に成功させ、カーテンコールで感謝の意を伝える光景そのものに見えた。

 

 そしてそんな観客達に混じって、時折深雪の名前と賛辞を叫びながら拍手を贈る、エリカら魔法科高校生の面々とひろしら春日部組のグループ。

 しかしそんな面々の1人であるエリカは、ポケットの中で突如震えだした携帯端末によってむりやりそれを中断させられた。不機嫌を露わにして画面に目を遣る彼女だったが、そこに表示された電話の主に目を丸くし、急いで着信ボタンをタップした。

 

「次兄上、どうしました?」

『エリカ、ミラージ・バットの会場にいるんだよね? そこに野原くんはいるかい?』

「しんちゃん、ですか? いえ、ここにはいませんけど。選手達と一緒に観戦しているのではないですか?」

『そうか……。モノリスも終わったことだし、せっかくだから話がしたかったんだが……。すまない、邪魔したね』

 

 修次は早口でそう言うと、エリカの返事も聞かずに電話を切った。

 エリカは携帯端末の画面を見つめながら、不思議そうに首を傾げた。

 

 

 *         *         *

 

 

 フィールドから戻ってきた深雪と小早川、そして2人のエンジニアを務めた達也と平河を拍手と歓声で迎えた第一高校の天幕内は、まさしくお祭り騒ぎという表現がお似合いの大盛り上がりとなっていた。

 明日は九校戦を締め括るモノリス・コードの決勝戦が行われるため、それに関わる選手やスタッフはまだまだ気の抜けない状況だ。なので祝賀パーティは明日以降に繰り延べられることになったが、真由美と鈴音の仕切りでミーティングルームを借りた簡単な祝賀会を兼ねたお茶会を開催することになった。

 

「当然ながら、達也くんも参加するよな!」

「これだけ活躍しといて祝賀会に参加しないとか、有り得ないものね!」

 

 満面の笑みで(相当なプレッシャーを携えて)詰め寄る摩利と真由美に、達也はすっかりたじたじとなっていた。自分以外の女性が兄に近づくと不機嫌になる深雪も、この光景ばかりは苦笑いを浮かべるに留めている。

 と、達也のポケットで携帯端末が震えた。渡りに船とばかりに達也は2人から逃げ出し、騒がしい天幕を抜けて少し離れた所まで移動してから画面を見遣る。

 そこには『小野遥』と表示されていた。

 

「もしもし」

『あっ、達也くん! 緊急事態よ!』

 

 電話に出るやひどく慌てた様子でそう切り出す遥に、達也の目つきも自然と鋭くなる。

 

「何がありましたか?」

『昨日達也くんから頼まれた件、私の方で調べてアジトの所在は突き止めたんだけど――』

 

 まさか本当に1日で調べ上げるとは、と達也は素直に感心した。本人の意思はどうであれ、パートタイマーにしておくには惜しい実力を持っていることは確かだ。

 と、そんなことを考える達也に、特大の爆弾が投下された。

 

 

『そのアジトがあるホテルに、しんちゃんが眠ったまま連れ込まれたのよ!』

 

 

「――――はっ?」




「お、お嬢様……。達也様からお電話がありまして……、その、しんのすけ様が“無頭竜”に誘拐された、と……」
「…………」
「お嬢様、お気を確かに……」
「大丈夫よ黒磯、1周回って冷静だから。――成程、()()()()()()だったのね」

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