嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第38話「みんながオラに夢中だゾ」

「しんちゃんが無断外出!?」

「はい。唐突に横浜の中華街に行きたくなって交通機関を乗り継いで向かったまでは良いものの、帰りの交通費が尽きたために帰れなくなったと電話がありました」

「何をやってんだよ、こんなときに!」

 

 桐原の言葉はこの場にいたほぼ全員の想いを代弁したものであり、天幕のあちこちで頻りにウンウンと頷く生徒の姿が見られた。

 

「なので俺は、今からしんのすけを迎えに行ってきます」

「大丈夫か、達也くん? ここから横浜までって、結構な距離があるだろ」

「問題ありませんよ。なので皆さんは、祝賀会を楽しんでください」

 

 達也は普段の風紀委員での活動も含めて、しんのすけと一緒に行動する機会も多い。なので風紀委員の仲間や上級生などからも、自然と達也が彼の監視役と見做されている風潮がある。なので達也が彼を迎えに行くこと自体は、特に不思議なものとして受け取られることは無かった。

 摩利は少しの間、何かを考える素振りを見せ、

 

「分かった。すまないが、達也くんに任せる。往復の交通費については、後で立て替えておくから領収書でも貰っておいてくれ。――それと彼を連れて戻ったら、アタシの所に連れて来るように。さすがに今回の件については看過できない」

「……承知しました。それでは、失礼します」

 

 達也は頭を下げると、足早に天幕を後にした。

 月と星が照らす夜の演習場を、達也は無表情で歩いていく。ほんの少しだけ剣呑な雰囲気が醸し出されており、余計な迷惑を掛けられた友人に対する怒りと解釈すればおかしいことではない。

 と、そんな彼に後ろから駆け寄る人物がいた。

 

「――お兄様!」

「――達也くん!」

 

 深雪と真由美に呼び止められ、達也は歩みを止めて振り返った。どちらも別々のベクトルで美少女と表現して差し支えなく、そんな2人が息を切らしてこちらに走ってくるなど思春期の男子からしたら夢のシチュエーションだろうが、それを待つ達也に浮足立った様子は一切無い。

 やがて2人が達也に追いつくと、軽く息を整えて真由美が開口一番尋ねてきた。

 

「今の話、本当なの?」

「……横浜にしんのすけがいるので迎えに行く、というのは本当です」

 

 一瞬の思案の後、達也が含みを持たせた言い回しでこう答えた。

 そして真由美は、その含みを正確に読み取った。

 

「……それは、達也くんが行かなければならないの?」

「俺でなければいけない必然性は薄いかもしれませんが、俺が行った方が色々と都合が良いのは確かです」

「……私には、何かできることは無い?」

「そうですね。強いて挙げるとするならば、渡辺先輩にはしんのすけを責めないようそれとなく伝えてもらえませんか?」

「ふふっ、分かったわ」

 

 真由美はそれを了承して引き下がると、今度は深雪が1歩前に出た。

 何か迷うように目線を落としていた彼女だが、やがて顔を上げてこれだけ言葉にした。

 

「――お気をつけて」

「――あぁ、征ってくる」

 

 深雪と真由美に見送られ、達也はその場を後にした。

 

 

 

 

 選手達が泊まるホテルへと入り、兵士が見張る基地関係者以外立入禁止のエリアとの境界を抜けた達也を出迎えたのは、藤林だった。彼女は一旦達也をとある部屋へと案内してそこで制服から着替えさせると、一緒にエレベーターに乗って何の迷いも無く屋上のボタンに手を伸ばす。

 

「空から行くのですか? 事は一刻を争うとはいえ、奴らに気づかれたら逃げられるのでは?」

「問題無いと判断したわ。――“協力者”のおかげでね」

「……協力者?」

 

 達也が疑問符を浮かべる間にエレベーターが屋上へと到着し、2人はそのまま外へと出た。屋上はヘリポートになっており、そこには1機のヘリコプターが後部座席のドアが開かれた状態で待機している。

 その後部座席には、先客がいた。

 酢乙女あいだった。

 

「全然ご機嫌ではないけど、とりあえずご機嫌よう、達也さん」

「……なぜ、あなたがここに?」

「事情は移動しながら説明するので、早く乗ってくださいな」

 

 あいの言葉に達也は跳び上がるように勢い良く座席に乗り込み、シートベルトを締めた。藤林が彼の隣に座るのを確認すると、あいは運転席に「出発してちょうだい」と呼び掛けた。運転手にいるのは黒磯だった。どうやらヘリの運転免許も持っているらしい。

 自動的に後部座席のドアが閉められ、ヘリのプロペラが回り始める。やがて人の目には留まらぬほどの速さにまで回転し始めた頃にヘリがフワリと浮き上がり、そしてそのまま夜の闇に溶け込むように空へと飛び立っていった。

 そして達也は心の中で、藤林は細く整った眉を上げて少しだけ驚いた。

 ニコリ、とあいが文字通りの営業スマイルを浮かべる。

 

「如何ですか、我が社の新商品は? とても静かでしょう?」

「はい。それに立ち上がりもかなり早いですし、本当にヘリに乗っているのかと思うほどに安定感もありますね。しかも周りが暗いので断定できませんが、スピードもかなりのものですね」

「そうでしょうとも。我が社が誇る世界最高峰の技術者達による最先端のヘリですからね。――それにせっかくですから、こちらも使ってみますか?」

 

 あいがそう言って差し出したのは、ボタンが1つと上下に動かせる摘みだけという実にシンプルな機械だった。達也と藤林が一瞬だけ互いに顔を見合わせ、達也がそれを取った。

 

「サイオンを供給しながらボタンを押すだけで結構ですわ」

「分かりました。――それでは」

 

 達也が言われた通りにすると、ボタンが仄かに光って機械が発動した。

 すると、

 

「――――!」

「――――!」

 

 達也と藤林が揃って驚愕の表情を浮かべ、あいがニタリと得意気に口角を上げた。

 ヘリの中から見た限りでは、特に何か変わった様子は無い。得意気な様子のあいも、実のところその変化を感じ取っているわけではない。

 しかし達也たち魔法師には、機械を中心に魔法防壁がヘリをすっぽりと包み込んでいるのが分かった。

 

「どうやら上手く作動したようですわね。我が社が開発した新商品、ボタン1つでステルス機能を持つ魔法障壁を展開するCADですわ。効果範囲はそこの摘みで調整可能、起動式を極限まで効率化したおかげでサイオン消費量もごく僅か、サイオンの供給さえできれば誰でも容易に使用可能。――如何ですか、達也さん?」

「……遮音機能に光学迷彩機能、それに風に対する減速魔法の機能もありますね。更に暗視装置やサーモグラフィへの対策も施されている。それにこれだけ多くの効果を有してありながら、展開されている魔法式があまりにも小さい。これを開発した人物は、相当な技術力ですね」

「本人に聞かせたら、とても喜ぶと思いますわ。『天下のトーラス・シルバーからお褒めの言葉を頂戴した』と言えばね」

「…………」

「冗談ですわ、本気になさらないでくださいな」

 

 呆れたように肩を竦めたあいが、その視線を隣の藤林へと移す。

 

「お求めの際は、ぜひとも“酢乙女魔工製作所”へご一報を」

「……一度持ち帰らせていただき、上司ともよく検討致します」

 

 日本のビジネスマンの常套句を口にする藤林を横目に、達也は窓の外の景色に目を遣った。

 地平線の先に、横浜のネオンが光り輝いていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 一方、“無頭竜”のアジトであるホテルの最上階。

 その部屋の中で、未だに眠りこけたままのしんのすけがソファーで横になっていた。運ぶ際に目立たないよう一高の制服の上から大きな黒いコートを被せられ、ベルトに装着していたCADは取り上げられている。

 そしてそんな彼を取り囲んで立つ幹部の面々が、彼をここまで連れてきた黒服の男(もちろん彼もジェネレーターだ)を怒鳴りつけていた。

 

「何をやってるんだ、おまえは! 我々はスンノケシ王子を連れて来いと命令したんだ! なんで野原しんのすけを連れて来たんだ!」

「スンノケシと思われる外見をしていたので、命令通りに連れて来ました」

「確かにそっくりだが! そもそも、どうやって連れて来た!?」

「会場の外れにある人気(ひとけ)の無い草原で眠っていたので、そのまま連れて来ました」

「スンノケシ王子ともあろうVIPが、そんな所で居眠りをするはずが無いだろ! そんなことも分からないのか!」

「スンノケシと思われる外見をしていたので、命令通りに連れて来ました」

「あぁもう、融通が利かないな! だからジェネレーターは嫌いなんだ!」

 

 1世紀前のパソコンに不慣れな中年親父のような台詞を吐きながら、男はジェネレーターとの会話を打ち切った。その近くでは別の幹部が「人攫いにジェネレーターを使ったのは失敗だったな」と完全に項垂れた様子で呟いていた。

 一番騒いでいた男が黙り込んでしまったため、部屋の中を重苦しい沈黙が支配する。

 そしてそれを取り払うように、幹部の1人が努めて明るい声でこう言った。

 

「しかしこの状況も、見方を変えればかなりチャンスと見ることができるのではないか!? 何せ、あの稀代の英雄と名高い野原しんのすけが、こうして我々の手に落ちているのだからな!」

「確かにボスの命令であるスンノケシ王子の誘拐こそ叶わなかったが、その代わりに野原しんのすけを連れて来たとなれば、ブリブリ王国産のアンティナイトと比較しても充分お釣りが来るレベルではないだろうか」

「少なくとも、今からもう一度スンノケシ王子の誘拐を実行するのは不可能に近いだろう。ならば我々は何としてでも、野原しんのすけを無事に本国まで連れて行かなければならない」

「……確かにその通りだ。――荷物は既に纏めてあるな? ならば、できるだけ早く出発しよう」

 

 ジェネレーターに怒鳴り散らしていた幹部の問い掛けに、他の幹部が揃って頷いた。彼らはスンノケシ王子を誘拐したらそのまますぐにここを出払うつもりだったので、部屋の中は既に備え付けの家具以外は片付けられている。もちろん、ここまで彼らを見守ってきた、頭部が切り落とされた竜の掛け軸も姿を消していた。

 男達が準備をするのに併せて、ジェネレーターである黒服の男が、ソファーで眠るしんのすけへと手を伸ばす。

 と、そのとき、

 

「ふあ~、よく寝たゾ~」

「――――!」

 

 見計らったかのようなタイミングでしんのすけが目を覚まし、呑気にあくびをしながら体を起こして大きく伸びをした。そしてその様子を、幹部達が固唾を呑んで見守っている。

 徐々に意識が覚醒してきたしんのすけは、周囲を見渡して首を傾げた。それはそうだろう。会場の草原で居眠りをしていたはずが、いつの間にかどこかのホテルの一室で、しかも中年と黒服に取り囲まれているのだから。しかも日はとっくに暮れて夜になっている。

 

「やぁ、野原しんのすけくん。お目覚めかね?」

「……おじさん、誰?」

 

 白い目を向けながらそう尋ねるしんのすけに、幹部の男は余裕の態度を崩さず笑みを零す。

 

「残念だが、それは教えられない。君には悪いが、九校戦の会場で眠りこけている間にここまで連れて来させてもらったよ」

「……ここどこ?」

「横浜にあるホテルだ。もっとも、すぐにここを出発することになるがね」

「ほーほー。――あれっ? ベルトはどこだ?」

「あぁ、ベルト型のCADか。なかなか珍しい物みたいだが、君に反撃されると厄介なんでね、君が寝ている間に外させてもらったよ」

 

 幹部の話を聞きながら、しんのすけは頭の中で状況を整理する。

 眠っている間にホテルに連れ込まれ、ズボンのベルトを外される。

 それが意味するところとは――

 

「いやあああああ! けだものおおおおお!」

「――――はっ?」

「オラが寝ている間にオラの体を弄んだなんて、オラもうお嫁に行けないいいいいい!」

「ちょ、ちょっと待て! そんなことはしてないし、そういう目的で誘拐したんじゃない!」

「この前だって、どっかの会社の偉い人が男の子にワイセツなことをして逮捕されたってニュースがあったゾ! おじさんもその人と同じで、オラみたいな若くて格好良くてちょっと愛嬌もある男の子が好きなんでしょ!」

「自己評価凄く高いな! って、そうじゃない! 断じてそんなことは無い! 私は普通に女性が好きだ! それも10代なんて子供じゃなく、どちらかというと年上の方が――」

「おい、何を話してる! 今はそんな場合じゃないだろ!」

 

 どんどん話が変な方向に逸れていくのを、別の幹部が一喝したことで食い止めた。何やら色々とカミングアウトしそうになっていた幹部はハッとした表情になり、そして最初の余裕の笑みに戻った。もはや手遅れのような気もするが。

 一方しんのすけは、一頻り騒いで満足したのか落ち着きを取り戻し、先程まで自分が眠っていたソファーで脚を組んでいた。まるで自分の家のような寛ぎっぷりである。

 

「んで、なんでおじさん達はオラを誘拐したの? お金?」

「いいや、金ではない。我々の目的は、おまえ自身だ」

「いやあああああ! けだもの――」

「違う、そうじゃない! 確かにそう聞こえたかもしれないけど!」

「もう良い。コイツに自分の末路など教えてやる義理は無い。さっさと本国に連れていくぞ」

 

 会話をする度にペースを乱されることにいい加減嫌気が差したのか、別の幹部がそう言って会話を打ち切った。それに併せて、黒服の男が剣呑な雰囲気でしんのすけへと近づいてくる。

 それを感じ取ったしんのすけが、若干眉を寄せてその場から立ち上がった。

 

「おっと、反撃するつもりかね? CADも無いこの状況でか?」

「君が反撃するとなれば、我々としてもそれなりの対応をしなくてはいけなくなる。君が五体満足でいられる保障は無いと思いたまえ」

 

 じりじりと黒服が近づいてくる中、しんのすけは――

 

 

 *         *         *

 

 

「“主人公補正”?」

「えぇ、私達の間では便宜上そう呼んでいますわ」

 

 アジトへと向かうヘリの中で、達也は正面に座るあいから説明を受けていた。

 

「元々は創作におけるスラングのようなもので、簡単に言えば『主人公が活躍するために物語が都合の良いように展開する』といったものですわ。どんなに成功する可能性が低い作戦も一発で成功させたり、主人公がピンチのときに能力が覚醒して敵を倒したり、探偵物で主人公の行く先々で事件が起こるというのもこれに当て嵌まりますわね」

「えぇ、何となくですが想像はつきます。――で、それが今回の件とどう関係が?」

 

 藤林にとっては既に知っているからか特に耳を傾ける様子は無く、黒磯はヘリの操縦という自分の役割に徹している。なのであいの講義を受けているのは、普段は誰かに知識を披露する機会の多い達也のみとなっていた。

 

「“無頭竜”のアジトについては、私達の方でも捜索はしておりました。諜報に関しては一流と称しても良い腕前を持つ方々で、今回のアジトについても1日もあれば簡単に割り出せると思っていたのです」

 

 やはり世界有数の企業グループともなれば諜報部門の1つや2つは持っているものか、と達也はそのことに触れることは無かった。

 

「ですが結論から言えばアジトを特定するには至らず、結局見つけられたのはしん様が誘拐された後となってしまいました。達也さんが雇った女性の方と、タイミング的にはほぼ一緒ですわね」

「つまりそれに、先程説明した“主人公補正”が関わっていると?」

 

 達也の質問に、あいは首肯して説明を続ける。

 

「本来の彼らの実力を考えれば、既にある程度エリアが絞れている段階でのアジト捜索にここまで時間が掛かるなど有り得ません。しん様自身、もしくはしん様に近しい味方が活躍する場を作り出すために、“主人公補正”がその方々の捜索を妨害していた、というよりも本来の実力を発揮できない状況にしていた、ということでしょう」

「たまたま、ということはありませんか?」

「確かに今回の件のみを見ればたまたまである可能性も否めませんが、こういったことが“サザエさん時空”が発生していた時期から割と頻発していたんですよ。――そうですよね、藤林さん?」

 

 あいが達也の隣に座る藤林に話題を振ると、彼女は真剣な表情で頷いて達也へと向き直った。観察力に優れた彼の目には、その表情の裏に若干の疲れが滲み出ているのが分かる。

 

「彼の“主人公補正”のサインは多種多様で、我々でも完全に予想はできないの。敵が本来の実力を発揮できずにあっさりとやられるならまだ良いけど、今回みたいに味方にその影響が出るときもあるから私達も任務に就くときは戦々恐々よ。――もしくは彼自身にその影響が出るときもあるわね。彼がクジ引きで旅行券を当てたときなんか最悪ね、ほぼ確実に何かあるもの」

「とはいえ、しん様が英雄と呼ばれる立場でありながらそれを邪魔に思う組織が排除に動こうとしないのは、この“主人公補正”のおかげでもあるんですの。様々な効果を発揮する“主人公補正”ですが、しん様と敵対する者や組織はほぼ確実に悲惨な目に遭いますから」

「逆に彼の立場を利用しようと権力者などが動いたりしないのも、同じ理由によるものだけどね。下手に味方と認識されて事件に巻き込まれたり、1歩間違って自分が彼の敵だと認識されたりするリスクを考えれば、ね」

 

 2人の話を聞いて、達也は以前から秘かに抱いていた疑問が氷解するのを感じた。しんのすけが世界中の有力者から英雄と称されていながら、普通の人間と同じような生活を送れていることを常々不思議に感じていたのである。もっとも、年に1回以上は必ず何かしらの事件に巻き込まれる生活を“普通”と表現できるかは定かではないが。

 そしてそれと同時に、彼が関わった事件で驚くほど死者が少ない理由についても、おそらくこの“主人公補正”が関わっているのだろうと推測できた。何とも信じ難い話だが、信じなかったところで状況が変わらない以上そう考えるしかない、というのが達也の偽らざる感想だった。

 しかしそうだとすると、新たな疑問が出てくる。

 

「ですが今回の“無頭竜”の動きは、しんのすけへの明らかな敵対行動です。奴らはしんのすけの“主人公補正”を知らなかったのでしょうか?」

「いいえ、さすがに“無頭竜”ともなれば知らないはずがないわ。“主人公補正”が働いたからこその行動だったという見方が一番自然だけど、それを差し引いてでも彼を手元に置いておきたいと奴らが考えたとしても不思議じゃないわ」

「手元に置いておきたい、ですか」

「えぇ、そうよ。何てったって彼は――」

「藤林さん、そこまでで」

 

 途端に不機嫌な声色で藤林の言葉を遮ったあいに、藤林は特に気分を害した様子も無く軽く肩を竦めるに留めた。達也がその様子に訝しげな表情を浮かべるが、すぐに何かに思い至ったようにわざとらしく視線を外に遣る。

 眼下には、夜の闇すら弾き飛ばすほどに煌々とした明かりを常に放つ街並みが広がっていた。富士演習場から横浜中華街までは直線距離で約80キロ、障害物も無い空路ならば如何に横浜といえど“長距離”の内に入らない。

 

「あと3分ほどで目標ポイントに到着するわ。そこでヘリから降りた後、すぐさま状況を開始するわね」

「分かりました。――それにしても、最初にヘリで現場に向かうと知ったときはどうかと思いましたが、確かにこれだけの物を用意できれば、発見されるリスクはかなり減らせそうですね」

 

 世間話のような気軽さで達也がそう言うと、あいが何やら含みのある笑みを浮かべた。

 

「確かにそうですね。――もっとも、今頃あちらさんはそれどころではないでしょうし、普通のヘリで近づいても気づくことすらできるか分かりませんが」

「……何か自分に隠してることがあるようですね」

「隠してるわけではありませんわ、ただ単に私自身も知らないだけでして」

 

 とはいえ、とあいはそう前置きしてこう続ける。

 

「先程説明した“主人公補正”についてですが、藤林さんは『我々でも完全に予想はできない』と仰いました。つまり裏を返せば、ある程度の予想を立てることは可能ということです」

 

 そうしてあいは、正面の達也に向けてニッコリと優雅な笑みを浮かべた。

 

「そしてその種を蒔いたのは、他ならぬ達也さんです。――どうもありがとうございました」

「…………、あっ」

 

 どうやらあいの言わんとしていることが分かったようで、達也は小さく声をあげた。

 申し訳ないことをしたかもしれない、というほんの少しの罪悪感と共に。

 

 

 *         *         *

 

 

 “無頭竜”がアジトとしているホテルは高所得旅行者向けの豪華な内装をしているが、それに反してその造りはかなりシンプルだ。

 正面玄関を入ると天井の高いロビーが客を出迎え、その中央には樹木をモチーフとしたガラス製のオブジェが鎮座している。そのオブジェの周りは最上階まで吹き抜けとなっていて、ガラスの枝が天井に向かって伸びている。その奥にエスカレーターやガラス張りのエレベーターがあり、宿泊客はそれで階層を移動することになる。

 基本的にどの階層も回廊となっており、中層階は客室、最上階には数種類のレストランが軒を連ねている。中華街にあるホテルらしく中華を専門としたものが最も多いが、寿司や天ぷらなど和食料理を出す店もあるし、朝食バイキングの会場でもある店は洋食をメインとしている。

 

「うーん、さすがに表からじゃ階段とか分からないか……」

 

 しんのすけがこのホテルの裏口に連れ込まれるのを目撃した遥が、レストランが並ぶ回廊の手すりに寄り掛かりながらポツリと小さく呟いた。

 ちなみに彼女は現在、先天性スキルである“隠形”によって姿を隠しているため、先程から彼女の前を通り過ぎる宿泊客は彼女の存在に気づく素振りも無かった。いくら一般人も出入りしているホテルとはいえ犯罪シンジケートのアジトであり、よってどこで誰が見ているのか分からないと警戒してのことである。

 

 ――だとしたら、やっぱり“中”を探る必要があるか……。

 

 遥が目を向けるのは、廊下の行き止まりにある『STAFF ONLY』と書かれたドア。このホテルの隠された“本当の最上階”に辿り着くには、関係者しか入れないスペースに潜入する以外に方法は無さそうだ。

 しかしそれは、奴らのテリトリーに入り込むことを意味する。過去に公安の人間として(不本意ながら)潜入捜査を数多く任され、いつの間にか“ミズ・ファントム”というコードネームで呼ばれるようになった彼女だが、何度やってもこの恐怖と緊張は慣れないものだ。

 遥は小さく深呼吸して覚悟を決めると、カーペットによって足音が吸収される廊下を歩いてドアのすぐ近くまで進んでいった。姿を消すとはいえ障害物を通り抜けられるわけではないため普通にドアを開ける必要があるのだが、誰もいない状況でドアが開閉するなど怪しいことこの上ない。なので彼女は潜入するとき、誰かがそこを開けるのをひたすら待つことが多いのである。

 

 長時間待つことも視野に入れていた遥だが、意外にもドアが開いたのはそれから1分も経たない頃だった。

 もっとも彼女にとってそれ以上に意外だったのが、ドアを開けた人物だった。

 

「おぉっ! やっと外に出られたゾ!」

「しんちゃん!?」

「おぉっ、遥ちゃん! どっから出てきたの!?」

 

 まさに救出しようとしていた人物がいきなり現れたことで“隠形”を解除して詰め寄る遥と、顔見知りのカウンセラーが何も無い場所からいきなり姿を表すのに遭遇したしんのすけ。2人の驚愕の声がホテルの廊下に響き渡り、宿泊客からの咎める視線の集中砲火を浴びる結果となった。

 

「そうだ、遥ちゃん! 早くここを脱出するゾ! ここ、悪い奴らのアジトなんだゾ!」

「えぇ、大体の事情は分かってるわ! 近くに車を停めてるから、そこまで――」

 

 がちゃっ。

 

 2人がそんな遣り取りをしていたまさにそのとき、しんのすけが今しがた出てきたドアが再び開かれ、中から屈強な体つきをした黒服の男達が数人ほど姿を現した。

 彼らは目の前にいるしんのすけと、その隣にいる遥を交互に見遣り、襟元の無線に呼び掛ける。

 

「ターゲットを発見、仲間と思われる女諸共捕らえます」

「――逃げろぉっ!」

「ひぃっ――」

 

 しんのすけが叫びながら遥の手を握ってその場から逃げ出し、彼女は口から漏れ出る引き攣った悲鳴を置き去りにしながら引っ張られていった。

 当然ながら、そんな2人を追い掛ける黒服の男達。

 そしてそれと同時に、同じ階層にある他の『STAFF ONLY』と書かれたドアが一斉に開かれ、そこからも同じような黒服の男達が数人ずつ廊下へと飛び出してきた。

 

「おぉっ! 何かいっぱい出てきたゾ!」

「嘘でしょ! 私、戦闘力とか皆無なんだけど!?」

 

 高級ホテルを舞台にした、盛大な鬼ごっこが幕を開けた。




 ~3年前、とある軍事基地の一室にて~

「野原しんのすけが、商店街のクジ引きに挑戦します!」
「おいおい嘘だろ! 絶対に何も当てるんじゃねぇぞ!」
「1等は止めて1等は止めて1等は止めて1等は止めて1等は――」
「ほら、2等のお米1年分の方が良いでしょ? お母さん、きっと喜ぶよ?」

「――――結果! 1等、沖縄旅行4人分!」

「あああああああああああああああああ!」
「いやあああああああああああああああ!」
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