嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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※作者メモ:作品タグに「主人公補正」を追加しました。


第39話「みんなで一緒に鬼ごっこだゾ」

 その男は、とある芸能プロダクションの3代目社長だった。社長とは言っても先代社長である親からその地位を譲り受けただけに過ぎず、エンタメ業界の厳しさというものをその身で感じたことなど1度も無い。彼にとって社長の椅子というのは、刹那的な虚栄心を満足させるための手段でしかなかった。

 そんな彼は現在、横浜中華街にある高級ホテルの最上階にある中華レストランにて、1人の女性と食事を共にしていた。少女を卒業したばかりの瑞々しさと薔薇の花束のような豪奢な色艶を兼ね備えたその美女は、彼のプロダクションに所属する女優であり、デビューしてから5年で確固たる地位を築き上げた稼ぎ頭である。

 彼にとってタレント達とは、いわば“宝石”のようなものだった。磨き上げたりカットして付加価値を与えるのが自分の仕事だという意味でもあるし、たとえ他の職人が磨いたものでも金さえ積めば買い取れる“商品”でしかないという意味でもある。

 そういった意味では、その女性は彼が今一番お気に入りの“アクセサリー”と言える。元々は顔が良いだけの大根役者だったのをここまで育てたのは自分だと思っており、その労力に対する正当な報酬として“良い想い”をするのは当然だと考えている。そして彼にはそんな女性が、それこそ数十人はいた。

 

「どうだい、ここのレストランの料理は? なかなかの物だろう?」

「えぇ、そうね。さすが人気のホテルなだけはあるわね」

 

 アルコール片手にそう評価する彼女に、男は得意気な笑みを浮かべている。自分が料理を作ったりプロデュースしたわけでもないのに、なぜか自分が褒められているかのような態度で胸を張っている。

 チラリ、と周りに目を遣る。高級なだけあって客層も身なりや言動に気を遣う富裕層が多いが、そんな彼らの間でも彼女の顔が知られているのか、露骨にならない程度にチラチラとこちらを窺っていることが分かる。自分のアクセサリーに皆が見惚れているのを肌で感じ、男はますます悦に入った様子だった。

 

 一頻り下衆な欲求を満たしたところで、男は心の中で気持ちを切り替えた。こうしてわざわざ高級なレストランを予約して彼女を連れてきたのも、ひとえに“見返り”を求めてのことだ。もっと言ってしまえば、男としての“より直接的な欲求”を彼女で満たすためである。

 彼女だって馬鹿ではない。こうしてホテルのレストランでの食事を了承したということは、少なからずそういった展開になることは織り込み済みのはずだ。男は逸る気持ちを抑えつつ、コホンと咳払いをしてから口を開いた。

 

「なぁ、ところで今夜は――」

「ねぇ。何か騒がしくない?」

 

 他ならぬ彼女に出鼻を挫かれたことに怒りの1つも湧いてくるが、それを懸命に抑えながら彼女の視線を目で追って店の入口を見遣った。

 すると、

 

「おぉっ! お邪魔しまぁす!」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 高級レストランには似つかわしくない騒がしさで店へと駆け込んできたのは、十代後半の少年と二十代中頃の女性。少年が学校の制服らしき装いだからか、女性の方も学校の新人教師、もしくはそれに類する職業に見えてくる。

 そんな男女が2人きり、しかも場所は高級ホテル内のレストラン。見る者によっては色々とその関係を邪推してしまいたくなる組み合わせだが、客達がそんなことを考えることは無かった。

 というより、できなかった。

 

 ズドォンッ――!

 

「うわああああ!」

 

 2人の直後に入ってきた黒服がその手に持っていた拳銃を発砲し、夜景を一望できる壁一面の大きなガラス窓にヒビが入った。客達が一斉に混乱と恐怖で悲鳴をあげ、次々と椅子から立ち上がり店の奥へと逃げていく。

 当然その中には、芸能プロダクションの社長の姿もあった。何なら真っ先に逃げていた。連れの女性が何やら文句を言っているのも気にせず、初老の男性客をも押し退けて真っ先に逃げていた。人一倍悲鳴も大きかった。

 完全に余談だが、後日2人は別れた。

 

 

 

 

「…………」

 

 客が奥に移動したことで見晴らしが良くなったフロアに、拳銃を発砲した黒服と別の黒服2人が足を踏み入れた。幹部の部屋にいたジェネレーターと同じ格好をしているが、こちらは意識も感情も存在するごく普通の人間である。

 先頭の黒服が、素早くフロアを見渡した。テーブルの上には所狭しと並べられた中華料理が湯気をたてており、先程の騒ぎのせいか幾つかひっくり返ってテーブルクロスや床を汚している。店の奥では体を震わせて壁際に貼りつく客達が、恐怖に満ちた顔でこちらの様子を窺っている。

 その客達の中に、しんのすけと遥の姿は無かった。廊下に出られる唯一の出入口では別の仲間が3人ほど見張っているため、見つけたら反応があるはずだ。なので姿を隠しているとすれば、厨房などのバックヤードか、テーブルクロスが床スレスレまで垂れているテーブルの下くらいだろう。

 

 先頭の黒服が他の仲間に目配せし、厨房の方へと1歩足を踏み出した。

 と、視界の端でテーブルクロスが揺れた。

 フロアにいる黒服3人が一斉に反応し、そちらへと顔を向ける。

 

「ほいっと!」

 

 テーブルの下から飛び出したしんのすけが、腕を一振りして黒服達にそれぞれ何かを投げつけた。黒服達はそれに気づいて防御の反応を見せるが間に合わず、的確なコントロールでそれらは黒服達の口元へと跳んでいき、そして彼らの口の中へと入っていった。

 まさか毒物か、とそれを咄嗟に吐き出そうとするが、思っていたより柔らかかったそれが口の中で破裂する。

 それの正体は――具材の旨味が溶け込んだ熱々のスープが特徴の“小籠包”(ショーロンポー)だった。

 

「――――あっづ!」

 

 一気に口の中を蹂躙する熱が与える刺すような鋭い痛みに、黒服達の体が本人の意思とは無関係に強張り固まった。

 その隙を突いて、しんのすけが入口に近い黒服2人組へと猛スピードで駆け寄った。現代の魔法師にとってCADはほぼ必須ツールとなっているが、魔法発動の高速化と効率化を補助する物であって、それが無ければ発動しないわけではない。おそらくテーブルの下に隠れていた間に仕掛けたのであろう自己加速術式は、何の問題も無く発動していた。

 

「アクショーン、キーック!」

 

 その勢いのまま床を蹴って跳び上がり、技名を叫びながら黒服にドロップキックをかました。しかし普段の“アクションキック”と違って攻撃力強化などの補助魔法は掛かっておらず、つまりは自己加速術式の勢いでただ蹴りを入れただけのことだ。

 しかし黒服達に対してはそれでも充分な威力で、蹴りを直に食らった黒服がもう1人の仲間を巻き込んで入口まで吹っ飛ばされていった。

 そして、それを見たもう1人の黒服がしんのすけに反撃しようと拳銃を向け、

 

「うらあああっ!」

「――――!」

 

 先天性スキルの“隠形”で姿を隠していた遥が横からタックルをかまし、不意を突かれた黒服が横向きに倒された。

 すぐさま反撃に出ようとする黒服だが、遥が即座にスキルで隠していたスタンガンを黒服の体に押しつけた。高圧の電流が黒服の体に流れ込み、そのショックで黒服の体は客達とは違う理由でビクビクと震え、そして動かなくなった。市販のスタンガンには気絶に追いやるほどの威力は無いため、おそらく口に出すのは憚られる代物だろう。

 

「おぉっ! 凄いゾ、遥ちゃん!」

 

 しかしそんな知識など無く、フィクションのイメージでそんなものだと思っているしんのすけは、それを気にすることなく不思議な能力を使う彼女を賞賛していた。

 しかし賞賛された遥は、それに対して喜びを表すことなく険しい表情のままだった。

 

「とにかく! 今はここから脱出しないと!」

 

 フロアにいる3人の黒服は現在床に倒れ伏しているが、そう時間が経たない内に再び起き上がるだろう。それに表にはまだ3人の黒服が待ち構えており、そして仲間がやられたことで店内に入ろうとしていた。

 いっそ厨房からスタッフ用の通路を通るか、と遥が入口から目を逸らした、そのときだった。

 

「ぐっ――」

「がはっ――」

「ぶっ――」

 

 入口にいた3人の黒服が次々と苦悶の表情を浮かべ、短い悲鳴と共にその場に崩れ落ちた。

 突然の展開にしんのすけと遥が目を丸くする中、

 

「何してんだ! 早くここから出ろ!」

 

 倒れる黒服達のすぐ傍に立って呼び掛けるのは、全身や顔を黒いローブで覆い隠す如何にも怪しい人物だった。聞こえてくる声は成人男性のものだが、今のボイスチェンジャーはほとんど肉声と違和感が無いため参考にならない。それにその小柄な体躯は、成長期を迎える前の少年もしくは女性と見なすこともできる。

 遥としては突然現れた怪しい人物の言葉を素直に信用できるはずも無かったが、しんのすけが「助かったゾ!」と即座に入口へと走っていったため慌ててその後を追い掛けた。その人物とは入口の狭い箇所で擦れ違うが、特に攻撃を仕掛ける様子も無く黙って2人を見送った。

 廊下を走ってエスカレーターへと向かう2人の背中を眺めながら、その人物は呟いた。

 

「さすが“主人公補正”、とんでもねぇな……」

 

 

 

 

「遥ちゃん、何かたくさんの敵をドッカーンってやっつけられる魔法は無いの?」

「カウンセラーにそんなの求めないで! 私の能力は自分と小物を隠すくらいで、他の人を一緒に隠すことすらできないんだから!」

「んもう、役に立ちませんなぁ」

「役に立たないって……! あのね――」

「おぉっ! また来たゾ!」

「ひっ――」

 

 レストランを脱出してエスカレーターを数段飛ばしで下りていた2人だが、2階層ほど下りたところで下からエスカレーターを上ってくる黒服を見つけ、慌ててそこから離れて再び廊下を走り始めた。

 エレベーターは一時的に密室状態となってしまうため、入口に先回りされてしまったらどうしようもない。非常用の階段を使うことも考えたが、そちらも狭いため黒服達と鉢合わせになったら相当不利だ。

 

 ――もし逃げるとするなら……。

 

 遥がチラリと視線を向けたのは、廊下を走っているときにずっと視界の端に見え隠れしていた、脇下ほどの高さのある木製の柵。

 そしてその向こう側にある、1階のロビーを見下ろせる吹き抜けだった。ガラス製の樹木をモチーフにしたオブジェがそれこそ本物のように枝をうねらせ、現在遥達が走っている階層を突き抜けて上へと伸ばしている。

 ガラス製とは言ってもロビーに飾るオブジェなので強度は高く、おそらく大人が跳び移った程度で壊れるような代物ではない。それにガラス製の枝も本物のように隙間無く張り巡らされているため、枝伝いに1階まで下りることもできるだろう。

 迷っている暇は、無さそうだ。

 

「しんちゃん! あそこのオブジェ、跳び移れる!?」

「おっ? 多分ダイジョーブだゾ」

「オッケー! 今の内に、枝の配置をできるだけ憶えておいて!」

 

 遥はそう言うやポケットに手を突っ込み、そして出した。その手は何か握っているかのようにお椀状になっているが、傍目にはどうしても何かあるようには見えなかった。

 しかし遥は、挟み撃ちするようにこちらへと向かってくる黒服の集団を一瞬だけ見遣ると、それぞれのグループに何も見えないそれを投げつける仕草をした。彼女の能力から逃れて一瞬だけ見せたその姿は、テニスボールよりも更に一回り小さいボールだった。

 そしてそれらは黒服の目の前で破裂し、そこから吹き出した白い煙があっという間に彼らを包み込むように辺りに充満していった。その広がる速度はかなりのもので、1秒ほどで彼らだけではなく柵の上に両足を乗せるしんのすけと遥の辺りにも侵食して真っ白な世界を作り上げていく。

 故に天井に煙が回るのも早く、それに反応した火災報知器が喧しく耳障りな音をホテル中に響かせた。階下の宿泊客や従業員がそれを聞いて咄嗟に頭上を見上げ、そして吹き抜けからもうもうと広がる白い煙に悲鳴をあげる。

 

 しかし悲鳴があがったまさにその瞬間、勢力を伸ばしていた白い煙が突如大きく揺らめき、見えない巨人に押されるように吹き飛ばされていった。何もかも濃い白に塗り潰されていたその箇所が、みるみるその姿を取り戻していく。

 煙が充満する前は柵の上に乗っかっていたしんのすけと遥が、今はロビー中央に鎮座するガラスの樹に跳び移り、木の枝を伝ってスルスルと下りていた。運動能力に優れたしんのすけはともかく、遥もカウンセラーとしての優しい雰囲気とは裏腹にその動きに淀みが無かった。九重八雲の門下生として、それなりに鍛えているということだろう。

 しかし煙が晴れたことで2人を見つけた黒服達が、一斉に拳銃を抜いてガラスの樹のオブジェへと銃口を向けた。しんのすけは既にそこから跳び下りて1階に着地しているが、遥は今まさに跳び下りようとしている最中であり、咄嗟に動作を切り替えられない絶妙のタイミングだった。

 

「――――!」

 

 BS魔法師である彼女は、“隠形”以外の魔法を使うことができない。彼女が着ている服は防弾防刃仕様なのである程度はダメージを緩和できるが、それでもこれだけの人数から一斉に銃撃を受ければただでは済まない。

 遥は覚悟を決めて奥歯を噛み締め、オブジェから跳び下りた。

 そして彼女は無傷で、1階に着地した。頭上からの発砲音は、1回も鳴らなかった。

 さすがに変に思った彼女は、訝しげな表情で頭上を見遣る。

 

「――――」

 

 黒服達は1人残らず倒れ伏し、そしてその中心に全身や顔を黒いローブで覆い隠す如何にも怪しい人物が立っていた。ローブで隠れた顔をこちらに向けているが攻撃してくる様子は無く、むしろ「どうぞ逃げてください」とばかりに軽く一礼してみせる。

 先程の人物と同一なのか、それとも別人なのか。そもそも、なぜ自分達に加担しているのか。

 

「遥ちゃん! 早く逃げるゾ!」

「――えぇ、そうね」

 

 気になることは山ほどあるが、今はここから脱出することを優先し、遥はしんのすけと共にロビーを走っていった。

 困惑した様子の宿泊客が、2人の背中を見送った。

 

 

 *         *         *

 

 

 階下でまさに大騒ぎの鬼ごっこが繰り広げられていたそのとき、一般的には知られていない“本当の最上階”に身を隠す“無頭竜”の幹部達は、そんな喧騒からも切り離されて優雅に戦果を待っている――わけではなかった。

 

「野原しんのすけめ! とことん我々を虚仮にしてくれる!」

 

 高級ブランドスーツで身を飾り、シルクのハンカチで頭から流れる血を拭いつつ、金銀宝石で煌びやかな指輪を嵌めた手で不器用に荷造りしている幹部の1人が、苛立ちを隠さずにこの場にはいない人物を大声で罵った。他の幹部達はそれに返事をしなかったが、皆の思いが1つなのは分かりきっていた。

 その部屋は、まさしく“惨状”の一言に尽きる有様だった。家具はほとんどひっくり返っており、先程纏めたばかりの荷物が部屋のあちこちに散らばっていた。それはコンピューターシステムにも記録されていない極秘帳簿の類なので、部下に荷造りを任せるわけにもいかず、よって幹部自ら汗を掻いて動くしかなかったのである。とはいえ部下は全員が階下の鬼ごっこに参加しているため、そもそも手伝うことなどできないのだが。

 

 その光景はまさしく、嵐が通り過ぎたかのような慌ただしさだった。

 いや、この表現は正確ではないだろう。

 なぜならこの部屋では、本当の“嵐”が巻き起こっていたのだから。

 

「まさか奴が、CADも無しにあれほど強力な魔法を使えるとは……」

 

 ジェネレーターがしんのすけを取り囲み、今まさに飛び掛かろうとしていたそのとき、彼を中心として発動したのは、台風と見紛うほどに荒れ狂う暴風だった。

 スイートルームほどに広いとはいえ密室の部屋であるためハリケーンの逃げ道も無く、幹部やジェネレーターはその場で立つこともできずに座り込んで何かにしがみつき、それが叶わぬ者はテーブルなどの軽い家具と一緒に壁に叩きつけられ、そして極秘帳簿の詰まったスーツケースは洗濯機に放り込まれたように宙を舞いながら中身を撒き散らした。

 しんのすけはとにかくこの場から逃げようと、CAD無しでできる最大出力を何も考えずに発動していた。CADが無いためとにかく意識を集中する必要があり、なので普段なら高らかに叫ぶ“アクション・ローリング・ハリケーン”という技名を口にする余裕も無かった。

 しかしその甲斐あって幹部達を一時的に行動不能にでき、その隙にしんのすけはこの部屋から脱出できたのである。

 

「やはり一度ここに連れ帰らず、直接港に向かうべきだったんだ! もしくは抵抗できぬよう、四肢でも切り落とせば良かったんだ!」

「搬送中に目を覚まして反撃されたら目も当てられんし、直接的な危害を加えたらいよいよ我々の命は保障されなくなる! 奴の“主人公補正”がどう働くか、完全に予想できないんだぞ!」

「そもそも奴を誘拐した時点で、“主人公補正”は我々に牙を剥いているんだ! ボスの粛清から逃れるためにそれらを敵に回すと決めたのではないのか!?」

「とにかく今は一刻も早く荷物を纏め、いつでもここを()てるようにするんだ! 奴の捕獲が成功しようが失敗しようが、そこが変わることは無い!」

 

 最後の言葉は幹部達の共通認識だったようで、そこで彼らの言い争いは幕を下ろした。その表情から怒りが消えることは無かったが、どんな愚痴を零したところで今の彼らにできるのは荷造りくらいだ。あるいはそれを認めたくないかのように、彼らは黙々と荷物を纏めていく。

 しかし彼らの作業の手は、壁に寄り添っていたジェネレーターのくぐもった悲鳴でピタリと止まった。

 

「な、何だ!?」

 

 幹部達はそちらに目を向け、そして絶句した。

 南側の壁に、大きな穴が空いていた。突き破られたのではなく、切り裂かれたのでもなく、砕かれたのでもなく、鉄骨と鉄筋と鋼管を残してコンクリートが砂とセメント粉末になって崩れ落ちていた。ジェネレーターの苦痛は、その壁に掛けていた情報強化の魔法をむりやり破られた反動によるものだった。

 しかしその苦痛も、一瞬後には綺麗さっぱり無くなっていた。

 当の本人が立体映像のようなノイズを走らせ、着ている服ごとその姿を掻き消したからである。一瞬だけ青と紫と橙の混じった炎がポッと光り、スプリンクラーが作動する暇も無く消えた。もはや彼がそこにいたことを証明するのは、絨毯に落ちた僅かな灰だけだった。

 

 叫ぶことも喚くこともできず、呆然とそれを見つめていた幹部達の耳に、組織内でしか使われていない秘匿回線からの呼び出し音が鳴った。

 たまたま近くにいた幹部の1人が、受話器を取る。

 

『Hello,No Head Dragon東日本総支部の諸君』

 

 不自然に陽気な口調でそう挨拶したのは、少年と呼べるほどに若い声だった。

 

「……何者だ?」

『富士では世話になったな。ついては、その返礼に来た』

 

 その返事と共に、幹部を守っていた領域干渉のフィールドが突然消失し、それを維持していたジェネレーターが先程と同じように僅かな灰を残して文字通り姿を消した。

 幹部達が恐怖で息を詰まらせる間にも、部屋にいた2人のジェネレーターがほぼ同時に同じ運命を辿った。立て続けに発生した熱源にさすがに反応したのか、スプリンクラーが作動して高圧の霧が天井から降り注ぐ。

 

「ど、どこだ! どこから攻撃している!?」

『さぁな、自分で探してみたらどうだ? ――おっと、無駄な真似はお勧めしない。今その部屋から通信できるのは俺だけだ』

 

 その忠告の通り、幹部の1人が飛びついた有線電話は断線のシグナルを返すのみで、携帯端末で無線電話を繋いでも返ってくるのは最初と同じ声のみだった。

 

「む、無線電話まで……。いったいどうやって……」

『電波を収束した。手段はおまえ達が知る必要は無い。――さて、本題に移ろう』

「待て、待ってくれ! 我々はこれ以上、九校戦に手出ししない!」

『九校戦は明日で終わりだ』

「九校戦だけではない! 我々はすぐにでもこの国から出ていく! 二度とこの国には戻ってこないし、他の連中にもこの国を手出しさせたりしない! 西日本総支部も引き揚げさせる!」

『おまえにそんな権限があるのか、ダグラス=(ウォン)?』

 

 名前が知られていることに底知れぬ恐怖を覚えながら、黄は必死で声を振り絞った。

 

「私はボスの側近だ! しかも私にはボスの命を救った“貸し”がある! 命の借りは、救われた数だけ望みを叶えることで返されるのが我々の掟だ!」

『今それを使っても良いのか? 自分の命を買い戻すのに必要だろう?』

 

 その問い掛けに、他の幹部からの憎悪と殺意が黄に突き刺さった。

 今ここで仲間割れするのは得策ではない、と黄は慌てて言葉を取り繕う。

 

「違う! そんなことをしなくても、ボスは私を切り捨てたりはしない!」

『おまえにそれだけの影響力があると』

「そ、その通りだ! だから――」

『で、それをどうやって証明する?』

「しょ、証明……?」

 

 戸惑いの声をあげる黄に助け船を出したのは、他ならぬその少年だった。

 

『そういえば、“無頭竜”とは元々おまえ達が名乗ったものではなく、敵対組織によって付けられたものらしいな。ボスが部下の前にすら姿を現さず、部下を直々に粛正するときも意識を奪ってから自分の部屋に連れてこさせる徹底ぶりだと聞く』

 

 自分の名前だけならまだしも、電話の相手はあまりにも自分達のことを知りすぎている。

 いったいこの少年は何者なのか、と黄は戦慄した。

 

『おまえがボスの側近だというなら、当然ボスの顔は見たことがあるな?』

「……私は拝謁を許されている」

『ボスの名前は?』

 

 あまりに簡潔な問いに、黄は口を閉ざした。長年にわたって刷り込まれた恐怖心が、眼前の恐怖を僅かに上回る。

 しかし、

 

『答えられないか。仕方ない、10秒ごとに1人消すとしよう。最初は誰が良い? そこの国際指名手配犯・ジェームズ=(チュー)なんてどうだ?』

 

 名指しされた朱がビクンと体を震わせ、そしてギロリと黄を睨みつける。少しでも首を縦に振ったら、その場で殺しに掛かるほどのプレッシャーを放っている。

 

「ま、待ってくれ……」

『自ら志願してくれても良いんだぞ、ダグラス=黄?』

「待ってくれ! ――ボスの名前は、リチャード=(スン)だ」

『表の名前は?』

「……孫公明(そんこうめい)

 

 この後も黄は電話口の相手に言われるがままに、香港の高級住宅街にあるボスの住所やオフィスビルの名称、更には行きつけのクラブまで、ボスに関するあらゆる情報を訊かれるがままに喋った。他の幹部達もそれを見守るのみで、彼の口を止めようと動く者はいなかった。

 

「……私の知っている情報は、これで全てだ」

『こちらの質問も、とりあえずは終了だ。ご苦労だったな』

「では、信じてもらえるのか?」

『あぁ、おまえは紛れもなく、無頭竜のボス・リチャード=孫の側近のようだ』

 

 完全に打ちのめされ虚無感すら漂っていた黄の顔に、ほんの僅かだが喜色が浮かぶ。

 

『よっておまえ達を、我々の“客人”として招待しよう』

 

 そして次の一言により、その喜色は即座に消え失せた。

 

「な、なぜ――」

『心配はいらない、最低限の衣食住は保障する。おまえ達のボスに粛清されるよりは遥かにマシな待遇を約束しよう』

「待て! しかしそれは――」

『別に俺としては、このままここで殺してしまっても構わないんだが』

「…………」

『決まりだな。もうすぐ“迎え”がやって来る。大人しく待つが良い』

 

 黄が呼び掛ける暇も無く、電話が切れた。

 そしてそれを待ち構えていたかのように、幹部達が次々と床に倒れていった。悲鳴どころか呻き声をあげる暇も無く、プツリと糸が切れたように意識が消失していく。

 

「……ターゲットの意識の消失を確認」

「それでは、これより移送任務に入ります」

 

 それを見届けていたのは、黒いローブで全身を覆い隠す2人組だった。

 背の高い方は不快感を滲ませ、背の低い方は逆にどこか楽しそうだった。

 

 

 

 

 横浜市内にある高台――今世紀半ばまで“海の見える丘公園”と呼ばれていたそこには現在、横浜港とその沖合を一望できるほどの超高層ビル“横浜ベイヒルズタワー”が建てられている。ホテル・ショッピングモール・民間オフィス・テレビ局などが居を構える複合施設であり、京都に本部を置く魔法師の親睦団体“日本魔法協会”の関東支部もここに置かれている。

 しかしここが純粋な民間施設ではないという事実は公然の秘密というものであり、ここには東京湾を出入りする船舶を監視する目的で、国防海軍や海上警察が民間会社に偽装したオフィスを置いている。魔法協会の支部がここに置かれているのも、有事に対する防衛手段であるというのがもっぱらの噂であり、そして紛れもない事実である。

 そんなビルの屋上には、テレビ局の放映アンテナだけでなく、無線通信の中継装置が置かれている。そしてそんな装置に何やら小型の情報端末を押しつけ、もう片方の手でCADを操作する女性の姿があった。

 藤林だった。

 

「“彼”は無事にホテルから脱出、そして“無頭竜”の幹部5人全員の捕獲を確認。――以上で作戦は終了よ、お疲れ様」

 

 彼女からの労いの言葉に、達也は軽く頭を下げるだけで応えた。直線で約1200メートルにもなる距離からの対人狙撃魔法を成功させた彼だが、その顔に疲れはまったく見られない。超長距離精密攻撃が彼本来のスタイルであり、OTH(Over The Horizon)攻撃もこなす彼にとって、この距離は苦労を要するようなものではない。もちろん、手を抜いているわけではないのだが。

 むしろ達也が気疲れしているのは、わざわざ相手に電話を掛けて長々と嬲るような真似をしながら情報を聞き出したことに起因していた。あれは達也が自分の意思で行ったのではなく、独立魔装大隊の隊長である風間少佐からの指示によるものだ。

 

「達也くんのおかげで、“無頭竜”のボスについて重要な情報が色々と聞けたわ。ありがとうね」

「たかが犯罪シンジケートのボスの情報に、そこまで価値があるのですか?」

「あれはただの犯罪組織じゃないもの。――達也くんは、“ソーサリー・ブースター”って知ってる?」

 

 突然の質問に、達也は特に疑問を挟まずそれに答える。

 

「名前くらいは。ここ数年で犯罪組織の間で急激に広まっている、画期的な魔法増幅装置だそうですね。正直、眉唾物だと思っていましたが……」

「ソーサリー・ブースターは実在するわ。そして或る意味では“画期的な魔法増幅装置”であることは間違いないの。魔法の設計図を提供するだけではなく、それを構築する過程も補助してくれるもの、と言った方が分かりやすいかしら。術者本来のキャパシティを超える規模の魔法式形成を可能にする装置よ」

「それは……“ブースター”というよりも“増設メモリ”ですね」

 

 達也のツッコミに、藤林は「まぁ、俗称なんてそんなものよ」と苦笑いで返す。

 そして再び、その表情を真剣なものに戻した。

 

「問題はこの装置の“原料”で、真っ当な企業ならまず手に入れることはできないし、国家でもバレたときのリスクがでかすぎる。だからこの装置は現在のところ、事実上“無頭竜”の独占供給状態なのよ」

「つまり、その装置を買い付けたいがために、ボスの情報が必要だったということですか?」

「いいえ、我々はその装置の製造と供給を止めるために動いてるわ。私だったら絶対に使いたくないし、軍で使わせるわけにもいかない代物なの」

「つまりその原料は倫理に反したものである、と?」

 

 達也の推測に、藤林は深く頷いた。

 

「ソーサリー・ブースター製造に必要なもの、それは――魔法師の大脳よ」

「……そんなこと、できるのですか?」

 

 達也が言葉を詰まらせたのは、その材料の非人道性によるものではなかった。

 通常のCADの場合、その中枢部品である感応石(電子信号をサイオン波動に、サイオン波動を電子信号に変換する合成物)には人工的に作った神経細胞(ニューロン)が用いられる。その製造方法は、CAD開発の黎明期に倫理も良心も信仰も無視した動物実験や人体実験の末に確立されたものであり、その過程で動物や人間の脳細胞をそのまま使用しても上手くいかないことが結論づけられていたはずだ。

 

「通常の感応石とは仕様が違うけどね。1つのブースターでは1つの特定の魔法しか使えないし、その魔法も個々によって違う。だけど、ある程度のパターン化は可能なようね。製造時の残留思念によって魔法が変わるのならば、おそらく同じ種類の強い感情を与えれば、同じような魔法に設定することは可能みたいね」

「……脳を摘出する直前に大きな苦痛や恐怖を与える、と?」

「おそらくは」

「……蟲毒(こどく)の原理ですね」

 

 達也の言葉に、藤林も同感だとばかりに頷いた。

 

「私達は魔法を武器とし、魔法師を軍事システムに組み込むことを目的とした実験部隊だけど、魔法師を文字通りの“部品”にすることを認めるわけにはいかないわ。その一線を踏み越えてしまったら、我々はもう“人間”ではいられなくなる」

「そういった感情を抜きにしても、魔法師の実力を拡張するとなれば軍事的にも脅威でしょうね」

「その通り。北米情報局(NAIA)も同様の見解を持ってて、内情に協力を求めていたの。だから達也くん、今回は本当に助かったわ」

 

 内情とは内閣府情報管理局のことであり、一高生徒である壬生紗耶香の父親・壬生勇三が所属する組織だ。USNAに貸しを作れたと喜ぶ藤林には悪いが、達也としてはそういった外交関連にまったく興味が無いのでどうでもよかった。

 それよりも彼が気になるのは、

 

「お疲れ様でした、達也さん、藤林さん。しん様もあの女性の車に乗りましたし、それを見守りながら我々も戻りましょう」

 

 ビルの屋上にあるヘリポートに直接ヘリが着けられ、その近くで待機していたあいが呼び掛ける。妙に落ち着き無くそわそわしているのは、おそらく遥と2人きりで車に乗るしんのすけが気になっているのだろう。

 仕方がないので、2人はCADなどを素早く片付けてヘリに乗り込んだ。例の新作CADによるステルス魔法を発動させれば、もはやそこにヘリが存在していることなど眼下の通行人が気づくはずも無い。

 そうして姿を隠した状態でヘリポートから飛び上がり、遥の運転する車の真上(といっても数百メートルは上空だが)にヘリを着けた状態になったところで、達也があいに向かって口を開いた。

 

「訊きたいことがあるのですが」

「はい、何でしょう?」

「ホテル内でしんのすけ達に協力し、“無頭竜”の幹部を無力化する者達がいましたが、あれが先日仰っていた“家の者”ですか?」

「そうですわ。あれで全員というわけではありませんけど」

「一企業が保有するには、随分と戦力が大きいように思えますが」

「備えあれば憂いなし、というヤツですわ。現にこうして、しん様を無事に救出することができましたしね。――世界征服なんて企んでいませんから、そんなに心配なさらないでくださいな」

「…………」

 

 隣に座る藤林に視線を遣るが、彼女も正体を知らないようで小さく首を横に振っていた。

 これ以上粘っても情報は得られないか、と達也は大人しく引き下がった。

 それから基地に帰るまで、ヘリの中では一切会話は交わされなかった。




 ~達也が6歳の頃の思い出~

「おかあさま! ここのちゅうかりょうり、とてもおいしいですね!」
「そうね、深雪さん。――達也さん、あなたも遠慮せずに食べなさい」
「わかりました。それではこのショーロンポーをいただきます」
「あら達也さん、気をつけないと火傷が――」

【身体機能:異常低下】
【自己修復術式:半自動(セミオート)スタート】
【魔法式:ロード】
【コア・エイドス・データ:バックアップよりロード】
【修復:開始――終了】

「……達也さん、今“再成魔法”が発動しませんでしたか?」
「いいえ、そんなことはありません」

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