嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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作者メモ:クレしんの映画『夕陽のカスカベボーイズ』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。


夏休み+1編
第41話「南の島でバカンスだゾ」


 事の発端は九校戦の後夜祭が終わり、その会場にて一高の祝勝会が行われていたときのこと。

 代表選手として参加していた達也たち1年生グループと、給仕スタッフとして参加していたエリカ達が裏で働いていた幹比古達も引き連れて集まって談笑していると、唐突に雫がこう話を切り出したのである。

 

「ねぇ、海に行かない?」

「海って、海水浴ってこと?」

「あっ、もしかして?」

 

 エリカとほのかの問い掛けに、雫は律儀に2回首を縦に振った。しかしエリカのそれはともかく、色々と詳細を省きすぎているほのかの質問については、たかだか知り合って数ヶ月程度のその他友人達には意図がまったく伝わらない。

 それに気づいた雫とほのかが若干申し訳なさそうに眉を八の字にして、

 

「えっと、小笠原に雫の家の別荘があるの」

「えっ? それって、もしかしてプライベートビーチ?」

「おぉっ! 雫ちゃんのおウチ、お金持ちだゾ!」

 

 深雪の問い掛けとしんのすけの無邪気な感想に、雫は控えめに、そして少し恥ずかしげな表情で頷いた。

 近年資産家の間では小笠原の無人島に別荘を持つのが流行となっているが、それについてテレビなどの評論家が“自然破壊の成金趣味”と非難することがある。しかし資産家が別荘地として選ぶのは“元有人島”であり、管理されなくなったせいで荒れ果てているのが現状だ。そしてそこにゼロエミッション(太陽光エネルギーを利用している点から、エネルギー面では完全なゼロエミッションではないが)を実現している別荘を建てて島全体を管理することは、国土の有効利用という点でも環境保護という点でも非常に有意義である。

 もちろん深雪もしんのすけも、そしてその他の友人もそれを責める意図は存在しない。知らず知らず刷り込まれていた罪悪感を緩和されたからか、どこか不安そうだった雫の表情がいくらか和らいだ。

 

「父さんが『お友達をご招待しなさい』って。どうやらみんなに会いたいみたい」

「ということは、今年は小父(おじ)様と一緒なんだ……」

「大丈夫。仕事が山積みだから、会えるのは最初の数時間くらいだって言ってた」

「どうしたの、ほのか? もしかして嫌なの?」

「ううん、そんなこと無いよ! 私にも凄く優しくしてくれるし、とっても良い人だよ。だけどあの人、会う度に結構な額のお小遣いを渡そうとしてくるから、それがちょっと心苦しくて……」

「……ああ、そういうことね」

 

 その遣り取りを想像したからか、その場に緩やかな空気が流れた。

 

「それで、具体的にはいつにするの?」

「決めてない。できるだけみんなの都合に合わせられるようにする」

「俺は別にいつでも構わねぇぜ? 特に何か予定があるってわけじゃねぇしな」

 

 レオの言葉を皮切りに、エリカ・幹比古・美月も次々と参加を表明した。エリカや幹比古辺りは家の用事で何かありそうなものだが、わざわざそれを指摘する者は誰もいなかった。

 

「私は、お兄様の都合が良ければ……」

「俺は今度の木曜までなら大丈夫だ。それ以降になると少し厳しいけどな」

 

 達也にとって、夏休みは“休み”ではなかった。ただでさえ九校戦のせいで実質的な夏休みの期間が短くなっている中で、FLT開発第3課で行われる飛行デバイス商品化の打合せ、さらには独立魔装大隊の野外演習及びミーティングに参加することが決まっており、まともに休めるのは九校戦直後のこの時期か夏休み最終日くらいだろう。

 

「しんちゃんは、都合の悪い日はある?」

「いやぁ、オラもゴロゴロしたりダラダラしたりと忙しいですからなぁ」

「つまり暇ってことね。だったら達也くんの都合もあるし、なるだけ早い方が良いんじゃない?」

「それじゃ、明日は移動日だから明後日中に準備をして、月火水の2泊3日で良いかな?」

 

 雫の提案に、全員が同時に頷いた。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして、月曜日。

 指定された集合場所は空港ではなく、葉山のマリーナだった。どうやら空路ではなく海路で別荘に向かうようだが、プロペラのVTOLが自家用機として今や珍しくなくなり、フレミング推進のクルーザーよりむしろ安いことを知る達也からしたら、そのこだわりは今一つ理解できなかった。

 

「あ! ひょっとして、あのクルーザーがそうかな!」

「わぁ……! 素敵なクルーザーですね!」

 

 しかし他の面々はそう思っていないようで、ホットパンツから白い脚を惜しみなく露出させたエリカを筆頭に、女性陣+しんのすけが我先にと太陽の光を反射して輝く真っ白なクルーザーへと駆けていった。

 

「エリカのお(ウチ)でも、クルーザーくらい持ってない?」

「船はあるけど、アレは“クルーザー”とは呼べない、というか呼びたくないわ。普段はスタビライザーをオフにしてるから乗り心地最悪だし」

「……もしかして、訓練用? 徹底してるね」

「まぁまぁ、アタシのことはどうでもいいとして! しんちゃんは、クルーザーに乗ったことってあるの? あの酢乙女家のお嬢様と仲良しだから、かなり凄いのに乗ってそうだけど」

「クルーザーもあるし、あいちゃんとは別だけど豪華客船にも乗ったことあるゾ」

「やっぱり!」

「……ねぇ、雫ちゃん? これから行く島の近くに、お猿さんの王国みたいな所って無いよね?」

「えっ? 別に、そんな話は聞いたこと無いけど……、なんで急に?」

 

 しんのすけ達がそんな会話を繰り広げる脇で、けっして走らずクルーザーの傍までやって来た達也が、メカニックの血が騒いだのか推進機関の部分をつぶさに観察していた。

 

「フレミング推進機関だが、エアダクトが見当たらないから電源はガスタービンではないな。光触媒の水素プラントに燃料電池をプラス、といったところか?」

「念のために、水素吸蔵タンクも積んでいるよ」

 

 まさか単なる独り言に答えが返ってくると思っておらず、達也は若干の驚きと共に声のした方へと振り向いた。

 そこにいたのは、“船長”だった。ギリシャ帽を目深に被り、飾りボタンのついたジャケットを着込み、ご丁寧にパイプまで咥えている。もう少し横幅に恰幅があれば、完璧な“船長”となれるに違いない。

 どう反応して良いか達也たちが困惑していると、向こうの方から手を差し出してきた。

 

「君が司波達也くんだね? 私は北山潮、雫の父親だ」

「……初めまして、司波達也です。お名前はかねがね伺っております。本日は大勢で押し掛けてしまい申し訳ございませんが、何とぞよろしくお願い致します」

 

 予想よりも随分気さくな人柄に戸惑ったものの、達也は巧妙にそれを隠して彼の手を握った。

 達也の“お名前はかねがね~”というのは、単なる社交辞令ではない。彼が総帥を務める“ホクザングループ”は、日本でも屈指の規模を誇る企業グループだ。さすがにグループ全体の規模でいえば“酢乙女ホールディングス”とは比べるべくも無いが、日本国内及び一部の諸外国では酢乙女家の対抗馬として名前が挙がるほどには、経済界でも政界でも強い影響力を持っている。

 その知名度は、最初に雫から父親のことを聞いた達也がかなり驚いたくらいだ。もっとも、現代は企業経営層がプライバシー保護の観点から本名とは別のビジネスネームを使用するのが一般的なので、達也がそれに気づいたのはビジネスネームである“北方潮”の方を聞いてからなのだが。

 

 と、達也の手を握る潮の手から力強い感触が伝わり、そして彼自身も達也をまっすぐ見つめてきた。値踏みするものでありながら不快感を感じさせないのは、人の上に立ち、そして同じように人の上に立つ者と渡り合う指導者たる所以だろうか。

 

「……成程、ただの秀才ではなさそうだ。とはいえ、小手先の技に優れただけの技術者でもない。実に頼り甲斐のある風貌をしている。――どうやら、雫の目は確かなようだな。我が娘ながらなかなかしっかりしてるじゃないか」

 

 潮はそう言って満足そうに笑っていた。晩婚だったせいですでに50歳を超えているはずなのだが、この気さくな雰囲気も手伝って40歳前後のような若々しさを覚える。

 一通り挨拶を済ませた達也は、友人達とお喋りしていた深雪に呼び掛けた。彼女は兄の声に即座に反応し、上品さを損なわない程度の駆け足でやって来た。

 

「深雪、挨拶をすると良い」

「初めまして、司波深雪です。この度はお招きいただき、誠にありがとうございます」

「ご丁寧にありがとう、レディ。北山潮です。あなたのような美しいお嬢さんをお招きできるとは、この船にとっても当家のあばら屋にとっても望外の名誉となりましょう」

「あら、小父様。私のときには、そんなこと仰らなかったと思いますが」

「お父さん、みっともないから鼻の下を伸ばさないで」

 

 胸に手を当てて芝居掛かった一礼をした潮に対して、ほのかと雫が横からそんな言葉を投げ掛けてきた。ほのかはからかいの意味合いが多分に含まれたものだが、雫の場合は割と本気のようにも聞こえる。

 

「いや、そんな鼻の下を伸ばしてなんて……。――ああっ! もしやあそこにいるのが、雫の言ってた野原しんのすけくんかな? 彼とも一度話してみたかったんだ!」

 

 敏腕実業家と思えない慌てぶりで潮はその場を逃げるように離脱し、しんのすけの下へと歩いていった。実の娘からの冷たい視線が背中に突き刺さるが、敢えて無視を決め込んだ。

 ちなみにしんのすけは、クルーザーの操舵手であり宿泊先の別荘でも身の回りの世話も請け負うマルチなハウスキーパーである、見た目20代半ばほどの黒沢女史を目敏く見つけ、そして早速ナンパしていた。真夏の太陽が照りつけるマリーナでもきっちりとスーツを着こなすその姿に相応しくクールにあしらう彼女に、それでも彼はめげること無く熱心に話し掛け続けている。

 

「やぁ、楽しく会話しているところ済まないね。君が野原しんのすけくんかな?」

「おっ? そうだけど、おじさん誰?」

「私は北山潮、雫の父親だ。“北方潮”のビジネスネームで、ホクザングループを経営しているよ」

「ホクザングループ……おぉっ、知ってるゾ! 『奥さん、ホクザンを知ってるかい?』ってCMのヤツだ! あのときのCMソング、オラ今でも歌えるゾ!」

「何だって! 大戦前に作ったかなり古いCMじゃないか! よくそんな古いの知って――そうか、確か君は春日部出身だったね」

「ま、そういうこと」

 

 その後2人は、しんのすけが言ってたCMソングを一緒に歌ったり、そこから歴代のCMやヒット商品について語り合った。その間に他の面々が自分の荷物をクルーザーに積み終え、黒沢がエンジンを掛けていつでも出発できる状態にした後も2人は盛り上がっていた。

 最終的にそれは、近くに停められた高級車から運転手が降りて潮に話し掛けるまで続いた。

 

「あの、そろそろ次の予定が……」

「何っ、もうそんな時間か。他のお友達も歓迎するよ、存分に楽しんでくれたまえ。私は残念ながらもう行かなければならないが、自分の家と思って寛いでくれたまえ」

 

 潮は早口でそう言うと、改めてしんのすけと挨拶を交わして車へと乗り込んでいった。すっかり彼と仲良くなったしんのすけが、大きく手を振ってそれを見送る。

 ちなみにそれを眺めていた達也は、潮が車の中で脱いだギリシャ帽を未練がましく見つめていたのがやけに印象的だった。「娘と船旅をした気分になりたかったんだろうな……」という達也の同情的な呟きは、誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「しんちゃん、父さんと随分仲良く話してたね」

「いやぁ、何だか話が弾んじゃいまして。思わず連絡先を交換しちゃったくらいだゾ」

「プライベートの電話番号を教えたってことは、本当にしんちゃんのことを気に入ったんだね」

「……いや、オラが好きなのは綺麗なお姉さんだから、おじさんはちょっと――」

「大丈夫、そういう意味じゃないから」

 

 しんのすけ達を乗せて、黒沢の運転するクルーザーが目的地へと進んでいく。クルーザーはとても広いだけでなく、スタビライザーと揺動吸収システムのおかげで船酔いの心配が無い。さらには空気抵抗や過剰な光線をカットするために、甲板全体が流線型の透明なドームで覆われているのでかなり快適である。

 優秀な操舵手のおかげで特に事故も起こらず、さらにはどこかの島から乗り込んできた猿に舵を乗っ取られることも無く、目的地の無人島・媒島(なこうどじま)に到着した。

 そして一行は荷物を黒沢に任せると、早々にビーチへと繰り出した。

 

 波打ち際では現在、女性陣が仲睦まじく遊んでいた。

 真っ先に目を惹くのは、派手な原色のワンピースタイプを着たエリカだった。そのシンプルなデザインは、彼女のスレンダーなプロポーションをさらに引き立たせている。

 その隣にいる深雪は、大きな花のデザインがプリントされたワンピースタイプ。女性らしさを増していくプロポーションを派手な絵柄で視覚的にぼかし、生々しさの無い妖精的な魅力を醸し出している。

 意外なのが美月で、水玉模様のセパレートタイプはビキニほど露出は少ないものの、大胆に胸元がカットされているせいで豊かな胸が強調され、いつもの大人しいイメージからは想像できない艶めかしさがある。

 そして彼女の隣にいるほのかは、同じくセパレートタイプながらワンショルダーにパレオでアシンメトリーに決めている。体のメリハリという観点からしたら、彼女が一番に挙げられるかもしれない。

 雫はそれとは対照的に、フリルを多用した少女らしいワンピースタイプだった。しかし表情に乏しい大人びた顔立ちの彼女がそれを着ると、やけに倒錯的な魅力が生まれるのはなぜだろうか。

 

 そんな彼女達を、波打ち際から離れた場所に立てたパラソルの下に腰を下ろした達也がぼんやりと眺めていた。一応水着は着用しているものの上着として七分袖のヨットパーカーを羽織る彼は、どうにも気まずい気分になったのかフイと横に目を逸らす。

 

「で、誰の水着姿が一番好みなの、達也くん?」

 

 手を伸ばせば普通に届くほどの距離に、いつの間にかしんのすけが座っていた。赤を基調としたド派手なトランクス型の水着(もちろんアクション仮面がプリントされている)を履く彼の体は、細身ながらも余分な脂肪の無い引き締まった体つきをしている。

 

「……しんのすけ、レオ達と一緒じゃなかったのか?」

「レオくんもミキくんも沖まで泳ぎに行っちゃったから、オラはここに残ったんだゾ。というか、達也くんは泳がないの? せっかく海に来たのに、海に入らないなんて勿体ないゾ」

「そうですよ、達也さん。パラソルの下にいるだけなんて!」

 

 ふいに聞こえたほのかの声に達也がそちらへ視線を向け、思わず声を出しそうになったのをすんでのところで止めた。

 先程の5人が、体を屈めて達也の顔を覗き込んでいた。普段ならともかく、水着姿でこの姿勢は些かならず問題だ。敢えて例を挙げるなら、腰を深く折って両手を膝に置く雫を見て、思っていたほど子供体型ではなかったのだな、と分かってしまうような感じだった。

 純粋な雫、無邪気に返事を待つ美月はともかく、その後ろでニヤニヤと笑みを浮かべるエリカとしんのすけをこのまま放置するのはまずい。明確な根拠は無いがそう感じた達也は、観念したように「そうだな、泳ぐか」と立ち上がった。

 

 そうしてパーカーを脱いで砂の上に落とした瞬間、達也を取り巻く空気が変わった。

 しまった、と達也が気づいたときには手遅れだった。

 

「達也くん、それって……」

 

 エリカが緊張で微かに震えた声をあげ、美月・ほのか・雫が彼女の言う“それ”に釘付けとなる。

 成人ほどのボリュームは無いが、達也の体は鍛え上げられて引き締まっていた。腹筋も胸筋もみっしりと重く固く、まるでルネサンス彫刻のようにはっきりと筋が刻まれている。

 しかし、刻まれているのは筋だけではなかった。

 彼の体には、幾つもの傷痕が刻まれていた。一番多いのが切り傷、それに匹敵するほどに多いのが刺し傷、そして所々に火傷の痕。骨折の痕は見当たらないが、それにしても尋常でない鍛えられ方をしなければこんな肉体にはならないだろう。それこそ、文字通り“血の滲むような”努力をしなければ。

 いや、この傷から察するに“血の滲む”程度では済まないだろう。拷問のような鍛錬を乗り越えなければ、ここまでの体にはなり得ない。それを分かってしまったからこそ、エリカ達は思わず表情を強張らせてしまったのだろう。

 

「すまない、見せられて気持ちの良いものじゃないな」

 

 達也はそう言って、先程脱ぎ捨てたばかりのパーカーを拾い――

 

「おぉっ、すごーい」

 

 上げようとしたそのとき、横から割り込んできたしんのすけが、達也の体に刻まれたその傷痕を触り始めた。切り傷を指で辿るようになぞり、刺し傷は指でツンツンと突っつき、火傷の跡はその感触を確かめるように掌を広げてペタペタと貼り付ける。

 そんな彼の無遠慮な行動に、エリカが顔を引き攣らせ、ほのかなど顔を青くしている。当の達也は若干困惑していながらも特に大きな反応を見せず、達也の代わりにパーカーを拾った深雪も兄の出方を窺うように静観を貫いている。

 

「ちょっとしんちゃん、何してんの!」

「凄いゾ、達也くん。まるでアクション仮面みたい」

「アクション仮面? その水着のキャラクターか?」

「そうそう。アクション仮面も色んな怪人と戦って、その度にたくさん怪我してるんだゾ。正義の味方として戦ってきた、謂わば“勲章”なんだゾ」

「勲章、か……」

 

 呟くようにしんのすけの言葉を繰り返す達也に、深雪がニコリと微笑んで口を開く。

 

「そうです、お兄様。この傷痕1つ1つが、お兄様が誰よりも強くあろうと努力された証であること、深雪は知っております。――そんな誇らしいお体を、どうか隠そうとなさらないでください」

「わ、私も気にしません!」

 

 若干辿々しく、そして頬を紅く染めながらであるが、ほのかが力強く深雪の言葉に賛同した。ヒュウ、とエリカが純粋な賞賛の意思を込めた口笛を吹き、その横で美月と雫も無言ながら力強く頷いている。

 ちなみにこの遣り取りの間、しんのすけはお構いなしに達也の体を触り続けていた。

 

「……しんのすけ、そろそろ触るのを止めてくれ」

「まぁまぁ、オラと達也くんの仲じゃな~い」

「いや、いくら親しいとはいえ普通こんなことしな――んぐっ」

「――――!」

 

 一瞬だけ言葉を詰まらせて体を跳ねさせた達也に、女性陣(特に深雪)が目を丸くして彼を見遣った。

 しんのすけへと向ける彼の目には、明らかな怒気が含まれていた。

 

「しんのすけ、そういえば4月の模擬戦の決着がまだ着いてなかったな」

「おぉっ、達也くんが怒ったゾ! 逃げろ~!」

 

 その瞬間にしんのすけがその場を逃げ出し、達也が猛然とそれを追い掛けていった。足を取られやすい砂場だというのに、2人共それを意に介すること無く走り去っていく。

 それを見送った深雪ら女性陣に、達也の体を見たときとは別の気まずい空気が流れていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 海でたっぷり体を動かして腹を空かした成長期の彼らに用意された夕食は、最高級の食材が取り揃えられたバーベキューだった。肉は綺麗にサシの入った霜降りだけでなく低温熟成された赤身も並べられ、野菜も有機栽培で育てられたこだわりの一品、さらには新鮮な海鮮類やパンなど細かいところも抜かりない完璧な布陣だ。

 そしてこれらの食材を最高の味に仕上げていくのは、すっかり彼らの世話役としてお馴染みとなった黒沢だった。9人分の肉や野菜を手際よく焼き上げ、ついでにしんのすけのナンパを軽く聞き流すその手腕は見事なもので、達也と女性陣の間に流れていた若干の気まずさもすっかり消え失せていた。ちなみにその原因を作った張本人であるしんのすけは、まったく気にする様子も無くレオとフードバトルを繰り広げていた。

 

 やがて腹も満たされ、まったりとした空気の中で9人は各々無人島でのバカンスを楽しんでいた。達也と幹比古は顔を突き合わせて将棋を指し、レオは「ちょっと散歩してくる」と言い残してフラッといなくなり、そして女性陣5人としんのすけはカードゲームに興じていた。

 その空気が変わったのは、そのカードゲームが美月の敗北で終わったときのこと。

 雫が立ち上がって、深雪の傍まで歩み寄る。

 

「深雪、少し外に出ない?」

「……良いわよ」

 

 戸惑いを見せたのはほんの一瞬だけで、深雪はニコリと笑うと椅子から立ち上がった。それを見て美月が「散歩だったら私も――」と言いかけるが、エリカが即座に「美月は罰ゲームがあるから駄目よ」とそれを阻む。

 そうして2人がいなくなってから、数分後。

 達也が10手詰めで幹比古を下したのを見計らったかのように、ほのかが達也の近くまで駆け寄った。

 

「あ、あの! 達也さん、一緒にお散歩しませんか?」

「……あぁ、良いよ」

 

 こちらは特に困惑を見せず、感情を隠すための微笑を浮かべて了承した。そのまま2人が散歩に出掛けたため、黒沢を入れて10人いたのが半分にまで減ったことになる。

 

「うーん、これは第一の殺人事件でも起きそうな雰囲気ですなぁ」

「もし殺されるとしたら、被害者は間違いなくレオね。それでこの場にいない4人が容疑者として疑われる、と」

「いやいや、分からないゾ。実はここにいる4人もそれぞれ席を立った時間があって、そのタイミングならレオくんを殺害することが可能だと判明するんだゾ」

「ちょっと2人共、そんな物騒なこと言わないでよ。実際に起こったらどうするの」

「柴田さん、その発言もなかなか物騒だと思うよ……」

 

 4人の会話を遮らないように黒沢がデザートのフルーツを4人分テーブルに置き、そして静かにその場を立ち去った。

 

「それにしても、いくら無人島とはいえこんな夜遅くに散歩は危なくないかな? それにこんな暗いと、せっかくの綺麗な景色が見られないよね?」

「何言ってんの、美月。レオはともかく、他の4人は本当に散歩が目的なわけないでしょ」

「えっ、そうなの?」

「そうよ。大方、ほのかが達也くんに告白したいって雫に相談して、だから雫が深雪をどこかに連れ出して邪魔しないように見張ってるってところね」

 

 したり顔で自身の推理を披露するエリカに、美月は若干頬を紅く染めて感心したように頷き、幹比古はどう反応したものか困ったように視線を逸らした。

 そして、しんのすけはというと

 

「んもう、美月ちゃんはお子様ですなぁ。オラくらいの大人になると、それくらいのことは少し見ればすぐに分かるんだゾ」

「確かにしんちゃんはこの中の誰よりも長生きだけど、ほとんど5歳児だったんでしょ? 恋愛経験とかあるの?」

「ほほう、オラという色男の恋愛遍歴を聞きたいと。まぁ、生まれて100年以上、今まで声を掛けてきたお姉さんは数知れず――」

「言っておくけど、単なるナンパは恋愛に入らないからね」

「ほい」

 

 エリカとしんのすけが会話する横で、美月と幹比古も彼の恋愛経験が気になる様子だった。深雪にすら靡かないほどに年上好きでマイペースな彼だから、というのもあるが、単純に100年以上生きてきたという事実だけでも興味をそそるには充分だろう。

 やがてエリカはテレビのリポーターを真似ているのか、右拳をマイクに見立ててしんのすけの口元へと近づけた。

 

「それじゃ、最初の質問! しんちゃんの初恋はいつですか!」

「そう、あれはオラが5歳の頃――」

「5歳って、具体的にはいつ?」

「えーっと、多分21世紀に入る前だったと思うゾ」

 

 それはまた随分と昔だな、と幹比古達が驚くのを尻目に、しんのすけの話は続く。

 

「オラの近所に住んでるななこさんが、オラの初恋なんだゾ。最初に会ったときは女子大生で、保育士さんを目指してたの」

「5歳の男の子が女子大生に恋するとか、微笑ましいじゃないの。どんな人?」

「すっごく綺麗で、しかも優しくてお淑やかなんだゾ。まさしく“大和撫子”って感じで、母ちゃんとは大違い。でも結構お茶目なところもあって、そこがまた可愛いんだゾ。ななこさんのお義父(とう)さん、いつもななこさんのことが心配で過保護になっちゃうんだゾ。まぁ、あれだけ美人な娘さんだと仕方ないけどねぇ」

 

 もしななこの父親である大原四十郎がこれを聞いていたら「君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無い!」と激怒していただろう。5歳のしんのすけに対して本気で警戒していたくらいだし、ここ最近は彼が結婚できる年齢に近づいてきたせいか余計にガードが固くなっているように思える。

 

「その人とは、どうなったんですか?」

「今でも“良好なお付き合い”を続けてるゾ。大学を卒業して、オラが通ってた幼稚園の先生をやってたんだけど、山梨の幼稚園にスカウトされて今はそっちに行ってるゾ」

「スカウト? 幼稚園の先生にそんなのがあるの?」

「ななこさんの働きぶりを見て、ぜひウチに来てほしいって思ったんだって。その頃にお義父さんがギックリ腰をやっちゃって、ちょうどどこかの田舎で療養しながら仕事したいって思ってたみたいで、だったら丁度良いかってことでスカウトを受けたんだって。うーん、お義父さん想いのななこさんも素敵だゾ」

「へぇ、ということは今は“遠距離恋愛”になってるってことか」

「でも素敵ですね、初恋の相手を一途に想い続けているだなんて」

 

 頬をほんのりと紅く染めて羨ましそうにそう言う美月に対し、

 

「おっ、えっと……」

 

 なぜかしんのすけは気まずそうな表情を浮かべ、視線を明後日の方へと飛ばしている。

 当然ながら、それを見逃すエリカではなかった。

 

「何々、その態度! もしかして、ななこさん以外にも好きになっちゃった人がいるとか!?」

「そ、そんなことは……、いや、無いことはないし、もちろんあのときはオラも本気だったけど、あくまで非常事態だったからななこさんとはまた違うっていうか、もしかしたらストックホルム何とか的なアレかも――」

「ええい、もう! 言い訳はいいから、早くアタシ達に話しなさい!」

 

 テレビのリポーターからタブロイド誌の記者にジョブチェンジしたエリカが、マイクを模している右手をしんのすけに押しつける勢いで近づけてきた。幹比古も美月もそんな彼女を責める素振りも無く、むしろ興味津々に身を乗り出して彼の発言を待っていた。

 やがて観念した様子で、しんのすけがポツポツと話し始める。

 

「――オラ、映画の世界に閉じ込められたことがあるんだけど」

「…………、はいっ?」

 

 しかしその話の内容は、冒頭の一文からエリカ達の理解の範疇外だった。

 

「そこは西部劇みたいな世界で、つばきちゃんはそこで悪い奴の所で働かされてたんだゾ。可愛くて控えめで出会ったばかりのオラにも優しくしてくれて、だからオラはつばきちゃんを助けて春日部に一緒に帰ろうって思ったんだゾ」

「…………」

「でも映画の世界から戻ったとき、そこにつばきちゃんはいなかったんだゾ。多分、つばきちゃんはオラ達と違って映画のキャラだったから、映画の世界から出られなかったんだと思う。――今考えたら、つばきちゃん、それを知ってたんじゃないかなって思うんだゾ。だけどオラが春日部に戻れるように、わざと黙ってたんだと思う」

「…………」

「結局あのときからつばきちゃんには会えてないけど、今でもつばきちゃんはオラの中で大切な思い出なんだゾ」

「…………」

 

 しんのすけの話が終わった後も、エリカ達は無言のまま互いに顔を見合わせていた。

 そして3人を代表して、エリカが問い掛ける。

 

「……えっと、それって夢の話?」

「失礼な! ちゃんと本当にあった出来事だゾ!」

「いや、そう言われても、映画の世界とかアタシ達には突拍子も無いっていうか――」

「別にいいも~ん。信じてもらわなくたって、つばきちゃんとの思い出は本物だも~ん」

 

 頬を膨らませてすっかり拗ねてしまった様子のしんのすけに、エリカも幹比古もどう話し掛けて良いものか図りかねていた。

 と、その2人よりも幾分か真剣な顔つきの美月が呼び掛ける。

 

「ねぇ、しんちゃん。もしその子が映画のキャラだって知ってたら、それでもしんちゃんは元の世界に帰りたいって思った?」

 

 もしそれが本当だと仮定したのだとしたら、美月の質問は随分と踏み込んだものだった。

 何となく真面目な表情でエリカと幹比古がそれを見守る中、

 

「――――さあ」

 

 しんのすけの回答は、普段の彼らしくない曖昧で投げやりなものだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 次の日は、早朝から30度を超える猛暑だった。

 

「達也さん! ジュース飲みませんか! 私取ってきますね!」

「達也さん! 雫がジェットスキーを貸してくれるみたいですよ! 一緒に乗りませんか!」

「達也さん! 沖にダイビングスポットがあるらしいです! 一緒に行きましょう!」

 

 刺すような日差しが照り返す白い砂浜で、達也の隣にピッタリと張りつくほのかの姿が見られた。ちなみに達也を挟んだ反対側には深雪の姿もあり、燦々と輝く真夏の太陽にも負けない熱い戦いを繰り広げていた。

 そんな3人の様子を、他の面々は若干の呆れを含む顔で遠巻きに眺めていた。美少女2人に囲まれる達也の姿に普通ならば嫉妬の1つでも沸き上がりそうなものだが、レオも幹比古もむしろ達也に同情する気持ちの方が強かった。

 

「おっ? エリカちゃん、ほのかちゃんの告白って成功したの?」

「ううん。告白自体は駄目だったけど、達也くんが他の誰かを好きになるまでは自分も好きなままでいるんだってさ」

「ほーほー、それはなかなか健気ですなぁ」

 

 ウンウンと腕を組んでそう言うしんのすけに、エリカが躊躇いがちに声を掛ける。

 

「……しんちゃん、昨日の話だけどさ」

「ん? 昨日の話って何だっけ?」

「好きな人の話。――映画の世界とかは正直よく分からなかったけど、そういやしんちゃんって本当はアタシ達よりもずっと年上のはずだったんだ、ってのを改めて思ってさ」

 

 しんのすけが生まれたのは、1985年。魔法師にとって“生ける伝説”とまで謳われる九島烈ですら21世紀生まれであることを考えると、そもそも今も生きているかどうかすら怪しいくらいの年代だ。

 それにも拘わらず、“サザエさん現象”という不可思議な時間のループによって長らく5歳児のままで現代魔法黎明期を過ごし、第三次世界大戦を乗り越え、こうして自分達の同級生として同じ学校に通っている。

 

「――アタシ、しんちゃんと出会えて、こうして一緒に旅行できて良かったと思ってる」

「オラも、エリカちゃん達とお知り合いになれて良かったと思ってるゾ」

 

 しんのすけの言葉に、エリカは「ありがと」と端的に答えた。

 騒がしい夏のビーチの片隅で交わされた、静かな遣り取りだった。




「もしもし、潮おじさん? ちょっと相談なんだけど」
『どうしたんだい、しんのすけくん? 私にできることなら何でも相談に乗るよ』
「アクション仮面のフィギュアが欲しくてバイトしようかなって思うんだけど、楽しくお仕事できるバイトって知らない?」
『ふむ、楽しくバイトか……。そしたら、私の会社が運営しているテーマパークがあるんだが、そこの警備スタッフというのはどうだい? 警備といっても大して事件があるような場所じゃないし、せいぜい迷子のお世話をするくらいじゃないかな?』
「おぉっ、楽しそうだゾ! そこにするゾ!」

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