夏休みも終わり、1学期の頃のように生徒会室でランチタイムに興じていた生徒会の面々(服部除く)と風紀委員である摩利・達也・しんのすけが、夏休みの思い出話で盛り上がっていた。とはいっても、その内容は家族との旅行話といった心温まる話などではない。
その話題はもっぱら“一夏のアバンチュール”だった。“
「パーカーをむりやり脱がされて」とか「もうちょっとムードが欲しかったのですが」とか「白けたので眠ってもらいました」とか、18禁までは行かなくとも15禁レベルに該当するであろう内容がポンポンと飛び出しているが、それを語る当の本人は至って平然としていた。真由美や摩利と比べると真面目な印象のあった彼女だが、やはりあの2人と対等に渡り合える時点で普通なはずがなかった。
などと関係の無いことを考えながら所在の悪さを誤魔化していた達也の耳に、真由美の感慨深げな独り言が届いた。
「それにしても、私達も今月で引退かぁ……」
「そういえば、会長選挙は今月でしたね」
「ええ。選挙は月末ですが、一応の体裁を整えるためにも、来週中には選挙公示をして諸々の準備に取り掛からなければいけません」
「体裁?」
鈴音の言葉に、達也が首を傾げた。
「立候補者が複数いれば選挙が行われますが、生徒会長になろうという生徒は限られていますので、結局は身内同士の争いとなるでしょうね」
「そうなんですか?」
「過去5年間、生徒会長は主席入学だった生徒が務めています。6年前は違いましたが、それでも生徒会役員でなかった生徒が会長になった例はありませんので、今回もまた中条さんと服部くんの一騎打ちとなるでしょう。そういうときは事前協議をして、どちらか1人に絞ることとなります」
「私は生徒会長なんて無理です! 立候補するつもりはありませんので!」
と、名指しされたあずさが拳を握り締めてそう力説した。まだ立候補すらしていない段階で目に涙を溜めていては確かに難しいだろうな、と達也は内心で納得する。
「そうすると、6年振りに主席入学以外の生徒会長となるな」
「おっ? あずさちゃんが1位だったの? てっきりはんぞーくんが1位だと思ってたゾ」
どうやらしんのすけにとっては、次の生徒会長が誰かよりもそちらの方が気になったようだ。彼の台詞はあずさに対して失礼にも聞こえるが、あずさ自身は気恥ずかしそうに俯くのみで気分を害した様子は無い。
「今でこそ服部の方がトップだが、2位の中条とはほとんど差は無いんだよな?」
「はい。理論は五十里くんが主席、中条さんが次席、服部くんが三席。実技は服部くんが主席、中条さんが僅差で次席となっています」
「あれっ? でもあずさちゃんって、九校戦では選手じゃなかったよね?」
「確かに成績でいえば花音とかよりも優秀なんだが、中条は細やかな技術力が持ち味だからな、スポーツ競技には不向きなんだよ」
「それにしても、次の会長ははんぞーくんかぁ……」
真由美のその言葉には、ありありと不満が滲み出ていた。確かに真由美と彼ではポリシーが違うので気持ちは分かるが、肝心のあずさ本人にやる気が無いのならば仕方ない。
と、そのとき、思わぬところから爆弾が放り込まれた。
「はんぞーくん、生徒会長には多分ならないゾ」
「えっ?」
しんのすけの言葉にあずさは絶望的な表情を、それ以外は驚きの表情を浮かべた。
「そうなのか、しんちゃん?」
「そうだゾ。はんぞーくん、克人くんに誘われて部活連の方に行くつもりなんだって。昨日一緒に話したときにそう言ってたゾ」
「……しんちゃんと服部、そういうことを話す仲になってたんだな。そっちの方が驚きなんだが」
「でも確かに、そっちの方が適任かもね。部活連の会頭は腕っ節が強くないと務まらないからね」
「そ、そんな……!」
すっかり顔を真っ青にしてガタガタと震えるあずさは、溺れる者が何かに縋ろうとするようにあちこちに視線をさ迷わせていた。
そして、藁どころか救命ボートを見つけた。
「み、深雪さん! 生徒会長になりませんか!」
「へっ?」
「ちょっと、あーちゃん?」
思わぬ言葉を掛けられた深雪は素っ頓狂な声をあげ、真由美は戸惑いの声を投げつける。
しかし、あずさは止まらなかった。
「深雪さんなら生徒達からの人望も厚いし、成績も申し分ありません! きっと立派に務められるでしょう!」
「あの、中条先輩……」
「そうですよ、それが良いです! 何も1年生が生徒会長になってはいけないって規則があるわけでもないですし、深雪さんはこの間の九校戦で本戦のミラージ・バットを優勝するという快挙を果たしています! 上級生にも強烈な印象を残していますし、間違いなく当選しますよ!」
「……いえ中条先輩、高校生の“実力”は魔法力だけでは計れないと思うのですが」
「問題ありません! 頭脳ならば達也くんがいるんですから! 生徒会長になれば、好きな生徒を役員に任命できますよ!」
「――お兄様、を?」
あずさの言葉に、深雪の気持ちが明らかに揺らいでいくのが分かった。
「そうです! 会長が一科生縛りのルールを排除すると仰っていますし、達也くんを二科生出身の生徒会役員第1号にしませんか!」
「お兄様が、生徒会役員に……」
自分の補佐として働く達也の姿を想像したのか、深雪は頬に手を当てて顔を紅くしながら身悶えていた。
当然ながら、達也が黙っているはずがない。
「中条先輩、いくら何でも……」
「だったら! 達也くんが生徒会長に立候補しますか!」
「おっ、それは面白そうだな」
あずさとしては自分に厄介事が降り掛かるのを回避できればそれで良いのだが、傍で聞いていた摩利が食いついてきた。
「深雪はともかく、俺が一定の票を集められるとは思えませんが……」
「でも達也くんは、九校戦優勝の立役者ですよ!」
「……百歩譲って貢献していたとしても、裏方の仕事なんて表から見ても分かりませんし、競技も1つしか出ていないんですから」
「そんなことないですよ! 達也くんの頑張りは代表選手のみんなにはしっかり伝わっていますし、あとは一般生徒に向けて宣伝すれば問題ありません!」
「いや、ですが――」
「深雪さんも! 生徒会長になった達也くんを見たくありませんか!」
「見たいです! お兄様が選挙に出られるなら、応援演説でもビラ配りでも何でもやります!」
「あんなに必死になってるあーちゃん、初めて見たわ……」
「深雪ちゃん、まんまと乗せられてるゾ」
形振り構わないあずさの姿、そして或る意味平常運転な深雪の姿に、真由美としんのすけは揃って困惑の表情を浮かべた。
* * *
「――なんて話があってな」
「ははは、そりゃまた災難だったな」
その日の放課後、風紀委員のパトロールを終えた達也としんのすけは、いつものように駅までの道中にある喫茶店“アイネブリーゼ”にて友人達とテーブルを囲んでいた。そしてコーヒーのお供として達也が生徒会室での一幕を話すと、レオが同情2割面白8割といった表情で笑い声をあげた。
「だけどさ、魔法科高校の生徒会長なんて如何にもステータスになりそうな仕事じゃないかい? 何てったって、全国に9つしか存在しない魔法科高校のトップなんだから」
幹比古の言う通り、1年間で9人しか就くことを許されない“魔法科高校の生徒会長”という役職は、魔法師の道を進む限りは生涯ついて回る肩書きだ。非公式ながら三等勲章にも匹敵する、とまで言われている。高校生の段階でこれだけの終身名誉を得られるとなれば、むしろ目の色を変えて快く引き受けるのが普通だろう。
もっともあずさの場合、だからこそその責任の重さに耐えきれず辞退を申し出てる、といったところだが。
「中条先輩としては、立候補の締切までに候補者が現れるのを祈るしかないって感じね」
「いや、実際の締切はもっと前らしい」
エリカの言葉に首を横に振って否定する達也に、しんのすけと深雪以外の全員が首を傾げる。
「できれば公示日までには、候補者の絞り込みをしたいそうだ。候補者が多すぎて収拾がつかなくなるのを防ぐためにな」
「候補者が多くいた方が、選挙としては健全なんじゃないですか?」
ほのかのもっともな質問に、達也は再び首を横に振った。
若干の苦々しい表情と共に。
「俺も最初はそう思って尋ねたんだが、生徒会長になろうという猛者達による魔法の撃ち合いを危惧してのことだそうだ」
「……いやいや、いくら何でもそんなことは――」
「4年前、“民主的で自由な選挙”を標榜した当時の生徒会選挙では、候補者とそのシンパ達による魔法の撃ち合いが頻繁に行われていたそうだ。そして重傷者が2桁に達した時点で、生徒会は“自由な選挙”の看板を下ろし、当時の副会長を次期会長に強く推薦したことでようやく事態が収拾したらしい」
「……どこの発展途上国だよ、魔法科高校は」
魔法という大きな力を持って完全な自制心を発揮できるほど高校生は大人ではない、ということだろうか。顔も見たことの無い先輩の愚行に対し、同じ魔法科高校生である彼らは情けない気持ちになって大きな溜息を吐いた。
「それで、結局生徒会長はどうするの? 深雪がなる?」
「いいえ、私は遠慮するわ。まだ私は人の上に立てるほどの人間ではないもの」
「昼間はあんなに乗り気だったのに?」
しんのすけのツッコミを、聞こえていないはずが無い深雪はニコリと笑うだけで無視した。時間が経って冷静になったのか、あるいは達也に諭されたか。
「なーんだ、それじゃ妹が生徒会長で兄が風紀委員長っていう絶対王政は無くなったのか」
「ちょっと待てエリカ、なんで俺が風紀委員長なんだ?」
「だって風紀委員長もそろそろ次を決めないといけないんでしょ? 達也くんだったら
「エリカちゃん、オラは?」
「しんちゃんって誰かに命令して自分は待機するよりは、むしろ誰かにフォローしてもらいながら自分から動き回るタイプでしょ。組織の長って柄じゃないわよ」
「いやぁ、照れますなぁ」
「……今のは、褒めているのかな?」
照れるしんのすけに美月が疑問を覚えている中、達也が話題を元に戻した。
「風紀委員長については、もうほぼ決定しているよ。2年生の千代田先輩だ。今日付で風紀委員の一員になって、俺が指導係を押しつけられた」
「今日のパトロールのときも、花音ちゃんと一緒だったんだゾ。喧嘩を見つけて嬉しそうに突っ込んで、達也くんに割と真剣に怒られてたけど」
「千代田先輩って、九校戦でピラーズ・ブレイクに出てた方ですよね?」
「元々入っていたわけじゃないのに自分の後釜にするなんて、渡辺先輩も随分千代田先輩を可愛がってるんだね」
美月と幹比古の言葉に釣られて、全員が花音を可愛がる(意味深)摩利の姿を想像した。2人共宝塚の男役にいても違和感の無い外見をしているので、その手の趣味を持つ人々からしたら何とも絵になる光景だろう。本人達が知ったら「何を不埒なことを考えているんだ!」と今にも襲い掛かりそうなほどに失礼な妄想だが。
「でもさ、生徒会役員から会長が選ばれるっていう不文律が根付いてるんだとしたら、このままだと候補者が現れないまま締切なんてことにならない? もしそうなったら、本当に深雪か達也くんが槍玉に挙げられると思うんだけど」
エリカの言葉を否定しようとした達也だが、残念ながらそれを否定するだけの根拠に乏しいことに気がついた。昼間にあずさが言った通り、1年生が生徒会長になれない決まりは無い。真由美と摩利の2人だったら「前例は作るものだ!」とか言ってノリノリで推薦してくるかもしれない。
「お兄様……?」
「……手を打たなくてはいけないか」
まるで反魔法組織の手先や国際犯罪シンジケートと対峙するかのような真剣な表情で、達也がそう呟いた。
* * *
そうして決意を固めた達也は深雪を引き連れて、あずさを“説得”した。
説得といっても、別に如何わしいことは何も無い。ただ単に、あずさが立候補しなければ“4年前の悲劇”が再来すると脅しを掛けたうえで、再来週に発売するFLTの飛行デバイスのモニター品を生徒会長就任祝いとしてプレゼントする、という飴と鞭の基本戦術に則っただけである。
しかしあずさにとっては効果
さて、そんなこんなで時間は巡り、9月も末に入った。まだまだ残暑の厳しい季節だが、肌寒く感じるときも増えていき、いよいよ秋の匂いを感じ始めてきた頃である。
「だからといって、校内の雰囲気も熱くならないというのは如何なものでしょうね……」
「達也くん、何の話?」
今日も今日とて生徒会室で昼食を摂っていた達也がふいに漏らした一言に、真由美が首を傾げて尋ねた。
「生徒会選挙のことですよ。いよいよ明日が生徒総会、そして生徒会選挙が控えているというのに、どうにも校内の盛り上がりに欠ける気がしまして。こういうときって、あちこちで論説やアピール合戦が行われるものと思っていたのですが……」
「そうか? 高校の選挙なんて、こんなものだと思っていたが」
摩利の言葉も確かに納得できるが、それでも達也にとっては物足りないという感想が正直なものだった。特に彼の正面に座るしんのすけなど、初めて参加する選挙というものに割と興味を抱いていたのに、まったく盛り上がらない光景を目の当たりにして見るからに退屈そうだった。
「まぁ、今回は残念ながらあーちゃん1人になっちゃったからねぇ……」
――なっちゃった? 仕向けた、の間違いではないのか?
のほほんとした笑顔を浮かべる真由美に、達也はそんな意地悪なことを考えてしまったが、わざわざ口にすることはなかった。たとえ彼女が対立候補となりそうな生徒を1人1人“説得”して回ってたとしても、自分には関係無いことだった。
ちなみに唯一の候補者であるあずさは、このような状況でも気を抜くことなく、わざわざ紙媒体に印刷した原稿を熱心に読み込んでいた。やはり事前に渡した“プレゼント”が効いたのだろう。彼女のような性格の場合、プレゼントを先延ばしにするよりも先渡しでプレッシャーを与える方がテンションを持続させやすいのである。
「でもまぁ、明日は投票前の立会演説もあるし、それなりに盛り上がるんじゃないかしら?」
「問題があるとすれば、その前に行われる生徒総会の方でしょうね」
今まで無言だった鈴音の言葉に、その場にいた全員が納得した。
明日の生徒総会にて、真由美は春の臨時集会で宣言した“生徒会役員一科生限定廃止案”を議題にするつもりだった。春の時点では雰囲気に呑まれて表立った反対者は見られなかったが、それでも心情的な反発を覚えている生徒は少なくない、とこの場にいる(しんのすけ以外の)全員が考えている。
「あれだけ大見得切ったんだからな、今更引っ込めることはできないぞ」
「あら摩利、今更引っ込めるつもりはないわよ?」
「もしかしたら暴走する方も出てくるかと懸念していましたが、杞憂だったようですね」
「はははっ。我が校の生徒に、この女に闇討ちしようなんて命知らずはいないさ」
「摩利、女の子相手にひどいんじゃない? ねぇ、深雪さんもそう思わない?」
「えっ? あはは……」
「おぉっ、絵に描いたような愛想笑い」
しんのすけの指摘に深雪が頬を僅かに紅く染めて彼を睨みつけ、部屋の中は暖かい笑い声に包まれる。
しかし、その空気を再び冷やしたのは達也だった。
「ですが、やはり用心に越したことはないですよ。一部の生徒が会長の提案を潰そうと画策し、しかしそれがほとんど功を奏していない、という噂は聞いているでしょう?」
「確かに、そういった話も聞かなくは無いが……」
「向こうとしても、残された期間は今日と明日だけですからね。念の為、今日はお1人にならない方が良いかと」
「もしかして、何か掴んでるのか?」
「それが分かっていれば、却って安心なのですが」
考えすぎだとは思いますけどね、と言って達也は軽く笑ってこの話題を打ち切った。
それが単なるポーズでしかないことは、誰の目から見ても明白だった。
「3人共、今から話があるんだが、本部に来てくれないか?」
昼休みも残り僅かとなり教室に戻ろうとしていた達也たちを呼び止めたのは、摩利だった。
「俺は大丈夫です。深雪達は?」
「私達も、午後は一般科目なので多少は遅れても平気です」
「えぇっ? せっかくのお昼寝タイムだったのに――」
「平気です」
しんのすけの言葉をむりやり断ち切った深雪に、摩利は「すまない、ついてきてくれ」と歩き出した。しんのすけもついて来る辺り、本気で不満には思っていないのだろう。そうして4人は、生徒会室を通れば近道なのにわざわざ廊下を歩いて階段を降りて本部へとやって来た。
半年前とは比べ物にならないほどに片づけられた本部にて、4人はこれまた半年前には無かった応接セットに座った。司波兄妹は並んで摩利と向かい合わせに、しんのすけは摩利の隣である。
「相談したいのは、真由美のことだ。実はアタシも、達也くんと同じ懸念を抱いている」
「委員長も、反対派が大人しすぎると?」
「ああ。あまりこういうことは考えたくないんだが、平和的な裏工作が上手くいかず暴力的な手段に出る奴が出てくるんじゃないか、というのは充分警戒すべきだと思う」
「えぇっ? 考え過ぎじゃないの、摩利ちゃん?」
否定的な意見を口にするしんのすけに、摩利は暗い表情のまま「だったら良いんだが……」と言うのみだった。
「真由美は人が良いというかお嬢様育ちというか、他人の“悪意”に疎いところがあってな。“窮鼠猫を噛む”という心情も、おそらくアイツには理解できないだろう。さっきの達也くんの話も、あまり真面目に受け取っていないようだしな」
「ですが渡辺先輩、会長には“マルチスコープ”があるのではないですか?」
「確かにそれで周囲を警戒していれば、アイツが闇討ちに遭うなんてことはないだろう。だがそのためには“周囲を警戒する”という行動が必要だ。“マルチスコープ”は常にスタンバイ状態の能力ではないからな」
埒のない話だな、と摩利は一旦話題を切り替えると、改めて3人に向き直った。
「君達3人に頼みたいのは、今日は真由美と一緒に帰ってくれないだろうか?」
「真由美ちゃんと一緒に家まで行けば良いの?」
「いや、別に家までは――いや、その方が良いだろうな。学校にいる間は大丈夫だろう。常に取り巻きがいるし、生徒会室には私や市原も服部もいる。一番気になるのは下校時なんだ。あいつはなぜか、学校の外では取り巻きを近づけさせないんだ」
摩利にはその理由は思い至らなかったが、達也には理解ができた。十師族の直系ともなれば政治的な目的で誘拐を企む者がいてもおかしくないし、単純にお金持ちのお嬢様というだけで誘拐する理由になる。もしそうなったとき、無関係の人間が巻き込まれるのを極力防いでいるのだろう。
「こういう時期でなければ服部に頼むところなんだが、アイツは部活連の方で忙しくしててな。それに達也くんの
「お任せください、兄でしたら間違いありません」
扇動の意図を多分に含んだ摩利の問い掛けに、深雪がまんまと乗っかってしまった。そのせいで、達也は先程から胸に抱いていた疑問を口にすることができなかった。
と、思いきや、
「ところで、摩利ちゃんは一緒に帰らないの?」
しんのすけの何気ない一言に、摩利の表情が一瞬引き攣った。
「摩利ちゃん、真由美ちゃんが心配なんでしょ? だったら一緒に帰れば良いゾ」
「い、いや、別に心配しているわけじゃないぞ? ただこの時期にアイツに怪我をされるとこっちが困るというか、そもそもアイツは自分が狙われているという自覚があるのにどこか危なっかしいというか――」
「成程、ツンデレってヤツですな」
「し、しんちゃん? 別にアタシはそういう意味で言ったんじゃ――」
再び顔を紅くして弁明する摩利の姿に、達也と深雪は互いに顔を見合わせてフッと笑った。
そして、その放課後。
「真由美ちゃん。誰かに襲われないか摩利ちゃんが心配してたから、今日一緒に帰っても良い?」
「ちょっ、しんちゃん!?」
摩利の思惑は、しんのすけの一言によって色々とぶち壊された。
とはいえ、摩利の意思を慮って3人と一緒に下校することを真由美が了承したので、結果オーライといったところだろう。
生徒会室を後にするときの、ニヤニヤと人の悪い笑みを摩利に向ける真由美と、顔を真っ赤にして口を引き結んでそれを無視する摩利の光景が印象的だった。
* * *
レオやエリカ達と連れ立って下校するのが一番多いが、風紀委員の仕事が長引いたときには達也・深雪・しんのすけの3人で一緒に下校することも少なくない。
しかし、その3人に加えて上級生の真由美と一緒に帰るのは、今回が初めてだった。
「そういえば達也くん、最近地下に籠もってることが多いよね。何してるの?」
「地下の資料庫のことか? “賢者の石”に関する古式魔法の文献を探しててな」
「賢者の石? ハ●ー・ポッターに出てくるヤツ? 誰か復活させるの?」
「……誰かを復活させるんじゃなく、“個人的な研究”に役立てないか模索していてな」
「それはまた、随分とマニアックというか専門的な調べ物ね」
「才能の不足を道具で補えないか、と思いまして」
「いや、“術式解体”を使える魔法師が何言ってるのよ。達也くん、あなたは普通の優等生なんて目じゃない実績を残してるんだから、あんまり自分を卑下してると一科生からも二科生からも嫉妬されちゃうわよ」
「自分では自虐してるつもりは無いんですが……」
初めての組み合わせではあったが、会話は意外なほどに弾んでいた。おそらくしんのすけが(無意識で)積極的に話題を提供しているおかげだろう。襲撃者に対しての警備という物騒な事情を抱えてはいるものの、少なくとも4人の間ではそれを感じさせない軽い雰囲気に包まれていた。
と、ふいに真由美が思い出したように3人へと顔を向けた。
「あっ、そうそう。3人共、家まで付き合わなくても駅までで大丈夫だからね。駅にボディーガードを待たせてるから」
「やはり、そういった方々がいるのですね」
七草家は四葉家と並んで、十師族結成当時から一度も枠外に落ちたことの無い名門だ。むしろそういった者を付けていない方が不自然だろう。
「なんで駅で待たせてるの? 一緒に学校から帰れば良いじゃない」
「……通学路でボディーガードを引き連れているのは、さすがに恥ずかしいじゃない?」
「そう? あいちゃんなんて、幼稚園の頃から黒磯さんが運転する車で送り迎えしてもらってたゾ。遊びに行くときも普通に黒磯さんが一緒だったし」
「うーん、私はそこまで開き直ることはできないわね……」
「ところで会長、なぜそれを教えてくださるんですか?」
深雪の疑問は、達也も気になるところだった。おそらく摩利も知らなかったであろうことを考えると、できれば隠し通しておきたかったことと思われる。
すると真由美は、少しだけ考える素振りを見せて、
「3人には、教えても良いかなって思えたの」
「それは、なぜ?」
「あなた達3人は、きっと私にとって“特別”な存在だから」
はにかんだ表情で答える真由美の姿に、達也は「失敗したかな……」と予感した。
主に、自分の感情を誤魔化すという点で。
「去年の秋に生徒会長になって、最初の半年もそれなりに充実してたけど、この半年は私にとって本当に充実した時間だったの。――そしてそれはきっと、3人のおかげだと思うのよ」
「……過大評価だと思いますが」
「おぉっ、達也くん照れてますな」
しんのすけの指摘に、達也はキッと彼を睨みつけた。頬を紅く染めるようなことは無かったが、それでも普段の彼からしたら内心がバレバレな態度に、真由美も思わずコロコロと笑い出した。
やがてそれが落ち着いた頃、真由美は晴々とした顔で3人に向き直る。
「あーちゃんもはんぞーくんもとっても良い子達だけど、あなた達3人はきっと、私の高校時代一番の思い出になる素敵な後輩だから」
「いやぁ、照れますなぁ」
真由美の言葉に返事ができたのは、しんのすけだけだった。
達也は絶句してしまったし、深雪に至っては耳まで真っ赤に染まっている。
そんな彼らの反応に、真由美は実に満足げだった。
駅に到着した4人を出迎えたのは、50代半ばほどの老紳士・
ボディーガードというよりは執事、あるいは爺やにも見える彼だが、背筋はピンと伸びて細身ながら引き締まった体をしたその姿はまさしく“現役”であり、その身のこなしは礼儀正しさというオブラートに包まれてはいるが、軍務経験者、それも制服組としてそれなりの地位にあったことを窺わせるものだった。もっとも、それに気づいたのは達也くらいであるが。
そんな名倉が達也たちと軽い自己紹介を交わしたのを見届けた真由美は3人と別れ、ロータリーに停めてあった高級車に乗り込んだ。名倉が運転手を務める高級車は自動運転のコミューターをどんどん追い抜いていくが、彼の卓越した運転技術によって真由美にはほとんど揺れが伝わらない。
だからこそ彼女は、考え事に集中することができた。
名倉が自分の名字を口にしたとき、ほんの一瞬だけ、達也の目に動揺が走った。もし真由美が全注意力を3人に向けていなかったら、おそらく気づかなかったであろうほどに微かな変化だった。
――おそらく達也くんは、名倉さんが“
エクストラ・ナンバーズ。略して“エクストラ”とも呼ばれるそれは、魔法師の一族の中でも“数字”を剥奪された者達を指す。
時に反逆の罪で、時に重大な任務失敗で、時に無能の烙印で。かつて魔法師が“兵器”であり“実験体”であった頃に、成功例として数字を与えられながら成功例に相応しい成果を出せなかったと見做された証である。
今では“数字落ち”という名称自体が公式に使用することが禁じられ、それを理由に差別的扱いをすることは魔法師のコミュニティにおいて重大な非違行為とされている。しかし“数字落ち”に対する差別は、依然として魔法師社会に居座り続けているのが現状だ。自分達が“数字落ち”であることをひた隠しにしているためにその子供がその事実に気づいていない、ということも珍しくないほどに、彼らを“欠陥品”だの“失敗作”と見做す偏見が魔法師の無意識に刷り込まれている。
そんな名倉を七草家が雇い入れている理由を、真由美は知らない。何事に対しても体面を重んじる七草が長女の護衛という本家にごく近い役職に“数字落ち”を採用するとは考えづらいが、逆に体面を重んじるからこそ差別的処遇をしないという建前論を重視していると考えることもできる。
しかし今の真由美にとって重要なのは、達也が七草や十文字と同じくらいに現代魔法の“闇”に通じていることだ。あの兄妹に出会うまで“司波”という名字は聞いたことも無かったが、ただの無名な魔法師がそこまで知識があるとは思えない。
――いや、それを言うなら、深雪さんの方だって普通じゃないわ。
真由美は今まで、あんな美少女を見たことが無かった。
腕も脚も不健康に見えないギリギリのバランスでスラリと細く長く、ウエストは細く締まり、それでいて胸と腰回りは女性らしい曲線を描いている。何より彼女の体は、驚くほどに左右対称だ。『魔法資質の高い人間ほど骨格が左右対称になる傾向がある』と言われているが、そうなると彼女の魔法資質は十師族を含めたとしても最高峰に位置すると考えられ、実際に学校での成績がそれを単なる妄想でないと裏付けている。
そんな普通じゃない兄妹を生み出した、司波家。
司波。シ波。四波。
もしかしたら、彼らもまた“数字落ち”なのではないだろうか。
「お嬢様」
真由美が思考に没頭できるほどに無言を貫いていた名倉が、ふいに彼女へと話し掛けた。
「どうしましたか、名倉さん?」
「先程お会いした、野原しんのすけ様のことでありますが」
名倉が口に出したのは、真由美が考えていた達也でも深雪でもない、第三の人物だった。
「お嬢様は普段から、彼と学校で親しくされているのでしょうか?」
「あら? 名倉さんがそのようなことを尋ねるのは珍しいですね」
「不躾な質問であることは、重々承知しております。しかしお嬢様の交友関係については、弘一様も憂慮されていることでして」
「憂慮? ハッキリ言ったらどうかしら? ――『野原しんのすけとは関わるな』って」
真由美の言葉に、名倉は黙り込んで返事をしなかった。つまり、否定の言葉は無かった。
「お父様が彼に対してどのような感情を抱いていても、それで私の行動が制限される謂れはありません。その代わり、私からもそれに関して特に何も申し上げることはありませんので」
「……かしこまりました」
名倉はそれだけ口にして、以降は再び無言を貫いた。
真由美もそれに合わせたため、車内で再び会話が交わされることは無かった。