論文の校内提出まで残り3日に迫ったその日の夜、達也は自宅の地下にあるワークステーションでデータ処理をしていた。このワークステーションはおおよそ一般家庭が持つものではない、どこかの企業か公営機関かと見紛うほどに立派な設備が整っており、司波兄妹(時々しんのすけ)が使うCADの整備やデータ処理はこの部屋で行われる、いわばこの家の心臓部のようなものである。
そんなワークステーションのホームサーバーが、執拗なまでに何度もアタックを受けていた。同時に複数の経路をアタックするその手口はどう見てもプロの仕業であり、そうなるとここのサーバーを最初から狙い撃ちしていると考える方が自然だ。
――何度撃退されても、まったく諦めようとしない……。狙いは論文コンペの資料か、それとも勾玉の解析データか……。
とりあえずこのアドレスはもう使えないな、と達也は溜息を吐きながら逆探知プログラムを立ち上げた。
* * *
次の日、昼休み。
達也は一高のカウンセリング・ルームを訪れ、部屋の主である遥に自分の悩みを相談していた。
「――ですが途中で接続を切られてしまいましてね、結局攻撃元は掴めませんでした」
しかし彼のような人間が世間一般の学生が持つ思春期特有の悩みを抱えるはずも無く、その相談内容は昨夜に起きたサーバーアタックについてだった。
そしてそれを聞く遥の表情は、実に迷惑そうに歪められていた。カウンセラーとしてあるまじき態度だが、達也との過去の遣り取りを考えれば一概に彼女だけを責めることはできないだろう。
「……それで? 私はネットワークチェイスなんてできないわよ」
「分かっていますよ、先生の得意分野くらい。そこまで手間を取らせるつもりはありません」
「それじゃ、何?」
あからさまな疑いの目を向ける遥に、達也は白々しい愛想笑いを浮かべて、
「最近、魔法関係の秘密情報売買に手を出してる組織について、ご存知の範囲だけでも教えてもらえませんか?」
「……達也くん。私にも守秘義務があることくらい知ってるわよね?」
「無論です。何なら、報酬をお支払い致しますよ?」
「……あのね達也くん、私がお金欲しさで何でもやる女だと思ったら大間違いよ?」
「えぇ、存じています」
眉1つ動かさずにじっと遥を見つめ続ける達也に、遥は大きく溜息を吐いた。
そして、観念したように口を開いた。
「……先月末から今月の初めにかけて、横浜や横須賀で相次いで密入国事件が起こってるわ」
「密入国? やはり……」
「やはり? 心当たりがあるの?」
「いいえ、こちらの話ですので。それで、そいつらの正体については?」
「県警と湾岸警備が合同で捜査してるんだけど、結果は芳しくないみたいね。それと時期を同じくして、マクシミリアンやローゼンに部品を納入しているメーカーが相次いで盗難に遭ってるわ」
「つまり、魔法機器の製造に関わりのある企業が狙われているということですか」
「そいつらがやったって決まったわけじゃないけどね。――達也くん、論文の提出はオンラインじゃなくてメディアに入れて持ってった方が良いわよ」
最後のその言葉だけは、余計な感情が一切入っていないように思えた。真意を確認しようとした達也だったが、遥は彼に背中を向けてデスクに座ってしまった。これ以上は話せないという意思表示であり、達也もその辺りは引き際を弁えているのでそれ以上は訊かなかった。
「報酬については、先日教えてもらった口座で宜しいですか?」
「別にいいわよ、これくらい」
「そうですか、ありがとうございます」
達也は「失礼します」と軽く頭を下げて、部屋を後にした。
『成程、横浜での密入国に魔法機器メーカーの盗難騒ぎか……。確かに関連はありそうね』
「捜査の手助けになるかは分かりませんが、お伝えした方が良いかと思いまして」
『いやいや、助かったわよ達也くん。正直、手掛かりが掴めなくて困ってたところだし』
周りに
『ありがとう、参考になったわ。早速、横浜に行って調べてみるわ』
「大丈夫なのですか? 1人では調べるのにも限界があるでしょう?」
『ヘーキヘーキ。横浜にも知ってる情報屋は何人かいるし、1人の方が気楽にできるってモンよ。――つっても、上司に有給を申請したら「連絡は逐一入れろ」とか言われちゃったんだけどね。ったく、こっちは名目上とはいえ休暇中だってのに』
ぐちぐちと文句を零すよねに、達也は黙ってそれを聞きながら訝しげな表情を浮かべた。確かに彼女の上司の命令は、個人的な捜査のために有給を取ることが分かっていたとしても不思議だ。あるいはそんなに信用が無いのだろうか、などと失礼極まることさえ考えていた。
『とりあえず、横浜の密入国者を中心に調べてみることにするわ。また何かそっちで分かったら連絡ちょうだい』
「お手間を掛けます」
『良いってことよ。それじゃ』
一通り愚痴を言って満足したよねが電話を切り、達也も携帯端末をポケットにしまって午後の授業へと向かった。
* * *
そして、その日の放課後。
風紀委員本部にて、達也は五十里を相手に昨夜の不正アクセスの件を報告していた。ちなみにその場にはしんのすけもいるのだが、話の内容が理解できないのか、あるいはそもそも興味が無いのか、携帯端末を取り出してゲームに熱中していた。
「えっ! ホームサーバーにクラッカーが?」
「はい。幸いなことに、被害はありませんでしたが。――五十里先輩の方は、何事もありませんでしたか?」
「僕の方は何も無かったけど……。その口振りからすると、やっぱりコンペ絡みなのかな?」
「狙っていたのは魔法理論に関する文書ファイルのようでしたし、時期的に考えてもその可能性が高いかと」
実際にはレリック絡みの可能性の方が高いのだが、そこまで馬鹿正直に答える必要も無い。それにコンペ絡みの可能性も充分に存在する以上、後で鈴音にもこの話をして警戒してもらう必要があるだろう。
と、そのとき、
「啓、お待たせー!」
ばんっ! とドアが開かれ、入口から勢いよく走ってきた花音がそのまま五十里に抱きついてきた。「会いたかったよー」と体を擦り寄せる花音に、五十里は口では落ち着くように諭してはいるが満更でもなさそうで、僅かながら表情を崩しているのが分かった。
「まったく、花音は相変わらずだな」
そして達也が考えていたことと同じ台詞を吐きながら部屋に入ってきたのは、風紀委員長の任を退いてからすっかり顔を合わせることが少なくなった摩利だった。とはいえ、最後に会ったのが10日ほど前と考えると、果たしてその表現が適切かどうかは疑問の余地が残るが。
「おぉっ、摩利ちゃん。お久しブリブリー」
「久し振りだな、しんちゃん。新しい風紀委員長の仕事ぶりはどうだい?」
「凄い頑張ってるゾ。摩利ちゃんよりも物を捨てるの早いし」
後半のしんのすけの言葉は、摩利と花音のどちらにも深く突き刺さった。摩利は整理整頓をせずに本部をゴミ屋敷一歩手前に追い込んだことを、花音は必要なものまで捨ててしまい風紀委員総出で捜索に当たらせてしまったことを気にしているようだ。
「それで渡辺先輩、用事は何でしょうか?」
達也が本題へと促すと、摩利は気分を変えるように大きく咳払いをした。
「論文コンペの警備について、少し相談があってな」
「おぉっ。そういえば風紀委員がするんだっけ? 休日手当とか出る?」
「出るわけないだろ。警備といっても、会場は魔法協会がプロを手配するから、チームメンバーの身辺警護とか資料や機器の見張り番だよ。コンペには“魔法大学関係者以外非公開”の資料も使われているからな、だから時々産学スパイの標的になることがあるんだ」
摩利の説明に、達也と五十里が揃って顔を見合わせた。つい先程まで、まさにその件で話をしていたからだ。
「……例えば、ホームサーバーをクラックするとか、ですか?」
「いやいや、そこまで本格的なものじゃない。所詮はチンピラの小遣い稼ぎレベルで、置き引きや引ったくりくらいだ。とはいえ、警戒するに越したことはないな。4年前には、会場に向かうプレゼンターが襲われて怪我をした例もある」
確かに、現代ではネット内での情報窃取は強盗よりも重い罰が科せられている。データの改竄に至っては殺人未遂レベルだ。そんな重いリスクを背負って、わざわざ高校生の論文を盗み出そうなんて奇特な輩はそうそう現れないだろう。
「当校でも護衛がつけられていて、毎年風紀委員と部活連執行部から選ばれている。だが具体的に誰が誰を護衛するのかについては、本人の意思が尊重されるけどな」
「もちろん、啓はあたしが守るからね!」
花音は当然とばかりにそう言って五十里に抱きつき、彼もそれを拒否しなかった。ここは決まりだろう。
「ちなみに市原には、服部と桐原がつくことになっている」
「部活連会頭が自らですか。それはまた……」
若干棒読み気味に聞こえる達也の言葉に、摩利は「あいつは市原に頭が上がらないからな」と人の悪い笑みを浮かべて答えた。
「平河については同性の方が本人も良いだろうからそれで見繕うとして、問題は達也くんだな。君は補佐とはいえほぼ代表みたいなものだから護衛を付けるのに異存は無いが、下手に護衛を付けると却って足手纏いになりかねんだろ。だから普段から風紀委員の活動で一緒になるしんちゃんが適役だと思うんだが、しんちゃんはそれで良いか?」
「やれやれ、仕方ありませんなぁ」
発言はともかく本人から了承の返事が出たことで、達也の護衛役はしんのすけに決まった。もっとも摩利の言う通り、その辺のチンピラが襲ってきたところで達也1人で返り討ちにできるだろう。もしかしたらしんのすけも、それを分かったうえで了承したのかもしれない。
「よし、これでメンバーは決まったな。服部にはアタシから伝えておくとしよう」
「――あれっ? そういえば、なんで摩利ちゃんが動いてるの? 摩利ちゃんはもう引退したんだから、花音ちゃんがやるものなんじゃないの?」
「へっ? いや、別に深い意味は無いというか……」
言葉を詰まらせしどろもどろになる摩利に、達也は軽く眉を上げてみせた。
過保護ですね、という彼の無言のメッセージは伝わったらしく、摩利は頬を紅く染めて決まり悪くそっぽを向いた。
部屋を退出する摩利を見送った達也たちは、コンペに使用する3Dプロジェクター用の記録フィルムの買い出しに出掛けた。いつもなら校内の売店でも売っているのだが、たまたま今日に限って切らしていたために外の商店街まで足を運ぶことにしたのである。
「わざわざ先輩達についてきてもらわなくても、自分達だけで大丈夫でしたが……」
「いや、2人に任せきりじゃ悪いよ。僕も自分の目でサンプルを見ておきたいし」
「……そうですか」
道のりを半分ほど過ぎてから達也が声を掛けたのは、言葉通りの意味以上に所構わずイチャイチャする2人(花音が一方的に迫っているだけに見えるが、それを止めようとしない五十里にも責任はある)を見ていられないから、という理由が強いのだが、達也はこれ以上何も言わずに大人しく歩みを進めることにした。
「啓くんと花音ちゃんって、いつも仲が良いよね」
と思った矢先、しんのすけが何の躊躇いも無く踏み込んできた。
「そりゃあ啓は格好良くて強くて頭も良くて性格も良いからね! もし許嫁じゃなかったとしても、啓以外と結婚なんて考えられないもんね!」
制服を変えるだけで“背の高い中性的な美少女”になる五十里を格好良いと表現するのは些か珍しいが、価値観は人それぞれだからと達也は口を挟むことはなかった。というより、挟みたくなかった。というより、人目も憚らず大騒ぎする彼女達とは他人のフリをしていたかった。
というわけで達也が一切の無言を貫いている内に、目的地の商店街へと辿り着いた。
基本的に達也は目的の買い物を済ませるとさっさと帰宅するタイプだが、花音は五十里と一緒に出かけると意味も無く時間を費やすタイプだ。なので必然的に達也としんのすけは、花音達が出てくるのを店の外で待つ形となっている。
そうして5分ほど経った頃、唐突にしんのすけがキョロキョロと辺りを見渡し始めた。
「どうした、しんのすけ?」
「えっ? いやぁ、誰かに見られてるような気がして……」
「奇遇だな、俺もだ。――後ろ30メートルの曲がり角、分かるか? なるべく後ろは見るな」
最後の忠告にしんのすけは一瞬戸惑う素振りを見せるが、すぐに携帯端末を取り出して暇を潰すフリをしながらカメラモードで後ろの様子を確認する。
「おぉっ、いたいた。女の子だゾ、制服を着てるから一高生かな?」
「断言はできないな。制服だって手に入れようと思えばできなくもないから――」
「あっ、というか千秋ちゃんじゃん」
「何っ、知ってるのか?」
「うん。1年G組の、平河千秋ちゃんだゾ。廊下で何回か話したことあるから憶えてるゾ」
同じ1年生とはいえ一科生と二科生が廊下で立ち話をするというのは、こと第一高校においては珍しい光景だ。そんな些事を気にしないしんのすけはともかく、むしろ向こうの方が戸惑ったのではないだろうか。
「……ん? 平河? ということは、代表の平河先輩の妹さんか?」
「おぉっ、そういえばそうだね。なんであんな所にいるんだろ? 帰りかな?」
「……どうだろうな。あまり良い気はしないが、即座に取り締まらなければいけないほど切迫した状況でもなし」
「いやぁ、まさかオラに惚れてストーカーになってしまうとは……。モテる男は辛いゾ」
「それは絶対に無いな」
達也の容赦無いツッコミにしんのすけが「あふん」と撃沈したところで、五十里と花音が店から出てきた。花音の機嫌がやけに良いのは、五十里と一緒に買い物ができたからだろう。
「お待たせ。ごめんね、遅くなっちゃって――2人共、何かあったの?」
「あっ、啓くん。えっとね、さっきからあそこでオラ達のことを見てる子がいて――」
「何それ、スパイってこと!?」
しんのすけの言葉に割り込んで、花音が大声でそう叫んだ。
それはわざわざ犯人に対して逃げろと言っているのと同じであり、案の定こちらを盗み見ていた視線が外れて気配が遠ざかっていく。
「――あいつか!」
しかし、さすが摩利の後釜に選ばれるだけあって花音はすぐさま怪しい人物の姿に気づくと、陸上部のスプリンターとして鳴らしている脚力を存分に活かしてそいつを追い掛け始めた。
「花音! 魔法は――」
「分かってる! アタシを信用しなさい!」
五十里にそう呼び掛けてスピードをグンと早めた花音は、逃げていく小柄な人物の後ろ姿を視界に捉えた。自分と同じ第一高校の制服を着た少女の姿に花音は意外感を覚えて目を見開くも、すぐに気持ちを切り替えてさらにスピードを上げる。
あと10メートル、となったところで、逃走している彼女が肩越しにこちらを振り返った。ゴーグルもマスクもしていないその顔を目に焼き付けようと、花音は彼女の顔を凝視した。
その結果、花音は気づくのが遅れた。
その少女が後ろ手にカプセルを放り投げていたことを。
花音がそれに気づいて咄嗟に腕で顔を庇った次の瞬間、カプセルから強烈な閃光が
花音が何とかギリギリで難を逃れた右目で見遣ると、少女はスクーターに乗って逃走を図ろうとしているところだった。逃がすものか、と花音はスクーターの接している地面に向かってお得意の“地雷原”を繰り出そうとする。
しかしそれは、背後から飛んできたサイオンの銃弾によって起動式を破壊されることで未遂に終わった。
「何をするの、達也くん!」
花音はサイオンの銃弾を放った張本人・達也を睨みつけ、すぐさま少女へと視線を戻した。
しかし少女は、先程の場所から少しも動いていなかった。いや、本人はアクセルを全開にしているのだが、タイヤが空回りして前に進まないのである。花音がハッとして五十里の方を向くと、彼はほっと胸を撫で下ろしたような表情でCADを構えていた。
放出系魔法
タイヤと地面の境目にある電子の分布を操作してクーロン力を斥力に偏倚させることで、擬似的に摩擦力をゼロにする魔法である。複合的にジャイロ力を増幅する魔法と併用することで、スクーターは倒れることすらできずにその場を走り続ける。
あとはゆっくり彼女を捕まえるだけ、と誰もが思った次の瞬間、
ぼんっ――!
スクーターのシートが突如爆発し、2連装のロケットエンジンが火を噴き出した。弾き飛ばされるように急発進するスクーターに、少女は体を仰け反らせながらもハンドルから手を離すことはなかった。おそらく、手に嵌めているグローブに何らかの細工を施していたのだろう。
「……何考えてるのよ、あの子」
みるみる小さくなっていく少女の後ろ姿を見送りながら、花音は呆然とした表情で呟いた。五十里も達也も、口にはしなかったものの完全に彼女に同意だった。
あれだけの時間燃焼していられることから考えると、万が一転倒した拍子に引火した場合、通行人を巻き込んで派手に爆死していただろう。そもそも転ばずにまっすぐ走れたこと自体奇跡のようなもので、もしもジャイロ力を増幅させる魔法を使用していなかったら、前輪の摩擦係数が限りなくゼロに近づいていなかったら、急発進の加速でハンドルを取られて転倒して大惨事である。
「お互いに運が良かった、ってことかな……」
自分が死と隣り合わせな状態だったことに気づき、五十里は自然と体を震わせていた。
と、一足早くショックから立ち直った花音がハッとした表情を浮かべ、
「そういえばさっきの子、一高の制服を着てた!」
「うん、オラと同じ1年の千秋ちゃんだゾ」
「でかした、しんちゃん! こうなったら早速――」
「問い詰めたところで、『追い掛けられたから思わず逃げただけ』と白を切られますよ」
やる気満々だった花音の出鼻を挫く達也に、彼女はギロリと不機嫌そうに彼を睨みつける。
「何を言ってるの、達也くん! もしかしたらスパイとしてアタシ達に探りを入れてたのかもしれないのよ!」
「明確な証拠が無い以上、それは単なる憶測に過ぎません」
「それじゃ達也くんは、このまま見過ごせって言うの!?」
「いいえ、そうではありません。彼女の姉である平河先輩に『妹さんがこちらを監視していたように見えたので事情を窺おうとしたら、改造スクーターで危険走行をしてまで逃走した』と伝えれば良いんです。家族から注意が入れば、大抵は治まるでしょう」
「もし治まらなかったら?」
しんのすけが尋ねる横で、花音がウンウンと力強く頷いていた。
そんな2人を同時に視界に収めながら、達也はハッキリと言い放つ。
「もし次に何か決定的な行動を取れば、そのときに問い詰めれば良い」
「……まぁ、それで良いわ」
一応は納得したのか、花音は悔しそうにそう吐き捨てた。
そんな婚約者の姿に、五十里が苦笑いを浮かべていた。
* * *
東京の池袋にある古いビルの一室、表向きは雑貨貿易商ということになっているそこは、旧式のモニターがびっしりと並び、男達が食い入るようにそれを見つめていた。そのモニターの内の1つには、先程達也たちから必死に逃げていた少女の姿がある。
そして彼女を眺めていたリーダー格の男が、後ろに立つ大柄な若者に渋い表情で問い掛けた。
「あの小娘は大丈夫なのか?」
「彼女を手配したのは
「あの若造の仲介か。どこまで信用して良いか……」
男はこのアジトを用意した青年の顔を思い浮かべながら、忌々しげに呟いた。気に食わないが信用するしかない、というのが男の本音だろう。
「例のレリックの方はどうなっている?」
「フォア・リーブス・テクノロジー社から持ち出された形跡はありませんが、現所在は不明です」
「……ふん、
「
「ふん、虎の威を借る、とやらか……」
如何にも子供騙しだ、とでも言いたげに男は鼻を鳴らすが、その効果はけっして否定できなかった。現に自分達は、こうして四葉の影に怯えながら余分な時間と労力を浪費させられている。男の声色には、それに対する苛立ちが確かに含まれていた。
「――司波小百合が訪れたあの家については?」
「あの家には、夫の連れ子が住んでいるそうです。名前は兄が司波達也、その妹が司波深雪」
「義理の子供の機嫌取りにでも行ったというところか。下らない」
男はそう吐き捨て、次の質問へと移り――
「その子供の家から、例の瓊勾玉の反応があった」
部屋の隅から発せられたその声に、というよりもその内容に、リーダー格の男と大柄な若者が同時にそちらへと顔を向けた。
そこには古いビルの一室には似つかわしくない高級なソファーがL字型に置かれ、そこには浅黒い肌をした金髪碧眼の男が座っていた。リーダー格の男に立つ若者と同じくらいの背丈だが、筋肉量がそこまであるわけではなく細身の印象を受ける。
そんな男の目の前に置かれたテーブルには、この時代には珍しい紙印刷の地図がいっぱいに広げられ、男はそこに目線を落としている。
「司波小百合がその子供にレリックを押しつけたというのか?」
「状況的に考えれば、そういうことになるだろう」
「……奴の家にハッキングは仕掛けたか?」
「是。しかし結局入り込めず、逆探知を仕掛けられそうになったので諦めました」
「……あの女、命の危険に晒され、少しでもその可能性を排除したくなったか」
リーダー格の男も大柄な若者も、達也の家にレリックが存在していることを前提で話を進めている。どちらも先程の男になぜそれが分かるのか尋ねないし、その信憑性を疑う素振りも無い。
「その兄妹の素性は?」
「どちらも魔法大学付属第一高校の1年生です」
「成程、魔法大学付属高校か……」
男はそこで黙り込み、思案する。その時間、10秒ほど。
「魔法大学付属第一高校を活動対象に追加。必要ならば人員を割いても構わんが、慎重に取り掛かれ。それと小娘に対する支援も強化、情報漏洩が最も効果的な報復になると
そこで初めて、男は後ろへと顔を向けた。
「
「是」
大柄な若者にそう命令し、男は静かに立ち上がって部屋を出た。
若者は頭を下げてそれを見送り、ソファーの男は一切そちらに目を向けること無く、テーブルに広げられた地図をジッと見つめていた。
「本部長、資料室の東松山が有給を申請した件はご存知ですか?」
「あぁ、私の耳にも届いているよ。……近々、大きな捕り物があるかもしれない。いつでも出られるよう、準備をしておくように」
「はっ!」