嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第52話「怪しい人達がいっぱいだゾ」

 今日は論文の原稿とプレゼン用データの提出日。とはいえ代表の3人も達也もギリギリまで原稿をチェックする主義ではなく、提出用データは昨日の内に既に仕上げている。遥のアドバイス通り原稿は物理メディアに記録しており、昼休みに4人で集まって最後の点検をすると、メインである鈴音が代表して廿楽の所へと持って行った。

 それを終えた達也が教室に戻ると、彼の席にはエリカが座っていた。彼が戻ってきたことに気づいたエリカはすぐさま立ち上がるが、そのまま達也のテーブルの隅に腰掛けるのを見て、彼は何か言いたげに口を歪め、結局何も言わなかった。

 

「達也くん、美月が話したいことあるって」

「美月が? どうした?」

 

 達也が隣の席の美月へと視線を向けると、確かに彼女は不安そうな表情をしていた。というより、何かを怖がっているように見える。

 

「えっと……、視線を感じるんです」

「視線?」

「そう……。今朝からずっと、何だか物陰からこっちを見ているような気味の悪い感じで……」

「ストーカーの類か?」

「そんな! 私をストーカーする人なんて! ――何て言うか、個人の誰かを狙ってるっていうよりも、もっと大きな網を構えているような……」

 

 美月の言葉に、達也の目がスッと細められた。

 

「すみません、私の勘違いかもしれないけど……」

「いや、勘違いじゃないよ。今朝から校内の精霊が不自然に騒いでいる。多分誰かが式を打っているんだろう」

 

 自信なさげな美月をフォローするように現れた幹比古に、今まで黙っていたレオが口を開く。

 

「シキっていうのは、式神とかいうスピリチュアル・ビーイングか?」

「そう。僕達とは術式が違うから詳しいことは分からないけど、誰かが探りを入れてることは間違いない」

「でもそれって、珍しくないんじゃないの? 魔法科高校なんて、スパイにとっちゃ格好の標的だろうし」

「確かにそうだけど、普通なら外壁の防御魔法に阻まれたらその日は諦めるような輩ばかりだ。何度撃退されてもしつこく攻めてくるほど執拗なのは、少なくとも僕が入学してからは初めてだよ」

 

 エリカの言葉をやんわりと、しかしハッキリと否定した幹比古に、達也が尋ねる。

 

「幹比古、自分達と違う術式と言ったな? それは神道系とは違うという意味か? それとも()()()()()()()()()()()という意味か?」

 

 達也のその問い掛けに、幹比古は表情を引き締めて答えた。

 

「……日本の術式じゃない、と思う」

「つまりそれって、外国のスパイってことか?」

「そういうことでしょうね。――まったく、“警察”は何をしてるのかしら?」

 

 目を丸くして驚くレオの隣で、エリカは溜息混じりで憤りを顕わにする。しかしそれは警察組織全体に対する憤りというよりは、誰か特定の人物に対するそれに感じられた。

 ほんの僅かなその違和感に、達也と幹比古が不思議そうに首を傾げた。

 

 

 *         *         *

 

 

 密入国したと思われる外国人の行方を捜査する千葉寿和警部と稲垣警部補の2人は、横浜の山手の丘を歩いていた。つい先程まで横浜港埠頭近くの地域で聞き込み調査をしていたのだが、その結果が芳しくないため千葉の薦めで移動している最中である。

 

「警部、どこに向かってるんですか? こんな所に来ても、目撃者なんて出るとは思えないんですけど」

「いや、目撃者はいるんだ。ただ喋ろうとしないだけでね。だったらここは1つ考え方を変えて、蛇の道は蛇よろしく“蛇の巣穴”に飛び込んでみようと思ってな」

「……まさか警部、裏取引でもしようっていうんですか? 違法捜査ですよ」

「そんなこと言ってられる状況かい?」

「……まぁ、そうですが」

 

 渋々といった様子で頷く稲垣を連れて千葉がやって来たのは、山小屋風のデザインをした落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。全開になっている観音開きの鎧戸から、芳醇なコーヒーの香りが漂ってくるのが分かる。

 

「……警部、休憩が悪いとは言いませんが、今から“蛇の巣穴”に行こうってときに――」

「いいや、ここがその“蛇の巣穴”だよ」

「えっ? ということは、ここはもしかして――」

「いや、別にここのマスターは犯罪歴とかは無いよ。ただ普通の人より“情報網”が広いだけで」

「……我々に尻尾を掴ませないほどの大物、ということですか?」

「大物と言うより、職人だけどね」

 

 千葉は呑気にそう言って、“ロッテルバルト”と書かれた扉を開いて中へと入った。

 ランチタイムは過ぎているが、結構客は入っていた。観光地が近くにあるからかとも思ったが、店内に賑わいは無く、静かにカップを傾ける年配者が多い。おそらく観光客よりも常連客の方が多いのだろう。

 2人がカウンター席の端に座ると、千葉がブレンドを2つ注文した。

 

「警部、話を聞き出さなくて良いんですか?」

「まぁまぁ、そう焦らない。ここのマスターはどちらの仕事にも手を抜かない職人気質でね、ああしてコーヒーが出来るまでは何を訊いても答えちゃくれないよ」

 

 本当にコーヒーを飲みに来ただけなのでは、と疑うほどにリラックスした雰囲気の千葉に、稲垣は疑いの目を向けながらもそれに従うことにした。しかし落ち着きは無く、先程からそわそわと店内を見渡している。

 と、2つ隣の席に飲みかけのコーヒーカップが置いてあるのを見つけた。カップを下げてないところを見るに中座しているだけなのだろうが、せっかくのコーヒーが冷めたら台無しじゃないか、とお節介な思考が稲垣の脳裏を過ぎる。

 

「……ったく、ちょっと定時報告に遅れただけで怒鳴るなっつーの」

 

 するとそんな稲垣の思考が届いたかのように、店の奥(おそらくトイレだろう)から戻ってきた女性がその席に着いた。黒いタンクトップの上から緑色のフライトジャケットを羽織り、ショートパンツから少し日焼けした長い脚を惜しげも無く剥き出しにしたワイルドな出で立ちをしている。癖のあるブラウンの長髪も相まって、それはまさしく古い洋画にでも出てきそうな女性刑事の姿そのものだ。

 そして彼女は見た目に違わぬワイルドな動作でカップの置かれた席にどっかりと座り、カウンターにその身を投げ出した。

 

「ははっ、随分と怒られたみたいだね」

「――――!」

 

 と、コーヒーを作っている最中だったマスターが親しげにその女性に話し掛け、そんなマスターに千葉が秘かに目を見開いていた。彼の反応を見るに、どうやらかなり珍しいことなのだろう。

 しかし女性の方はそんなことを気にする素振りも無く、

 

「本当よ! まったく、アタシのことを資料室に押し込んどいて、こういうときだけ上司面して色々言ってくるとか……。あれは部下に嫌われるタイプね」

「まぁまぁ、そう言わないであげなよ。つまりそれだけ、よねちゃんに期待してるってことじゃないかな」

「ちょっとマスター、アタシのことはグロリアって呼んでって言ってるでしょ」

「すまないね、横文字は苦手なんだ」

「“ロッテルバルト”なんて店名付けておいて!?」

 

 気の置けない関係性が垣間見えるその遣り取りは、彼女がこの店にやって来たのが1回や2回程度ではないことが窺えた。俺でもあんなに親しく話したこと無いのに、と内心悔しがっている千葉に対し、その異常性をよく知らない稲垣は何と無しにそれを眺めているだけである。

 やがて、よね(本人曰くグロリア)と呼ばれた女性がカップに残ったコーヒーを一気に煽って立ち上がる。

 

「それじゃマスター、そろそろ行くわ」

「そうかい、久し振りに会えて良かった。また来てくれると嬉しいよ」

「アタシのことをグロリアって呼んでくれるようになったらまた来るわ」

「そうか、君ともここでお別れなんだね……」

「そこまでして呼びたくない!?」

 

 プンプンという擬態語でも付きそうな不機嫌さで、よねは店を後に――

 

「待ってください!」

 

 突然店内に響いた大声に、入口へと足を伸ばしかけていたよね、コーヒーをカップに注ごうとしていたマスター、そして驚愕で目を見開く稲垣が一斉に声のした方へと振り向いた。

 席から立ち上がった千葉が、真剣な顔つきでよねへとまっすぐ視線を向けていた。

 

「警察省の千葉寿和といいます。刑事の方ですよね? 少しお話をお伺いしたいのですが」

「……はぁ」

 

 突然の申し出に、よねは訳も分からず気の抜けた声を返すしか無かった。

 

 

 *         *         *

 

 

 校門でA組の深雪・ほのか・雫・しんのすけの4人と合流して、総勢9人となった達也たちは駅までの短い道のりを一緒に歩き始めた。達也が代表補佐に選ばれてから9人全員で一緒に帰る機会はめっきり減っていたためか、特にレオとエリカ辺りが浮き足立っているように見える。

 

「それで達也さん、論文コンペの準備はもう終わったんですか?」

「一段落、といったところかな。リハーサルとか模型作りとかデモ用術式の調整とか、細々としたものはまだ残ってるけど」

「そういえば、美月のところで模型作りを手伝ってるんだっけ?」

「うん。中心となってるのは2年の先輩だから、私は何もしてないけど……」

「模型作りは五十里先輩に任せっきりだからな。自然とそうなるんだろう」

「ん? じゃあ、達也は何してるんだ?」

「俺はデモ用術式の調整だ」

 

 達也の答えに、雫がコテンと首を傾げる。

 

「普通、逆じゃない?」

「そうか? 物作りに関しては俺よりも五十里先輩の方が数段上だと思うが――」

「まぁ確かに、啓先輩は“魔法使い”っていうより“錬金術師”のイメージだよねぇ」

 

 エリカの発言に真っ先に反応したのは、しんのすけだった。

 

「ほーほー。それじゃ達也くんは何になるかな?」

「ん? 俺か?」

「そりゃ、マッドサイエンティストでしょ」

「それはちょっと、世界観が違わない?」

「それじゃ、山奥で秘術を伝授してくれる賢者とか?」

「賢者っつーには、武闘派な気がするけどな」

「じゃあいっそのこと、世界征服を企む悪の魔法使いとか!」

「だったらもう、魔王とかで良くない?」

「達也くらいになれば、主人公と一緒に魔王を倒した後に『実は俺が真の魔王だったのだー!』って立ち塞がる真の黒幕くらいは普通にやりそうだよな」

 

 言いたい放題な友人達を前に、達也はさすがに顔をしかめて頭に手を遣っていた。

 

「おまえ達の中で、俺はどんなイメージなんだ……」

「おっ? もしかして達也くん、アクション仮面みたいなヒーローになりたいとか?」

「……いや、俺は正義の味方なんて柄じゃないしな」

「いいえ、お兄様! 力こそが正義です! お兄様の歩いた大地に、正義の道ができるのです!」

「うわ、さすが魔王様の妹」

「とりあえず深雪ちゃんは、魔王のために自ら進んで命を投げ出す側近役ね」

「――ちょっと、エリカにしんちゃん!」

 

 深雪が2人を追い掛けて、皆が笑い声をあげる。そんな如何にも学生らしく賑やかに騒ぐこの時間を、達也はとても好ましく思っていた。存外俺も“普通の学生”に憧れを抱いていたのかもな、などと考えてフッと思わず笑みを零す。

 だからこそ、その時間を邪魔する無粋な輩が気になって仕方がなかった。

 

「みんな、ちょっとここに寄ってかないか?」

 

 そう言って達也が指差したのは、喫茶店“アイネブリーゼ”だった。

 

「さんせーい!」

「達也はまた明日から忙しくなりそうだしな」

「そうだね。少しお茶でも飲んでいこうか」

 

 エリカとレオと幹比古が積極的に賛同し、それに釣られるように他の面々も賛同を示した。

 約1名を除いて。

 

「いや、オラは家に帰ってアクション仮面を観ないと――」

「そんなの携帯端末でも観られるでしょ。はいお1人様追加でーす!」

 

 

 

 

 中に入った9人は、いつものようにカウンターとテーブルに分かれて座った。しんのすけ・達也・深雪・美月・ほのかの順でカウンター、残りのエリカ・レオ・幹比古・雫の4人がテーブル席となっている。つまりしんのすけのおかげで、達也が女の子を侍らせるハーレム野郎に見えることは辛うじて避けられた。

 舌の肥えた達也や深雪も通うだけあって、この店のコーヒーはなかなかの物だ。なのでここにいる全員がコーヒーを注文する――かと思いきや、しんのすけだけはいつもココアやメロンソーダなど甘い物を注文する。たまに気紛れでコーヒーを飲むこともあるが、結局は角砂糖を幾つも投入することになる。

 

「おっ。ここってナポリタンもあるんだ、頼んでみよっかな?」

「しんちゃん、ナポリタン好きなの?」

「ちょっと前にお店で食べてから、マイブームなんだよねぇ」

 

 そう言ってコーヒーを作るマスターに追加注文するしんのすけに、エリカが「確かにそういうのってあるわよねぇ」と呟いた。まさかそのお店というのがニューハーフパブで、しかもそこに達也も同席していたなど考えにも及ばないだろう。

 そうして8人分のコーヒーと1人分のメロンソーダをお供に、達也たちは会話を再開した。内容はもちろん、論文コンペについてである。

 

「へぇ、達也くんが代表に選ばれたのか。凄いじゃないか」

 

 ナポリタンを運んできたマスターが、そのまま会話に加わった。

 

「今年は確か横浜だったかな? 会場がいつも通り国際会議場なら、その近くに僕の実家があるんだよ。実家も喫茶店をやっててね、山手の丘の中程にある“ロッテルバルト”って店なんだが」

「実家も喫茶店なんですか」

「時間があったら寄ってみてよ。親父と僕のコーヒーどっちが美味いか、忌憚のない意見を聞かせてくれると嬉しいな」

「おおっ! マスターったら、商売上手ですなぁ!」

 

 しんのすけのからかいに、カウンターとテーブル席から笑い声が起こった。

 そうやって会話も進み、達也のコーヒーが残り3分の1にまで減ったとき、エリカがクイッとコーヒーを一気飲みしてカップをソーサーに置いた。少しも音をたてていないところに、彼女の育ちの良さが滲み出ている。

 そして彼女は、スッと立ち上がった。

 

「どうしたの、エリカちゃん?」

「ちょっとお花を摘みに」

 

 彼女が店の奥に消えたのとほぼ同時、今度はレオがポケットに手を入れたまま立ち上がった。

 

「わりぃ、電話だ」

 

 そのまま店の入口へと消えていくレオの背中を見送って、達也は幹比古の手元に注目した。メモ帳というより小さめのスケッチブックを広げて、何やら幾何学的な模様を描いている。

 

「幹比古、何してるんだ?」

「ん? いや、忘れない内にメモしておこうと思ってね」

「そうか。――あまりやり過ぎるなよ」

 

 苦笑いを浮かべる幹比古を尻目に、達也は何事も無かったかのようにコーヒーを口につけた。

 

「……しんのすけは、何をやってるんだ?」

「ガムシロップを何個積み上げられるかチャレンジしてる。今30個目だゾ」

「いや、地味に凄いな」 

 

 

 

 

 喫茶店から数軒挟んだ所にあるその小道は、昼間でも人通りがほとんど無い。

 そんな小道に、テイクアウトの飲み物を片手に建物の壁に身を預ける1人の男がいた。休息にしては真剣な顔つきであり、その視線は喫茶店の入口に固定されている。

 と、そのとき、

 

「おじさん、あたしとイイコトしない?」

 

 後ろから突然声を掛けられ、男は思わず飲み物を落としそうになるのを寸前で堪え、ゆっくりと後ろを振り返った。

 そこにいたのは、先程店に入った高校生グループの中にいた、“美少女”と呼ぶことに何の躊躇いも必要ないポニーテールの少女だった。男は即座に脳内の記憶にアクセスし、彼女が周囲の友人にエリカと呼ばれていたことを思い出す。

 入口から出た形跡は無いから店の裏口から回り込んだのか、と男は思いながら口を開いた。

 

「大人をからかうもんじゃない。今日はもう帰りなさい。こんな人通りの少ない場所にいたら、通り魔に襲われてしまうぞ?」

「通り魔ってのは、例えば俺みたいな奴のことか?」

 

 背後から聞こえてきた少年の声に、男はバッと後ろを振り返った。

 そこにいたのは、エリカと同じくあのグループの中にいた少年(名前は確かレオだ)だった。彼は闘志を顕わにした獰猛な笑みを浮かべて、黒い手袋を嵌めた拳を掌に打ちつけている。

 ジャキンッ、と背後で音がしたので男が振り返ってみると、エリカの右手には伸縮警棒が握られていた。

 

「助けてくれ! 強盗だ!」

 

 次の瞬間、男は大声でそう叫びながらその場を逃げ出そうとした。少女相手に随分と情けないが、武器を携帯しているとなれば気の弱い男ならばそんな反応をしても仕方がないだろう。

 もっとも、レオもエリカも戦闘態勢を崩すことは無かったが。

 

「無駄よ。ここら辺には結界が張ってあるから、誰もここには近づけないし声も届かない。あたし達の“認識”を要にして作り上げてるから、あたし達を気絶させない限りここから脱出できないよ」

「――チッ」

 

 男が舌打ちをしたその瞬間、男はエリカとの距離を一気に詰めて拳を鋭く突き出した。普通の人間だったら反応することすらままならない攻撃を、エリカはスッと体を僅かに移動させることで難なく避けた。

 そしてその隙に、レオが背後から彼に襲い掛かる。男は即座に反応して振り返ると、彼の拳を片腕だけで受け止めた。互いの袖口が高速で擦れ、摩擦熱で一時的に高温となる。

 

「……あまり怪我をさせたくなかったのだが、仕方がない」

 

 男はそう呟くと空いていた左手を握りしめてレオに向けた。レオは咄嗟に腕でガードをするも、そこからは男による一方的なラッシュとなった。1秒間に何発も繰り出される拳に、レオは反撃もままならずガードするに留まっている。

 やがてそのガードも度重なる攻撃で緩くなり、とうとうガードを突き抜けた男の拳がレオの顔面を捉えた。パァン! とまるでゴム風船でも破裂したかのような音を響かせて、レオの体が後ろに吹っ飛んで建物の壁に激突した。

 

「レオ!」

 

 思わず名前を叫ぶエリカに、男は振り向きざまにダガーナイフを投げつけていた。遠心力を利用した高速のナイフが、まっすぐエリカへと突っ込んでくる。

 しかしそれは、エリカが内側から外側へ払った警棒によって阻まれた。男が僅かに驚いたような表情を浮かべる。

 すると、

 

「おらぁっ!」

 

 先程吹っ飛ばしたはずのレオが、男にショルダータックルをお見舞いした。背中にモロに食らった男は、その勢いのまま顔面を地面に激突させる。痛みで顔をしかめる男だったが、不利な状況と判断したのか即座にその場から逃走しようと体を僅かに起こした。

 そして次の瞬間、レオの蹴りが男の腹部に深々と突き刺さった。目や鼻や口から液体を垂れ流すほどの衝撃を受けた男は、そのまま地面に蹲って激しく咳き込んでいる。

 

「……おー、いってぇ。こいつ、ただの人間じゃねぇな? 機械仕掛けってわけでもなさそうだし、ケミカル強化ってところか」

「いや、そういうあんたこそ、あんな攻撃受けといてなんでピンピンしてるのよ」

「俺の爺ちゃんは“研究所育ち”だったからな。俺も4分の1はそれを受け継いでるってことさ」

 

 エリカとレオがそんな軽口を叩いていると、男が咳き込みながらも立ち上がった。

 

「……まったく、降参だ。そもそも私は君達の敵ではないのに、こんな所で死んでは割に合わん」

「よく言うぜ。あんたの攻撃、俺とこいつじゃなかったら死んでるぜ」

「それはお互い様だ。私じゃなかったら、あの蹴りで内臓が破裂しているぞ」

「そりゃ、強化されてるって思っててやったからな」

 

 一切悪びれる様子の無いレオに、男は深い溜息を吐いた。

 

「んで、俺達の敵じゃないっていうなら、あんたは何者なんだよ」

「……私の名前は、ジロー・マーシャル。いかなる国の政府機関にも所属していないし、先程も言った通り君達と敵対するつもりもない」

「何の目的で、あたし達を尾行していたの?」

「…………」

「おい、まさかこの状況でだんまりを決め込むつもりじゃねぇだろうな?」

「……分かった。機密情報に抵触しない範囲で話そう。――私の仕事は“或る人物”とその周辺を監視して、何かしらの“異変”が起こったときは依頼主に報告、場合によっては対処することだ」

「或る人物? それって誰のことだよ?」

 

 レオの質問に、ジローは答えなかった。知らないフリをしているのではなく、それを伝えても良いか迷っているといった感じだった。

 

「おい、自分が今どういう状況か分かんねぇのか? もう一度蹴り飛ばしても良いんだぜ?」

「……良いだろう、教えてやる。――野原しんのすけだ」

「――――!」

 

 ジローの口から飛び出した名前は、レオを驚愕させるのには充分すぎた。正直なところ名前が挙がるとすれば達也辺りかもしれないと考えていた彼にとって、その答えは些か不意討ちだった。

 

「……おい、テキトーなこと言ってんじゃねぇだろうな?」

「残念ながら、これが真実だよ。君達が普段仲良くしているあの少年に、世界中の有力者が注目している。賞賛の言葉でもって彼の活躍を歓迎する者、数奇な人生を歩む彼に無知ゆえの羨望と興味を抱く者、その名声と功績に嫉妬の炎を燃え上がらせる者、そして稀代の英雄たる彼の存在に憎悪と呪詛をぶつける者――。そのリアクションは様々だが、誰もが彼に目を離せないでいるという点では同じことだ」

「おい、てめぇ。嘘をつくにしてももっとマシな――」

「レオ、多分本当よ。少なくとも、コイツは嘘をついていない」

 

 今にも掴み掛かりそうな雰囲気のレオに対し、エリカは冷静な声で彼の肩を掴んで止めた。レオが反論しようと彼女へと顔を向けたが、彼女があまりにも真剣な表情を浮かべていたせいでレオの勢いも萎んでいく。

 その代わり、レオはジローへと向き直り、こう尋ねた。

 

「……仮にてめぇの言ってることが本当だとして、なんでおまえの依頼主はそんなことをしてるんだ? 少なくとも、この国の関係者じゃないんだろ?」

「……やはり、君達には分からないか。世界情勢というのは、一国だけの問題ではない。遠い異国の地で起こった出来事が、連鎖的に自分達を巻き込む大事件に発展する可能性は常に存在する。――成程、確かに彼の活躍は第三者の立場からしたら実に痛快だろう。だが当事者の立場ではそうもいかない。更にそれが彼と敵対する立場だとしたら、考えただけでも恐ろしいよ」

 

 ジローの言葉を聞くレオの目は、最後まで懐疑的なそれから抜け出すことは無かった。

 別にジローとしても、彼にそれを信じさせようとも思っていなかった。

 その証拠に、彼は含みのある笑みを浮かべて右腕をスッとエリカへ向けた。掌に隠れるほどに小さな拳銃が、まっすぐ彼女へと向けられている。

 

「君達は納得できないだろうが、私にとってはこれでも話し過ぎた方だ。そういうわけで、そろそろ帰してもらおうか」

「てめぇ……」

「おっと、動かないでくれよ。それとも、君達の魔法構築スピードは私が引き金を引くよりも早いのかね?」

「――ミキ」

 

 エリカが何も無い空間に呼び掛けた瞬間、彼らを取り巻く空間が僅かに揺れた。幹比古が張っていた結界が解かれたのだろう。

 

「最後に1つ、君達に助言をしておこう。彼と関わりを持つ限り、君達に平穏が訪れることは無い。つまり、君達の身の安全は保障されないものと考えてくれたまえ」

 

 ジローは最後にそう言い残して、ジャケットの裏から取り出した缶のようなものを投げつけた。

 レオとエリカが後ろへ跳び退いたのと同時、軽い爆発音を起こして缶から白い煙が吹き出した。毒を警戒して口や鼻を押さえていた2人がそれを解いたときには、ジローの姿はすでにどこかへと消え失せていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 横浜・山手の喫茶店“ロッテルバルト”の駐車場。

 そこに停まっている車には、ハンドルが無かった。特段それは珍しいことではなく、パームレスト型のコントローラーで操作するタイプの車では、運転席前のダッシュボードがすべてコンソールパネルに取って代わられている。

 カスタム次第では家庭用の情報端末レベルの機能と使い勝手をそのまま持ち込むことも可能だが、その車には更にそこから数段飛ばしで高性能の情報端末機能がこれでもかと詰め込まれていた。そこに車の持ち主が持つ“魔法技能”が加われば、もはや“電子戦車”と呼んでも差し支えない電子戦能力を発揮することができる。

 

「『達也くん』のお友達、『吉田幹比古』……。吉田家の元・神童が一皮剥けたみたいだけど、もうちょっと街中ってことに気を配ってほしいところね」

 

 その車の持ち主・藤林響子は、明確な意図をもってそんな独り言を口にしていた。名前は実体の象徴であり、実体を特定する鍵となる。自分と精神的に近しい人間を基点として固有名詞・状態・行動を口にすることで、魔法を行使する対象に焦点を合わせていく。

 

「古式魔法とはいえ、監視システムの記録には残るのよ」

 

 古式魔法はあくまでも“術者の特定が現代魔法よりも難しい”というだけで、システムの記録としては魔法の痕跡はしっかりと残る。こうやってわざわざ藤林が記録の改竄に乗り出さなければ、いずれあの場所で魔法が使われたことがバレてしまう。

 

「そうなっちゃったら、達也くんの周りに不必要な注目が集まっちゃうでしょ。“本命”が警戒しすぎて達也くんに近づいてこなくなったら、こっちとしても困るのよ。それに“彼”の周りでいらない騒動が起こって、それによって“彼”の持つ力が変な方向に働いたらそっちの方が面倒だしね」

 

 ただでさえ、警察との協力体制を築くために千葉寿和と接触を図ろうとしていた藤林の計画は、一足先に店へとやって来た東松山よねによって中断しているところだ。今は彼らが店の中で会話をしている最中であり、おそらく彼らはこのまま共に事件を捜査することになるだろう。

 ならばよねにも協力してもらえば良いではないか、と普通なら考えるだろうが、藤林にとってそれは1つの“賭け”だった。

 

 独立魔装大隊の一員としてしんのすけに関する情報を多く知る彼女は、当然ながらよねのことも頭に入れていた。それは過去の情報だけでなく、犯人逮捕時に問題を起こしたことで資料室の整理係に押しやられているという近況も含めてのことである。

 なぜ彼女をそこまで気にするかというと、彼女がそうして資料室に押しやられたときに限って何かしら大きな事件が起こり、それを彼女が解決に導くことで刑事に返り咲く、ということをこの100年の間に何十回も行ってきたからである。今回の処分のときも、彼女が所属する警察署の上層部は「今度はどんな事件が起こるのか」と戦々恐々としていたらしい。

 そしてそんなときに起こる“大きな事件”というのが、他ならぬしんのすけが大きく関わっている出来事だったりするのである。

 

「“彼”の力は、既に動き始めている。もしそこに私が介入するのなら、覚悟を決めなくちゃいけないわ。――実に面倒なことだけど」

 

 胸に湧き上がる憂鬱感をむりやり抑えつけながら、“電子の魔女”(エレクトロン・ソーサリス)の異名を持つ彼女は持ち前の希少スキルを発動した。

 

 

 *         *         *

 

 

 レオとエリカから逃げおおせたジロー・マーシャルは、周りの人間に見られるリスクを犯してまで競走馬に匹敵するスピードで疾走していた。普通の人間がどれだけ鍛えようと絶対に出せないスピードで走る彼に、追いつくことのできる人間なんているはずが――

 

「…………」

 

 そのとき、ジローが突然立ち止まった。身の安全を確保したと判断したためではない。むしろその逆、自分にぴったりと貼りついてくる気配があったからだ。その正体をまだ確認していないが、彼はそれが自分と同じ“人間”であることを信じて疑わなかった。

 相手が魔法師であれ強化人間であれ、自分を追い掛けてくる以上は敵だ。彼は基本的に1人で行動するタイプの工作員であり、予定外のバックアップが派遣されるときは同士討ちを恐れて事前に連絡が来るはずだ。

 ジローは警戒レベルを最大にまで引き上げて、周囲に神経を集中させた。自分を尾行している人間が堂々と姿を見せているはずがなく、間違いなく物陰に隠れてこちらの様子を伺っているだろうと判断したためである。

 

 だが、その予想は大きく外れた。

 ふいに寒気が走りジローが顔を上げると、その男は隠れる素振りも無く立っていた。

 大柄で引き締まった体つきの東洋人、灰色のスポーツスラックスに同色のジャケット、黒のトレーナーを中に着るその男は、人混みに紛れれば途端に見失うほどに凡庸でありながら、人間を捕食する猛獣と相対しているかのような錯覚をジローにもたらした。

 

“人喰い虎”(The man-eating tiger)――呂剛虎(リュウ・カンフウ)

 

 ジローが呟いたその名は、白兵戦で人を殺すことにかけては大亜連合随一と噂される、大亜連合特殊工作部隊のエースを示すものだった。

 そしてそれと意識したときには既にジローの右手に銃が握られ、呂に狙いを定めていた。数え切れない反復訓練を積み重ねた結果、彼の肉体は彼自身が思うよりも早く的確な行動を選択できるようになっていた。

 しかし引き金を引く直前、いつの間にか目の前に移動していた呂の指が、銃を握るジローの手首に突き刺さっていた。呂が手首の内側から力を込め、ジローの手から銃が零れ落ちる。

 いったいいつの間に、とジローが思案するよりも前に、彼の喉に呂の右手が突き刺さった。意識が闇に塗り潰され、力を失った彼の肉体がドサリと音をたてて地面に倒れ伏した。

 

「――フン、こんなものか」

 

 呆れを滲ませる声色で短く呟いた呂が、右手にこびりついた血を拭き取った紙を死体へと放り投げた。落ちる途中でハンカチ大の大きさに広がって死体に貼りつき、そして鮮血よりも赤い炎をあげた。

 そうして燃え盛った炎が消えた頃には、何もかもが無くなっていた。死体も、服も、ましてや骨も残らず、つい先程までそこに人間が横たわっていた事実すら残っていなかった。

 この一幕を見届けていたのは、彼を殺害した呂本人と、破壊された街路カメラだけだった。


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