日曜日はさすがに魔法科高校も休みなのだが、論文コンペの代表補佐に選ばれている達也は、深雪を引き連れていつもと同じ時間に家を出た。しかしその姿は制服ではなくライダースーツとフルフェイスのヘルメット、交通手段も公共交通機関ではなく達也の愛車である大型二輪、そして極めつけに2人を乗せたバイクは学校とはまるで別の方向へと走っていた。
2人の目的地は、FLTの開発第三課。達也がトーラス・シルバーの片割れとして働いている部署であり、達也が預かったレリックの解析作業を行う場でもある。よって現物であるレリックをそこへ届ける必要があるのだが、再度の襲撃を警戒して、民間の流通業者や公共交通機関を使わず直接運んでいるのである。
「……尾行がついてるな」
「えっ?」
運転する達也の体に腕を回してピッタリ体をくっつけていた(安全のためであり、断じて彼の体温を全身で感じるためではない。断じて)深雪が、ふいに呟いた彼の言葉に疑問の声をあげた。キョロキョロと辺りを見渡すが、それらしい人物は見当たらない。
「車ですか? それともバイク?」
「カラスだ」
「はい?」
達也の答えに深雪は目を見開き、しかしすぐさまその真意に気づいた。
「……使い魔、ですか?」
「ああ。しかも“化成体”だ」
化成体とは、霊的エネルギーを仮に実体化させたものである。現代魔法で作るならば、サイオンの塊を土台に光の反射をコントロールする幻影魔法で姿を作り、物質に干渉する加重・加速・移動魔法で肉体を持っているように見せかけることで完成する。
とはいえ、実際にこの術式を使うのは古式魔法に限定される。それに日本で古式魔法を使う流派は、すでに実体性を有しない術式にシフトしている。
つまり、
「日本の魔法師ではありませんね。一体どこでしょうか?」
「さあ、正体までは分からないな。しかしこのままラボまで尾行されるのは宜しくない」
達也はそう言うと、片手をハンドルから離して自身の腰に回されている深雪の手に触れた。一瞬ピクリと彼女の手が反応するが、達也の手を通してサイオンの信号が送られてきたことでその動きも止まった。
「深雪、座標はここだ。――撃ち落とせ」
「かしこまりました」
顔も視線も正面に固定したまま達也が深雪に命じると、深雪は喜色の籠もった声で返事をした。
そして次の瞬間、達也の言われた通りの場所にいたカラスが一瞬の内に凍りつき、術式を維持できなくなったことで仮初めの肉体を構成していたサイオンが散り散りに拡散していった。
「見事」
たった一言でしかない達也の言葉に、深雪はニッコリと笑って応えた。
その様子は主人の命令に忠実な部下というよりは、親に褒められて嬉しい子供のようだった。
「ぐずぐず悩む前に、さっさと回線を切れ! バックアップだぁ? んなもん、できてるところだけで充分だろうが!」
「10番台、切断完了しました! 再接続します!」
「馬鹿野郎! 侵入されてるときに再接続するな!」
「侵入経路、確定しました!」
「っしゃあ! カウンタープログラムをお見舞いしてやれ!」
達也と深雪が開発第三課のラボに到着したとき、そこは今までにない喧騒に包まれていた。主任である牛山の指示の下、研究員達があちらこちらへと忙しなく走り回っていた。
「お兄様、これは……」
「…………」
深雪の心配そうな声に応えることなく達也が部屋の奥へと進むと、牛山が「御曹司!」と彼らの存在に気づいて駆け寄ってきた。彼らがここに来てから声を掛けられるまで、大体1分。普段なら10秒以上待たされることなど無いことから、今がいかに緊急事態かがよく分かる。
「すいません、いらしているのに気づきませんで……。――おい! 御曹司がいらっしゃったのを知らせなかったのは、どこのどいつだ!」
「ひぃっ!」
今までで一番大きな怒鳴り声に、端末と格闘していた研究員の半数が驚いて手を止めた。
「――手を止めるな! モニターを続行!」
「は、はい!」
そしてその瞬間に今度は達也に怒鳴られ、彼らは再び端末を睨みつけることとなった。
「ハッキングですか?」
「……確かにハッキングなんでしょうが、どうも様子が変でして」
「変?」
「技術自体はかなりのものなんですが、何が目的なのかがどうにもハッキリしなくて……。何か狙いがあるわけじゃなく、とにかく手当たり次第って感じで……」
「文字通りの意味での“
「個人の仕業とは思えませんね。侵入の手口は、かなりの人数を組織的に動かさなきゃできないものです。相手が国家組織だとしても不思議じゃないですよ」
「……流出が予想されるデータの一覧はありますか?」
「いえ、今のところ流出したデータはありません」
牛山の答えは、達也の頭を悩ませるものだった。一見手当たり次第に見えて何か規則性は無いか調べようと思ったのだが、どうやらそれもできないらしい。
「ハッキングは、いつからですか?」
「10分くらい前からです」
つまり、達也たちがここに来る直前である。まるで彼らが来るのを見計らったかのようなタイミングで侵入し、しかし何かのデータを盗み出す様子は無い。
「不正アクセスが、停止しました!」
「油断すんなよ! 今日1日は、今の監視体制を維持すっかんな! ――っと、失礼しました。御曹司、今日は一体どんなご用件で?」
「…………」
達也は少しだけ悩む素振りを見せた後、小百合から預かったレリックについて牛山に話した。
* * *
「FLTのカウンターアタックです!」
「予定通り、回線を遮断しろ!」
「どう出ると思う?」
「……不明です」
「10分以上にわたって不正アクセスを遮断できなかったのだ。司波達也はラボのセキュリティに疑念を抱いたことだろう」
「確かに」
呂の返事は素っ気ないまでに簡素なものだったが、陳はそれを気にする様子は無い。
「司波達也がFLTの関係者だとしても、レリックの
「論理的に考えるならば、そうでしょう」
「確かに、司波達也はまだ高校生だ。狙われていると分かっている物をいつまでも手元に置いておきたくない、という心理が働いても不思議ではない。そのときは改めて、ラボからデータを盗み出す手立てを考えれば良い」
「何だ、随分と消極的じゃないか」
突然の横槍に、陳も呂も明らかに気分を害した様子でそちらを睨みつける。
部屋の隅に配置されたソファーに深く座り、目の前のテーブルに両脚を投げ出すリラックスした姿勢で、浅黒い肌に金髪碧眼の男・ヘクソンが、この現代では珍しい紙媒体の文庫本に目を通していた。2人の気迫は彼に届いているはずだが、彼は特に気にする素振りも無く2人に目を向けることすらしない。
「レリックが欲しいんだろう? 相手の様子を窺うような真似をせず、直接奪いに行けば良いではないか」
「……相手はただの高校生ではない。僅か15分で遠隔術式を発見し破るほどの奴だ、二級品のレリックに相応しいリスクを見極めなくてはいけない」
そう説明する陳だが、その表情は苦虫を噛み潰したように苦しげだ。おそらく彼自身も、自分の手の届かない遠隔操作の術式で監視する消極策を快く思っていなかったのだろう。しかもそれがすぐに破られたとなれば、その不快感は並々ならぬものだろう。
そしてそんな彼の態度に、ヘクソンは本から目を離さぬままフッと嘲笑を浮かべた。
「私に対して隠し事は無意味だ、おまえ達の恐怖心が手に取るように分かるぞ。――深入りしすぎて野原しんのすけの影響が自分達に及ぶことを恐れているんだろう?」
「――貴様!」
ガタンッ! と大きな音をたてて、陳は思わず立ち上がった。彼が座っていた椅子が床に転がり、呂以外の部下の顔に緊張が走る。
それでも尚、ヘクソンの嘲笑が消えることは無かった。
「まぁ良い、私はあくまでおまえの指示に従うまでだ。おまえ達がその消極的なやり方で構わないというのなら、私はそれ以上は何も言わん」
「……チッ!」
陳は舌打ちをし、部下が慌てて元の位置に戻した椅子にどっかりと座り込む。
そうして近くに控える呂へと命令する。
「今日は
「
ともすれば貴重な協力者を失いかねない命令にも拘わらず、呂は思念を差し挟む様子も無く命令に応えた。
「…………」
そして先程の言葉通り、ヘクソンはそれに対して意見を挟むことは無かった。
* * *
いくら休日とはいえ、学校に行くときは制服を着用しなければいけない。なので司波兄妹は着替えのために、一旦家へと戻ることにした。
しかし達也はそこで、電話に1通のメッセージが入っているのに気づいた。携帯端末への転送を制限する設定がされており、つまり送り主はその内容を守秘性の高いものと考えている、ということだ。
「お兄様、どうなさいました?」
「平河先輩からだ。折り返しの電話が欲しいらしい」
タイミングからして、おそらく妹の千秋に関することだろう。着替えたらすぐにでも出発しようと思っていたが、あの後の顛末は気になるところなので電話を掛けることにした。
コールは、1回で繋がった。
『もしもし、司波くん? ごめんなさい、わざわざ電話してもらっちゃって』
「いいえ、こちらこそ遅くなりまして。少し家を空けていたものですから」
『この前は……その、妹が迷惑を掛けてごめんなさい』
「未遂です。結局何もされていませんので、気にしないでください。俺も気にしていません」
テレビ画面は真っ暗なので相手の表情は分からないが、電話越しでホッと胸を撫で下ろす反応をしているのは分かった。ちなみに達也の台詞は相手を気遣ったものではなく、嘘偽りの無い彼の本心である。
と、小春の話は単なる謝罪だけではなかった。
『あの後に妹とじっくり話し合って、最終的には反省してくれたと思ってる。――それで、例のパスワードブレーカーを貰ったときの窃盗団との遣り取りを記した通信ログがあるんだけど、達也くんだったらこれを役立たせることってできないかな?』
「窃盗団との、ですか……」
『うん、これでお詫びになるかどうか分からないけど……。あっ、さすがに妹のプライベートデータは、ある程度選別させてもらったから。もしかしたら多少残ってるかもしれないけど、達也くんだったら悪用しないよね?』
「まぁ、それは当然ですが……」
正直なところ、既に放棄されたであろうアクセスポイントのログファイルだけを手掛かりに、ネットワークの中から狐を狩り出す自信は達也にも無かった。しかしそれが可能な人物の心当たりはあるので、その情報を活用する手立てはある。
達也が気になったのは、小春がそれを達也に託した真意だった。
「妹さんを悪の道に引き摺り込んだ輩は、当然許せないものですからね」
『……ごめんね、司波くん。正直、私の手には余ってさ』
「構いませんよ。手掛かり、ありがとうございます」
『うん。用件はこれだけ。それじゃ、また学校でね』
最後の遣り取りが若干慌ただしいように思えたのは、小春がその心に罪悪感を覚えたことを誤魔化すためだったのか、達也には検討がつかない。
とりあえず達也は、先程思い浮かべた“心当たり”の番号をプッシュした。
* * *
「おっ、達也くんと深雪ちゃん。災難だったね」
「まったくだ」
「お兄様、すぐ乾かしますね」
学校に着く直前に雨が降り出してしまい、司波兄妹はほんの少しだけ濡れてしまった。本棟の入口で合流したしんのすけの前で、深雪の緻密な魔法によって2人の制服に染みついた水分が立ち所に消えていく。
深雪は生徒会室へ、達也としんのすけはロボット研究部の部室がある実験棟へと向かった。雨で野外作業が中止になったとしても、達也には論文コンペに使う起動式のデバッグ作業という重要な仕事が待っている。機体を制御する大型計算機にプラズマ核融合炉のデモ機を接続する作業は、すでにロボ研の部員によって終了しているようだった。
「重役出勤ですな、達也くん」
「……まぁ、確かにその通りだな」
特に皮肉を意図したわけではないしんのすけの言葉を苦笑いで受け止め、達也はロボ研のガレージへと入っていった。デバッグ自体は達也1人でも可能なのでしんのすけがいる必要は無いのだが、彼は達也の護衛役ということで付き合ってもらっている。
2人がガレージに入室すると、“人間ではない存在”が出迎えた。
『お帰りなさいませ』
「……まったく、良い趣味してるよ」
2人の目の前にいるのは、膝上10センチのバルーンスリーブワンピースに、フリルのついた白いエプロン、白のストッキングに黒のローファー、そして頭にはフリルのついたホワイトブリム――長々と描写したが早い話が“メイド服”を着た“少女”だった。
「1年E組、司波達也」
「1年A組の、野原しんのすけだゾ」
じっと2人の顔を見つめながら、“少女”が動きを止めた。顔認証と声紋認証を行っているためだろう。
『コーヒーとココアを、ご用意致します』
頭を下げて飲み物を用意するその言動は少しぎこちないが、よく観察しなければ気づかない程度である。
彼女の名前は“3HタイプP94(3Hのパーソナルユース94年型)”で、ロボ研では型番をもじって“ピクシー”と呼ばれている。当代のロボ研3年生に大手製造会社の関係者がいるらしく、AI改良を目的としたモニター用として貸し出されているらしい。高校という環境に合わせて十代後半に設定されたその外見は、そのまま立っていればクールビューティーと評される美少女だ。メイド服のせいで何もかも台無しになっている気がするが。
達也がコンソールデスクの前に座って端末を立ち上げたところで、ピクシーが2人の飲み物を持ってきた。コトリ、と小さな音をたててグラスが置かれる。
――マニュピレーターの制御ソフトに改善の余地があるな。
「どもども~」
達也がCADの開発者らしい視点でピクシーを観察している横で、しんのすけがピクシーに律儀にお礼を言っていた。
「ピクシー、サスペンドモードで待機」
『かしこまりました』
定型文のためスムーズに発音したピクシーは、入口近くの椅子に座ると微動だにしなくなった。
煩わしい視線も無くなり、達也はキーボードに指を置いて打鍵音代わりの電子音を部屋に響かせ始めた。最初はそれを眺めていたしんのすけも早々に飽き、鞄から携帯ゲーム機を取り出してゲームを始めた。隣で作業する達也のために、片耳だけにワイヤレスのイヤホンをつけている。
達也はキーボードを操作しながら、時々左手をデモ機の大型CADのパネルに置く。術者がパネルにサイオンを送り込み、CADがそれを素に起動式を形成、術者がその起動式を受け取って魔法式に変換する。そして実際に本番で行われるその行程をワンステップごとに分解し、魔法式を未発の段階で解除したときの反動で意図通りの結果が得られているか確認する――と見せかけて、実際には魔法式の発動状況を直接“眼”で確認していた。
これは情報体エイドスを直接眼で見ることのできる達也だからこそできる芸当であり、これのおかげで達也は魔法を開発する効率が異常に高い。言ってしまえば“インチキ”をしているのだが、せっかく与えられた能力なのだから存分に利用しない手は無い。
そんなことを繰り返して1時間ほど経った頃、
「ん……」
「ふあぁ……」
コンソールを見つめていた達也が突然の倦怠感を覚え、ゲームに熱中していたしんのすけが大きなあくびをした。根を詰めすぎたか、と達也が深呼吸をするが、眠気は覚めるどころかますます強くなる。外で一休みしようと立ち上がろうとするが、鉛のように手足が重く体も覚醒しない。
「うーん、何だか急に眠くなってきたゾ」
目をぐしぐしと擦るしんのすけに、達也は今の状況が異常であることを確信した。
【身体機能:異常低下】
達也の体が
【自己修復術式:
【魔法式:ロード】
【コア・エイドス・データ:バックアップよりロード】
【修復:開始――終了】
そして達也の体は、瞬時に“眠気に囚われる前の状態”に戻った。
しかし、まだ問題は解決していない。先程の飲み物に異物が混入していないことは
「しんのすけ!」
達也がしんのすけに呼び掛けるが、彼は眠気に抗うのを早々に諦めて口を大きく開けて眠りこけていた。
「ピクシー。強制換気システムを動かせ」
『強制換気装置を・作動させます』
達也の命令に反応したピクシーによって、空調システムとは別系統で設置されている災害時対応の強制換気システムが作動した。
ピクシーのような3Hの本分はホーム・オートメーションの音声対話型インターフェイスとしての機能であり、建物内に設置されたあらゆるシステムを遠隔制御することにある。つまり家事機能は後付けでしかないのだが、なまじそれが便利なために本来の機能が忘れられがちである。正直、達也も直前まで忘れていた。
催眠ガスが部屋の外に排出されていくが、吸ってしまったガスの影響が消えるわけではない。ガスは毒性が低く持続時間も短い代わりに、即効性が高くなるように調合されているようだ。
「ピクシー、俺達は避難時の二次災害を考え、ここに留まることにした。監視モードで待機。救助者の入室に備え、排除行動は禁止する」
『二次災害回避を・合理的と判断します』
3Hの機能からして、今頃は空調システムの復旧も行われているはずだ。
そんなことを考えながら、達也はテーブルに突っ伏して目を閉じた。
2人が目を閉じて突っ伏すその部屋に、足音を忍ばせて入る1人の生徒がいた。
「司波? 野原?」
聞き覚えのある声が、2人へと声を掛ける。本当に眠っているのか確かめるのと、仮に2人が目を覚ましたときに言い訳できるようにするためだろう。こんなタイミングで部屋に入ってきて言い訳も何も無いと思うが、そこまで相手に期待するのは酷というものだろう。彼だって、こんな犯罪は初めてなのだろうから。
その生徒――関本は、デモ機へと視線を移すとおもむろにそちらへと歩いていった。そしてポケットから取り出した小型の機械を使って、あれこれと悪戦苦闘しているようである。
と、そのとき、
「関本さん、何をしてるんですか?」
入口からふいに声を掛けられ、関本はあからさまに体を震わせて大きなリアクションを見せた。ぎこちない仕草で、ゆっくりと入口へと顔を向ける。
そこにいたのは、現・風紀委員長の千代田花音だった。
「千代田! どうしてここに!」
「どうして? アタシがここに来たのは、この部屋で異常が見られたと知らせを受けたものですから。そう言う関本さんはどうしてここに? それと、手に持ってるそれは何ですか?」
「知らせだと! 確かに警報は切ったはず――あっ」
よっぽど動揺していたのか、それとも想定外の事態に弱いのか、その一言はあまりにも不用意すぎた。傍目には凄く間抜けに見える行為だが、そもそも犯罪をしているときは過度の緊張状態にあるものなので、普段からは考えられない行動を取っても不思議ではない。
ちなみに部屋の警報は確かに切られていたのだが、同じ部屋にいたピクシーが異常を察知して警報を送ったのである。つくづく、詰めの甘い男である。
「『警報を切った』とは、どういうことですか?」
「…………」
「この状況で黙っているのは、自分が犯人だと自白しているようなものですよ」
抑制の効いた花音の口調は、彼女の本気を感じさせるものだった。左腕に装着しているCADを見せつけるように胸の前に掲げ、しかもすでに起動式を展開できるだけのサイオンがチャージされているという状況が、さらに彼の焦りを加速させていく。
「……は、はははっ! 冗談がきついな! 一体僕が、何の犯人だというんだ?」
「エアコンに細工して、催眠ガスを流し込んだ犯人ですよ。産学スパイの現行犯でもありますね」
「失礼な! 僕は事故によるデータ滅失を恐れて、こうしてバックアップを取ってだな――」
「ハッキングツールでバックアップ? ――達也くん、そんなの有り得ないでしょう?」
「そうですね、俺は聞いたことありません」
すぐ背後で聞こえてきたその声に、関本は何度目になるか分からない驚愕の表情を浮かべて後ろを振り返った。
そこには先程眠ったはずの達也が、悠然と立ってこちらを見据えていた。
「馬鹿な! 催眠ガスが効かなかったのか!」
「彼は催眠ガスで大人しく眠ってくれるような、そんな可愛いタマではありませんよ。――関本勲。CADを外して、床に置きなさい」
花音の口調が、ガラリと変わった。それは同じ高校の先輩に対してではなく、1人の犯罪者に対する投降勧告だった。
関本の奥歯が、ギリッと鳴った。
そして、
「――千代田っ!」
その瞬間、関本はCADに手を触れて起動式を展開した。2年生の後半からとはいえ風紀委員に選ばれただけあって、魔法式を構築するまでのスピードは九校戦の選手と比べても遜色が無い。
しかし、
「格好つけすぎですよ、関本さん」
魔法の発動に名称を唱える必要が無いのと同じように、標的の名前を叫ぶ必要など一切無い。ただでさえCADの準備で先を取られている状況で、しかも風紀委員長を相手にそんな無駄な動作を挟むのは致命的だ。
結局関本の魔法が発動する前に花音の振動系魔法が地面を媒介として襲い掛かり、彼は意識を刈り取られて床に倒れ込んだ。
「いやぁん、ななこお姉さん。こんな所で大胆なんだから……」
そんな一瞬の戦闘の真横で、しんのすけはぐっすりと眠りこけ、随分と幸せそうな表情で寝言を呟いていた。
周りの光景とあまりにもギャップのある彼に、達也は思わず大きな溜息を吐いた。
* * *
一高で強盗騒ぎが起こっているまさにその頃、第一高校の制服を着て街を歩く2人組の少女がいた。顔立ちなどが似ているため、2人を知らない者でも姉妹と推測することは容易だろう。
「ま、待ってよ姉さん。もっとゆっくり歩いて」
「ゆっくりって……。それ以上どうやって遅くするっていうの」
姉・小春の言う通り、妹・千秋は周りを気にするようにキョロキョロと辺りを見渡し、その歩みも今にも止まってしまいそうなほどにゆっくりだ。このままだと学校に着く頃にはすっかり日が暮れてしまうだろう。
そんな千秋に小春は大きな溜息を吐き、大股で近づいて彼女の腕を取ると、そのまま彼女をむりやり引っ張ってズンズンと歩き始めた。
「ちょ、ちょっと姉さん。私まだ、心の準備が――」
「あなたに任せてたら、いつまで経っても学校に着かないでしょ」
「で、でも、多分みんな怒ってると思うし――」
「だからこそ、あなた自身が謝罪しないといけないの。――大丈夫、達也くんにログを渡したことで或る程度の誠意は見せてるし、もし何か言われたとしても私が傍についてるから」
「…………」
繋がれた手から伝わってくる小春の体温に、千秋の嫌がる素振りが徐々に小さくなっていった。やがて小春が引っ張らなくとも自発的に歩くまでになり、小春もチラリと彼女を見遣って小さく微笑んでみせる。
そうして手が繋がれたまま、2人は心持ち身を寄せ合って学校へと歩いていく。
そんな2人から数十メートル後ろを歩く、1人の若者がいた。
灰色のスポーツスラックスに同色のジャケット、その下には黒っぽいトレーナーという至って平凡な服装をした、特別ハンサムでも醜くもない有り触れた顔立ちをした、引き締まった体をもつ大柄な東洋人だった。そんな有り触れた外見のためか、道行く者も彼のことなど気に留めることなく擦れ違っていく。
2人との距離を一定に保ちながら歩いていると、彼女がふいに横道へと入っていった。学校までの近道として生徒達の間でよく利用される道だということは、事前の調べによって分かっていたことである。そしてその道が、他の人にはほとんど使われないために人通りが極端に少ないことも、彼には分かっていた。
彼は先程よりも歩くスピードを上げて、その横道へと入っていった。音をたてないギリギリの速さで徐々に2人との距離を詰めていく。その大柄な体の割にはやけに気配が希薄なせいか、後ろから近づいているのに2人がそれに気づく様子は無い。
そして大股で数歩進めば手が届く距離にまで近づいた、そのとき、
「女子高生に襲い掛かるとは、とんだ変質者ですね」
「――――」
背後から呼び掛けられたその声に、呂は足を止めて後ろを振り返った。
そこにいたのは、1人の少年だった。体的に体の線も細く身長も男子の平均を少し下回る程度しかなく、濃いブラウンの髪はオシャレに整えられ、その相貌は爽やかながら中性的だ。もしその肩に竹刀袋を携えていなかったら、どこぞのアイドルかと思ったかもしれない。
しかし呂は、彼の見た目で油断するような真似はしなかった。むしろ両目を鋭く細め、眉間に皺を深く刻み込み、右脚を後ろに退き無手の構えを見せる。
目の前にいる少年を、呂は知っていた。
今回の“任務”における要注意リストにも記されており、しかもその警戒度は“野原しんのすけ”と同じ最大ランクと評されていたその人物の名は、
「――代々木コージロー」
「おや、僕のことをご存知なんですか。光栄ですね」
その少年・コージローはにこやかな笑みを浮かべながら、肩の竹刀袋から得物を取り出した。
それはよく使い込まれていることが分かる、木刀だった。
「申し訳ありませんが、名乗りは結構です。――どうせ魔法師のことは分からないので」