嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第56話「天才剣士と魔法師の戦いだゾ」

 多くの生徒が論文コンペの準備で学校に詰め掛けている日曜日、東京と川崎との境近くで潮の匂いを感じる場所に建てられた千葉家の道場でもレオとエリカが汗を流していた。

 エリカが木刀を素振りするのを正面で観察し、それを真似るようにレオも木刀を振り下ろす。型を意識しながら木刀を振り続けるのは神経を磨り減らし、彼が持つ素振り用の長く太い鉄芯入りの木刀は容赦無く肉体に疲労を蓄積させる。上級者でも3時間降り続ければ音を上げるような鍛錬だが、彼は間に昼食を挟んでいるとはいえ、6時間経った現在も全身に汗を滴らせながら木刀を振り続けていた。

 

「はい、止めっ」

 

 エリカの合図と共に、レオは腕を下ろした。さすがに大きく息を吐いているが、その場に座り込むような真似はしない。

 そんな彼の正面で、エリカが手拭いで額の汗を拭いていた。

 

「それにしてもタフね。アンタ、剣術の経験はあまり無いんでしょ?」

「そりゃここの人達に比べたら初心者も良いところだけどよ、部活で普段からピッケルとかツルハシとか振ってるからな」

「アンタ、山岳部で普段何やってんの?」

「その点については、俺も多少は思わないでもないぜ……。というか、そう言うおまえだって同じじゃねぇか」

「アタシが振ってるのは軽いヤツだからね、アンタのと同じ物じゃとっくにギブアップよ」

 

 エリカがそう言ってレオに木刀を放り投げ――ようとして、わざわざ数歩歩いてレオにそれを渡した。コージローと一緒にいたときに木刀をレオに放り投げ、それを見たコージローから「道具を粗末に扱うな」とお叱りを受けたのを思い出したからだろう。

 そんな彼女から受け取った木刀を、レオは重さを確かめるように片手で何回か振り下ろした。そして、その顔に納得と困惑の色を浮かべた。

 

「確かに軽い……けどよ、軽すぎて両手じゃ振りにくそうだな」

「そこが技よ」

 

 謙遜も外連味も無くそう言って、エリカは首元に手拭いを当てた。剣道着に籠もった熱を逃がすため、前襟を少し持ち上げて扇ぐような仕草をする。

 別に下着や肌が見えたわけではないし、彼女も見えないように注意しているのだが、何となく気まずさを覚えたレオは彼女から目を逸らした。

 

「……どこ見てんのよ」

「えっ!? い、いや、別に何も見てないぜ!」

「そんなの分かってるわよ! 余所見すんなって言ってるの!」

「お、おう、すまん」

 

 レオの気まずさがエリカにも伝わったかのように、2人の間を何とも言えない空気が流れる。

 とはいえ、彼女はいつまでもモジモジしているような(たち)ではない。

 

「……次の段階に行くわよ、ついてきなさい」

「えっと、次は巻き藁を斬るんだったよな」

「そう。こっちに来なさい」

 

 エリカに先導され、レオはその後に続いた。

 日本家屋のイメージそのままの長い廊下を歩く最中、2人は無言だった。普段ならば彼女と無言で歩いても特に気にしないレオであるが、今は何となく無言が気になり、それを誤魔化すためにエリカへと呼び掛けることにした。

 

「しかしコージローも日曜だし朝から道場に来るのかと思ってたけどそうじゃないんだな」

「あぁ、代々木くんならしんちゃんに会ってから来るって言ってたわ。そんなに長い時間話すつもりじゃないって言ってたから、そろそろ来るんじゃない?」

「そうか。――なぁ、純粋に疑問なんだけどよ」

 

 レオの言葉に、エリカは振り返らず足も止めず「何?」と尋ねる。

 

「コージローが剣術の道場に乗り込んで1人残らず叩き伏せたって話だけどよ、実際にそんなことって本当にできんのか? 確かにアイツの試合を幾つか動画で観たから凄いのは分かるけどよ、そうは言ってもアイツ自身は魔法をまったく使えないんだろ?」

「魔法を使えない人間が、魔法師に勝てるはずが無いって?」

「いや、そこまで言うつもりは無ぇけどよ、そうは言っても魔法の有無ってだいぶ影響大きいだろ? 1対1なら分かるけどよ、そこまで一方的に打ち勝つなんてできるのか?」

「アタシだって代々木くんの試合は魔法を使わない剣道でしか見たことが無いから、魔法師を相手にどんな戦い方をするのかなんて分からないわよ。――でも代々木くんが放つ剣気は、アンタもその身に受けたから分かるだろうけど並の代物じゃなかった。ひょっとしたら、大半の門下生はアレ一発でやられたのかもしれないわね」

「それでやられなかった連中は?」

「そんなの、実際に見てないアタシが知るわけないでしょ」

 

 投げ遣りに返された言葉に、レオは話題が終了したことを悟って口を閉ざした。

 しかしそこから数秒、彼の予想に反してエリカが言葉を紡ぎ始める。

 

「実際にどうだったのかは知らないけど、少なくとも代々木くんが九十九里浜家の当主を負かしたのは事実よ。――でもウチの門下生の間では、それはあくまで“試合形式”だったから、って見方をする奴も少なくないわ」

「……本気の殺し合いだったら、勝負は分からないってか?」

「代々木くんは今まで一度だって誰かを殺したことなんて無いでしょうし、そもそも誰かを殺すことを覚悟して剣道に打ち込んできたわけじゃない。そんな人間が、自分のことを本気で殺そうとしている奴を目の前にしてどこまで戦うことができるのか、っていうのは気になるところね」

「ふーん、成程なぁ……」

 

 エリカの説明に納得したようにそう呟くレオに、エリカが初めて後ろへ視線を向けた。

 その目つきは、鋭かった。

 

「言っておくけど、アンタだって他人事じゃないんだからね? ――次の鍛錬から“真剣”を使うから、気ぃ抜くんじゃないわよ」

「――おう、分かってるぜ」

 

 エリカの言葉に、レオは力強く返事をした。

 

 

 *         *         *

 

 

 “人喰い虎”の異名で知られる呂剛虎(リュウ・カンフウ)は、対人近接戦闘において世界十指に入ると評される大亜連合の白兵戦魔法師だ。歳が近いこともあり千葉家の麒麟児である千葉修次と比較されることも多く、凶暴さと相手を萎縮させる“名”において呂が上回っていると結論づけられることも多い。

 そんな彼の最大の特徴が、“剛気功(ガンシゴン)”と呼ばれる魔法だ。元々体術の一種である気功術を発展させたもので、皮膚の上に鋼よりも硬い不可視の鎧を形成する。気功を纏った手は防御だけでなく攻撃にも優れ、ただ爪を立てて引っ掻くだけでも当たれば骨ごと肉体を抉り取るほどの威力がある。

 

 そんな威力を纏った呂の右手が、恐ろしいスピードでコージローへと迫り来る。常人だったら視界に捉えることすら不可能なその攻撃に対し、コージローはまったく動じる様子も無く、木刀の剣先を相手の目に向けて中段に構える“正眼の構え”を取る。

 そしてその瞬間、木刀の剣先が呂の手首を叩いた。パシッと軽い音と共に呂の右手が想定の軌道から僅かに逸らされ、コージローの顔の横を文字通り間一髪で通り過ぎた。それによって呂の右腕が前方に伸び、右脇腹がコージローに対して晒される。

 それを彼が見逃すはずも無く、いつの間にか下段に構えられていた木刀を逆袈裟に振り上げた。

 

 バキンッ!

 

 その音はおおよそ木刀で人間の体を直接叩いたときのそれではなく、まるで金属の鉄柱に木刀を叩きつけたかのような固いものだった。その音が周囲に大きく響き渡り、そのときになってようやく前方を歩いていた平河姉妹が後ろを振り返る。

 コージローの木刀が呂の脇腹に打ち込まれたが、呂に有効なダメージを与えることは無かった。木刀は彼の体ギリギリの所で見えない壁に阻まれたように食い止められ、呂の体には骨折どころか打撲の青痣すら刻まれていない。

 しかし呂もコージローもわざわざ目で見てその結果を確認することはせず、それぞれ体に伝わる感触のみでそれを判断した。思考を介さない反射的なスピードで呂は背中を軸に回し蹴りを繰り出し、コージローは即座に後ろに跳んでそれを避けつつ間合いを取った。

 

「な、何っ!?」

「どういうこと!? アイツら誰!?」

 

 平河姉妹が驚くのも当然だ。普通に街を歩いていたら、高校生くらいの少年と二十代中頃の青年が自分達の背後で戦闘を始めているのだから。

 そんな2人の耳に、呂から視線を離さず呼び掛けるコージローの声が届く。

 

「コイツは君達を狙ってる! 建物を背にして周りに注意して!」

「まさかコイツが千秋を!?」

「えっ、でもこんな奴知らない――」

 

 呂を睨みつける小春に、咄嗟に状況を呑み込めず戸惑う千秋。

 そんな2人に対し、呂が大きく足を踏み出した。(チェン)から2人の暗殺を命じられた以上、それが何よりの最優先事項となる。

 もっとも、

 

「僕が、それを許すとでも?」

 

 落ち着いた声とは裏腹に猛スピードで呂との間合いを一気に詰め、その胴体の中心に向けて鋭い突きを放った。多少体を捻る程度では避けることは適わず、いくら木刀とはいえ鋭い先端がその体に刺されば悶絶もののダメージだ。

 そんなコージローの攻撃に、呂は足を止めて一般的な防御の構えも取らずそれを迎え撃った。ガツッ、と再び人間の体から発せられる類ではない重い音が鳴り、木刀の先端は見えない壁から先に進むことは無かった。

 今度は、コージローが後ろに跳ぶ方が早かった。するとそれを追い掛けるように呂がコージローへと襲い掛かり、よって互いの間合いが広がらず一定の距離が保たれた。どちらも近接戦闘を得意としているが、得物を持っていない分だけ呂の方が攻撃の間合いが短くなる。敢えて相手の土俵に飛び込むほど、呂は愚かでもないし慢心もしていない。

 しかしそれによって、呂が平河姉妹から離れた。2人はその隙に走ってその場を離れ、路地の脇に建物を背中にして座り込むのをコージローが確認する。

 

 呂が腕を突き出し、コージローが木刀を振り下ろす。しかしその腕に巻きつく螺旋の力場によって、木刀の方が逆に弾かれてしまった。気功術と同じく中華伝統武術の1つである、全身の筋骨を連動させて作り出した捻りの力を打撃部位に伝え攻防一体の武器とする“纏絲勁(てんしけい)”を魔法的に発展させた技術によるものだ。

 しかしコージローはそこで慌てることなく、まるで腕が起こす風に乗って木の葉がフワリと揺れるようにそれを避けた。その流れで再び後ろへと跳び退き、体勢の立て直しを図る。

 ところが呂はそこから更に踏み込み、それを許さないとばかりに猛攻を仕掛けた。拳・掌・熊手と手の形を変えながら肘・肩・体当たりを随所に織り交ぜ、パターンを読ませない動きで怒濤の勢いで攻め立てる。それによりコージローは不安定な姿勢で避けながらズルズルと後退していくが、これだけの数を繰り出す呂の攻撃はクリーンヒットどころか擦りすらしていなかった。

 傍目には呂の方がコージローを圧倒しているように見え、それを裏付けるように呂の表情には闘志以外の感情は見えないが、心の焦りを完全に消すことはできないのか攻めのリズムが徐々に早くなり、それにつれて一撃の威力が落ちていく。

 

 と、側頭部を狙った右腕の横薙ぎをしゃがんで避けたコージローが、ガラ空きになった呂の右脇腹に再び胴打ちを繰り出した。先程も“剛気功”によってダメージを防いだこともあり、呂は気づいていたが防御の姿勢は取らず次の攻撃を優先させた。

 すると、

 

 ビシィッ――!

 

「――――!」

 

 先程までの金属に打ちつけるような重く固い音は相変わらずだが、そこに亀裂が入ったような破裂音にも似た音が混じっているように聞こえた。呂の顔に初めて動揺が過ぎり、攻撃に転じようとしていた呂の体がほんの一瞬だけ淀みを見せた。

 すると少し前に受けた呂の猛攻をやり返すかのように、そこからコージローによる怒濤の攻撃が始まった。剣道でもお馴染みの面・小手・胴だけでなく、通常は防具の死角となるため狙わない肘や上腕、腿などにも容赦無く木刀を叩きつける。それこそ「最初から防具なんて無いんだからどこを殴っても一緒でしょ?」とでも言わんばかりだ。

 それによって呂の体は先程のコージローのようにズルズルと後退を余儀なくされ、喉元に向けて鋭い突きが繰り出されたときは後ろに跳び退いて間合いを大きく取った。呂からしたら“取らされた”と表現する方が正しく、仕切り直しの形となってしまったことで呂の表情に悔しさが滲み出ている。

 10メートルほど離れた場所に立つコージローは、それでも構えを維持したまま大きく息を吐いた。とはいっても疲れが出ている様子は無く、その顔や首筋にも汗は1滴も流れていない。

 

「成程、()()()()()()()()()多少は通るのか」

 

 呂の体には未だに傷1つ付いていないが、防弾チョッキを着ても銃弾を受けた衝撃で動けなくなるのと同じように、魔法による補助を一切受けていないコージローの攻撃による衝撃は呂の動きを一瞬でも淀ませるほどの効果をもたらした。拳銃の実弾程度なら苦にもならないほどの防御力を誇るのだが、まさかそれを単なる木刀による打撃と刺突で超えてくるとは。

 しかしここで怒りに身を任せて特攻を仕掛けるほど、呂の精神力は脆弱ではない。確かに彼は頭脳を駆使して策謀するよりも力で圧倒する戦いの方が得意だが、だからといって戦闘においてまったく頭を働かせないわけではない。

 さてどうするか、と呂が攻め手に頭を巡らせようとしたそのとき、

 

 ビ――――――――!

 

「――――!」

 

 非常にうるさく、そうでなくても聞く人に不快感を与える警告音が突然鳴り響き、呂はコージローの存在も忘れて思わずそちらへと振り向いた。

 ターゲットである平河姉妹の1人・姉の小春が、その手に防犯ブザーを握り締めてこちらを睨みつけていた。ピンを引き抜くと自動車のクラクション並の大きさで警告音が鳴り響くだけでなく、近くの交番や警察に自動的に通知が行くようになっている。おそらく数分もしたら、ここに警官やパトカーが押し寄せてくるだろう。

 これを防ぎたかったからこそ、呂は背後からの一撃で2人を仕留めたかった。今からでも2人を、少なくとも千秋だけでも殺しておくか、と呂が1歩足を踏み出し――

 

「――――」

 

 それは、ほとんど勘に近いものだった。特に気配が動く様子も無かったが、ふいに頭に過ぎった悪い予感にほぼ反射的に従った結果である。

 10メートルほどの距離をその一瞬で詰めていたコージローが、両手で持った木刀を頭上に振り上げる“上段の構え”を見せていた。後隙が大きい、左右の肘により視界が制限される、急所を晒すため防御面でも不利、とデメリットが大きい反面、振り下ろす動作は全ての構えの中でも最速、両手で振るため威力が増す、など非常に攻撃的な構えである。剣道においては“上級者のみに許された構え”と言われており、故に格上の相手に対して構えるのは無礼の極みとされている。

 呂が気づいたときには、既に振り下ろす動作は始まっていた。コージローの急所は晒されているが、こちらの攻撃が届く前に木刀がこちらに到達すると瞬時に判断した呂は、咄嗟に左腕を頭上に構えて防御の構えを取った。

 

 ガガガガガガガガガガガガガガガガ――!

 

 まるで断崖絶壁から大量の水が流れ落ちるかのように猛烈な勢いで、コージローがその左腕に面を打ち続けた。1発1発の間隔が短すぎて1つの音に聞こえる連続音が、コージローと呂、そして平河姉妹の周辺に鳴り響く。

 そして、

 

 バキッ――!

 

 今までとは明らかに違う、言うなれば“手応えを感じる音”が鳴り、呂の表情にほんの僅かだが苦痛の色が浮かんだ。

 しかし呂はここで、ポケットから小さなボールを取り出して放り投げた。それはコージローの眼前で破裂し、物凄い勢いで白い煙をもうもうと吐き出し始めた。何の成分が入っているか分からないため咄嗟に跳び退いたコージローが見つめる中、その煙が呂の姿を覆い隠す。

 真っ先に平河姉妹に目を向けるが、その周辺には煙が届かず2人の姿もしっかり見えている。2人に近づく者の姿は無く、千秋がCADを構えて何やら魔法を繰り出しているのが分かった。

 すると煙が風に煽られ始め、みるみる薄れていった。

 呂の姿は、既にどこにもいなくなっていた。

 

「――ふぅ。初めてやったけど意外に使えるな、“秘打・ナイアガラの滝”」

 

 コージローは周囲に視線を向け、木刀の剣先を水平より少し下げた“下段の構え”を取った。機敏に動けないため攻撃しづらいが、奇襲に対しての警戒・防御には向いている構えである。

 その構えを維持したまま、コージローは平河姉妹のいる場所まで早足で移動した。

 

「アシスト、感謝します。怪我はありませんか?」

「わ、私達は大丈夫」

「良かったです。――今の奴、心当たりはありますか?」

「――私のせいだ」

 

 コージローの質問に答えた、というより独り言を呟いたのは、千秋だった。

 

「わ、私のせいでアイツが私を殺しに来て、それにお姉ちゃんやあなたが巻き込まれて――」

「僕は勝手に首を突っ込んだだけですので、気にしないでください」

「そうよ、千秋。私だって、あなたのせいだなんて思ってない」

「でも、でも――」

 

 千秋はそれきり泣きじゃくる。まともな会話は、しばらく無理そうだ。

 小春はそんな妹の背中を優しく撫で、コージローは小さな溜息を吐いた。

 

 

 

 

「……出過ぎた真似、でしたでしょうか?」

 

 高級乗用車を運転する(チュウ)青年は、後部座席に座る呂をバックミラー越しに見つめながらそう問い掛けた。呂は正面を見据えたまま口を閉ざしたままだが、ピリピリと肌を焼くような剣呑とした空気を振り撒いている。

 しかし周青年はそれに気を悪くすることも怯えることもなく、屈託の無い声を彼へと向ける。

 

「それにしても驚きました。呂大人(たいじん)が、まさか手傷を負われるとは。しかも相手は魔法も使えぬ少年となれば、その驚きも一入(ひとしお)と言えましょう」

 

 失態をあげつらっているとも受け取れる彼の言葉にも、呂は眉一つ動かさない。

 その代わり口にしたのは、自分達への追手が来ない現状についてだった。

 

「――遁甲術を使うのか?」

「いや、お恥ずかしい。陳閣下の御技に比べたら、手遊びに毛が生えた程度のものでして。皆様にお見せするほどのものではないので、今まで言わなかっただけのことですよ」

 

 手の内を隠していたことを責めているとも受け取れる呂の言葉にも、周青年はその笑顔を微塵も乱さなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 色々とあった学校から帰宅した達也は、荷物を置くや着替えすることも無く電話へと向かった。今朝にも掛けた電話番号にダイヤルすると、数コールの呼び出しの末に通話状態となり、画面に相手の顔が表示される。

 

『もしもし? 1日に2度も電話してくれるなんて珍しいわね』

 

 大手企業の若手秘書然とした、柔らかいながらも隙の無い微笑みでそう切り出したのは、独立魔装大隊所属の藤林響子少尉である。普段はわざと地味で目立たない装いをする彼女だが、普通にメイクして着飾ると平均以上に華のあるルックスをしているのがよく分かる。

 

「すみません、デートでしたか」

『フフッ。残念ながら、お・し・ご・と、よ』

「そうですか。実はご相談したいことがあったのですが、明日にした方が良いですか?」

『大丈夫よ、今は1人だから』

 

 言外に情報漏洩の懸念を示した達也に対し、それを正確に読み取った藤林がそう答えた。

 それならば、と達也は用件を話し始める。

 

「実は今日、学校で強盗に遭いまして。睡眠ガスを使われてしまいましたよ」

『あらあら、大丈夫だったの? って、大丈夫だからこうして電話してるのよね』

「ええ、まぁ。そのときに現場の映像を記録しましたので、調べてもらえませんか?」

『映像? どうやって?』

「独立稼働が可能なセキュリティ端末に記録させました」

『あっ、3Hね。へぇ、達也くんってそういう趣味があったんだぁ』

「違います。――窃盗未遂犯とツールが映っています。ハッキングを仕掛けられたCADのログも添付しておきます」

 

 達也の言葉に、藤林の目がスッと細められた。

 

『……つまり達也くんは「そろそろ狐を仕留めろ」と言いたいのね?』

「そんな偉そうな言い方をするつもりはありませんが、概ねその通りです」

『気にしないで。隊長からもそろそろ片を付けるように言われてるし、今朝貰ったログで絞り込みもできているから、一両日中には捕まえられると思うわ。吉報を待っててね』

 

 気負いもせず、藤林はそう予告した。随分と自分の腕に自信があるように聞こえるが、達也から見てもそれがけっして誇張ではないことを知っている。

 “電子の魔女”(エレクトロン・ソーサリス)

 彼女に与えられたこの称号は、表向きには電子・電波に干渉する魔法に長けた魔法師という意味だが、情報ネットワークを手玉に取る悪魔的なハッカーという意味も含まれている。上書きされて消去された磁気・光学ストレージのデータさえ再構築してしまう彼女の特殊スキルをもってすれば、1回でも電子情報ネットワークに痕跡を残したものをどこまでも追い掛けて突き止めることができる。彼女からしたら、世界中のネットワークが自分のテリトリーのようなものだ。

 お気の毒に、と達也は顔も名前も知らない敵に感情の籠もっていない同情を心の中で思い浮かべながら、藤林との電話を切った。

 

 

 

 

 達也との電話を終えた藤林は、車外に追いやっていた東松山よねを助手席に招き入れた。

 若手秘書を思わせるレディスーツ姿である藤林に合わせたのか、よねの服装も普段のカジュアルでワイルドなものとは対照的なスーツ姿だった。着慣れない服装で違和感が拭えないのか、助手席に乗り込む間も頻りにスーツの具合を気にしている様子だ。

 

「ごめんなさい、よねさん。プライベートな電話だったもので」

「あぁ、別にいいよ。響子さんくらい美人だったら、恋人の1人や2人はいてもおかしくないし」

 

 さすがに2人いるのはおかしいだろう、というツッコミは藤林はしなかった。

 それよりも、先程の電話の内容をよねが突っ込んで尋ねてこないことに内心拍子抜けしていた。事件の嗅覚に優れた刑事ならば、今の電話に何かを嗅ぎ取っても不思議じゃないというのに。

 

「さっきの電話の内容ですけど、狐に利用された哀れな鼠と、その鼠に貸し与えられた尻尾のスケッチを送ってきたんですよ」

「鼠? 尻尾? 響子さん、どんな男と付き合ってんの? そんな訳分かんないモンを送り付けるような奴、さっさと別れた方が良いんじゃない?」

「……すみません、分かりにくい表現をして。あなたが捜査している事件にも関与している犯人グループの協力者とハッキングに使用したツールの情報が送られてきたんですよ」

「えっ!? 響子さんの彼氏さんが、なんでそんな情報を!?」

「……あの、まず電話の相手が私の彼氏だということから否定させていただきますね」

 

 頭の血の巡りが悪い相手だとイライラする(たち)をしている藤林だが、よねに対してはもはや1周回って可愛らしさすら覚えていた。サザエさん時空のことを抜きにしてもだいぶ年上である女性への感情としては不適切であるとは分かっているのだが。

 

「その映像をお渡ししますので、街路カメラからその者の立ち回り先を調査してもらえますか? 一般には手に入らない特殊なツールですので、必ず生身での接触があったはずです」

「うーん、とりあえず今のアタシじゃ令状なんて取れないし、寿和くん達に相談してみるかぁ」

 

 よねの言う“寿和くん”とは、ロッテルバルトで声を掛けてきた千葉のことである。彼とその部下である稲垣、そして隣にいる藤林と事件の捜査を目的に即席のチームを組むこととなり、千葉達は現在2人とは別のルートで事件を捜査しているところだ。

 しかし1つのチームとはいえ、彼らの立ち位置はどちらかというと“よねの協力者”と表現する方が適切だ。後から3人の間に割り込んできた藤林に対して、どうにも警戒心が拭えないといった様子が窺える。

 

「それにしても、そいつが顔を合わせた奴全員を調べるとなると、どんだけの大人数を調べることになるやら――」

「それも大丈夫です。捜索地点は都内の32ヶ所、その中で協力者が過去1ヶ月に立ち寄った場所をピックアップしてください」

「えっ、もうそこまで分かってるの!? さすが響子さん!」

 

 藤林の言葉によねは手放しで称賛するのみで、その情報をどこの誰から仕入れ、そしてどのように調べたのかについてはまるで疑問に思っていない様子だった。

 藤林は当初、自らの美貌で千葉を骨抜きにしたうえで、自分に都合の良い駒として動かそうと考えていた。しかしよねの介入によりその目論見は外れ、彼と距離を置いて捜査する羽目になってしまう。

 しかしそのよねが単純な性格をしているため、彼女を介して結果的にほぼ当初の目論見通りの動きができるようになっていた。それに単純に同性と行動を共にした方が自身の身の安全を確保しやすいので、むしろこちらの方が良かったのかもしれない。

 

 ――とにかく今は、少しでも早く産業スパイの件を片付けなきゃ。独立魔装大隊としては、むしろ()()()()()()()なんだから。

 

 よねが千葉に電話を掛けるその横で、藤林が内心で気を引き締めていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 結局コージローは第一高校に足を運ぶことなく、レオとエリカが鍛錬している千葉家の本家道場へとやって来た。鍛錬に勤しむ他の門下生に軽く挨拶しながら、コージローは奥の部屋へと進んでいく。

 ちなみに他の門下生がコージローに向ける感情は、敵意5割と興味5割といった感じだった。敵意といっても九十九里浜家の道場を潰したことに対してではなく、自身の師であり容姿端麗なことからアイドル視されているエリカに“客人”として招かれたことによるやっかみである。エリカから「無礼な対応をするな」と通達があったためむりやり勝負を仕掛けてくることはないが、隙あらば稽古と称した勝負を持ち掛けられるためコージローとしても少々困っている。

 

 さて、そんな事情はさておき、事実上エリカとレオの専用となっている道場の一室にやって来たコージローだが、どうにも雰囲気がおかしいことに気がついた。

 エリカはブツブツと呪詛を呟きながら不機嫌なオーラを撒き散らし、レオはそんな彼女を刺激しないように体を小さくして大人しくしている。そんな彼の頬には真っ赤な紅葉が刻まれており、その犯人がエリカであることはこの状況から考えて明白だった。

 そんな2人がコージローの来訪によって同時にこちらへ顔を向け、そして同時に訝しげな表情を浮かべた。

 

「えっと、代々木くん……。そこにいるのって、一高(ウチ)の生徒よね? なんで一緒にいるの?」

 

 エリカの指摘した通り、コージローの後ろには制服姿の平河姉妹が並んでいた。小春は初めて立ち入った名家、しかもその心臓部である道場に興味津々といった様子で見渡していたが、千秋の方は目元を紅く腫らして顔を俯かせている。

 

「ちょっと2人が変質者に襲われそうになって――」

「襲われた!? どんな奴!?」

「それは分からない。そいつ自体は僕が追っ払ったから心配ないけど、もしかしたらまた狙われるかもしれないから、ここに匿わせてもらえないかな?」

「まぁ、それは構わないけど……」

「よ、宜しくお願いします」

「…………」

 

 コージローの背後で頭を下げる小春に、グッと口を引き結んで無言を貫く千秋。

 色々と訊きたいことが多いエリカとレオだが、コージローの方が早く動いた。

 

「それで、そっちは何があったの?」

「えっと、それは、その――」

「コイツが、アタシの裸を覗いたのよ」

「覗いてねーよ! しかも裸じゃねーし!」

「あ、あんなの、ほとんど裸だったようなもんでしょ!」

 

 ギャーギャーと言い争う2人から何とか事情を聞き出したところ、経緯は次の通りだった。

 レオがエリカから課題を与えられ、その間エリカは休憩すると言い残して部屋を出た。しかしエリカの想定より早くレオの課題が終わり、それを伝えるためにレオはこの部屋を出て彼女を探し始めた。

 すると廊下で、エリカの姉とバッタリ出くわした。彼女に事情を説明すると、おそらく休憩室にいるだろうと部屋の場所と行き方を表示したタッチパネルを貸してくれた。その通りに廊下を進んで部屋のドアを開けたところ、実はそのドアは救急用の非常口で、浴場付きの休憩所でバスタオルを巻いただけのエリカとご対面、というわけだ。

 

「そりゃ、返事が来る前にドアを開けた西城くんが悪い」

 

 コージローのハッキリとした判定に、後ろの平河姉妹もウンウンと頷いていた。レオは多少肩を落とした様子だったが、彼自身も今回の件は自分が全面的に悪いと思っているので言い返すことはしなかった。

 と、ここでコージローがエリカへと向き直る。

 

「とはいえ、千葉さんだってまったく非が無いわけじゃないよ。いくら西城くんが真面目でサボるような性格じゃないにしても、真剣を使った鍛錬なんだからちゃんとその場で見てないと」

「……確かに、それはそうだけど」

「ところで、コレがその課題?」

 

 コージローが興味を示したのは、この部屋の壁一面に組まれた格子状の巻き藁だった。ドアと窓以外の壁に隈なく組まれたそれは、刃を真っ直ぐ入れて真っ直ぐ振り抜く修行に使うものだ。

 そして現在、その内の1面において、横に渡されている巻き藁が1つ残らず断ち切られていた。最初の方は引っ掛かって曲がっていたり、振り下ろした拍子に刃を食い込ませたような跡が残っているが、最後の1列は全て綺麗に両断され、それ以外の余計な傷も見当たらない。

 

「西城くん、これをどれくらいの時間で?」

「大体10分くらいじゃねぇかな」

「成程、確かに早いね」

 

 巻き藁を見つめながら感心した様子で何度も頷き、コージローはレオとエリカへと向き直った。

 

「2人共、僕が『さっきのことは忘れて鍛錬を再開しよう』って言っても無理だよね」

 

 ほとんど断定的な口調だったが、レオもエリカも黙ったままであるため反論は無いようだ。

 するとコージローは何度も小さく頷き、自分が持っていた木刀を出して2人に見せつけた。

 2人の目に疑問の色が浮かぶ中、コージローは笑顔でこう言った。

 

「だったら2人共、余計なことなんて考えられないよう鍛錬に打ち込めば良いよ。僕が付き合ってあげるからさ、体力が尽きて倒れるまで続けよう」

「えっ?」

「あっ、言うまでも無いけど魔法は禁止ね。だって僕、君達と違って魔法は使えないからさ。大丈夫、純粋な剣技を鍛えるのだって剣術にとってプラスになるだろうから」

「いや、その――」

「えぇ、それが良いわね。泊まり込みになるだろうけど、下着の替えくらいは用意できるわよ。経費で落とせるしね」

 

 コージローの提案にエリカも乗っかってしまい、多数決の原理に則ってレオの反論は封殺されてしまった。2人共、レオに対して面白い玩具を見つけた子供のような目を向けている。

 

「……俺、生きてここから出られるかな」

 

 何とも気の抜けた声が、レオの口から漏れた。


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