嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第58話「世界は不思議な縁でいっぱいだゾ」

 コージローとの戦闘によって手傷を負った(リュウ)(チョウ)に助けられる形でアジトに逃げ帰ったのは、日付が変わって少し経った深夜のことだった。呂の姿に(チェン)は愕然とした表情を浮かべたものの、負傷の経緯は尋ねなかった。任務の首尾については既に報告を受けており、帰還前の再襲撃を主張した呂を陳が呼び戻したためである。

 また陳は、呂の失態を責めることもしなかった。確かに呂はそう簡単に手傷を負わされるほどの腕前ではないと考えてはいたが、それと同じくらいには代々木コージローをそう簡単に退けられる相手ではないと考えていた。()()()()使()()()()()()コージローに一方的にやられるのはさすがに予想外だったが、だからといって呂の責任を問い処断する選択肢を取れるほど彼の自分に対する貢献度は低くない。

 またそれ以上に、より重要度の高い問題が発生し、その対処に彼の力が必要になったからでもあった。

 

「状況が変わった。第一高校における()()()協力者である関本勲が、任務に失敗し当局の手に落ちた。収容先は八王子特殊鑑別所だ」

 

 魔法技能を持つ未成年者の拘留(に代わる観護措置)施設であるそこに収容されたとなれば、並大抵の技量では手が出せない。しかも関本は自分達と直接接触しているため、周を通して間接的な繋がりしかない千秋とでは“処理”の優先度がまるで違う。

 

「平河千秋は後回しだ。――関本勲を処分せよ」

(シー)

 

 任務の困難度が跳ね上がったにも関わらず、呂は変わらず平然とした表情で答えた。そこからは、昼間に負った傷の痛みすら窺えない。

 そうして呂が踵を返し、部屋を出ていく――かと思われた。

 

「その任務、私が請け負おう」

「――――!」

 

 突然部屋の隅から呼び掛けられたその言葉に、陳と呂が揃ってそちらへと顔を向けた。陳は若干の驚きを露わにして、そして呂は先程までとは打って変わって敵意を剥き出しにした表情で。

 そんな2人の視線を一身に受けながら、古いビルの一室には似つかわしくない高級なソファーに深く腰掛けるヘクソンはその表情を変えることなく2人を見遣る。

 

「そいつは先の戦闘で無視できない深手を負っている。そんな状況で任務に当たらせたところで再び返り討ちに遭うのは、超能力を使わなくとも目に見えている」

「……特殊鑑別所の兵力と呂の実力を鑑みて、問題無いと判断したまでだ」

「そう判断して平河千秋の処分を命じ、()()()()()()()()()()代々木コージローにやられたのはどこのどいつだ? おそらく次も、何者かと鉢合わせになり突発的な戦闘が行われるだろう。――今度こそ、野原しんのすけが出てくるかもしれないぞ」

「…………」

 

 ヘクソンの指摘は、陳にとっては言われるまでもなく分かっていることだった。野原しんのすけの“主人公補正”を考えると、関本勲の処分が何の滞りも無く成功するなどと考えることはできない。それならば、深手を負っている呂よりも万全な状態のヘクソンに任務を命じる方が絶対に成功率は上がるだろう。

 しかしここで陳が即座にそう判断できなかったのは、ひとえに2人に対する信頼に大きな隔たりがあるからだった。

 大亜連合の特殊工作部隊として自分の腹心を務める呂、さらには共に密入国をした部下達とは違い、ヘクソンは日本に着いてから()()()()()()()現地協力者だ。陳が周に対してまるで信頼を寄せていない以上、周の息が掛かった彼を自分の部下と同じように使うことはできなかった。

 だが、それでも、

 

「――良いだろう、ヘクソン。関本勲処分の任務、おまえに命じる」

「了解した」

 

 陳の命令を受け、ヘクソンはソファーからゆっくりと立ち上がった。

 

 

 *         *         *

 

 

「――――“変身”!」

 

 後ろで真由美と摩利と達也が、そして正面でヘクソンが見守る中、しんのすけが高らかにそう叫んでいつもの変身ポーズを取った。彼の腰に巻かれたベルト型CADが一瞬だけ青白い光を放ち、そしてすぐに消え去る。

 青白い光の正体であるサイオンは、魔法の資質のある者にしか視認できないものだ。ヘクソンはあくまで超能力者であり魔法師ではないため、故にしんのすけの行動もただ変身ポーズを取っただけにしか見えない。しかしヘクソンはそれを嘲笑うことなく、無表情で観察するようにジッと見つめていた。

 

 そうしてしんのすけの行動が終わったのを確認してから、ゆっくりとした足取りで歩き出した。姿を現してから一度も攻撃する素振りすら見せなかった彼の行動に、後ろで見守っていた3人の表情に緊張の色が浮かぶ。

 そんな中、直接対峙するしんのすけだけが普段と変わらぬリラックスした顔つきのまま、こちらに歩いてくるヘクソンへと足を踏み出した。ゆっくりとした足取りで彼に近づくその様子は、まるで客人として出迎えるかのようである。

 そうして互いに距離を近づけ、あと1歩大きく踏み出せば手が届くまでになったとき、

 

「――――!」

 

 最初に動いたのは、ヘクソンだった。

 目にも留まらぬ速さで足を踏み出し、空気を切り裂く鋭さでしんのすけの頭めがけて手刀を繰り出した。相手の心を読むという能力を活かしたカウンター攻撃を主体とすると考えていた摩利が、自分から攻撃を仕掛けたこと、さらにその動きが武道の達人が如き身のこなしであることに驚きを隠せない。

 それほどまでに素早い攻撃を、しんのすけは最低限の動きだけでスッと避けた。

 

 そしてそれを皮切りに、ヘクソンが猛攻撃を開始した。功夫(カンフー)を思わせる卓越した格闘術から繰り出される拳・掌・手刀、さらには足技をも織り交ぜた多彩な攻撃で全身の急所を的確に狙っていく。もしこの場にコージローがいれば、彼の動きが呂剛虎と比べても遜色ない洗練されたものであるのが分かったことだろう。

 だが、それであっさりやられるしんのすけではなかった。1歩もその場から動かずに、まるでコンニャクか何かのように体をグネグネと不規則にうねらせ、ヘクソンの猛攻をことごとく避けていった。その不気味な動きに真由美と摩利が味方にも拘わらず顔を強張らせ、達也は春の模擬戦で自分の攻撃を避けていたときのことを思い出した。

 そのときの達也をなぞらえるように、ヘクソンは有効打どころか攻撃を掠らせることすらできないでいる。しかし彼はそれに焦りを覚えた様子は無く、まるで想定内だと言わんばかりに冷静な表情を崩さずにいる。

 

「――“和毛和布(わけわかめ)”か」

 

 ヘクソンは何やら呟き、しんのすけの頭めがけて回し蹴りを繰り出した。しんのすけはそれを、膝を折って身を低くすることですんなり避ける。

 と、ここでしんのすけが身を乗り出し、ヘクソンへと両腕を伸ばしてきた。しかしその手はまるで力が込められておらず、特別速いわけでもない。それこそ、単純に腕を伸ばして触ろうとしただけのようにも思える。

 しかし今までその場を1歩も動かなかったヘクソンが、なぜかそれに対しては大きく後ろに跳び退いた。その表情も、明らかな焦りの色を含んでいる。

 そうして距離を取ったヘクソンが、改めてしんのすけへと視線を――

 

「――――!」

 

 向けようとしたそのとき、ヘクソンがほんの少しだけ目を見開いて横に跳んだ。

 そして直前まで彼のいた空間を、ドライアイスの礫が亜音速で貫いた。彼にとっては完全に死角から飛んできたはずだったのだが、まるで飛んでくるのが初めから分かっていたかのような反応の早さである。

 もちろん、その攻撃を仕掛けた真由美の思考を読んだからこその芸当だ。ヘクソンが真由美へと視線を向けると、悔しそうに口元を引き結ぶ真由美と目が合った。そしてそれを見て彼女が狙われると思ったのか、摩利が彼女の前に出てデバイスを構える。

 しかしそれは、完全に勘違いだ。そもそもそのときには、ヘクソンの興味は既にそこから外れていた。

 真由美へと視線を向けたとき、彼女の正面に立っているはずのしんのすけがどこにも見当たらなかったからである。

 

「――――!」

 

 そしてその一瞬後、ヘクソンはその視線を少し下へと向けた。

 俯せの姿勢で床に寝転がっているしんのすけが、尺取虫のように体を波打たせてこちらに迫ってくるのが見えた。字面だけ見ると如何にものんびりしていそうだが、まるで映像の早送りでも見ているかのようなスピードで、しかもまったく音を立てず、あっという間にヘクソンの足元にまで辿り着く。

 するとしんのすけはその姿勢から、何の前触れも無くヘクソンの顎に向けて蹴りを繰り出した。俯せに寝転がった状態から逆立ちになるまでの過程が、それを見つめていた真由美にはまるで見えなかった。摩利と達也でさえも、辛うじて見えたという程度である。

 それを示すように、ヘクソンはその場を動かず、そして避ける動作もしない。

 決まった、と摩利が心の中で確信した。

 

 ぼよんっ。

 

 しかし彼女の確信は、気の抜けた音と共に崩れ去った。

 しんのすけの鋭い蹴りが、猫の手のように指を曲げたヘクソンの右手に阻まれた。しんのすけも決まったと思ったのか、「おっ?」と戸惑いの表情を浮かべる。

 するとヘクソンはその隙を突いてその脚を掴み、その場で回転して遠心力でむりやりしんのすけを持ち上げると、その勢いのまま達也たちのいる方へと投げ飛ばした。

 

「おぉっ!」

「――しんちゃんっ!」

 

 声を張り上げる真由美の見つめる中、しんのすけは勢いを保ったまま床に転がり落ち、そして2回ほど転がると達也たちの目の前でピタッと立ち止まった。両腕を水平に広げてポーズを取る様子は、まさしく新体操のそれである。

 

「しんちゃん、大丈夫!?」

「いやいや、別にやられてないゾ。新体操をしようとしてただけだから」

 

 心配する真由美に、なぜかそんな言い訳をするしんのすけ。

 そしてヘクソンは追撃する素振りを見せずに、その場に留まってしんのすけを見据えたまま口を開いた。

 

「さすがだな、野原しんのすけ。“芋虫行脚”(いもむしあんぎゃ)から“糞転下肢(ふんころがし)”への移行に淀みが無い」

「いやぁ、それほどでもぉ」

「そして私にやられた後の“受身美学(うけみびがく)”、なかなか素晴らしい演技だったぞ」

「前2つは良いとして、それには何の意味があるの?」

 

 真由美のツッコミは至極もっともだが、残念ながらそれに応える者はいなかった。

 達也も摩利も、それ以上に気になることがあったからだ。

 

「しんちゃん、もしかして今の動きが“ぷにぷに拳”というヤツか?」

「おっ、摩利ちゃん知ってるの?」

「十文字から聞かされてな、少しだけ知識があるんだ」

「どうやら知識があるのは、渡辺先輩だけではないようですけどね」

 

 達也の指摘に、その場にいる全員の目がヘクソンへと向いた。

 それを待ち構えていたかのように、彼が右手を彼らに向けて差し出した。

 その手は、猫のように指が曲げられていた。

 

「“猫手反発(ねこてはんぱつ)”。相手の攻撃を猫の手で吸収する、ぷにぷに拳における防御の構えだ」

「ぷにぷに拳には全部で10の奥義があると聞く。その内の1つを使えるということは――」

 

 摩利の言葉にヘクソンはフッと笑みを浮かべ、そしてしんのすけへと視線を向けた。

 

「安心しろ、野原しんのすけ。玉蘭(タマ・ラン)は息災だったぞ」

 

 女性らしきその名前は達也たちの知らないものだったが、その台詞からヘクソンがその女性からぷにぷに拳を習得したことを悟った。ただでさえ超能力で人の心を読むという大きなアドバンテージがある中で、この情報は3人をさらに緊張させるに足るものだった。

 そしてそれを直接ぶつけられたしんのすけも、その台詞の意味をしっかりと理解した。

 

「つまりオラと一緒に修行したランちゃんの弟子ってことだから、オラの方が偉いってことだよね? とりあえず、焼きそばパン買ってきて」

「しんちゃん、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 

 すっかりツッコミ役が板に付いた真由美の叫びに、しんのすけが「おっ?」と首を傾げた。相変わらずのマイペースっぷりに、摩利も達也も呆れ果てて大きな溜息を吐く。

 そしてその直後、

 

「――――」

 

 達也がホルスターからCADを抜き、森崎もかくやというスピードで魔法を発動した。“フラッシュ・キャスト”と呼ばれる技術によってイメージ記憶として意識領域に魔法式を刻み込み、それを読み取ることで魔法式構築の時間すらも省略して発動したその魔法は、達也固有の分解魔法によって人体に穴を空けるという、発動の予兆も無い静かなものだった。

 達也本人としては、できるだけ意識しないよう一瞬で発動したつもりだった。しかしそれでもヘクソンは体1つ分横にズレてそれを避けると、即座に床を蹴って達也へと迫っていく。

 みるみる距離が縮まる2人の視線が交錯し、達也が半身の構えを取る。

 と、そのとき、

 

「――ヘクソンっ!」

 

 突然大声で呼び掛けられたヘクソンが、半ば反射的にそちらへと視線を向ける。

 その声の主であるしんのすけと目が合った、その瞬間、

 

「――――っ!」

 

 ヘクソンが途端に苦悶の表情を浮かべ、咄嗟に右手を頭にやって踏鞴(たたら)を踏んだ。

 何をしたのか気になるが、それに気を取られる達也ではない。彼は即座にヘクソンとの距離を詰めると、握り締めた拳を彼の鳩尾に叩き込んだ。しかもただ振り抜くのではなく、相手の体に手を当ててから勢いよく押し込むことで内部に衝撃を伝える“裏当て”を織り込んだものだった。

 初めて自分から跳んだのではなく後ろに吹き飛んだヘクソンの体が、数メートル離れた所でブレーキを掛けて止まった。しかし明確なダメージを負った様子は無く、冷静な表情のまま顔を上げて達也へ鋭い視線をぶつける。

 

 しかし再び床を蹴ろうとする直前、ヘクソンは不自然な動作でむりやりその向きを真横へと変更した。

 そうして誰もいなくなったその空間に、2枚の短冊状の金属片が重力加速度を超えた速度で落下した。もしヘクソンがその場に残っていれば彼の肩と背中を捉えたであろうそれらは、床に深々と突き刺さって放射状のヒビを入れるに留まった。

 悔しさで奥歯を噛み締める摩利の横で、今度は真由美がCADを持つ右腕を構えた。

 金属片を避けたヘクソンを背後から貫く勢いで飛ぶドライアイスの礫を、ヘクソンは一切そちらを見ずに今度は逆方向へと飛んだ。先程床に突き刺さった金属片を跨いで床に着地する彼の右脚めがけて、床上数センチの空間から突如現れたドライアイスの礫が襲い掛かる。そして彼はそれをも、最低限の動作で跳び退くことですんなり避けた。

 まるでダンスを踊っているかのような優雅な動きを見せるヘクソンだが、そんな彼が突如ステップを止めてチラリと天井を見上げた。

 

 ヘクソンの視界に飛び込んできたのは、球体だった。第一高校の制服にも使われる緑と白で彩られたその球体が、天井からヘクソンめがけて勢いよく落ちてきたのである。

 ヘクソンは咄嗟に跳び退き、その直後に球体が地面に叩きつけられた。その衝撃で球体がゴムボールのように潰れ、しかしそれをバネにして勢いをつけた球体が逃げるヘクソンへと襲い掛かる。体重移動が間に合わず避けられないと判断した彼は、猫の手にした両腕をその球体へと差し向けた。

 ぼよんっ、と気の抜ける音をたてて球体とヘクソンの両手が衝突し、跳ね返った球体が達也たちのいる方へと放物線を描いて飛んでいく。

 するとその球体がモゾモゾと蠢き、人型へと姿を変えた、というより姿を戻した。“柔軟弾丸”(じゅうなんだんがん)と呼ばれるぷにぷに拳の奥義によって人体では有り得ない完全な球体になっていたしんのすけが、先程の攻防によるダメージを微塵も感じさせない軽やかさで床に下り立った。

 

 そうして数メートルの距離を空けて対峙する、しんのすけ軍勢とヘクソン。

 仕切り直しの形となり、このまま再び激しい攻防が繰り広げられる――と思われたそのとき、

 

「そこの侵入者! 抵抗を止めて大人しくしろ!」

 

 4人の武装した警備員がヘクソンの背後から現れ、銃器を構えながら1人が呼び掛けた。

 前方へと駆け出す直前だったヘクソンはそれを聞き、スッと姿勢を正して気を落ち着かせるように軽く息を吐いた。投降したと思ったのか、警備員は銃器を向けたままジリジリと近づいていく。

 しかしそんなヘクソンの口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「どうやら任務は失敗のようだな。私の完敗だ」

 

 ヘクソンはそう言い残すと、突然床を蹴って走り出した。

 しかしそれはしんのすけ達のいる正面ではなく、銃器を構える警備員がいる後方だった。突然の行動に警備員はほんの一瞬呆気に取られ、しかし即座に気を取り直して構えていた銃器の引き金を引いて発砲した。もちろん後方にいるしんのすけ達に当たらぬよう、ヘクソンの足元を狙ってのことである。

 ところがヘクソンはそれを、スピードを一切落とすことなく何度もジグザグに動いてそれを避けた。そうして警備員の目の前まで辿り着くと、一瞬だけ身を屈めて大きく跳び上がった。彼の体は警備員達の頭上を跳び越えて天井に到達し、そして警備員達の背後に降り立って走り去っていく。

 

「ま、待て!」

 

 警備員は慌てた様子で反転し、ヘクソンの後を追った。しかし4人全員がそうしたのではなく、1人だけがその場に残ってしんのすけ達へと駆け寄っていく。とはいえその警備員の視線は、その中で最も知名度も社会的立場も上である真由美へと向けられていた。

 侵入者を捕り逃がした、という情報が彼女達の耳に入ったのは、それから10分ほど経ってからのことだった。

 

 

 

 

 事情聴取を終えた達也たちが鑑別所のゲートを出たときには、外はすっかり真っ赤に染まっていた。4人の足元から伸びる長い影が、4人の動きに合わせてユラユラと揺らめいている。

 特にこれといった理由も無く全員が無言を貫く中、摩利が躊躇いがちに口を開いた。

 

「達也くん、しんちゃん。その、今日アタシが見せた魔法だが、他言無用で頼む」

「それは先輩の得物のことですか? それとも“ドウジ斬り”についてですか?」

「おっ? それって、何か飛ばしてたヤツ?」

 

 摩利の魔法を一目で看破した達也に、摩利も真由美も「やはり知っていたか……」と嘆息の声をあげた。

 2本の刀を遠隔操作し、手元の刀と合わせ3本の刀で対象を取り囲むようにして同時に斬りつける魔法剣技。本来の意味である“同時斬り”の名を“童子斬り”に隠して源氏一門の限られた剣士に伝承されてきた魔法だったが、魔法の存在が明らかになってからは“ドウジ斬り”の名だけが研究者の間で一人歩きしている状態だ。

 

「秘密にしたいというのであれば、術式の内容を喋ったりはしませんよ」

「いや、アタシが“ドウジ斬り”を使えることも他言しないでほしい」

「おっ? なんで?」

 

 当然のように訳を尋ねるしんのすけに、摩利がホッとしたような顔で話し始める。

 

「実はあの術式、正式に伝承されたものじゃないんだ。(ウチ)に伝わる古文書を、その、恋人に協力してもらって試行錯誤していたらできてしまってね」

「おぉっ! 摩利ちゃん、恋人がいるなんて初耳だゾ!」

「そ、そこに食いつくか……。とにかく、アタシの家は渡辺綱(わたなべのつな)の末裔ってことになっていてな、一応源氏の一門とはいえ家格はけっして高くないんだ。そんなアタシが源氏の秘剣を使えるとなれば、色々と面倒なことになるのは目に見えているからな」

「しかし実戦魔法師として身を立てるのであれば、いつまでも秘密というわけには……」

「分かっているさ。だが、せめて学生の間は御免被りたい」

 

 渋い顔でそう言う摩利に、達也もしんのすけも揃って頷いて了承した。そもそも2人共が彼女の魔法を吹聴する気は無いので、特に無理な相談というわけでもない。

 それに達也の場合、それ以上に気になることがあるのだから。

 

「ところでしんのすけ、奴と戦っていたときに気になることがあったんだが」

「おっ? 何?」

 

 先頭を歩いていたしんのすけが、疑問の声と共にクルリと振り返る。そのまま後ろ向きで歩く姿は、小さな子供のように危なっかしい。

 

「奴が俺に襲い掛かったとき、しんのすけが奴の名前を叫んだ途端、奴が急に動きを止めて苦しがっていただろ? 何をやったんだ?」

「あぁ、アレ? ものすごーく色んなことを考えまくって、オラの心をむりやり読ませたんだゾ」

 

 しんのすけの答えに、摩利が興味を示したように「ほう……」と声を漏らす。

 

「さすがに脳内で処理する情報量が大きいと負担になるのか」

「しかもあの様子からすると、読心能力は常に発動していてオンオフの切替ができないみたいね。とはいっても、戦闘中にまったく関係無いことを考えまくるなんて私には怖くてできないけど」

「しんちゃんは奴と戦ったことがあるんだろ? そのときはどうやって倒したんだ?」

「えっと、みんなで歌を歌って頭を空っぽにしながら捕まえて――」

「はっ? 歌?」

「んで、オラとひまの2人でくすぐり攻撃をしたの。アイツ、くすぐられるの弱いんだゾ」

「……やっぱり、私達には真似できないわね」

 

 しんのすけの話を摩利と真由美が苦笑いで聞いているその横で、

 

「…………」

 

 達也は1人で、何やら考え込んでいる様子だった。

 

 

 *         *         *

 

 

 ヘクソンが鑑別所を襲撃してから3日後。

 論文コンペの本番を2日後に控えた、10月28日金曜日の夜。

 食事も入浴も済ませてすっかり寛いでいた達也に、藤林からの電話が掛かってきた。

 

『――というわけで、スパイの実働部隊はこの3日間でほぼ全てを拘束しました』

 

 事務的な口調での説明を終えた藤林が、ディスプレイの向こう側で表情を和らげる。

 

『達也くんからの情報はとても役に立ったわ。残念ながら隊長の陳祥山(チェン・チャンシェン)と腹心の呂剛虎(リュウ・カンフウ)は逃がしちゃったけど、産業スパイの件に関しては概ね解決したと言っても良いわ。ありがとう』

「いえ、俺の方からお願いしたことですし」

『だとしても、今回のスパイには多数の企業が悩まされていたからね。私達の部隊の性質上、魔法技術を狙ったスパイにも知らん顔できないし、あなたから依頼が無かったとしても近々出動する予定ではあったのよ。それが達也くんたちのおかげで少し早まったんだから、こちらとしても感謝してるのよ』

「そうですか。――レリックに関しては、どこから漏れたのでしょうか?」

『お恥ずかしい話だけど、軍の経理データから漏洩してたみたいなの。魔法研究の委託費支払いがあった先が、片っ端から狙われていたみたいね』

 

 どうりでやり方が中途半端だったわけだ、と達也は1人納得した。

 

『拘束したメンバーは東洋系多国籍だけど、もしかしたら()()()の尻尾を掴めるかもしれないわ。――そのときは、達也くんにも協力してもらっても良いかしら?』

「任務とあれば、否やはありませんよ」

 

 藤林のフレンドリーな問い掛けに、達也も軽い口調で答える。今回の産業スパイに関して、2人共がよくある事件の1つと認識していることの表れだ。実際達也が説明を聞いていたときの感想も「今回の相手は大物だったな」程度のものでしかなかった。

 その事件に、余分な“イレギュラー”が存在していなければ。

 

「ところで、先程の説明には“ヘクソン”の名前が一度も出てきませんでしたが」

『――正直、私個人としてはこのまま無視したかったところなんだけどね』

 

 そうも言ってられないわよねぇ、と藤林は諦めたように溜息を吐いて姿勢を正した。

 その表情は、産業スパイ事件の顛末を説明していたときよりも、よっぽど緊迫していた。

 

『今回捕まえた奴らの証言で、それらしき男の存在自体は確認されているわ。どうやら部隊に所属してたわけじゃなくて、あくまで“現地協力者”という立ち位置だったみたい』

「現地協力者ということは、元々日本にいたということですか?」

『それがよく分からないのよ。――何せ、奴は今まで“行方不明”だったんだから』

「行方不明?」

 

 藤林は大きく溜息を吐いて、若干躊躇いがちに口を開いた。

 

『世界征服を企む珠黄泉族の野望が潰えて警察に逮捕された後、超能力者だったヘクソンも他の奴らと同じように普通の刑務所に服役していたわ。――だけどそれから数年後に世界各地で超能力の研究が行われるようになって、その流れで設立された陸軍の秘密研究機関にヘクソンが移されることになったの』

「早い話が、実験体に選ばれたということですね」

『そういうこと。――でも奴もただで実験体になるほど大人しい性格じゃなくてね、研究機関に移動する途中で暴れられて逃げられちゃったのよ。事情が事情だから公表して大々的に捜索することもできないし、軍の方でも色々と手を尽くしてたみたいだけど、結局は行方不明のまま時間だけが過ぎてったってわけ』

「そして今回の件で、100年弱ぶりに姿を現したということですか」

『しかも大亜連合の特殊工作部隊の協力者として、ね』

 

 100年もの間どこに潜んでいたのか、なぜ大亜連合の特殊工作部隊の協力者になったのか、その詳しい経緯については知る由も無い。手掛かりがあるとすれば、しんのすけも習得している“ぷにぷに拳”という拳法、そしてそれを教えたとされる“玉蘭”という女性だろう。

 しんのすけにもその辺りのことを尋ねてみたが、彼は“アイヤータウン”という春日部の中華街で彼女と知り合い、例の如く色々あった後、修行に出るという彼女を見送って以来一度も会っていないようだった。軍としても彼と深い関わりを持つ人物としてマークしてはいるものの、断片的な目撃情報を除いて足取りが把握できていないのが現状らしい。

 

『春日部の中華街で育った女性と、大亜連合の工作員に協力する超能力者、そしてその2人を繋ぐぷにぷに拳……。これらがどこまで深く関わっているのかは分からないけど、強力な超能力者だったヘクソンが更に大きな力を得たのは間違いないわね』

「しかし奴の言動を見る限り、自分を超能力開発の実験体にしようとした日本国に対して恨みを持っているようには感じられませんでした。奴がこだわっているのは、しんのすけ只1人のように思えます」

『過去に自分の野望を潰した彼に対する復讐ってことかしら?』

「にしては、恨みなどの強い感情は見られませんでした。しんのすけがどのような成長を遂げているのか興味があった、というのが一番しっくり来ます」

『奴の動機は何にしても、再び彼の前に姿を現す可能性が高いってことね。――ねぇ、達也くん』

 

 藤林の呼び掛けに、達也は彼女に向き直って無言で続きを促す。

 

『不吉なことを言うようだけど……、今度の日曜日が“正念場”に思えてならないのよ』

「……奇遇ですね、俺もです」

『……日曜日、()()()()頑張りましょうね』

 

 藤林との通話が切れ、達也はリビングのソファーにどっかりと腰を下ろした。いつもと違う雑な動作が、彼の蓄積された疲労の大きさを物語っている。肉体的なスタミナに限れば1週間ほど徹夜と半徹夜を繰り返してもどうということはない彼にしては、かなり珍しいことである。

 

「お兄様……」

 

 目を閉じて背もたれに頭を預ける彼の姿に、深雪が心配と不安を隠せない声を漏らした。

 そして彼女は心の中で、或る“決意”を固めた。


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