嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第59話「いざ横浜、だゾ」

 次の日、土曜日。

 本番を明日に控えた達也だが、午前中は他の生徒と同様に教室の端末で課題に取り組んでいた。さすがにこの日にもなれば作業という作業は無く、今日は本番と同じ段取りで作動状況を確認するというものだった。よって代表の出番は午後からであり、午前中の授業もいつも通り受けることに決めていた。

 しかし周りの生徒達は普段通りとはいかないようで、論文コンペを話題にしたお喋りが教室のあちこちで交わされていた。元々担任のいない二科生の授業は半分自習のようなものとはいえ、基本は真面目なので普段はここまで騒がしくない。それだけ、このイベントが学校全体に注目されていることの証と言えよう。

 

「ねぇねぇ、達也くんは明日何時頃に会場入りするの?」

 

 そんな授業時間の合間、エリカが達也の席にやって来て問い掛けた。さりげなさを装ってはいるが、その傍でレオが聞き耳を立てているのが丸分かりだった。

 何を企んでいるのかは容易に想像できるが、特に隠すことではないので達也は素直に答える。

 

「8時に現地集合して、9時に開幕。30分のセレモニーの後、9時半からプレゼンがスタート。持ち時間は1チーム30分で、インターバルは10分。午前4チームで昼休憩は12時から1時で、午後に5チームやるから終了時刻は4時10分。審査と表彰があって、終了予定時刻は午後6時だ」

「……成程」

 

 想像していた以上に詳細な答えが返ってきて、エリカは少々面食らった様子だ。

 

「それで、一高の出番は?」

「最後から2番目だから、午後3時だな」

「随分と後ね。時間が余っちゃうんじゃない?」

「まぁな、だから市原先輩は午後に会場入りだ。俺達3人は機器の見張り番とトラブルの対処とかあるから、午前から行くけどな」

「ふーん、現地集合なんだ……。デモ機はどうするの?」

「生徒会が運送業者を手配して、服部先輩が同行することになっている」

「あれ? 服部先輩って、市原先輩の護衛じゃなかったっけ?」

「当日は七草先輩と渡辺先輩が迎えに行く手筈になっている。――で、どうしてそんなことを訊くんだ?」

 

 達也の質問にエリカはたじろぎ、今まで無言を貫いていたレオが代わりに口を開いた。

 

「……なぁ達也、俺達にも護衛を手伝わせてくれないか?」

「それは構わないが、なんでそんな面倒なことにわざわざ関わろうとするんだ?」

「まぁ、せっかくあそこまで頑張って特訓したのに、何もしないまま終わるのはちょっとな……」

「達也くんたちを助けるために特訓したのに、自分達の知らないところで事件が解決してるのって馬鹿みたいじゃない?」

 

 レオの言葉に続けてエリカが言ったのは、おそらく火曜日の特殊鑑別所でヘクソンと交戦したことを指しているのだろう。彼女としてはヘクソンのような敵を想定して特訓していただけに、とても悔しい想いをしたに違いない。

 

「どんな動機にせよ、人手は多い方が助かるよ。鑑別所の襲撃者も取り逃してしまった以上、何か起こる可能性は大いにあるからな」

「だったら達也、僕も護衛を手伝って良いかな?」

 

 明らかに盗み聞きしていたであろうタイミングで声を掛けてきたのは、幹比古だった。その隣には、遠慮がちに視線を向ける美月の姿もある。

 

「十文字先輩の練習相手でしかないけど、それなりに鍛錬は積んできたつもりなんだ」

「え、えっと……、私は特に特訓とかしてないんだけど、もしかしたら私の眼が何かの役に立つかもしれないし……。戦力にはならないと思うけど、一緒に手伝わせてくれないかな……?」

「あぁ、人手は1人でも多い方が良いからな。頼りにしてるぞ、2人共」

 

 達也の言葉に、幹比古と美月は力強く頷いてみせた。

 そしてその横から、エリカが爆弾を投げつける。

 

「そういえば達也くん、当日は代々木くんも一緒に来るみたいよ。何か、達也くんと一度話をしてみたいんだって」

「……何だって?」

 

 

 *         *         *

 

 

 路上で(リュウ)に襲われてから、平河姉妹は千葉家の道場に匿わせてもらっていた。姉の小春は論文コンペがあるのでレオとエリカを護衛として学校へ通っているが、妹の千秋は自主休学して基本的に道場で引き籠もっている。千葉の門下生が鍛錬を積む場所なだけあって、戦力的な意味で自宅にいるよりよっぽど安全だ。

 それに彼女達をここに連れて来たコージローも、その日からここで寝泊まりするようになっていた。拾ったのだから最後まで面倒をみるべき、というわけでもないが、自分の知らないところで彼女達の身に何かあれば目覚めが悪いのも事実だ。なので彼は現在、千秋の実質的なボディーガードの役割を果たしている。

 しかし今の彼には、それ以外にも重要な仕事があった。

 

「千秋さん、自分の体の真ん中にまっすぐ竹刀を振り下ろすことを意識して」

「うん、分かった」

「竹刀を振るときは肩も一緒に動かして。腕だけで振ると、手の握りが弱くなるから」

「えぇと、こうかな……」

 

 道場に閉じ籠もっている間、いつ来るか、そもそも来るかどうかも分からない襲撃者に対して気を張り詰めるのにも限界がある。何か気分転換になるものが必要であり、普段立ち入ることのない剣術の道場という環境、しかも剣道の中学チャンピオンが傍にいるということで、千秋はコージローに剣道を教わることとなった。

 所作の1つ1つに気を配りながら竹刀を素振りし、コージローと簡単に試合形式の打ち合いをする。達也に対する嫉妬にも似た敵意に囚われ、そして命の危機に晒されることへのストレスで精神を摩耗していた千秋にとって、必然的に己を見つめ直す剣道の稽古は色々と学ぶことの多いものだった。

 そうして汗を流し、休憩に入っていたときのことだった。

 

「失礼します。第一高校の市原さんという方が、平河千秋さんに御用だと伺っているのですが」

「……市原先輩が?」

 

 千葉家の門下生が2人のいる部屋にやって来て伝えた内容に、2人は互いに顔を見合わせて首を傾げた。学校には自主休学の理由とその間の所在は伝えているのでここに来たのは理解できるが、論文コンペの本番を明日に控えたこのタイミングで鈴音が会いに来る意図が分からない。

 とりあえず会ってみないことには分からないか、と千秋は門下生の案内で応接室へと向かった。

 

 

 

 

「お久し振りです、平河さん。容態は大丈夫ですか?」

「は、はい。お陰様で、特に気分が悪いとかはありません」

 

 今は代替わりしているとはいえ元生徒会役員、しかもあの七草真由美と渡辺摩利が信頼を置く鈴音を目の前にして、千秋は緊張を隠せず体を強張らせていた。

 ちなみにソファーに座る彼女の後ろには、服部が手を後ろに組んで控えている。本来は鈴音1人で来るはずだったのだが、何かと物騒なことが起こっているからと真由美達に反対されたため妥協案として彼を同行させている、というのは千秋には知りようもない事実である。

 

「それで、市原先輩……。私に用事というのは……?」

「怒りに来たのではないので、そう緊張しなくて大丈夫ですよ。――千秋さん、外を出歩くことに不安があるのは重々承知なのですが、明日の論文コンペを観に来てもらえませんか?」

「……えぇと、それはまたなぜでしょうか?」

 

 突然のお願いに、当然ながら千秋は疑問を口にする。

 そんな彼女に、鈴音はまっすぐ見据えてそれに答える。

 

「後進の育成のため、ひいては学校のためです。――平河千秋さん、あなたは1学期定期考査の筆記試験において、魔法工学の科目で100点満点中92点という高得点をマークしました。これは学年全体でも2位、普通ならトップでもおかしくない成績です」

 

 ちなみになぜトップでないかというと、他ならぬ達也が文句無しの満点を叩き出したためであるが、鈴音は敢えてそこには触れずに話を進めた。千秋もおそらく気づいているだろうが、若干眉を寄せた程度で口を開くことは無かった。

 

「夏の九校戦において我々一高幹部は、下級生に魔工技術師系の人材が乏しいという危機感を抱きました。1年男子の成績不振は精神的なものばかりでなくそこにも一因がある、というのが我々の見解です」

「……ですが、私以外にも優秀な人は――」

「確かに2年の中条あずささん、五十里啓くん、そして1年の司波達也くんと人材はいますが、言ってみればその3人だけで層が薄いのが現状です。一科生については教師の目も届きますが、二科生となると我々生徒会や部活連でなければ人材を見出すことはできません」

「……それで、市原先輩は私に目を付けたということですか?」

 

 遠慮がちな千秋の問い掛けに、鈴音はそのまっすぐな視線のまま頷いた。

 

「千秋さん、あなたはどうやらハードウェアの方が得意なようですね。1年生の内なら魔法工学もソフトが中心ですが、2年生になればハードの比重が大きくなっていきます。一方司波くんは、この3週間一緒に作業して分かりましたが、ソフトに比べてハードをあまり得意とはしていないようです。もちろん高校生の水準を大きく上回っていますが、“かけ離れた”と呼べるほどではないと思われます」

「…………」

「司波くんにはソフトの分野を、そしてあなたにはハードの分野を。双方で力を補い合いながら、ぜひともその才能を母校のために役立てていただきたいのです」

 

 今まで黙って鈴音の話を聞いていた千秋が、ここで初めてフッと笑みを浮かべた。

 鈴音の見る限り、それは自嘲的なものではなかったように思えた。

 

「失礼ですが、市原先輩がそこまで愛校心のある方だとは思いませんでした」

「私の愛校心は、誰にも負けないものだと自負しております」

 

 真面目な表情でそう言い切る鈴音に、千秋はフフッと笑い声をあげた。

 

「お心遣い、感謝致します。――実を言いますと、元々行く予定ではあったんです。私達のボディーガードをしてくれている人が論文コンペに用事があるようですし、何より姉が代表なので」

「おや、それでは出過ぎた真似でしたね」

「いいえ、そんなことは……。市原先輩にそこまで言っていただけて、とても有難かったです。その期待に応えられるかどうかは分かりませんが、自分なりにできるところまでやってみようかなって思えてきました。あははっ、我ながら現金ですよね」

 

 弱々しく、しかし確かな笑顔を浮かべてそう言う千秋に対し、

 

「…………」

 

 鈴音の表情は、下級生からの感謝を受け取るにしては少々固かった。

 

 

 

 

「あの、市原先輩……。ご気分が優れないようでしたら……」

「いえ、心配には及びません。ちょっとした自己嫌悪ですので」

 

 千葉家を後にしてしばらく歩いた頃、鈴音と服部の間でそのような会話が交わされた。“自己嫌悪”というフレーズに服部は引っ掛かりを覚えたものの、それ以上尋ねることなく黙って彼女の後をついていく。

 そうした空気の読める性格だからこそ、鈴音は服部に同行を許したのである。

 

 ――まったく、自分の小賢しさが恨めしいですね。

 

 鈴音は実際に千秋と顔を合わせるまで、達也へのライバル心を焚きつける形で彼女を立ち直らせようと考えていた。しかし実際に会ってみて彼女の精神状態が想像以上に回復傾向にあったのを見て、咄嗟に『自身の才能を学校に役立ててほしい』と自分の想いを正直に打ち明ける方向にシフトしたのである。

 それもひとえに、母校のためだ。

 

 市原家は元々“一花(いちはな)”と名乗っていたのだが、数字を剥奪されて現在の名字となった“数字落ち(エクストラ)”である。彼女の父は魔法師のコミュニティで厳しい孤立を味わっており、その影響か鈴音は魔法師の社会に対する帰属意識を持てないでいた。

 そんな彼女が初めて帰属意識を持ったのが、現在通っている第一高校だった。そしてそのきっかけを与えてくれた真由美に対し、恩義にも近いものを感じている。

 今回千秋を立ち直らせようとしたのも、結局のところは彼女自身を想ってのことではない。ましてや、自分と同級生の姉を想ってのことでもない。結局は母校のため、つまり自分の想いを優先した結果でしかなかった。

 

 ――まぁ、誰が不幸になるわけでもないですし。

 

 自身の葛藤に、鈴音はその台詞でケリを付けた。

 

 

 *         *         *

 

 

 一高は会場まで近いので当日現地集合でも問題無いが、遠方の学校は前日あるいは前々日に現地入りしてホテルに宿泊することになる。

 それは旧石川県を本拠地とする第三高校も同じであり、“カーディナル・ジョージ”こと吉祥寺真紅郎をメインとする代表選手だけでなく、当日の会場の警備や応援の生徒達も前日に横浜入りすることになっている。

 

「ジョージ、そろそろ横浜に着くぞ」

「……ん? もうそんな時間か」

 

 電子書籍の世界に没頭していた真紅郎は、将輝の呼び掛ける声をきっかけに現実世界へと戻ってきた。携帯端末から視線を離してバスの窓に目を遣ると、バスを丸ごと収容する長距離高速列車の窓越しに高層ビルがびっしりと建ち並ぶ港町が見えた。さらに遠くに目を凝らすと、横浜のランドマークである横浜ベイブリッジも見える。

 

「こうして実際にこの目で横浜の景色を見ると、いよいよ本番って感じがするな」

「そうだね。――明日の今頃は、“アイツ”とも顔を合わせてる頃かもね」

 

 普段滅多に乱暴な言葉を使わない真紅郎の口から飛び出した“アイツ”という単語に、しかし将輝はそれを訝しむことなく力強く頷いた。2人の目には、ありありと闘志が浮かび上がっていた。

 2人がここまで対抗心を燃やす“アイツ”とは、言うまでもなく司波達也のことである。九校戦で彼を含むモノリスチームに苦渋を味わわされた真紅郎にとって、今回の論文コンペはまさに雪辱戦である。将輝は直接対決することはないが、まるで自分のことのように真紅郎を応援していた。

 そんなことを考えている内に、列車がターミナルへと到着した。とはいえ彼らはこのままバスで宿泊先のホテルまで一直線に向かうので、到着した感覚はあまり無いかもしれないが。

 そういえば、と真紅郎がふいに口を開いたのはそのときだった。

 

「野原しんのすけくんも、当日は会場の警備を担当するのかな?」

「どうだろうな……。俺も詳しいことは聞いてないが、風紀委員は警備に参加する習わしがあるようだし、おそらくはそうなんじゃないか?」

「そうか。将輝としては彼に会えるのは楽しみなんじゃないかい?」

「そりゃあな。とはいっても、今回は九校戦みたいに戦ったりすることも無いだろうし、会えたとしても少し喋る程度だろうけどな」

 

 将輝の言葉に真紅郎も「確かにそうか」と納得顔で頷いた。

 そしてその直後、その顔をハッとしたものへと変える。

 

「彼で思い出したけど、九校戦にも来ていた酢乙女あいも今回の論文コンペに来るみたいだよ。もっとも、彼がいるからというわけじゃなくて、初回のときから毎回観覧に来ている常連らしいけどね」

「そうなのか。確かに論文コンペは魔法工学関係の企業も注目しているから、観に来るのも当然といえば当然か」

「とはいえ、企業のトップ陣が直接来るのはかなり珍しいけどね。しかも彼女1人じゃなく、将来有望な若手社員も引き連れて観に来るって話だ」

「へぇ、そりゃ気合入ってんな。だとしたら、ジョージも彼女にスカウトされるかもしれないな」

「……もしそうなったら、将輝はどうする?」

「それは困る。俺の参謀はジョージだけだからな」

「……まったく、少しは自分でも鍛えてほしいものだよ」

 

 真紅郎の台詞は将輝を咎めるものだったが、口元の緩みが隠しきれていないせいで説得力が半減していた。

 

 

 

 

 第三高校の生徒達が貨物用ターミナルから横浜入りしたのとほぼ同時刻、普通の乗客用のターミナルに乗り入れた長距離列車から1人の少年が下り立った。カジュアルな装いと大きめのスーツケースを転がすその姿は、周りの旅行客に紛れても違和感が無い。

 そんな少年が多くの人でごった返すプラットフォームをぼんやりと眺めていると、その人混みを掻き分けるようにこちらへと近づく、高級なビジネススーツを身に纏う男を見つけた。少年が男を迎えるようにそちらへ歩いていくと、途中で視線のあったその男は若干慌てた様子で頭を下げて早足になった。

 

「新幹線での長旅、お疲れ様でした。私、本社秘書課の佐法土擦造(さぽうとするぞう)と申します」

「よろしくお願いします」

「社長代理は近くのレストランでお待ちになっておりますので、ご案内させていただきます。宜しければ、そちらのお荷物もお持ちしますが」

「大丈夫です、これは自分の手で持っておきたいので」

「かしこまりました。……ところで、もうお一方いらっしゃると伺っておりましたが」

「彼女は……寝坊したようで、遅れて来るとのことです」

 

 高級なビジネススーツ姿の大人が、旅行客にも見える少年に対して物腰低く接するというのは、周りにはちぐはぐな光景に見えることだろう。幸いにも周りの人々は自分のことや来たる横浜に思いを馳せているため、それには気づいていないようだった。

 佐法土がどこかへと電話を掛けている間、少年はおもむろに携帯端末を取り出した。その画面に明日開催される論文コンペの案内が表示され、各学校の発表する順番と論文のタイトルが掲載されている。

 

 1番:第二高校『収束魔法によるダークマターの計測と利用』

 2番:第四高校『分子配列の並べ替えによる魔法補助具の製作』

 3番:第五高校『地殻変動の制御とプレート歪曲エネルギーの緩やかな抽出』

 4番――

 

 専門的な単語が並び、普通の人ならば何を言っているのかすら分からないそれを、少年は平然とした表情を崩すことなく眺める。

 そうして画面をスクロールする指が、ピタリと止まった。

 

 8番:第一高校『重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性』

 

「…………」

 

 少年はじっと、その文面を見つめていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日の夜。

 

「それでは無事に事件解決したということで、かんぱーい!」

 

 よねによる音頭で始まったその飲み会は、横浜港を望む高層ビルの複合施設・横浜ベイヒルズタワーの最上階付近にあるバーラウンジ――ではなく、主要道路から1本路地裏に入ったところにある大衆居酒屋にて行われていた。

 参加者はよねの他に、藤林、千葉、そして稲垣の計4人だった。すなわち例の産業スパイ事件を共に捜査していた面々であり、普段はこういう場所にほとんど縁の無い藤林と千葉は周りの喧騒と席の狭さに若干辟易している様子だった。もしもよねが「お堅い場所は肩肘張って仕方ない」と駄々を捏ねなければ、今頃はもっと静かで高級感のある場所にいたことだろう。

 

「皆さん、今回の件では本当にお世話になりました。特に犯人グループの摘発は、皆さんの協力が無ければ成し遂げられなかったことでしょう」

「いえいえ、今回のヤマは藤林さんのおかげで解決の目処がたったわけですし、せめて肉体労働は我々が務めなければ」

 

 藤林の礼に、千葉が気軽さを含めた明るい声色で答えた。もしも彼女がバッチリとドレスアップした艶やかな姿をしていたら、妹から「和兄上(かずあにうえ)は女性にだらしない」と詰られる程度には遊んでいた彼ですら初心(うぶ)な少年のように胸の鼓動を早くしていただろうが、大衆居酒屋でそんな格好をするはずも無いのでそんな事態にはなっていない。

 そんな千葉の言葉に続いて、よねも藤林への感謝を口にする。

 

「ホントホント、響子さんがいなかったらもっと事件の解決が遅れてたでしょうね。いくら有給が貯まっていたとはいえ、いつまでも捜査を続けてるわけにもいかなかっただろうし」

「いえいえ、そんなことは無いですよ。皆さんの協力あってこそです。よねさんなんて、真っ先に犯人グループのアジトに乗り込んで……その、フフッ、いえ、すみません」

「ちょっ、響子さん!? なんで笑ってんの!?」

「そうですよ藤林さん、彼女だって頑張って……ククッ」

「敏和くんまで!? ――稲垣くん、この2人どう思う!?」

「1人だけあんな立ち回りしていたら、そりゃそういう反応にもなりますよ」

「ひどっ!」

 

 何かを思い出したのか笑いを堪えるのに必死な藤林と千葉、そして一番辛辣な言葉を吐く稲垣に、よねは不機嫌になってグラスのチューハイをグビグビと呑み干した。ちなみに何が起こったのかは彼女の名誉のために敢えて伏せておくが、例えるならば周りの刑事たちが『密着! 警察24時』だったのに対し、彼女だけが『香港映画の最後に流れるNGシーン集』だった、といったところだろうか。

 さて、そんなよねを3人で宥めてしばらく飲み会が進んだ頃、ふいに藤林が思い出したように口を開いた。

 

「そういえばよねさん、明日この街の国際会議場で、高校生による魔法学の論文コンペが開かれるんですよね」

「あぁ、そうそう。アタシに事件の捜査を依頼してきた男の子が、そのコンペの代表なんだって。知り合いの男の子も観に行くみたいだし、せっかくだからアタシも観てこようかなって思って」

「それなんですけど、私もぜひお供させていただけませんか?」

「響子さんも? 別に良いけど、そういうの好きなの?」

「えぇ。それによねさんに捜査を依頼したその男の子、優秀な魔法師なんですよね? ぜひとも会ってみたいです」

「……あれ? 響子さんにそこまで話したっけ?」

「この前一緒に飲んだとき、話してたじゃないですか。酔ってて憶えてないんですか?」

 

 そうかな、そうかも、とよねが首を傾げながら呟く間、藤林の視線が千葉へと向いた。

 

「お2人も、ご一緒に如何ですか?」

「いえ、とても魅力的なお誘いではありますが、我々は遠慮させていただきます」

「あら、そうですか? 何ならいっそのこと、部下の皆さんと一緒に来ていただければ、と思ったのですが。――それはもう盛大に、CADだけじゃなくて武装デバイスや実弾銃も一緒に持って」

 

 愛想笑いを浮かべていた千葉の表情が、藤林のその言葉によって途端に引き締められた。

 

「――藤林さん、それって……」

「もちろん、何も起こらなければそれで良いのでしょうけど」

 

 藤林はそう言って、グラスのワインを傾けた。

 やはりこういう店のワインは値段相応か、と僅かに顔をしかめた。

 

 

 *         *         *

 

 

 明日――暦の上では今日、横浜にて“全国高校生魔法学論文コンペティション”が行われる。とはいえ街が特殊な雰囲気に包まれるわけではなく、街の人間にとっては数多あるイベントの1つに過ぎない。横浜の主要な歓楽街の1つである横浜中華街も、いつものように客を呼び込んで営業し、いつもの時間で閉店にしている店が大半だった。

 そして中華街の中でも一際大きなその店も、いつもの時間に店を閉めて明かりを落としている。現在明かりの灯っているこの部屋は、入口からは見えない奥まった場所にあった。そこでは2人の男性が向かい合って座り、テーブルには最高級の酒が入った2つのグラスがそのまま放置されている。壮年の男性がなかなか手をつけないので、年若い青年もお預けを食らっていた。

 

「如何ですか、ヘクソンさん。それなりの上物を用意したのですが」

「分かった。頂こう」

 

 壮年の男性・ヘクソンがグラスを手に取って口をつけたことで、ようやく周もご相伴に(あずか)ることができた。店でもなかなか出せない最高級品の老酒(らおちゅう)は味もまろやかで香りも深く、口の中で転がして嚥下した周がフッと笑みを零すほどだ。

 

(チェン)閣下からご報告がありました。本国から艦艇が派遣されるそうです。おかげで無事に“次の作戦”を遂行できる、と仰っていましたよ」

「そうか」

 

 ヘクソンのぶっきらぼうな返事にも、周は眉1つ動かさない。

 

「やはりあなたの関心事は、野原しんのすけ只1人というわけですか?」

「それでは不服か?」

「いえいえ、滅相もない。それでこそ、あなたと手を組んだ甲斐があるというものです。――とはいえ今のあなたは閣下達の協力者、関係が壊れない程度にはお付き合いをお願い致します」

「その心配はいらない。――どう転んだところで、どうせ明日には全てが終わる」

 

 予言めいたことを言うヘクソンに対し、周は軽く肩を竦めるだけだった。

 

「私としては明日の、いえ、暦の上では今日ですか。閣下達の作戦でこの街になるべく被害が及ばぬようにしてもらえれば、とりあえずはそれで構わないのですが」

「私としても、一応の努力はしよう。そのうえで、私から言わせてもらうならば、」

 

 ヘクソンはそこで一旦台詞を止め、周へと視線を向ける。

 

「そういうのを、この国では“フラグ”と呼ぶそうだ」

「いや、本当に止めてほしいのですが」

 

 周のその言葉は、彼にしては非常に珍しく、彼の素が垣間見えるものだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 こうして10月30日は、すぐそこまで迫っている嵐を感じさせないほど静かに幕を開けた。


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