午前9時。何の面白みも無い開会の辞が終わり、第二高校によるプレゼンが始まった頃。
遥は建物内にあるカフェで、コーヒーを片手にすっかりだらけていた。魔法技術そのものには関心が無く、達也としんのすけの監視もいまいちやる気が見出せず、どうせならカフェで時間を潰した方がマシだと考えたからである。
コーヒー1杯で20分というのは、喫茶店からしてもあまり良い客とはいえない。そろそろ何か別のものを頼もうか、と遥が考えていたそのとき、
「すみません、相席しても宜しいでしょうか?」
突然声を掛けられた遥がそちらへと顔を向けた瞬間、彼女の心臓は一瞬だけ停止し、そしてその空白を補って余りあるほどにフル回転を始めた。どちらも彼女自身による錯覚だが、つまりはそれほど驚いたということである。
彼女に声を掛けたのは、先程第一高校の楽屋に入っていった藤林だった。一緒にいた女性は連れておらず、咄嗟に辺りを見渡してもその姿は見えない。
「……えぇ、どうぞ」
若干の間を空けて返事をした遥に、藤林は「ありがとう」と品の良い仕草で腰を下ろした。すぐにやって来たウエイトレスに穏やかな声で紅茶を注文し、そうして運ばれてきた紅茶に彼女が口を付けてホウと息を吐くまでの間、遥はずっと彼女を見つめ続けることしかできなかった。
「……そんなに見つめられると、さすがに気恥ずかしいのですけど」
「す、すみません」
「いえ、“ミズ・ファントム”に関心を持ってもらえるのは光栄なことだと思いますので」
「――――」
その藤林の台詞に、羞恥で熱を持っていた遥の心がスッと冷却された。
遥の異名である“ミズ・ファントム”は一般的に知られたものではなく、非合法の諜報活動に手を染める者の間でのみ囁かれる正体不明のスパイに対するコードネームだ。自分がそうであると特定されたという一事のみで、彼女にとっては決死の覚悟を決めるに足る。
彼女が動揺を表に出さずに済んだのは、もしかしたら春にレモンと名乗る女子生徒にその名で呼ばれた経験が生きたからかもしれない。
「……それで、
「これ以上申し上げなくとも、お分かりいただけたのでは?」
「すみません。私はあなたのように優秀ではなかったものですから」
「ご謙遜を。大学も研修所も優秀な成績でご卒業されていますのに。九重先生も高く評価していらっしゃいましたよ」
「…………」
向こうはこちらを充分に調べ上げたうえでここに来ているのに対し、こちらが彼女を
用意したカードで完全に
「何も無理なお願いをするつもりは無いんです。ただ『お互いの領分を守りましょう』と提案しているだけなのですよ」
「……仰っている意味がよく分かりませんが」
「はっきり申し上げても宜しいのですか?」
ギリッ、と遥の奥歯が鳴った。そんな彼女を、藤林は涼しい顔で見遣る。
「大丈夫ですよ。あなたが職務を遂行しなくとも、あなたにお咎めが来ることはありませんので。――それにこれは、あなた自身のためでもあるんです」
「……どういう意味ですか?」
今までのは完全に理解していながらそれを認めたくないためしらばっくれていたのだが、この問い掛けに関しては完全に本心からのものだった。
そして今までは本心を悟らせないための仮面としての微笑みだった藤林が、ここに来て初めて感情を見せた笑みへと変わった。
その感情とは、遥に対する同情だった。
「――もう二度と、大勢の黒服に追い掛けられるような目には遭いたくないでしょう?」
そう言い残して軽やかに立ち上がった藤林の手には、遥の分の伝票も握られていた。テーブルでも会計が可能なのに、わざわざレジまで持って行くところがまた嫌味だ。
しかし遥としても、まったく収穫が無かったわけではない。このタイミングで釘を刺してきたということは、少なくとも藤林響子と野原しんのすけとの間には秘密にしなければならない関係があるということだ。それが分かっただけでも、今日ここに来た甲斐があったというものだ。
そうとでも思わなければ、遥はやってられなかった。
遥と別れた藤林がやって来たのは、というより戻ってきたのは、今まさに第二高校の生徒がプレゼンをしている真っ最中であるホールだった。よねと2人で自分達の席を確保した後、プレゼンが始まる直前のタイミングでトイレと偽って席を離れたのである。
プレゼンが始まって、まだ5分足らず。持ち時間は30分なのでまだまだ序盤であり、しかも1組目なので聴衆の気力も万全だ。
そんな状態の客席にて、
「くかー」
「…………」
もはや見事とでも言いたくなるほどに、よねは大口を開けて眠りこけていた。
5分も保たなかったかぁ、と藤林はその光景を現実逃避気味に見下ろしていた。
* * *
第一高校にとって今日の主役である鈴音が到着したのは、3番目の発表校である第五高校のプレゼンが始まった直後、予定より1時間早い午前11時過ぎだった。
「早く来ちゃった」
あんた一体幾つだよ、とツッコミをしたくなる衝動を抑えながら、達也は真由美・摩利・鈴音の3人を控え室に招き入れた。遅刻は問題だが早く来るのは迷惑ではないし、職人肌の上級生がプレゼン用機材をゴソゴソと弄くり、その中でしんのすけがテーブルに突っ伏して居眠りしている現在では、人が3人増えたところでさして問題ではない。
ちなみに達也の傍には、当然と言わんばかりに深雪の姿もあった。しかし彼女は真由美が到着した時点で三猿を決め込み、置物か何かのように黙り込んでいる。
「それにしても、予定が繰り上がったのは何か理由があるんですか?」
「ああ、予定よりも早く尋問が終わってね」
「……尋問? まさか、関本のですか? なんでまた今日に……」
ヘクソンの襲撃事件があった後、関本は一時期錯乱状態に陥っていた。摩利は自分の魔法によるものではないと断言していたことから、ヘクソンの最終的な目的が自分の命だと気づいてパニックになったのだろう。
あくまで彼は犯罪組織の人間ではない以上、精神的な問題を持ち出されては“七草”の名前でゴリ押しして尋問することもできない。
「君らしくもない楽観論だな。平河も関本も、狙いは論文コンペの資料だった。実際にはそれ以外にも目的はあったようだが、背後の組織がコンペ当日の今日に何かしらの行動に移る可能性は低くないだろう」
「……可能性としては、あるでしょうね」
達也もそれくらいは予想していたが、背後組織に関する情報を今日掴んだところで、それに対抗するだけの準備をする時間が無い。結局のところは克人を中心に組織された会場警備隊で対応するしかない以上、関本が具体的な襲撃計画を知っているのでも無い限り尋問する意味は薄いと達也は思った。
とはいえ、それをわざわざ指摘するような真似はしない。
「それで、何か情報は掴んだのでしょうか?」
「ああ。――関本は、マインドコントロールを受けていた形跡があった」
「……本格的ですね」
有用性は別として、この情報には達也も素直に驚いた。
春に紗耶香を含めた一部生徒がマインドコントロールによってテロ組織の手先になったことが明るみになってから、一高の生徒は月1回のメンタルチェック受診が義務づけられていた。そのメンタルチェックに引っ掛からなかったのか、というのは当然の疑問である。
「メンタルチェックは月の初めに行われるから、関本はその直後にマインドコントロールを受けたということになる」
「そこまで劇的に効果を得られるとなると、薬物の類ですか?」
「そこまでは分からんよ。あたしも専門家じゃないからな」
摩利の言葉に達也は『本当か?』と疑いを持ったが、口にはしなかった。
しんのすけが起きていたら、間違いなく口にしていただろうが。
「まぁ、いくら強力な精神干渉魔法があったとしても、被術者に“下地”が無ければそうそう上手くはいかないけどな」
「下地、ですか」
人間の精神力というのは、脆いようで案外強い。普段から指向性の定まらない感情や衝動ならともかく、明確な行動原理に干渉するというのは生半可なことではない。
「関本は元々、魔法が国家によって秘密裏に管理されていることに不満を抱いていた。世界中で魔法に関する知識が共有されてこそ、魔法の真の進歩があると考えていた。いわゆる“オープンソース主義者”だな」
「学問的には間違っていないでしょうけど、国家間での争いが厳然と存在していて、しかもそれの中心に魔法があることを考えると、あまり現実的とはいえないわね」
真由美の苦笑混じりの言葉には、達也も深雪も同意見だった。
「とにかく、関本はそういう理想主義的なところを突かれたらしい。魔法後進国に優れた研究成果を伝導することが魔法先進国の義務だ、と思い込んでいるようだ」
「魔法後進国とは、具体的にどこを指すのですか?」
「残念ながら、聞き出すことはできなかった」
「つまり、意識にロックが掛かってると」
達也の推察に摩利は頷き、緊張感の伝わる表情で真由美が口を開いた。
「こっちが考えている以上に、向こうは過激な方法を採ってくるかもしれない。リンちゃんには引き続き私達がついているから、はんぞーくんには会場に目を光らせるように伝えておいたわ。達也くんたちの方でも、気をつけておいてね」
「気をつけます」
達也は真剣な表情で答え、深雪は最後まで口を開かずに頭を下げて応えた。
そしてその間、しんのすけはテーブルに突っ伏して居眠りし続けていた。
すると摩利が彼へと近づいていき、テーブルの上に置かれた論文コンペのパンフレットを手に取ってクルクルと丸めていき、
スパァンッ――!
「おぉっ! 何事だぁ!?」
「……達也くん、今の話を彼にもよく説明しておいてくれ」
「……かしこまりました」
ちなみにこの間、鈴音は平静な表情を崩すことなく原稿をチェックし続けていた。
真由美達から仕事内容の変更を言い渡された服部は、合わせて聞かされた尋問結果を報告するために、桐原と共に克人の下を訪れていた。ちょうど食事中だった克人は2人に相席を指示し、簡単に摘めるサンドイッチを片手に2人からの報告を聞いていた。
そして克人は即座に、服部と桐原の2人に会場外周の監視に当たるよう指示を出した。何の迷いも無いその姿が彼の常であり、普段ならばそこで遣り取りは終了する。
「服部、桐原。現在の状況について、何か違和感を覚えた点はあるか?」
しかし今日に限って、下級生に意見を求めるという滅多に無い例外が行われた。
「……横浜という土地柄を考慮しても、外国人の数が多すぎるように思われます」
最初に答えたのは服部だった。生真面目な彼は今回の警備に先駆け、先週と先々週の2回も会場近辺を下見している。それに比べて明らかに外国人の数が多い、と彼は感じていた。
「確かにそうだな。――桐原はどうだ?」
「……申し訳ございません。外国人の件は気づきませんでした。ただ……」
「遠慮はいらない」
「はっ。会場よりも街中の雰囲気が、妙に殺気立っているように思われます」
「ふむ、確かに」
頷いたきり、克人は黙り込んだ。その時間は10秒にも満たないほどに短いが、それを見つめる服部と桐原にとっては何十倍にも感じられるほどに重い沈黙だった。
「2人共、午後の見回りからは防弾チョッキを着用しろ」
目を見開く2人をよそに、克人は近距離無線のハンドセットを手に取り、共同警備隊全員に先程と同じ指示が送られた。克人は無線機を置いて腰を下ろすと、2人をその場から下がらせた。
1人になった克人は、深刻な表情で何かを考え込むように黙り込んでいた。
一方その頃、同じ建物内の通信ブースでは、緊急コールを受けた藤林がその内容に驚きを顕わにしていた。
「出発を繰り上げる? 何かあったのですか?」
『何かあったかと問われれば、今のところは何も無いと答えざるを得ないな』
電話の主・風間大佐は冗談めかしたような答えを返すが、彼はこんな質の悪い冗談を言う人間ではない。そもそもそんな冗談を言うために、緊急コールは存在していない。
『今その会場にいると分かっているだけでも、“サザエさん現象”に巻き込まれた者は何人いる?』
「……野原しんのすけ、代々木コージロー、酢乙女あい、貫庭玉サキ、東松山よね、そして“ボーちゃん”と呼ばれる彼の計6人です」
『春日部防衛隊や彼の家族など集団行動が予想される組み合わせではなく、普段は接点の少ないその6人が一堂に会しているという時点で、軍の上層部も看過できない状況であることには間違いない。さらには
しんのすけ達の動向が軍に与える影響力の大きさを改めて思い知り、藤林は思わず息を呑んだ。
『幸いにも明日
「……了解しました。小官は状況を注視します」
『頼んだぞ、少尉』
風間の言葉に、藤林は相手に見えないことを分かっていながら敬礼をした。
* * *
昼の休憩を挟んで、午後のプレゼンは午後1時から始まる予定だ。
一足早く昼食を終えてVIP席に戻ってきた面々が、午前中に聞いたプレゼンから各々有力な学校を挙げ、あーでもないこーでもないと喋っている。それは階下の客席に座る一般客でも行われている普通の行動だが、企業関係者の場合は相手が目を付けている有能な人材が誰なのかという腹の探り合いも兼ねているため、傍目には“談笑”だが心の中では全然笑っていなかった。
そんな中、酢乙女あいはそういった会話には加わらず、自分の身内であるボーとサキの2人と、あくまで雑談として話していた。
「ボーちゃんの中では、今のところどこが有力かしら?」
「僕が興味を惹かれたのは、第四高校。今年の仕掛けも随分凝ってた」
「そう? 私は少し奇を衒いすぎているように思えましたけど」
「だとしても、あれだけ複雑な魔法の組み合わせを1つのシステムに破綻無く纏めるのは凄い」
「確かに、そういう見方もできますわね。少なくとも、何年か前だったらあのレベルなら文句無しでトップだったでしょうね。やっぱり魔法工学の技術の進歩は目覚ましいですわ」
第1回から毎年欠かさず観覧しているあいは、中空に視線を投げて過去に思いを馳せていた。
しかしそれもすぐに終わり、隣に座るサキへとその目を向ける。
「サキちゃんはどうかしら?」
「私かぁ……。正直、午前の発表はどれもこれも難しくてよく分かんないや。最後にやる第三高校の“基本コード魔法の重複限界”くらいシンプルにしてくれないと」
「カーディナル・ジョージったら、容赦無く自分の得意分野をぶつけてきたようね。よっぽど九校戦の雪辱に燃えているのかしら」
「九校戦っていうと……、あぁ、あの“司波達也”って人? でもその人、今回の代表には選ばれてないんでしょ?」
「実質的には“4人目の代表”と呼べるほどの働きぶりだったようですわ。題材も彼の個人的な研究分野と
あいとサキがそのような会話をしている横で、
「…………」
ボーが普段通りの寡黙で感情に乏しいその顔を、誰も立っていないステージへと向けていた。
* * *
午後3時。第一高校のプレゼンは、予定通りの時刻に始まった。
「核融合発電の実用化には何が必要か。この点については、前世紀より明らかになっています」
自然色のライトが大道具の並ぶ舞台を照らし、鈴音の口から奏でられる抑制の効いたアルトが会場の音響設備によって淀みなく客席に届けられる。舞台上では五十里が鈴音の隣でデモンストレーション機器を操作し、平河小春は舞台裏でCADのモニターと起動式の切り替えを行う。
そして達也が彼女の傍に立ってその様子をじっと見守り、しんのすけは壁を背に座り込んで惰眠を貪っていた。
鈴音が巨大なガラス球の傍に立ち、小春が放出系魔法の起動式を指定する。鈴音がCADのアクセスパネルに手を置いた瞬間、中に封入されている重水素ガスがプラズマ化し、内側に塗られた塗料に反応して閃光を放つ。その演出に、客席が小さく沸いた。
「1つは、重水素ガスをプラズマ化して、反応に必要な時間その状態を維持すること。これは放出系魔法によって解決しています。核融合発電を阻む主な原因は、プラズマ化された電子核の電気的斥力に逆らって融合反応が起こる時間、原子核同士を接触させることにあります」
鈴音がアクセスパネルから手を離すことで、ガラス球に沈黙が戻った。それと入れ替わるように、巨大なスクリーンが舞台中央に下りてくる。
「非魔法技術により核融合を実現しようとした先人は、強い圧力を加えることでその斥力に打ち勝とうとしてきました」
その言葉と共に、今世紀前半まで繰り返されてきた実験の映像とシミュレーション動画がスクリーンに分割表示される。
「しかし超高温による気体圧力の増大も、表面物質の気化を利用した爆縮の圧力も、安定的な核融合を実現するには至りませんでした。格納容器の耐久力の問題、燃料の補充の問題――。核融合の維持には成功したものの、生み出される莫大なエネルギーを制御できないという例もありました。――しかしすべての問題は、取り出そうとするエネルギーに対して融合可能距離における電気的斥力が大きすぎるという点に収束します」
スクリーンが上がると、巨大な円筒形の電磁石が2つ、それぞれが4本のロープで向かい合わせに吊された、原始的に見える実験機器が姿を現した。
五十里が円筒の一方を引き上げる。もちろん魔法で引っ張っているのだが、彼は演出のためにわざわざ手で引っ張り上げるジェスチャーを加えた。そして彼が手を離すと、円筒は勢いよくスイングしてもう一方の円筒に衝突する――直前、もう一方の円筒がそれから逃げるように勢いよく振り上がった。
「電気的斥力は、互いの距離が接近することでその力を幾何級数的に増大させます。強い同極のクーロン力を持つ物体は、接近することでその斥力を増大させるため衝突することはありません」
と、ここまで説明したところで鈴音がおもむろにヘッドセットを装着した。そして支柱に設えられたアクセスパネルに手を置いた瞬間、あれほど互いに逃げ続けていた2つの円筒が突如衝突し、まるで銅鑼でも打ち鳴らすかのような大音量が会場中に鳴り響いた。
「しかし、電気的斥力は魔法によって弱めることができます。今回私達は、限定空間内における見掛け上のクーロン力を10万分の1までに低下させる魔法式の開発に成功しました」
彼女の言葉に会場からどよめきが起こるのも束の間、メインの装置が舞台の下から迫り上がってきた。透明の素材で作られたピストンエンジンとも言えるそれは、鏡面加工されたピストンが下から差し込まれ、それはクランクと弾み車に繋がっている。円筒の上部には2つのバルブがあり、そこから伸びた透明の管が水を湛えた水槽を突っ切っている。
「この装置では中性子線の有害性を考慮して、重水素ガスではなく水素ガスを使用しています。水素ガスを放出系魔法によってプラズマ化し、重力制御魔法とクーロン力制御魔法を同時に発動します。クーロン力制御魔法によって斥力の低下した水素プラズマは、重力制御魔法によって円筒中央に集められ、核融合反応が発生します」
観客が自分の説明に聞き入ってるのを確認し、鈴音は再び口を開く。
「核融合反応に必要な時間は0.1秒。核融合反応が自律的に継続することはないので、外から作用を加え続けなければ反応はすぐに停止してしまいます。――当校は、この性質に着目しました」
鈴音が目で合図をし、五十里が実験機のアクセスパネルへと歩いていく。
「核融合反応が停止した後、水素ガスを振動系魔法によって容器が堪えられる温度まで冷却させます。このときに回収したエネルギーは重力制御魔法とクーロン力制御魔法に充当され、重力制御魔法によって下に引き寄せられたピストンが慣性で上昇を続け、適温に冷却された水素ガスを熱交換用の水槽へと送り込みます」
五十里がアクセスパネルに手を置いた。プラズマ化、クーロン力制御、重力制御、冷却、エネルギー回収、プラズマ化、クーロン力制御、重力制御、冷却、エネルギー回収――と、目まぐるしくループする魔法を、五十里は安定的に発動していた。
「現時点ではこの実験機を動かし続けるには高ランクの魔法師が必須です。しかしエネルギー回収効率向上と設置型魔法による代替で、点火に魔法師を必要とするだけの重力制御魔法式核融合炉が実現すると確信しています」
鈴音がそう締め括って頭を下げると、会場中から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
重力制御型の熱核融合炉が技術的に不可能と言われるのは、魔法の対象である質量が核融合反応中に減少していくためである。起動式を展開するときに設定された質量から変化することで“対象不存在”のエラーが発生してしまう。よって“継続的核融合”は不可能とされてきた。
そしてそれは、今回の実験でも変わらない。“ループ・キャスト”によって“継続的”反応ではなく“断続的”反応を実現させることで、重力制御型の熱核融合炉を実現するのに大きな壁となっていた問題を解決してみせたのである。
その斬新な発想と実現に至った確かな技術に、観客は惜しみない拍手を壇上の生徒達に贈った。
「やってくれたね。見事だった、と言わせてもらうよ」
一方その頃、舞台袖では次の出番を待っていた真紅郎が達也に声を掛けていた。不敵な笑みを浮かべる彼に、達也は口を噤んだまま彼を見遣る。
「重力制御術式は、飛行魔法にも使われている一般的な術式の応用。クーロン力制御魔法は先代のシリウス、故ウィリアム=シリウスが開発した分子結合力中和術式のアレンジ版。そして何より、あれだけ洗練されたループ・キャストは並みの技術じゃない。素晴らしいアレンジ力だ」
「さすがは“カーディナル・ジョージ”。素晴らしい洞察力だな」
機材の片付けを終えた達也が、ゆっくりと立ち上がって真紅郎へと体を向ける。互いに向かい合って見つめる2人の横で、しんのすけは相も変わらずにグースカと眠りこけている。
せっかくの良い雰囲気を壊されたくないとでも考えたのか、2人の体が若干しんのすけに背を向ける形で向きを変えた。
「でも、僕達だって負けないよ。――いや、今度こそ勝つ」
その言葉は、ともすれば“子供っぽい”と評されるような負けず嫌いの発露だった。しかしそれをぶつけられた達也も悪い気はせず、知らぬ内に口角を上げていた。
ここは何か気の利いたことでも言った方が良いだろう、と達也が口を開き――
* * *
現地時間にて、西暦2095年10月30日午後3時30分。
後世において歴史の転換点とされる“灼熱のハロウィン”の発端となった“横浜事変”は、この時刻に発生したと記録されている。