嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第62話「会場から避難するゾ」

 警察の備品である通信用端末からの一報を受け、千葉寿和は魔法による全力以上の速さで車に飛び乗り、そのままの勢いで現場へと急行した。視線を正面に、両手をハンドルに固定しながらも、フリーハンドの通信機で稲垣からの追加情報を催促する。

 

「状況は!?」

『管制ビルに突っ込んだ車は炎上中。追加の特攻はありません』

 

 稲垣からの返信に、寿和は思わず舌打ちをした。

 ターゲットは、山下埠頭にある出入国管制ビル。建物自体は爆発の衝撃と熱を跳ね返したためほぼ無傷だが、公務員であっても非戦闘員である以上、テロが実行された場所で職員を働かせるわけにはいかない。

 つまり、職員が避難して港湾警備員に業務が引き継がれるまでの間、入港の監視に一時的な穴が空くことになる。

 

 ――文民に拘りすぎだ!

 

 軍や警察の勢力が拡大するのを恐れた政治家の抵抗により、港湾・空港管理には一般の公務員が充てられていた。島国にとってはそのまま国境警備になる以上、軍まではいかなくとも武装警察くらいは配備させるべきだと千葉家はかねがね主張していたが、このような形で理論武装されるのは不本意だった。

 と、通信機からまたしても嫌な情報が寄せられた。

 

『停泊中の貨物船よりロケット弾が発射されました! 歩兵用ランチャーを使用した模様!』

「船籍は!」

『登録上はオーストラリアの貨物船ですが、形状からして機動部隊の揚陸艦と思われます!』

 

 どいつもこいつも何やってんだ、と寿和は悪態を吐きそうになるのを寸前で堪えた。

 報告を終えた稲垣が通信を切ったことで、車内を静寂が包み込んだ。耳からの情報が少なくなったことで、寿和の頭脳が情報整理に費やされる。

 そんな状況で寿和の脳裏を過ぎったのは、よねだった。自分達は常日頃から魔法師の犯罪者を相手にしているだけあって荒事には慣れているが、彼女はあくまで通常の犯罪捜査を主としている。こういった緊急事態にどこまで動けるか、正直に言ってしまえば不安だった。

 

 ――いや、彼女は曲がりなりにも“刑事”だ。こういうときの行動は心得ているはず。彼女を心配するよりも、今は自分ができることをするべきだ。

 

 寿和はそう結論づけ、通信先を切り替えた。

 

「親父、寿和だ! 横浜の山下埠頭にて国籍不明の偽装戦艦が侵攻中! 国防軍に出動要請を出してくれ! ――それから雷丸(イカヅチマル)大蛇丸(オロチマル)を至急届けさせてくれ! ……どうするか、だと?」

 

 何を寝言を言ってるんだ、とでも言いたげなニュアンスで、寿和は通信機に怒鳴りつけた。

 

「エリカに使わせるに決まってるだろうが!」

 

 

 *         *         *

 

 

 突然の爆音と振動に、ホールの聴衆はパニック1歩手前まで追い詰められていた。何が起こっているのか、どうすれば良いのか、答えを求めて宛ても無く騒いでいる。

 そんな中、前もって心の準備をしていたエリカら最後方のグループの行動は早かった。行動が著しく制限される客席から離れるべく、即座に立ち上がって通路へと飛び出していく。

 そしてそれは前から2列目の関係者席に座っていた深雪も同じで、彼女も即座にステージ下へと駆け寄っていく。

 

「深雪!」

 

 そしてそれに応えたのは、さすがと言うべきか達也だった。舞台袖から飛び出すと最初の1歩でステージ端まで跳び、次の1歩で勢いを調節して妹の前に下り立った。

 

「お兄様、これは」

「会場の入口付近で、グレネードか何かが爆発したんだろう」

 

 予想していたこととはいえ、実際に達也の口から聞かされたことで深雪の顔に衝撃が走る。

 

「先輩方は大丈夫でしょうか!?」

「正面は協会が手配した正規の警備員が配置されていたはずだ。実戦経験のある魔法師も投入されているから、通常の犯罪組織レベルには遅れを取らないと思うが――」

 

 そう答えながらも、達也はどうにも悪い予感が拭えなかった。先程藤林から受け取ったデータカードには、外国の国家機関が関与している可能性が記されていた。

 そしてそれを裏付けるように、複数の銃撃音が聞こえてくる。

 

 ――フルオートじゃない、対魔法師用のハイパワーライフルだ!

 

 通常よりも弾丸の慣性力を強めることで障壁魔法さえぶち抜くその武器は、それ故に普通の重火器よりも数段高度な製造技術を必要とするものだ。当然ながら“通常の犯罪組織レベル”が手に入れられるような代物ではない。

 とにかく今後の対応策を決めるに当たって、このホールは籠城に向いていない。故に今はできるだけ早くここから離れるべきなのだが、達也がそれを考えたまさにそのとき、荒々しく靴音を響かせてライフルを構えた集団がホールに雪崩れ込んできたのである。

 聴衆から一斉に悲鳴があがり、達也が内心で『だらしない』と舌打ちをする。

 そんな中、勇猛果敢な反応を見せたのはステージ上の三高生徒だった。プレゼンのテーマが対人攻撃に転用可能だったのか、携行していたCADを操作して攻撃魔法を展開――

 

 ずどぉんっ――!

 

 しようとしていた矢先、その三高生徒を掠めて銃弾がステージの壁に食い込んだ。その破壊力からして、達也の予想通りそれはハイパワーライフルだった。

 

「大人しくしろっ!」

 

 少々辿々しい日本語を話すそいつらは、おそらく()()()()()まだ日の浅い外国人だ。制服や軍服ではないものの統一感のある丈夫な服を身に纏うそいつらは、おそらく軍やそれに準ずる組織で集団訓練を受けていることが雰囲気から伝わってくる。

 

「デバイスを外して床に置け!」

 

 たとえ現代魔法が銃器と対等なスピードを手に入れたといっても、既に銃を構えられている状態でそれを覆すほどの速さではない。最初は立ち向かおうとしていた生徒達も、悔しそうな表情を浮かべながらも次々とデバイスを床に置いていく。

 その様子を確認していた侵入者の1人が、司波兄妹に視線を向けたところでその動きを止めた。たまたまステージ前の通路に立つのが2人だけだったのもあるが、2人が他の生徒達のようにデバイスを床に置く動作をしていなかったためでもある。

 

「おい、オマエらもだ」

 

 侵入者の1人が目敏くそれを見つけ、銃口を突きつけながら慎重な足取りで近づいていく。

 一方達也はそんな状況でも取り乱すことは無く、冷静に侵入者達を観察していた。人数は全部で6人、フロントとバックアップのユニットが3つだ。そして達也は既にその全員に対し、CADを使わず魔法の照準を合わせている。

 できれば誤魔化しの利く魔法で済ませたいが、と達也がそんなことを考えていると、

 

「おいっ、早くしろっ!」

 

 苛立った様子で怒鳴る侵入者に、それでも達也は動こうとしなかった。抵抗を放棄すれば身の安全が保証されると正直に信じられるほど、達也は素直な性格をしていない。

 銃を突きつけても怒鳴り散らしても、達也は一切口を開かず侵入者を見つめていた。いや、むしろ“観察していた”の方が適切だろう。彼の目には恐怖も不安も無く、ただただ無機質に目の前の侵入者を観察するのみだった。

 そんな彼の冷ややかな視線に恐れを覚えたのか、その侵入者は無意識の内にライフルの引き金に添えた人差し指に力を込め――

 

「――ケツだけ星人、ブリブリ~!」

 

 高らかに叫びながら舞台袖から飛び出したしんのすけが、壇上の端から端まで猛スピードで往復しながら、前屈の要領で尻を天井に向けて突き出して腰を振りまくった。聞く人が聞けばそのフレーズだけで想像ができる踊りだか何だかよく分からない代物だが、5歳児のときとは違ってさすがにズボンは脱いでいなかった。尻を丸出しにして許されるのは幼稚園児までである。

 突如壇上で繰り広げられた珍妙なダンスに、ホール内の誰もが視線を(本人の意思とは無関係に)釘付けにされた。特にステージに近い者ほどその効果が大きく、最愛の兄が今まさに銃を向けられていた深雪ですらそちらに目を奪われ、そして気分を害したように口元を手で覆っている。

 しかし最も大きな反応を見せたのは、侵入者達だった。

 

「な、何だ!?」

「侵入者達が、急に倒れたぞ!」

「まさか、し、死んだのか!?」

 

 誰かの不用意な発言であちこちから悲鳴があがるが、それも無理ないことだった。

 なぜなら今にも動き出そうとしていた達也の目の前で、侵入者6人が一斉に床へと倒れ込み、そのまま動かなくなってしまったのだから。瞬時に意識を失い、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちていくその様に、見る者が“死”を連想してしまったとしても何らおかしくないだろう。

 達也が慎重に近づいて、侵入者達の安否確認を行う。怪我は無く呼吸も安定しており、意識が無いこと以外は特に異常は見られない。それこそ、ただ眠っているだけのように思えた。

 

「達也くん、しんちゃん!」

「おいおい! いったい、どうなってんだ!?」

 

 ほぼ同時に声をあげて競うように駆け寄るエリカとレオを筆頭に、幹比古・美月・ほのか・雫といういつもの面々が駆けつけ、そしてその後ろからコージロー、さらにその背中に隠れるように千秋が歩いて、司波兄妹としんのすけの下へと合流していく。

 

「しんのすけ、こいつらに何をした?」

「いやいや、オラが一番ビックリしてるゾ! オラはただ“戦意尻失(せんいしりしつ)”をしただけなのに、なんでこの人達眠っちゃったの!?」

 

 ぷにぷに拳の知識が無い達也たちには“戦意尻失”というのは分からなかったが、本人の意図していない結果になったというのは理解できた。というか、もしあの珍妙な動きに催眠効果があったとしたら、生徒会長選挙のときに自分達も同様に眠っていたはずだ。

 ちなみに眠りこけている侵入者達は、共同警備隊のメンバーである生徒達によって拘束され、どこからか持ってきたロープでグルグル巻きに縛り上げられていた。武器のハイパワーライフルも押収されたため、この場は収まったと判断して良いだろう。

 真っ先に頭を切り換えたのは、エリカだった。

 

「んで、これからどうするの、達也くん?」

「逃げるにしろ追い返すにしろ、とりあえずは正面入口の敵を片づけないとな」

「よーし! だったら早いとこ俺達でカタを付けて――」

「その必要はありませんわ」

 

 レオが獰猛な笑みを浮かべてやる気を出したそのとき、その出鼻を挫くようなタイミングで達也たちに声を掛ける者がいた。

 この非常時にも拘わらず落ち着いたその声の持ち主は、VIP席に座っていたはずの酢乙女あいだった。彼女の背後にはスーツケースを片手に持つボーと、その集団の中では唯一顔見知りであるしんのすけに小さく手を振る貫庭玉(ぬばたま)サキの姿もある。

 

「おぉっ、サキちゃんにボーちゃん! いたならいたって言ってくれれば良いのにぃ!」

「えっと、ゴメンしんちゃん。何かタイミングを逃したっていうか――」

「それで酢乙女さん、『その必要は無い』とは?」

「既に正面入口の敵は制圧されているから迎撃の必要は無い、という意味ですわ。ほら、ライフルの音とか聞こえてこないでしょう?」

 

 確かにあいの言う通り、耳を澄ませてみても先程のような発砲音などは聞こえてこない。

 しかしながら、達也の目には疑いの色がありありと滲み出ていた。自分の目で見たものしか信じない、というわけではないが、ここから確認できないはずの入口での出来事を把握しているかのような彼女の言動に不信感を覚えているのは確かだ。

 そしてあいも、達也がそう考えていることなど百も承知だった。

 

「そんなに気になるのなら、情報収集のついでに入口の様子でも見に行きましょうか?」

「情報収集の伝手があるのですか?」

「えぇ、もちろん。――そちらの雫さんも、ご存知でしょう?」

 

 突然名前が挙がり、それによって全員が一斉に視線を向けたことでピクッと肩を跳ねさせる雫だったが、即座に思い至った様子で目を見開いた。

 

「もしかして、“VIP会議室”のこと?」

「何だそれ? そんなのがあんのか?」

「一般には公開されてない会議室があるの。閣僚級の政治家や経済団体トップの会合に使われるような部屋だから、大抵の情報にはアクセスできると思う」

「暗証キーもアクセスコードも、私なら知っていますわ。警察や沿岸防衛隊の通信も提供されていますから、ほぼリアルタイムの戦況も分かりますわよ」

 

 あいの口振りは、自分も一緒について行くことを言外に示すものだった。確かに暗証キーやアクセスコードを知らなければ部屋に入ることすらできないのだから、当然といえば当然だろう。

 しかしながら、それを聞いた雫が待ったを掛けた。

 

「私も知ってるから、行くなら私が行く。あなたは安全のためにここに残って」

「雫も? ……そっか、お父さんから聞いたんだね?」

小父様(おじさま)、雫を溺愛してるから」

 

 ほのかの言葉に、実際に雫の父親・北山潮に会ったことのある達也たちは納得した。確かに彼なら、それくらいのことはやりそうだ。

 

「そう? それならお願いしますわ。――あっ、こちらからも1つお願いが」

「お願い? 何ですか?」

「しん様と……、それからそちらの代々木さんに少しお話したいことがありますの。なのでVIP会議室には、その他の皆さんで行ってもらえませんか?」

「えっ? オラ?」

「……僕にも?」

 

 あいから名指しされたしんのすけとコージローが、揃って不思議そうに首を傾げた。特にコージローの場合、いくら同じ春日部出身であり、しんのすけという共通の友人がいるとはいえ、彼女自身とはほとんど面識も無い。

 しかしながら、彼女の頼みは理由を殊更に掘り下げなければいけないほどおかしなものではない。現に達也も多少の引っ掛かりは覚えたものの、特に悩むことも無く頷いた。

 

「分かりました。とにかく今は情報を集め、一刻も早くこの場を離れることを考えるべきです。こいつらの最終目的が何であれ、第一の目的は優れた魔法技能を持つ生徒の殺傷もしくは拉致でしょうから」

「まぁ! ということは、しん様の身に何か起こるかもしれない、ということですか!? 何をグズグズしてらっしゃるんですの!? 早くVIP会議室に行ってきなさい!」

「…………」

 

 顔色を変えて達也たちへそう命じるあいに、彼らは気の抜けた表情を浮かべるもツッコミの言葉を口にすることなく、ホールの扉を潜って外へと飛び出していった。

 

 

 *         *         *

 

 

「達也くん!」

 

 ホールを飛び出して正面入口へと駆けていた一行が鉢合わせたのは、フライトジャケットを開けて腰に巻く拳銃のホルスターが丸見えになっているよねだった。彼女は集団の中に顔見知りである達也がいることに気づくや、血相を変えてこちらへと駆け寄ってくる。

 しかし彼と深雪以外の全員が彼女と顔見知りではないため、突然現れた謎の人物に疑問の表情を浮かべていた。

 

「達也くん、あの人誰?」

「知り合いの刑事だ。産業スパイの件を捜査してもらっていた」

 

 どういう経緯で知り合ったのかエリカ達は気になったが、よねがすぐ目の前まで迫っていることと、達也に対する『まぁ達也だし』という謎の信頼感で追及することは無かった。

 そしてそのことに、達也は秘かに胸を撫で下ろしていた。ニューハーフパブで出会ったなんてことがバレたら、特にエリカ辺りが面倒臭い反応を示しそうだ。ただでさえ深雪への説明で色々と精神を磨り減らしたというのに――

 

「お兄様、私が何か?」

「――――!」

 

 達也の背筋にかつてない寒気が走ったのと同時、よねが彼らの下へと辿り着いた。

 

「ねぇ、ちょっと! いったい何がどうなってんの!?」

「外国籍と思われるゲリラ兵による攻撃を受けていて――」

「いや、そっちは何となく分かるのよ! 響子さんもそんなことを言ってたから! アタシが訊きたいのは、こっちのことで――」

 

 よねはそう言うと皆を正面入口の方へと促し、自身も踵を返して再び駆け出した。彼女の只ならぬ様子に達也が即座に走り出し、エリカ達も“響子さん”について尋ねる暇も無くその後に続く。

 銃器を持ったゲリラ兵が侵攻しているというのに、よねは身を隠したりせず堂々と廊下のど真ん中を駆け抜けていった。発砲音なども聞こえず妙に静まり返っていることもあり、達也の脳裏にしたり顔のあいが浮かび上がる。

 そうして正面入口へと辿り着くと、そこには、

 

「――ど、どういうことだ?」

 

 国際会議場へと侵入を試みたゲリラ兵は、全員が東アジア系の顔立ちをしていた。色が不統一のハイネックセーターにジャンパー、そして余裕のあるカーゴパンツ風のズボンという、ホールに乱入してきた者達と同じ格好をしており、通常の突撃銃と対魔法師用のハイパワーライフルで武装している。

 しかしその全員が、比喩表現ではなく文字通り深い眠りについていた。日本魔法協会が手配したプロの魔法師が次々と拘束しているが、奴らは一向に目覚める様子は無く、ただ無抵抗にされるがままとなっている。

 

「いつから、こんなことに?」

「いや、アタシも詳しくは……。魔法師の人達がゲリラ兵と銃撃戦をしてたから加勢しようと思ったら、ゲリラ兵達が一斉にバタバタと倒れだして……」

「まぁ、こちら側に怪我も無く敵を制圧できたんですから、良いことなのでしょうか……?」

「何言ってんの、美月。得体の知れない魔法が誰にも気づかれずに行使されたってことでしょ? 自分達にそれが降り掛からないとも限らないんだから、脅威には変わりないでしょ」

 

 エリカがそう話す横で、達也は眠ったままのゲリラ兵と、その対処に追われる魔法師達をつぶさに観察していた。催眠効果のある生物兵器などを警戒してか若干動きに迷いを見せる彼らだが、体調不良を訴える者は1人もおらず、達也の眼でもそういった兆候は見られない。

 と、よねが思い出したように声をあげる。

 

「――っと、こんなことしている場合じゃないわね! ここにいる人達を早く避難させないと! あなた達も早くホールに集まって!」

「自分達は情報を集めるためにVIP会議室に向かうつもりです。予想外に大規模で深刻な事態が進行しているようですし、行き当たりばったりの避難では泥沼になるかもしれません」

「あぁっと、確かにそうね……。よし! アタシは先にホールに行くから、何か分かったらアタシのケータイに電話ちょうだい!」

「分かりました、お願いします」

「任せなさい!」

 

 よねはそう言い残し、先程走ってきた廊下を逆戻りしていった。颯爽と走り去るその姿は、まさしく理想の警察官そのものだと言えよう。

 

「へぇ、なかなか格好良いじゃないの。馬鹿兄貴にも見習ってほしいところね」

 

 エリカがニヤニヤと笑みを浮かべてそんな感想を漏らすのを聞いて、達也はふと考えた。

 もしも彼女が下着泥棒相手に拳銃を発砲して資料室の整理係に追いやられていると知ったら、皆はどんな反応を示すのだろうか、と。

 

 

 *         *         *

 

 

 達也たちが扉の向こう側に姿を消してから、ホールの中は一旦静寂を取り戻した。激しい爆発音も発砲音も聞こえず、侵入者達がすぐに取り押さえられたことで聴衆達もパニックに陥ることは無く、せいぜい小声でザワザワと会話を交わす程度である。

 しかし侵入者達の所持する銃器が、事態の深刻さを静かに、しかし鮮明に物語っていた。侵入者達が突然眠りについたことも、自身の安全に対する安堵と共に「次は自分達がこうなるのでは」という漠然とした不安を抱える要因となっている。その不安感がジワジワと心を蝕んでいくのを誰もが感じ取っていた。今はまだ良くても、そう遅くない内に目に見える喧騒として表れることとなるだろう。

 

 ――いざとなったら、あーちゃんの魔法でみんなを落ち着かせないと……。

 

 そんな中、壇上から客席全体を見渡していた真由美は、審査員席に座るあずさへと視線を向けて秘かにそんなことを考えていた。ちなみになぜあずさが審査員席にいるのかというと、各学校の生徒会長は生徒審査員として自分以外の学校の発表に点数を付けることになっていたからだ。

 そんなあずさが固有の魔法として身につけている“梓弓”(あずさゆみ)は、情動干渉系にカテゴライズされ、霊子(プシオン)を震わせた波動で一定のエリア内にいる人間を一種のトランス状態に誘導する効果がある。意識を奪ったり意思を乗っ取るほど強力ではないため相手を無抵抗状態に陥れることはできないが、精神干渉系の魔法では珍しく同時に多人数に対して仕掛けることができ、興奮状態にある集団を沈静化させるにはもってこいの魔法だ。

 しかし精神に干渉する魔法は他のものと比べても特に規制が厳しく、未成年の判断で軽々しく使うことはできない。しかし真由美は、緊急事態であることと“七草(さえぐさ)”が持つ権威で押し切ることも辞さない構えだった。

 

 そのタイミングを見極めながら、同時に自身の携帯端末から情報を収集することも忘れない。繰り返すが彼女は“七草”であり、いい加減な憶測を口にすることが許されない立場である以上、普通の人間では見られないデータベースにまでアクセスできる権限を有している。そして彼女は今まさに、それを閲覧しているところだった。

 そうして仕入れた情報は真由美の予想を超える深刻さであり、彼女の表情が思わず強張ってしまうほどだ。少なくともここに留まっているのが何よりも危険だと考えるほどには事態が切迫している、と彼女は判断した。

 と、そんな彼女に客席のフロアから近づく者がいた。

 

「突然失礼します。七草真由美さん、ですね?」

「あなた……、酢乙女あいさんね」

 

 無意識に壇上から下りようとする真由美を、あいは片手を差し出して制止した。

 

「七草さん、おそらく既に或る程度は情報を掴んでいるのでしょう? 教えてくださらない?」

「え? えっと……」

「大丈夫ですわ、誰にも漏らしませんから」

 

 ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべるあいに、真由美は迷う素振りを見せながら客席を見渡した。誰もこちらに注目している様子は無く、彼女と知り合いであるしんのすけ達も旧友達と何やら会話をしている最中だ。

 

「――現在、この街は侵略を受けています」

「あらまぁ」

 

 衝撃的な内容であるはずの真由美の発言に、あいは何とも気の抜ける返事をした。

 

「港に停泊中の所属不明艦からロケット砲による攻撃が行われ、それに呼応して市内に潜伏していたゲリラ兵が蜂起した模様です。先程捕縛した侵入者も、おそらくはその侵略軍の仲間でしょう」

「状況は?」

「湾内に侵入した敵艦は1隻、他の敵艦は見当たらないそうです。上陸した兵力の規模は具体的には分かりませんが、海岸近くはほぼ敵に占領されつつあるようです。陸上の交通機関は完全に麻痺しています、こちらはゲリラの仕業でしょう」

「狙いは?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、真由美は少し顔を伏せて考え込む。

 

「横浜には日本魔法協会の支部があり、そこにはメインデータバンクがあります。重要なデータは京都と横浜で集中管理していますので。おそらくそれが狙いだと私は考えます」

「ここにいる魔法師や学者の皆様を狙っている、という可能性は?」

「それにしては、この建物に対する攻撃が激しくないと感じます。もちろん日本政府と交渉を有利に進めるための人質に取る可能性は充分ありますが、メインはあくまで魔法協会支部でしょう。もっとも、この建物の耐久性なども考慮すると、ここに留まるのは危険でしょう。一刻も早い避難が必要です」

「成程。丁寧なご説明、ありがとうございます」

 

 真由美の口から語られるそれらは、普通の人々が聞けばその場でパニックを起こしてもおかしくない内容だ。しかしあいはそれらに対しても平然とした顔を崩すことなく、説明してくれた真由美に礼を述べる余裕すらある。

 さすがは世界規模の企業を束ねる社長の1人娘だ、と真由美は何やら考え込んでいるあいを眺めながらそんな感想を抱いた。

 するとあいが顔を上げ、真由美に向かってこう言った。

 

「――七草さん、私から提案があります」


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