嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第68話「決戦の地、横浜スタジアムだゾ」

 達也たちがホールを後にし、あいが真由美から情報を得ているときのこと。

 しんのすけ・コージロー・サキ・ボーの4人がホール内の通路で固まっていると、扉を開けてホールの中に入ってくる1人の女性に気がついた。

 

「おっ、よねちゃんだ」

「よねちゃん? 今ホールに入ってきた女性のこと?」

「そ。ちょっと前まで刑事で、今は資料室の整理係」

「成程、野原くんの知り合いなだけあって、一筋縄じゃいかない人のようだね」

 

 しんのすけとコージローがそんな会話を交わす間に、しんのすけの存在に気づいたよねが慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

「しんちゃん! さっき達也くんとそこで会って、情報を仕入れてから避難の方針を固めることになったって聞いたんだけど!」

「えーっと、そうだっけ?」

「避難については聞いてないけど、こんな状況だし避難するしかないよね」

「そ、そうだよね……」

 

 サキがブルリと体を震わせたところで、真由美との話を済ませたらしいあいが戻ってきた。見知らぬ女性の姿に一瞬だけ不機嫌そうに目を細めるも、すぐにしんのすけの態度が平時と変わらないことに気づいて元に戻る。

 

「えっと、しん様、そちらの方は?」

「アタシは東松山よね、しんちゃんの知り合いの刑事だ」

「今は刑事じゃなくて資料室の整理係でしょ」

「う、うっせぇな! すぐに刑事に戻ってやるから見てろよ!」

「とにかく警察関係者なのでしたら、避難誘導に協力していただけませんか?」

 

 しんのすけとよねの漫才めいた遣り取りにも耳を貸さず、あいは真剣な表情でよねにそう問い掛けた。自分よりもずっと年下だが只者でない雰囲気を漂わせる彼女に、よねも釣られて真剣な表情で彼女に向き直る。

 

「あぁ、それはもちろんそうするつもりだけど、責任者って誰なんだ?」

「それでしたら、あちらのステージの上にいる女子生徒と相談してくださいな」

「えっ? いやいや、こういうときは立場ある大人がやるのが相場であって――」

「確かに彼女はまだ高校生ですが、この中では一番頼りになりますわ。よろしくお願いしますね」

「マジかよ。うーん、とりあえず行ってみるかぁ……」

 

 半信半疑といった感じながらも真由美の下へと去っていくよねを見送ったあいが、優雅な所作でクルリと踵を返してしんのすけ達へと向き直った。

 

「さて、しん様と代々木くん、とても大事な話があります」

「僕らをここに引き留めてまで話したかった件、ですね」

 

 コージローの言葉にあいは頷き、説明を始めた。

 

「現在、市内に潜伏していた大亜連合の戦闘員が一斉蜂起し、この街を襲っているところです。その目的は、この街にある魔法協会支部のメインデータバンクから情報を盗み出し、さらには一般市民や魔法関係者を拉致することで日本政府に圧力を掛けること――」

「おぉっ! だったらすぐにここから出なきゃ――」

「――というのが“建前”としての理由です」

 

 あいが付け足した台詞に、しんのすけが「建前?」とオウム返しに尋ねた。ボーは特にこれといった反応を見せず、サキはしんのすけと同じように首を傾げ、そしてコージローはあいへと向ける目を疑わしげに細める。

 しかし彼が疑っているのは、彼女の話の信憑性に対して、ではなかった。

 

「酢乙女さん、あなた、最初から知ってたんですね?」

「はい。今更隠す理由も無いので正直に話しますが、私は大亜連合が今日この街に侵攻してくるという情報を、既に“とある筋”から聞いて掴んでいました。当然、その“真の狙い”も合わせて」

「“とある筋”って?」

「ごめんなさい、しん様。たとえしん様であっても、それを教えることはできないのです。しん様が私と結婚をしてくださるのであれば、全てをお話しすることができるのですが――」

「で、その“真の狙い”とは何ですか?」

 

 あいの台詞をぶった切って尋ねるコージローに、彼女は拗ねた様子で唇を尖らせ、しかしすぐに真剣な表情に戻してそれに答えた。

 しんのすけを、まっすぐ見据えて。

 

「大亜連合の狙いは、――しん様です」

「えっ? オラ?」

 

 その場にいる全員の視線がしんのすけへ向けられ、当の本人が首を傾げてそう尋ねる。

 その問いに対して、あいは力強く頷いた。

 

「はい、そうです。他国籍に偽装した揚陸艦を港につけ、数百人もの戦闘員を街中で暴れさせ、数十機もの装甲車や直立戦車を使ってまで協会支部に攻撃を仕掛けているのも、全てはしん様お1人を拉致するという真の目的を隠すための“囮”ですわ。――まぁ、それを知らされているのはごく一部のみで、ほとんどは本気でそれを目的として動いているのですが」

「待ってよ、あいちゃん! なんでその人達はこんなことまでして、しんちゃんを拉致しようとするの?」

「そんなの決まってるでしょ、サキちゃん。――こんなことまでして手に入れようと思うほど、しん様の“力”には価値があるからですわ」

 

 手短に説明します、とあいは若干早口気味に話し始めた。確かに現在進行形で襲撃を受けている以上、どんな事情があろうと早く避難しなければいけない状況には変わりない。

 

「我々が“主人公補正”と呼んでいるしん様の力は、その気になれば世界を支配することも滅ぼすことも思いの儘なほどに強大です。それだけの力を私利私欲ではなく他人のために使えるからこそ、しん様は英雄視され、恐れられ、そして恨まれています」

「あいちゃん、言ってる意味が全然分かんないゾ」

「それだけの強大な力を自分の物にしたいと考える者が現れるのは、むしろ必然でしょう」

 

 しんのすけについての話にも拘わらず、当の本人の疑問を無視して話が進む。

 

「しかし、しん様の力を手に入れると一口で言っても、その方法が悩みどころでした。下手に強引な手段を取れば自分達が敵と見なされ、その力によって返り討ちに遭います。味方にしようとハニートラップなどを仕掛けた奴らもいましたが、最初は良くても“騙し続ける”というハードルを越えられずにボロを出し、結局力が発動して返り討ちに遭います。そんなことを何回も繰り返す内に、いつしか誰もがしん様の力を手に入れるのを諦めるようになりました」

「だとしたら、この状況はおかしいですよね? 強引な手段どころじゃないんですが」

 

 コージローのごもっともな指摘に、しんのすけを除く全員が頷いて同意を示す。

 そしてそれは、あいも同じだった。

 

「その通りですわ、代々木くん。――ですが昔と今とでは、“事情”が違うのです」

「事情?」

「はい。――今から10年ほど前に“サザエさん時空”が消滅したために、しん様が歳を取るようになったことです」

 

 あいの言葉にピンと来たような反応を見せたのは、ボーとコージローの2人だけ。

 サキはまだ分からないようで、首を傾げたまま。

 しんのすけに至っては、もはや色々と諦めたのか話を聞いてるのかも怪しかった。

 

「長らく5歳児のままだったしん様も、今や16歳。その気になれば子供を作れる歳です」

 

 あいが付け足したその説明に、サキがようやく思い至ったようで(若干頬を紅く染めながら)納得したように頷いた。

 

「しん様本人を引き込めれば万々歳、そこまでには至らなくてもしん様の“遺伝子”を持ち帰ることさえできれば、現代の技術力ならばしん様の子供を作ることは容易ですわ」

「しんちゃんの力って遺伝するの?」

「試してみる価値はある、と考えてもおかしくないでしょう? たとえ劣化したとしても度合いによっては充分に脅威ですし、逆に多少劣化した方が自分達が御しやすくなる、くらいには思っているかもしれませんわ。あるいは直接しん様のクローンを作るという手も無くはないですが、過去の研究で魔法師のクローンがオリジナルの力を受け継ぐことは無かったのを考えると、そちらについては成功する可能性はほぼ無いでしょうね」

 

 あいの説明に、ボーもコージローも納得した様子だった。

 しかしサキだけは、どうにも納得しがたい、といった表情を浮かべている。

 

「んん? でもさ――」

「んで、結局オラはどうすれば良いの?」

 

 と、サキが何か質問しようとしていたが、とうとう痺れを切らしたのか、しんのすけがむりやり会話に割り込んできた。

 確かにこの辺が頃合いか、とあいも説明を打ち切った。

 

「とにかくしん様が本命である以上、しん様は一刻も早くこの街を脱出するべきですわ。この会場のすぐ近くにヘリを待機させてますから、それを使ってくださいな」

「オラ、ヘリなんて運転できないゾ」

「大丈夫ですわ、黒磯に運転させますから。私が別名義で所有しているビルに隠してますから、黒磯にそこまで案内させます」

「酢乙女さん、僕も彼に同行させてもらっても良いですか?」

 

 手を挙げて提案するコージローに、あいは眉を寄せて難色を示した。

 もちろん彼は、しんのすけに便乗して一刻も早くこの街を脱出しようと考えてそう言ったのではない。そしてあいもそれは分かっていて、だからこそ先程の反応なのである。

 

「代々木くんが一緒なら有難いけど、あなたがいることは想定外だったから何も用意できていませんわよ?」

「それは大丈夫。ちょうど千葉さんから“武器”を借りて、というか半ばむりやり押しつけられてるから、いざってときは自分なりに頑張ってみるよ」

 

 コージローはそう言って、自身の脇腹辺りを服の上から擦った。おそらくそこに、エリカから借りたという“武器”が仕込んであるのだろう。

 と、ここでしんのすけが「おっ?」と不思議そうに眉を寄せた。

 

「そういえば、あいちゃん達はどうするの? というか、達也くんたちは?」

「とにかくしん様の脱出が最優先です、できるだけ少人数で動いた方が相手にもバレずに済みますわ。――大丈夫ですわ、この場の皆さんは私達が責任を持ってシェルターまで避難させますし、魔法科高校のご友人達もあんな奴らに遅れを取るほど柔じゃありませんもの」

「急ごう野原くん、むしろ君がこの場に留まる方が危険みたいだよ」

 

 あいとコージローの言葉にしんのすけが迷いを見せる中、ボーが持っていたスーツケースを彼へと差し出してきた。

 

「しんちゃん、もしものときはこれを使って。問題無く動くはずだから」

「……分かったゾ、ボーちゃん」

「さぁしん様、この場は私達に任せて早く行ってくださいな」

「気をつけてね、しんちゃん」

「…………」

 

 やがて決心したように力強い表情を浮かべ、しんのすけはその場を走り出してホールの扉を抜けていった。

 コージローも一瞬遅れてその後に続き、しんのすけが開けた扉を音も無く擦り抜けていく。

 

「――しん様、ご無事で」

 

 既に見えなくなった彼の背中に向けて、あいがポツリと呟いた。

 

 

 

 

 しんのすけとコージローがホールを飛び出すと、即座に黒髪黒スーツ黒サングラスの大柄な男性・黒磯が2人へと駆け寄ってきた。普段は冷静沈着で感情をほとんど表に出さない彼だが、状況が状況だからかよく観察すると若干口元を強張らせているように見える。

 

「お待ちしておりました。裏手のVIP専用口から表に出ますので、私について来てください」

 

 おそらく事前にあいから話は聞いていたのだろう、黒磯はそう言うや返事も待たずに踵を返して走り出した。しかし数歩進んだところで2人が自分の後をついて来ないことに気づき、黒磯は困惑の表情で後ろを振り返る。

 床に顔を伏せているせいで表情が見えないしんのすけと、そしてその隣でジッと彼を見つめるコージロー。

 主人からの命令を忠実に遂行しようとする黒磯が、動き出そうとしないしんのすけに呼び掛けようと口を開き――

 

「野原くん、そのスーツケースの中身は何だい?」

 

 かけたタイミングでコージローがしんのすけに呼び掛けたため、黒磯の呼び掛けは中断されてしまった。まるで自分の言葉を遮ったかのような印象を受けた黒磯だが、わざわざそれを指摘して時間を取る必要は無い、と即座にその考えを頭の外へと放り捨てる。

 そんな黒磯を尻目に、しんのすけはボーから貰ったスーツケースを床に置いてそれを開けた。

 

 緩衝材が敷き詰められたその中に折り畳まれて入っていたのは、プロテクターが付いたライダースーツのようなコスチュームに、口元のみが露わとなっているヘルメットだった。

 胸部は緑、肘先・膝先・腰回りは赤、それ以外の部分は青に着色され、目元を覆うバイザー部分には黄色で目がペイントされている。スーツと一体化しているベルトのバックル部分には“A”の文字が刻まれ、ヘルメットには鶏のトサカと牛の角を合わせたような飾りが施されている。

 まさにテレビからそのまま飛び出したかのようなその姿に、しんのすけは目をカッと見開いて爛々と輝かせた。

 

「おぉっ! まさしくアクション仮面の変身コスチューム!」

「単なるコスプレ衣装、ってわけじゃなさそうだね」

「ずっと前からボーちゃんに『せっかくアクション仮面の必殺技が使えるんだから、アクション仮面と同じ格好で戦いたい』って相談してたんだゾ! 何だボーちゃん、完成したんならそう言ってほしいゾ! んもう、足臭いんだからぁ!」

「それを言うなら“水臭い”じゃないかな? というか、それってさっきの彼が作ったの?」

「そうそう! ボーちゃん、昔から手先が器用だったから――」

「あ、あの! しんのすけ様! お話中のところ申し訳ありませんが……!」

 

 そのまま会話に夢中になるところだった2人に割り込む形で、黒磯がようやく呼び掛けることができた。

 2人は黒磯の存在を思い出したようにハッとした表情になり、そして彼について行く形で待機中だというヘリに向かう――かと思いきや、

 

「野原くん、せっかくだからここでそのスーツに着替えてきたらどうだい?」

「おっ?」

「待ってください! 今は一刻も早く――」

「そうは言いますが、いざ敵が攻めてから着替えたのでは間に合いませんよ? どうせ数分もあれば終わりますから」

 

 確かに武器であれば即座に手に取って使うこともできるが、魔法補助を目的とした戦闘服となればコージローの言う通り着替えなければ使えない。

 

「……分かりました。それでは、そちらに着替えてからヘリに向かうとしましょう」

「ほい来た! それじゃさっそく――」

「ま、待って野原くん! さすがにここで服を脱ぐのはマズイから!」

 

 真っ先にズボンを脱ぎ出したしんのすけを必死に止め、3人は近くにあるトイレへと向かった。スーツケースを持ってしんのすけがトイレの中へと入り、コージローと黒磯は入口で彼が出てくるのを待つ。

 そうして2分ほど経った頃、

 

「……すみません、逃げる前に用を足してきますね」

 

 コージローがそう言ってトイレの中へ入っていくのを、黒磯はサングラスの向こうに隠された視線だけを動かして見送った。

 そうして待つこと、5分ほど。

 さすがに遅いのではと感じた黒磯が、トイレの中へと足を踏み入れて、

 

「――――!」

 

 サングラスの向こうに隠された目を、これ以上ないほどに見開いた。

 綺麗に掃除されたトイレの中には、左に小便器が4つ、右に個室が4つ。

 そしてその奥にある壁には、大人1人が通るのに丁度良い大きさの穴が空いていた。

 床に散らばった瓦礫の断面は、まるで鋭利な刃物で切り落とされたかのように綺麗だった。

 

 

 *         *         *

 

 

 両脇に等間隔で樹木が立ち並ぶ、公園の入口からスタジアムまで続く園内のメインストリートを悠々と歩くのは、全部で21名という小隊にも満たない規模の大亜連合の工作部隊だった。

 しかし最後尾に据えられた甲冑姿の呂剛虎(リュウカンフウ)を始め、その全員が極めて高い戦闘力を有する実力者揃いだ。しかも彼らはこれから行う“作戦”に対する並々ならぬ熱意によって、ピリピリと肌を焼く剣呑な雰囲気に包まれている。仮に彼らの目の前に装甲車を幾重にも並べたバリケードが敷かれてたとしても、その進軍を止めるのは至難の業だと認めざるを得ないだろう。

 

「――――!」

 

 と、そんな集団の先頭を歩く1人の兵士が、途端に足を止めてその腕を水平に伸ばした。後続の兵士達が一斉に止まり、何事かと前方に目を凝らす。

 彼らから10メートルほど離れた場所に立つのは、1人の少年だった。全体的に体の線も細く身長も男子の平均を少し下回る程度しかなく、濃いブラウンの髪はオシャレに整えられ、その相貌は爽やかながら中性的だった。それこそ、どこぞのアイドルかと思えるほどだ。

 現在この横浜は”戦場”と呼んでも差し支えないほどの非常事態下にあり、しかも明らかに外国籍と思われる兵士の集団と鉢合わせるという状況だ。にも拘わらず、その少年はまるで怖がる素振りを見せず、それどころかその顔には穏やかな微笑すら浮かんでいる。

 

 兵士達が一斉に銃器を構え、その銃口を少年へと向けた。

 確かにその場に似つかわしくない反応を見せるその姿は恐怖を誘うものだが、何も彼らはその恐怖に突き動かされたわけではない。その少年の右手には、鍔が無いために警棒にも見える銀色の刀が握られており、未だ何の構えも見せていないものの戦闘の意思ありと判断したためである。

 後は引き金に掛けた指を軽く動かすだけで、目の前の少年が蜂の巣となって倒れ伏す。

 しかし結論から言えば、彼らの銃器はただの一度も火を吹くことは無かった。

 

「――――!」

 

 次の瞬間、兵士達は一斉に全身を切り刻まれた。

 そしてそれは、彼らの錯覚だった。しかしあまりにもリアルなその錯覚に、彼らは無意識の内に蹈鞴(たたら)を踏み、急に暑くなったわけでもないのに全身から汗が噴き出していた。

 とはいえ彼らも、百戦錬磨のプロだ。突然の事態にも即座に気を引き締め直し、小刻みに震える膝を気合いで押し留めると、10メートル離れた場所に立つ少年へと再び意識を向ける。

 

 そんな彼らを襲ったのは、目に見えない何者かに胸を叩かれたかのような衝撃だった。

 

【な、何だっ!?】

【ぐああっ!】

 

 あまりの衝撃に思わず母国語で困惑の声をあげる彼らだが、衝撃はその一瞬で終わらない。

 目に見えない何者かが、彼らの体をズルズルと後ろに押しやっていた。彼らはその場に踏み留まろうと体勢を低くするが、幕内力士の張り手を何十回も受けたかのように彼らの上体がみるみる持ち上がっていき、やがて完全に体を仰け反らせた者からフワリとその体を浮き上がらせ、そして為す術も無く宙へと放り出されていった。

 そうして吹き飛ばされる直前、彼らは理解する。

 自分達に襲い掛かっているのが、目の前の少年が刀を目にも留まらぬ速さで回転させて生み出した爆風である、ということを。

 

 その少年・コージローがその手に持つ刀を回転させることで、まさしく超巨大な扇風機の要領で強力な風が発生していた。それはまさしく非常に勢力の強い台風にも匹敵する風速であり、銃口の狙いを定めるどころかまともに立つこともできないほどだ。

 そうして兵士達が次々と吹き飛ばされていく中、甲冑姿の呂は地面から足を離さずにその場で踏み留まっていた。確かに他の兵士よりも大柄で重いのは確かだが、コージローの攻撃にいち早く反応して自身に加重魔法を掛けたためである。ちなみに彼の他に数人が吹き飛ばされる前に魔法構築を完了し、同じようにその場に踏み留まることに成功した。

 とはいえ、裏を返せば部隊の大多数がこの攻撃で吹き飛ばされてしまったことを意味する。そのいずれもが地面や樹木に体を打ちつけて気絶しており、戦線復帰は見込めない。残りの面々は自身に加重魔法を掛けながらコージローに対処することを強いられた。

 兵士達はその事実に舌打ちしながら、その手に持つ銃器を再び構え直し、

 

 コージローが猛烈に横回転しながら、こちらへと迫ってくるのにようやく気づいた。

 

「――――!」

 

 彼らが驚愕で目を見開くのと同時、コージローが回転しながら手に持つ刀を一番近くの兵士の横っ腹に叩きつけた。遠心力も相まって兵士の体はあっけなく宙に浮き、近くの仲間も巻き込んで吹っ飛んでいった。その姿は、奇しくも先程爆風で吹き飛ばされた仲間と同じようだった。

 最後尾で爆風に耐えていた呂は、猛烈な横回転をするコージローが仲間を次々と吹き飛ばしていく光景を目の当たりにしていた。どうやら峰打ちらしく彼らの体から鮮血が噴き出すようなことは無かったが、それでも鈍器で思いっきり殴られることには変わりなく、肋骨の1本や2本は覚悟した方が良いだろう。

 こうして記述すると長く感じられるが、実際には最初に相対してから10秒にもなるかといった出来事だ。たったそれだけの時間でほとんどの兵士を無力化したコージローが、そのままの勢いで呂へと接近していき、

 

 がきいぃんっ――!

 

 呂は僅かに身を屈めて脇腹を腕で防御する姿勢で、コージローの刀を受け止めた。金属同士がぶつかる甲高い音が鳴り響き、その余波で強烈な風が衝撃波のように辺りを襲って木々の葉をバサリと揺らした。

 如何にも防御力に優れた見た目をした甲冑姿をした呂だが、案の定他の兵士と違って彼はその攻撃を耐えた。

 しかしコージローは、それこそ呂が攻撃を耐えるか確認するよりも前に刀を上段に構え直し、

 そして呂は、ほとんど反射的なスピードで両腕を上に掲げて頭部を守る。

 

 ガガガガガガガガガガガガガガガガ――!

 

 まるで断崖絶壁から大量の水が流れ落ちるかのように猛烈な勢いで、コージローがその左腕に面を打ち続けた。1発1発の間隔が短すぎて1つの音に聞こえる連続音が、コージローと呂、そして周辺にて倒れ伏す兵士達の周辺に鳴り響く。

 それは以前に戦ったときにも見せた“秘打・ナイアガラの滝”だが、木刀のときよりも威力が上がっているようで、呂の足元で舗装された地面が捲れ上がる。

 しかしそれでも、呂は耐えていた。甲冑に隠された腕の怪我は未だに全快ではないが、鋼気功(ガンシゴン)を増幅させるこの甲冑があれば苦にならないし、今の彼は自身に傷を負わせたコージローへの雪辱に燃えている。

 

 やがてコージローが呼吸を整える一瞬に攻撃の手が緩んだのを見計らい、呂は彼に向けてその右腕を鋭く振り払った。鋼気功によって破壊力が大きく向上された熊手を、しかしコージローは即座に反応して攻撃を中断し、大きく跳び退くことで避ける。

 最初に対峙したときと同じ10メートルの距離を空けて、2人の攻防は仕切り直しとなった。

 

【代々木コージロー、貴様の死をもって、この傷の報いとさせてもらおう】

「あ、すみません。中国語、分からないんですよね」

 

 何とも気の抜ける返事をするコージローだが、呂はそれを気にする様子も無く地面を蹴って跳び出した。

 

 

 *         *         *

 

 

 コージローと呂が外で対峙している頃、陳祥山(チェンシャンシェン)は従業員用の入口からスタジアムの中へと潜入していた。普段は野球の試合や様々なイベント毎に大勢の人々でごった返すその場所も、今は仄かに明かりが灯るのみで他に誰もおらず、ひどくがらんどうに見える。

 そんな広々とした通路を、陳は特に急ぐでも隠れるでもなく悠然と歩いていた。その堂々とした佇まいからは、他の誰かに見つかる可能性を露ほども疑っていない。

 

 鬼門遁甲(きもんとんこう)

 表向きは方位の吉凶を占う術であるが、その正体は方位を操って人々を術者の望む方位へ認識を誘導する魔法である。この術に掛かった者は方向感覚を狂わされ、いつまで経っても目的地に辿り着くことのできない迷路に迷い込むことになる。

 それに加えて、今は自身の部下達が“囮”としてコージローと戦っている。そうした二重の仕掛けによって、陳は至って普通の足取りでスタジアムへと辿り着いたのである。

 

 従業員入口にも、そしてグラウンドへ続くドアにも電子システムの鍵が掛かっていたが、陳は慌てることなく懐から取り出した端末をカードキーのパネルに押しつけた。端末を介してシステムに取り憑いた“電子金蚕(でんしきんさん)”がロックを解除し、それに反応して警報が周囲に鳴り響く。

 しかし陳は、それにも動揺する様子を見せない。街そのものが非常事態となっているこの状況でスタジアムの侵入者に警備員を動員させる可能性は低く、仮にそうなったとしても駆けつけるまでに充分な時間がある。その頃には、どうせ全ては終わっている。

 彼は勝手知ったる我が家のような気概で、ドアを抜けてグラウンドへと足を踏み入れた。

 

 マウンドにブルーシートが敷かれている以外は、普段テレビ中継などで見かける野球場そのままの光景がそこに広がっていた。屋根が収納されているため、日が傾いて赤く染まり始めた空を眺めることができる。その空から降り注ぐ夕日のおかげで、照明が無くともフィールドの様子を観察することは容易だった。

 よって陳はすぐに、その人物の存在に気づくことができた。

 

 野球でいうセンターポジションに位置する場所に立つその人物は、プロテクターが付いたライダースーツのようなコスチュームに、口元のみが露わとなっているヘルメットを身につけていた。胸部は緑、肘先・膝先・腰回りは赤、それ以外の部分は青に着色され、目元を覆うバイザー部分には黄色で目がペイントされている。スーツと一体化しているベルトのバックル部分には“A”の文字が刻まれ、ヘルメットには鶏のトサカと牛の角を合わせたような飾りが施されている。

 それはまさしく、特撮ヒーローである“アクション仮面”がテレビからそのまま飛び出したかのような姿だった。

 

 例の呼び掛けを聞いてここにやって来た陳だが、まさか本当にアクション仮面の格好をしているとは思わなかったのか、ほんの少しだけ口角を上げると、先程までと同じように堂々とマウンドを突っ切ってそのアクション仮面――しんのすけへと近づいていく。

 位置的には完全にしんのすけの視界に入っているが、それでも陳はその歩みを止めることは無かった。彼の“鬼門遁甲”をもってすれば、たとえしんのすけがドアを見張っていたとしても、ドアが開いた瞬間に術中に嵌って陳の姿を見失ってしまう。“鬼門遁甲”による認識の捻じ曲げは、それだけ強力なのである。

 歩みを進めながら、陳は観客席へと目を凝らす。少なくとも、陳の視界には誰の姿も映らなかった。意図的に姿を隠している可能性は否めないが、仮にそうだとしても、そいつも同じように認識が捻じ曲げられ自身の姿を見ることはできない。

 作戦の成功が近づく胸の高まりを抑えながら、陳はそのまましんのすけへと歩いていく。

 そうして、地面がブルーシートから人工芝へと切り替わった、まさにその瞬間、

 

 

 しんのすけが、まっすぐ陳を指差した。

 

 

「今、セカンドベースの辺りにいるゾ」

「――――!」

 

 陳が目を見開いた瞬間、彼の両肘と両膝に穴が空いた。

 体を動かすにあたって、関節というのは非常に重要な役目を担う。それを突然奪われた陳は、何かが起こったことを理解する前に地面へと崩れ落ちた。

 鮮血を地面に染み込ませながらその身を横たわらせる陳は、驚愕と怨念に満ちた目をしんのすけへと向けた。しかし彼はひどく驚いた様子でこちらを見下ろしており、どう考えても自分を攻撃した術者とは思えない。

 ではいったい誰が、と陳は辺りに視線をさ迷わせ、そしてその目を更に驚愕で見開かせた。

 

 その人物は、しんのすけから僅か数メートル離れた場所に立っていた。元々そこにいたのか、それとも陳が倒れている間に駆けつけたのか今となっては分からない。

 その人物は、プロテクター付きのライダースーツのような服にフルフェイスのヘルメットという出で立ちをしていた。しんのすけと似たような構成だが、彼ほどカラフルではなく黒一色で装飾品も少ない。それこそ彼と並んで立つと、ヒーローと敵対する怪人か悪の親玉にも見える。

 

「……なぜ、俺の存在に気づいた? 術が通用しなかったのか?」

「結論から言うと、そうだ。からくりまで教えてやる義理は無いがな」

 

 陳の苦しげな問い掛けに、黒ずくめの人物――達也は答えた。

 再び陳が何か言おうと口を開きかけるが、その言葉が紡がれることは無かった。それよりも前に達也がCADを取り出し、引き金を引いて魔法を発動させたからである。振動数の異なる3つのサイオン波を撃ち出して脳震盪を起こす、という4月の模擬戦でも見せたその魔法が今回もきっちりと効果を発揮し、ただでさえ弱っていた陳の意識を完全に刈り取った。

 

「達也くん! このおじさん、大丈夫なの!?」

 

 と、しんのすけがヘルメットの上からでも分かるほどに慌てた様子で陳へと駆け寄った。仮にも自分を狙う敵への態度とは思えず、達也は思わず秘かに溜息を吐いた。

 

「心配するな。怪我したように見えたのは錯覚だ」

「えっ、そうなの? ――おぉっ! 本当だ、怪我してないゾ!」

 

 しんのすけが陳の肘や膝に顔を近づけるが、先程はしっかりとこの目で確認したはずの穴は見当たらず、それどころか地面や服にも血の痕が一切見られなかった。

 もちろんこれは達也がこっそり再成魔法を行使した結果であるが、オブラートに包んだ表現をするならば“素直”な性格であるしんのすけは彼の言葉をまんまと信じた様子だった。

 

「ところで達也くん、このおじさんがさっき言ってた“ちゃん・りん・しゃん”って人?」

「“チェン・シャンシェン”だ。おそらく、コイツがそうだろうな。認識阻害の魔法を使っていたんだろうが、しんのすけには通用しなかったようだな」

 

 正確には『しんのすけが使っているパワードスーツには』だが、と達也は内心でそう補足しながら、彼が着ているアクション仮面スーツをチラリと見遣った。

 精神に働き掛ける魔法は想子(サイオン)を媒体にしているが、その際に発生する霊子(プシオン)光そのものに効果は無い。従って霊子光だけを見ていれば意識を別方向に誘導されることは無く、また、認識阻害の魔法は“今そこにいる”と確信して目を向けられると途端に効力を発揮しなくなる。

 おそらく彼のヘルメットには、霊子光を可視化する機能が備わっているのだろう。最初彼から「オラのヘルメットは“見えない敵”も見えるんだゾ」という言葉を聞いたときは正直半信半疑だったが、どうやら想像以上に高性能のスーツなのかもしれない、と達也は考えを改めていた。

 

「ところで達也くん、なんでここにいるの?」

「今更な質問だな。七草先輩達がヘリで横浜を脱出するつもりだから、俺はそれを援護していたんだ。もうすぐここに到着するから、おまえもそれに乗って早くここから脱出しろ」

「……達也くん、オラはここに残るゾ。このおじさんみたいにオラを狙ってる奴がいたら、みんなに迷惑掛けちゃうゾ」

 

 何をふざけたことを、と達也は口に出そうとして、バイザーの裏から微かに見えるしんのすけの表情があまりに真剣だったせいか途中で動きを止めた。

 ヘルメットの下で一瞬だけ困惑の表情を浮かべる達也だったが、即座に回復して口を開く。

 

「ここに飛んできたときに確認したが、今このスタジアム周辺は、正面入口前で代々木と交戦している部隊以外に敵はいない。敵のほとんどが例の放送後もその動きを変えなかったことを考えれば、おまえがヘリに乗っても他の皆が標的になることは無いだろう」

「……本当に?」

「あぁ。とりあえず、しんのすけも一緒に外に出るぞ。代々木の援護をしつつヘリの到着を待って――」

 

 

「いや、その前に、私の相手をしてもらおうか」

 

 

「おっ?」

「――――!」

 

 突然聞こえてきた声に、しんのすけは首を傾げて、達也はその目つきを鋭くして素早く声のした方へと振り向いた。

 そこにいたのは、高身長ながら筋肉量がそこまであるわけではないため細身に見える男だった。浅黒い肌と金髪碧眼という一目で純日本人ではないと分かる外見をしており、しかしそれ以上に抜き身の刀をそのままちらつかせているような剣呑とした雰囲気を纏っているのが印象的だ。

 

「……ヘクソン」

「また会ったな、司波達也。そして、野原しんのすけ」

 

 その男・ヘクソンは、2人分の視線を受けながら、その両腕をゆっくりと開いた。

 まるで、2人を歓迎するかのように。

 

「それでは野原しんのすけ、第2ラウンドを始めよう」

「敵いるじゃん。達也くんの嘘つき」

「…………」

 

 達也の深々とした溜息を合図に、ヘクソンの言う“第2ラウンド”は始まった。


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