嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第69話「最後の戦いが始まったゾ」

 がきぃんっ!

 

 真正面から一気に距離を詰め、逆袈斬りに振り下ろすコージローの刀を、呂剛虎(リュウカンフウ)はその場から動かずに両腕で受け止めた。衝撃がビリビリと呂の体を伝わり、その体を若干後ろにずらしながらも呂はその剣を受け切った。

 その際に甲高い金属音が辺りに響いたが、金属で作られた刀と甲冑がぶつかったのだから当然のことだ――と思いきや、実際のところその2つは接触しておらず、その間にはほんの数ミリほどの隔たりがあった。呂の“剛気功(ガンシゴン)”によるものであり、そしてその光景は先程から何度も見られたものだった。

 なのでコージローは今更驚きもせず、平然とした表情をピクリとも動かずに追撃を加えた。剣道でもお馴染みの面・小手・胴だけでなく、通常は防具の死角となるため狙わない肘や上腕、腿などにも容赦無く剣を叩きつけるが、防御しながらもズルズルと後退していた初戦とは違い、甲冑姿の呂はその場から1歩も動かずにそれを受け止めていた。甲冑姿なことも相まって、まるで巨大な巌のような重厚感を覚える光景である。

 

 と、コージローが一瞬攻撃の手を緩めたその隙を狙って、呂がコージローの細い体躯に向けて双手突きを繰り出した。傍目には単に両手で突き飛ばそうとしているようにしか見えないが、“剛気功”を十全に発揮する甲冑によって威力を大きく底上げしたそれをまともに受ければ、当たり所によっては即死も有り得るほどに危険な代物となっている。

 しかしコージローは、それを最低限後ろに下がるだけで避けた。そしてそのままの勢いで彼はスキップするように大きく後退し、間合いを空けることで仕切り直しの(てい)を取る。追撃しようと足を踏み込んでいた呂だが、ふいに思い留まったようにその動きを止めたため、コージローの思惑通りここは小休止と相成った。

 そのタイミングで、コージローはふと自分が持つ得物に目を向けた。

 

 ――武器としては一級品だけど、さすがに()()()()な……。

 

 コージローが今使っている、鍔が無く警棒のようにまっすぐな見た目をした銀色の刀は、横浜に向かう際にエリカから半ばむりやり渡されたものだった。警察でも採用される白兵戦用の武器を製造する千葉家謹製(むしろそっちの方が収入のメインらしい)だけあって非常に丈夫で、しかも特殊な金属を使用しているのか木刀よりも遥かに軽く腕にまったく負担が掛からない。

 しかしこの場においては、その軽さがネックとなっていた。

 得物による攻撃に伴う破壊力は、得物を振る速さだけでなくそれ自体の重量にも比例する。生身の人間が相手ならばまず問題にはならないのだが、今回のように純粋な破壊力を要求される場面においては逆に軽すぎて威力を発揮できないのである。

 元々千葉家はスピード重視の剣技であるし、破壊力が必要ならばその都度魔法で補助している。なので千葉家の門下生が使うには最良の武器なのだが、今回は非魔法師であるコージローの弱点が如実に表れてしまっていた。

 つまりこの勝負、呂の方が遥かに有利――と結論づけられるほど、事はそう簡単ではなかった。

 

 ――忌々しいが、スピードは完全に向こうが上手(うわて)か……。

 

 けっして表情に出すことなく、呂は内心でそう吐き捨てた。

 得物が軽いことがコージローの攻撃力不足の原因ではあるが、それだけ軽いからこそ彼の動きが竹刀での試合以上に機敏であることもまた事実だった。その速さは本当に自己加速術式を使っていないのかと問い質したくなるほどであり、対人接近戦闘で世界の十指に入ると称される呂ですら未だに1発も攻撃を当てられていない。

 更にコージローはそれに加えて、当然のように“縮地法”と呼ばれる走法を使いこなしていた。

 一部の創作物によって“目に見えない超高速で移動する術”のように誤解されているそれだが、実際は“相手の意図しないタイミングで移動して反応を遅らせる術”と表現した方が正しい。普通人間が動くときは何かしらの予兆があるものだが、その予兆を極力減らしたうえでいきなりトップスピードに持って行くことで、相手はたとえ近づくのが見えていたとしても反応に遅れて動けなくなってしまうのだという。

 先程の攻防で呂がコージローの刀を正面から受け止めたのも、呂が自分の意思で迎え撃ったのではない。コージローが動き出したことに気づくのが遅れてしまい、結果的に受け止めざるを得なかったのである。そんなこと、百戦錬磨の呂をもってして初めての経験だった。

 

 ――さてと、どうするかな……。

 

 コージローは正眼の構えを取りながら、こちらを睨みつける呂をつぶさに観察する。呂の眼光の鋭さは未だ衰えを知らず、先の戦闘のダメージや疲労などはまるで感じられない。

 先程から何度も自身の刀は彼を捉えているものの、ダメージが通らなければそんなことに意味は無い。これは剣道の試合ではなく、ルール無用の実戦だ。故に、魔法で身を守ることを卑怯だ何だと難癖をつけるつもりは微塵も無い。

 

 ――仕方ない、か。

 

 コージローは心の中でそう結論づけると、小さく溜息を吐いた。もし刀を構えている最中でなければ、軽く肩を竦めるジェスチャーもつけていたかもしれない。

 そうして彼は気持ちを切り替えると、一切の予兆も無く突然走り出し、呂との距離を詰めた。

 

 呂は一瞬目を見開くも、即座に両腕を構えて防御の姿勢を取った。先程よりもその決断に迷いが見られなかったのは、おそらく何度もコージローの攻撃を受けたことで充分に防御が可能だと結論づけたためかもしれない。

 しかしコージローの刀と呂の腕が激突するその直前、刀の動きがピタリと止まった。所謂寸止めというヤツであり、そしてその代わりと言わんばかりにコージロー自身が腕を畳むようにしてその身を呂へと詰め寄らせた。

 呂が再び目を見開く中、両手で刀を握りしめていたコージローの右手が刀から素早く離れ、懐に突っ込んだかと思うと即座に抜いて呂の顔へと腕を伸ばしていった。

 その右手に握られているのは、掌に包めるほどに小さなスプレーだった。

 

 プシュッ。

 

「――――!」

 

 その瞬間、呂の目・鼻・口に刺すような痛みが襲い掛かった。

 呂の“白虎甲(パイフウジア)”は伝統的な中華風甲冑であり、機密マスクなるものは付いていない。古式魔法の呪法具という性質上仕方のないことだし、敵味方が入り乱れる状況でガス兵器が使われることは通常無いので運用方法上それでも構わない、という事情もあった。

 だからこそ、刀剣の間合いでその類の攻撃を仕掛けられる、というのは呂にとって一種の不意打ちだった。ましてや剣の達人であるコージローがそのような小細工を仕掛けてくるはずがない、という無意識の思い込みもその不意打ちに一役買った。

 まさかコージローが、唐辛子にも含まれるカプサイシンを主成分とした薬品で暴漢の粘膜を刺激して涙を止まらなくさせる、防犯グッズとして非常に有名な催涙スプレーを使ってくるなんて、呂は夢にも思わなかった。

 

 大の大人でも咄嗟に動けなくなるほどの痛みを伴う催涙スプレーだが、耐毒訓練を受けている呂の肉体はすぐにそれを克服した。

 しかしその僅かな間は、催涙スプレーの刺激によって呂の呼吸が機能不全に陥った。

 つまりその僅かな間は、呂の身を守る“剛気功”の効果も弱まった。

 そしてその僅かな間は、コージローが攻撃を仕掛けるには充分な時間だった。

 

「――――!」

 

 コージローは右手に持った催涙スプレーを指に挟み、空いた掌底を呂の顎に振り上げた。掌底は的確に呂の顎を捉え、呂は梃子の原理によって脳を大きく揺さぶられながら強制的に上を向かされた。グッ、と呂の口から苦痛の声が漏れる。

 そうしてガラ空きになった呂の喉元に、今度はコージローの刀が突き刺さった。とはいえ、鋭い切れ味を持つ切っ先ではなく、持ち手である柄の方なので正確には“めり込んだ”と表現する方が正しいだろう。それでも呂の気管がひどく圧迫されたダメージは深く、呂の呼吸は再び儘ならなくなり、一時的な酸素欠乏と脳震盪が合わさって肉体の運動機能にも陰りが表れる。

 

「悪いけど、しばらくここから離れてもらうよ」

 

 コージローがそう言い放つと同時、刀を高速回転させることで発生した暴風が容赦なく呂に襲い掛かった。先程と違い意識も朦朧としている中ではまともに立つことすら儘ならず、呂の巨体はズルズルと後退して自らコージローと距離を空けていき、上半身が仰け反って隙だらけの胴体を差し出すように曝け出している。

 ドッ、とコージローが地面を蹴って駆け出した。自身が発生させた風に乗ってそのスピードを上昇させ、回転による遠心力を上乗せした刀を呂の体めがけて振り上げた。

 

 “必刀・風車”。

 刀を高速回転させることにより風を生じさせて相手の姿勢を崩し、無防備になったところで遠心力を乗せて威力を増大させた刀を相手に叩きつける。打倒しんのすけという目標を掲げたコージローが開発した大技であり、その威力は開発した5歳当時をして面打ちでプールの水を叩き割るほど。肉体的・技術的に大きく成長した今となっては、当然ながらその威力も大きく増している。

 そんな一撃必殺の大技を、峰打ちとはいえ1人の人間相手に繰り出せばどうなるか、

 

「ぐがあぁっ――――!」

 

 野太い悲鳴をあげて、呂の体は大きく吹っ飛んだ。すぐ後ろに野球スタジアムがあるためか、その光景はさながらバックスクリーンも大きく飛び越える特大ホームランの様相である。

 一方コージローも、無事では済まなかった。自身の身長を大きく超える大柄な成人男性を吹っ飛ばす衝撃が刀にも跳ね返り、とにかく頑丈なはずの千葉家謹製の刀はグニャリとひしゃげて使い物にならなくなり、彼の両腕にもビリビリと鈍い痛みが残っている。

 

「備えあれば憂い無し。やっぱり平河さんみたいに、防犯グッズは持っておくべきだね」

 

 痛みを逃すように手首をブラブラと振りながらそんなことを呟いていると、ふいに頭上からヘリコプターのローター音が聞こえてきた。

 しかし空を見上げてみるもそれらしき姿は見当たらず、暮れかけた空が広がっているのみだ。しかしローター音は前方から近づいてくるようにみるみる大きくなっていき、そして後方へと離れていくようにみるみる小さくなっていった。

 

「もしかして、野原くんのお仲間かな……? とりあえず、野原くんの所に行くとするか」

 

 ひしゃげた刀を片手に持ったまま、コージローはスタジアムの方へと歩き出した。

 

 

 *         *         *

 

 

 達也にとって戦いというのは、『如何に相手の不意を突くか』に重きを置くものだった。

 それはひとえに、自身の魔法力が(世間一般の魔法師の基準では)劣っているからであり、自身が得意とする“分解魔法”が相手の不意を突くことにおいて非常に優れているからでもあった。よって達也はできるだけ自身の魔法を秘匿し、魔法に頼らない隠密行動の技術を身につけ、超長距離からの狙撃魔法を徹底的に磨き上げてきた。

 だからこそ達也は、ヘクソンが自分達に攻撃を仕掛ける前に自ら姿を表したことについて、最初は不思議で仕方がなかった。いくら敵とはいえ不意打ちなんてフェアじゃない、なんてどこぞの少年漫画でもない限り通用しない理屈である。

 しかし戦いが始まってすぐに、達也はヘクソンの意図に思い至った。

 

「――――」

 

 達也がホルスターからCADを抜き、“フラッシュ・キャスト”によって魔法式構築の時間を省略して魔法を発動した。今回の作戦においても敵の魔法式を破壊したり、非魔法武器を無力化するのにも大活躍した分解魔法の一種であり、設定した軌道上に存在する人体に穴を空けるという発動の予兆も無い静かなものだった。

 しかしこれは最初にヘクソンと対峙した鑑別所のときにも見せた魔法であり、そしてそのときと同じようにヘクソンは達也が引き金を引く()()()()()回避の行動を始め、魔法の性質を完全に理解したかのように最低限の動きでそれを避けた。

 

 ――やはり避けられたか。なるべく意識しないようにしたんだが……いや、そういう考え自体が既に間違いか。

 

 心理学用語の1つに“心理的リアクタンス”というものがある。これは『自由を奪われると感じる事柄に抵抗したくなる心理現象』を意味しており、例えば「テストが近いんだから早く勉強しなさい」と親に注意されて「今やろうと思ったのにやる気無くした」と返すような反応もこの一種だとされている。

 達也は以前の戦いでヘクソンが相手の心を読む超能力者だと知っており、よって『彼と対峙するときはなるべく自身の行動や作戦を頭に思い浮かべてはならない』と自身に抑圧を掛けることになる。しかし心理的リアクタンスは他人からの言葉だけでなく自分発信の考えにも適用され、行動や作戦を思い浮かべないようにしようとするほどむしろ思い浮かべてしまうことになる。

 つまりヘクソンの場合、自身のテレパシー能力を十全に発揮するためには、むしろ相手にその情報を積極的に開示するのが最適解ということになる。

 

 鑑別所での戦闘でも感じていたことだが、これほどまでに戦いにくい相手はそういない。しかも前回からそれほど時間が空いてないこともあり、達也は彼への対抗手段を身につけられていない。

 何とも歯がゆい感覚に、達也は自然と口元を歪めていた。

 

「“アクション・キック”!」

 

 だがしんのすけはそんなことなどまるで気にする様子も無く、魔法名を高らかに叫んで強く地面を蹴って跳び上がった。空中で右脚を突き出した、所謂ドロップキックの状態でヘクソンに向かっていくその技は、達也も4月の模擬戦で実際に経験したことのあるものだ。

 しかしアクション仮面のスーツを着た今の彼が繰り出すそれは、以前のそれとはまさしくスピードが桁違いだった。以前も“ミサイルのような”と形容したそのスピードだが、今のそれはまさに彼をミサイルと表現するに相応しいスピードだった。

 爪先で空気を勢いよく突き破りながら、達也へと体を向けるヘクソンの脇腹へと迫っていく。

 

「――――」

 

 しかしヘクソンは、それこそ魔法が発動するよりも前にその攻撃に気づいていた。視線を向けることすら彼にとっては無駄な動作でしかなく、彼は地面につけた足を1歩も動かすことなく、膝を曲げて上半身を前に倒すことでそれを避けた。それはまるで海の中の海藻が波に合わせて揺らめくような動きであり、ほんの一瞬前に彼の体があった空間にしんのすけが重なった。

 しかしヘクソンの動きはそれで終わらず、そのまま両手を突いて地面に倒れ込むと、その反動かのように鋭く右脚を振り上げた。普通の人間にとっては無理な姿勢での蹴り上げだが、彼の動きには淀みがまったく見られない。

 しかし彼のすぐ真上に位置するしんのすけも即座に反応し、ドロップキックの姿勢を解いて即座に手足を折り畳んで背中を丸め、人体では有り得ない完全な球体へと変貌を遂げた。アクション仮面カラーのボールと化した彼をヘクソンが蹴り上げると、打撃音と呼ぶには程遠いブニョンという音をあげて飛んでいき、綺麗な放物線を描きながら、外野席の背後にある栄養ドリンクの巨大看板に激突した。

 

 しかしヘクソンがそれを目で追うことはなく、ヘクソンは即座に立ち上がると大きくその場から跳び退いた。達也が魔法照準を自分に合わせていることに気づいたからであり、ヘクソンは着地と同時に達也へと視線を定め、地面を強く蹴って駆け出した。

 達也も即座に反応し、拳銃型CADの銃口をヘクソンへと向ける。

 そしてその瞬間、ヘクソンは地面に倒れるような勢いで姿勢を低くして達也の魔法照準から再び外れた。

 達也もその後を追おうと、視線と銃口を僅かに下へと向け、

 

「――――!」

 

 ヘクソンがいた辺りの地面に彼の姿は無く、達也は目を見開いて視線を左右に振ってその姿を探した。

 

 ――いや、下か!

 

 達也が半ば反射的に視線を自身の足元に向けると、俯せの姿勢で地面に寝転がる姿勢のまま尺取虫のように体を波打たせてこちらに迫るヘクソンの姿があった。字面だけ見ると如何にものんびりした間抜けな姿だが、まるで映像の早送りでも見ているかのようなスピードで、しかもまったく音を立てず、あっという間に達也の足元にまで辿り着く。

 達也が体を仰け反らせるのと、ヘクソンが達也の顎を狙って蹴りを繰り出すのが同時だった。ヘクソンの足は、ギリギリのところで達也の顎を掠めて空振った。

 達也はそのままヘクソンと距離を取ろうとして、

 

「――――」

 

 寸前で踏み留まって、むしろ距離を詰めながら掌底を繰り出した。今まで魔法を使っていた者が近接戦闘に切り替えたとなれば、通常は何かしら驚きの反応を見せるものだが、ヘクソンは顔色1つ変えずに両手を構えて応戦した。

 互いの拳が間髪入れずに突き出され、目まぐるしく体と攻守が入れ替わる。単なる打撃の応酬ではなく、上下左右から襲い掛かる拳や手刀や(しょう)を躱し、掴み取り、振り払う。

 いくらテレパシー能力で先読みできたとしても、そもそも体がついていかなければ意味が無い。つまりそれだけヘクソンの格闘術が卓越したものであり、八雲に鍛えられた体術を駆使する達也と対等に渡り合えることからもそのレベルの高さが窺える。

 

「――――“アクション・キック”!」

 

 と、頭上から声が聞こえたその瞬間、ヘクソンが指を折り畳んだ猫の手で達也の拳を受け止めた。ぼよんっ、と気の抜けた音と共に達也の拳が跳ね返され、その隙にヘクソンは大きく跳び退いてその場から離れた。

 そして次の瞬間、脚を突き出したしんのすけが猛スピードでヘクソンのいた場所に落下し、地面に衝突したのと同時に大量の土埃を舞い上がらせた。芝生で覆われた地面は大きく掘り返され、その中心でしんのすけがヘクソンの蹴りによるダメージを感じさせない自然な立ち姿を見せている。

 

「うーん、当たると思ったんだけどなぁ」

 

 2対1という数的有利があるにも拘わらず、達也としんのすけはヘクソンを捉えることができずにいた。今のところはこちらも大したダメージを負わずに済んでいるが、何かしら決定打が無ければこのままジリ貧となってしまうのは明らかだ。

 実戦でここまで焦りを覚えたのは本当に久し振りだ、と達也が顔をしかめた、

 まさに、そのときだった。

 

「おっ?」

「――――!」

「――――!」

 

 突如頭上から聞こえたヘリのローター音に、達也とヘクソン、そしてしんのすけの3人が一斉に空を見上げた。

 スタジアムの天井は開けているため暮れかけた空がよく見渡せるが、どこに目を凝らしてもヘリの姿はどこにも無かった。しかし達也は中にいるであろうほのかのステルス魔法によるものだと即座に思い至り、そしてヘクソンはそんな達也の思考を読んでそれを知った。そんなわけで、しんのすけだけがいつまでも首を傾げたままだった。

 と、そんな(普通の人間の目から見たら)何も無い空に、豆粒ほどの大きさの人影がいきなりパッと姿を現した。ほのかのステルス魔法の範囲から外れたその人影は、重力加速度に従ってみるみる近づいていき、次第にその詳細を明らかにしていった。

 ヘリの存在については最後まで分からなかったしんのすけだが、その人影の正体については、よく知った仲だったこともあってかなり早い段階で気がついた。

 

「おぉっ! 深雪ちゃん!」

 

 しんのすけが声をあげて大きく手を振る中、達也は空から下りてくる(というより落ちてくる)妹に気を配りながらもヘクソンに注意を向けていた。しかしヘクソンは隙だらけなしんのすけに攻撃を仕掛けることも無く、突然の乱入者である美少女をただジッと見つめていた。

 そうして3人が見つめる中、長い黒髪をはためかせながら落ちていた深雪だが、スタジアムの3階席辺りの高度に差し掛かったところで途端に落下速度がガクンと緩やかになった。おそらく彼女が自身に減速魔法を掛けたためであり、パラシュートも何も身につけず生身でヘリから跳び下りた彼女は、妖精かと見紛うほどに優雅な所作でフワリとスタジアムに下り立った。

 

「深雪ちゃん、なんでここに!? というか、どっから来たの!?」

「ほのかの魔法で見えないけど、頭上にヘリが停まってるのよ。――お兄様、正面の敵は代々木くんが退けたようです。私達はしんちゃんと代々木くんを連れて横浜を脱出します」

「あぁ、頼む」

 

 スタジアムの上空から下り立つという派手な登場をした深雪だが、しんのすけの質問に答え、達也に報告をする彼女の姿は、今ここが戦場になっていることすら知らないかのように平時のままだった。

 それこそ、金髪碧眼の超能力者など最初から眼中に無いかのように。

 

「さてと、お待たせして申し訳ありません。あなたがヘクソンですね」

 

 しかし実際はそんなことは無く、深雪はしっかりとヘクソンを見据えて彼へと呼び掛けた。しかし口元に笑みを携えるお嬢様然とした彼女の姿は、やはり敵を目の前にしたものとしてはどこまでも相応しくない。

 ともすれば事の状況が分かっていないと揶揄されても仕方のない深雪に対し、しかし彼女に鋭い視線を向けるヘクソンの表情には嘲りの感情は一切無かった。

 

「そこの女、――()()()?」

「あら、おかしなことを訊くのですね。超能力があるのですから、それで私の心を読み取れば良いではないですか」

 

 優雅な微笑みを崩さぬままそう口にする深雪だが、その目には明らかに自信の感情が浮かんでいた。まるで『自分の感情を読み取ってみろ』と挑発するかのようであり、そしてヘクソンが自分の感情を読むことができないと確信しているかのようだった。

 そしてそんな態度の深雪を前に、ヘクソンはフッと笑みを漏らした。

 しかしそれでもなお、彼の表情に嘲りは無かった。

 

「過去に私が手を組んでいた或る女は、自身の心に鍵を掛けることで私に思考を読ませなかった。どうやらおまえも、それと同じことができるようだな」

「その口振りからすると、どうやら私の心は読めていないようですね。それでは自己紹介させていただきます。私は司波深雪、こちらの司波達也の妹であり、――あなたの“天敵”です」

「天敵、か。随分と大きく出たな」

 

 見え見えの挑発に対してヘクソンはそれだけ言うと、右足を下げて半身の構えを取った。一方深雪は臨戦態勢の彼に対し、特に構えを取ることなく自然体で立ったままだ。

 まるで西部劇でガンマンが対峙しているかのような、一触即発の張り詰めた緊張感が2人を包み込む。それを見守るのは、深雪の後ろに立つ達也としんのすけ、そして頭上でローター音を響かせるステルス状態のヘリコプター。

 

 そんな状況下でヘクソンが選択した行動は、――逃亡だった。

 ヘクソンにとって感情を読み取れない相手との戦闘は、実のところ初めてではなかった。先程彼が話した“或る女”と出会うよりも以前にも、そして出会った以後にも、そういった者というのは少ないながらも存在していた。しかし彼は超能力者であると同時に格闘術の達人でもあり、純粋な戦闘力によってそういった者との戦闘にも勝利を収めてきていた。

 しかし目の前にいる少女は、彼にとって初めての“魔法師”だった。達也のように思考した瞬間に魔法効果が即座に分かるならまだしも、そうでない状態で初見の相手とまともに戦おうと思うほどヘクソンも無謀ではない。

 よってヘクソンはまったくの予備動作無しで、一番近くにある出口に向かって駆け出し――

 

「逃がしませんよ」

 

 

「――ぐああああああああああああああああああっ!」

 

 

 その瞬間、ヘクソンの頭に痛みが走った。

 いや、もはや“痛み”だと認識することすらできなかった。自身の脳を何物かが食い散らかし、体をブクブクに膨れ上がらせて中から頭蓋骨を粉砕し、そのまま皮膚を食い破って外へと飛び出していくかのような錯覚に、彼はまともに動くこともできずに地面に倒れ込んで蹲った。

 しかしヘクソン自身は、自分が地面に倒れたと認識するのにすら時間を要した。あまりにも強い頭痛が超能力どころか一般的な感覚機能すら阻害し、自分が立っているのか座っているのかすら今の彼には咄嗟に判断ができなかった。

 

「おぉっ! 急にどうしたの!?」

 

 しんのすけが驚くのも無理はない。彼の目から見れば、ヘクソンがいきなり地面に倒れて苦しみ出したようにしか見えないのだから。目を凝らしても彼が何かしらの怪我を負った様子は無いし、彼に何かしらの攻撃が加えられている様子は無い。

 一方達也は、一切驚いた様子も無くその光景を眺めていた。まるで、最初からそうなることが分かっていたかのように。

 

「き、貴様……! 私に何をした……!」

「私はあなたに何もしていませんよ。()()()()()()()()()()()()()()()()です。――お兄様、この者はどう致しますか?」

「とりあえず無力化し、後詰めの部隊に引き継ぐよう指示を受けてる」

「了解です」

 

 深雪はそう返事をすると、その右手をヘクソンへと向けた。

 その瞬間、ヘクソンの頭が小刻みに揺れた。脳を揺さぶられたことで軽い脳震盪を起こした彼は、先程まで騒いでいたのが嘘のようにプツリと悲鳴を途切れさせ、そして無抵抗にドサリと突っ伏したまま動かなくなった。

 しんのすけが恐る恐るヘクソンに近づいて確認するが、呼吸音を確認したことでホッと胸を撫で下ろした様子だった。

 

「問題なく魔法は発動したようだな。さすが深雪だ」

「いえ、お兄様が設計なさった魔法式の賜物でございます」

「えっ、今の深雪ちゃんがやったの!? どうやって!?」

 

 困惑しきりのしんのすけに対し、深雪がチラリと達也に視線を遣り、達也が小さく頷いたことで深雪が口を開いた。

 

「奴が人の心を自動的に読み取る能力があることを知ったお兄様は、まず“心を読まれなくする魔法”の開発をお始めになったの。さっき奴は『心に鍵を掛ける』という表現をしていたけど、私の感覚としては『心全体を包み込んで蓋をする』という感覚の方が近いかしら」

「ほーほー。だからヘクソンは深雪ちゃんの心を読めなかったわけですなぁ。んで、なんでそれで苦しむの?」

「奴は人の心を自動的に読み取る。でもそれは裏を返せば、能力のオンオフができないということになるわ。だからお兄様は『その能力を逆手に取ってヘクソンにダメージを与えられないか』とお考えになったの」

「どうやって?」

 

 しんのすけの簡潔な問い掛けに、深雪は口元に笑みを携えて答えた。

 

「やってることは、しんちゃんが鑑別所で奴と戦ったときと同じよ。情報量の多い煩雑な思考をぶつければ、奴は激しい頭痛に苛まれるのでしょう? だからお兄様は、さっき説明した“心を読めなくする蓋”自体に膨大な情報を貼りつける方法を考案なさったの」

「そうすれば奴は勝手に自滅する、と踏んでな。――とはいえ、今説明したどちらの魔法も、俺1人では今日までの完成には間に合わなかっただろうな。魔法式を組み上げられたのも、結局は俺の仮説を聞いた深雪が感覚的に魔法を完成させてくれたおかげだしな」

「そんなことはありません! お兄様の的確なご説明があってこそです! それに私の稚拙な魔法を再現性の高い魔法式に構築したことは、間違いなくお兄様の功績でございます!」

「“再現性の高い”と言われてもな……。精神干渉魔法の高い適正と、膨大な情報量を操るだけの常人離れした魔法構築規模が無ければ成立しない魔法だ。今のところは、実質深雪専用だよ」

「ふふ、それではこの魔法は、私とお兄様の“共同作業”で出来た魔法ということで――」

「達也くん、深雪ちゃん、イチャイチャしてる場合じゃないでしょ」

 

 呆れ果てた表情で(ヘルメットをしているので傍目には分からないが)しんのすけがツッコむと、深雪は顔を真っ赤にして慌てふためき、達也は若干ばつが悪そうに口元を引き結んだ。

 そうしていると、安全が確保されたと判断したのか、頭上のヘリから深雪と同じように何人かが下りてくるのが見えた。そしてそれとほぼ同時に、陳が入ってきたのと同じドアからコージローがグラウンドに入ってくるのも見える。

 その間、地面に寝転がったまま気絶している(チェン)とヘクソンは、ピクリとも動かず起き上がる気配すら無かった。

 

 

 *         *         *

 

 

 十師族の直系で義勇軍に合流しているという点では同じでも、克人と将輝では軍との関わり方が違った。克人は積極的に主導権を握って士気を高めることに重点を置いているが、将輝は指揮を執ることなくむしろ義勇兵をかばうように前線に出ているのが特徴である。

 そうして侵略兵を迎撃していた将輝達だが、ここに来て足止めを余儀なくされていた。

 

 彼らの目の前にあるのは、横浜中華街の北門である玄武門。

 この中華街は戦後の再開発によって、ビルが壁の役目を果たして東西南北の門からしか出入りできないようになっていた。他国の地で自分達だけで集まって要塞化するというのは将輝個人としては少し気に入らないが、普段ならばそれにケチをつけるつもりは無かった。

 しかし侵攻軍がこの中華街に逃げ込み、そして門が内側から固く閉ざされているとなれば、話は別だ。

 

「門を開けろ! さもなくば、侵略者と内通していたものと見なす!」

 

 玄武門の前に立つ将輝が、勇ましい声で門の中へと呼び掛けた。ちなみに他の義勇兵は、彼の希望によってここからは見えない場所で待機している。

 いつ銃弾が、はたまた魔法か榴弾が飛んでくるか分からず、もしかしたら自分の防御力を超えるものが降り掛かってくるかもしれない。そんな状況であるため、彼の表情は自然と緊張で強張っていった。いつでも魔法を発動できる状態にしておき、目の前の変化を見逃さないために意識を集中して観察する。

 

 と、そのとき、軋むような音をたてて門が開き始めた。

 その光景に、門を開けろと要求していた将輝は目を丸くして驚いた。たとえ敵と内通していなくても、門の開閉は侵攻軍が真っ先に掌握しているはずであり、将輝の要求に素直に応じるとは思っていなかったのである。

 そして開かれた門の向こう側から出てきたのは、将輝よりも6歳くらいは年上に見える、貴公子のような雰囲気を漂わせる青年を先頭とした集団だった。

 そして彼らの傍らには、中華街に逃げ込んだ兵士が拘束された姿で付き従っていた。

 

周公瑾(しゅうこうきん)と申します」

「……周公瑾?」

 

 青年の名乗りに将輝は訝しげに首を傾げ、そして青年はそんな反応に慣れているらしく「本名ですよ」と困ったような笑みを浮かべてみせた。

 それを見た将輝が、慌てた様子で頭を下げた。

 

「失礼した。一条将輝だ」

「わざわざご丁寧に、ありがとうございます。――私達は侵略者とは関係していません。むしろ被害者です。それをご理解いただくために、協力させていただきました」

 

 周はあくまでその低姿勢を崩すことなく、一点の曇りも無い誠実な態度でそう言った。

 だからこそ、将輝は彼に疑念を抱いた。

 彼の言っていることは、一見すると理に適っているように思える。門を閉じたことについても、敵を油断させるためだとすれば納得もできる。

 しかしここで問題となるのは、どうやって武装した兵士を捕らえたか、だ。とはいえ、今の将輝に民間人を取り調べる権限は無い。一般的な見方に則れば民間人の協力によって戦闘が終結した状況であり、これ以上彼を問い質す正当な理由が無い。

 

 将輝は周青年に礼を述べ、他の義勇兵と協力して捕縛された兵士を引き取った。

 そうして将輝が、兵士を連行するためにその場を離れようとした、

 まさに、そのとき、

 

 どがしゃあああぁぁんっ――――!

 

「な、何だ!?」

「――――!」

 

 突然門の中から大きな音が鳴り、全員が一斉にそちらへと振り向いた。反射的にCADを構えて戦闘態勢に入る将輝の傍で、周青年が冷静で不敵な笑みの仮面を無意識に剥がして目を丸くしているのが印象的だった。しかしそれも一瞬のことで、次の瞬間には元の冷静な微笑みに戻っているのだから大したものだ。

 と、1人の男が血相を変えて門の外へと飛び出し、キョロキョロと辺りを見渡して周を見つけると一直線に駆け寄ってきた。

 

「あ、あの、周先生」

 

 将輝が目の前にいるというのに小声で耳打ちしようとするその男は、肩で息を切らす勢いでやって来た割にはどうも歯切れが悪かった。

 

「どうしたんですか、早く話しなさい」

「あの、それが、先程の音は、空から人間が落ちてきた音のようで」

「空から人間が落ちてきた!?」

 

 あまりに突拍子の無い台詞に、思わず将輝が驚きの声をあげた。

 男はチラリと将輝に目を遣るが、すぐに周へと視線を戻して話を続ける。

 

「どうやら野球スタジアムの方から飛んできたらしくて、白い甲冑を着た大男なんですけど……」

「――ほう、それで?」

「そいつが落ちてきたのが、まさに周先生の店でして……」

「…………」

 

 冷静な微笑みのまま、周青年は固まった。

 

「他の店は何とも無いんですが、周先生の店だけ屋根から1階の床まで見事にぶち抜かれてまして……」

「…………」

「あの惨状じゃ、しばらく営業は無理じゃないかと……」

「…………」

 

 笑顔のまま動かない周青年と、気まずげに佇む男。

 そしてその2人の間で視線を行ったり来たりさせる、何なら先程よりも緊迫した表情を浮かべる将輝。

 やがて周青年は、その動かない笑みを将輝へと向け、

 

「……少々お待ちいただけますか? 今、その馬鹿野郎を連れてまいりますので」

「あ、あぁ、分かった」

 

 将輝はただ、頷くことしかできなかった。




「100年前みたいにアタシが撃った銃弾がヘクソンを倒す展開になるかと思ったけど、別にそんなことは無かったわ!」
「ど、どうしたんですか東松山さん、急に大きな声で独り言なんて」

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