西暦2096年の元旦は、司波兄妹はいつも通り2人で迎えた。父親は今年も後妻宅(兼セカンドハウス)だろうが、達也たちにとっても気まずい思いをしなくて済むので文句は無い。
達也も深雪も、正月だからといって自堕落な生活には縁が無い。普段の登校時間とさほど変わらぬ時刻に玄関で待っていた達也は、深雪の「お待たせしました」の声に目を上げる。
光沢のある赤い生地に、白と薄紅で図案化した
伝統的な振袖で細い腰とボリュームを増した胸を表現しつつ、襟元は慎ましく隠し淑やかに振る舞うその様子を見て、達也は冗談抜きで“世界一可憐な艶姿”だと誇らしげに感じていた。
「うん、とても綺麗だ」
「もう、お兄様ったら……からかわないでください」
恥じらいつつも視線を外さず上目遣いで抗議する姿は、免疫の無い男性なら(そして一部の女性も)悶え死にそうな破壊力があった。それをあっさり受け止め「じゃあ行こうか」と促す達也は、さすが伊達に深雪の兄を16年務めていないというべきだろう。
そんな遣り取りを経て玄関を出た2人を、無人運転のコミューターが出迎えた。しかし無人運転ではあっても無人ではなく、後部座席には1人の成人男性と1人の成人女性が乗っている。
「明けましておめでとうございます、師匠」
「明けましておめでとうございます、九重先生。本年もよろしくお願い致します」
達也が手短に挨拶をし、深雪が丁寧に腰を折る。
そんな2人に対し、というより深雪に対し、九重八雲はシートに座ったまま嬉しそうな笑顔で応えた。
「いやぁ、今日の深雪くんは一段と艶やかだねぇ。
「……もっと他に言うことがあるでしょう」
僧侶としては似つかわしくない、しかし八雲個人としては実に似つかわしい台詞を吐く彼にツッコミを入れたのは、彼と同じコミューターから姿を表した小野遥だった。
「小野先生、明けましておめでとうございます。しかし宜しいのですか、師匠と一緒のところを見られても?」
「おめでとう司波くん、新年早々嫌なこと聞くのね。――先生と会ったのは偶然よ、今日はあなた達の引率に来たんだから」
偶然会った相手に“先生”という呼称はどうだろうか、そもそも高校生相手に引率というのも些か苦しいのでは、など色々とツッコミを入れたいところはあるが、待ち合わせの相手は2人だけでないため、このまま玄関前で話をするのは宜しくない。
達也が深雪の乗車に手を貸し、ドアを閉めてドライバーシートに乗り込んだところで、自動運転のコミューターが駅に向かって出発した。
主に深雪が原因で大層な視線を浴びながら駅まで歩き、キャビネットに乗って今回の待ち合わせ場所の最寄り駅まで向かい、そして待ち合わせ場所までの徒歩5分に再び大勢の視線を浴びた一行を出迎えたのは、
「わっ、深雪さん! 綺麗ですね!」
「明けましておめでとうございます、達也さん。良くお似合いです、少し意外ですけど」
うっとりとした表情で挨拶もすっ飛ばして深雪を褒めたのは、ロングワンピースの上からファー付きのケープコートを羽織った美月だった。その熱視線は、隣の達也が見えているのか疑問に思うほどだ。
そして彼女の隣に立つ振袖姿のほのかは、クラスメイトの艶姿に圧倒されて最初は怯んだ様子だったが、地味ながら普段とは違う姿の達也に意識が逸れたため、すぐに笑顔を取り戻していた。
一方達也は、ほのかの最後の一言に自分の衣装を見下ろして苦笑いを浮かべた。
「意外ということは、やっぱり少し違和感があるのか?」
「いやいや、良く似合ってるぜ達也。どこぞの若頭かって貫禄だ」
「ヤクザは言い過ぎかもだけど、羽織袴がそこまで様になる高校生は珍しいわね」
「どちらかというと、与力か同心のイメージだね」
本気かからかいか判別の付きにくい口調で答えるのは、普段通りジャケット姿のレオだった。そしてそんな彼に、1歩遅れてついて来ていた遥と八雲がそれに続く。
確かに彼らの言う通り、達也の羽織り袴に雪駄という純和風な装いは実に良くはまっていた。いっそ腰に大小と十手を差していないのが寂しく感じるほどだ。
本日待ち合わせしたのは、美月・ほのか・レオの3人。エリカと幹比古は多数の門下生を抱える実家の都合で参加できず、雫はいよいよ留学間近ということで、こちらも実家の都合上参加を見送った。
そしてしんのすけは、年末年始を春日部で過ごすために帰省していた。夏休みは九校戦もあって帰省していなかったため、春日部の地を踏むのは実に9ヶ月ぶりとなる。おそらく今頃は家族や幼馴染み、そして個性豊かな春日部の住人達と楽しくやっていることだろう。
「あれっ、遥ちゃん。明けましておめでとーございます」
「明けましておめでとうございます、小野先生。――あの、こちらの方は?」
レオが砕けた風に新年の挨拶を述べ、ほのかが見慣れぬ成人男性に疑問の表情を浮かべる。
「
達也の紹介に美月とほのかが目を丸くし、レオが何やら納得顔で頷いた。
「成程、だから
「ん? どういうこと?」
「
当然の知識かのように説明するレオに、八雲の弟子であるはずの遥は頭に疑問符を浮かべ、八雲は若いのに博識だと満足そうに微笑んでいた。
互いに自己紹介を終えた彼らは、遥と八雲が一緒にいる理由を訊くことも無く参拝する流れとなった。参道の両側には前世紀からお馴染みとなった光景である露店が並んでいるが、世界的な食糧危機の頃には姿を消していたものであり、当時を知る年配の人々には感慨深い光景だろう。
とはいえ、戦後生まれの達也たちにとっては無縁の感傷だ。戦乱の時代を生き抜いたしんのすけだったらどんな反応を見せるのか気になるところだが、この場にはいないので考えるのも詮無いことだ。
露店に寄るにしても参拝後ということで、彼らはまっすぐ本殿へと向かった。長い階段を昇って神門を潜り、拝殿前の中庭に入る。
と、達也は不意に視線を感じた。不躾にジロジロ見るものではなく、こちらを窺い見るようなものだった。
「達也くん、心当たりはあるかい?」
「いいえ、ありません」
「異人さんには、達也くんの格好は珍しいのかねぇ」
八雲の言う通り、その“異人さん”は金髪碧眼の少女だった。しかし現代では、その外見だけで外国籍だと決めつけられるわけではない。それに彼女の面立ちには、どことなく日本人めいた印象を受ける。その点から考えても、彼女は自分達と同世代と見て良いだろう。
「お兄様、何をご覧になっているのですか? ――まぁ、綺麗な子ですね」
その言葉に深雪がどのような感情を込めたか分からないが、深雪が“綺麗”と褒めても嫌味にならないほどの美貌であることは達也も同意だった。色鮮やかな髪と瞳は、深雪と対照的な美少女と言える。
しかし、達也が“深雪以外の少女”に見惚れるようなことは無い。なので彼は、そのような意味で彼女に注目していたわけではない。
そのことを頭に入れながら、深雪は改めて彼女を観察した。
鮮やかなグリーンのパーカー、赤を基調とした黒チェックのミニスカート、脚全体を覆うダークブルーのタイツ、鮮やかな赤色をした膝下までのストレッチブーツ、そして鮮やかな金髪の上にはデニム生地の青い帽子に、厚手の赤い手袋。日本の神社よりは原宿辺りの方が馴染みそうなファッションではあるが、特に外見上はおかしな点は見られなかった。
しかし、なぜだろうか。初めて見たはずにも拘わらず、彼女から“既視感”のような謎の印象を受けるのは。
「お兄様、彼女に何かご不審でも?」
「いや、不審というほどでもないが……。彼女のファッション、しんのすけが好きな“アクション仮面”と色合いがそっくりだと思ってな」
「――あぁ、成程!」
自分が抱いた既視感の謎が解けた、と深雪は思わず声をあげた。確かにそう言われると、去年の横浜事変の際にしんのすけが着ていたアクション仮面のコスチュームと重なって見える。キャラクターを知らない者にとっては普通のファッションにしか見えないが、逆に一度意識するともはやそれとしか見えなくなってしまうほどだ。
と、その少女がふいに達也たちの方へと歩き出した。一瞬こちらの会話が聞こえたのかと身構える深雪だったが、彼女の表情は特にこちらを意識したものではなく、深雪はホッとした様子で構えを解いた。
そのまま少女は彼らと擦れ違い、先程彼らが昇ってきた階段へと向かっていった。
擦れ違いざまに意味ありげな眼差しを向けてきたのは、けっして達也の錯覚ではなかった。
もっとも達也にとって一番印象深かったのは、その意味ありげな眼差しではなく、
「……どうやら、偶然の一致ではなさそうだな」
グリーンのパーカーの背面にでかでかとプリントされた、アクション仮面が笑顔で決めポーズを取る全身図だった。
* * *
アンジェリーナ・シールズ少佐(コードネーム:アンジー・シリウス)に与えられた任務は、潜入捜査でありながら陽動の意味合いが大きい。その一環としてターゲットの容姿を確認すると同時にこちらを印象づけるためのファーストコンタクトは、どうやら上手くいったようだ。
気配を隠して近づいたら気づかれないのでは、と最初は思ったのだが、部下の言う通りそれは杞憂に終わった。しかし本人としては、あそこまであっさりと気づかれるのもそれはそれで釈然としない。
まぁ作戦が成功したのだから別に良いか、と彼女は気持ちを切り替えながら、今回の任務における生活拠点であるマンションのドアを開けた。
「お帰りなさい」
「シルヴィ、帰っていたんですか」
わざわざ玄関まで出迎えた年上の同居人に、彼女は愛称で話し掛けた。
同居人の名は、シルヴィア・マーキュリー・ファースト。“シルヴィア”以外はコードネームであり、スターズ惑星級魔法師“マーキュリー”の第1順位を表している。階級は准尉、年齢は25歳。まだ若いながら“ファースト”を与えられた、将来を期待された女性准士官である。
シルヴィアは元々軍人志望ではなく、大学ではジャーナリストを専攻していた。今回はその情報分析能力を買われて、シリウス少佐の補佐役に抜擢されたのである。
「シルヴィ?」
その同居人がなかなか返事をせず、まじまじと自分のことを見つめているのに気づき、シリウス少佐は疑問の声をあげた。
「……リーナ、何ですかその格好は」
「これですか? せっかくターゲットに接触する最初の機会ですからね、気合を入れてアクション仮面と同じカラーリングになるようにしました。我ながら自然に再現できたと思うんですが」
「そんなことだろうと思いましたよ……。それで、そのパーカーは?」
「これに目をつけるとは、さすがシルヴィ! これ、10年ほど前に有名なアパレルブランドとコラボして作られた限定物で、今だと結構値が張るんですよ! こういう機会でないと、なかなか着られませんからね」
シリウス少佐改めリーナは、その場で1回転でもしそうな勢いでシルヴィアに自分のファッションを見せた。彼女が頭痛を堪えているような表情をしていることには気づかない。
「……ところでリーナ、ターゲットの注意を惹くことはできましたか?」
「はい、上手くいったと思いますよ」
「そうですか、それは何よりです。ところで、その格好では目立ちませんでしたか?」
「そういえば、周りの人達がやたらとこちらを見ていたような……。とはいえ、あれは外国人が珍しかっただけでしょう。気にするほどではありませんよ」
アハハと軽く笑って流すリーナに、シルヴィアは溜息を漏らしそうになるのを堪えながら部屋の中を見渡した。数日前に引っ越してきたばかりだが荷解きは既に終えており、備え付けの家具に自国から持ってきた様々な生活用品が全て収まっている。
しかしそれはあくまで“生活用品”のみであり、アクション仮面を始めとした様々なキャラクターのフィギュアが低めの棚の上に所狭しと飾られ、部屋のどこに目を向けても必ず視界に入るくらいの勢いで壁には同作品のポスターが貼られていた。
「リーナ、私は『必要最低限の荷物に纏めるように』と言いましたよね?」
「はい、もちろん憶えてますよ。言われた通り、本当に必要な物だけを持ってきています」
「……フィギュアやポスターも、その必要な物の内ですか?」
「もちろんです。慣れない土地で慣れない任務をするのですから、私にとっては何よりも必要なんです。これでもかなり厳選した方なんですよ」
そう力説するリーナの表情は実に真剣なもので、冗談でも『ふざけているのか』と叱責できるものではなかった。
「…………」
だからこそ、シルヴィアは思わず頭を抱えてしまったのだが。
* * *
色々あった冬休みも終わり、今日から新学期が始まる。
その“色々あった”の中には、海外へと旅立つ雫を空港で見送りに行った際に突如繰り広げられた“涙の別れ”(主演:雫・ほのか、助演:深雪・美月)に巻き込まれるというイベントも含まれていたが、きっとそれも良い思い出に変わるに違いない。というか、そうであってほしい。
A組には今日から雫の代わりに留学生が来るはずだが、とりあえず達也にとっては他人事だった。深雪が留学生の世話をすることになる以上は無関係ではいられないが、少なくとも自分から積極的に関わる意思は無い。
しかし彼のスタンスはやはり少数派であり、2時限目後の休み時間には物見高い友人によって噂話の渦に巻き込まれていた。
「何か凄い美人なんだって。綺麗な金髪でさ、上級生まで見に来てるらしいよ」
「エリカは見に行かないのか?」
「あんな人集りじゃ入っていけないって」
「へぇ、おまえでも遠慮ってモンを知ってたんだな――いってぇ!」
エリカの手厳しいツッコミを後頭部に受け、レオは前のめりに体を折って悲鳴をあげた。あんなことを言えばそうなるのは目に見えているのになんで言うんだろうか、と達也は割と本気で不思議に感じた。
頭を抑えて悶絶するレオを尻目に、エリカは何食わぬ顔で達也へと向き直る。
「まぁ、アタシは女だしね。いくら美少女とはいえ、あんな窮屈な所を掻き分けてまで見に行く気にはなれないのよ」
「別にそれだけが目的じゃないんじゃないか? 転校生すら想定していない魔法科高校で、しかもここ十年以上は無かったであろう留学生がやって来たんだ。好奇心の1つでも湧くだろう」
「以前のことは知らないけど、今回留学生が来たのはここだけじゃないみたいだよ」
3人の雑談に割って入ってきたのは、幾何準備室から戻ってきた幹比古だった。
「第二、第三、第四高校でも短期留学生の受け入れがあったそうだよ。大学の方にも共同研究の名目で何人か来てるらしい。ウチの門人が話してたから」
「あっ、大学の方はアタシも聞いた。この前の横浜事変で飛行魔法の軍事的有用性に気づいた国が、慌てて探りを入れに来たんじゃないかって噂してた」
古式魔法と現代魔法の違いはあれど大勢の門下を抱える千葉家と吉田家だと、やはり入ってくる情報量が個人のそれとは桁違いだ。どうやらUSNAは想像以上に大掛かりで人員を投入しているらしく、真夜から聞いていたときよりも事態は一層深刻化しているのだと達也は感じた。
と、どうやら悶絶から復活したらしいレオが、その遣り取りを聞いてこんなことを聞いてきた。
「ってことは、A組の留学生もスパイってことか?」
「いや、アンタねぇ……」
「レオ、そういうのは思ってても言わない方が良いよ」
「そうだよレオくん、私達も同級生として付き合っていかなきゃいけないんだから」
エリカが呆れたように吐き捨て、幹比古が苦い表情で苦言を呈し、そして幹比古から少し遅れて教室に戻ってきた美月からも責められたレオは、さすがに今のは失言だと感じたのかガックリと肩を落とした。
と、美月が「そういえば」と声をあげた。
「A組で思い出したんだけど、しんちゃん、今日はまだ学校に来てないんだって」
「えっ、マジかよ。まさか風邪でも引いたのか?」
「分からないけど、今まで学校を休んだことなんて無かったから結構噂になってるみたい」
一科生と二科生の教室は建物からして完全に分かれているので、片方の間で交わされる噂がもう片方にまで広がるのはかなり珍しい。どちらの区別も無くあちこち動き回っている彼ならではの現象といえよう。
それを聞いたレオと幹比古の反応は、随分と珍しいこともあるもんだな、という程度だった。その話題を持ち掛けてきた美月も、その2人とあまり大差ないように見える。
しかしクリスマスパーティで留学生に対する疑いを吐露していたエリカは、他の3人にバレないようこっそりと達也に目配せしていた。達也もそれに気づき、よく見なければ分からない程度に小さく首を横に振って応える。そしてエリカはそれを見て視線を戻し、3人との会話に何気なく加わった。
――いや、さすがにここまで早く仕掛けるとは思えないが……。
内心ではそう思いながらも、どうにも不安を拭いきれない達也だった。
* * *
あまり留学生とは関わりを持ちたくないと考えていた達也だったが、残念ながら予想していた可能性の中で最も早い段階で関わりを持つこととなってしまった。
それは昼休みの学食でのこと。昨年までの習慣に倣って先に席を取って深雪達を待っていると、深雪とほのか、そしてそこに並んで金髪碧眼の少女がこちらに歩いてくるのが見えた。
双眸の深い蒼は、水や氷というよりも蒼穹の空を思わせる。
頭の両脇にリボンで纏めた波打つ黄金の髪は、解けば背中の半ばを超えるだろう。A組では一番の長さを誇る深雪のそれよりも長いかもしれない。
高校1年生にしては大人びた顔つきは、やはり欧米の血が色濃いことによるものだろう。その割にコケティッシュな髪型は少し不釣り合いに見えなくもないが、それが却ってシャープな美貌の印象を和らげて親しみやすさを演出している。
そんな彼女を見た達也は「おやっ?」と意外感を覚えて少しだけ眉を上げた。髪や瞳の色は聞いていたし、美少女であることも散々聞かされている。達也が驚いたのはそこではなく、彼女が日枝神社で見掛けた例のアクション仮面ファッションの異人さんだったからだ。
「同席させてもらって良いかしら?」
少女の口から、ややアクセントを強調した話し方ながらも流暢な日本語が流れ出た。さすがに日本に留学してくる(もしくは留学生を装って潜入する)だけのことはある。
少女の視線は達也に向いていたため、自然と達也がそれに答える役目となった。彼は特に気負う様子も無く「勿論どうぞ」とざっくばらんに応える。そうして深雪達3人が料理を取ってくるまでの間に周りから椅子を持ってきて、3人がそこに腰を下ろして昼食会が始まった。
「それじゃみんな、紹介するわね。アメリカから来た、アンジェリーナ・クドウ・シールズさんよ。もう聞いてるとは思うけど、今日からA組のクラスメイトになった留学生よ」
「リーナって呼んでくださいね」
深雪の紹介に合わせて、リーナが華やかな笑みと共に一礼した。
「E組の司波達也です。深雪と区別がつかないでしょうから“達也”で良いですよ」
「ありがとう。それと敬語は無しにしてくれると嬉しいのですけど」
「分かった。そうさせてもらうよ、リーナ」
「よろしくね、タツヤ」
リーナがテーブル越しに手を伸ばしてきたので、達也はその手を押し戴くように下からそっと握った。まるで貴婦人に接吻でもするかのような所作が意外だったらしく、リーナの目に明らかに動揺が走った。
「もしかして、タツヤってミユキのお兄さん?」
「ああ」
ポーカーフェイスはあまり得意ではないのか、と思いながら達也は頷いた。先程深雪が自分のことを“お兄様”と呼んでいたことについては指摘しなかった。
「あたしは千葉エリカ。“エリカ”で良いよ、リーナ」
「柴田美月です。“美月”と呼んでください」
「俺は西城レオンハルト。“レオ”で良いぜ。がさつ者なもんで、こういう口の利き方だけど気にしないでくれ」
「吉田幹比古です。僕のことも“幹比古”で良いよ」
「エリカ、ミヅキ、レオ、ミキ・ヒコね。よろしく」
幹比古の名前だけ辿々しく聞こえたのは、やはり外国人にとって彼の名前は発音しにくいからだろう。
「言いにくいでしょ? “ミキヒコ”じゃなくて“ミキ”で良いんじゃない?」
「ちょっと待って、エリカ――」
「あら、そう? じゃあ、お言葉に甘えて“ミキ”で良いかしら?」
「……えぇ、それで良いですよ」
リーナがホッとしたような笑みと共にそう言ってきたとなれば、幹比古としても了承せざるを得なかった。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるエリカには、どうせ効かないと分かっていながらも一睨みして抗議の意思を伝えた。
そこからは、わざわざ日本料理の代表である蕎麦を選んで危ない手つきで箸を使うリーナへの質問タイムとなった。不躾な質問をする者が1人もいなかったこともあり、彼女は全ての質問に嫌な顔1つせず答えてみせる。
そうして随分と打ち解けてきた段階で、おそらくこの場にいる全員が気にしているであろう疑問を達也が尋ねた。
「リーナのミドルネームが“クドウ”ということは、もしかして九島閣下のご血縁なのか?」
「ああ、そういえば聞いたことあるぜ。確か“老師”の弟さんが渡米されて、そのまま向こうで結婚したんだったよな?」
「ローシ?」
「あぁ、日本では九島閣下のことを“老師”と呼ぶこともあるんだ」
レオの言葉に首をかしげるリーナに、達也が横から説明を入れた。
“閣下”も“老師”も九島烈を指す敬称だ。しかし“老師”はもっぱら日本の魔法師の間で使われるものであり、公的に通用するのは退役将官であることに由来する“閣下”の方である。
「昔のことなのに、よく知ってるわね。ワタシの母方の祖父が、九島
「へぇ、向こうでは九島閣下のことを“将軍”って呼ぶのね」
「随分長い間、日本の魔法師を指導する立場にいらっしゃったからな。アメリカではそのイメージが強いんだろう」
達也の説明に、エリカ達は「へー」と声を漏らした。
「そういう縁もあって、ワタシのところに留学の話が来たみたい」
「じゃあ、リーナも自分から留学を希望したわけじゃないんだ?」
「えっ? ええ、そうよ。先生の方から話が来て、受けることにしたの」
リーナの言葉の後にすかさず差し込まれたエリカの質問に、若干の緊張と動揺と共にリーナが答えたのを、達也は見逃さなかった。
なのでついでに、もう1つ揺さぶりを掛けてみることにした。
「リーナ、名前ついでにちょっと訊きたいんだが」
「何かしら、タツヤ?」
「アンジェリーナの愛称は普通“アンジー”だと思うのだが、俺の記憶違いだったかな?」
その質問は、特におかしなものではなかった。この場に同席していた面々のほとんどは、話の流れで尋ねてみた程度のものだと思っただろう。
しかしその質問に対して、ほんの一瞬だけだったが、リーナの目に狼狽が過ぎった。
「いえ、記憶違いじゃないわよ。でも“リーナ”って略すのも珍しいわけじゃないの。小学校の同じクラスにアンジェラって子がいて、その子が“アンジー”って呼ばれてたから」
「あぁ、だから“リーナ”と呼ばれるようになったんだな」
納得したといった感じに頷く達也に、ニコニコと笑顔を振りまくリーナ。
全員が食べ終えたことだし、そろそろお開きか、と達也が口を開こうとして、
「いやぁ、皆々様お揃いで、お久し振りですなぁ」
突如背後から聞こえてきた耳馴染みのある声に、全員がそちらを振り向いた。
左腕に紙袋をぶら下げるしんのすけの姿に、その場にいた全員が大なり小なり驚いた様子で目を見開いた。つまり、その中にはリーナも含まれていた。
「しんちゃん、今学校に来たの? 朝から来なかったから心配したよ」
「いやぁ、今日から学校が始まるのをちゃっかり忘れててさぁ。家でのんびりしてたら今日から学校なのを思い出して、急いで走ってやっと着いたところだゾ」
「ちゃっかりじゃなくて、うっかりね」
「とにかく、風邪とかじゃなくて良かったです」
「いやぁ、ゴメンゴメン。これ、お土産の草加煎餅ね」
ラッピングされていない、中身が丸見えの透明な袋に入れられた煎餅を、しんのすけは1人1袋ずつ達也たちに手渡していった。誰も鞄など持っていないので、少なくとも教室までは剥き出しの状態で持っていかなくてはいけない自分の姿を想像し、誰もが苦笑い混じりで受け取っていく。
そうして友人達全員に手渡したところで、しんのすけの視線がリーナへと向いた。ピクン、と彼女の肩が跳ね、ほのかが若干身を乗り出して横から説明をする。
「紹介するね、リーナ。彼は私達と同じA組の野原しんのすけくん。――しんちゃん、彼女が留学生のアンジェリーナ・クドウ・シールズさん」
「Hi、シンノスケくん。ワタシのことはリーナって呼んでね。代わりにワタシもシンちゃんって呼ばせてもらうから」
深雪とまともに張り合うレベルの美少女から笑顔でそう言われれば、普通の少年ならば多少舞い上がってしまっても不思議ではない。しかししんのすけはそんな普通の少年からかけ離れた存在なので、そんな彼女にも普段通りのマイペースを崩さなくてもまったくおかしくない。
しかし、リーナの挨拶に対する彼の返事は、全員の予想を大きく裏切るものだった。
「おぉっ、リーナちゃん! お久しブリブリ~! まさか留学生がリーナちゃんだなんて思わなかったゾ!」
「――――!」
いくら初対面の相手にもフレンドリーに接するとはいえ、しんのすけの口振りはまるで彼女と旧知の仲であると主張するものだった。当然のことながら、その場にいた全員が一斉にリーナへと視線を向ける。
しかし当のリーナ自身が、完全に不意を突かれた様子で驚きに目を見開いていた。皆からの視線にも彼女は戸惑いの表情で返し、そしてしんのすけに対しても恐る恐るといった感じで辿々しく問い掛ける。
「え、えっと、シンちゃん……? ワタシとは初対面だったと思うんだけど、ワタシのことを知ってるのかしら……?」
だがしんのすけは彼女の質問には答えず、両腕を組んで「いやぁ、それにしても随分と大きくなりましたなぁ」と親戚のおじさんのような台詞で懐かしさを噛み締めていた。
そして彼は、さらに特大の爆弾を落としていく。
「ところでリーナちゃん、こんな所にいるってことは、アメリカの軍隊は辞めちゃったの?」
「……………………、はっ?」
「『ワタシがアメリカの平和を守るんだ!』って、あんなに張り切ってたのに! “スターズ”だっけ? あそこって凄く優秀な人じゃないと入れないんでしょ? せっかく頑張って入ったのに、何だか勿体ないゾ!」
「…………」
「あぁ、でも軍隊って訓練が凄く厳しいんだっけ? だったら辞めちゃっても仕方ないかぁ。でもまぁ、辞めたとしても人生長いんだし、リーナちゃんくらい魔法ができるんだったらどうとでもなるでしょ。ダイジョーブダイジョーブ」
「…………」
「そういえばリーナちゃん、オラみたいな“必殺技”を持ちたいってあのとき言ってたけど、あれから何か使えるようになったの? もしできたんなら、せっかくだしオラに見せてほしいゾ。あっ、それともそんなに簡単に使えないとか?」
「…………」
「あれっ、リーナちゃん? どうしたの、さっきから黙っちゃって――」
「本当に久し振りねシンちゃん懐かしいわ懐かしすぎてちょっと2人で話したくなってきたからみんな悪いんだけどちょっと失礼させてもらうわねシンちゃんも一緒にこっち来て!」
純日本人ですら噛まずに言えるかという長台詞を息継ぎ無しで言い切ると、達也たちの返事も聞かずに、自分が食べた蕎麦の器も片付けずに放置して、しんのすけの背中を押しながら、まさしく逃げるように食堂を後にしていった。ただでさえ目立つ留学生のそんな行動に、学食を利用する生徒達がギョッとした表情で彼女を見遣るのが見える。
一方取り残された達也たちだが、彼女の行動を無礼だと怒ることは無かった。全員がそんなことを気にするどころではなく、2人が食堂を出ていくのを黙って見送っている。
やがて2人の姿が見えなくなった頃、エリカが口を開いた。
「えーっと、今のは聞かなかったことにした方が良いのかな?」
その問いに答えられる者は、1人もいなかった。
~午後の1年A組にて~
「司波さんが煎餅持ってる……」
「学校に持ってくるくらい好きなのかな……?」
「何か意外かも、司波さんってもっと高級なお菓子を食べてるイメージあったから」
「いや、もしかしたら凄く美味しい煎餅なのかも……」
「何か最近、学校のあちこちで煎餅食べてる子をよく見るのよねぇ」
「真由美もか? アタシもそんな気がしてたんだよなぁ」