嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第74話「オラ達だけの秘密だゾ」

 リーナが留学生としてA組にやって来た、その日の夜。

 司波家の地下にある作業室、その機材の1つである想子(サイオン)波測定装置を内蔵した検査用ベッドに、深雪が下着姿で寝転がっていた。服自体にもエイドスが存在し、僅かながらサイオンを放出・吸収することによるノイズの発生を防ぐためのものであり、達也に疚しい気持ちは一切無い。その証拠に、測定結果のデータが表示された画面を見つめる達也の表情は、まるでアンドロイドのようなポーカーフェイスだった。

 むしろそれに対して深雪が不満そうにする中、達也は測定を終了して画面から目を離した。その際にほんの微かな、しかし深雪には確かに感じ取れるレベルで憂慮の色が浮かぶ。

 

「何か至らぬところがございましたか、お兄様? どうぞ遠慮なさらず仰ってください」

「いや、至らぬところがあるとすれば俺の方だ。魔法式構築規模の上限が予想を超えてレベルアップしているせいで、CADの処理能力がおまえの魔法力について行けていないようだ。余裕を持たせた設定にしていたつもりだったが、読みが甘かったな」

「すみません……」

「何を謝るんだ? 逆に誇るべきことなのに」

 

 シュンと俯いてしまった深雪を慰めるように頭を撫でると、彼女はふと顔を上げて嬉しそうに笑みを浮かべた。そこまでは良いのだが、頬を紅く染めるのは如何なものだろうか。

 沈黙に居心地の悪さを覚えた達也は、若干早口気味に彼女が成長した理由を口にする。

 

「ヘクソン対策に開発した魔法が相当な情報量だったからな、何度も構築して訓練したことで鍛えられたんだろう」

 

 ヘクソンのテレパシー能力に対抗する形で開発された例の精神干渉系魔法は、ヘクソンが行動不能になるレベルの莫大な情報量を操る必要がある。その情報量は並の魔法師ではまともに発動すらできないほどであり、単純な難度でいうと魔法師ライセンス試験でA級受験者用の課題として出題される“氷炎地獄(インフェルノ)”をも軽々と凌駕する。

 いくら精神干渉系魔法に適性があり規格外の才能を有する深雪といえど1回や2回の練習で安定して発動できる代物ではなく、何度も練習を重ねてようやく使えるようになったほどだ。とはいえこの場合は、論文コンペまでの短い間に使えるようになった深雪を褒めるべきだろう。もしくは、一度対峙した相手への対抗策として、自分でも使えないような高いレベルの魔法を開発してしまう達也を褒めるべきだろうか。

 

 深雪のCADを改良するのはまた後日ということで、2人は検査を切り上げて地下の作業室から1階のリビングへと移動した。部屋着に着替えた深雪が達也のコーヒーを用意し、ソファーに座る達也の前に置いてから自身もその正面に腰を下ろす。

 普段なら隣にでも座って密着するかどうかという距離にまで詰める彼女が、キチンと膝を揃えて真剣な表情でまっすぐ達也を見据える。深雪が彼に何か大事な話や相談をしたいと思っていることを示す無意識の表れであり、それを感じ取った達也は目配せのみで彼女に話を促した。

 

「ところでお兄様、リーナのことなのですが」

 

 おそらくずっと気になっていたのだろう、満を持してといった感じで話を切り出した深雪に、達也は何とも言い難い微妙な表情を浮かべた。口元は笑みを浮かべているものの、微笑むというよりは苦笑いに近い。

 

「今更言うまでも無いと思うが、かなり高い確率でリーナは“アンジー・シリウス”と思われる」

「……はい、私もそう思います」

 

 本来ならば驚くべき事実なのかもしれないが、昼間の出来事のせいで微塵も意外性の無いものとなってしまっていた。

 

「しんのすけのことが無かったとしても、叔母上の“忠告”と合わせて考えればリーナがスターズの一員であることはほぼ決定的だ。おそらく彼女が単独で潜入しているわけではないだろうが、戦略級魔法師の疑いがある者と接触するとなれば必然的に戦闘力のある者が矢面に立つ必要がある。特に俺達はしんのすけと近い関係にある。そんな人間と接触するとなれば、おのずとスターズの中でも上の人間に絞られるだろう」

「お兄様がリーナに渾名のことを尋ねたのは、やはり鎌を掛けたものだったんですね」

「鎌を掛けるという意味でなら、エリカの質問もそうなるな。あれで少なくとも、彼女が今回選ばれたのが上層部の意向であることは分かった」

 

 渾名については深雪もすぐに分かったが、エリカの質問については思い至らなかった。深雪は反省するように若干俯くが、達也の口を開く気配にすぐさま気を取り直して彼へと向き直る。

 

「とはいえ、諜報活動に使うにはシリウスはあまりに大物すぎる。それだけ俺達、もしくはしんのすけを危険視しているとも考えられるが、リーナとしんのすけが旧知の仲だというならば彼女が抜擢されたのにも納得がいく」

「しんちゃんが好印象を抱くリーナならば、しんちゃんの“主人公補正”がリーナに牙を剥くことは無いから、ですね」

「少なくとも、彼女にとってマイナスになることは無いだろう。本人の感情を考慮しなければ、という注釈付きだがな」

 

 最後に付け足されたかのような達也の言葉には妙に実感が籠もっており、深雪は苦笑いを抑えずにはいられなかった。

 しかしその苦笑いもすぐに消え、深雪は心中に渦巻く心配事を吐露する。

 

「ですが、お兄様のことをスターズが嗅ぎ回っていることには変わりありません。四葉家がそれを放っておくとは思えないのですが……」

「確かに深雪の言う通りだ。あるいはスパイ活動はついでで、本来の任務が別にあると考えることもできる」

 

 仮にそうだと考えれば、真夜がスターズの潜入を許していることにも納得がいく。四葉からしても達也の正体がバレるのは避けたいはずであり、その危険性を重々承知のうえで、何かしらの問題をスターズが解決することを期待している、のかもしれない。

 

「USNAがシリウスを国外に投入するほどの任務とは、いったい何でしょう?」

「分からないが、情報が無い今の段階で気にする必要は無いと思う。それよりも問題は――」

 

 達也がそこで一旦言葉を区切り、深雪が真剣な表情で頷く。兄がこれから何を言おうとしているかなど、彼女には手に取るように分かる。

 もっとも、大体の者には分かるレベルのものではあるが。

 

「なぜリーナ自身が、しんのすけのことを憶えていない素振りだったのか、だ」

 

 

 *         *         *

 

 

 司波兄妹がそんな会話を交わすのと、ほぼ同時刻。

 第一高校から数駅離れた場所にある少人数家族用のマンションの一室が、リーナの現在の住まいである。

 魔法科高校は全国に9つしかなく必然的に遠方からの生徒が多くなるが、それに反して第一高校には寮というものが無い。家事を取り仕切るホーム・オートメーション・ロボット(HAR)が一般家庭にも普及し、日頃の買い物もオンライン注文・個別配送で済ませられるとなれば、1人暮らしでも不自由しないというのがその理由だ。国からの支援によって学費が免除されているために生活費の心配が少ない、というのも大きな理由の1つだろう。

 なので自宅から通えない生徒は部屋を借りることになるので、留学生であるリーナが部屋を借りていても不思議は無い。彼女はそれを良いことに、自身の補佐役であるシルヴィアも共に住まわせ、実質的な活動拠点の役割も負わせていた。

 

「リーナ。あなたが調査を依頼した件について、本国からの調査結果を報告します」

 

 そんな部屋のリビングルームにて、シルヴィアがL字型のソファーに座っていた。タブレットを片手に深刻な表情を浮かべるシルヴィアに対し、リーナは背筋を伸ばして毅然とした表情でそれを待つ。

 

「あなたと野原しんのすけが過去に知り合っている可能性についてですが、本国で調べた結果そのような記録は存在しませんでした。記録上は、あなたと彼はあのときが完全に初対面です」

「……つまり、上層部は私と彼が旧知の仲だと知っていて任務に抜擢したわけではない、ということですね?」

「そもそも、本当に彼と知り合いだったのですか? あなた自身には、そんな記憶が無いのでしょう? 仮にあなたが何かしらの理由で記憶を改竄されていたとしても、軍の記録まで改竄することはできませんよ」

「……単純に、軍がそのことを把握していないという可能性は?」

「仮にこれが只の一般兵であれば、軍も見落としが無いとは言い切れません。しかしあなたは、USNA軍統合参謀本部直属の魔法師部隊の総隊長なのですよ? あなたに対する身辺調査は他の兵士の比ではありませんし、今回の任務に当たって彼と面識が無いか改めて入念な調査が行われています。それも踏まえたうえでの結論なのですよ」

 

 ハッキリとそう言ってのけるシルヴィアに、リーナは拗ねているようにも見える表情で彼女に尋ねる。

 

「それではシルヴィは、彼が嘘を吐いていると?」

「……こうは考えられませんか? スターズが日本に潜入するという情報がどこからか漏れて彼に伝わり、彼はあなたがそのスパイかどうか確かめるために鎌を掛けた」

「シルヴィだって、彼のことは知っているでしょう? 彼は良くも悪くも純粋で、自分の内心とまるで違うことを装えるほど器用な人間ではありません。実際に彼と話してみて確信しました、あれだけ感情が表に出る人間が鎌を掛けるなんて真似ができるとは思えません」

 

 リーナの言葉に、シルヴィアは口を引き結んで黙り込んだ。しんのすけに関連する情報を頭に叩き込んでいる彼女から見ても、リーナの分析が間違ったものではないと思えたのだろう。

 だからといって、彼女にとっては到底安心できるものではない。

 

「経緯は不明ですが、とにかく彼はあなたの正体を知っています。彼が我々のターゲットである司波達也や司波深雪にそれを告げ口しないという保障は無いのですよ。上層部の中には、任務を即座に中止して本国に引き上げるべきだという意見もあります」

「シルヴィも、そうすべきだと考えているのですか?」

「……今すぐに、というのは却って危険でしょう。このタイミングであなたが第一高校を去れば、どんな理由を付けたところで『彼の言ったことが事実だから逃げ帰ったのだ』と思われてしまいます。そうなれば他のメンバーの活動にも支障が生じるでしょう」

 

 シルヴィアが自身の見解を述べても、リーナの表情に動揺は見られなかった。そんな彼女の態度に、シルヴィアは不審な目を向ける。

 そもそもスパイにとって、潜入先のターゲットや周辺人物に身元がバレるというのは、たとえどれほどのベテランだろうと何よりも恐ろしいものだ。しかも今回の場合、その恐怖を抱えながらしばらく任務を続行しなければいけない。スパイにとって、これほど追い詰められる状況もそうそう無いだろう。

 だというのに、リーナにはそれに対する恐れといった感情が微塵も見受けられない。いくら諜報活動が初めてとはいえ、そこまで思い至らないほど鈍感だとは思えない。

 

「……リーナ、改めて尋ねますが、野原しんのすけがリーナの“協力者”になったと考えて本当に宜しいのですね?」

 

 シルヴィア達に『自分としんのすけとの関係を洗い直せ』とリーナが命じたのは、食堂を抜け出した直後のこと。おそらく彼の目を盗んで携帯端末で指示を出した後、彼女本人は(留学初日に学校を抜け出すという不自然さを重々理解したうえで)しんのすけを近くのファミレスに連れ込んで、2人きりで数時間にも及ぶ“話し合い”を行った。

 そしてファミレスから帰還したリーナが、調査を終えて彼女の帰りを待ち侘びていたシルヴィアにこう告げた。

 野原しんのすけを自身の“協力者”に仕立て上げることに成功した、と。

 

「我々の調査に全面協力してくれる、というわけではありません。当然ですが、任務内容は彼に伝えていませんから。しかし私の正体については友人達にも秘密にすると約束してくれました」

「……つまり、リーナがスターズの一員であるという事実を否定することはできなかった、ということですね?」

「残念ながら、それについては彼も確信していた様子だったので。ですが、だからこそ協力を得ることができたとも言えます。『自分は今“世界の平和を守る極秘のミッション”の真っ最中であり、そのために魔法科高校の留学生という立場で日本に潜入している』と言ったら、彼も嬉々としてそれに協力してくれたわけですから」

「……まさか、それを素直に信じたと言うんですか?」

「正義の味方が周りに自身の正体を隠しながら悪と戦う、なんてまるでアクション仮面みたいじゃないですか。特に彼の場合は今までの経験が経験ですからね、すぐに信じて私の正体隠匿に協力することを約束してくれましたよ」

 

 自分の立場で言えたことではないが、そんなにすぐ信じて大丈夫なのだろうか、とシルヴィアはしんのすけに対して心配の情を抱くのを止められなかった。

 

「とはいえ、ターゲット達には既に伝わってしまってますよね? それはどうするんですか?」

「それについても、彼ともしっかり話し合って口裏を合わせることにしています」

「思いっきりバラされて、口裏合わせも何も無いと思いますが……。具体的にはどうするので?」

 

 シルヴィアに問われたリーナは、なぜか若干のドヤ顔混じりで話し始めた。

 その内容は、以下の通り。

 2人は過去に数日ほど交友関係があったが、それは自身も記憶が朧げなほどに幼い頃。だから食堂で顔を合わせたときは即座に思い出せず、初めて会ったかのような反応になってしまった。2人が出会った経緯については、今となってはよく思い出せない。

 しんのすけが彼女をアメリカ軍の兵士だと言ったのは、そのときに彼女が『将来は軍隊に入って国の平和を守りたい』と語っていたのを勘違いして憶えていただけで、実際に軍隊に入っていたわけではない。しんのすけが話していた“スターズ”とか“必殺技”とかも、そのときに空想交じりで話していたのを中途半端に憶えていただけのこと。そして彼女が食堂であれだけ慌てていたのは、言ってしまえばそのときの空想があまり掘り返してほしくない“黒歴史”だったからである。

 

「いや、だいぶ無理がありません?」

「どうせ否定できるだけの証拠がないのですから、別に構いませんよ。私のような16歳の小娘がスターズの総隊長で戦略級魔法師である、というよりは遥かに現実味があるでしょう?」

 

 如何にも納得していないという表情ではあったが、シルヴィアはそれ以上反論しなかった。達也たちが馬鹿正直にそれを信じるとは思っていないし、確実に警戒されるようになるだろうが、状況が状況だけに白々しくてもそれで押し通すしかないのも確かだ。

 それに見方を変えれば、これはチャンスでもある。

 今回の任務における最重要懸念は、何を置いても野原しんのすけによる“主人公補正”が自分達に向けられることだった。しかし彼がリーナに対して好意的な印象を抱いているとなれば、自分達に不利な状況となる可能性は格段に減らせる。

 

 とはいえ、それを盲目的に信じ込むこともできない。

 自分達の任務は彼の友人の身辺調査であり、その結果によっては彼らと敵対する可能性も充分に有り得る。そうなればしんのすけの“主人公補正”が自分達に向かうことは必然的であり、実際に発動するタイミングは現時点ですらまるで予想ができない。そしてそれは、彼が好意的な印象を抱くリーナですら例外ではない。

 

「…………」

 

 だというのに、シルヴィアの見ている限り、リーナはそれに関してまるで心配している素振りが無かった。彼に対して全幅の信頼を寄せており、自分にとって悪いことにはならないという確信さえ持っているように思えるほどだ。

 確かにスターズではしんのすけに関する情報が多く取り扱われ、故に過去の功績やその為人(ひととなり)についても或る程度は把握している。しかしそれはあくまで机上の話であって、あたかも数年来の仲間かのように彼を信頼するなんて――

 

「……リーナ、訊きたいことがあるのですが」

「はい、何でしょうか?」

 

 何の前触れも無くシルヴィアが尋ねても、リーナは身じろぎ1つせずに続きを促した。

 まるで、最初から彼女がそうすると分かっていたかのように。

 

「先程までの話が野原しんのすけとファミレスで話していた内容だとするのなら、数時間も話し込んだにしては随分と足りないように思えるのですが?」

「そうでしょうか? アクション仮面の話題で、少々盛り上がりすぎたのかもしれませんね。リアルタイムで追っていただけあって彼の知識量は相当なものですから、私も思わず熱が入ってしまいましたよ」

「本当にそれだけですか?」

「何ですか、シルヴィ? まるで私が嘘を吐いているとでも言いたげじゃないですか」

「嘘かどうかなんて、我々には判断できませんよ。何せ私も他のスタッフも、2人の話し合いには立ち会っていませんし、その内容を盗聴することもしなかったのですから」

 

 ちなみにそれは、リーナの指示によるものだ。下手な行動をして彼女達に“主人公補正”を向けられてはいけない、というのがその理由であり、それを妥当だと感じたからこそシルヴィアもそれに従った。

 

「だからこそ我々は、あなた本人に尋ねるしかないのです。先程報告したこと以外に、彼と何を話したのですか? ――いいえ、()()()()()のですか?」

「…………」

 

 含みを持たせたシルヴィアの問い掛けに、リーナはまっすぐ彼女を見据えて、ハッキリとした口調でこう答えた。

 

 

「たとえ私が彼から何を聞いていたとしても、私があなたに話すことはこれ以上何もありません」

 

 

 リーナのその答えに、シルヴィアは確信した。

 おそらく彼女は、しんのすけから全て聞いている。

 彼とリーナが、過去にどのようにして出会ったのか。2人の間に何が起き、どのような繋がりをもたらしたのか。そしてなぜ、リーナにその記憶が一切残っていないのか。

 それらを全て知ったうえで、それら一切を報告しない、という選択肢を採ったのだと。

 

「……リーナ、これは私とあなただけの問題ではありません。USNA軍統合参謀本部直属の魔法師部隊の総隊長であるアンジェリーナ・シールズが、軍も把握していないところで野原しんのすけと繋がっていることが判明したんですよ」

「はい、もちろん分かっています。そのうえで、回答を拒否しています」

「……上層部が話すよう命じても、同じように拒否するつもりですか?」

「はい。たとえ大統領であろうとも、私はこれを話すつもりはありません」

「……リーナは我々と、USNAと対立しても構わないと言いたいのですか?」

「私は今でも、シルヴィ達のことは大切な仲間だと思っています。――だからこそ、私はこれを話すべきではないと考えています」

 

 リーナのその言葉に、徐々に険しくなっていたシルヴィアの表情が一瞬和らぎ、困惑の色を浮かべた。

 しかし即座に持ち直すと、再び剣呑な声色で彼女に詰め寄る。

 

「たとえあなたがどれほど我が国にとって重要な存在であろうとも、場合によっては上層部がどのような決定を下すか分かりませんよ」

「えぇ、そうでしょうね」

「それが分かっていながら、なぜあなたは――」

「シルヴィア・マーキュリー・ファースト」

 

 先程までの愛称ではなく軍より与えられたコードネームでシルヴィアを呼ぶリーナに、彼女はなぜか背中に寒気が走るのを覚えた。

 そんな彼女に、リーナは口元に微笑みを携えて、しかし目は僅かに細めて口を開く。

 

「私は野原しんのすけから“友人”であると同時に“仲間”だと思われています。――そんな私に何か危害を加えて、はたしてその方々が無事でいられると思いますか?」

「――――! あ、あなた! 我々を脅すつもりなのですか!?」

「そこまでして話したくない、ということです。察してください」

 

 リーナはそれだけ言い残すと、シルヴィアから視線を外してソファーから立ち上がり、その場を去っていった。これ以上話すことは無いという明確な拒絶の意思表示であったが、シルヴィアは黙り込んだままそれを見送ることしかできず、彼女の姿が見えなくなった後もそこから動くことができなかった。

 

 ――リーナ、あなたは何を知ったというのですか?

 

 上司でありながら、どこか自分の妹のような親愛の情を覚えていたリーナが、このときのシルヴィアにはとても遠い存在のように思えた。

 

 

 *         *         *

 

 

 いつの時代も、夜になると“後ろ暗い者達”が闇に紛れて駆け回っている。

 しかし一般市民の生活がそれに脅かされることなく(少なくとも破壊されることなく)済んでいるのは、その“後ろ暗い者達”と戦う者が同じように闇に紛れて駆け回っているからだ。

 しかしその戦う者の1人であるはずのこの男は、目の前の惨劇に対して憤る様子も見せずに相棒の男へと延々愚痴を零していた。

 

「まったく、次から次へとどうしてこう厄介事が――」

「…………」

「厄年は今年で終わったと思ったんだがねぇ、やっぱりお祓いに行った方が――」

「…………」

「そもそもこの事件は何だ? これならまだ密入国とか侵略の方がまだ分かりやすい――」

「それを調べるのが我々の仕事でしょうが! “税金泥棒”なんて揶揄されたくなければ、つべこべ文句を言わずに働いてください!」

 

 その男の部下である稲垣がとうとうキレてしまっても、その男・千葉寿和は「本当は警察が暇な方が――」などと未練がましく呟いていた。

 いい加減説教してやろうか、と思った稲垣だったが、耳に引っ掛けていたレシーバーから応答を求める声が聞こえてきたので、ひとまずそちらを優先することにした。

 

「はい、こちら稲垣。――分かりました、現場に向かいます」

 

 その報告を聞いた途端、稲垣の表情と声は緊張を押し殺したものとなった。そして彼の隣では、何となく報告の内容を察しているはずの寿和が、未だにだらけた表情でそれを眺めている。

 

「警部、“5人目”です。死因は過去のガイシャと同じく衰弱死。外傷が無いことも同じです」

「そして血が無くなってることも同じ、だろ? ったく、1ヶ月で5人の変死体か。マスコミを抑えるのもいい加減限界だぞ」

 

 とにかく億劫そうに溜息を吐く寿和だったが、その目だけは獲物を狙う狩人のように鋭い光が宿っていた。


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