嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第79話「吸血鬼ってナニモノ? だゾ」

 それは、レオが入院してから2日後のこと。

 達也は九重寺にて、八雲と毎朝の組み手を行っていた。

 両者互いに数メートルの間合いを空けて始まったそれは、互いの拳が間髪入れずに突き出され、目まぐるしく体と攻守が入れ替わる激しいものだ。単なる打撃の応酬ではなく、上下左右から襲い掛かる拳や手刀や(しょう)を躱し、掴み取り、振り払う。

 高度な駆け引きを展開している内に、両者の間合いが再び数メートルにまで広がった。体術は互角、体力は上、駆け引きは自分の方が遙かに下の達也にとって、駆け引きを弄する暇も与えずに攻め続けることが八雲に勝利する手立てだ。

 達也は一気に間合いを詰めて拳を繰り出そうとして、八雲の存在に揺らぎを感じた。達也は即座に情報体を分解する対抗魔法を発動、それによって八雲の幻術が解除されて彼の姿が霧のように消えた。

 

 右か、左か。さすがの八雲も、背後に回り込む時間は無かったはず。

 達也の判断通り、八雲は彼の背後にはいなかった。しかし達也の推測とは違って、八雲は彼の真正面、先程達也が狙いを定めた場所から僅か30センチほど後方で打撃動作に入っていた。

 達也は一旦止めかけていた拳を突き出した。このまま八雲が打撃を繰り出せば、相打ちに持ち込めると踏んでのことだった。

 しかし八雲の体は、彼自身の拳について行かなかった。(たい)を残したフェイントの手打ちに誘い込まれた達也の体は、八雲の投げで宙を舞い、地面に叩きつけられた後も八雲は彼の手を離さずに関節技へと持ち込む。

 しばらくして八雲が手を離した後も達也は何度も咳き込み、立ち上がるまでに時間を要した。片腕を取られたせいで満足な受け身も取れず、慣性を中和させることで辛うじて骨折だけは免れたが、衝撃を完全に殺すには至らなかったのである。

 

「いやぁ、焦った焦った」

「……師匠、今のは?」

「いやぁ、まさか“纏衣の逃げ水”が破られるとは思わなかったよ」

 

 八雲が口にしたその台詞、そして額の汗を袖で拭うオーバーな仕草は、傍目にはふざけたものだったが驚き自体は本物だった。体を残したフェイントは意図的ではなく咄嗟のアドリブであり、直前の術が破られることまでは想定していなかったのである。

 

「師匠、アレはいつもの幻術ではありませんね?」

「やっぱり分かっちゃうのか。視ただけで術式を読み取ってしまう君の異能は、相手にとって脅威そのものだ。――でも、それを逆手に取る手段が無いわけじゃないんだよ」

「今の幻術が、それだと?」

 

 達也の問い掛けに、八雲は頷いた。

 口元の端が楽しげに歪むのを隠しきれずに、いや、隠そうともせずに。

 

「“纏衣”は本来、この世のものならざるモノの目を誤魔化すための術だ。どういう仕組みかは……自分で考えてみてごらん。君ならすぐに分かるはずだよ」

 

 勿体つけるな、とは思わなかった。術式の種明かしを要求するのはマナー違反だ、という心構えもあったが、それ以上に気になることが八雲の台詞に含まれていたからである。

 

「師匠、今“この世のものならざるモノ”と仰いましたか」

「僕達が相手にするのは、人間ばかりじゃないよ。この世のものならざるモノの相手は、それほど珍しいことじゃない」

「俺の友人である古式の術者は、本物の魔性に遭遇するのは極めて稀だと言っていました。つまり偶然ではない、つまり何者かの作為の下でならけっして珍しくはない、ということですか?」

「うーん、辛うじて及第点、かな」

 

 その言葉が示す通り、八雲の表情は満足には程遠かった。

 

「如何に知恵者といえども、記号化と先入観の罠を避けるのは難しいということか。おそらく“彼”ならば、すぐに正解に辿り着いたと思うよ」

 

 八雲の言う“彼”とは、しんのすけのことだろう。確かに彼の発想の柔軟性は、達也もよく驚かされる。九校戦での“小通連”の使い方などがその代表例だろう。開発者の意図しない使い方はしないでほしい、というのが達也の偽らざる本音だが。

 と、本題から逸れかける達也の思考が、八雲の次の台詞によって吹き飛んだ。

 

「君自身、一度や二度は“この世のものならざるモノ”と接触しているはずだよ。――君ら現代魔法師がSB魔法と呼んでいるものは、いったい何を媒体としているんだい?」

「――――!」

 

 それはまさしく、達也にとって盲点だった。

 知性や意思の有無などというのは、この際問題ではない。例えば細菌は知性も意思も無いが、人の体に入り込んで肉体の機能に干渉して健康を害する。ウイルスに至っては不完全な増殖機能しか持たないが、学術的には厳密な“生物”に該当しなくとも、人の肉体を蝕む“生き物”と見なせることに異論は無いはずだ。

 ならば幹比古が行使する精霊も、たとえ現象から切り離された孤立情報体に過ぎなくとも“この世のものならざるモノ”、正確には“肉体を持つ生き物ならざるモノ”と定義できるかもしれない。そもそも精霊に意思が存在しないと証明した者は1人もいない。与えられたコマンドに対して自律的な処理を行うアルゴリズムが魔法式に全て組み込まれていると考えるよりは、精霊自体に意思があると考える方がむしろ合理的ですらある。

 

「師匠、もう1つ質問しても宜しいでしょうか?」

「言ってごらん」

「現代魔法学においては、精霊は自然現象に伴ってイデアに記述された情報体が実体から遊離して生まれた孤立情報体、となっています。元になった現象の情報を記録しており、魔法式で方向性を定義することにより、その情報から現象を再現することができる。これが精霊魔法だと解釈されています」

「大体それで合ってると思うよ。そういった理屈付けに関しては、現代魔法の方が一枚も二枚も上手だ」

「ならば師匠は、パラサイトが何を由来とした情報体かご存知でしょうか?」

 

 ふむ、と八雲は顎に手をやった。

 

「パラサイト……イギリス風の表現だね。残念ながらそれは僕も知らないよ。――ただ、人の精神に干渉するものだから、精神現象に由来するものだとは思うけど」

「精神に由来する情報生命体、ということですか」

「僕は、人型の妖魔も動物型の妖怪も、情報生命体である妖霊がこの世の生物を変質させたものじゃないかと考えている。物理現象に由来する精霊がこの世界と背中合わせの影絵の世界を漂っているように、精神現象に由来する妖霊は精神世界と背中合わせの写し絵の世界からやって来るんじゃないかと思うんだ」

「そうなると遭遇例が少ないのは存在しないからではなく、俺達がまだ精神を観察する術を充分に持たないからだ、とも考えられますね」

「ロンドンに集まった連中からしたら異端に聞こえるのかもしれないけど、それが僕の偽らざる自説だよ」

 

 さすが古式魔法の大家(たいか)の称号は伊達ではない。達也は()()()()()そう思った。

 

 

 *         *         *

 

 

 1年E組。始業前の教室にて。

 

「レオくん、大丈夫でしょうか……?」

「大丈夫だろ、打ち身以外に目立った怪我も無かったし。まさか医者が嘘を吐いているわけでもあるまいし」

 

 互いの自席に座って会話をするのは、達也と美月の2人。入学から付き合いのある2人ではあるが、この2人だけで過ごすというのはほとんど無かった。レオが入院して登校できず、いつもはもっと余裕のある時間に来るエリカと幹比古が未だに来ていないからこその現象だった。

 ちなみにエリカが来ていないのは、レオの看病で泊まり込んでいるとかではない。そもそも彼女が見舞いに行ったのは最初の1回だけで、しんのすけと共に病院を後にして以来一度も病院に顔を出していないようだ。昨日も遅刻ギリギリに駆け込んできたし、おそらく今日もそうなるだろう。

 

「おはよ~」

「おはよう、達也、柴田さん……」

 

 と、そんなことを考えていると、アンニュイな雰囲気を漂わせるエリカと、疲れの残る顔をした幹比古が早足で教室に入ってきた。

 授業開始のメッセージが画面に表示されたのは、その直後だった。

 

 

 

 

 その日の昼休み、達也たちの行動はいつもと少し違っていた。

 エリカは食堂にも行かず、自分の机に突っ伏して寝息をたてている。幹比古は頭痛を訴えて、お昼を食べ終わるとすぐに保健室へと向かった。おそらく寝不足から来る疲労だろうからと、付き添いは美月に一任している。

 そして達也はというと、ほのかに頼んで雫に電話を掛けてもらっていた。

 現代の通信システムでは、小さな携帯情報端末でも直接顔を合わせるのと遜色無いクリアな映像を表示できる。同時通話の機能を使って再会した雫の顔は、まだ1ヶ月も経っていないのに記憶よりも少し大人びて見えた。

 

「すまないな、夜遅くに。メールにしようかと思ったんだが、直接話さないと要領を得ないだろうから」

『大丈夫だよ、まだ8時だから。――それで、何?』

「あぁ、ほのかに聞いたんだが、そっちでも吸血鬼が暴れてるそうだな。詳しい話を聞かせてくれないか?」

 

 達也の問い掛けに、画面の雫がコテンと首を傾げた。

 

『……日本では本当に吸血鬼が出たの?』

「日本では?」

『アメリカでは、今のところまだ都市伝説扱い。少なくともメディアでは報道していない』

 

 実在するものが噂になっている以上、事件は間違いなく起こっているはずだ。つまりUSNAでは未だに報道管制の下に置かれているということであり、もしかしたら想像より遥かに根が深い事件なのかもしれない。

 

「単なる噂でも構わない、できるだけ詳しい話を聞きたいんだが」

『何かあったの?』

「――レオが、吸血鬼らしきモノの被害に遭った。幸い、命に別状は無い」

『――――!』

 

 画面からでも伝わるほどに、雫はその事実にショックを受けた様子だった。

 それこそ、慌てた様子で達也がフォローを入れるほどに。

 

「いや、本当に大丈夫だ。レオは自力で吸血鬼を撃退したんだが、その際に相手の異能でダメージを受けて、今は病院で大事を取っている」

『……分かった。だから達也さんは、こっちで何が起こってるのか知りたいんだね』

「もちろん、分かる範囲だけで構わない。無理して情報を集める必要は無いからな」

『でも達也さんは、アメリカに手掛かりがあると思ってる。違う?』

「手掛かりというか、正直に言えば、事件の犯人はアメリカから来たと思ってる」

 

 この推理は初めて告げるものだ、雫だけでなく深雪とほのかも息を呑んだ。

 

「だから余計に危険な真似は謹んでほしいんだ、くれぐれも危ない橋は渡ってくれるなよ。そっちの情報が必須というわけではないんだから」

『……うん、期待しないで待ってて』

「それは“情報”についてだよな? まさか“危険な真似は謹んで”の方じゃないよな?」

『もちろんだよ』

 

 雫は馬鹿でも怖いもの知らずでもないはずなのだが、彼女のこの返事に関しては達也も不安を拭いきれなかった。

 と、雫が若干体を傾けて、達也の後ろを覗き込むような仕草をした。

 

『達也さん、そこってA組の教室?』

「えっ? あぁ、昼休みはあまり人がいないからな、借りさせてもらっている」

『ということは、そこにしんちゃんもいる?』

「いや、しんのすけは今日は休みだ。ここ最近は休みが続いてるようだが」

 

 そう口にしながら達也の視線は深雪に向けられ、彼女はしっかりと達也を見据えて頷いた。

 

「何か用事か? 伝言を頼まれても良いんだが」

『ううん、それは大丈夫。――ただ、レオが吸血鬼に襲われて入院して、しんちゃんが心配してるかもって思って』

 

 雫の言葉を聞いて、3人の視線は自然としんのすけの席へと向いた。

 主のいないその席は、ディスプレイの電源も入れられずに沈黙したままだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 エリカの知る限り、都内で発生している吸血鬼事件に対して組織的な対応を取る勢力は、全部で3つ。

 1つ目は、警視庁を主力とし、警察省の特捜チーム(日本版FBI)に、同じく警察省の配下である公安が加わった警察当局。寿和や稲垣は、このチームに属している。

 2つ目は、七草家が音頭を取って十文字家が続く形で組織された、十師族の捜査チーム。彼らは内閣府の情報管理局のバックアップを受けて警察とも部分的に協力している半官半民の勢力だが、力関係は通常と異なり“民”の方が上である。

 そして3つ目は、千葉家で組織された私的な報復部隊。つまり自分自身である。

 

「やっぱり先輩達に協力した方が良いんじゃないかな……? 街路カメラとか防犯システムを使えるようになるだけで、随分と効率が上がると思うんだけど」

「看視システムをフルに活用できる警察が尻尾を掴めないでいるのよ、そんなの関係無いでしょ」

「人手に頼るにしても、連携が無いよりあった方が良いと思うんだけど……」

「だからこうして協力をお願いしてるじゃない」

「いや、僕達だけじゃなくて……」

 

 しかし現在、都内の繁華街を歩くエリカの隣には幹比古の姿もあった。エリカが吸血鬼を探すのを放っておけなくて自主的に手伝っている、というわけではなく、千葉家から吉田家に対して非公式な(しかし正式な)要請による結果である。

 

 元々エリカは、自分1人ででも“吸血鬼”を捜索するつもりだった。たった数日間だけとはいえ、レオは千葉家の門を跨いだ“門人”であり、同時にエリカが(コージローと共同とはいえ)直々に手解きした“最初の弟子”でもある。そんな彼が襲われたとあっては、武人としての義理に厚い彼女が放っておけるはずもなかった。

 しかし彼女の決意を知った寿和が、裏で手を回してきた。警察の科学捜査が芳しくないことを千葉家の総帥(つまり寿和やエリカの父親)に伝えると、彼は吉田家が持つ占術の技能を利用することに決めたのである。彼は魔法以外のオカルトを全部一緒くたにして考えている節があり、もしかしたら“オカルトにはオカルトを”と考えたのかもしれない。

 そうして選ばれたのが、次期当主の兄をも凌ぐ実力を持ちエリカとの親交も深い幹比古だった。彼の右手には細長い筒状の鞄が握られ、その中には“道占い”に使われる杖が入っている。一方エリカも同じように筒状の鞄を肩に提げ、そしてその中には刀を模した武装デバイスを潜ませている。

 

 しかし2人がそれを使う様子は無く、学生が出歩くことを鑑みると“遅い時間”と表現して差し支えない時刻にも拘わらず人通りの多い道を歩き、駅の近くにあるビルへと入っていった。

 エレベーターで3階まで上がり、激安で美味しいイタリアンが自慢のファミレスへと向かう。店員に人数を尋ねられたエリカが待ち合わせだと告げると、店員は「あちらの席になります」と入口に近い窓際のボックス席を掌で指し示した。

 

「んもう、2人共遅いゾ。オラ、待ちくたびれちゃったゾ」

 

 その席に座っていたしんのすけが、エリカと幹比古を見るや唇を尖らせて文句を言った。どうやらそれは嘘ではないようで、彼の座るテーブルには幾つかの料理の皿と、様々なドリンクを混ぜたのだろうカラフルな飲み物が入ったグラスが乱立している。

 幹比古が「約束の5分前だけど……」と呟くのを無視して、しんのすけはテーブルに置かれたタッチパネルに手を伸ばす。

 

「ま、とりあえず座って座って。2人共、何食べる?」

「いや、アタシ達は別に食べないから、今すぐここを出るわよ」

「えぇっ? せっかくだから食べていけば?」

「そんなことしてる間に吸血鬼が出たらどうすんの。……それとしんちゃん、多分アタシ達が探してる吸血鬼にニンニクは効かないわよ」

「えっ、そうなの? せっかくこんなに食べたのに」

 

 テーブルに並べられた食べかけのペペロンチーノ、ガーリックトースト、ムール貝のガーリック焼きを見下ろしながら指摘するエリカに、しんのすけはそれでも勿体ないからと残りを急いで食べ進めた。

 そうして電子マネーで支払いを済ませて立ち上がる彼の姿からは、レオに危害を加えた吸血鬼をこれから探しに行こうという気負いはまったく見られなかった。剣呑な雰囲気を隠そうともしないエリカとは対照的だが、幹比古は彼を薄情な性格だとは考えていない。むしろこのような状況で平時の精神状態を保てる芯の強さに、内心舌を巻いているくらいだ。もちろん、エリカの芯が弱いなどと考えているつもりは無いが。

 と、そんな言い訳めいたことを考えている内に、しんのすけとエリカは店を出ていこうとしていた。幹比古はハッと我に返り、早足で2人の後を追い掛けていった。

 

 

 

 

 ケープ付きのロングコートに、目深に被った帽子。顔の前面を隠すのは、灰色の生地に黒のコウモリを描いた覆面。元スターズ衛星(サテライト)級デーモス・セカンドことチャールズ・サリバンは、新たに獲得した身体能力をフルに使って逃亡していた。

 しかしそれでも、追跡者を振り切るには至らない。

 今回の追跡者は星屑(スターダスト)のハンターとは訳が違う、夜空で最も明るく輝く星のコードを与えられた“処刑人”だ。赤髪金瞳の仮面の魔法師、アンジー・シリウスに姿を変えたリーナは、モーターバイク並のスピードで覆面の怪人をしっかりマークしていた。

 もちろんサリバンはただ逃げているだけではなく、幾度もサイオンのノイズをリーナに浴びせていた。その度に彼女自身の感覚はサリバンを見失うのだが、即座に彼女の耳に装着されたコードレスイヤホンから仲間の声が聞こえる。

 

『総隊長、次の角を右です』

 

 テレビ中継車に偽装した移動基地のサイオンレーダーが、サリバンの居所をしっかりと捕捉していた。一度サイオン波のパターンを特定されればレーダーの探査圏外まで逃れなければならず、掌サイズにまで小型化された中継アンテナをリーナが持っている以上それも叶わない。

 

「クレア、レイチェル、サリバンの正面に回りなさい」

 

 リーナが通信機で呼び掛けたのは、ハンター(17th)とハンター(18th)だ。リーナが口にした名前はもちろん本名ではなく、コード名で呼ぶのを嫌うリーナが便宜的に名付けたニックネームだ。なのでクレアの頭文字がCだったとしても、リーナも本人も特に問題にしていない。

 猛スピードで走りながら、リーナがダガーを前方へ投げた。武装一体型のCADであるそれは、投げることで移動系魔法が発動して、術者の意図したルートを飛んで標的に突き刺さるようになっている。今回もダガーは空中で何度か軌道を変えながら、同じく猛スピードで逃げるサリバンの背中へと襲い掛かった。

 サリバンがそれに気づいたのは、まさしく今にも背中に刺さろうかというときだった。吸血鬼の身体能力をもってしても間に合わないタイミングだが、今の彼ならばCADを使わずに得意の物体軌道干渉でダガーを逸らすことも可能だ。

 可能の、はずだった。

 

「――――!」

 

 しかし結果的に、そのダガーはサリバンの右腕に深々と突き刺さった。事象干渉力のレベルが桁違いであり、軌道を変えることが不可能だと悟ったサリバンが咄嗟に右腕で庇ったためである。

 そうして一瞬動きを止めたサリバンの背中を、Rのコンバットナイフが抉った。普通の人間ならば間違いなく致命傷たり得る深手だが、サリバンはむりやり腕を横殴りに振り回し、ナイフを握ったままのRをはね飛ばした。

 しかしここで追いついたリーナが、足を止めて拳銃を抜いた。

 そしてQもRもリーナも気づかなかったタイミングで、街路樹の陰から突如電撃が放たれた。

 だが、その電撃がリーナを脅かすことはなかった。彼女が咄嗟に展開した領域干渉によって、魔法が無効化されたためである。拳銃は尚もリーナの手にあり、その銃口は尚もサリバンの心臓を捉えている。

 

 リーナが、引き金を引いた。

 情報を強化された銃弾が、何物にも邪魔されることなくサリバンの心臓を破壊した。

 

 そして間髪入れず、リーナは再び走り出した。目標は、先程自分に対して電撃を浴びせた吸血鬼である。

 そのため、サリバンが事切れる直前に口にした台詞を聞くことは無かった。

 

「はい、“回収”完了。――今回は割と溜まった方かしら」

 

 

 

 

 ファミレスを後にしたしんのすけ達3人は、通行人で溢れる表通りを外れて中層ビルに挟まれる裏道へと入っていった。幹比古を先頭にして、しんのすけとエリカがその後ろに続く布陣である。

 幹比古は緊張した表情で、エリカは戦意を露わにした表情であるのに対し、しんのすけはファミレスのときと変わらず呑気なものだった。

 

「いやぁ、それにしても、こんな夜中に友達とファミレスに行って夜の街をぶらつくなんて、まるで不良になった気分だゾ」

「夜中って、まだ日も跨いでないじゃない」

「オラにとっては、いつもなら寝てる時間だから“夜中”なの。ここんところ学校も休んじゃってるし、父ちゃんと母ちゃんにバレたら確実に怒られますな」

「しんのすけくん、学校を休んでるの? 僕とエリカなんて、寝不足なのを我慢して必死に学校に行ってるのに」

「ほーほー。ミキくんはともかく、エリカちゃんも案外真面目なんだね」

「しんちゃん、それってどういう意味?」

 

 エリカがしんのすけをギロリと睨みつけ、しんのすけが「おっと」と両手で口を塞いだタイミングで、3人は十字路に差し掛かった。

 そのまま歩こうとするしんのすけをエリカが片手で制し、幹比古へと呼び掛ける。

 

「ミキ、どっち?」

 

 幹比古は彼女の問いに答えず、その手に持っていた3尺の長さの杖を歩道に突き立てた。細かな文字が墨でビッシリと書かれた円柱状のそれは、幹比古が手を離した後も何の支えも無く路面に立ったままだった。

 そうして幹比古が後ろ向きで3歩離れ、クルリと体を反転させた直後、杖が見えない支えを失ったかのようにパタリと右向きに倒れた。

 

「こっちね」

 

 十字路を右に曲がって、エリカがズンズンと先に進んでいく。連れを待つどころか振り返る素振りも無い。

 苦笑いを浮かべて杖を拾う幹比古に、しんのすけが歩み寄る。

 

「ねぇミキくん、コレって本当に合ってるの? エリカちゃんを誤魔化すためにテキトーにやってるんじゃない?」

「そんなことしたら、僕がタダじゃ済まないよ……。昔から伝わる、精霊や魔性といった存在を感知する魔法が施された杖だから、闇雲に歩き回るよりはよっぽど効率的だと思うよ」

 

 その説明にしんのすけは納得したのか、エリカの後を追い掛けていった。

 彼の背中を、そしてその向こうに見えるエリカの背中を見つめながら、内ポケットから情報端末を取り出して、自分の位置をグループ登録された端末に知らせる“シグナルモード”になっていることを確認すると、アドレス帳から新たな通知先を1つ加えた。

 そうして端末を懐にしまい、2人の後へと続いた。

 

 

 

 

 アンジー・シリウスことリーナが自分に電撃を浴びせた吸血鬼と相対したのは、ビルが立ち並ぶ区画の中に災害時の被害緩衝用として作られた小さな公園だった。申し訳程度に木や植え込みがあるだけで遊具も存在しないそこならば、小細工無しの真正面からのぶつかり合いとなる。

 圧倒的な魔法力を有するリーナにとって有利に働くと思われたその場所での戦闘だが、事態は彼女が思っているような展開ではなかった。

 

「グハハハハ! どうした小娘、さっきまでの威勢はどこに行った!」

 

 2メートルは超えていようかという身長に夜の僅かな光源をも反射する見事なスキンヘッド、そして“鋼の肉体”という比喩表現が大袈裟ではないほどに盛り上がった筋肉。おおよそ今までの吸血鬼とはかけ離れたイメージの人物であるが、間違いなくこの大男がリーナに電撃を浴びせた張本人である。

 そんな大男と対峙しているために、ただでさえ小柄なリーナが余計小さく見えた。そんな彼女は彼の挑発にも一切耳を貸さず冷静な表情を保ったまま、腰のホルスターから取り出した拳銃を彼に向けて引き金を引いた。

 中型の自動小銃であるそれは只の拳銃ではなく、握るだけで起動式が展開される単一用途の武装デバイスだった。銃身部分に情報強化の魔法式が形成され、速度や耐久力が高められた弾丸が発射されて大男へと襲い掛かる。

 

「ふんっ――!」

 

 しかし大男は気合いの声をあげると、一瞬その姿がブレるほどのスピードでそれを避けた。普通の人間では絶対に不可能なその動きは自己加速術式によるものだが、CADらしき物を持っている様子は無い。彼も他の吸血鬼と同じく、サイキック化しているということだろう。

 そして大男はそのスピードのままリーナへと踏み込み、丸太のように太い腕の筋肉を盛り上がらせてパンチを繰り出した。その拳は彼女の鳩尾に深々と突き刺さり、そして次の瞬間に彼女の体がまるで煙のように掻き消えた。

 

「ん?」

 

 大男が首を傾げるその隙に、いつの間にか先程消えた場所から数メートル離れた場所に移動しているリーナが、右手に持つ5本のスローイングダガーを一気に投げた。

 彼の虚を突いて放たれた5本のダガーは、しかし脅威の反射神経を見せた大男が体を仰け反らせたことで、それぞれ明後日の方へと飛んでいった――

 

「アクティベイト、“ダンシング・ブレイズ”!」

 

 かに思われたが、リーナが叫んだその瞬間にダガーが呼び戻されるようにその軌道を変え、彼女と相対する大男の背中へと向かっていった。そのダガーも武装一体型デバイスであり、しかも音声認識によって遅延発動術式をアクティブ化するというかなりのレア物だ。

 ダガーに対して完全に背中を晒し、そして大男がその場を動く素振りは無い。

 決まった、とリーナが内心で確信していると、

 

 がきぃんっ――!

 

 大男の背中に刃を突き立てたダガーは、しかし刺さることなく金属音のような甲高い音をたてて弾き返され、地面にボトボトと落ちていった。防壁魔法か、とリーナは一瞬でそのカラクリを見破ってギリッと奥歯を噛み締めた。

 とはいえリーナの知る限り、質量もエネルギーも同時に防ぎ止める障壁は現在の魔法技術では構築できないはず。多重障壁を展開している可能性もあるが、物は試しだと彼女は圧倒的なスピードで魔法を編み上げていく。

 しかし結果的に、その魔法が使われることは無かった。

 

「“アクション・ミサイル”!」

「ぐふうっ――!」

 

 突然横から(文字通り)飛んできたしんのすけの頭が大男の横腹に突き刺さり、大男は筋骨隆々なその体を“く”の字に曲げて苦悶の声と表情で吹っ飛ばされていった。あまりにも突然の出来事に、リーナは鬼とも評されるアンジー・シリウスの姿でポカンとなっていた。

 直立の姿勢で俯せのままミサイルのように飛んでいき、そのまま頭から相手に突っ込んでいくという何とも間抜けな見た目だが、実は幾つもの系統魔法を同時に展開する高度な魔法だった。自身の体に硬化魔法を掛けて身を守り、加速魔法と移動魔法を併用して軌道をコントロールする一連の流れに淀みが無かったのも、しんのすけの卓越した魔法技術だからこそ成せる(わざ)である。

 

「や、やっと追いついた……」

「さすがしんちゃん、見事なスピードね。っと、どうやら既に始まってるみたいね」

 

 その声にリーナが振り向くと、しんのすけを追い掛けてきたらしい幹比古とエリカがやって来るのが見えた。リーナは舌打ちしたい衝動に駆られるが、しんのすけが吹っ飛ばした吸血鬼が起き上がる気配に、彼女はそちらへと意識を集中させた。

 一方エリカと幹比古も、金色の瞳を仮面で覆う真紅の髪の女に強い警戒心を抱いた。しかし、しんのすけが彼女のすぐ隣にいながら一切そちらに注目せず、吸血鬼と思われる筋骨隆々の大男が起き上がろうとしているのを見つめている様子に、2人も自然とそれに倣って大男を注視する。

 大男は派手に吹っ飛ばされたものの、リーナのダガーを防いだときにも見せた障壁魔法のおかげでほとんどダメージは無かった。それを示すように素早く起き上がると、こめかみに青筋を立てて攻撃を仕掛けたしんのすけを睨みつける。

 

「このクソガキ! よくもやってくれたじゃない……か……」

 

 しかし大男の威勢は急激に萎んでいき、それにつれて怒りの表情が困惑に塗り潰されていくようだった。

 突然の変化に、リーナ達は追撃も忘れて首を傾げている。

 そうして数秒後、大男がいきなり叫んだ。

 

「てめぇ! まさか“ジャガイモ小僧”か!? なんでこの時代に生きてやがる!?」

「…………おっ?」

 

 全員の視線が一斉にしんのすけへと向く中、当の本人は疑問の声をあげるのみだった。


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