嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第80話「思い出は追憶の彼方へ、だゾ」

 しんのすけ達が吸血鬼と相対した次の日の放課後、魔法戦技によるサバイバルゲームを取り扱うクロス・フィールド部の第2部室へと達也はやって来た。

 彼がここを訪れた理由は、今日の朝に妹と共に学校へ向かう途中、学校の最寄り駅で待ち構えていた真由美から「放課後にここに来てほしい」と誘われたからである。周りには生徒の姿もあり、ゴシップ的な意味合いでその遣り取りを遠巻きに眺めている者も多くいたが、誘われた張本人である達也はそのような期待は一切持たずにドアをノックし、中へと入っていった。

 案の定、中では真由美だけでなく克人の姿もあった。クロス・フィールド部は元々克人が所属していたクラブであり、この部屋が部活連の非公式な会合に使われていることが暗黙の了解だったことを考えれば、彼も一緒にいるのは推測できて当然のことだ。

 

「独りか?」

「えぇ、呼ばれたのは俺だけですから」

 

 そうでなければ、深雪が達也を独りで行かせるはずが無い。もっとも、自分も同行すると強硬に主張する彼女を達也が何とか宥めすかし、ケーキバイキングに財布込みで付き合う交換条件で了解してもらった、という経緯があるのだが。

 と、さっそく真由美が達也に尋ねてきた。

 

「達也くん、昨日の晩、外出しなかった?」

「はい、バイクで出掛けました」

「……どこに行ってたか、教えてもらって良いかしら?」

(くだん)の吸血鬼を捜索していた吉田に呼ばれたので、吸血鬼と交戦中だった公園まで行きました。しかし俺が着いた頃には既に戦闘は終わっていて、吸血鬼にも逃げられてしまいましたが」

 

 このままでは長引きそうだと感じた達也が、自分から話を前へと進めた。

 そこまで正直に話すとは思わなかった真由美は目を白黒させ、克人はまったく動じた素振りを見せず端的に問い掛ける。

 

「いつからだ?」

「昨日は呼ばれたから駆けつけただけで、俺は吸血鬼の捜索に加わっていません」

 

 2人がどう思っているか知らないが、少なくとも達也に腹の探り合いをする意思は無かった。

 

「お2人共、1年E組の西城が襲われたのはご存じですね? 何が起こっているのか知りたいのが普通ですし、犯人を見つけて引き渡してそれで終わり、では到底安心できません」

 

 2人に向けて喋っていた達也が、ここで視線を真由美1人に向けた。

 

「七草家でどこまで事態を把握し、どのような決着をつける気なのか。それを教えていただかない限り、協力もできません」

 

 先手を打たれたことで却って開き直りのような感情が生まれたのか、真由美は溜息を吐いて作り笑いを消した。

 

「現在、七草家と十文字家との合同で“吸血鬼狩り”のチームを組織し、それに当たって十師族・師補十八家・百家の各当主に協力要請の通達を出しています。――もし達也くんが私達に協力してくれるなら、私達が掴んでいる情報を教えるわ。ただし、分かっていると思うけど他言無用ね」

「了解です、協力しましょう」

「……それは、私達の捜索隊に加わってくれる、ということ?」

「そう解釈していただいて結構です」

「……協力する前に情報を開示するのが条件、ってさっき言ってなかった?」

「騙されたと判断すれば、こちらも掌を返すだけです」

 

 あまりにも正直すぎる、そのくせ裏の裏の裏まで意図が隠されていそうな達也の言葉に、真由美は思わず乾いた笑い声を漏らした。

 そうして「達也くん、性格悪すぎよ」の一言が添えられたうえで、真由美の口から現在彼女が知っている吸血鬼事件に関する情報が語られた。

 

 その中で、達也にとって目新しいのは3つ。

 1つ目は、被害の規模が報道よりもずっと大きいこと。

 2つ目は、その被害規模から吸血鬼自体が複数存在する可能性が高いこと。

 そして3つ目は、真由美達の捜索を妨害する第三勢力が存在すること。

 3つ目の“第三勢力”については、最初聞いたときはエリカ達のことかと一瞬考えたが、自分達の手で片づけたいという思惑はあっても他勢力の妨害までするとは思えない。

 おそらく公園で鉢合わせた仮面の魔法師がその勢力に属しており、そしてその正体も達也はほぼ推測できている。だからこそ、なぜそんなことをしているのか彼には分らなかった。おそらく構図自体は単純なものかもしれないが、それを決定づけるピースが欠けているのが何とももどかしい。

 

「お2人は吸血鬼を捕まえて、どうするおつもりですか?」

「尋問して、正体と目的を突き止める。その後は……」

「処分することになるだろうな」

 

 真由美が答える途中で言い淀み、克人が補完するように続きを答えた。達也としても、その辺りが妥当な落とし所だろうな、といった内容だ。彼のみの感覚に基づいて、という注釈付きだが。

 とにかく、これで達也が事前に提示した条件は全て達成された。

 よって次は、達也が持ち札を開示する番だ。

 

「それじゃ達也くん、昨日何が起こったのか話してくれる?」

「それは構いませんが、俺よりも吉田や野原の方が詳しいのでは?」

「吉田くんは体調が優れないみたいだし、しんちゃんはそもそも学校に来てないからね」

 

 真由美の答えに、達也は一応納得した素振りで頷いた。エリカに尋ねるという選択肢については、どちらも最初から検討もせずに除外していた。

 さてと、どこまで話すべきか、と達也は頭の中で昨日の出来事について振り返った。

 

 

 *         *         *

 

 

 幹比古の携帯端末から発信されているシグナルの位置情報を頼りに、達也は街中でバイクを走らせていた。繁華街を抜けてビルとビルの間を縫う裏道へと入り、災害時の被害緩衝用に造られた小さな公園に差し掛かったところで、フルフェイスのヘルメットに覆われた達也の視界が見慣れた人物達の姿を捉える。

 先頭にはしんのすけ、数歩後ろにエリカと幹比古。

 しんのすけの隣、達也から見て手前側に立つのは、赤髪の仮面の魔法師。位置的に、まるでその魔法師としんのすけがエリカ達を率いているようにも見える。

 そしてその4人が見つめる先にいる、筋骨隆々の大男。状況からして、おそらくコイツが吸血鬼だろう。

 状況を一瞬で読み取った達也が、加勢しようとCADに手を伸ばした次の瞬間、

 

「あっ――!」

 

 吸血鬼が踵を返して逃げ出し、それを見た幹比古が声を漏らす。

 その吸血鬼に魔法の照準を合わせようとする達也だったが、結果的にそれは中断された。

 しんのすけの隣にいた仮面の魔法師が、吸血鬼ではなくしんのすけ達の方を見ながら、拳銃を持つ右手を動かしたのである。ほんの微かな気配の揺らぎでそれを感じ取った達也は、奴が彼らに危害を加える気では、という考えで反射的に魔法の矛先をそちらへと変えた。

 しかしその拳銃は彼らではなく、自身の足元へと向けられたまま銃弾を吐き出した。地面に衝突したことで火花が散り、しかし一瞬で消えるはずのそれが強烈な閃光となって仮面の魔法師を覆い隠した。突然の閃光に、しんのすけ達3人は目を覆っている。

 しかし達也はそれに構うことなく、魔法師本人に魔法の照準を合わせた。

 そうして相手の足に向けて分解魔法を発動――しなかった。

 

 ――中身が無い!?

 

 相手の実体を反映しているはずの情報体(エイドス)は表面だけで、材質や質量や構造に関する情報が抜け落ちていた。つまり今そこにいるのは単なる幻影であり、達也が咄嗟に辺りを見渡した限りでは本物はどこにも見当たらない。

 そうして閃光が落ち着いて元の月明かりに戻った頃、達也はヘルメットを脱いで公園へと足を踏み入れた。3人が一斉に達也へと顔を向け、特にしんのすけが大きく手を振って駆け寄ってくる。

 

「これはこれは達也くん、土偶ですなぁ」

「それを言うなら“奇遇”だし、そもそも奇遇じゃないんでしょ?」

 

 エリカがツッコミを入れつつ達也に尋ねると、達也はほんの一瞬だけ迷い、正直に答えることにした。

 

「幹比古に連絡を貰ったんだ」

「……へぇ、そうなんだぁ。いつの間に連絡したのか知らなかったわぁ」

 

 やたらと棒読みなエリカの台詞に、幹比古の表情が引き攣った。

 

「いや、その――」

「ミキはアタシやしんちゃんが、あの吸血鬼に後れを取るとでも思ったのかしらねぇ?」

「ということは、やはりあの男は吸血鬼だったのか」

 

 達也の問い掛けにエリカの視線が達也に向き、幹比古が秘かにホッと胸を撫で下ろした。そんな彼をしんのすけが白けた目で見つめ、それに気づいた幹比古が顔を強張らせる。

 そんな遣り取りの横で、エリカが「うーん」と頭を悩ませる。

 

「いや、多分状況的には吸血鬼だとは思うんだけど、アタシとミキがここに来た直後に逃げられちゃったから戦ってるところは見てないのよ」

「ふむ。とりあえず、状況を教えてくれないか?」

 

 達也の問い掛けに、エリカは頷いて説明を始めた。

 レオを襲った吸血鬼を捜索していた3人がここにやって来たのは、街中を歩いていたときに何やら闘争の気配を感じたからだった。自己加速術式でしんのすけが真っ先に飛び出していき、エリカ達が追いついたときには既にしんのすけと仮面の魔法師が吸血鬼らしき男と睨み合いをしている状況だったという。

 加勢しようとしたエリカ達だったが、ここで大男がしんのすけを見てなぜかひどく驚いた様子を見せた。どうやら彼を知っているようで、彼がここにいること、というより彼が生きていることに対して驚いている感じだったらしい。

 

「そういやしんちゃん、あの男って誰なの? しんちゃんの知り合いっぽかったけど」

「えぇっ? オラ、あんな奴知らないゾ」

「でもアイツ、しんちゃんを見て『なんでこの時代に生きてるんだ?』とか言ってたじゃない。生きてること自体に驚いてるってことは、ずっと昔に会ったことがある奴なんじゃないの?」

「そう言われても、オラ、会ったことある人みんな憶えてるわけじゃないゾ」

「いや、そりゃそうかもしれないけど……」

 

 相手の反応からして結構な因縁がありそうな気がする、とエリカは直感的に感じ取っていた。それは幹比古も、話を聞いてるだけの達也も同じだった。

 とはいえ、しんのすけが憶えていない以上は掘り下げても意味は無さそうだ。なので達也は、別の質問に移ることにした。

 

「それじゃしんのすけ、さっきの仮面の魔法師については何か知ってるか?」

「おっ? さっきのオジサンに襲われてたみたいだったから、助けてあげただけだゾ」

「何か会話は交わしたか?」

 

 達也の質問に、しんのすけは「何も」と首を横に振って答えた。表情などを見る限り、何かを隠している様子は見られない。

 しかし達也は先程の魔法師を、アンジー・シリウスに化けたリーナだとほぼ確信していた。任務中でも無い限り自分の所属を明かす理由が無いはずなので、彼女がスターズの隊員であると知っていたしんのすけもあの姿で面識があるものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 これもここで追及する意味合いは薄そうだ、と達也は更に別の質問へと移った。

 しかし今度は、エリカに対してである。

 

「エリカ。どうしてしんのすけを誘ったんだ?」

 

 ピクリ、とエリカの口元が歪んだ。

 反射的に視線を逃げるように逸らし、しかし一瞬後で意識的に達也へと向き直す。

 

「……別に深い意味は無いわよ。授業を休んでまでレオの見舞いに来てくれたから、レオを襲った吸血鬼を一緒に探さないか誘っただけ」

「そうか。レオを襲った吸血鬼を仮に捕まえたとして、どうするつもりだ?」

「…………」

 

 達也の質問に対し、エリカは口を引き結んで黙り込んだ。猪突猛進に見えて頭の回る彼女が、そんなことすら考えずに(門下生まで引き連れて)夜の街に繰り出したとは到底思えない。彼女の素振りに達也は、彼女が答えを用意していないのではなく、用意した答えを口に出すのを躊躇していると感じた。

 達也はしんのすけへと視線を向けて、同じ問いを繰り返す。

 

「しんのすけ。レオを襲った吸血鬼を仮に捕まえたとして、どうするつもりだ?」

「えっ? 警察に突き出すんでしょ?」

「吸血鬼に人間の法律が適用されるのか、少し気になるところだが……」

「何言ってるの、達也くん。吸血鬼だって何だって、悪いことをした奴は警察に捕まるんだゾ」

 

 胸を張って堂々と答えるしんのすけに、エリカはほんの少しだけ目を背けるように顔を伏せた。それはまるで、強烈な光に目が眩んだかのような反応だった。

 そんな彼女を、幹比古が心配そうに眉を寄せて見つめている。

 そして、或る意味そんな状況を作り出した原因である達也は、ふと携帯端末に目を遣った。

 

「残念だが、時間だな。そろそろ誰かがここにやって来てもおかしくない」

 

 達也のその一言にエリカがハッとした表情になり、幹比古がトレーサーのモニターを呼び出した。味方の捜索隊を示す光点がランダムな折れ線を描きながら接近してくるのが分かる。

 おそらく2人は、七草家を中心とした捜索隊には断りを入れていない。別にチームに加わらなかったからといって何かお咎めがあるわけではないが、それを無視する形で勝手に吸血鬼と戦闘した点についてはできれば追及されたくないところだろう。

 と、悩む素振りを見せるエリカと幹比古を横目に、達也は自身が被っていたヘルメットをエリカへと投げた。突然のことで驚きながらも、エリカはそれを危なげなく受け取る。

 

「エリカ、乗ってくか?」

「……うん、お願い」

「待って達也、僕は?」

「悪いが幹比古、定員オーバーだ」

 

 幹比古が「えっ」と目を丸くする中、エリカはタンデムシートに跳び乗って達也の腰に手を回し、達也がモーターのスイッチを入れる。

 

「幹比古も、早くここを離れた方が良いぞ。――しんのすけも、とっくにいなくなってるしな」

「えっ? ――あっ、本当だ!」

 

 つい先程まで傍にいたはずの友人が影も形も無くなっていることに気づいた幹比古を置いて、達也とエリカを乗せたバイクはその場を走り去った。

 あっという間に独りになった幹比古は、しばらくその場に呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 改めて昨日の遣り取りを思い起こした達也は、結局仮面の魔法師に関することを除いて真由美達に伝えた。つまりあの場にはしんのすけ達3人と吸血鬼以外誰もいなかったことになり、しんのすけとの問答もそれに関する部分は省かれた形となる。

 一方それを聞いた真由美達も、おそらく達也が全てを包み隠さず伝えたわけではないことには気づいているだろう。しかし2人は特にそれを追及することなく、彼の報告に「分かりました」と頷いてみせる。

 

「それで、俺は何をすれば良いのですか?」

「そうね。それじゃ今晩から私達に同行して――」

「いや、司波は独自に動いてくれ。手掛かりを掴んだら報告してほしい」

 

 自分の指示を覆す克人を見る真由美に不快感は無かったが、不審な思いはありありと浮かび上がっている。それに気づいていながら達也は「分かりました」と頭を下げ、そして2人の前から退いて部屋を出て行った。

 スパイ対策で部屋の周囲に仕掛けられたマイクから達也の足音が消えた頃、真由美が克人へと尋ねた。

 

「十文字くん、どうして達也くんに別行動させるの?」

「その方が効率的だと考えたからだ」

「今のままじゃ、千葉家の方に(くみ)するかもしれないわよ?」

「こちらが本当のことを言わなければそうなる可能性もあったが、我々が誠意を見せている間は司波もこちらを裏切りはしない。アイツは、そういう男だ」

 

 やけに自信たっぷりにそう言い切る克人に対し、真由美はどうにも懸念を拭い切れない。

 

「徹底したギブアンドテイクね……。何とも微妙な関係だわ」

「武士の忠義も元を辿れば“御恩”と“奉公”、つまりギブアンドテイクだ。条件がハッキリしている分、盲目的な服従よりも余程信頼できる」

 

 そんなものか、と真由美はそれなりに納得した様子だった。

 

 

 

 

 今日は土曜日なので、放課後といっても午後を少し過ぎたばかりだ。部屋を後にした達也は、生徒会室で待っているであろう深雪のために心持ち早足で廊下を歩いていた。

 深雪が達也を待たずに昼食を済ませる、というのは有り得ない。先に食事を済ませるよう言い含めて(命令して、の方が正確か)おけば話は別だが、今日はそれほど遅くならないと踏んで特に指示は出していない。とはいえ達也としては、妹を待たせているというだけで気が急くのであった。

 しかし廊下の向こうから或る人物が歩いてくるのを見掛けると、達也は歩くスピードを急激に緩め、正面に立ち塞がるようにライン取りを変えた。一方その人物も達也がスピードを緩める辺りでその存在に気づき、彼を出迎えるようにその足を止める。

 

「やぁリーナ、調子はどうだ?」

「ハイ、タツヤ。上々よ」

 

 ホームコメディの一幕にでもありそうな紋切り型(テンプレ)の挨拶を交わす達也とリーナだが、その表情は台詞に見合わないシリアスなものだった。

 

「ひょっとして、生徒会室に用事があったのか?」

「えぇ、そうよ。あまりにもクラブの勧誘が激しいものだから、留学中は生徒会の臨時役員になることが決まったわ。ワタシとしては不本意だけどね」

「そうだろうな。せっかくの放課後に“自分の時間”が取りづらくなるのだから」

 

 含みを持たせた達也の台詞に、リーナは自身の感情を隠そうともせずに達也を睨みつける。

 そんな彼女に達也はフッと笑みを漏らし、口を開いた。

 

「話がある。一緒に屋上まで来てもらえるか」

「あら。愛の告白でもされるのかしら?」

「悪いが、そんな冗談に付き合っていられる状況じゃない」

 

 動揺の1つも見せずキッパリとそう言い放つ達也にリーナは軽く肩を竦め、階段へと向かう彼の後ろをついて行った。

 

「達也、誰にメールをしてるの?」

「深雪だ。先に食べてるように言っておかなくてはな」

「…………」

 

 うわぁ、とでも言いたげなリーナの冷たい視線が、容赦無く達也へと突き刺さった。

 当然、達也に動揺は無かった。

 

 

 

 

 屋上はちょっとした空中庭園になっていて、お洒落なベンチに座ってお弁当を楽しむなんてこともできる。しかし真冬に吹き曝しとなったこの場所で過ごす猛者はほとんどおらず、達也とリーナが訪れたこのときも屋上に人影は1人もいなかった。

 達也にとっては強がる必要も無いほどに大したことのない寒気だが、リーナにとっては看過できないものだったらしい。彼女は携帯端末型のCADを取り出すと、2人を囲むエリアを快適な温度に保つ魔法を発動させた。

 

「さすがだな」

「別にこれくらい、何てことないもの」

 

 茶目っ気たっぷりにウィンクして答えるリーナに、達也は微笑みを携えて紳士然とした所作でベンチへと促した。

 それにリーナが応え、2人は拳1つ分ほどの間隔を空けてベンチに腰掛ける。

 そして開口一番、達也が問い掛けた。

 

「リーナ、おまえはスターズ総隊長、アンジー・シリウスだな?」

「……いくら何でも直球すぎない?」

「今更取り繕う必要も無いだろう」

 

 無駄な遣り取りは一切許さない、とでも言わんばかりの達也の態度に、リーナは大きな溜息を吐いて背もたれに体重を掛けた。

 

「アンジー・シリウスの素顔と正体を知った者がどうなるか、頭の良いあなたには今更言うことでもないでしょう?」

「そっちこそ、随分と直球で来るじゃないか。――だがリーナ、おまえに俺が殺せるか?」

「あら、嘗めた口を利いてくれるじゃない。ワタシの実力では、あなたを殺せないとでも? それともこの1ヶ月足らずの交流で、ワタシがあなたを殺せなくなるほどに情が湧いたとでも?」

 

 やたらと演技掛かった口調で不敵な笑みを浮かべるリーナに、達也は同じく不敵な笑みで彼女をまっすぐ見据えて答える。

 

「おまえが俺をどう思っているかは知らんが、少なくとも俺としんのすけはこの1年足らずで“友人”と呼んで差し支えない関係を築いている。――そんな人間に危害を加えたとして、しんのすけの“主人公補正”がおまえに対してどう動くだろうな?」

「――――!」

 

 ギリッと奥歯が鳴りそうなほどに、リーナが悔しそうに口元を歪めた。

 

「……あなた、やっぱり知ってるのね。彼が何者なのか」

「全部知っている、というわけではないがな」

 

 軽く肩を竦めるジェスチャーをして、達也は話を続ける。

 

「とはいえ、俺ばかり有利というわけではない。どうやらしんのすけはおまえと旧知の仲らしく、それ故におまえのことを好ましく思っていると考えると、同じ理由で俺の方からもリーナに危害を加えることができない状況だ」

「だから仲良くお手て繋いで協力しよう、とでも言いたいの?」

「つまらない意地を張っている場合じゃない、というのはおまえだって分かってるはずだ。――吸血鬼の正体がしんのすけと因縁のある奴らである可能性が出てきた今となっては、な」

「…………」

 

 リーナは今にも頭をガシガシと乱暴に掻きそうな態度で苛立ちを露わにし、しかし大きく何回も深呼吸することでそれを抑えた。

 そうして気分を落ち着かせてから、リーナは話し始めた。

 

「……ワタシ達が追っている吸血鬼は、元々USNA軍から脱走した魔法師なの」

「事件の規模からして、単独ではないんだろう? 国で厳重に管理されている軍属の魔法師が一斉に脱走するほど、パラサイトの影響力が強いということか?」

「……本当に、何なのあなた? そこまで知ってるなんて、まさか日本の高校生はみんなこうだって言うんじゃないでしょうね?」

「安心しろ、俺は色んな意味で“例外”だ」

 

 “特別”とは表現しない辺りに達也の屈折した心情が窺えるが、今のリーナにそれを理解する余裕は無かった。

 

「しんのすけに対して妙な反応を見せたという吸血鬼も、USNA軍の魔法師なのか?」

「……いいえ、あんな男はワタシ達のデータには無かった。もしかしたら、ワタシ達が処断した吸血鬼から乗り移ったのかもしれないわね……」

「レオを襲った吸血鬼は、レオを自分の眷属にするつもりだったらしい。実際にそれらしき魔法も受けたそうだ。だとすると、奴らには新たな吸血鬼を生み出す能力があるのだろう」

「それって、放っておくと吸血鬼はどんどん増殖するってこと? ふざけんじゃないわよ……」

 

 可憐な外見に似合わない悪態を吐くリーナだが、達也もまさしく同じ気分だった。

 とはいえ、達也の優秀な頭脳は分析を止めなかった。

 

「いずれにしても、吸血鬼化したその男が偶然しんのすけと因縁のある者だった、というのか? その割には、しんのすけは面識の無い様子だったが……」

「……シンちゃんと面識があるのが、パラサイトの方だとしたら?」

 

 リーナが口にしたその仮説は、達也が思わず目を丸くするほどの驚愕をもたらした。

 

「パラサイトというのは、自我を認識できるほどに強い意思が備わっているものなのか?」

「いいえ、本来はパラサイトそのものに明確な意思は無くて、あくまで取り憑いた宿主の意思を変質させるとされているわ。でもワタシ達が戦った別の吸血鬼は、明確に自分と宿主の区別をつけていた。――今は便宜上“パラサイト”と呼んでいるけど、もしかしたらそれとはまったく異なる存在なのかもしれないわ」

 

 そしてそんな存在が、しんのすけと過去に因縁のある奴らである可能性がある。

 何とも厄介な話だ、と達也は溜息を吐かずにはいられなかった。

 するとそれを見たリーナが、なぜか得意気な表情で口を開いた。

 

「そんな奴らとシンちゃんが関係しているなんて、もしかして信じられない? 彼について色々と教わってきたワタシからのアドバイスとしては、たとえどれだけ信じられないことだったとしても、シンちゃんが関わっているのであればそれが“真実”だと仮定して動くべきよ」

「別に信じていないわけじゃないし、確かにそう考えるべきかもしれないとは思っているさ」

「そうかしら? ワタシの目には、あなたはまだ心のどこかで『さすがにこれは有り得ないだろう』という一線を引いているように思えるわ」

「別にそんなつもりは無いが」

「そう? だったら――」

 

 リーナはそこで言葉を区切り、達也へと身を乗り出してこう問い掛けた。

 

 

「『ワタシとあなたは過去に出会っている』と言われて、あなたは素直にそれを信じられる?」

 

 

「――リーナ、それはどういう意味だ?」

「そこでそういう問い掛けをしている時点で、あなたはまだまだということよ」

 

 当然の質問をする達也に対し、リーナは勝ち誇ったような表情を浮かべてベンチから腰を浮かせて立ち上がった。

 そして、まるで踊っているかのような軽やかなステップで達也へと振り返る。

 

「状況が状況なのは分かるけど、だからってワタシはあなたと馴れ合うつもりは無いわ」

「分かっているさ。所詮俺達は、住む世界が違うからな」

「……バッカじゃないの」

 

 敢えて古臭いロマンス小説の別れのシーンにでも使われそうな台詞を選んだ達也に、リーナは呆れを多分に含んでそう吐き捨てた。しかしその表情には今までの緊張感は無く、素の笑顔が自然と漏れ出たような柔らかな雰囲気が醸し出されている。

 そうしてリーナが屋上を後にしてからも、達也はしばらくそのベンチに座ったままだった。


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