嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第82話「吸血鬼がやって来たゾ」

 ここ最近、それこそ毎日のように吸血鬼との戦闘が街中で繰り広げていたが、この土日はそれとは打って変わって穏やかなものだった。しかしそれは街に平和が戻ったわけではなく、むしろ相手が警戒して動きを巧妙化させたことの裏返しとも見られる。

 そうした状況はリーナにとっても焦りを抱くものではあったが、彼女が現在請け負っている任務は吸血鬼関連だけではない。優先度は低くなったとはいえ“灼熱のハロウィン”で暗躍した戦略級魔法師の特定も任務の1つである以上、たとえ心の中はどうであれ学校にはちゃんと行かなければならない。

 パジャマ姿のままダイニングのテーブルに着いたリーナの前に、シルヴィアが作った蜂蜜入りホットミルクが置かれた。リーナはおぼつかない手つきで少しずつそれを口にし、カップの中身を飲み干してホウと息を吐いた頃にようやく意識を覚醒させた。

 

「ごちそうさまでした。――本部からの指示はありませんか?」

「今のところは、まだ何も。どうやら本部でも意見が割れているようですね」

「そうですか……」

 

 フワフワした厚手のパジャマにブラシも当てていない頭ではあるが、顔を伏せて物思いに耽るその姿は間違いなくスターズ総隊長のそれだった。そうでなくても、こんなだらしない格好でありながら見苦しくならないのだから“絶世の美少女”というのはお得である。

 

 金曜日の吸血鬼との戦闘後にリーナが齎した『吸血鬼に取り憑いたモノの正体が過去に野原しんのすけと対立した者達である可能性が浮上した』という情報のせいで、現在作戦本部は上を下への大騒ぎとなっていた。彼の近辺で活動するだけでも神経を使うというのに、それどころか自分達が“渦中”のど真ん中にいたとなればそんな反応も当然かもしれない。

 現在本部では今後の対応について議論されているが、シルヴィアの言った通り意見が割れていた。本格的に野原しんのすけとの協力体制を築くべきだとする者、下手に突いて事態を悪化させないよう現状維持すべきだとする者、むしろ被害がこちらに及ぶ前に任務を中止すべきだとする者、いっそ彼に全てを任せて静観すべきだとする者、など様々な意見が平行線を辿っているようだ。

 この土日がリーナにとって穏やかだったのは吸血鬼と遭遇しなかったからなのだが、方針が決定するまでの間そもそも街中での捜索自体を休止するよう言われていたからだった。おかげでリーナはゆっくりと体を休めることができたが、精神的な疲労はむしろ増したように思える。

 

「我々の方もですが、別動隊もまだ特筆すべき成果は挙がっていないようです」

「そういえば、ここ最近ミアの姿を見ませんね」

「ここ数日、真夜中過ぎまで走り回っているみたいですよ。どうやら、機器を卸している大学の担当者に気に入られたみたいで」

「セールス・エンジニアはあくまで偽装なんですが……」

 

 口では苦言を呈している風のリーナだが、その口元には笑みが浮かんでいた。勤勉である同僚が思わぬ形で評価されている状況に、シルヴィアも思わずクスリと笑みを漏らす。

 

「そういえば、今日ミアが第一高校に行くそうですよ。CAD調整用測定器の納入に同行するようです。――お昼からの予定らしいですし、ランチタイムにでも会ってみたらどうですか?」

「えっ?」

 

 シルヴィアからの提案に、リーナの表情がピシリと固まった。スターズの総隊長でありながら高校生をやっている自分を見られたくないという、或る意味授業参観に挑む子供のような心理の彼女だが、本人は学生経験がほとんど無いためにそれに気づかなかった。

 未知なる感情に戸惑うリーナを見つめるシルヴィアの表情は、まさしく愛娘を見守る母親のようだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 先週までとは違い始業開始まで余裕のある時間に教室にやって来たエリカと幹比古だが、先に来ていた達也と普通に談笑する幹比古に対し、エリカは彼を一瞬見遣るのみで、それこそ先週までと同じように机に突っ伏してしまった。空き時間の度にそうするものだから、エリカと達也は昼休みまで一度も会話を交わさない状態となっている。

 おそらく何かあったのだろうと察した美月は、エリカを手近な空き教室へと連れ込んだ。午後からのカリキュラムには体を動かす内容のものは無いし、1食くらい抜いても大丈夫だと半ば自分に言い聞かせて。

 

「……ねぇエリカちゃん、達也さんと喧嘩でもしてるの?」

 

 美月がそう問い掛けた瞬間、分かりやすいくらいにエリカの肩が震えた。

 

「な、何を言ってるの美月は! 喧嘩なんかしてないって!」

「そんなに慌てなくても、エリカちゃんが達也さんに何かしたとは思ってないよ。エリカちゃんが何かしたところで、達也さんなら笑って流しそうな気がするし」

「……喧嘩じゃないのよ、何というかアタシが一方的に気まずく思ってるだけ。それに達也くんが原因ってわけでもないから、達也くんからしたら完全にとばっちりなのは分かってるの」

「つまり原因は、しんちゃんってこと?」

 

 美月の何気ない言葉に、エリカはまるでミュータントでも見るかのような目を美月に向けた。

 

「……えっ、なんでそう思ったの?」

「だって幹比古くんやレオくん相手ならそこまで引きずるほど悩まないし、深雪さんやほのかさんとはそもそも喧嘩しないでしょ?」

「……あははっ、よく分かってるじゃない、美月」

 

 芝居染みた台詞回しでむりやり笑みを浮かべて、エリカは朝来たときのように机に突っ伏した。

 もちろん眠るためではなく、自分の顔を美月に見られたくないからである。

 

「アタシが気まずく思ってるのはしんちゃんが理由だけど、別にしんちゃんは何も悪くないの。悪いのは完全にアタシ、しんちゃんはむしろ巻き込まれた被害者って言った方が良いのかな」

 

 ぽつぽつと話し始めるエリカを、美月は黙って見つめていた。

 

「しんちゃんがレオのお見舞いに来たとき、しんちゃんが吸血鬼を探したがってるのを知って『一緒に探さない?』て誘ったの。1人で探すよりも効率的でしょ、なんて理由をつけて。……でもそのとき、しんちゃんはリーナと連絡を取りたがってたの」

「リーナさんと?」

「多分そのまま放っておいたら、しんちゃんはリーナと一緒に吸血鬼を捜索していたと思う。ほら、しんちゃんとリーナって昔からの知り合いみたいじゃん? なぜかリーナはそれを憶えてなかったみたいだけど。多分しんちゃんの中では、リーナと一緒なら吸血鬼を見つけられるって信頼があったんだと思う」

 

 机に突っ伏した姿勢のまま、エリカはガシガシと乱暴に頭を掻いた。

 

「それを知ってさ、何か胸の中がモヤモヤした感じになったの。しんちゃんと知り合って1年も経ってないけど、しんちゃんはアタシ達のことを仲間として信頼していると思ってたから」

「別にしんちゃんは――」

「分かってる、これが単なる被害妄想だってことも。……それでも、一番にアタシ達を頼ってほしかった。しんちゃんを誘ったのも、今にして考えればリーナと一緒にさせたくないっていう思いがあったからかもしれない。――あ~あ、自分がこんなつまらない嫉妬をするような女だとは思わなかったわ」

 

 そう言って体を起こしたエリカの顔は、むしろ先程よりもサバサバしたものだった。

 美月は若干迷いを見せながらも、尋ねることにした。

 

「それで、どうして達也さんに気まずい思いをすることになったの?」

「……アタシとしんちゃんが一緒に吸血鬼を捜索してるって達也くんが知ったとき、直接は言われなかったけど達也くんに責められたの」

「責められたって、リーナさんと一緒に捜索するのを妨害したことを?」

「妨害って……まぁ、確かにその通りなんだけど……。そっちじゃなくて、アタシがしんちゃんと一緒に吸血鬼捜索をしてること自体を」

「えっ? なんで?」

 

 特に問題点が思い浮かばなかった美月の率直な質問に、エリカはバツが悪そうに視線を逸らしながら口を開いた。

 

「アタシとしんちゃんでは、“目的”が違うの」

「目的? 吸血鬼を捕まえることなんじゃないの?」

「捕まえた後のことよ。しんちゃんは単純に吸血鬼を捕まえて罪を償わせることが目的だったけど、アタシはレオを襲った吸血鬼に“報復”することが目的だった」

「報復……ってことは……」

 

 顔を強張らせて尋ねる美月に、エリカはコクリと小さく頷いた。

 

「正直それって、一緒にチームを組むには致命的でしょ? 正直自分でもよく分かんなくなっちゃってさ、土日の吸血鬼捜索は中止することにしたの。『警察や七草先輩達が捜索してるから大人しく待っていよう』なんてテキトーに言い訳を並べて。……自分から誘ったくせにね」

 

 エリカはそう言って、両手で顔を覆い隠してしまった。指の隙間から、紅く染まった肌が見え隠れしている。

 

「本当、自分でも最低だって思う。すっごく恥ずかしいし、自分勝手な理由で振り回されたしんちゃんに申し訳が立たないわ」

「……ねぇ、エリカちゃん」

 

 美月が問い掛けてもエリカの反応は無かったが、それでも美月は言葉を続けた。

 

「しんちゃんと一緒に吸血鬼を探してたとき、しんちゃんは迷惑そうにしてたの?」

「……いや、むしろ夜の街を歩くのを楽しんでた気すらしてる」

「しんちゃんに吸血鬼捜索を止めようって言ったとき、しんちゃんはどんな反応だったの? 自分から誘っておいて勝手だ、って怒ってた?」

「……全然、『エリカちゃんがそう言うならそうするゾ』って感じ」

「なんだ、エリカちゃんだってしんちゃんから信頼されてるじゃない」

 

 美月の言葉に、エリカは顔を覆っていた指を僅かに開き、その隙間から弱々しい目を覗かせた。

 そんなエリカに向かって美月は手を伸ばし、彼女の顔を覆うその両手を取って下げさせた。

 

「多分しんちゃん本人は、エリカちゃんに何かされたとすら考えてないと思うよ。たとえ何をされようと自分のやりたいことをやるのがしんちゃんなんだから、そんなしんちゃんを振り回したとか言って自己嫌悪しても意味無いと思う」

「…………」

「しんちゃんが本当にリーナさんと一緒に行動しようと思ったら、エリカちゃんに誘われてもそれを断ったんじゃない? エリカちゃんがどう思おうと、しんちゃんがエリカちゃんの誘いに乗った以上、それはしんちゃんが自分の意思でエリカちゃんと一緒に行動しようと決めたからだよ」

 

 最初は伏し目がちだったエリカの表情も、美月が言葉を重ねる内に力を取り戻していった。

 しかしそれも、普段の半分ほどにまでなったところでピタリと止まる。

 

「……それってさ、しんちゃんに甘えてることにならない?」

「友達なんだから、少しくらい甘えたって仕方ないよ。何となく感じてたけど、エリカちゃんってしんちゃんのことを弟みたいに思ってる節があるよね」

「あぁ、それはあるかも。普段の言動が言動だしねぇ」

 

 複雑な事情を抱えるエリカだが、それを抜きにして考えれば自分が家の中で最も年下だ。だから幼い言動の多いしんのすけに対して、自分の中に燻っていた世話焼き精神が働いてしまうのかもしれない。

 成程、何となく彼を気に掛けてしまうのはそういう感情からか、とエリカが新たな発見とばかりに自己分析をしていたそのとき、

 

「あっ、やっぱり何も持ってない」

 

 独り言のようにそんなことを言いながら、幹比古が部屋の中に入ってきた。その手にはビニール袋が握られており、エリカ達がそれを問い掛けるよりも早く彼が中身を取り出した。

 

「はい、エリカはニンジンツナポテト、柴田さんは卵サンドだったよね?」

「わざわざサンドイッチを持ってきてくれたんですか? ありがとうございます」

「へぇ、ミキ、気が利くじゃない」

「どういたしまして、と言いたいところだけど、これは達也からの差し入れだよ。自分は避けられているようだから、代わりに持っていってくれってさ」

 

 思わぬタイミングで飛び出したその名前に、エリカと美月は互いに顔を見合わせた。

 

「……とりあえず、変な気を遣わせた達也くんには後で謝っておこう」

「うん、それが良いね」

 

 2人でそんな会話を交わし、自分のサンドイッチを取り出した幹比古と共に遅めの昼食を摂ることにした。

 

 

 *         *         *

 

 

 CAD調整用測定器の納入作業のために第一高校の業者用通用門を通る、マクシミリアン・デバイスの小型トレーラー。

 それに乗る作業員の1人が、ちょうど敷地を跨いだタイミングで、誰にも気づかれない程度にほんの僅かだが体を震わせた。

 

 ――今、何かが揺らいだような感覚がありませんでした?

 ――やっぱり魔法科高校だけあって、結界くらいは仕掛けていたようね。

 ――えっ!? それって大丈夫なんですか!?

 ――あなた達でいう霊子(プシオン)が揺らいだだけだから気づける人間の方が稀だし、傍目にはほとんど人間と区別がつかないから大丈夫……のはず。

 ――な、何だか不安なんですけど……。

 ――どこかのタイミングで危ない橋は渡らなきゃいけないし、誰が介入してくるか分からない街中よりは学校の方がまだ対処しようがあるわ。

 ――いっそのこと、それに気づいて“彼”が来てくれれば良いんですけど……。

 ――そう都合良く行くかしらね?

 

 一切空気を震わせない会話を交わしながら、その作業員はトレーラーに揺られて敷地の中へと入り込んでいった。

 

 

 *         *         *

 

 

 一方その頃、A組のクラスメイト(深雪は不在だ)と一緒に食事をしていたリーナは、この後の予定について考えを巡らせていた。昼休み終了まではまだ30分はあり、普段ならば友人達と食後のお茶を楽しむか、生徒会の臨時役員として顔を出したりする。

 しかし今日に限っては、もう1つの選択肢が存在する。

 

 ――やっぱりミアに会った方が良いかしら……?

 

 ミカエラ・ホンゴウとは隣人であると同時に、『日本の隠された戦略級魔法師を暴き出す』という共通のミッションを持つ同僚でもある。そんな彼女が第一高校にやって来るとなれば、情報交換という意味でも良い機会と言えるだろう。

 とはいえ、彼女はマクシミリアン・デバイスのセールス・エンジニアとしてやって来る。そんな彼女に、現在は一介の高校生でしかない自分が正面切って会いに行くのは不自然かもしれない。

 やはりここは動かずにいた方が良いだろう。後で連絡などいくらでも取れるのだから――

 

 ――って、まるでワタシがミアに会いたくないみたいじゃないですか。

 

 今まで抱えたことのない感情を持て余していることを自覚したリーナは、この感情を消し去ることも兼ねて彼女に会いに行くことを決めた。ちなみにリーナがこのように考え事をしている間も、友人から話を振られれば即座に相槌を返すことができる。潜入捜査については素人である彼女だが、この程度のことなら簡単にできた。

 やがて最後の料理を食べ終えて、テキトーな理由をつけて席を立とうとした、

 その直後、

 

「――――!」

 

 リーナは反射的に立ち上がりかけ、腰を少し浮かせたところで思い留まった。同席しているクラスメイトには座り直したように見えたらしく、幸いにも不信感を抱かれた様子は無い。

 当たり障りの無い愛想笑いを浮かべながら、リーナは胸の内の焦燥感を抑えながら辺りを見渡した。周りの生徒達に変わった様子が無いのは、おそらくそれが魔法的なもの――つまり想子(サイオン)の波動ではなかったからだろう。

 しかしリーナにとって先程一瞬だけ感じ取った異質な波動は、ここ数日間ですっかりお馴染みとなった感覚だった。

 

 この波動は、吸血鬼のものだ。

 

 その発生源がかなり近くだったことは驚きだったが、そのおかげで方角も大雑把にだが見当がついた。実験棟の裏手に位置する、普段生徒が使用することのない、業者が出入りするときに使われる資材搬入口だ。

 

  ――そうだ、ミアが危ない!

 

「すみません。少し用事を思い出したので、お先に失礼させていただきますね」

 

 丁寧な断りに完璧な笑顔を添えて、リーナは席を立ってその場を去っていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 エリカ・美月・幹比古の3人が、揃ってサンドイッチにかぶりつこうとした、

 まさにそのとき、

 

「痛っ――!」

 

 美月が突然悲鳴をあげ、顔をしかめて両目をきつく閉じた。その拍子に彼女の手から零れ落ちたサンドイッチを、エリカが見事な反射神経で器用に掴み取る。

 眼鏡を外して両手で目を押さえる美月に、幹比古は咄嗟に呪符を取り出して霊的波動をカットする結界を張った。CADの携帯を禁止する校則の穴を突いた形であるが、今はそれが功を奏した。

 眼鏡を掛け直した美月が落ち着きを取り戻したのを確認した幹比古が外に意識を向け、想子(サイオン)よりも更に根源的な霊子(プシオン)の波動に気がついた。

 

「これは、“魔”の気配……!?」

「まさか、吸血鬼が学校に来たってこと!? 良い度胸じゃない!」

「待ってエリカ、まずは得物を取りに行こう。僕も呪符だけじゃ心許ない」

「分かった! 美月は教室で待ってて!」

 

 そう言い残して部屋を出ていこうとするエリカに、美月が「待って!」と呼び掛けた。

 

「私も行く。その方が良い気がするの。理由は……分からないけど」

 

 美月の言葉に応えたのは、直接言われたエリカではなく、隣でそれを聞いていた幹比古だった。

 

「分かった。1人のときに襲われるより一緒にいた方が対処しやすいし、それに柴田さんの眼はきっと役に立つ」

「……だったらミキ、アンタが責任持って美月を守りなさいよ」

 

 問答する時間も惜しいとばかりに、エリカはそう言って今度こそCADを預けている事務室へと走り出した。

 それから少し遅れて、幹比古と美月もその後に続いた。

 その際に2人の手が握られていたのは、彼女を置いてけぼりにしないように配慮した結果であり、断じて自分の感情を優先させたわけではない、と幹比古は誰にともなくそんな言い訳を心の中で並べていた。

 

 

 

 

「緊急事態です! CADの返却をお願いします!」

 

 事務室のカウンターに駆け込むや否や、エリカが叫ぶように中の職員へと呼び掛けた。若い女性であるその職員はその迫力に一瞬気圧されそうになるが、すぐさま平静を取り戻すと、

 

「まだ規定の時間ではないので、返却はできません」

「緊急事態だって言ってるでしょ! 春にテロリストが襲撃したときは返却されたじゃない!」

「あれは緊急事態だと認められたからです。今は異変を確認することはできませんので、CADは返却できません」

 

 職員の返事にエリカは声を荒らげそうになるが、ここでふと思い出した。高校の事務員というのは基本的に、広域行政区庁(昔でいう都道府県庁)の職員が務めている。それは魔法科高校でも基本的に変わらず、なので魔法的な感覚に対して鈍感な、つまり一般の人々が事務員となるケースがほとんどだ。

 なのでテロリストが襲撃するような分かりやすい異変はまだしも、今回のようなケースに対応することができないのである。仮にも国の未来を担う魔法師の子供を預かる機関として如何なものか、と思わないでもないが、今回のような異変に気づけるような“優秀な人材”ならば、学校の事務員よりもむしろ教師として採用されるだろう。二科生に教師を充てられないほどに、魔法師の数には余裕が無いのだから。

 さてどうするか、とエリカが頭を巡らせ始めたそのとき、

 

「おまえ達、どうしてここに? おまえ達も司波から聞いたのか?」

 

 普通の人間の何倍もの濃密な存在感にエリカが振り返ると、そこには跳ね返りである彼女でさえも一目置かざるを得ない克人の姿があった。彼のすぐ後ろには、どうやら今追いついたらしい幹比古と美月も見える。

 思わずエリカが身を引き、空いたスペースに克人が滑り込んだ。カウンターに手を置いて身を乗り出す彼に、女性職員が息を呑んで圧倒されている。

 

「緊急事態につき、CADを返却願います」

「し、しかし、今はまだ規定の時間では――」

「緊急事態です」

 

 エリカ達と同じ台詞で拒否しようとした職員を、克人はその一言で黙らせた。

 

「事は一刻を争います。放置すれば、重大な結果を招く恐れがあります。――CADの返却を」

「……は、はい」

「この3人は、俺のアシスタントです。3人のCADも返却願います」

「はい!」

 

 いい大人であるはずの職員が高校生に気圧されるという光景だが、よほど肝の据わった人物でなければ彼のプレッシャーをはね除けるなんて真似はできないだろう。

 自分には真似できない問題解決の方法に、エリカは思わず感心していた。

 

 

 *         *         *

 

 

 屋上庭園で昼食を摂っていた達也がそれに気づいたのは、魔法的な感覚に優れた深雪が違和感を覚えたからだった。学校を囲む対抗術式に何かが引っ掛かったのだとすぐに思い至った達也は、真由美に電話を入れたうえで飛行デバイスで屋上から一気に現場へと向かい、深雪も当然の如くその後に続いた。

 ちなみにその場にはほのかもいたのだが、飛行デバイスを持っていなかった彼女は屋上に置き去りにされてしまった。

 

 とはいえ、何も起きていない状況でいきなり空から舞い降りるような真似はできない。実験棟の陰に下り立った2人はそのまま空き教室に隠れ、資材搬入口に横付けされたトレーラーと、荷物の積み下ろし作業をしている6人の作業員を見張っていた。

 警備の術式に引っ掛かった時点で監視はついているだろうが、正規の手続きを経て入ってきたマクシミリアンの社員を相手に正当な理由も無く無茶はできない。それに監視がある状態で不用意に戦闘を開始し、機密指定術式の行使を余儀なくされでもしたら、揉消しと口封じにどれだけ手間が掛かるか想像しただけで憂鬱だ。

 

「リーナ?」

 

 達也の隣で、ふいに深雪が声をあげた。

 リーナがトレーラーに近づいてきているのは、深雪が声をあげる前から気づいていた。標的に忍び寄るという感じではなく、かといって周りへの注意も充分とはいえない。現に彼女は、こちらの視線にも気づいていない様子だ。

 様子を見守っていると、その中では唯一の女性である1人の作業員がリーナの存在に気づき、彼女へと歩み寄っていった。

 そして、それを見たリーナの唇が「ミア」と動いた。どうやらこの女性はUSNA軍が送り込んだスパイのようだな、と達也は推測する。

 

 と、その女性が突然自分の顔辺りを手で払う仕草を見せた。

 自分の顔にまとわりつく虫を追い払おうとしている、と考えれば自然なように思えるが、今は冬であり、今日の気温はそれに相応しいくらいに冷え込んでいる。そんな気候で屋外を羽虫の類が飛んでいるとは思えない。

 そう考えながら、達也は“精霊の眼”(エレメンタル・サイト)を発動させた。拡張された視力が、常人の目には見えない物を捉える。

 その女性の顔に纏わりついているのは、多数の“精霊”だった。

 達也は、確信した。 

 

「アイツが、吸血鬼か」




「ねぇ森口くん、一高じゃない人が一高に入るときってどこから来ると思う?」
「僕の名前は森崎だ! ――何だ、藪から棒に。普通なら正門だが、荷物の積み下ろしとかある業者なら裏手の資材搬入口とかじゃないか?」
「おぉっ、その手がありましたかぁ。サンキュー」

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