達也と深雪が実験棟の空き教室からリーナ達を監視していたのと同時、それとは別のアングルから幹比古・エリカ・美月・克人のグループも、普通の魔法師には見えず感触すら覚えない精霊を振り払う技術者然とした女性の姿を目撃していた。
呪符を片手にその精霊を操っている幹比古が、後ろを振り返って口を開く。
「彼女です、間違いありません」
「リーナの奴、グルだったのね……」
返ってきたリアクションは、三者三様だった。エリカは小太刀の状態に展開した武装デバイスを握り締めながら怒気を孕む声で吐き捨て、美月は初めてその目で見る怪異に恐怖を隠せぬ様子で体を縮こまらせ、克人は彼の報告に無言で頷いた。
幹比古は手に持っていた呪符を胸ポケットにしまい、別の呪符を6枚取り出す。
「視覚と聴覚を遮る結界を張ります。機械は誤魔化せませんが……」
「そちらは俺が何とかしよう」
「分かりました。――エリカ、まだだよ」
「分かってるって」
気が逸ってはいても冷静さは失っていないエリカに、幹比古は頷いて手にした呪符を投げた。6枚の短冊が見えない羽根を備えているかのように地面スレスレを滑空していく。
そしてそれらが、トレーラーごと彼女達を取り囲む六角形のエリアの頂点に着地した。
「――いきます」
幹比古の両手が印を切り、現代魔法とは術式の異なる知覚阻害の領域魔法が発動した。
「どうしたんですか、ミア?」
「……いえ、何でもありません」
虫を追い払うように手を振るミカエラにリーナが訝しげに首を傾げて尋ねると、彼女は即座にその動きを中断してそう答えた。声色だけなら本当に大したことのないことだと思えるが、そう口にする彼女の表情には明らかに動揺が走っている。
リーナにはその動揺が、それこそ致命的な失策を犯したとミカエラが思っているように感じた。はたしてその失策とは何なのか確かめたい衝動に駆られるリーナだが、そもそもここに来た目的を思い出してそれを止めた。
とにかく今は、彼女を“吸血鬼”の脅威から少しでも遠ざけなければ。
その想いを胸に、リーナは1歩彼女へと近づき、
「――何これ、囲まれた!?」
認識阻害の領域魔法が自分達を取り囲んで発生したことで、リーナの意識はそちらに奪われた。
咄嗟に周りを見渡してみても、その光景に何かしらの変化は確認できない。つまりこれは自分達の認識を歪ませるものではなく、周囲の人間が自分達への認識を歪ませるものだとリーナは瞬時に判断した。そしてその目的が、自分達への襲撃を周囲に、あるいは学校側に悟られないようにするためだ、ということも容易に想像がつく。
まさか“吸血鬼”が自分達に仕掛けてきたのか、とリーナが頭を巡らせていると、
「――――!」
その回避動作は、完全に直観頼りのものだった。咄嗟にミカエラを突き飛ばし、その反動で自分も後退する。
そうしてミカエラから離れた次の瞬間、リーナの眼前を白刃が閃いていた。
リーナは地面に転がり砂だらけになりながらも、内ポケットから旧式の情報端末を取り出した。側面のスライドスイッチを滑らせると端末が前後に割れ、板状の汎用型CADがその中から表れる。
それを片手に立ち上がりながら、彼女は突然この場に現れた襲撃者を睨みつけた。
「何をするの、――エリカ!」
リーナの叫ぶような問い掛けにもエリカは耳を貸さず、ついでに彼女には目もくれず、リーナに突き飛ばされて倒れたままとなっているミカエラへと片手突きの体勢に引き絞った小太刀の先端を向けた。
リーナは舌打ちしながら魔法式を構築、その標的をエリカの足元に設定した。
しかしその魔法は、発動するよりも前に突如エリカを覆った対魔法障壁、というよりも事象干渉力の塊に塗り潰されたために不発に終わった。
「カツト・ジュウモンジ!?」
巌のような巨体に圧倒的な存在感を有する十師族当主代理・克人の登場に、リーナは思わず声をあげて呆気に取られていた。日本にやって来る直前の調査でも要注意とされていた人物の思わぬ乱入に、正規の軍人といえどもティーンエイジャーでしかないリーナが激しい動揺に襲われる。
そしてその動揺の隙に、エリカは最後の1歩を詰めていた。
「ミア!」
仲間の身を案じたリーナが悲鳴にも似た声をあげるが、すぐにそれは驚愕の叫びに取って変わられた。
エリカの小太刀を、ミカエラはCADも使わずに素手で受け止めていた。
いや、よく見るとその掌には小規模の防壁魔法が展開されていた。しかしCADを使っていないことには変わりなく、国防総省所属の魔法研究者でしかない彼女が手練れの魔法師相手にこれほど的確な防御魔法を展開できるとは思えない。
「どういうことなの、ミア……?」
「どういうこと? そんなの決まってるでしょ」
無意識の内に呟かれたリーナの問いに答えたのは、ミカエラ本人ではなくエリカだった。
その目はまっすぐミカエラに向けられ、先程防がれた小太刀を隙無く構えている。
「アンタのお仲間であるあの女こそが、例の“吸血鬼”の1匹だってことよ」
「――まさか、ミアが吸血鬼だなんて!」
リーナにとってミカエラはあくまでチームメイトであり、隣の部屋に住んで時々お茶を飲んだりお喋りをする程度の間柄でしかなかった。それでも自分と共にミッションに参加していたメンバーが吸血鬼となっていたというのはショックが大きく、リーナはすぐさまそれを信じることができなかった。
しかし無実を信じるリーナの視線に対し、ミカエラ本人は即座にそれを否定しなかった。それどころかその視線から逃れるように顔を逸らし、悔恨を表すかのように口元を引き結んでいる。
「そんな……」
ミカエラの反応からそれが事実と認めざるを得ず、リーナは思わず声を漏らしていた。
「あれは、吉田くんの結界ですか?」
「おそらくな。大した腕だ」
実験棟の空き教室から様子を窺っていた司波兄弟の目には、大型トレーラーと作業員達、そしてその1人に近づくリーナが何の前触れも無く姿を掻き消したように見えていた。高校1年生にしてこれほどの規模と強度を持つ認識阻害の陣を構築できるほどの逸材は、たとえ一科生の中でもそうそういない。二科生として入学した幹比古の急成長ぶりに、深雪は驚きを隠せない様子だった。
一方達也はそれを眺めながら、効果が視覚と聴覚の遮断であること、実体の移動を阻害する効果は無いことを突き止める。事前の打ち合わせが無いことに不安はあったが、せっかくのお膳立てを無駄にするのは勿体ない、と達也は繋ぎっ放しの音声通話をサスペンドから復帰させた。
「七草先輩、司波です」
『どうしたの?』
「実験棟資材搬入口付近に吸血鬼が出現しました。周辺の監視装置のレコーダーをオフにしてください」
何とも無茶な要求を顔色1つ変えずに言ってのける達也に、目に見えない通話口の向こう側から呆れるような雰囲気が伝わってきた。
しかし達也としては、それほど無理な頼みではないと思っている。確かに街中ならば七草家令嬢といえども無理な話だが、校内ならば或る意味好き放題やってきた彼女には可能なはずだと踏んでのことだ。
『……はい、切ったわよ』
現に真由美は(若干不服そうではありながらも)達也の要求に応えた。達也は「ありがとうございます」と簡潔に礼を述べると、彼女の返事も待たずに通話を切った。
深雪に視線を向けると、通話の様子を見守っていたらしい彼女と目が合った。
そのまま無言で頷き合い、空き教室の窓から飛び出していく。
「行くぞ、深雪」
「はい、お兄様」
「2人共、どこ行くの?」
突如後ろから聞こえてきた第三の声に、2人は驚きの表情と共に振り返った。
この場の緊迫感には似つかわしくない呑気な表情のしんのすけが、右手を軽く挙げて「よっ」と2人に挨拶をした。
「それで、吸血鬼さん? どうして魔法科高校にやって来たのかしら? わざわざ業者のフリまでしてさ」
隙無く小太刀を構えながら、エリカがミカエラに問い掛けた。もし彼女がレオを襲った犯人ならば今すぐにでも切り捨てていただろうが、彼女の風貌からしてレオを襲ったのはおそらく別人であり、ならば情報収集を優先するべきだと判断したのかもしれない。ちなみに克人もそう判断したのか、口を挟まずエリカの行動を静観している。
一方リーナは、未だに判断を決めかねていた。たとえ仲間だろうと吸血鬼になったのならば処断するのがスターズ総隊長としての役割だが、ミカエラが自分達に襲い掛かる様子を見せていないことから『今ならばまだ引き返せるのではないか』という淡い希望を抱いている状態だ。
そうして3人分(実際にはもっといるのだが)の視線を一身に受けるミカエラだが、エリカの質問には答えずだんまりを決め込んでいた。しかしそれは無視しているのではなく、リーナへ視線を向けては口を開くべきか迷っているといった感じだ。
「ミア、あなたの処遇にも関わることです、正直に話してください」
そうしてリーナが助け舟を出すと、やがて恐る恐るといった感じにミカエラが口を開いた。
「……私は確かに、現在世間を騒がせている“吸血鬼”と同じ存在です。ですが信じてください、私は今まで誰1人として殺していませんし、危害を加えることもしていません」
「そんなこと言われて『はいそうですか』って素直に信じられると思ってるの? そんなことは後でいくらでも調査できるんだから、今はアタシの質問に答えなさい」
「……分かりました。私がここに来たのは、この学校に通う“とある人物”に会うためです」
「とある人物? リーナのことじゃないわよね?」
エリカがそう口にしながらリーナへと視線を向けるが、リーナは彼女へと視線を返して首を横に振った。
「じゃあ誰なのよ」
「えっと、それは……」
「まさかと思うけど、この期に及んで黙秘権とか存在すると思ってんの?」
「うぅ……」
今にも頭を抱えて蹲りそうな雰囲気を醸し出すミカエラに対し、エリカは苛々を隠そうともせずに大きな溜息を吐き、リーナへと視線を向けた。
それを受けて、リーナは大きく頷くことで応えた。上司からの許可を得たこともあってか、ミカエラは俯きがちだった顔を上げてまっすぐリーナを見据えた。実際に質問しているエリカでない辺りに、彼女のエリカに対する印象が見て取れる。
そして意を決したミカエラが、声を発するために口を開いて息を吸った。
「私が会いたかったのは――」
「おぉっ、本当だ! みんなが急に現れたゾ!」
突然の乱入者に、結界の中にいた全員が咄嗟にそちらへと視線を向けた。ミカエラの一挙手一投足に注目しており、結界に近づく者への警戒はこの場にいない幹比古と美月の役目だったため、誰もその存在に気づかなかったのである。
そこにいたのは、しんのすけだった。そして彼の背後から、おそらく離れた場所で様子を窺っていたのであろう司波兄妹が付き従うように歩いている。
2人はともかく、なぜしんのすけがここにいるのか。
疑問に思ったエリカが、それを問い掛けようと口を開き――
「野原しんのすけくん! あなたにお話ししたいことがあります!」
襲撃されたことでオドオドと怯えていたミカエラが、まっすぐ彼を見据えながら突然声を張り上げてきた。今度は全員の視線が一斉にそちらへと向き、特にエリカなど右足を下げた半身の姿勢で臨戦の構えを取っている。
それだけの視線を浴びながら、尚も目つきに力の籠もるミカエラが、こう言った。
「――私の中にいる“トッペマ・マペット”さんが、あなたに会いたがっています!」
「……トッペマ?」
ポツリと零れたしんのすけの呟きは、戸惑いの色に満ちていた。
* * *
昔々ある所に、夢いっぱいのおとぎの国“ヘンダーランド”がありました。その国は魔法がとても発達していましたが、人々はけっして争い事はせず、とても平和な日々を送っていました。
しかしその平和も、どこからかやって来たドラゴンによって脆くも崩れ去ってしまいました。メモリ・ミモリ姫がドラゴンに攫われ、ヘンダーランドは闇に覆われ、滅亡まで時を待つばかりかと思われました。
そんなときに立ち上がったのが、伝説の剣を携えたゴーマン王子でした。手下である魔物を切り伏せて奴の根城まで辿り着き、壮絶な死闘の末、王子は見事ドラゴンを討ち果たすことに成功したのです。
ヘンダーランドを覆っていた闇は晴れ、王子が助けに来るのを待っていた姫はすぐ目の前です。王子は笑顔で、姫の下へと駆け寄っていきます。
しかしそのお姫様は、ただの人形でした。
そして再びヘンダーランドは闇に覆われ、王子様の前にドラゴンを操っていた本当の侵略者が姿を現しました。
その侵略者の名は、マカオとジョマ。幾つもの世界を滅ぼしてきた凶悪な魔法使いです。
2人が真の黒幕だと知った王子様は勇敢にも立ち向かいますが、マカオとジョマの力は絶大で、残念ながら王子様は敗れてしまいました。
こうしてヘンダーランドは闇に包まれ、マカオとジョマは次の侵略先――地球へと向かっていったのでした。
「えーっと、それ何かの童話?」
「童話ではなく、実際に起こった出来事です」
実験棟資材搬入口で唐突に始まったミカエラの話は、まるで斜に構えた作家が書いたようなバッドエンドの童話みたいなエピソードで幕を開けた。それを聞いていたエリカが前述のような問い掛けをしてしまったのも当然といえば当然だろう。
ミカエラが一同を見渡す。話を聞くのはエリカ以外に達也と深雪、克人にしんのすけ、そしてリーナの計6人。幹比古と美月はそのまま物陰に待機しながら、結界の維持に努めてもらっている。そんな彼らはとりあえず態度を保留にしているのか、今のところ特に表立って反応を示していない。強いて挙げるとするならば、しんのすけが腕を組んでやたらと頷いているくらいか。
「そうしてマカオとジョマが地球にやって来たのが、今からちょうど100年前の1996年。2人は日本の群馬県にある大きな湖に“ヘンダーランド”と名付けたテーマパークを建設し、そこを拠点として地球侵略の準備を着々と進めていました。――しかし結果的に奴らの企みは潰されることとなり、誰にも知られないところで地球侵略の危機は食い止められたのです」
ミカエラはそこで言葉を区切り、視線を動かした。達也ら彼女の話を聞いていた面々も、それに釣られて視線を動かす。
その視線の先にいたのは、しんのすけだった。
「そのときに中心的な役割を果たしたのが、こちらにいる野原しんのすけくんでした」
「――――!」
「いやぁ、照れますなぁ」
それを聞いた全員が驚きで目を見開く中、しんのすけは頭を掻いてニヤニヤ笑ってみせた。照れると口では言っているが特にそういった様子は見られず、単なるポーズであることは明白だ。
「野原しんのすけくんとそのご両親は、マカオとジョマを相手にダンスバトル・ババ抜き・鬼ごっこを繰り広げ――」
「遊んでんじゃないの」
「最終的にマカオとジョマは、力の大部分が消滅した状態で異次元の彼方に封印されることとなりました。2人に支配されていた世界も元に戻り、奴らの拠点だったテーマパークも救出された姫の魔法によってヘンダーランドへと帰っていったのでした」
途中のエリカのツッコミにもめげず、まさに「でめたしでめたし」もとい「めでたしめでたし」の一文でも添えられそうな雰囲気でミカエラの話が一区切りついた。
そのタイミングで、達也がリーナへと話を振る。
「リーナは、というかUSNAはこの一件について把握していたのか?」
「まさか! ワタシだって初めて聞いたわよ! そりゃ、しんちゃんが関わってる事件全てを知り尽くしてるとは思ってなかったけど、ここまでファンタジーな事例はさすがに想定外よ!」
困惑8割、興奮2割といった配分の感情で彩られた表情で、リーナが力強くそう答えた。もはや彼女がUSNAで重要な立場にあることを前提とした遣り取りだったが、正直今はそれどころではないため誰もがそれに触れることは無かった。
そしてそれは、レオを襲った吸血鬼捜索に躍起になっているエリカとて例外ではない。
「んで、それと今回の吸血鬼事件がどう関わってくるのよ」
エリカの質問に、それまで流暢に話していたミカエラが途端に口籠もった。
しかし数秒の後、意を決したようにミカエラは再び話し始める。
「事の発端は、去年の11月にダラスで行われたブラックホール実験にまで遡ります」
ファンタジックな童話から一転、SF要素の強い現代劇へと話が飛んだ。
「正確には“余剰次元理論に基づくマイクロブラックホールの生成・消滅実験”といい、実験内容は人工的な極小ブラックホールを作り出し、そこからエネルギーを取り出すというものです」
「その実験は知っている。『別次元に漏れていると予想される重力を利用することで、本来よりもずっと小さなエネルギーでブラックホールを生成する』という理屈で合っているか?」
達也の質問に、ミカエラは小さく頷いて答えた。その遣り取りにエリカが感心した様子で達也を見つめ、しんのすけは眉間に深い皺を寄せたまま動かなかった。
「後で判明したことですが、実験の際に利用した重力はこの世界と“別次元の世界”を隔てる壁を支えるものだったようです。なのでその実験によって次元の壁が揺らぎ、別次元の世界に存在していた“モノ”がこの世界へと流れ込んできてしまったようで……」
「まさか、そのときに流れ込んできたのが……」
「はい……。100年近く封印された状態でさ迷っていたマカオとジョマの魂が、次元の壁の揺らぎをきっかけにこの世界にやって来て人間に取り憑いたのが、所謂“吸血鬼”と呼ばれる存在の大元だと思われます……」
「つまりアンタ達のせいで吸血鬼が生まれて、巡り巡ってレオが襲われたってわけね」
「はい、その通りです……。申し訳ございません……」
ドスの利いたエリカの詰問に、ミカエラはすっかり恐縮した様子となった。
しかしそんな仲間の様子に、リーナがギロリとエリカを睨みつけた。
「エリカ、彼女は国からの指示で実験に参加してただけよ。責めるなら、実験の指示を出したUSNAの首脳陣にしてちょうだい」
「エリカ、気持ちは分かるが今は話を聞くのが先だ」
「……分かったわよ」
リーナだけならともかく、立場としては同じ達也にまで言われてしまっては、さすがのエリカも怒りの矛を収めざるを得ない。大分不服そうではあったが。
と、そんな彼女と入れ替わるように、達也がミカエラへと問い掛ける。
「俺達は吸血鬼の正体を“パラサイト”だと予想していたんだが、実際の正体はマカオとジョマという、過去にしんのすけと対峙したことのある魔法師だということだな?」
「“魔法師”ではなく“魔法使い”が正確です。奴らが使う魔法は、この世界での現代魔法や古式魔法とは理屈や体系がまるで異なります」
「奴らが得意とする魔法には、どんなものがある?」
「代表的なのは“人形に命を与える魔法”や“相手を物や別人に変える魔法”、それから“相手を洗脳して自分の手駒にする魔法”などを得意としているそうです」
「“命を与える魔法”か……。確かに、この世界の魔法の常識では考えられないな」
随分と荒唐無稽な話だが、克人はそれを指摘することなくそんな感想を口にした。
一方エリカは敵意と胡散臭さを織り交ぜた目つきでミカエラを睨みつけていたが、克人とは別のワードに食いついて身を乗り出した。
「洗脳して自分の手駒にする!? それってレオがやられそうになってた魔法じゃない!」
「そ、そうなんですか? だとしたら、その人を襲った奴がマカオかジョマのどちらかだと思います。奴らは命を与える魔法で多くの部下を増やしていますが、その魔法を使えるのはその2人だけなので」
「その“命を与える魔法”というのに制限は無いのか?」
達也の問い掛けに、ミカエラは「ちょっと待ってください」と言って少しだけ黙った。もしかしたら、彼女の中にいるという“トッペマ”なる存在の話を聞いているのかもしれない。
「トッペマさんが知る限りでは特に制限は無かったそうですが、それにしては今の吸血鬼の数は明らかに少ないようです。人形ではなく魔法師の体を基にしているところから見ても、封印された影響で能力が変質しているのかもしれない、というのがトッペマさんの見解です」
「そういやずっと気になってたんだけど、結局のところアンタの中にいる“トッペマ”ってのは何者なの? その話し振りからして、ヘンダーランド側だっていうのは分かるんだけど」
「トッペマは、オラの仲間だゾ」
エリカの質問に真っ先に答えたのは、ミカエラではなくしんのすけだった。
全員の顔が、一斉に彼へと向けられる。
「オラが幼稚園の遠足でヘンダーランドに行ったときにみんなが迷子になっちゃって、仕方なくオラが探してたときにサーカスのテントでトッペマと出会ったの。それでスゲーナ・スゴイデスのトランプを渡されて『マカオとジョマを一緒に倒してほしい』って頼まれたんだゾ」
「スゲーナ……まぁ、そのトランプとかいうのは置いといて、つまりそのトッペマっていうのは100年前のしんちゃんの味方だったってことね。でもなんで、他の奴らみたいに魔法師の体に取り憑いてるの?」
「えっと、少々事情がややこしいんですが……」
ミカエラはそう前置きすると、頭の中で情報を整理するために数秒沈黙し、そして話し始めた。
「まず“トッペマ・マペット”というのは、元々はメモリ・ミモリ姫と同一の存在でした」
「――へっ? それって、ヘンダーランドのお姫様だっけ? そうなの、しんちゃん?」
「えっ? そうだったっけ?」
当時深く関わっていたはずのしんのすけが首を傾げ、ミカエラは若干呆れたような表情を浮かべた。まるでそれは、彼女の中にいるという“トッペマ”の感情が表出したかのようだった。
「100年前の侵攻の際、姫はマカオとジョマに捕らえられ肉体と精神を分離されてしまいます。そのとき精神は1体の操り人形に移され、それが“トッペマ・マペット”として野原しんのすけくんと行動を共にすることとなったのです」
「あぁ、何かそんな感じだった気がするゾ」
「……それから100年弱が経過し、我々の実験によってマカオとジョマが復活したことをヘンダーランド側も察知しました。すぐにでも対処しなければいけないと姫も考えましたが、万一に備えて自分は動くことができません。そこで姫は自身の精神を複製し“トッペマ・マペット”を新たに作り上げ、次元の壁が揺らいだその瞬間を狙って地球に送り込んだのです」
さりげなく語られた内容に、さすがの達也も思わず横から口を挟む。
「ちょっと待て。次元の壁を越えたことは置いといて、その口振りだと過去の時間に遡って刺客を送り込んだことになるが」
「……私もにわかには信じられませんでしたが、トッペマさんの話を聞く限りではそういうことになります。トッペマさんが言うには『質量ゼロの精神体であれば時間逆行によるエネルギーの消費は最小限で済む』ということらしいのですが……」
「…………」
自分達とは魔法の体系が違うとはいえ、タイムトラベルという離れ業を事も無げにやってのけるその技術力に、達也は久し振りに世界の広さを痛感した心地になった。
「……つまり我々が実験を行ったあの瞬間、あの場にはマカオとジョマ、そしてトッペマさんがいたことになります。しかしマカオとジョマには逃げられ、精神のままでは存在を保つことができなかったトッペマさんは緊急避難という形でやむなく私の体に取り憑いた、というわけです」
このタイミングで口を開いたのは、ミカエラの上司であるリーナだった。
「つまりミア、あなたが今回の作戦参加を志願したのは、最初からそのトッペマという者のためだった、ということですか?」
「はい、私はトッペマさんの存在と吸血鬼に関する情報を故意に隠匿していました。……どのような処分でも、覚悟しているつもりです」
「リーナちゃん」
「分かってるわよ、しんちゃん。まったくのお咎め無しってわけにはいかないだろうけど、ワタシからも情状酌量するよう出来る限り掛け合ってみるつもり」
自分の意見がどこまで通るか分からないけど、という言葉は呑み込んで、リーナは努めて頼もしく見えるよう笑みを浮かべてみせた。
そしてしんのすけは素直にそれを信じたようで、ホッとしたような顔つきでミカエラへと話し掛ける。
「ねぇねぇミアちゃん、オラもトッペマと直接お話することはできないの?」
「えっと、ごめんなさい……。今はまだ、私の体から離れることはできないんです。むりやり引き剥がすと力が暴走しかねなくて――」
「話しているところすまないが、そろそろ時間だ。あまりここに長居すると、生徒達に不審がられる。眠ってもらっているマクシミリアンの社員へのフォローも必要だしな」
携帯端末を確認していた克人の呼び掛けに、全員が(内心どうであれ)納得した表情を見せた。学校側には最低限話を通しておく必要はあるだろうが、できるだけ騒ぎは大きくしたくないところだ。それに時間的に考えれば、敵に囲まれた状態だともいえるリーナ達への“お迎え”が気になりだす頃合いでもある。
今後の話し合いをするにしても、別の場所に移した方が良いだろう。そういった考えもあり、皆がその場からの撤収の準備に入った。とはいえ特に荷物を広げているわけでもなく、強いて挙げるなら幹比古による結界を解くくらいである。
幹比古が解除の印を結び、結界が解かれた。元々中にいる者達には分かりにくいが、外から見た者からは彼らの姿とマクシミリアンのトレーラーが突然現れたように見えたはずだ。
“襲撃者”は、まさにそのタイミングを狙っていた。
「――みんな、伏せろ!」
「――――!」
時間的猶予が無い中で最低限の単語だけ添えた達也の叫び声に、それでもほとんどの者達が即座に反応して行動した。実戦慣れしたエリカや克人はもちろんのこと、しんのすけも持ち前の反射神経で言われた通りその場に俯せとなった。
一方、皆に呼び掛けた張本人である達也は、彼らとはまた別の行動を取った。深雪のガーディアンであり、またその立場を差し引いても深雪の安全が最優先事項である彼は、深雪を自身の体に引き寄せ、自らを盾にするように地面に倒れ込んでいった。深雪は突然のことで驚愕したが、体を僅かに強張らせるのみでされるが儘となっていた。
そしてリーナも、自身の仲間であり非戦闘員であるミカエラを守るべく、彼女へと駆け寄っていった。しかし肩が触れ合うほどの間隔だった司波兄妹と違い、リーナとミカエラとでは数歩ほどの距離が空いている。
そしてその距離が、まさしく“致命的”だった。
「――ミアっ!」
まさしく手が触れる寸前だったリーナの目の前で、
ミカエラの心臓が、虹色に輝くレーザーに撃ち抜かれた。