嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第85話「みんなが色々と企んでるゾ」

 トッペマ・マペットと思われる情報思念体を何とか撃退してから、ちょうど1週間。

 達也は毎朝の日課である九重寺での鍛錬に赴いていたが、ここ1週間の修行内容は通常のそれとは大きく異なっていた。

 

「師匠、お願いします」

 

 達也の声に、いつものように薄い笑みを浮かべる八雲が印を結んだ。傍目には何の変化も無いように思えるが、情報次元(イデア)に漂う情報体を認識できる達也の目は標的となる孤立情報体(式神の一種らしい)を確かに捉えていた。

 掌の中にサイオンを集めて握りしめるという行為は、達也が“術式解体”を行使する際に用いるイメージである。通常ならばそれを起動式や魔法式に叩きつけるが、今回は情報体の作用している実体を手掛かりに座標を特定するのではなく、情報の次元のみにおいて座標を特定することを目指していた。

 握っていた手を開く。腕を伸ばすようなことはしない。情報次元に意識を集中している今は、物理的な方向性のイメージとなる動作は却って邪魔になる。

 標的に座標を重ねるようにして、達也が放ったサイオンの塊がイデアに出現した。物理次元では複数の物質が同時に同一座標に存在することはできないが、情報次元ではそのような制約は無い。

 しかし圧縮の状態から解放された達也のサイオンは、孤立情報体に何の影響も与えずに拡散して消えた。

 

「くっ――」

「さすがの君も苦戦しているねぇ。まぁ、できない人間はどんな努力をしてもできない類の技だからね、これは」

 

 悔しそうに声を漏らす達也の反応を見て、八雲は飄々とした口調でそう言った。それが突き放したように聞こえたからか、隣で心配そうに見守っていた深雪がキッと鋭い視線を八雲に向ける。

 それでも表情を変えない八雲はさすが、と言いたいところだが、こめかみの辺りに冷や汗らしきものが浮いているように見えた。

 

「3日で(ことわり)の世界に遠当(とおあ)てを放てるようになったんだから、適性がまったく無いというわけではないと思うんだけどね」

 

 確かに3日で情報次元に遠当てを放てるようになったのは、並の修行者からしたら充分素晴らしいスピードだ。しかし元々“精霊の眼”(エレメンタル・サイト)という大きなアドバンテージがあったことを考えると、未だに的に対してサイオン弾を作用させられない現状に、達也はどうしても自分に対して肯定的な評価を下すことができなかった。

 

「適性の有無は結果でしか分からないところもあるし、今日できなかったことが明日突然できるようになったりするのも術法というものだから」

「しかし師匠、その“いつか”を待っていられる状況ではありません」

「確かにその通り。君の場合はどこを狙えば良いか分かるんだから、遠当てとは別の攻撃手段を編み出すのも1つの手だと思うよ」

 

 八雲の提案に、達也は失礼だと知りつつも苦笑を漏らしてしまった。

 

「そんなにホイホイと新しい魔法を開発できるわけではありませんよ。行き詰まってるのは認めますが、それにしても買い被りすぎです」

「そうかな? 術式の開発・改良における君の才能からしたら、自分から可能性を狭めてしまうのは得策じゃないと思うけどね。現に君は、珠黄泉族の子孫である超能力者への対抗魔法も短期間で開発してみせたじゃないか」

「アレは母親の精神干渉魔法に対する深い知見と、深雪という非常に高い適性を持つ魔法師の直感が噛み合ったからこそ成立したものです。あそこまで的確に敵の弱点に刺さる状況の方がむしろ珍しいですよ」

「そんなことありません、お兄様!」

 

 謙遜ではなく本気でそう思っている達也だったが、そんな彼を深雪が強く激励する。

 

「お兄様なら必ずや、余人には考えも及ばないような素晴らしいアイデアを実現できます! 僭越ながら、どちらも諦めてしまう必要は無いかと存じます。“術式解体”による直接攻撃を第一の目標としつつ、新たな魔法の開発も並行して進めれば宜しいのではないでしょうか?」

 

 もしこれが深雪の台詞でなかったら、達也も「無茶言うな」と一蹴しただろう。

 しかし最愛の妹の、期待と表現するのも不適切なほどの信頼しきった眼差しを前にしてしまっては、「不可能だ」と回答することこそが達也には不可能だった。

 

「――師匠、次をお願いします」

 

 とにかく今は少しでも解決の糸口を掴むことだ、と達也は修行の続きをリクエストした。

 

 

 *         *         *

 

 

 トッペマ・マペットとの邂逅は、多くの者達にとって大きな影響を与えた。パラサイトにも似た性質を持つ敵との戦闘を見据えて動き出したのは達也だけではなく、あの場にいながら有効打を与えられなかったエリカや幹比古や克人、更にはそれを監視カメラ越しに見ていた真由美も同じことだった。

 しかし彼らと同じくその場にいたリーナ、ひいてはその背後にいるUSNA軍の場合、彼らとはその動き方に少々違いが見られた。

 

「現代魔法とは原理の異なる魔法が存在する異世界に、そんな異世界を滅ぼすほどに強大な“魔法使い”だと? 今まで“彼”が関わってきた事件は確かに常識では考えられないものばかりだが、今回はそれらにも増して荒唐無稽ではないかね」

「そのオペレーターの話は、どこまで信用できるのかね? 今も吸血鬼に取り憑かれたままで、虚偽の情報で我々を混乱させようとしているのかもしれないぞ」

「『吸血鬼に取り憑かれたが誰も襲っていない』というのも眉唾物だな。それが事実かどうか、どうやって証明するつもりだね?」

 

 学校を欠席して都内にあるUSNA大使館にて開かれる査問会に赴いているリーナだが、彼女はそこで人生初とも言うべき居心地の悪さを味わっていた。大統領主催の茶会に招待されたときに女性として屈辱的なまでの徹底したボディチェックを受けたこともある彼女だが、不快感でいえばそれにも勝るレベルかもしれない。

 

「アンジー・シリウス少佐。そのオペレーターは、君の隣の部屋で寝起きしていたんだろう? 1ヶ月もの間共に任務に就いていたというのに、まったく気がつかなかったのかね」

 

 それは彼女をオペレーターとして採用したあなた方も同じだろう、とリーナは声を大にして言い返したかった。しかしそれを実際に行動に移すことはなく、彼女は大人しく俯いたまま口を閉ざすに留めている。

 

「しかもスターズの総隊長ともあろう君が、吸血鬼相手に手も足も出なかったそうじゃないか。そのような体たらくでは、シリウスとしての資質に疑問を抱かざるを得ないな」

「まったく、そのオペレーターといい他の吸血鬼に取り憑かれた者達といい、そのような輩に体を乗っ取られるヘマを犯すとは、祖国を守る者としての自覚が足りていないんじゃないかね。私が若い頃は、そんなことは一切無かったのだが」

「しかもそのせいでここまで被害が拡大しているとなると、もはやその責任は免れないものと考えるのが妥当だろう」

 

 今ここにいる男達(なぜか女性は査問委員に選ばれていない)は、官僚ではあるものの“実戦”というものから縁遠くなって久しい、いわゆる“現場を知らないエリート”だ。そしてそんな奴らほど、実力主義とはいえ十代で少佐にまで上り詰めたリーナに嫉妬する傾向が強い。

 そのような事情もあってか、彼らの口から出てくるのはネチネチとした嫌味ばかりだ。そもそも責任の所在を問うのなら、事件の発端であるマイクロ・ブラックホール実験を強行させた上層部にもあるはずだ。あるいはそれを認めたくないからミカエラの証言を虚偽だと言い張っているのか、とリーナはそんな意地の悪いことすら考えるようになっていた。

 と、そんな彼女に対し、査問委員の1人から更に“燃料”が投下される。

 

「ところで、少佐のメディカルチェックは万全なのか? 吸血鬼と数度にわたって接触があったのだろう? 少なくとも体のどこかに噛まれた痕が無いかどうか、今すぐにでもチェックするべきだと思うのだが?」

 

 今回の被害者は外敵損傷も無く絶命しており、だからこそ世間ではオカルトと持て囃されているのだが、こいつらはその程度のことも把握していないのか、とリーナはカッと頭に血を上らせた。

 そして怒りのままに怒鳴り散らそうと口を開きかけ、

 

「それは少佐に対して、あまりにも失礼というものでしょう」

 

 突然査問会に乱入してきた女性の声に、リーナはすんでのところで堪えることができた。

 そして査問委員達はその女性を咎めようと口を開きかけ、その女性の正体に気づいたことで咄嗟に口を閉じた。

 

 彼女の名前は、ヴァージニア・バランス大佐。乙女座(ヴァージニア)天秤座(バランス)なんて如何にもスターズらしいコードネームだと思うかもしれないが、れっきとした本名だ。つい先日40歳になったばかりなのだが、とてもそう見えない颯爽とした“お姉さん”である。

 そんな彼女の役職は“USNA統合参謀本部情報部内部監察局第一副局長”。つまり制服組・私服組問わずに内部の不正行為に目を光らせる内部監査局のナンバーツーだ。つまり最初からこの場にいてもおかしくない人物なのだが、他の査問委員の反応を見るに彼女は呼んでいなかったようだ。彼女の地位と役職からして、この査問に合わせて来日していることを知らないはずはないのだが。

 

「失礼。発言を許可していただけますか?」

 

 一段高い場所に座る監査委員をジロリと睨みつけながらの慇懃な言葉に、彼らの誰かが思わず「あ、ああ、許可しよう」と口にしていた。

 

「ありがとうございます。なぜ私が最初からこの場に呼ばれなかったのかにつきましては、別の機会にお訊きすることに致しまして。――今回のシリウス少佐に与えられた任務は、彼女の職務及び能力から見ても適正なものではなく、全ての責任を彼女1人に負わせるのは適当ではないと思われます」

 

 バランス大佐がそう言うと、査問委員達は明らかに怯むような表情を見せた。同じ女性であるリーナを庇う発言は予想していたことだが、ここまで真正面から擁護するのは想定外だった。

 ですが、とバランス大佐は発言を続けた。

 

「責任の有無とは別に、スターズ総隊長の地位に身を置く者が魔法戦闘で遅れを取ったという事実は、けっして見逃せるものではありません。シリウス少佐も、雪辱の機会を望んでいるはずです。――そうだな、少佐?」

「もちろんです!」

 

 バランス大佐の問い掛けに、リーナは力強く答えた。

 

「本官はシリウス少佐に現行任務を継続させるべきだと考えています。それと同時に、現地の支援レベルを最高水準に引き上げることを合わせて提案致します」

「具体的には?」

「本官が東京に在駐し、彼女の支援に回ります。――また本部長からは、既に“ブリオネイク”の使用許可を頂いております」

「なっ、何だと!」

 

 前半の提案だけでもざわめきが起こったというのに、後半の言葉でそれがどよめきへと進化した。突然のことで動揺を隠せないのは査問委員だけでなく、話の中心にいるリーナも同じだった。いや、おそらく彼女の方が動揺が大きいだろう。

 

「これによって、今まで以上に専門的な支援を、現場の状況に即して臨機応変に行うことが可能となります。またシリウス少佐も万全の状態となったことで、先日のような遅れを取ることも無いでしょう。――如何でしょうか?」

 

 突然やって来てまともな思考の時間も与えずに怒濤の攻めを展開したバランス大佐によって、査問会はすっかりリーナを吊るし上げる空気ではなくなっていた。

 

 

 

 

 査問会を終えて部屋から出てきたリーナを出迎えたのは、何やら神妙な面持ちで背筋を伸ばして立つシルヴィアだった。気を許した友人のように接する彼女の常ならぬ表情に嫌な予感がしたリーナだったが、彼女の口から飛び出した言葉にそれが気のせいではないことを知った。

 

「帰国命令!?」

「はい、参謀本部より正式に受領しました。検査の結果、私が吸血鬼に感染したことが()()()()()()と診断されたため、本国にて精密検査を受けることとなりました」

「そんな馬鹿な! あれはウイルスの類で引き起こされる変異ではありません! 変異前の感染の有無がメディカルチェックで判定できるはずが無い!」

「だからだよ、少佐」

 

 憤慨するリーナに対して宥めるような声で話し掛けたのは、バランス大佐だった。

 

「シリウス少佐の言う通り、変異前に感染を判定する方法は今のところ無い。つまり裏を返せば、マーキュリー准尉が感染していないと断定することもできない」

「でしたら私も――」

「確かに、少佐が感染していない保証も無い。だが仮に少佐が軍と敵対した場合、その被害は甚大なものとなる。よって感染していないことが判明するまで、少佐を帰国させることはできない」

 

 逆にシルヴィアが軍を裏切った場合、彼女のスキルを考慮すると軍の機密が漏洩する危険が生じる。故に、実際に吸血鬼に取り憑かれていたミカエラと共に帰国させることが決定したのである。

 つまりバランスがリーナの任務続行と彼女への支援を申し出なければ、リーナは遠い異国の地に1人追放される恐れすらあったということだ。

 

「そういうわけだ。貴官の補佐には別の者を手配する」

「……いえ、それには及びません。小官と同居するということは、その者にも感染の疑いが生じるということなので」

「そうか、貴官がそう望むのならそうしよう」

 

 そう言い残して立ち去るバランスを、リーナとシルヴィアが敬礼で見送った。

 そうして彼女の姿が見えなくなった後、シルヴィアはリーナへと向き直る。

 

「総隊長、最後まで後方支援の任務を果たすことができず、申し訳ございません」

「シルヴィ、そんな堅苦しい喋り方は止めてください。今まで通りでお願いします」

「私の目が無いからって、ソファーで寝たりレトルトの食事で済ませたりしないように。それと部屋の掃除は定期的にして、アクション仮面のグッズは買いすぎないように――」

「あなたは私のお母さんですか!? 1人暮らしくらい平気ですから!」

 

 声を荒らげるリーナに、シルヴィアがフッと自然な笑みを漏らした。

 

「私達のシリウスは、異界の魔法使いにやられるほど脆弱な存在ではないと信じています。――だから早く任務を終えて本部に帰ってきてください、総隊長殿」

「もちろんです」

 

 瞳に笑みを残して敬礼するシルヴィアに、リーナは自信に溢れた様子で答礼した。

 

 

 *         *         *

 

 

 自分達が住む街でどのような事件が起きようと、それが身内に被害を及ぼさない限りは他人事でしかない。吸血鬼の魔の手がすぐそこまで迫っていたことなど気づく素振りも無く、ほとんどの学生達は普段と同じ日常を過ごしている。

 しかしそんな中でも、確実に変化していることはあった。

 例えば、昼休みの食堂にて同じテーブルで昼食を共にする達也ら1年生グループ。入学早々に知り合いとなり、1学期末頃から幹比古も加わるようになった彼らだが、今年頭から交換留学として雫が離脱、1月中旬頃から吸血鬼に襲われ入院したレオが離脱、という具合に徐々に顔触れが減っていった。

 そして先週からは、そのグループの中心的存在と言っても良いしんのすけが顔を見せなくなっていた。いや、学校には出席しているのでその表現は不適切かもしれないが、達也らE組の面々はおろか同じクラスの深雪やほのかとも会話を交わしていない。

 

「しんのすけの様子はどうだ?」

「相変わらず気落ちしているみたいで、授業中も心ここにあらずといった感じで溜息ばかり吐いてます。休み時間も自分の席で突っ伏してばかりですし……」

「普段明るいしんちゃんが暗いせいか、A組全体も何だか暗い感じになっちゃって……」

 

 達也の問い掛けに深雪が答え、ほのかが付け加えたその内容に、他の面々はこの場にいないしんのすけに同情するような表情で頷いていた。

 ちなみに先日の戦闘に参加しなかったのはこの場ではほのかだけだが、彼女に対してもミカエラが話していたのと同じ内容を伝えてある。しんのすけの特異性に関してあまり吹聴すべきでないのは確かだが、レオが襲われた現状からして彼女も同じように巻き込まれる可能性がある以上、情報の共有を優先すべきだと達也が判断したためである。

 

「トッペマ、だったっけ? 大丈夫かな……?」

「俺が放った魔法は奴を吹き飛ばしただけで倒したわけじゃない。とはいえ暴走状態を鎮めるためにある程度は弱らせる必要があったから、しばらくは人間に取り憑いて俺達に接触するような芸当はできないだろう」

「しんちゃんからしたら、気が気じゃないでしょうね……」

 

 美月の言葉を最後に、そのテーブルを重苦しい沈黙が包み込んだ。しんのすけにレオと、このグループの中で積極的に場を盛り上げる面々が立て続けにいなくなってしまったことで、一旦雰囲気が悪くなるとなかなかそれが戻らなくなってしまっているようだ。

 こうなると、“積極的に場を盛り上げる面々”の最後の1人にその期待が掛かってくる。

 そんな空気を敏感に感じ取ったわけではないだろうが、その最後の1人――エリカが、パンッと大きく手を叩いて皆の視線を集めた。

 

「こうなったら、アタシ達の手でしんちゃんに元気になってもらわないとね!」

「下手に突くと、余計にこじれることにならないか?」

「時間が解決してくれる問題ならそうかもしれないけど、今回に限ってはそういうモンじゃないでしょ? とはいえ、ストレートに元気出せって言っても意味が無いのは事実。そこで――」

 

 エリカはそこで勿体ぶるように言葉を区切り、そして口を開いた。

 

「2月14日・バレンタインデーに、みんなでチョコを持ち寄ってパーティーを開きましょ!」

 

 第三次世界大戦を境に文化の風潮がガラッと変わった印象の強い日本だが、実際には廃れずに残っている文化も多く存在しており、バレンタインデーもその1つである。

 ここで『聖バレンタイン・デーは本来そんな軽薄なものではなく~』だの『チョコをプレゼントするなどお菓子会社の陰謀が~』などと力説したところで意味は無い。若者はそんなことを百も承知で自ら踊っているのであり、エリカも丁度良く“口実”が転がり込んできたから利用するだけなのだから。

 しかし、そうは知らないほのかが呑気な声でエリカに話し掛ける。

 

「へぇ、エリカってそういうイベントに興味無いと思ってたから少し意外かも」

「いや、別にアタシだって積極的に参加してるわけじゃないわよ? まぁ、無関係ってわけでもないけど……」

 

 首を傾げる女性陣に、それを察したエリカが説明を加える。

 

「ウチの道場の男共がね、毎年うるさいのよ。あげないと拗ねちゃうような奴が何人もいるし、そういうのに限って腕が立つから無視もできないし……」

「欲しい人にだけあげるってわけにはいかないの?」

「そうすると『不公平だー!』って騒ぎ出すお調子者がいるのよ。普段は全然纏まらないくせに、こういうときだけ一致団結しちゃってさぁ。一応“門下生との親睦のため”って名目で親からお金は出るから、女の子のお弟子さんと一緒に買い出しに行くんだけど……。それだけでも面倒臭くって、その度に『この世からバレンタインなんて無くなれ』って思ってるわ」

「でも今回は、わざわざパーティーまで開くつもりなのね」

「そりゃ、他ならぬしんちゃんのためだもの」

 

 深雪の言葉に平然と即答するエリカに、達也は思わず顔も名前も知らない千葉家の門下生男子に同情していた。ちなみに深雪の声色にはほんの少しだけからかいの意図が込められていたのだが、エリカは気づいているのかいないのか、特にそれに対して反応を示すことは無かった。

 その代わり、エリカはニヤリと口角を上げて幹比古へと視線を向ける。

 

「その点、ミキの所は良いよねぇ。お弟子さんは女性の方が多いし、選り取り見取りでしょ?」

「えっ……? そうなんですか……?」

「そ、そんなこと無いよ!」

 

 エリカの台詞そのものよりも、その後に続いた美月のツッコミの方がダメージが大きかったらしく、幹比古はむしろ美月に視線を向けて声高に否定した。

 何とか彼女に納得してもらわなければ、という焦りがあったのか、幹比古は頭に思い浮かんだことを反射的に口にする。

 

「だいたい、そんな浮ついた気持ちで修業に臨むなんてとんでもないよ」

「言ってくれるわね、ミキ。ウチの道場が浮ついてるって言いたいわけ?」

「いや、そういう意味で言ったんじゃ……」

 

 ジトリと据わった眼差しに、ご丁寧に拳をポキポキと鳴らすジェスチャーを加えるエリカに、幹比古は冷や汗交じりにたどたどしい弁明を試みる。

 それを苦笑いで眺めていた達也だったが、そろそろ幹比古が不憫に感じてくるタイミングでエリカに問い掛ける。

 

「パーティーというと、どこかの会場を借りるのか?」

「うーん、そうは言ってもクリスマスと違って昼間にやるつもりだから、アイネブリーゼを貸切るのは申し訳ないしねぇ……」

「あら? 誰かの誕生日会でもあるのかしら?」

 

 と、唐突に聞こえてきたその声にその場にいた全員が振り向き、そして大なり小なり驚きの表情を浮かべた。

 

「ご、ご無沙汰してます、七草会長」

「柴田さん、“元”会長だからね」

 

 おそらく最も驚いているであろう美月がうっかり言い慣れた役職名で呼んでしまい、達也たちに声を掛けた張本人・真由美は笑顔でそれを訂正する。

 自由登校となった三年生ではあるが、生徒会長として深く学校に関わってきた真由美が学校に来ること自体はさほど珍しいことではない。しかしそんな彼女が昼時の食堂に顔を出し、しかも顔馴染みとはいえ1年生のグループに話し掛けるとなれば多少の驚きも無理はないだろう。

 

「誕生日会ではなく、最近元気の無いしんのすけを元気付けてやれないか、と考えておりまして」

「成程、そのための集まりってわけね。時期的に考えれば、バレンタインデーを口実にする感じかしら?」

「ご明察です」

 

 予想が当たって喜びを露わにする真由美とは対照的に、発案者であるエリカは不機嫌そうに唇を尖らせていた。自分のアイデアをこうも簡単に言い当てられたからだろうか。

 

「会場に困ってるなら、学校の空き教室を使ったら?」

「こういったことに許可が下りますか?」

「周りに迷惑を掛けなくて後片付けをちゃんとやってもらえるなら、そうそう許可が下りないなんてことは無いわよ。いざとなったら、私が口添えしてあげても良いし」

 

 たまたま聞いただけのイベントに随分と肩入れするな、と達也は思ったが、彼の疑問は真由美の次の台詞で氷解する。

 

「その代わりというわけじゃないけど、私もそれに参加しても良いかしら? しんちゃんは私の中でも特に印象深い後輩だし、もうすぐ卒業するって思うと何だか寂しくなっちゃって……」

「そういうことでしたら……、はい、構いませんよ」

 

 ザッと一通り見渡しても特に反対を訴えてくる者もいなかったので、達也は了承の返事をした。先程不機嫌そうだったエリカは若干迷いを見せている様子だったが、特に反論してこないので大丈夫だろう。

 

「それでは、詳細が決まったらこちらから連絡しますので」

「分かったわ。もしかしたら参加者が増えるかもしれないから、そのときは達也くんに連絡する感じで大丈夫かしら?」

「はい、ではそれで」

「ふふふ、14日が楽しみねぇ。どんなチョコを作ろうかしらぁ」

 

 上機嫌のオーラを振り撒きながら、真由美はその場を去っていった。

 何となくそれを見送っていた達也の耳に、幹比古の独り言にも似た台詞が届く。

 

「何だか、想定よりも大事になりそうな予感だね……」

 

 達也だけでなくその場の全員が、それを否定することができなかった。


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