嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

87 / 114
第87話「“彼女”が目を覚ましたゾ」

 エリカの通学時間は一高生の中でも長い部類であり、入学時には学校近くに部屋を持つことも検討されていた。しかしそれは彼女自身の強い申し出により却下され、毎回すっかり暗くなった通学路をコミューターも使わずに結構な時間を掛けて歩いている。年頃の、しかも“美少女”である彼女にはあまりお勧めできない行為だが、痴漢やひったくり程度の輩に傷つけられるはずがないという考えからであり、そしてそれは客観的な事実だった。

 彼女が自宅通いに固執したのは、彼女が親離れできていないからではない。むしろその逆で、エリカのために部屋を()()()()()と言った父親への反抗心からである。父や長兄の言いなりになるのに比べれば、多少の不便などどうということもない。

 

 彼女の部屋は母屋には無く、道場と並んで建てられた離れに存在する。エリカは自室に入るや否や、鞄を放り投げて制服のままベッドに倒れ込んだ。普段はこんなだらしない真似はしないのだが、ここ数日による“お祭り騒ぎ”に疲れ果てていた。

 “お祭り騒ぎ”というのは当然ながらバレンタインデーのことだが、しんのすけを元気づけるために企画したパーティーは疲労の原因に含まれない。彼女が辟易しているのは、チョコを作るときや配るときの門下生達による馬鹿騒ぎや、学校での生徒達(男女問わず)からの自分を伺い見るような不躾な視線に晒されることに対してだった。

 自分の容姿がそれなりに優れているのは自覚しているし、損得抜きでブサイクよりも美人の方が良いと思っている。しかし外見だけでチヤホヤされるのは嫌であり、その好意が過剰なものであれば互いにとって不幸を招くものだと思っている。

 彼女がそのような考えに至ったのも、ひとえに彼女の身近にいた“反面教師”の影響である。

 

 エリカの母親、アンナ=ローゼン=鹿取。

 

 日独のハーフである彼女は、姓が“千葉”でないことから推測される通り、千葉家現当主(つまりエリカの父親)の愛人だった。エリカが生まれたのは父親の正妻が病死する前であり、つまり2人は正妻が病床に伏せているそのときに“そういうこと”をしていたことになる。

 確かにそんな事情があれば、エリカの母親が千葉家から冷たい目で見られるのは納得だ。

 しかし責任が両親共にあるにも拘わらず、母親だけが悪者扱いされていることは断じて認められなかった。

 理由も分からずに蔑みの目を向けられ、小さな体をさらに縮めて息を潜めて過ごしていた時期もあった。自分と母親を認めさせるために、がむしゃらに剣を振っていた時期もあった。結局エリカが14歳のときに母親が死ぬまで“千葉”を名乗ることが許されず、母親の死をきっかけに剣術に対する熱意を失った時期もあった。

 

 しかしエリカは、今が一番楽しくて充実していた。

 素直に敵わないと思わせてくれる女友達と、どれだけ目を凝らしても底の見えないボーイフレンド。ほのぼのさせてくれるクラスメイトに、弄り甲斐のある喧嘩友達&幼馴染み。

 そして自分よりもずっと長生きなのにまるでそれを感じさせず、その自由奔放な性格で周りの人間を否応なしに巻き込ませる、まさに“嵐を呼ぶ”という形容が似合う少年。

 そんな彼らとの日常が、彼女には何よりも大切だった。その日常を守るために力を振るうことを決め、“目的”を見つけたことで再び剣術への熱意を取り戻した。そんな今の彼女にとって、“恋愛遊戯”など単なる邪魔物でしかなかった。

 

 そんなことを、ぼんやりと天井を見つめながら考えていたそのとき、ふいにドアホンのチャイムが鳴った。離れのドアが開かれた合図であり、鍵を掛けてなかったので誰かが勝手に入ってきたのだろう。

 誰だろう、と体を起こしたところで部屋のドアがノックされる。抑えられた足音、乱れの無い息遣い、制御された気配から該当するのは2人の兄だろうが、長兄は例の事件に掛かりきりで毎晩遅くまで帰ってこないはずだ。

 

次兄上(つぐあにうえ)ですか? どうぞお入りください」

 

 ベッドから机の前に移動してからドアに声を掛けると、エリカの予想通り、千葉家の次男・修次が部屋の中に入ってきた。

 エリカは机の前で背筋を伸ばし両手を膝に置いていたのだが、修次はベッドをチラリと一瞥すると「寛いでいたところに悪いね」と眉尻を下げた。“千葉家の麒麟児”と謳われるだけの眼力をもってすれば、その程度のことを見抜くくらいは容易なのだろう。

 

「いえ、少し体を休めてただけですので。それで、何か御用がおありなのでは?」

「あぁ……。言うべきかどうか迷ってたんだけど、やっぱり伝えておこうと思ってね。――エリカと同学年の野原しんのすけくんとは、今でも付き合いがあるのかな?」

「えぇ、それが何か?」

 

 表面上は何てことないかのように答えたエリカだったが、内心では結構動揺していた。夏休みの九校戦で父の命によりしんのすけの試合を観戦していた修次だったが、それ以来特に彼を話題に出すことは無かったから油断していたともいえる。

 しかし修次の次の一言に、エリカは表面を取り繕う余裕も無くなった。

 

「彼は国防軍に監視されている」

「――――はっ?」

「いきなりのことで信じられないのも無理はない。だけど本当のことだ。――僕も、非公式の命令を受けた」

「正式には防衛大の学生でしかない次兄上を起用するほどの任務、ですか?」

「内容は『彼を監視し、必要ならば護衛せよ』というものだ。どうやら彼は、軍が動くレベルの厄介事に巻き込まれているみたいだね」

 

 “厄介事”と聞いてエリカが真っ先に思い浮かべたのは、例の吸血鬼事件、改めマカオとジョマ事件のことだった。彼の立場からしたら巻き込まれるどころかむしろ中心的な立ち位置なのでは、と思ったがそれを素直に口に出すことはしなかった。

 

「エリカ、しばらくは彼の周囲に近づかない方が良いと思う。最近は彼と夜に歩き回ったりしているようだが、それもすぐに止めた方が良いだろう」

「……そちらは既に止めてるので構いませんが、学校の中でも近づくなと言うのですか?」

「いや、さすがに学校で襲われることはないと思うが……」

 

 修次の言葉に、エリカは内心で「おや?」と思った。吸血鬼事件について聞いているのなら、学校でトッペマ・マペットがマカオとジョマの一味と思われる者の襲撃に遭い暴走させられたことは聞いているはずだ。それとは別口なのか、あるいは単純に情報を制限されているのか、今のエリカでは判断ができない。

 

「でしたら兄上、ご懸念には及びません。最近のことが例外であって、普段は帰宅後に待ち合わせて遊びに行くような仲ではありませんから」

「むっ、そうなのか……。九校戦に足を運ぶくらいだから、てっきりそれなりに仲が良いと思っていたのだが……」

 

 修次の反応に、エリカから二度目の「おや?」が出た。自分の予想とは違ったという反応は良いとして、当てが外れて残念に思っているようにエリカには感じられたからである。しんのすけに近づかないでほしいのなら、仲がそれほど良くないのはむしろプラスなはずなのだが。

 

「そういえば、今日はバレンタインだったか。門下生が手作りチョコだって騒いでたよ。――僕が記憶してる限りだと、チョコを手作りしたのって今年が初めてだったっけ」

「……えぇ、まぁ」

「門下生の話だと学校の友人にプレゼントするついでだったみたいだけど、その相手は喜んでくれたかい?」

「……珍しいですね。次兄上からそのような話題が出てくるなんて」

「あっと、不躾な質問だったね。すまない」

 

 しまった、とでも言いたげにハッとした顔になって謝罪を口にする修次に、エリカは「いえ、気にしてはいませんが」と返した。しかし彼女の表情から怪訝の色が未だ消えておらず、故に感情の伴わない取って付けたような言い回しになってしまった。

 何となく居心地悪くなったのか、修次は「とにかく気をつけるんだよ」と言い残して足早に部屋を出ていった。平時とは雰囲気の違う兄に首を傾げるエリカだったが、すぐに気を取り直してフッと笑みを浮かべると、既に閉じられたドアに向けてポツリと呟いた。

 

「言われた通り、()()()()()()()()()気をつけます」

 

 

 *         *         *

 

 

 2月15日。

 バレンタインを過ぎたことで浮かれていた空気が終息し、学校内は普段の落ち着いた雰囲気を取り戻した――かと思いきや、このタイミングで新たな事件が発生した。

 いや、事件というよりは“怪奇現象”と称した方が適切かもしれない。“学校の七不思議”というのはどこの学校にでもある定番の怪談話だが、魔法科高校の場合は普段から魔法の暴発などによって不思議な現象が7つどころではなく発生しているため却って話題に挙がらない。

 しかし今回は、普段から観測される現象とは少々“特殊”だ。それにほとんどの生徒にとっては直接関係のある出来事ではなく、だからこそ無邪気な好奇心を媒介としてあっという間に全生徒に広まっていったのだろう。

 

「ねぇ達也くん、オラ達も行ってみない?」

 

 特にそういった好奇心が人一倍強い生徒の場合、実際に自分の目で確かめようと思ってもおかしくない。例えば、こうして昼休みにわざわざ二科生のクラスに足を運んで達也を誘ってくるしんのすけのように。

 元気になったのは良いが、さっそく面倒事に自分を巻き込んでくるのはどうしたものか、と達也は内心溜息を吐きながら辺りを見渡した。エリカやレオはもとより、美月や幹比古までもが好奇心を隠しきれずにソワソワしているのが、達也ほどの観察眼を有していなくても容易に分かる。

 

「……俺はそこまで興味は無いから、行くならしんのすけ達だけで行けば良いだろう」

「えぇっ? 達也くんも一緒に行こうよ~。達也くんだったら、怪奇現象の正体とか分かっちゃうかもしれないでしょ?」

「……そういうのは、俺よりも幹比古の方が適任じゃないか? 本人も行きたがってるようだし」

「な、何を言ってるんだ達也は! そ、そんなことは――」

 

 あたふたと慌てる幹比古をエリカとレオが疑いの眼差しを向け、しんのすけは「達也くんはノリが悪いですなぁ」と幼い子供のように唇を尖らせる。

 吸血鬼事件を境に変わった日常が元に戻った光景が目の前に広がっているが、今の達也では生憎と感傷に浸る気分にはなれなかった。内心ではなく実際に溜息を吐く達也に、美月が同情を携えた苦笑いを浮かべる。

 と、達也の携帯端末がメールを受信したことで小さく震えた。

 メールの差出人とその内容を確認したのか、達也の口元が僅かに歪む。

 

「どうしたの、達也くん?」

「千代田会長からの呼び出しだ。――ロボ研のガレージに来い、ってな」

「おぉっ、なら丁度良いゾ」

 

 しんのすけの発言に反論したかった達也だが、今は何を言っても八つ当たりにしかならなさそうなので止めた。

 ロボット研究部が部室として割り当てられたガレージ。

 それこそが、今話題となっている怪奇現象の“現場”だった。

 

 

 

 

 事の発端は、まだ生徒の誰も登校していない朝7時。

 ロボ研のガレージに保管されていた家事手伝いロボット3H・通称ピクシーが、外部からの無線通電によりサスペンドから復帰して自己診断プログラムが作動した。遠隔管制アプリで自動的にモニターされ、ガレージ内のカメラで監視される中、異常を発見すること無く自己診断は終了した。

 通常ならここで3Hはサスペンド状態に戻るのだが、異常が無いはずの3Hはそのまま機能を停止せず、サーバーと交信を始めたのである。アプリからの強制停止コマンドをも無視して当校の生徒名簿にアクセス要求を続け、最終的にサーバー側が無線回線を閉じるまでそれは続けられた。

 その間、表情を変える機能が備わっていないはずのピクシーが、ずっと嬉しそうな笑みを浮かべ続けていたという。

 

「あっ、司波くん。ごめんね、昼休みに呼び出しちゃって」

 

 ガレージにやって来た達也を真っ先に出迎えたのは、彼を呼び出した風紀委員長の花音ではなく、彼女の婚約者である五十里だった。ちなみにガレージには2人だけでなく、生徒会長のあずさと役員であるほのかと深雪、そして部活連会頭である服部の姿もある。

 

「ほーほー、これが例のお人形さんですかぁ」

「お人形っていうか、ロボットね」

「ふーん、見た目的には他と大差無いけどな」

 

 そして達也の後ろからついて来たのは、E組で一緒にいたしんのすけ・エリカ・レオ・美月・幹比古。しんのすけは風紀委員であるためまだ言い訳できるが、椅子に座った状態で待機しているピクシーをマジマジと観察する彼らの姿は完全に野次馬のそれである。

 それを見ていた服部が苦い顔を浮かべているが、達也と五十里は完全にそれを無視して会話を交わす。

 

「事情は粗方聞きました。事実だとすれば、高校生の手には余ると思うのですが」

「さっきまで廿楽(つづら)先生が調べてたけど、ハッキリした結論は出せないと仰ってたよ」

「つまり、否定もできないと?」

「P94のボディから高濃度の想子(サイオン)の痕跡が確認されたよ。先生が言うには、ボディの胸部中心から外部に放出されたものだそうだ」

「胸部というと、電子頭脳と燃料電池の部分ですよね。発生源は――」

「電子頭脳、だそうだよ」

 

 それはまた出来過ぎた話だ、と2人は揃って溜息を吐いた。

 チラリ、と達也はピクシーに視線を移した。しんのすけが顔を間近に近づけているが、今はコマンドに従ってサスペンド状態で待機しているようで特に異常は見られない。

 

「それで、俺は何をすれば良いのでしょうか?」

「ピクシーの電子頭脳をチェックしてほしいんだ。我が校の中でCADソフトウェアに最も精通してるのは君だからね、九校戦のときみたいに“電子金蚕(でんしきんさん)”みたいなものが紛れ込んでいないとも限らないし」

 

 確かに潜伏型の遅延術式なら、人形が魔法を使ったように見せることはできるかもしれない。動機については不明だが、愉快犯の可能性もゼロではない以上調べる必要はありそうだ。

 とはいえ、本格的なチェックをするにはCADのメンテナンスルームを使う必要がある。達也がそれを告げると、あずさが慣れた手つきで携帯端末を操作して部屋の使用許可を取ってくれた。ちなみに許可が下りたのは、4時限目の終わりまで。つまり授業をサボれということか、と達也は心の中でツッコんだ。

 

「というわけだ、しんのすけ。それを運ぶ必要があるから離れてくれ」

「…………」

「……しんのすけ?」

 

 達也が呼び掛けても、ピクシーの眼前を陣取るしんのすけがその場を動くことは無かった。ただジッとその顔を覗き込む彼に、後ろからそれを眺めていたエリカ達も怪訝そうな表情を浮かべる。

 そうしてエリカが後ろから肩を叩こうと手を挙げたその瞬間、

 

「『ピクシー、サスペンド解除』」

 

 しんのすけが口にしたのは、サスペンド状態から起動させる音声入力の定型文だった。おそらく論文コンペの準備で達也と共にガレージに来た際、彼が何回もそうするのを横で見ていて憶えたのだろう。

 しかしそれに反して、ピクシーは一切反応しなかった。家庭用ならば特定の人間しか使えないよう声紋登録することはあるが、学校で共用しているピクシーではそんな設定は施されていない。

 

「……音声認証に異常があるのでしょうか?」

「廿楽先生が調べてたときは、別にそんな様子は無かったはずだけどなぁ」

 

 2人が話す間もしんのすけが何回か呼び掛けてみるが、依然ピクシーに変化は無い。

 するとしんのすけは、まるで寝ている人間を起こすかのようにピクシーの肩を大きく揺さぶり始めた。その程度の衝撃で壊れるほど柔な造りはしていないとはいえ、少女の姿をしたピクシーが首をガクガクと揺らす光景は見ていて心配になってくる。おそらくそんな気持ちになったのだろう深雪が、遠慮がちに「しんちゃん、その辺で……」と呼び掛けた。

 そして達也もピクシーを何と無しに眺めていた、そのとき、

 

「……ん?」

 

 ふと浮かび上がった“違和感”に、達也はピクシーから視線を移した。

 その視線の先にいるのは、すっかり傍観者と化していた美月だった。

 

「美月」

「は、はいっ!? 何ですか!?」

「ピクシーの中を覗いてくれないか? 幹比古は美月が大きなダメージを負わないようガードしてほしい」

「……達也は本当に、ピクシーに何か憑いていると考えてるのかい?」

「調べれば分かる」

 

 幹比古は半信半疑の様子だったが、呪符を取り出して念を込めた。美月は緊張と怯えの入り混じった表情でピクシーを見据え、眼鏡を外す。

 美月が、驚きで目を見開いた。

 

「どうだ美月。――()()()()か?」

「……はい、います」

 

 美月が小さな声で答え、今度は幹比古が驚きで目を見開いた。

 彼女の答えに、達也はその場にいる全員に呼び掛けた。

 

「申し訳ありませんが、ここから先は他言無用でお願いできますか?」

「……達也くんがそれをお願いするってことは、きっと何かあるってことだよね? だったら僕はそれに従うよ」

「啓がそう言うんなら、アタシも」

「分かりました。生徒会長として、ここで聞いたことは誰にも話しません」

「僕も同じだ、司波」

 

 五十里・花音・あずさ・服部が、矢継ぎ早に返事した。残る深雪達は返事をしなかったが、それは達也の言葉を守る気が無いのではなく、改めて言葉にするまでもないと言わんばかりに力強く頷いていた。

 それを聞いた達也は、ピクシーへと視線を向けて口を開いた。

 

「というわけだ。そろそろ話してくれないか? ――トッペマ・マペット」

「えっ?」

 

 達也の言葉に反応したしんのすけが、ピクシーへの揺さぶりを止める。

 と、ピクシーの肩に乗せられたしんのすけの両手が、ピクシー自身の手によってどかされた。つい先程まで音声に反応しなかったピクシーが独りでに動き出したことに、達也を除く全員が大なり小なり驚きを露わにする。

 しかしピクシーはそんなことに頓着する様子を見せず、首を左右に振ったり肩を回したりしてみせる。それはまるで凝り固まった体を解すかのような動きであり、家庭用家事手伝いロボットには不必要な行動である。またその表情も、元々表情を変える機能は備わっていないはずにも拘わらず、どこか疲れを覗かせる印象が普通の人間と遜色無いレベルで伝わるものだった。

 そうして一連の動作を終えたピクシーは、ゆっくりと顔を上げて視線を合わせた。

 目の前にいる、しんのすけに。

 

『久し振り、しんちゃん。変わり果てた姿になっちゃったけど、私のこと憶えてる?』

「――――トッペマ!」

 

 迷い無くその名前を口にしたしんのすけが、喜びを爆発させてピクシー(敢えてこの呼称のままとする)に抱きついた。ピクシーは両目を若干開かせて驚きを表すも、すぐに口元に笑みを浮かべて両腕を彼の背中に回した。

 傍目にはお人形遊びをする危ない男子高生の光景だが、周りにいる誰1人としてしんのすけをそういう目で見る者はいなかった。むしろ『ロボットに怪異が憑りつく』という怪談話としては定番のシチュエーションがまさに目の前で繰り広げられているという事実に衝撃を隠せないでいる。

 

「再会に喜んでいるところ悪いが、幾つか訊かせてもらえるか?」

『えぇと、あなた司波達也くんね。“その節”はお世話になったわ』

「あのときのことは記憶に残っているのか?」

『ほとんど意識が残ってない状態だったから、ぼんやりと(もや)が掛かってる状態だけどね』

 

 達也とピクシーがそんな会話を交わしていると、ピクシーに抱きついたままだったしんのすけの体がピクリと跳ねた。

 

「ト、トッペマ……。あのときはゴメン……。痛かった?」

『しんちゃんが気にすることは無いわ。むしろ止めてくれてありがとうね』

 

 自責の念でしおらしい表情になるしんのすけを、ピクシーが苦笑い交じりで励ましながら軽く頭を撫でる。見た目的には達也たちと同じ十代後半くらいの設定とされるピクシーだが、そこから滲み出る雰囲気は彼よりも年上のお姉さんだった。

 と、そんな光景をほっこりとした表情で眺めていたあずさが、ピクシーの“声”が耳ではなく直接意識に響いているような感覚で聞こえていることに気がついた。

 

「能動型テレパシー、ですか?」

『この体だと音声は理解できても発声に難があるから、そっちの方が楽なのよ。表情を変えてるのも、一種の念動力ね』

「あのときのように暴走する可能性はあるか?」

『ミアのときみたいに体を乗っ取らないよう注意する必要も無いし、あなた達に見られることで自分の存在が確立されていく感覚があるから、多分この前みたいなことにはならないと思うわ。魔法もある程度は使えそう』

「えっと、さっき眼鏡を外して見たときに気づいたんですが――!」

 

 あずさと達也の疑問にピクシーが答えていると、話を聞いていたギャラリーの中から美月が手を挙げて発言してきた。彼女にしては珍しい積極的な行動に、その場にいる全員が一斉に彼女へと顔を向ける。

 その視線の多さに若干緊張しながら、美月は言葉を続けた。

 

「ピクシー、じゃなくてトッペマさんから感じる霊子(プシオン)のパターンが、どことなくしんちゃんと似ている気がするんです。しんちゃんの思念波の影響下……とまではいきませんが、しんちゃんの“想い”が焼き付けられていると表現するのが近い感じでしょうか」

「ほーほー、成程成程。……つまり、どういうこと?」

『私はあなた達で言うところの“パラサイト”とは違う存在だけど似たような性質を持ってる、というのは聞いてるでしょ? この体に避難してた私の意識が目覚めたとき、しんちゃんの感情が私の中に流れ込んでくる感覚があったの。つまり私がこうして再び喋れるようになったのはしんちゃんのおかげで、そのときの影響が未だに残ってるってことね』

「影響というのは、具体的には何だ?」

 

 達也の疑問に、ピクシーはそちらへと視線を向けて口を開く。

 

『あなた達と直接会話をするのは今回が初めてだけど、あなた達に対して仲間意識だとか親近感のようなものが芽生えている感覚がある。多分しんちゃんがあなた達のことを強く想うきっかけがあって、そのときに私の意識が目覚めたんだと思うんだけど、何か心当たりある?』

 

 その瞬間、主に1年生達から「あぁ……」と何やら得心がいったとする空気が流れた。そしてしんのすけも同時に思い至ったのか、若干頬を紅く染めて拗ねたように唇を尖らせた。

 そしてピクシーも彼らの反応で察したようで、それ以上尋ねることは無かった。

 その代わり彼女が口にしたのは、これからのことだった。

 

『それで司波達也くん、これからどうする? マカオとジョマの奴らには、私が復活したことは知られない方が良いと思うんだけど』

「そうだな。しばらくはこのまま3Hのフリをしてくれると助かる。こちらからも色々と聞きたいことはあるが、適当な口実を作って学校で話し合うことになるだろう。それに万が一にも第三者に持ち去られないよう、ピクシーの所有権を買い取った方が良いだろうな」

 

 達也の提案に、生徒会長であるあずさが口を挟む。

 

「でも達也くん、ピクシーは元々ロボ研が部活で使用するという名目で、製造元と第一高校との間で貸与契約が結ばれていますよ」

「学校に置いておく必要がありますし、貸与契約は維持したまま所有権だけを製造元から買い取るのが最も簡単でしょう。その辺りについてはロボ研や学校側とも相談の必要がありますが」

「それについては、僕も協力しよう」

 

 部活連会頭である服部が間に入ってくれれば、おそらく話し合いはスムーズにいくだろう。権力でゴリ押ししている感は拭えないが、緊急事態ということでお目溢し願うしかない。

 と、ふいに達也が携帯端末に目を向けた。

 

「――そろそろ昼休みが終わるな」

「どうする? メンテナンスルームは予約してるけど、正直もう必要無いでしょ?」

「えぇっ? せっかくだし、このままサボっちゃわない?」

「しんちゃん、ちゃんと授業は出た方が良いよ……」

 

 しんのすけの(或る意味普通の高校生らしい)発言に、優等生気質の強い美月やほのかが苦笑いを浮かべた。達也も彼を窘めるように深い溜息を吐くが、達也の場合は『なるべく目立つ行動を取りたくない』という理由に基づくものである。

 しかしここで、意外なところから待ったの声が掛かる。

 

『いや達也くん、それとしんちゃんも、できれば少し話がしたいから時間取れないかな?』

 

 その声の主・ピクシーの誘いに、名前が挙がった2人だけでなく全員の視線が一斉に向く。

 

「おっ? どうしたの、トッペマ?」

『できるだけ早い内に、私を連れてってほしい場所があるの。ミアの体にいたときは彼女の立場もあって勝手に行動できなかったから、行くに行けなくて』

「どこ?」

 

 端的に尋ねるしんのすけに、ピクシーも同じく端的に答えた。

 

『――この世界にあるテーマパークの方の“ヘンダーランド”よ』




「ところで、誰がピクシーを買い取るんだ?」
「俺から提案したことだから俺が買い取るつもりでいたんだが、何か問題があるか?」
「いや、別に問題ってほどでもねぇと思うけど。事情を知らない奴からしたら、学校のメイドロボを結構特殊な手段で、しかもそれなりの大金を支払って買い取ることになると思うんだが……、大丈夫か?」
「…………」
「お兄様、なぜ私の方を見るのです?」
「……いや、別に何でもない」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。