嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第88話「みんなで夜のお出掛けだゾ」

 怪奇現象が学校中で話題となった、その日の夜。

 午後7時ともなると生徒は全員下校し、教職員もごく一部を残すのみ。校門も閉鎖された学校はシンと静まり返っており、賑やかな声で溢れる昼間とは別世界のようである。この時間帯に出入りが許されているのは、宿直の職員、契約している警備会社の警備員、夜間に作業するシステムメンテナンスのエンジニアなど学校が認めた者――そして、生徒会が特に認めた生徒のみだ。

 生徒自治にしては少々行き過ぎにも見えるこの権限は、真由美が生徒会長だったときに導入したものだ。七草家の思惑と権威が見え隠れするが、利用する立場である達也にとっては裏の事情などどうでもいい。

 

「ほら、2人のIDカードだ」

「どもども~」

「ありがとうございます、お兄様」

 

 通用口の守衛に生徒会長発行の夜間入構許可証を提示して来訪者用のIDカードを3枚受け取った達也が、自分の後ろをついて来ていた深雪としんのすけにその内の2枚を渡した。警備システムに不審者だと認識されないようIDカードをしっかり携帯したうえで、3人は敷地内へと足を踏み入れた。

 3人は現在、制服ではなくそれぞれが防寒と動きやすさを両立させた服装に身を包んでいる。制服着用のルールは夜間入構時には適用されないというのもあるが、()()()()()()を考えれば制服は不適当だという結論に至ったからである。

 夜の学校というシチュエーションに興奮気味のしんのすけ、そしてそんな彼を宥める深雪を連れて、達也はロボ研のガレージへと辿り着いた。鍵の掛かったドアを前に携帯端末を取り出し、昼間に作成したばかりの認証キーを兼ねた暗号文を近距離通信モードで送信する。

 

『3人共、待ってたわ』

 

 ガレージの扉を開けて顔を出したのは、若干表情が微睡んでいるように見えるピクシーだった。サスペンド状態で椅子に座った姿勢のまま待機するのが退屈で居眠りしていたのだろう、出迎えの声(正しくはテレパシーだが)にも待ちかねた感が滲み出ている。

 

「早速だが、コレに着替えてくれ」

 

 挨拶も抜きで話を切り出す達也に、深雪が手に持つ鞄から着替え一式を取り出した。

 襟を立てるタイプのオーバージャケットに伸縮性の高いセーター、ヒップラインを隠す三段フリル付きの膝上丈スカートに、首元を二重巻きできるほどに長いマフラー。そして厚手のタイツにブーツと、細部を隠しながらも脚のシルエットを強調するファッションとなっている。これは達也やしんのすけの趣味などではなく、服を用立ててくれた独立魔装大隊補給担当の女性下士官のアドバイスを全面的に採用したものだった。

 深雪からそれを手渡されたピクシーはしばらくそれをジッと見つめ、そして呆れるような顔を達也としんのすけへと向けた。

 

『……いや、2人共出てってほしいんだけど』

「そ、そうですよお兄様! 何を平然と見ておられるのですか!」

 

 ピクシーと深雪に指摘されて、そこで初めて達也はハッとした表情になった。彼にとってピクシーは未だにロボットという感覚でしかなく、そこまで精巧に人体を模倣しているわけではない3Hに(よこしま)な感情を抱くという発想が無かったのである。

 しかし納得した表情の達也に対し、しんのすけは不服そうに頬を膨らませる。

 

「んもう、トッペマはオラの裸を何回も覗き見したくせにぃ」

「――えっ?」

『の、覗き見じゃないから! 私がしんちゃん()に行くときに限って、あなたがお風呂に入ってただけでしょ!』

 

 頬こそ紅くならなかったものの、それ以外は完全に人間と遜色無い反応でピクシーが羞恥と怒りを露わにした。「んもう、ワガママですなぁ」という台詞を残し、男2人が部屋を出ていった。

 人間の骨格と構造が違うため着替えに手間取る可能性があったが、3Hのボディが柔軟だったため着替えは問題無く行えた。多少下半身に不自然なところもあったが、それを見越して大きめのサイズにしてあったのでさほど目立たない。

 そのまま立っていると、まさしく本物の少女にしか見えない。着替えで若干乱れた髪を整える様子など、まさに人間的な仕草だといえるだろう。

 

「よし、行くぞ」

「それじゃ、出発おしんこ~!」

 

 達也の呼び掛けにしんのすけが元気良く号令を発し、深雪とピクシーが苦笑いを浮かべる。

 “作戦開始”の合図にしては、何とも気の抜けた遣り取りだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 ロボ研のガレージでピクシーが『ヘンダーランドに行きたい』と発言した後のこと。

 あずさが使用許可を取ってくれたCADのメンテナンスルームへと場所を移し、ピクシーから更なる事情聴取が始まった。五十里・花音・あずさ・服部といった上級生組は事情を察したのかついて来なかったが、エリカ達1年グループは当然とばかりに一緒の部屋で話を聞く姿勢に入っている。

 そのことに思うところが無いわけではない達也だったが、結局それを口にすることは無かった。

 

「んで、なんでトッペマはヘンダーランドに行きたいの? 遊ぶの?」

『別に遊びに行くためじゃなくて、あそこが今どうなってるのか一度確かめたかったの。場合によっては、奴らが企んでいることにも関わってくるかもしれないし』

 

 ピクシーの答えに、達也を始めとして全員が興味を惹かれる顔つきとなった。

 言外に『続きを話せ』と促される形となったピクシーが、口を開く、もとい思考を飛ばす。

 

『そもそも奴らは、なんで人間を襲っているんだと思う?』

「えっ? そりゃ、血液が欲しいから……?」

「いやいや、“吸血鬼”ってのはあくまでもアタシ達がそう呼んでるだけだから。レオが襲われたときみたいに、仲間を増やそうとしているからでしょ?」

「でもそれって、血液が減ったのとは関係無いんじゃなかったっけ?」

『奴らの目的を一言で表すと「“魔力”を集めるため」になるわ』

 

 答えが出そうにない議論を打ち切るように発言したトッペマに、元々旺盛な好奇心が刺激された達也が真っ先に問い掛けた。

 

「魔力というのは、俺達で言うところの“想子(サイオン)”や“霊子(プシオン)”に相当するものか?」

『それよりももっと根源的なものね。私達にとっての魔力は、あなた達にとってのそれらよりもっと万能なの。魔法を使うエネルギーなのはもちろん、自身の生命維持にも使われるし、魔力を使って強力な“道具”を作成することもできる。つまり奴らが何を起こそうとするにも、まずは魔力を集めなければどうにもならないってこと』

「その手段として人を襲っている、ということか」

『そういうこと。この世界って空気中に含まれる魔力の量が私達の世界よりも少ないから、より効率的に魔力を集めようとするなら必然的に人間から吸い取るしかないってこと』

「トッペマもそうなの?」

『私は今のところ大丈夫。魔法は考えなしに撃てないけど、ただ存在するだけならしばらく心配いらないわ』

 

 しんのすけの問いにそう答えるピクシーの声色は、悲しい事実をひた隠しにするような後ろ暗さは特に感じられなかった。とりあえずは彼女の言葉をそのまま信じても良さそうだ。

 とはいえ、先の説明だけでは血液が失われていたことへの理由にはならない。トッペマもそれに関しては確証を得ていないようで、眷属化する魔法の副作用、魔力を奪うという目的を悟られないための偽装工作など仮説は挙げられるが、今それを追究しても意味は薄そうだ。

 

『とにかく今はそうやって人間を襲って魔力を集めてる奴らだけど、100年前にこの世界に侵攻したときはもっと別の方法で人間から魔力を集めてたの。私がヘンダーランドに行きたがっているのは、その“装置”が今も機能しているか確かめたかったからなのよ』

「そうは言うが、今建設されているヘンダーランドは100年前のそれとは別物だ。その装置というのも、存在していないんじゃないか?」

『機能しているかは別にして、装置自体は存在しているわ。――ヘンダーランドのシンボルマークである“ヘンダー城”こそが、魔力を集めるための装置なんだから』

 

 実際にヘンダーランドに行ったことは無くとも、テレビのCMやネットの広告などで見たという者は多い。その際にほぼ必ずと言って良いほどヘンダー城が使われ、故にあの独創的な形状をした城の知名度はかなり高い。

 その城自体が人間から魔力を集めるための装置だと聞かされれば、達也を始めとした面々が驚きの表情を浮かべても無理はないだろう。

 

『奴らが自分達のアジトをテーマパークにしたのも、多くの人間を集めて魔力を収集しやすくするためだったの。莫大な魔力があればそれだけ強力な魔法が使えるようになって、それを足掛かりにこの世界を征服するのが奴らの計画だったのよ』

「そんなことをしたら、遊びに来ていた人達が危ないんじゃ……?」

『いいえ、そこは上手く調整されてたわ。せいぜい「何だかいつもより体が疲れるな」程度にしか感じないわ。場所が場所だけに、バレる可能性はほぼほぼ無いわね』

 

 ピクシーの言葉に、エリカ達は深刻な表情で考え込む。つまりそれは、今まさに装置が稼働していたとしても自分達では気づけないことを意味しているからである。

 

『もっとも、デメリットが無いわけじゃないけどね。魔法に使われる魔力も自動的に集めてしまうから、城の中ではたとえ奴らであっても魔法を使うことができないの。――最後にしんちゃん達と奴らの追いかけっこが純粋な体力勝負になったのもそれが理由ね』

「成程、そういうことだったんですな。初めて知ったゾ」

 

 得心がいったとばかりに、しんのすけがウンウンと頷いた。もっともピクシーが(もたら)したその情報は当時彼もしっかり説明されているのだが、どうやらすっかり忘れ去っているようだ。

 しかしそれを知る者はいないため、ツッコミの言葉は無いまま話は進む。

 

『まぁ長々と説明したけど、要は奴らがその装置を狙ってヘンダーランドを襲撃するかもしれないから、今も稼働してるのか確かめたいってことよ』

「確かに、その魔力があれば奴らも本来の実力を取り戻すってことだろ? しかも更に強力な魔法が使い放題となりゃ、相当ヤバいことになりそうだな」

 

 レオの素直な感想に、他の面々も言葉にはしないながらも同意の反応をする。

 もっともピクシーに関してのみ、“部分的な”という注釈が付くが。

 

『確かにそれも相当ヤバいけど、奴らにとって魔力を集める“一番の目的”は別にあるの』

「……何よ、これ以上まだ何かあるって言うの?」

 

 もうお腹いっぱいなんだけど、と言いたげなエリカに、残念ながらね、と言いたげにピクシーが肩を竦めた。

 

『前に学校の裏口で話してたとき、私がしんちゃんに“スゲーナ・スゴイデスのトランプ”を渡したって話をしたのは憶えてる?』

「確かに、しんのすけがそんな話をしていたな」

 

 ほとんど間髪入れずにそう答える達也に、エリカが思わず「よくそんなこと憶えてるわね」と半ば呆れるような口調で呟いた。そしてその言葉に、なぜか深雪が得意気な表情を浮かべていた。

 

「しんのすけ、そのトランプには具体的にどんな効果があるんだ?」

「えーっと、綺麗な水着のお姉さんを呼んだり、アクション仮面とカンタムロボとぶりぶりざえもんを呼んだり、オラが汽車とか飛行機に変身したり――」

『要するに“何でもできる”ってこと。ざっくりとした制約はあるけどね』

「――――!」

 

 ピクシーがトランプの効果をサラリと言ってのけるが、その効果の絶大さは達也が思わず表情を強張らせてしまうほどだった。

 そしてその表情が、説明をするピクシーにも伝播する。

 

『ヘンダー城で集めた莫大な魔力を使って奴らが作り上げたのが、そのスゲーナ・スゴイデスのトランプだったの。そのトランプと奴らの魔法が合わさっていたら、間違いなくこの世界は滅ぼされていたでしょうね』

「でもトッペマ、オラが水着のお姉さんを呼んだときはすぐ消えちゃったゾ」

『確かに“私利私欲に使った魔法はすぐ解ける”って制約はあるけど、そんなのいくらでもやりようはあるわ。私利私欲に引っ掛からない方法で使うとか、一瞬で効果が終了する類の魔法とか』

 

 その代わり、とピクシーが話を続ける。

 

『トランプ作成のデメリットもかなり大きいのだけどね。トランプのジョーカーが制作者にとって明確な“弱点”となって、拠点の特定箇所にそれをセットすることで問答無用に封印されるようになるのよ。100年前にしんちゃんが奴らに勝てたのも、その弱点を的確に突いたからなの』

「ってことは、むしろトランプを作ってもらった方が勝てるんじゃ……?」

「何言ってるの、ほのか。元々そいつらは世界丸ごと滅ぼせるレベルの魔法使いなんでしょ? トランプを作れるってことはほとんど力を取り戻してる状態ってことだから、弱点を突くとかそういう話じゃなくなるでしょ」

『その通り。実際しんちゃんが奴らからジョーカーを奪えたのも、奴らが相当油断していたからよ。同じ手は二度も通じないと考えるべきでしょうね』

 

 ピクシーの言葉を最後に、部屋の中を重苦しい雰囲気が包み込む。楽観的にも悲観的にもならずフラットな視点で物事を見ることができる達也でさえ、他の面々と同じように深刻な表情を浮かべている。

 いや、達也だからこそ、そんな表情になっているといえるだろう。

 そもそも達也は、マカオとジョマがわざわざ日本にやって来たことが不思議だった。魔力を集めて自身の力を取り戻すことだけが目的なら、現地の人間を狙うだけで充分事足りるはずだ。しかし仮にヘンダー城が今も魔力収集の機能を保持しており、奴らがそう思うだけの明確な根拠があったとするならば、危険を冒してでも海を渡る価値はあると考えるだろう。

 それに達也は、しんのすけには“主人公補正”という能力があることを知っている。

 はたしてその能力が『別にヘンダー城にそんな機能はありませんでした』などという展開を認めるだろうか。

 

「よく分かんないけど、とりあえずトッペマはヘンダーランドに行きたいってことでしょ? いつにする?」

 

 そしてしんのすけは事の重大さをよく理解していないのか、達也たちが深刻そうにしているのを尻目にピクシーに問い掛ける。

 

『えっ? まぁ、早いに越したことは無いけど』

「だったら今夜にでも行く? 閉園してるときの方が、トッペマも周りの目とか気にしなくて良いんじゃない?」

『そりゃ、そっちの方が有難いけど、閉園中のテーマパークとか入れないでしょ? 100年前とは違って人間の会社が運営してるんだから』

「ダイジョーブ。オラ、ヘンダーランドを経営してる潮おじさんとお友達だから。今から電話して入れてもらえないか訊いてみるゾ」

『えっ、そうなの!? さすがしんちゃん、頼りになるわ!』

「いやぁ、それほどでも~」

 

 何やら着々と展開が進んでいるのを見つめながら、達也は大きな溜息を吐いた。しんのすけとピクシー以外の面々も、同じように憂鬱な表情を浮かべている。

 

 ――絶対に、ヘンダー城を見るだけでは終わらないだろうな……。

 

 彼らの思いは、概ねこれで一致していた。

 

 

 *         *         *

 

 

 来たときよりも1人増えた達也たち一行が、訝しむ守衛の眼差しを平然と受け流して校門を後にした。そうして街灯のおかげで最低限の視界が確保できている道路を少し歩いた先に、10人乗りの大型車が路肩に停まっているのを確認する。

 達也たちがその車に近づいていくと、運転席の窓が開いてそこから運転手が顔を出した。

 その運転手とは、藤林だった。

 

「お疲れ様、達也くん。問題無く連れ出せたみたいね」

「お世話になります、藤林さ――」

「お久し振りです、藤林お姉さん。こんな所で会えるとは、やはりオラとあなたは運命の赤い糸で繋がっているようですね」

 

 藤林と達也が挨拶を交わしていると、目つきをキリッとさせたしんのすけが横から割り込んできた。どこから出したのか、というよりなんで持っていたのかバラの造花を差し出してキザな台詞を決める彼に、藤林は「アハハ……」と乾いた笑い声をあげていた。

 もちろん彼女がここにいるのは、偶然でも運命でもない。ヘンダーランドに向かうことが決まった後に達也が独立魔装大隊に協力を仰いだ結果、大隊の幹部である彼女が運転手として抜擢されたためである。

 達也と彼女が顔を合わせるのは、横浜事変以来だ。四葉家当主・真夜の命によって達也と独立魔装大隊が接触を禁じられていたためであるが、今回の件に当たってその禁を解いてもらおうと彼女に電話を掛けたところ、さほど詳しい説明を求められることも無くお許しが出たのである。それはまるで達也が電話するのを待ち構えていたかのようであり、何やら作為的なものを感じる達也だったが、考えても仕方ないことだと割り切ることにした。

 

「立ち話も何ですし、早いところ車に乗ってもらえるかしら」

「えぇっ!? せっかくお姉さんと会えたんだから、もっとお話したいゾ~」

「ほら、()()()()()()()()()()()()()もいるんでしょ? その人を待たせたら可哀想よ」

 

 軍務で鍛え上げられた作り笑顔で説得する藤林に、しんのすけは渋々ながらも運転席の窓から離れ、グルリと前方を回り込んで助手席のドアへと手を掛けた。若干笑顔が引き攣ったように見える藤林を横目に眺めながら、苦笑い混じりの深雪が後部ドアを開け、その後に呆れた様子の達也とピクシーが続く。

 

「お疲れ、3人共」

「おぉっ、見事に人間にしか見えねぇな」

「本当、普通の女の子ですね」

 

 先に車に乗っていたのは、エリカ・レオ・美月・幹比古・ほのか。つまり昼間にピクシーの話を聞いていた面々が全員揃っていた。仮に出発時間が半日早ければ、文句無しに『仲の良い高校生グループが引率を伴ってテーマパークに遊びに行く』という光景そのものだろう。

 全員が乗り込んでドアを閉めたのを確認した藤林が、後部座席に座る達也に呼び掛ける。

 

「それじゃ出発するわね。高速道路を使うけど大丈夫?」

「はい、それで構いません」

「それじゃ、ヘンダーランドに向かって出発おしんこ~!」

 

 しんのすけの愉快な号令と共に、達也たちを乗せた車が動き出した。

 目指すは旧群馬県桐生市の湖上に浮かぶ、夢と魔法の国“群馬ヘンダーランド”である。

 

 

 

 

「動き出したようです。こちらも出発します」

「了解。くれぐれも見失わないように」

 

 そこから50メートルほど離れた場所でランプも点けずに停まっている車の中にて、そのような会話が交わされた。

 

 

 *         *         *

 

 

 高速道路でヘンダーランドへ向かう場合、最寄りのインターチェンジは館林となる。八王子市にある第一高校から出発するのなら、首都圏中央自動車道から高速道路に乗って久喜白岡ジャンクションで東北自動車道に乗り換え、館林で一般道に下りて30分ほどの道程を経る、というのが最も素直なルートだろう。

 都市部の一般道ではコミューターによるカー・シェアリングが一般的だが、高速道路での長距離移動に限定すると第三次世界大戦以前の交通事情とさほど変わらない。とはいえあまり交通量も多くない時間帯なので、順調に行けば2時間ほどで到着する見込みだ。

 しかし高速道路に乗って少し経った頃、車内ではとある“事件”が発生していた。

 

「しんちゃん、大丈夫?」

「……大丈夫じゃないかも。漏れそう」

「あんなにジュースを飲むからよ。……って、高校生相手にする小言じゃないでしょコレ」

 

 助手席に座るしんのすけがウンウン唸りだしたのは、今から5分ほど前。嬉々として藤林に話し掛けていた彼の突然の変化に何事かと身構える一同だったが、何てことはない、ただ尿意を催してきただけのことだった。

 とはいえ、高速道路の車内という状況ではそれなりに絶望感が大きいことだろう。ピクシーが言うところの“装置”を確認したらすぐ帰るとはいえ万一何が起こるか分からず、故に体調は万全を期しておきたいところでもある。

 

「……仕方ないわね、達也くん。丁度パーキングエリアがあるから、そこに寄りましょ」

「……はい、お願いします」

 

 苦笑いを浮かべる藤林が、チラリと視線を上に向ける。

 入口の案内板に書かれた“菖蒲”の文字を一瞥してから、藤林は速度を落としつつ車を左の車線へと移動させた。

 

 

 

 

 “パーキングエリア”というとサービスエリアと違ってトイレと小規模の売店、あるいは自販機コーナーが置かれただけの小規模なイメージが強いが、21世紀初頭の再開発ラッシュの影響によってサービスが充実したパーキングエリアも数多く見られるようになった。

 彼らが立ち寄った菖蒲パーキングエリアもその1つであり、上下線集約型であるそこにはフードコートやカフェ、さらには圏央道沿線の特産を取り揃えた土産屋も併設されている。なので普段は多くの利用客で賑わっているのだが、彼らが立ち寄った時間は大半の店が閉まっているので人影も疎らだった。

 

「おぉっ! 急げ急げ~!」

 

 しかし今のしんのすけにとって何より重要なのはトイレであり、藤林が駐車場の一画に車を停めた瞬間にドアを開け、そこから弾かれるような勢いで飛び出していった。幼稚園児がそのまま体を大きくしたような彼の姿は4月からの付き合いで何度も見てきたとはいえ、その背中を見送る達也たちに呆れや苦笑いの感情が浮かぶのも致し方ないだろう。

 皆がしんのすけを見つめる中、運転席の後ろに座るエリカはチラリと窓の向こう側へと視線を向けた。自分達の車から3つ離れたスペースに同じく10人乗りの車が停まり、そこから20代前半くらいの男女がゾロゾロと降りていく。全員が細長い筒状の鞄を肩に提げる大学サークルの集まりのような彼らを、エリカは若干目の奥に剣呑な光を携えた目つきで眺めていた。

 

「念のため訊くけど、他のみんなは大丈夫? それとも飲み物か何か買ってく?」

 

 藤林が後部座席の面々に尋ねると、美月が遠慮がちに右手を挙げた。

 

「あっ、すみません。飲み物が欲しいので、買ってきても良いですか?」

「だったら、俺が代わりに買ってくるぜ。丁度俺も欲しいモンがあったし」

「レオのセンスに任せてたら不安だわ。アタシも行ってくる」

 

 レオがそう言ってドアに手を掛け、それを追うようにエリカの台詞が続いた。レオが『何だとコンニャロ』みたいな視線をエリカに向けているが、当然ながら彼女はそれをガン無視だ。

 

「それじゃ2人共、お願いね。無糖の紅茶だったら、銘柄は何でも良いから」

「オッケー。チャチャっと買ってくるぜ」

 

 そう言い残して、レオとエリカが素早い身のこなしで車から降りる。

 そして建物へと向かおうとする2人を、達也が呼び止めた。

 

「2人共、“目当ての商品を見つけるまで探し回るような真似”はするなよ」

「……あぁ、分かってるよ」

「心配性ねぇ、達也くんは」

 

 達也が匂わせた“含み”を完全に理解したうえで、レオとエリカはそう答えた。

 

 

 

 

 しんのすけが足を踏み入れたとき、丁度トイレには誰もいなかった。彼は少しでも時間を短縮しようと入口から一番近い小便器へと駆け寄り、最後の最後で緩みそうになる膀胱と必死に戦いながらズボンのチャックを下ろしていく。

 そして、

 

「おおぅ……」

 

 無事に用を足すことができた喜びに、変な声をあげながら頬を紅く染めて顔を綻ばせた。そのまま溜めに溜めていた中身を全部出し切るべく、彼はしばらくその姿勢のままジッとしていた。

 するとそんな中、トイレの入口から1人の少年が入ってきた。歳はしんのすけと同じくらい、ガニ股気味に歩くその姿は飄々としていて、今にも口笛を吹きそうな能天気さを醸し出している。

 そしてその少年は、他に誰もおらずガラガラにも拘わらずしんのすけの隣の小便器へと歩いていった。チラリとしんのすけが彼を見遣るも、特に不思議に感じることも無く再び視線を落とす。

 そうしてしばらく隣り合っていた2人だが、ふいに少年が口を開いた。

 

「いやぁ、初めて来たけどなかなか良い場所だなぁ」

「そうですなぁ。埼玉出身だけど、オラも初めて来たゾ」

「へぇ、埼玉出身なんですかい。ってことは、高校もここの近くで?」

「ううん。東京の魔法科高校って所だゾ」

「ほう! つまり兄貴も魔法師ってヤツですかい?」

「まーね」

 

 用足しが終わったのか、しんのすけの体がブルリと震えた。ズボンのチャックを上げて洗面台へと歩く彼に合わせて少年も小便器から離れ、しんのすけの隣、入口により近い側の洗面台へと歩いていく。

 

「んで、兄貴はこれからどこへ行くんで?」

「友達と一緒にヘンダーランドに行くんだゾ」

「あぁ、あそこねぇ。俺も行ってみてぇなぁ。でも今から行っても閉まってるんじゃ?」

「ダイジョーブ。閉まった後に入れるようにしてもらってるから」

「へぇ、そりゃ何とも羨ましい限りだなぁ。――つまり、今ならセキュリティも手薄ってわけか」

 

 それまで社交的な態度だった少年が最後に付け足したその台詞は、それまでとはひどくギャップのある無感情なものだった。さすがのしんのすけも違和感を覚えたのか、手を拭うハンカチからその少年へと顔を向ける。

 少年は洗面台の前に立ちながら手も洗わずに、無表情のままジッとしんのすけを見つめていた。

 

「それで兄貴、どうしてそこまでしてヘンダーランドに行こうと思ったんで?」

「……別に、単なる思いつきだゾ」

「思いつき……へぇ、成程ねぇ……。――誰が提案したんだ?」

「……べ、別に、誰だって良いでしょ」

「いいや、俺にとっちゃそういうわけにゃいかねぇなぁ。

 

 

 ――トッペマの奴、復活したんだろ?」

 

 

「――――!」

 

 目を見開くしんのすけ。

 それで答えを確信したのか、少年はニィッと口角を上げた。

 

「やっと2人きりになれたわねぇ、――しんちゃん?」


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