嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第98話「終わりと始まりと振り返りだゾ」

 風に乗って微かに聞こえてくる楽しげな騒めきとは対照的に、第一高校内のカフェテリアは数人の生徒がいるだけで閑散としたものだった。その生徒の1人である達也はセラミックのカップに入ったコーヒーに口を付け、ソーサーの無いテーブルにカップを置いた。

 今日は、第一高校の卒業式。予定の時間では既に式は終了していて、この後2つの小体育館を使ってパーティーが開かれることになっている。わざわざ2つの会場を使うのは一科生と二科生を分けるためであり、こんなときまで徹底しなくてもと思わなくもなかったが、本人達もその方が気楽なのだろう。

 しかしながら、会場を2つに分けることで苦労を被っている者達もいる。会場の設営や料理の手配を行う業者はその分追加料金を貰っているのでまだ良いが、パーティーを主催している生徒会はまさにその被害者の筆頭だろう。達也が現在カフェで時間を潰しているのも、その仕事に駆けずり回っている深雪達を待っているからだった。

 とはいえ達也もただ黙って見ていたわけではなく、手伝おうか呼び掛けた彼に対して深雪が「お兄様のお手を煩わせる訳にはいきません!」と拒否したという経緯がある。あずさは手伝ってほしそうにしていたのだが、結局は何も言わずに引き下がっていた。それで良いのか生徒会長。

 

 ただ正直なところ、3年生にとって司波達也という存在はかなり微妙なものだろう。一科生にしたら自分達の存在を脅かす者、そして二科生にしても自分達の劣等感を刺激される者。卒業式というめでたい席で彼らに下手な横槍を入れずに済んで良かった、と達也は本気で考えていた。真由美などはそれを聞いて、大層不機嫌そうにしていたが。

 ちなみに達也たちと交流のあった3年生の進路についてだが、真由美・克人・鈴音の3人は仲良く魔法大学へ進学するのに対し、摩利だけは『実戦魔法師として身を立てたい』という夢のために防衛大学への進学を決めた。真由美も直前までそれを知らなかったらしく、彼女をやたらと冷やかしている姿が目撃された。会おうと思えばいくらでも会える距離とはいえ、別の学校というのは寂しいのだろう。

 

「お兄様、お待たせしました」

 

 と、そんなことを思い出していると、少々息を弾ませた深雪の声に達也が顔を上げた。

 そこにいたのは深雪だけでなく、卒業証書の入った細い筒を持った真由美と摩利、そしてその隣に寄り添うようにしんのすけとリーナの姿もあった。しんのすけは普段通りの飄々としたものだが、リーナはなぜか不機嫌そうに達也を睨みつけている。

 

「お2人共、どうしたのですか? 二次会の誘いが無かったとは思えなかったのですが」

「その前に挨拶しておこうと思ってな」

「式が終わっても挨拶に来ないし、パーティーの間もずっとここにいた達也くんのことだから、知らんぷりして帰っちゃうかと思ってね」

 

 真由美の言葉は表情的にも声色的にもからかっていることは分かったが、それを言われた達也本人としては釈明せずにはいられなかった。

 

「生徒会役員でもない俺が、先輩達のパーティー、しかも一科生の方に顔を出せるはずがないでしょう」

「別に遠慮しなくても良いのに」

「そうだゾ達也くん、オラもパーティーにお邪魔してたし。いやぁ、まさか学校のパーティーであんなに美味しい料理が出るとは思いませんでしたなぁ。思わず夢中で食べちゃったゾ」

「おまえはむしろ、少しは遠慮というものを覚えるべきだ」

 

 2人の会話を真由美と摩利がのほほんとした表情で眺めていると、目にも鮮やかな金色が2人の間に割って入ってきた。

 

「なんでよ、タツヤ! 風紀委員のタツヤがここで休んでる間に、臨時の私はパーティーの手伝いをしてたのよ!」

「風紀委員は生徒会の一員ではないからな。しんのすけだって、パーティーに参加はしてたが手伝いはしていないだろ?」

「そうだけど……、そうだけど納得できないわ!」

「そんなこと言って、リーナちゃんも凄いノリノリだったじゃん」

「あっ、ちょっ――!」

 

 しんのすけのその一言に、リーナは慌てた様子で彼の口を手で塞ごうとした。

 

「何かあったのか?」

「何でもないわよ、タツヤ!」

「臨時役員のリーナに手間の掛かる準備をさせるのもアレなので、彼女には余興を担当してもらったのですが――」

「ちょっと、ミユキ!」

 

 リーナが深雪を止めるべく飛び掛かろうとするが、しんのすけの巧みなディフェンスによってその場を動けずにいた。

 

「別に余興と言っても自分で何かをする訳じゃなくて、在校生や卒業生から希望者を募るだけで良かったのですが、リーナはどうやら勘違いしたらしくて、自分でバンドを率いてステージに上がったんです」

 

 深雪に全てをバラされたリーナは、「あああああ……」と嘆きながらその場に崩れ落ちそうになっていた。

 

「ふふっ、確かにアレはびっくりしたけど、会場も物凄く盛り上がってたわ。リーナさん、歌も上手くて素敵な声だったわよ」

「ああ。立て続けに10曲くらい演奏してな、プロと比べても遜色ない出来だったよ」

「まぁ、10曲はさすがに多いけど。音楽フェスの1ステージ分とか本気すぎるゾ」

 

 しんのすけの冷静なツッコミに、リーナは顔を真っ赤にして今にも泣きそうになっていた。

 それを見ていた達也は、微笑ましげな目つきとなっていた。

 

「良かったじゃないか、リーナ。“学校生活の良い思い出”が出来て」

「…………」

 

 プイッとそっぽを向いたリーナの仕草に、彼女を除いた笑い声があがった。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして()()()以降、リーナの姿を見ることは無かった。学校には『帰国の準備で忙しいから』と説明したらしいが、おそらくそれ以前から撤収命令が出ていたのだろう。高校生としての潜入調査のためにギリギリまで粘った彼女だが、そのおかげで少しは“普通の高校生活”を楽しめたなら幸いである。

 

「雫の乗ってる飛行機、ちょっと遅れてるみたいだね」

 

 そんなことを思いながら、達也はエリカの言葉に合わせて到着便の遅延案内へと目を向けた。

 今日は、アメリカへ留学していた雫が日本へ戻ってくる日。彼女を迎えるために、この1年間ですっかりお馴染みのグループと化した面々は、空の玄関口である東京湾海上国際空港へと足を運んでいた。

 一昨日で、3学期が終了した。つまり、達也たちの高校生活最初の1年が終了したことになる。

 達也の成績は、入学したときと変わらなかった。理論科目の点数が極端に高く、実技科目の点数がすこぶる悪い、総合順位としては中の下といったところ。エリカ達についても、入学時や節目でのテストの順位とそれほど変化は無い。

 

「それにしても、アメリカ本土からだとやはり時間が掛かりますね」

「軍用機は4分の1以下で太平洋を横断するらしいけど、なんでそんなに差があるんだろうね?」

「エンジンが違うぜ。軍用機は大気圏外周まで上がるからな。民間機は安全性と経済性優先だ」

「よく知ってるじゃない、レオ。テストの成績は悪いくせに」

「何だとエリカ!」

「よしなよ、レオ」

「エリカちゃんも、いちいち茶々を入れないの」

 

 深雪が達也に呼び掛け、ほのかがそれに反応し、レオが意外な博識っぷりを披露し、エリカが茶々を入れて、幹比古と美月がそれを窘める。そんな遣り取りも、ここ1年ですっかり定番となったことだ。

 そんな遣り取りを横目に、大きめのボストンバッグを肩に提げたしんのすけが、ニヤニヤしながら達也に近づいてくる。

 

「いやぁ、雫ちゃんがどんな成長をしたのか楽しみですなぁ」

「そうだな。向こうのカリキュラムは日本とは違うから、どういった学習を取り入れているのか興味がある――」

「そうじゃなくて。親から離れて日本から遠い異国の地で1人暮らしなんて、それこそ“イケナイ体験”の1つや2つはしててもおかしくないゾ」

「イイイイ、イケナイ体験!?」

「し、しんちゃん! そ、それってつまり……!?」

 

 しんのすけの軽口に、ほのかと美月が顔を真っ赤にして反応した。おそらく今の2人は、雫のような大企業の令嬢が海外留学の際に使用人の1人も同伴させないなど有り得ない、という事実も失念していることだろう。

 と、そのとき、ゲートから出てきた大勢の人混みに紛れて雫が姿を現した。キャリーバッグを引きながら颯爽と歩くその雰囲気は、留学する前よりも随分と大人びて見える。

 

「し、雫!? その雰囲気……もしかして、イケナイ体験をしちゃったの!?」

「挨拶も無しにいきなり何を言ってるの、ほのか」

 

 冷静にツッコミを入れる雫に、ほのかが目に涙を浮かべながら彼女に抱きついた。しばらく会えなかった親友との感動の再会にしては、どうにも空気が締まらない。

 

「ただいま、みんな」

「お帰り、雫」

「無事で何よりだよ」

 

 そうしてほのかの抱擁を受けながら、雫は達也たちに視線を向けて改めて久々の再会に相応しい遣り取りを交わす。

 それにしても、“イケナイ体験”というのは抜きにしても、彼女の行動の端々から以前よりも余裕のようなものが感じられる。おそらくそれは、彼女がアメリカ留学によって獲得した多くの知識によるものだろう。

 

「雫、向こうで色々学んできたんでしょ? 向こうでの生活とか色々教えてくれる?」

 

 深雪が雫にそんなことを訊いてきたのも、それを無意識の内に感じ取っていたからだろう。

 

「うん、良いよ。話したいこともいっぱいあるし。――でも私としては、私がいない間に日本で何があったのかも色々と聞きたいんだけど」

「えっと、雫ちゃん……。その節については大変申し訳なく――」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるしんのすけに、雫がクスリと笑みを漏らす。

 

「それについては父さんが許してるなら私からは何も言わないけど、そもそもどういった経緯でそうなったのかは教えてくれるかな」

「そうだな。それも含めて、これからアイネブリーゼにでも行かないか?」

 

 達也の誘いに、雫は一も二も無く頷いた。

 

 

 

 

 雫を迎えた達也たちは、これまたこの1年の間にすっかり常連となったアイネブリーゼへと向かった。既に貸し切りの手配が成されているそこならば、周りの目を気にせずに彼女の話を聞くことができる。

 3ヶ月間で積もりに積もった彼女の話はとても長かったが、そのどれもが日本に閉じ籠もっている魔法科高校の友人達には新鮮なものだった。特に向こうの学校での授業内容は達也が前のめりになるほどの興味を惹いたが、しんのすけやレオやエリカなどの比較的不真面目な生徒である面々は若干退屈そうにその話を聞き流していた。

 雫の話が一段落したら、今度は達也たちがここ3ヶ月間で起こった出来事について話す番だ。特に雫と入れ替わりで入ってきた留学生や、達也たちも当事者となった吸血鬼事件については雫も大いに関心を寄せ、異世界からやって来たというオカマの魔法使いやその部下達の話には、感情をあまり表に出さないタイプの彼女ですら驚いていた。

 そして、“彼女”との初顔合わせについても。

 

「初めまして、さっきの話にも出てたトッペマ・マペットよ。よろしくね、雫ちゃん」

「……凄い、本当に生きてるんだ」

 

 深緑を基調とした道化師風の衣装を身に纏い、左頬に星形のメイクを施し、ぜんまいのネジを髪飾りのようにあしらい、腰まで届くほどに長い緑色のツインテールを模した帽子を被る、生きた操り人形。

 吸血鬼事件を経て再びしんのすけの仲間となった異世界の魔法使い――トッペマ・マペットの姿に、雫は驚きを通り越して目を丸くしていた。しかしその目の奥はキラキラと輝いているので、少なくとも恐怖の類は抱いていないようである。

 

「あの日以降、しんのすけと一緒の家に住んでいるんだ。元々仲間だったこともあるし、魔法的な繋がりがある今だと尚更一緒の方が良いと思ってな」

「それに4月からは、しんちゃんと一緒に学校に行くことにしたの。いつどこで、マカオとジョマやその部下達が襲ってくるか分からないからね」

「そうなんだ……。よろしくね、トッペマ」

 

 ペコリと頭を下げる雫に、トッペマは「よろしくね」と笑顔で答えた。人形のトッペマの方が雫よりもだいぶ小さいのだが、精神年齢的にはトッペマの方が遥かに上であり、だからこそ雫に対してお姉さんとして接していることが雰囲気からも伝わってくる。

 

「ところで、トッペマのことは父さんも知ってるの?」

「あぁ、ヘンダー城を破壊した件について雫の家にお邪魔させて頂いたときにな。さすがにトッペマやマカオとジョマ達の存在を抜きにして、ヘンダー城を壊すに足る合理的な理由が思いつかなかったからな」

「そりゃそうだわな。いくら何でも、被害額が大きすぎる」

 

 しんのすけがアクションビームでヘンダー城を木っ端微塵に破壊してから最初の日曜日、達也と深雪、そしてしんのすけとトッペマの3人+1体は、ヘンダーランドを経営する北山潮に釈明するべく北山邸を訪れていた。それに伴い、異世界からやって来たマカオとジョマの存在はもちろんのこと、生きた人形であるトッペマの存在すらも明らかにしたのである。

 とはいえレオも指摘した通り、被害額が尋常ではない。おそらくヘンダー城の総工費は推定で数百億に上るだろうし、テーマパークのシンボルであるそれを壊したとなれば今後の運営にも少なからぬ影響が出るだろう。たとえやむにやまれぬ事情があったとしても経営者としてはそう簡単に許せるものではなく、それこそ損害賠償事件に発展してもおかしくない。

 

「それでも、結局は許してくれたんだよね? 何というか……凄いね」

「包み隠さず事情を説明したのが功を奏したのだろうが、だとしても雫のお父上の懐の深さに助けられたな」

「でもさ、城を再建するにしてもお金はどうするの?」

「その件については……」

 

 エリカの問い掛けに、達也が気まずい表情でしんのすけへと視線を向けた。

 

「……お金については、あいちゃんが出してくれることになったゾ」

「あいちゃんって、あの酢乙女家の? なんでまた」

「オラも知らないゾ! オラも達也くんも話してないのに、急に電話が掛かってきて『私が何とか致しますわ』とか言ってきたんだゾ! 代わりに何を要求されるのか分からなくて怖いんだゾ!」

「数百億なんて大金をポンと出すとか、世界規模の大企業の令嬢こっわ」

「確かに狙いが分からなくて怖いわな。主に思い当たりがありすぎるって意味で」

 

 レオの言葉にしんのすけが改めてブルリと体を震わせ、エリカが「余計なこと言うんじゃないわよ」とレオを軽く小突く。

 そんな遣り取りの中、ずっと思案顔だった雫が口を開いた。

 

「それにしても、あの城に魔力を集める機能があったなんて……。まさか父さんはそれを知っててアレを造ったわけじゃないと思うけど……」

「確かに、そこが疑問だよね。それって、トッペマの世界での技術なんだろう? 何も知らずに造った建物に偶然そういう機能が備わった、なんて有り得るのかな?」

 

 幹比古の疑問は、達也も同意するところだった。なので達也は北山家を訪れた際、ヘンダー城建設の経緯を尋ねていたのである。

 北山家が経営しているホクザングループにある子会社の1つに、元々独立していた企業を買収したことで傘下入りしたものがあった。その企業が初代ヘンダーランドを運営していた企業と繋がりがあったらしく、縁あって当時の設計図をその会社から譲り受けたらしい。当時の事情を知る社員は既におらずほとんど忘れられていたのだが、偶然それが見つかったことでヘンダー城を含めた幾つかのアトラクションを当時そのままの姿で再現することになったようである。

 

「その初代ヘンダーランドの運営企業って……」

「間違いなく、マカオとジョマが設立したものでしょうね。ヘンダーランドを普通のテーマパークに偽装して運営するために、書類やら何やらを魔法で偽造したんでしょ」

 

 トッペマの答えは、その場にいる全員が納得のいくものだった。

 

「ということは、マカオとジョマが城の設計図をその会社に託して、将来再び自分達が復活したときに再建されたそれを利用しようと企んでいたってこと?」

「何というか、随分と用意周到だな。万が一自分達が封印されたときのために、復活した後のことを考えてたってことだろ?」

「用意周到っていうより、回りくどくない? そもそも設計図を託したところで、本当にその城が再建されるかどうかなんて分からないじゃない」

「怪しいとするならば、設計図を持ってたっていうその子会社だけど……」

「雫のお父上の話を聞く限り、その子会社はシロだろうな。ヘンダーランド再建のプロジェクトにその子会社はほとんど関わっていなかったし、設計図も見つかるまで社員の誰もが存在にすら気づいていなかったらしい」

「てか対策を立てるなら、城なんかよりも封印された後に復活する手段の方だよな。今回奴らが復活したのだって、結局はUSNAの実験が偶々そういう結果になっただけだろ? そんないつ行われるかも分からない実験を見越して、復活した後に魔力を補充するための装置の心配をするか?」

 

 疑問が疑問を呼んで堂々巡りをしているような状況に、全員の顔がみるみる苦悶の表情を浮かべていく。

 そんな状況を打ち切ったのは、しんのすけだった。

 

「ねぇねぇ! そんな難しいこと考えないで、今は雫ちゃんの帰国をお祝いするゾ! せっかくケーキとかあるんだからさ!」

「……確かに、店主のご厚意を無駄にするわけにはいかないか」

「というわけで、いただきまーす!」

 

 待ってましたとばかりに真っ先に飛びついたしんのすけに苦笑いを浮かべつつ、他の面々もケーキや軽食に手を伸ばしていった。

 余談だが、雫も日本を旅立つ前に比べて食いつきが良いように思えた。別に日本食ではないのだが彼女には感慨深いようで、「やっぱり日本人の作る料理は繊細で量も普通だ」と呟いていた。いったいどんな食生活を送っていたのだろう、と達也は少し気になった。

 

 

 *         *         *

 

 

 雫の帰国祝いも終わり、司波兄妹も家に戻ってしばらく経った頃。

 達也がリビングで電子書籍に目を通しながら『今日は色々あったな』などと今日の出来事を振り返っていたまさにそのとき、来客を知らせるベルの音が鳴った。応対をするためドアホンに向かう深雪をチラリと目で追って、再び携帯端末へと視線を戻す。

 そしてドアホンのボタンを押して来客の姿が画面に映し出されたとき、深雪から驚きの声が漏れた。そのときの彼女の顔には、驚愕と焦りの色が浮かんでいる。

 

「あの、お兄様……。お客様なのですが……」

「どうした? 俺が出ようか?」

「いえ、それには及びませんが……。お客様は、その――」

 

 戸惑いを見せる深雪の口から来客の名前が出ると、達也の顔も同じように驚愕で彩られた。いつまでも玄関に立たせておくのも悪いということで、その来客を中に入れることにする。

 

 そうしてリビングにやって来たのは、3人。

 1人は、達也と深雪の母親である四葉深夜の守護者(ガーディアン)を務める桜井穂波をそのまま十代半ばまで幼くしたような少女・桜井水波(みなみ)。彼女も穂波と同じく遺伝子操作を受けた調整体魔法師であり、本家でメイドとして働いているのを何回か見掛けている。

 1人は、四葉の中で諜報部門を引き受ける分家“黒羽家”の長男にして、深雪と次期当主の座を争っている少年・黒羽文弥。中世的な顔立ちをした彼は、初めて訪れた達也の自宅に緊張しきりである。

 そしてもう1人は、そんな文弥の双子の姉であり、文弥とペアを組んで諜報の任務を請け負っている少女・黒羽亜夜子。こちらは文弥とは対照的に、落ち着いた、それでいてどこか挑戦的な笑みを深雪に向けている。

 

「文弥と亜夜子はともかく、水波が本家を離れるとは珍しいな。今日はどういった用事だ?」

 

 達也の言葉に、水波が代表して1歩前に出て達也に封書を差し出した。

 とりあえずそれを受け取り、3人にソファーに座るよう促して自身もそれに座り、封を開けて中の手紙に目を通す。

 差出人は、四葉家現当主である四葉真夜。

 決まり文句である時節の挨拶の後には、こんな文章が続いていた。

 

 

 この度、文弥くん、亜夜子ちゃん、水波ちゃんを第一高校へ入学させることとなりました。

 ついては達也さん、あなた達の家に3人を住まわせてあげてくださいな。あなた達の家ならば第一高校からも近いでしょうし、わざわざ別の家を用意させるのも手間ですし。もちろん、3人分の家賃や生活費はこちらで工面致します。

 家事についても、水波ちゃんに任せれば大丈夫です。既に一人前の家政婦として充分な技量を持っていますし、住み込みのメイドとして働くよう言い含めてあります。あなた達も高校2年生ともなれば色々と忙しくなるでしょうし、家のことを気兼ねなく言いつけてください。

 それから、彼女には将来的にガーディアンとしての仕事を憶えてもらうつもりです。彼女の先輩として、色々と教えてあげてくださいね。

 

 

 なぜだろうか。達也はこの手紙を読んで、真夜の高笑いが聞こえてくるような気分になった。

 達也から手渡されたその手紙を深雪が読み終わったタイミングで、3人が立ち上がって深々と頭を下げた。

 

「未熟者ではございますが、よろしくお願い致します。奥様のお言いつけ通り、精一杯務めさせていただきます」

「突然押し掛けて申し訳ありません、達也兄さん、深雪さん! よろしくお願いします!」

「お2人との共同生活、楽しみにしておりました。よろしくお願い致しますわ」

 

 横並びに立って揃って頭を下げる3人と、それを無言でジッと見つめる達也。

 そしてその間で、オロオロと視線を行ったり来たりさせている深雪。

 達也としても突然のことで戸惑いはかなり大きいが、当主である真夜の命令を拒絶することはできない。もちろん彼女の真意を探る必要はあるだろうが、少なくともこの場で達也が口にすべき台詞は1つだけだ。

 

「――分かった。3人共、これからよろしくな」

 

 新年度は今まで以上に波乱を巻き起こしそうだ。

 そんな有難くもない予感が、達也の胸にこびりついて離れようとしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは第一高校の卒業式が行われた、その日の夜。

 

「前にリーナちゃんと話したのって、ここだっけ?」

「そうそう。ここのファミレスね」

「…………」

 

 第一高校から程近い場所にあるファミレスに、しんのすけ・リーナ・達也の3人がやって来た。全員学校から一旦家に帰ったのか、制服から着替えて私服姿となっている。

 周囲に視線を飛ばす達也を最後尾に据えて3人は店の一番奥にある席へと進んでいき、達也とリーナが壁を背にしたソファーに肩を並べて座り、しんのすけがその正面の広々としたソファー席に座った。達也たちからは、店の全景が一目で分かるようになっている。

 

「何でも好きなの頼んでね、シンちゃん。ワタシ達の奢りだから」

「いやぁ、悪いですなぁ。う~ん、何にしようかなぁ?」

 

 嬉々とした様子でメニュー表に夢中になるしんのすけを視界に捉えながら、達也が小声でリーナに話し掛ける。

 

「どうやら本当に仲間は近づけていないようだな」

「当たり前でしょ、絶対に盗み聞きするような真似はするなって言いつけているんだから」

「それでも向こうからしたら、危険を冒してでも欲しい情報なんじゃないか?」

「仮にそうだったとしても、タツヤなら分かるでしょ?」

 

 リーナの質問に、達也は答えなかった。肯定も否定もしなかった。

 そうしてしんのすけがタッチパネルで料理を注文し、店員がそれを持ってくる。奢りなのを良いことにこの店で一番高価なステーキセットとジャンボパフェを注文してきたが、2人からしたらこの程度の出費は痛くも痒くもない。

 これから得られるであろう情報に対する費用としては、それこそ破格だろうから。

 

「しんのすけが食べてる間に、俺達で“例の物”を読ませてもらえるか?」

「おっ、そうだったそうだった。ちょっと待ってね」

 

 ナイフとフォークを構えていたしんのすけが、一旦それをテーブルに置いて自分の鞄を漁り始めた。とはいえ大きな鞄ではなく、程なくして目当ての物を取り出して2人に手渡した。

 どこにでも売っている簡素なノートの表紙には、こう書かれていた。

 

『2092年夏、沖縄の思い出』

『作:野原しんのすけ』

 

「……このノートに、俺達とのことが書かれているんだな?」

「そうそう。この前リーナちゃんと一緒に話してたとき、そういえば日記書いてたなって思い出して。母ちゃん達に春日部から送ってもらったんだゾ」

 

 そう言って再び食事に戻るしんのすけに対し、達也とリーナは真剣な面持ちで互いに視線を合わせ、そして意を決したように表紙を捲った。

 

 

 

 

 これから語られるのは、世界で数人ほどの記憶にしか残っていない、しかし確かに存在していた一夏の思い出。

 もはや追憶することすら叶わなくなった記憶の断片を繋ぎ合わせて、あのとき何が起こっていたのかを正確に記した“記録”である。


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