央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第十話 嘲匪賊 怒公主

 

 トリステインからゲルマニアへと向かう峠道で、荷馬車につながれた馬をのんびりと進ませながら。

 三人組のむさ苦しい男たちが、いかにもならず者という感じのやりとりをしていた。

 

「へへへ。ゲルマニアに着いたら、何をするよ?」

「そりゃあおめぇ、まずは娼館へ行ってよ! それから焼き肉とエールの黄金コースだろ、常識的に考えて」

「おいおい、黄金コースっうならよ。ダボ・フィッシュの刺身を忘れてねぇか!」

「ケッ、モノ好きめ。あんなマズい魚の何が好きなのかねぇ?」

「ほっとけ。あぁ、久し振りに風呂にも入りてぇなぁ……」

「いいねぇ。もちろん、いい香りの石鹸で。ムチムチのゲルマニア女が念入りに洗ってくれる、サービス付きのやつでよぅ!」

 

 二人は御者台で手綱を握り、もう一人は荷台の方で酒瓶とマスケット銃を手にしながら“積み荷”の見張りをしている。

 

 その積み荷とは、トリステインの路地でさらってきた幾人もの少女たちだった。

 彼らは貴族崩れが率いる傭兵団だったが、最近は戦争がないので、こうやって諸国を巡り歩いては盗みや人さらいを行って日々の糧を得ているのである。

 今日さらった少女らを隣国に運び出して、その手の商人や娼館に売り飛ばせば、しばらくは遊んで暮らせることだろう。

 

「……に、してもよぅ。俺らはこんなに一生懸命汗水垂らして朝から労働してるってぇのに、姉御らは今ごろ涼しい馬車の中だぜ?」

「そのくせ、俺らの何倍も取り分をもっていきやがるしなぁ……」

 

 ゲラゲラと下品に笑いながら語らっていた男たちは、そのうちに今度は小声で、自分たちの境遇に関する不平不満をぶつぶつと漏らし始める。

 

 仲間内にはメイジが頭とあと二人、合わせて三人いるのだが、みんな昼の日差しが暑いからと馬車の操縦や雑務を自分たちに押しつけて、峠道にさしかかる少し前くらいで後ろの豪勢な部屋付き馬車の中に引きこもってしまったのだ。

 おそらく、ゲルマニアに到着した後の算段を簡単にまとめた後は、旨いものを飲み食いしながらカードでもやっているか、昼寝でもしているのに違いない。

 そのおかげでこちらも彼らの目を気にせずに、こうして平民仲間で無駄口や陰口を叩き合えるわけだが……。

 

「ま、関所を通過する少し前あたりになりゃ、姉御以外はまた出てくるだろうさ」

「俺らだけじゃあ、役人どもに舐められるからな」

 

 取り押さえるのが面倒なだけの戦力がこっちにあるということを見せてやれば、向こうとて面倒事はごめんだから、後は少しばかりの賄賂で大抵は積み荷の取り調べは免除になるものだ。

 担当の役人が好色そうな輩であるなら、積み荷の一匹くらいは“融通”してやるという手もある。

 もちろん自分たちの腕前ならば、最悪戦ってもこんな辺境の関所くらいは切り抜けられるだろうが、これまでにそんな事態になったことはなかった。

 

「チェッ、メイジさまさまはいいよなぁ。貴族でなくなっても威張れるし、楽して食ってけるンだからよぅ!」

「ぼやくなぼやくな。俺ら平民は一生真面目にはたらいてどうにか食ってくしかねぇって、生まれたときから決まってンだからよ?」

「メイジなんざァ所詮、生まれつきの運がいいだけよ。ほれ、この酒でも飲んで忘れろや」

 

 盗みをはたらいたり罪のない少女たちの人生を台無しにしたりして生計を立てるのを、普通は真面目にはたらいているとは言わないであろうが、彼らの頭の中には自分たちの苦労のことしかないらしい。

 

 もちろん、かつては彼らとてもこのような稼業にはそれなりの抵抗を感じていたのだろうが、今ではすっかり慣れきって、罪の意識など遙か彼方に置き去りにしてしまっているようだった。

 事実、背後にいるそのさらわれた少女らに自分たちの猥雑極まりない会話の内容が届いても気にしないし、彼女らが泣いたり悲痛なうめきを漏らしたりしても、まったく無視するかうるさいと怒鳴りつけるだけなのだから。

 

「姉御にゃあこんだけご奉仕してんだからよぉ。一度くらいはこっちも、イイ目を見させてもらって当然だと思うンだがなぁ……」

「ヒヒ、あの姉御に“相手”してもらいてぇってか? 無理に決まってンだろーが」

「だなぁ……。平民の俺らなんぞに、そんなサービスがあるわけねぇか」

「そうそう、そんな夢見るよりもだな。ゲルマニアへ着いたら、艶っぽい褐色肌の商売女を相手に――」

 

 鬼の居ぬ間に洗濯とばかりにはしゃいでいた男らは、そこで突然、口をつぐんだ。

 前方から、何者かがが近づいてくるのに気が付いたからだ。

 

「もし、そこを行かれる方々。何卒、お力をお貸しくだされ。困っておるのです」

 

 その者の声を聞き、姿をはっきりと確認した途端に、男らの体から緊張が抜けた。

 一転して、にたにたとほくそ笑む。

 

 それもそのはず、やってきたのはうら若い女性だったのである。

 

(おい、こりゃあとんだ追加収入がやってきやがったな!)

(ああ。しかも、結構な上玉だぜぇ?)

 

 大きな切れ長の瞳に整った美貌、女性にしては長身で、はち切れんばかりの色香に満ちた体。

 色白で、握り締めれば折れそうな細い首。

 顎は細く、唇は瑞々しい花弁のようで、艶やかな黒髪を腰よりも下に垂らしている。

 荷馬車の中に詰め込んだ少女たちと比べると年は少しいっているようだが、それでも十分に若く、おそらくはその中の誰よりも高値で売れるだろうと思えた。

 

「いいとも、お嬢さん。一体、どんな手助けが必要だっていうんだね?」

 

 男らは馬車を止めて素早く視線を交わし合うと、すぐにでもその体を引っ掴んで荷馬車に押し込んでしまいたい気持ちをぐっとこらえ、精一杯紳士的な態度を繕ってそう尋ねた。

 後続の馬車もまた、彼らに合わせて歩みを止める。

 

 この女は間違いなく格好の獲物だが、ちょっとばかり気にかかるところもあった。

 言葉遣いがなんだか妙だというのもあるが、こんな場所だというのに、なにやら品のいいメイド服らしきものを着込んでいるのだ。

 それに、こんな峠道を貴族でもない若い女が、たった一人で歩いているというのもおかしい。

 

 どこか近くに連れがいるのかもしれないし、それが身分の高い貴族とかいうことも十分にあり得るだろう。

 迂闊に手を出して面倒に巻き込まれても困るから、ここは焦らず状況を把握した上で、こいつをどう取り扱うのか判断するべきだ。

 

「はい、実は……」

 

 といって、その女性が男らに語って聞かせたところによると。

 

 彼女は隣国のさる貴族に仕えている侍女で、こちらの国で幾本かの高価な酒を購入した後、主の元へ持ち帰るべく馬車を進ませている途中だった。

 ところが、この先で馬車の車軸が外れてしまい、それ以上走れなくなった。

 女二人では修理もままならないので、手を貸してくれる者を探していたのだ、という。

 

「他になにもありませぬが、助けていただければ手元の酒を内密で一本、お分けいたしますゆえ。何卒、ご助力くださいまし」

 

 女性が、よよよ、と、ちょっとわざとらしいぐらいに弱々しく困った様子で、そう訴える。

 

 その話を聞いた男らは、ともすればにやにやと漏れ出してしまいそうになる下卑た笑みを隠すのに苦労した。

 目の前の旨そうなカモがなんとネギまで背負っていたというのだから、それも当然だろう。

 男らは好色な目を女の肢体に這わせながら、ひそひそとささやき交わす。

 

(ヒヒ、こいつの妹だとよ。さぞかし上玉だろうなァ?)

(しかし、ゲルマニアの貴族の召し使いならよ。向こうで売りに出すのは、ちょっとヤベェんじゃねぇか?)

(もちろんだ。で、売れねぇなら、処分するしかねぇわな? つまり、こいつと妹とは、俺らがこの場でどうにでもしてイイってことだよなぁ!)

(おまけに、貴族がわざわざ他の国から買ってこさせるような上等な酒が、たんまりあるんだと!)

(いやぁ……、メイジどもが見てねぇ間に、こんなウマい話があるだなんてよ。やっぱ普段から真面目に働いてっと、たまにゃあ神サマからのご褒美があるモンなんだなぁ、おい!)

 

 背後の馬車を御している二人も含めて、今この場にいるのは平民ばかり。

 道の前の方で別の馬車が動けなくなっていてどかさないことには進めないから修理を手伝いに行っているんだとかなんとか、メイジどもに聞かせる適当な言い訳を考えておきさえすれば、この追加収入をそっくり自分たちの懐に納めてしまうことができる。

 

 要するに、女二人は心行くまで愉しんだ後にそこらへ埋めてしまえばいいし、酒は分配して懐にでも隠しておいて、後で飲むか売るかすればいいのだ。

 

「いいですとも。美しいお嬢さんがお困りとありゃあ、俺らは喜んでお手伝いしやすぜ?」

「どうぞ、その場所へ案内してくださいや!」

 

 友好的な笑みを装いながら、荷馬車の御者を務めていた男らが地面に降りる。

 背後の馬車を御していた二人も、それに続いた。

 少女たちの見張り役を務めている男だけは席を外すわけにもいかず、留守番として残らされて不満ではあったが、まあ後で代わってもらえるだろうし、いくらか酒の分け前を多く請求できるだろうと考えて機嫌を直す。

 

 そのとき。

 

「ダメ、逃げるのね! こいつらは悪いやつらなのね、案内しちゃいけないわ!」

 

 突然、荷馬車の奥のほうから、そんな叫び声が聞こえてきた。

 先ほどからのやり取りを耳にしていたシルフィードが、このままではまた他の女の子がさらわれてしまうと気付いて、いてもたってもいられずに声を張り上げたのだった。

 

「なっ……!」

 

 傍にいた見張り役の男が怒りにさっと頬を紅潮させ、顔をよりいっそう醜く歪めた。

 

 この状況でそんな真似をすればどうなるかもわからない、頭の弱い小娘のせいで、せっかくの臨時収入が台無しになりかねない。

 あの女が今のでこっちの正体を察して悲鳴でも上げようものなら、後ろの馬車の中に引きこもっている頭たちも、何事かと様子を見に出てきてしまうことだろう。

 

(この、足りないくそガキがァッ!!)

 

 心の中で怒声を張り上げると、手にしたマスケット銃の台尻で思い切りシルフィードの頭を殴りつけた。

 

「きゅいぃっ!?」

 

 強かに頭を殴りつけられたシルフィードは、悲痛な鳴き声を上げてぶっ倒れる。

 他の少女たちも、その光景に思わずひっと悲鳴を漏らした。

 本来のドラゴンの体であればその程度の衝撃はダメージにもならなかっただろうが、か弱い人間の少女の姿に『変化』している今の彼女には、その外見相応の耐久力しかないのだ。

 

「あ……」

 

 荷馬車の幌の中で起こったそれらの出来事は、外にいる者たちには見えなかったものの、音はしっかりと聞こえてきていた。

 助けを求めて近づいてきた女が、はっとしたような表情になる。

 

 それを見て感づかれたなと判断した男たちは、即座に友好的な仮面を脱ぎ捨てて、下卑た笑みを露わにしながら武器を引き抜いた。

 

「おっと、騒ぐなよ! こっちはうるさくしてほしくねぇんだ。それ以上声を出すと、そのでけぇ胸をグサリといくぜぇ?」

「あんたの妹さんとやらのところへ案内しな……。なぁに、そう悪いようにはしねぇよ。俺らとしては、積荷の酒とやらさえいただければそれでいいんだからな」

「そうそう。そうすりゃ望み通り馬車も直して、無事にお国へ帰らしてやるからよぉ!」

 

 平然とそんな嘘をつきながら、男らが女性ににじり寄る。

 女は無言で、俯いたまま震えていた。

 先頭の男がいやらしい笑みを浮かべながら、その肩……あるいは胸か……に、無遠慮に手を伸ばそうとした。

 

 しかし、その手が触れる直前に顔を上げた女性の浮かべていた表情は、男らが想像していたようなものではなかった。

 

「……言い残すことは、それだけかえ?」

 

 青ざめてもいなければ、恐怖に引きつってもいない。

 そこにあったのは、純粋な怒りだった。

 場数を踏んだ傭兵であるはずの男たちでさえも、その氷のように冷たく、かつ熱い怒りに燃えた視線に射竦められると、思わずたじろいだ。

 

 次の瞬間、芝居をかなぐり捨てた瑠螺が、眼前の男の腹に目にも止まらぬ速さで拳を叩き込む。

 

「ぐげべっ!?」

 

 腹におそろしく重い衝撃が突き刺さり、何かが折れるような嫌な音がした。

 息がつまり、視界が一瞬で真っ赤に染まる。

 その男は体をくの字に折って悶絶し、血の混じった吐瀉物を撒き散らかしながら、地面をのたうち回った。

 

「ええい、やはりこんな小芝居なんぞはわらわの性にあわんわ! もうやめじゃ!」

 

 瑠螺は残る男らを鋭く睨みつけながら、怒鳴るような声でそう宣言する。

 その頭の上にぴぃんと尖った狐の耳が飛び出していることに気が付くだけの余裕が、はたしてならず者どもにあったかどうか。

 

 妖狐というのは元々、化かすのが得意な種族である。

 

 嘘が顔に出やすい性質であるとはいえ、最も得手とするのが変化・幻術ではなく五遁の金行術であるとはいえ、それでもほんの子狐だった頃には太上準天美麗貴公主などと名乗って神であると偽り、人々に貢物を差し出させていたこともあるのだから、瑠螺にもお芝居で人を騙すことがまるでできないというわけではない。

 その堂々たる容姿や口調からもわかるように、主として美貌で人を惹きつけたり威厳を装って騙したりするのが得意なのであって媚びたり弱々しいふりをしたりするなどというのはどうにも性に合わないのだが、それでも最初は少女らの安全を確実にするためにも我慢して一芝居打ち、ならず者どもを馬車から離れさせた上で片付けていこうかと考えていた。

 

 だが、しかし。

 その救うべき対象の一人が、昨夜知り合って親交を深めた少女が、試みも虚しく目の前で傷つけられてしまったからには。

 

「おぬしらのような輩は、やはり土の肥やしにでもなったほうが世の中のためとは思うのじゃがな……」

 

 瑠螺は、足元で情けなく呻いている男の体を冷たく見下ろしながら、ふんと鼻を鳴らした。

 それから、つまらなさそうに言い添えてやる。

 

「……この男のようになりたくなくば、とっとと降参おし」

 

 その言葉に、はっと我に返った男らが、あわてて身構える。

 

「てっ、てめぇ……。何モンだ!?」

「おい、腕が立つのか知らねぇが。不意討ちでちょいとシモンズの野郎をぶちのめしたくらいで、調子に乗るんじゃねぇぜ!」

「この状況がわからねえのか。こっちにゃあまだ三人、いや、馬車の中のシュッツも合わせて、四人もいるからなぁ。それにシュッツの野郎は、銃も持ってるンだ。降参して詫びを入れるのはそっちの方だろぉが、ああ?」

 

 その言葉に応えるように、外の騒ぎに気が付いた見張りが幌から姿を現すと、手にしたマスケット銃を瑠螺に向けた。

 それを見て、男らの顔にまた、余裕とにやついた笑みが戻ってくる。

 

 対する瑠螺はしかし、怯えるでも狼狽えるでも、余裕を見せるでもなく、ただ怪訝そうに、そのマスケット銃を見つめた。

 

(なんじゃ、あれは? どうやら武器らしいが、仙宝……、いや、マジックアイテムとやらか?)

 

 まだ青銅器が主流な文明圏からやってきた瑠螺に銃など見せたところで、そもそもそれが何なのかわかるはずもない。

 

 とはいえ、並大抵の銃などよりもよほど強力な仙宝で武装した敵とも渡り合ってきた彼女のこと。

 たとえその正体と性能を知っていたとしても、やはり恐れることはなかったであろうが。

 

(わからんが、あの構え方からすれば飛び掛かって斬りつけるような接近戦用の武器ではなさそうじゃな)

 

 すると、飛び道具の類か。

 瑠螺がそう考え込んでいるところへ、にやついた男らが声をかけてきた。

 

「どうだい? そのきれいな顔を吹っ飛ばされたくなきゃァ降参しなよ、お嬢ちゃんよぉ!」

「どうせ、貴族のメイドってのは嘘なんだろ。どうよ、俺らの仲間になるってのは。見栄えもいいし腕も立つなら、頭に口聞いてやってもいいぜ?」

「その前に、なんで俺らに喧嘩売ってきたのかは聞かせてもらうし、それなりの“詫び”もしてもらうけどなァ……」

「シモンズの野郎は、おめぇをヒイヒイ泣かせなきゃ気が済まねぇって言うかもな。ヒヒ!」

 

 瑠螺は冷ややかな目で、そんな男らの姿を見回した。

 

 これが時代の違いというものなのか、どいつもずいぶんと上等な装備をしていた。

 武器はどれも鉄製だし、銃とかいう得体の知れない飛び道具もあるようだし、央華でなら仙宝だと言っても通りそうな金属製の防具を身に付けている。

 央華の典型的なならず者なら、武器は木製かどこかで拾い集めたような不揃いな青銅製で、飛び道具は粗末な弓、防具はあったとしても獣皮か木っ端か、金属片を寄せ集めたような気休め程度の代物だけだろう。

 しかし、身のこなしや何かを見る限り、中身の方は大差なさそうだった。

 おそらくは自分たちのことを強いと思っていようが、せいぜいが野の獣を狩る民人に毛の生えた程度であるに違いない。

 

 それでも、彼女は降伏するかのように、ゆっくりと両手を上げた。

 

「……こうしてほしいのかや?」

 

 男らが会心の笑みを浮かべて気を緩め、何事かを口にしようとした、その隙に。

 瑠螺は頭上にさしあげた両手を素早く降ろして胸の前に交差させると、目にも止まらぬほどの速さで複雑な印を結びながら口訣を唱えた。

 

 その間、わずか半呼吸にも満たない。

 

『以金行為針雨 滅(金行を以って針の雨と為す、滅びよ)!』

 

 たちどころに彼女の体内から金行の象徴色である白い輝きがにじみ出て周囲に噴き出し、無数の針の雨に姿を変えて、あたりに降り注いだ。

 

 それらの針は空中で器用に軌道を変えて、男らの持っている、あるいは腰にぶら下げている武器だけを、的確に狙い撃つ。

 放つときに、そうするように術を制御しておいたからだ。

 一見して無差別に広範囲に放たれるように見えるものであっても、仙術は狙う相手を区別できる。

 よほど密着しておらぬ限り、逆巻く炎の嵐は味方を避けて敵だけを焼き尽くし、鋼針の雨も妖物だけを貫いて、その足元の花を傷つけることはないのである。

 

 風よりも速く鋭い鋼針の群れが、男たちの身に帯びる鉄製の武器のことごとくを、恐ろしい威力で打ち砕いていった。

 

「……へっ?」

 

 すべては、あっという間の出来事だった。

 男らがようやく反応できたのは、何もかもが終わった後のことである。

 

「な……、なんだぁ、今のは……」

「こ、こいつまさか、メイジだったのか!」

「ひっ!?」

 

 彼らの顔が、みるみるうちに青ざめていく。

 

 銃も剣も、すべての武器を失って、しかも相手は一瞬のうちにそれだけの芸当をやってのけたメイジである。

 目の前の女は系統魔法の行使には必須であるはずの杖を持っていないように見えるが、そんなことを気にしている余裕など彼らにはなかった。

 

「どうじゃ、降参せい。言っておくが、逃げようなどとすれば……」

 

 瑠螺の言葉を、最後まで聞いていようとする者はいなかった。

 あわてふためいて、我先に逃げ去ろうとする。

 

「……こう、じゃぞ?」

 

 やむなく、彼らの進んでいこうとする先へ、仙術でもう一本鋼針を撃ち込んでやった。

 そこに転がっていた大岩の中心に針が突き立ち、すさまじい音を立ててばらばらに吹き飛ばす。

 

「ひ、ひぃぃぃっ!?」

 

 男らが悲鳴を上げて、へなへなとへたり込んだ。

 あんなものを直に体に撃ち込まれたら、原形を留めぬ細切れの肉片にされてしまう。

 

「平伏しておとなしゅうしておれば、とりあえず裁きの場に引っ立てるまでは生かしておいて進ぜるがな」

 

 そう言いながら最初に殴られた男の方を示して、仲間なら手当てくらいしてやれ、と促す。

 

 さすがに治療用の金丹をくれてやろうなどという気にはならないが、瑠螺はこれでも、多少は手加減して殴っていた。

 もしも本当に容赦なく、死んでも構わぬという気で殴っていたならば、おそらくは即死していただろう。

 先ほどこいつを冷たい目で見下ろしていたのも、今すぐに手当てをせねばならないほどの負傷ではないということを、念のために確認しておいたのである。

 そもそも手加減する気が無ければ、最初から素手で殴ったりせずに剣で叩き斬るか、針の雨を直接こいつらの体にぶち込むかしている。

 

「は、はいぃっ!」

 

 男らはこくこくと頷いて壊れた武器を放り出し、倒れている仲間の傍に這い寄っていく。

 そうしながらも、内心では先ほどとはうって変わって、後続の馬車から事態に気付いた頭たちが姿を現してくれればと、仲間のメイジたちにこの状況を打開する望みを託していた。

 

 そして、その願いは叶った。

 

「おい、なんだ。先ほどからの騒ぎは?」

「一体、何があった」

 

 二人のメイジが、馬車の戸を開けて、杖を手に飛び出してきたのである。

 

 が、しかし。

 現実は、甘くなかった。

 

「……う、うぉぉおっ!?」

「な、なんだぁぁ!?」

 

 近くに身をひそめてそれを待っていたタバサがすかさず放った竜巻が、何をする暇も与えずに姿を現した彼らを巻き上げて吹き飛ばし、手近の木に叩きつけたのである。

 

 そのままさらに風を操って、悶絶する彼らの手から素早く杖を奪い取ると、遠くへ放り捨てた。

 杖を失ってしまえば、メイジは無力である。

 

「ほほ、お見事じゃな」

 

 瑠螺はその様子を見て、どこからともなく取り出した飛葉扇で口元を隠しながら、目を細めて笑った。

 

「そちらこそ」

 

 道の少し上の方にある木陰から姿を現したタバサが、短くそう答える。

 さて、あとは荷馬車の中を確認して、先ほど殴られたらしいシルフィードと他の少女たちの無事を確認しなければ……と、思ったあたりで。

 

「お、お前たちという人はー! もう許せないのね、きゅいぃぃぃっ!!」

 

 頭から血を流したシルフィードが、ぐるぐる巻きに縛り上げられた姿のままで、荷馬車の中から転がり出てきた。

 殴られて一瞬昏倒していた彼女はややあって意識を取り戻すと、傷つけられたことに逆上し、かくなる上はなんとしてでも元の姿に戻ってこの狼藉者どもを成敗してくれるぞと息巻いて飛び出してきたのである。

 

「おお、無事で何よりじゃ。傷は大丈夫かの?」

「暴れなくていい。もう終わった」

「……へっ? リ、リュウラさんに、ちびす……タバサさま。なんでここにいるのね。それに、その格好はなんなの?」

 

 かっかといきり立っていたシルフィードだったが、すでに男らが戦意喪失して転がっている様子と、なぜかこの場にいるメイド服を着た知人と主人の姿を見てその怒りもすぐにどこかに消え、きょとんとした顔に変わる。

 

 瑠螺は苦笑しながら、まあいろいろあっての、とだけ答えた。

 ちなみに彼女の衣装は、『変幻衣』という仙宝を使って、元の着衣の外見を単に変えることで用意したものだ。

 まだこちらの服をあまりよく知らず、男らを油断させられそうな平民の女性っぽい服というとシエスタのメイド服くらいしか心当たりがなかったためにこうなったのである。

 もちろん、先ほど賊どもに話していた貴族の侍女云々という作り話は、この格好に合うように即興でこしらえたものだ。

 

 しかし、シルフィードの無事な姿を見て瑠螺とタバサの気が一瞬緩んだ、まさにその瞬間に行動を起こしたものがいた。

 シルフィードがまだ一度も目にしたことのない、したがって彼女と知覚を共有していたタバサもその姿を把握していない親玉がひとり、馬車の中に残っていたのである。

 

「まったく、どいつもこいつも使えない部下どもだよっ!」

 

 そいつは、年の頃はまだ二十を過ぎたばかりかと思える、長い銀髪と鋭い目を持つ若い女性だった。

 

 馬車から飛び出すと同時にそう叫んで杖を振り、複数のホーミングする火球を同時に放つ。

 やや不意討ち気味に行動を起こしたとはいえ、瑠螺にもタバサにも、その程度の攻撃から身を守れないほどの隙は生じていなかった。

 

 だが、狙いは彼女たちではなかったのである。

 

「きゅいぃっ!?」

「っ……!」

 

 シルフィードを目がけて飛んできた二発の火球は、着弾の直前にかろうじてタバサが風の防壁を張ってかき消した。

 しかし、残りの火球は防げない。

 それらが着弾した荷馬車の幌が、たちまち炎上し始める。

 

 まだ荷馬車の中にとらわれていた大勢の少女たちが、悲痛な叫びを上げた。

 

「ははは、よく燃えるじゃないか。さっさとそいつを消さないと、ガキどもが死ぬよ!」

 

 そう嘲りながら、賊どもの頭は素早く身を翻して木々の中に駆け込んでいく。

 彼女は部下のメイジ二人が一瞬でやられたこと、敵が二人組であることから勝ち目は薄いと見て取り、反撃ではなく逃げ去る機会を窺っていたのである。

 

 見捨てられた部下たちが、情けなく泣き叫んだ。

 

「そ、そんな、姉御!」

「俺らを置いてかないでくださいよ!」

 

 瑠螺は、それらの哀願を完全に無視して去っていく頭の小さくなる後ろ姿を、冷やかな眼差しで見送った……。

 





以金行為針雨 滅(金行を以って針の雨と為す、滅びよ):
 大量の鋼の針を降らせ、敵全体に「1D+仙術行使」のダメージを与える、比較的高位の五遁金行仙術である。
大物を取り巻く雑魚を一掃したりするのによく用いられる。
 ちなみに一本だけ鋼の針を放ったのは、『以金行為鋼針 貫(金行を以って鋼の針と為す、貫け)』という、この術の単体版にあたるより下位の五遁金行仙術である。

変幻衣:
 着衣の形状をした仙宝の一種で、身に付けていると術によって体の形が変わったときに、それに合わせて服が自在に変化してくれるようになる。
翼を出せば背中に穴が開き、下半身を魚にすれば上に縮み、全身を虎にすればどこへともなく消えて、人の姿に戻ったときにまた現れる。
また、口訣を唱えて命じればどんな衣装にでも変化する。
ただし、これによって着衣を防具や仙宝などと同じ外見に変えても、見た目だけで実際の効果はない。

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