央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第十四話 三姉妹探寒村

 

 今回『最悪の妖魔』こと吸血鬼が現れたという場所は、ガリアの首都リュティスから南東に五百リーグほど行った山間にある、人口三百五十人ばかりのサビエラという名の寒村であった。

 

 最初の犠牲者が出たのは二ヶ月ほど前のことで、十二歳になる少女が森の入口で全身の血を失った、まるで枯れ枝のような死体となって発見されたらしい。

 それからはおよそ一週間おきに犠牲者が増え、現在は九人。

 いずれも全身の血を失っており、喉元には二つの牙のあとが残っていた。

 

 それらの犠牲者の中には、先々週に王室から派遣されたガリアの正騎士も含まれている。

 彼はトライアングルクラスの火の使い手であったが、到着して三日目の朝には村の中央広場で死体となって発見されたそうだ。

 

 それほどの相手である以上、こちらも慎重に行かねばならない。

 

 タバサはまず、村から目撃される恐れがない程度に離れた場所に、シルフィードを降り立たせた。

 それから、変身するようにと彼女に指示する。

 

「いやいや! 二本足ってぐらぐらするからきらい! ごわごわする布切れもつけたくない!」

 

 シルフィードは、角の生えた頭をぶんぶんと振って抗議した。

 

 これまでにも何度か人間に化けてはいるが、二本足で歩くのも服を着るのも、決して快適だったとは言えない。

 吸血鬼退治にどのくらい時間がかかるかもわからないのに、その滞在の間中ずっと変身しているなんてまっぴらだった。

 

 タバサはしかし、静かに首を横に振って言った。

 

「誰も、人間に化けろとは言ってない」

「……へっ?」

 

 きょとんとした様子のシルフィードを見て、瑠螺は困ったものだというように顔をしかめる。

 

「シルフィードや……。おぬしは食い物に気を取られて、先ほどの話をちゃんと聞いておらなんだのだな?」

 

 タバサは軽く溜息を吐くと、もう一度ごく簡単に説明をしてやることにした。

 まず、瑠螺を指さして。

 

「騎士」

 

 次に、自分を指さして。

 

「従者」

 

 最後に、シルフィードを指さして。

 

「使い魔。何か動物」

 

 と、言った。

 それからマントを外して、大切な自分の杖と一緒に瑠螺に預ける。

 

「うむ、無害そうな子狐にでも化けるのがよかろうぞ?」

 

 瑠螺は変幻衣で服装をメイジっぽく見えるものに変えた上で、預かったマントを身に付け、自分の身長より少し短い程度の長杖を手に持って具合を確かめながらそう提案した。

 

 要するに、この村のどこかに、あるいは周辺の森の中に潜んで自分たちの様子を窺う吸血鬼に、誤った情報を与えるのが狙いである。

 見るからに頼もしげな瑠螺はたとえメイジでないとしてもどの道警戒されるであろうが、彼女の方がメイジなのだと思わせれば、頼りなさげな子供のように見えるタバサはただの荷物持ち役の従者ということでおそらくろくに警戒されないで済むはずだ。

 また、シルフィードも本来の姿がドラゴンであることを隠し、大して役に立たなさそうな平凡な動物の使い魔にでも見せかければ、どこかに危険な使い魔が潜んでいる恐れもなくなったとして相手の油断を誘えるだろう。

 吸血鬼がまずは無力な従者をグールに変えてメイジの寝首を掻かせようとでも考え、不用意に襲撃をかけてくるようならしめたものだし、そうでなくてもなにかと隙があるように見せかけて逆に相手を誘いだしてやろうというのである。

 

(しかし……、そううまくいくものかのう?)

 

 タバサからその作戦の概要を聞いたとき、瑠螺は、こういう作戦を立てるにあたって頼りになる兄の飛翔の姿を思い浮かべてみたのだが……。

 

『下策だな。そんな茶番で誘い出せるような相手の一体どこが最悪なんだ、安直すぎる』

 

 ……どうも、そんな感じで説教されそうな気がしてならなかった。

 

 そうはいっても、では他に何かあるかと言われれば、自分も大した名案が思い浮かぶわけでもないし。

 結局、まずはその案でいってみることにしたのである。

 

 

 新しくサビエラ村に現れた騎士の一行を、村人たちは遠巻きに見つめた。

 そうして様子を窺いながら、ひそひそと囁き合う。

 

「また来た。今度の騎士さまは大丈夫なのかねえ?」

「女じゃねえかよ」

 

 筋骨たくましい髭面の樵が、そう言って露骨に不審そうなしかめ面をする。

 

 実際には、魔法で戦うメイジには男女間の実力差はほとんどないのだが、自分の体ひとつが頼りの平民としては荒事ならば男の方があてになると考えるのは当たり前のことだった。

 魔法大国と呼ばれるガリアの一角にあるとはいえ、このような寒村には常駐するメイジもいないのでその力、特に戦いに関する力についてはあまりなじみがないのだ。

 

「でも、なんだかこの間の男の人よりも頼もしそうに見えるわ」

 

 そう言って少し熱っぽい目を向けるのは、まだ若い村娘。

 凜々しく大人びた同性に対して、憧れを抱きやすい年頃である。

 それに賛同する声も、ちらほらと上がった。

 やはり、瑠螺がいかにも有能そうな雰囲気を身にまとっているからであろう。

 

 しかし、細身で幼げなタバサと、つぶらな瞳で物珍しげにきょろきょろする子狐に化けたシルフィードがいかにも役に立たなさそうに見えたためもあってか、総合的にはやはり胡散臭い、駄目そうだという悲観的な意見の方が多かった。

 

「あきれたもんじゃねえか。これからバケモノと戦おうってのに、子供を連れてなさるぜ」

「おとりにでもする気なのかしら、かわいそうに……」

「子供はそうだとしても、一体全体狐なんぞをどうするつもりなんだい」

「あれはきっと、メイジの『使い魔』というやつじゃろうな」

 

 陰鬱そうな顔をした牛飼いの男が、力なく首を振る。

 

「何にせよ、役に立つもんじゃねえんだろ? いかにも強そうだったこないだの騎士だって、三日でお陀仏だぜ。今度はペットと子供連れの女だ、あてになるもんか」

「ああ。葬式は二日後か、それとも明日か……」

「騎士だろうが何だろうが所詮はよそ者だ、頼るもんじゃねえ。俺たちの手で吸血鬼を見つけようぜ!」

 

 血気盛んな若い農夫がそう言うと、他の村人たちも頷いた。

 

「目星は付いてる。一等怪しいのは、あのよそ者の婆さんだ」

 

 この村一番の切れ者という評判で、『人狼を探せ』というゲームの達者としても知られる薬草師のレオンという男が、さっそくそう提唱する。

 そして誰も、それに強いて唱えるほどの異論はないようだった。

 

 占い師のマゼンダという老婆が、息子のアレキサンドルという男と共にこの村にやってきたのは、ほんの三ヶ月ほど前のことだ。

 他の村人は、全員がこの村で生まれ育ったか少なくとも十年以上は昔からいる者たちだから、吸血鬼の可能性などない。

 森に隠れているという可能性もあったが、つい最近村に来たよそ者が怪しいというのは、閉鎖的な村によくある偏見を差し引いてもごく当然の考え方だろう。

 おまけにその老婆ときたら、占い師などと言っているわりにはろくに仕事もせず、肌に悪いからといって昼間も家に閉じこもったままなのである。

 外見も枯れ枝のようにやせこけて、しわくちゃで、いかにも血が足りていなさそうに見えた。

 

「この村には療養に来たとかぬかしておいて、家に閉じこもってるばかりじゃあねえか。湯浴みもせずお日さまの光も浴びず、俺から薬草を買うでもねえ。余計に具合が悪くならあ、まっとうな人間ならな」

「だとすると、あのうすらでかい息子が、村長の言ってたグールってやつかい?」

「やっぱりな。アンナも、ルジーも、オッドのとこの娘も……、死んだ女たちはみんな、あいつと妙に仲良くしてやがるなと思ったんだ」

「ああ、あんなでくのぼうのどこがいいんだって、俺あずっと疑ってたぜ。親切なふりして女に近づきやがって、おふくろに血を吸わせるために妖術でも使ってたぶらかしたに違いねえ」

 

 状況証拠からなる憶測に偏見だの個人的な恨みつらみだのも混じり合って、話せば話すほどに彼らが吸血鬼に違いないという確信は強められていった。

 村人たちの顔が、疑いと怒りとで黒く歪んでいく……。

 

 

 

「なるほどのう。同じ村の者から見ると、その占い師の母子が疑わしいというわけか」

 

 離れた場所にいても村人たちの噂話がしっかりと聞こえていた瑠螺は、歩きながらそうひとりごちた。

 元々が狐の出身だけあって夜目は効くし、嗅覚や聴覚もなかなか敏感なのである。

 

「どう思う?」

 

 タバサが彼女の少しだけ後ろを歩きながら、そう問いかけた。

 彼女もまた優秀な風の使い手ゆえに、聴覚は鋭い。

 

「そのようなこと、まだわからぬ」

 

 頼りないなどと言われたせいで、自分の横を歩きながらぷんすかしているシルフィードを抱き上げてなだめるように撫でてやりながら、瑠螺はそう答える。

 

「……まあ、わしの経験から言うと。そういったあからさまに怪しい者が真犯人であったためしは、あまりないがのう……」

 

 央華の世界でも人里にまぎれ込んで悪事をはたらく妖怪の類は、なかなかその正体をあらわさない。

 修行中の道士が討伐に乗り出しても、無関係な他の者に疑いが向くよう企てるなどして巧みにやり過ごそうとすることもあるのだ。

 大して知恵の回らぬ小物も多いから一概には言えないのだが、吸血鬼とやらは狡猾な妖魔だということであったし。

 

「なんにせよ、まずは邑の長に会うて話を聞かねばなるまい」

 

 すべては、それからだ。

 

 

 

 村長の家は、段々畑が連なる村の最も高い場所にあった。

 一行を居間に通して椅子と茶を勧めた村長は、髪も髭も真っ白で、いかにも温和そうな雰囲気をした高齢の男だった。

 

「ようこそいらっしゃいました、騎士さま」

「かたじけない。わらわは、ガリア花壇騎士の瑠螺と申す者じゃ」

 

 深々と頭を下げる村長に、瑠螺も拳を掌で包んで丁重な、しかしこちらの世界ではいささか風変わりな礼を返す。

 それから、その見慣れぬ挨拶や言葉遣い、聞き慣れぬ名前に少しばかりきょとんとした様子になった村長に、目を細めてもう一度軽く頭を下げた。

 

「申し訳ない。何分このようなお役目をしておってはどこでどのような恨みを買うかもわからぬゆえ、身内に累が及ばぬようまことの姓名は伏せねばならぬし、故郷の手がかりを与えぬよう異国の作法を用いることもあろうが。何卒、気を悪くされるな」

 

 それを聞いて、村長はああ、と感心したような顔をする。

 

「そうでしたか。いやこれは、至極もっともなことですな。そうとは気付かず、大変失礼をいたしました」

「いや、構わぬ。ではさっそくじゃが、此度の事件について聞かせてはもらえまいか?」

 

 そう言って上座に腰を下ろした瑠螺に、村長は事件の説明を始めた。

 

 といっても、その内容は概ねタバサがプチ・トロワでイザベラから受け取った報告書の通りで、あまり新しい情報はなかった。

 二ヶ月ほど前に十二歳の少女が犠牲になったのを皮切りに、既に九人ばかりが犠牲になっている。

 もちろん村人たちは、夜は家に閉じこもって外出しないようにしているが、吸血鬼はそれでもどうやってか忍び込んできて血を吸うらしく、朝になると寝床の中で変わり果てた姿となった犠牲者が見つかるのだという。

 

 その話を聞いて、子狐の姿になったシルフィードはぶるぶると震えた。

 

「おそらく、吸血鬼は昼間は森に潜んでおるのでしょうが。村人の中にグールに変えられて、その手引きをしておるものがいるに違いないというて、みな疑心暗鬼に陥っておるのです。村を捨てるものも出てきております」

 

 村長は、悲しげに溜息を吐きながらそう言った。

 グールには血を吸われた跡があるはずだからと村人たちを調べてみても、こんな田舎では仕事中に虫に刺されたりヒルに吸い付かれたりするのは日常茶飯事で、それらの傷と牙の跡との区別はつかなかったらしい。

 

「ふうむ」

 

 飛葉扇で口元を軽く隠すようにしながら、瑠螺はさてどうしたものか、と考えた。

 

 グールとやらが屍鬼の仲間なのであれば、強い陰の気を発するはずだから、それで見分けられるかもしれない。

 仙人であれば陰気や陽気がことさら強いものは感覚で概ねわかるし、ある種の仙術を使ったり仙宝を用いたりすれば、より確実に判別することができる。

 しかし、この世界の吸血鬼だのグールだのについて、瑠螺はタバサらから聞いた情報だけしか知らないのだ。

 もしかしたら、気を偽装するような能力をもっているかもしれない。

 央華の世界でも、たとえば『鴉姫(あき)』と呼ばれる屍鬼は、生きた娘から剥いだ皮を身にまとうことで己を生者に見せかけ、陰気を抑え込むことができるそうだ。

 なんであれば、陰気の強い者のみを焼く浄化の炎で陣を作り出し、村人全員にそれを通らせてみるというようなこともできなくはないだろう。

 屍鬼であれば確実に焼けるはずだし、それならば表面的に気だけを偽装しても効果はない。

 ただ、グールとやらはまるで生きているかのように飲食や消化ができるとのことで、そういった屍鬼もいないわけではないが、もしかしたら央華の屍鬼とまったく同じものではなく、そもそも強い陰気を帯びていないという可能性もあるかもしれない。

 

(ならば……)

 

 その時、タバサが彼女の傍に近づいて、耳元でそっと囁いた。

 

「まず、村長がグールでないことを確かめて」

 

 なるほどもっともなことだと、瑠螺も頷く。

 仮に村長自身がグールであったなら、彼の発言を参考に調査するのはおろかなことだろう。

 

 しかし、その後の自分が牙の跡を調べるから彼に服を脱ぐように言ってくれという提案には、小さく首を横に振った。

 

「傷跡を隠す術などはいくらもあろう、あてになるまい」

 

 傷口を隠す程度の軽い外見の変更を行えるマジックアイテムがあるかもしれないし、多少の変装の心得があるなら、パテか化粧のようなもので巧みに傷口を埋めて覆ってしまうこともできるかもしれない。

 先ほど考えていた鴉姫にしても、傷ついた体の上から無傷の皮を被れば、負傷などしていないかのように見せかけることができるのだという。

 実際、過去にその屍鬼に遭遇したことのある飛翔と高林とは、そういった手口で欺かれたと聞いている。

 

 ではどうするのかと問いたげな目を向けるタバサに対して、瑠螺は袖の中から一粒の小さな丸薬を取り出した。

 

「グールとやらは実際には屍であるが、正体をあらわすまでは生きておるようにしか見えず、飲食も消化も普通にする。それで間違いないのじゃな?」

 

 瑠螺はタバサにそう確認すると、村長にその薬丹を差し出して、これを飲むようにと指図とした。

 村長は怪訝そうな顔をしたが、言われるまま、素直にその丸薬を茶で流し込む。

 

「飲みましたが……、今のはなんですじゃ?」

 

 ややあって、腹のあたりがぽうっと熱をもったようになってきた村長は、不快な感覚ではなかったものの少し不安になってそう尋ねた。

 

「何か、体に異変を感じるかの?」

「腹のあたりが、なにやら温かくなってきましたが」

 

 瑠螺はそれを聞いて、満足そうに頷いた。

 つまり、村長がグールとやらであるにせよそうでないにせよ、薬の効果は正常に発揮されているということだ。

 

「それはの、まだ胃の中に在るうちに嘘を吐くと、強烈な嘔吐感に襲われる薬じゃ。しばらくは、言葉に気を付けたがよいぞ」

 

 普段よりもいくらか重々しい態度でそう説明してから、瑠螺は村長に、順にいくつかの質問をしていった。

 おぬしは吸血鬼ではないか、グールではないか。

 先ほど言った調査をしたというのは本当か、村人は間違いなく全員調べたか、など。

 

 村長はそれにすべてはっきりと答え、何も体調を崩したような様子は見せなかったので、瑠螺は頭を下げて満足した旨を伝えた。

 

 実際に飲ませたのは仙境ではごくありふれた薬草から作った仙丹で、一応は血流をよくして体を温める程度の薬効があった。

 短期的な利益はそれだけだが、継続的に服用すれば体質を改善し、気の流れを整えて不老の体を得る助けとなるもので、仙人なら誰でも調合することができる代物だ。

 要するにはったりだったが、村長の迷いのない態度からしてもまず嘘はないと信じてよいであろう。

 

「疑いが晴れて何よりです。では騎士さま、よろしくお願いしますじゃ」

 

 そのとき、子狐に化けたシルフィードは、ドアの隙間から小さな女の子が顔を覗かせていることに気づいた。

 五歳ぐらいの美しい金髪の少女で、まるでお人形のようにかわいかった。

 

「きゅう!」

 

 かわいいもの好きなシルフィードは思わず嬉しそうな鳴き声をあげて、とっとことそちらの方に近づいていった。

 少女はびくっと身をすくめたが、シルフィードは構わずに、そんな彼女の足に頬擦りをする。

 

 瑠螺とタバサもそちらの方に目をやったので、村長は振り向くと、困ったように自分の顔を見上げている少女に声をかけた。

 

「お入り、エルザ。騎士さまたちにご挨拶をしなさい」

 

 そう言われた少女はおそるおそるといった様子で部屋の中に入ってくると、硬い表情で瑠螺とタバサに一礼する。

 二人も、挨拶を返した。

 

「おお、なんとも愛らしい子じゃな。わらわは瑠螺と申す者じゃ」

「タバサ」

 

 瑠螺はそれから、相変わらずエルザと呼ばれた少女の足元にすり寄っているシルフィードにとがめるような目を向けた。

 

「これ、『擬狐(ぎこ)』や。お友達ではないのじゃから、そんなに急に馴れ馴れしゅうしてはいかぬぞえ」

 

 別にシルフィードのままでもいいのだろうが、狐に風の妖精というのも合わない気がしたので、適当に付けた名である。

 シルフィードは少女にじゃれつくのを邪魔されたのが気に入らないのか、あるいはその名前が気に入らないのか、少しばかり不満そうに小さく唸った。

 

「ぎこや、そう不服そうな顔をいたすでない。おぬしはもっとこう……、『はにゃーん』とした顔をしておったほうが、似合うであろうぞ?」

 

 瑠螺はくすくすと笑って、そんなシルフィードの頭を撫でてやった。

 それから、何やら怖がっているように見えるエルザの方を見て、ほんの少し首を傾げた。

 

「何も怖がることはないのじゃ。……ほれ、わらわの姿を見てごらん。怖そうに見えるかえ?」

 

 そう言いながら、相手を安心させるように杖を横に置く。

 それから、もう片方の手に持っていた飛葉扇で笑う時にそうするように軽く口元を隠すと、小声で何かを呟いた。

 

 エルザはしかし、そのような瑠螺の振る舞いにも関わらず、依然として怯えた様子のままだった。

 

「…………」

 

 瑠螺の目がわずかに細まる。

 ややあって、口元に微笑みを浮かべながら、扇も脇に置いた。

 

「なかなか緊張が解けぬようじゃな。……どれ、よいものを進ぜよう」

 

 瑠螺はそう言うと、袖口を少しの間ごそごそと探って取り出した帳面から紙を一枚破り取り、指先でてきぱきと折っていった。

 

 彼女の趣味は、紙細工である。

 あっというまに、きれいな折り紙細工の鳥ができあがった。

 

「これを。あの娘にとらせよ」

 

 そう言って、出来上がった鳥をタバサに渡してやった。

 タバサはその鳥を少しの間掌に載せて見つめていたが、ややあって言われた通りエルザに差し出した。

 エルザはわずかに好奇心をそそられたのか、おそるおそるタバサの手からそれを受け取ると、羽をつまんでみたりしながらしげしげと眺めやる。

 

 瑠螺はさらにもうひとつ、きれいな花の形を折って、今度は手ずから渡してやった。

 エルザは一瞬びくりとしたものの、逃げずにそれを受け取る。

 

「ほほほ。気に入ったのであれば、いずれまた折って進ぜるでな。そろそろ下がっておいで、村長どのとお話があるのじゃ」

 

 再び手にした飛葉扇で口元を隠しながら瑠螺がそう言うと、村長はエルザを促して退室させた。

 それから、少しばかり嬉しそうな顔をして、彼女に向かって頭を下げる。

 

「あの子に対して勿体ないお心遣いをしていただき、ありがとうございます」

「なに、気にされるほどのことではないぞよ。しかし、わらわがそれほど恐ろしゅう見えたかのう?」

「いえ……。あの子が恐れておるのは、メイジなのですじゃ」

 

 村長はそう言って、エルザの身の上話を始めた。

 彼女は村長の本当の身内ではなく、一年ほど前に寺院の前に捨てられていたのを家族のない村長が引き取って育てている子で、両親がメイジに殺されてここまで逃げてきたのだと言っていた、と。

 

「おそらくエルザの両親は、行商の旅人か何かだったのでしょう。なんらかの理由で貴族から無礼討ちにされたか、賊に身を落としたメイジに襲われたか……」

「なるほどのう。哀れな娘、なのじゃな」

「ええ。わしはあの子の笑ったところを、まだ見たことがないのですじゃ。体も弱くて、あまり外で遊ぶこともさせられんし……。先ほど紙細工をいただいたときなど、あの子にしてはずいぶん表情がやわらかかったくらいで。ありがたいことです」

 

 その話を聞いて、シルフィードはきゅう、とせつなげに鳴いた。

 タバサは相変わらずの無表情で、その内心は窺えない。

 

 瑠螺は飛葉扇で口元を隠しながら何やら考え込んでいる様子だったが、やがて席を立つと、軽く頭を下げた。

 

「いや、大変参考になった、かたじけない。できればこの村におる間、滞在する部屋を用意していただけまいか? 全員で一部屋でよいのでな」

 

 村長は目を丸くした。

 貴族と平民である従者を同じ部屋に泊めるなど、普通は考えられないことである。

 

「とんでもない、こんな寂れた村でも二部屋くらいのご用意はできますゆえ」

 

 そう言われたものの、瑠螺は首を横に振ってその申し出を断った。

 

 タバサもそれに異論はなかった。

 吸血鬼にいつ狙われるかもわからないような状況で、別々の部屋に寝るなど危険過ぎる。

 瑠螺はといえば、そもそも眠る気自体がなかったのだが。

 

 

 

「おぬしらの世界では、人は死んだ後にどうなると教えておるのかを知りたいのじゃが」

 

 瑠螺は、用意された私室にタバサとシルフィードを伴って入り、しっかりと鍵をかけて人の目がなくなったのを確認すると、二人にそんな質問をした。

 

 タバサは、どうして今そんなことを聞くのかと怪訝そうな顔をしたものの、詳しく説明をしてやった。

 

 すなわち、ハルケギニアにおいては、人間が死ねばその魂をワルキューレと呼ばれる武装した凛々しく美しい姿の女神が迎えに来るとされている。

 彼女は名誉ある死を迎えた者、善良な者の魂を、天上の楽土であるヴァルハラへ運ぶ。

 しかし、名誉なき死を迎えた者や悪人の魂は、暗く冷たい地下にある冥界ヘルヘイムへ落とされると言われている、と。

 

 もちろん、それはあくまでも神話、言い伝えの類である。

 より古い時代ならばいざ知らず、文明と技術が発達してきた現代では、特に学識豊かな人々の中にはそんな話は信じていない者も多いし、タバサ自身もそうだった。

 ブリミル教の神官たちは公式には認めていないが、その来世観は数千年前に始祖ブリミルを崇めるメイジが繁栄して彼を神格化した宗教を形成する前にあった土着の民間信仰の影響を明らかに受けていることを、博学な彼女はちゃんと知っているのだ。

 

 とはいえ、タバサは先に亡くなった敬愛する祖父や父は、今でもヴァルハラで幸せに暮らしながらいつか母と自分が来るのを待ってくれているとも信じている。

 それが非合理的な考え方なのはもちろんわかっているが、信仰心の薄い彼女の来世観とはそんなものなのであった。

 

「きゅい? それは、シルフィたち風韻竜が信じてる話とは違うのね」

 

 横合いから、狐の姿のままで与えられた肉を食んでいたシルフィードが口を挟む。

 動物の姿を取っていても、その気になれば言葉は話せるらしい。

 

「死ねば、命は天地自然の中に還って、『大いなる意思』のお導きでまたこの世に生まれ変わるのね。どんな生き物でも」

 

 瑠螺はそんな二人の話を聞いて、大きく頷いた。

 

「ふむ、なるほどのう……」

 

 央華では、人は死ねば生前の清徳と濁業の軽重による陰陽の気に偏りに応じて、その魂が天界か冥界のどちらかへ迎えられる。

 そこで果報や業罰を与えられ、気の偏りを正された後に、また地上へと生まれ変わる。

 タバサとシルフィードそれぞれが説明したハルケギニアの来世観を合わせたようなもので、確かではないものの、おそらくどちらの世界もさほど差はなかろうと推測できた。

 

(なれば、死者の魂と接触することも、それを見付けさえすれば可能であろうか)

 

 央華では、仙人は死者の魂であれ土地神であれ、肉体を持たぬ『鬼』と当たり前のように接触することができる。

 それなりの腕前の仙人であれば、天界や冥界へ直接赴いて、そこにいる死者の魂から情報を得た上で返ってくることさえもできるのだ。

 事実瑠螺も、天界と冥界、そのどちらにも足を運んだ経験があった。

 

 これまでのところ、どうもこの世界ではさまよう魂などは見かけていないが、死んでまだ数日くらいなら、もしかしたら未練があって成仏しきれない魂が墓所に残っていはしないか。

 あるいは、あってはならぬことだが、もしまた新たな犠牲者が出たのであれば、魂が天界や冥界へ赴く前に情報を聞き出すことができるかもしれない。

 もっとも、夜間に寝床で殺されて、家族も隣人も誰も気付かなかったくらいに騒ぎもなかったというのであれば、死んだときにも眠ったままでそもそも吸血鬼とやらの姿は見ていないという可能性も高いが。

 

「なんにせよ、後で墓地の方は確認させてもらうかの」

 

 とはいえ、それはあまり期待できなさそうなので、優先度は低い。

 あくまでも他に手掛かりがなかった場合の手段として心に留めておくことにして、先に確かめておくべきなのは。

 

「まず、吸血鬼の犠牲者が出た家を調べて回る」

 

 タバサのその提案に、瑠螺も大きく頷いた。

 

 

 吸血鬼は、若い女性の血を好むと言われる。

 

 事実、王室から派遣された騎士を除けば、犠牲者はすべて女性だった。

 状況はいずれもほぼ同じで、扉を固く閉じ、窓を閉めきっていたのにもかかわらず、吸血鬼はどこも壊さずに入ってきてベッドに寝ている犠牲者の血を吸い尽くしていったのだという。

 入り口という入り口を釘で打ち付けた上に家の者が総出で寝ずの番を行ったりもしたが、なぜか眠り込んでしまい、気が付いたときには家族が犠牲となっていた、と。

 

 シルフィードの知識によれば、それはおそらく『眠り』の先住魔法によるものであろうとのことだった。

 風の力を利用した初歩の先住魔法だが、空気があればどこでも唱えることが可能で、さほど力のない術者でも魔法に耐性のないごく普通の人間を眠らせるくらいはたやすいらしい。

 

(その力で家人と犠牲者本人を眠らせて血を吸ったのだとすれば。やはり死んだ者たちも、吸血鬼とやらの姿は見ておらんかのう……)

 

 瑠螺は少し顔をしかめたが、まあそのくらいは想定の範囲内である。

 

 それよりも、侵入の痕跡がないのが不思議だった。

 犠牲者の出た家々を回り、吸血鬼が侵入したと思しき部屋をすべて調べたが、どこにもこじ開けられたような跡はない。

 内側から釘で打ち付けられた窓も、バリケードが積み上げられた扉も、すべてそのままだった。

 

 タバサが煤だらけになってその部屋の細い煙突を調べているのを見て、瑠螺はシルフィードに目をやった。

 

「ぎこや。吸血鬼とやらは、変化の術を用いてあそこから入ってきたのであろうか?」

 

 当のシルフィードは、誰がギコなのねゴルァ、とでも言いたげな顔で、不服そうにしていた。

 が、少し考え込んで、首を横に振る。

 

「それは無理だと思うのね。吸血鬼は蝙蝠になれるっていう人もいるけど、それは迷信なの。何かに化けるような高度な魔法は使えないわ。あいつらの恐ろしいところは強さじゃなくて、狡猾さなのね」

「ふむ」

 

 そのとき、煙突を調べ終わったタバサが下りてきた。

 瑠螺は飛葉扇であおいで煤を掃ってやりながら、何かわかったかと彼女に尋ねた。

 

 タバサは、こくりと頷く。

 

「煤に、不自然な跡があった」

「ではやはり、そこから入ってきたということかの」

「可能性はある」

 

 シルフィードはそれを聞いて困惑したが、瑠螺にとっては想定の範囲内だったようだ。

 

「ええ? まさか、吸血鬼がそんな高度な術を使えるなんて……」

「中には特別に腕の立つ者がいないとも限るまい。あるいは、術などなくとも通れるほどに元々の体が小さかったのかもしれんのう」

「そんな! あんな狭い煙突なんて、タバサお姉さまよりも小さいくらいでないと通り抜けられないわ」

「わたしより小さい人は、いくらでもいる」

 

 瑠螺はそこで、袖をごそごそと探ると、小さな墨の壺と筆とを取り出した。

 本来は彼女の洞統のものではないのだが、この旅に出るにあたって必要となることもあろうからと、仲間たちからもらい受けてきた仙宝の中のひとつである。

 

「では、ここであれこれと推測しておるよりも。これで本人に聞いてみるのが、一番早いのではないかのう?」

 

 一体何のことかと不思議そうに首をかしげる二人の前で、瑠螺は筆に墨をつけると、あろうことか人の家の煙突にさらさらと人の顔のようなものを落書きし始める。

 タバサが顔をしかめてとがめようかとしたところで、瑠螺は完成した顔のあたりをとんとんと指で叩いた。

 

『――なんだい、とつぜん人を起こして』

 

 いきなり、低く響く男の声のようなものが煙突から聞こえてきたので、タバサとシルフィードはぎょっとした。

 なんと、書かれた顔が目を開いてしゃべっているではないか!

 

「あいすまぬ、煙突どの。ちと、尋ねたいことがあるのじゃが……」

 





面相墨(めんそうぼく):
 厭魅・厭勝の洞統に属する仙宝の一種で、外見は墨壺である。
この墨で道具に顔を書いてやると、道具は通常の人間並みの知性を一時的に備えてさまざまな情報を教えてくれる。
ただし、意識がなかった時のことはうすぼんやりとしか覚えていないし、人間とは物事の認識も違うので、必ずしも願ったような情報が得られるとは限らない。
 なお、この仙宝を使った場合、用が済んだら必ず書いた顔を消さなくてはならない。
消さずに9日9夜が過ぎると、道具は再び知性をもって下級の妖物と化す。
より上級の仙宝には、物体を妖怪化させずに仮初の命と運動能力を与えることができるようなものもあると言われている。

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