「……え、あなたが人間じゃないって……。どういうこと、ですか?」
ルイズが、きょとんとした顔でそう訪ね返した。
が、ちょうど耳打ちをされたところだったので見合わせた顔があまり近いのにどぎまぎしたらしく、あわてて後じさる。
「ん? 言葉通りの意味じゃ。……つまり、わしはただの人間ではなくて、仙人であるからのう」
瑠螺公主はそんなルイズの反応が面白かったらしく、くすくすと微笑みながらそう言った。
別段、召喚者であるらしいこの娘に対して、自分が妖狐の生まれであることを隠し通そうなどという気はないのだが。
ここの魔法使いとやらが妖怪にどのような反応を示すものかは、まだよくわかっていないことだし。
人間ではないものが召喚されることが通常であるとすればまず問題はなかろうとは思うものの、大勢の前ではっきりと正体を明かすのはもう少し様子を見てからの方がいいか、と考え直したのである。
「……なによ、そのセンニンってのは」
ルイズは、いくらか不機嫌そうに顔をしかめた。
なにやら高貴そうななりをしてはいるものの、わけのわからないことを言う、どこの田舎から来たのかわからない年上の女が使い魔だというのも不本意であるし。
その相手と、今から契約のためとはいえファーストキスをしなくてはならないというのは、それ以上に不本意である。
動物や幻獣なら何の問題もないが、なんといっても相手は人間だかセンニンだかで、しかも同性。
いや、なら男ならいいのかというと、それはそれで嫌で。
むしろ同性で明らかに自分よりかなり年上な相手となれば、回数のうちに入るまいとも思えるから、その方がまだマシ、なのかもしれないが……。
「う……」
なにやら怖気を感じて、ちらりと周囲を見回してみると。
案の定、いつものこちらを小馬鹿にしたような目でにやにやと見つめる野次馬たちの中に、何かを期待したように鼻息荒く目を輝かせる豚どもが混じっていた。
それも、決して少なくない数だ。
(……ああ、もうっ!)
なんでまた誇りあるヴァリエール家の一員である自分が、よりにもよってあんな連中の見てる前で、ファーストキスを大公開しなくてはいけないのか。
というか、先ほどは間近で顔を見合わせた程度のことで狼狽えて、思わず飛び退いてしまったが。
こんなことで、そもそもキスなんてできるのだろうか。
「おほん……。では、ミス・ヴァリエール。ミス・リュウラの許可も出たようですので、契約の続きを」
コルベールがそう言って、ルイズを促した。
見た目は冴えない中年教師だが、彼女の内心の葛藤を察しているのか、契約するところを見ないように顔を逸らしてくれているあたり紳士である。
もっとも、あからさまにそんな気遣いをされると、余計に意識してしまってなおさら恥ずかしいのであるが。
そんなこんなでもじもじと二の足を踏んでいると、当の瑠螺公主自身が、不思議そうに小首を傾げながら声をかけてきた。
「何をしておる? なにをするか知らぬが、早く済ませればよかろう。それとも、何ぞ問題でもあるのか?」
ルイズはじとっとした目で、これから自分の使い魔になるはずの女性を見上げる。
格好や物腰こそ上品そうだが、よく見ればあのいやらしいツェルプストーと同じで、背丈が高いだけでなくあちこちが無駄に出っ張っていた。
顎は細く唇は桜色、文句の付けようがない美形な面立ちの上にこの艶っぽい体で、いかにも大人の女という感じだ。
使い魔も知らない田舎者らしいが、いずれにせよこんな程度のことは何でもないんだろう。
そう思ったら、なんだか腹が立ってきた。
何よ、年上だか田舎者だか知らないけど、使い魔のくせに主人を差し置いて平然としちゃって。
そういうつもりならいいわよ、こっちも平原と……いえ、平然とやってやるわよ、カエルにするのと比べりゃなんでもないわ。
大体、契約の方法がキスだなんて決める方が悪いんだわ。
こんなのノーカンよ、ノーカン。
「……いいえ、問題なんてありませんわ。強いていえば、あなたが大きいからやりにくいの。ちょっと、しゃがんでくださいませんこと?」
ルイズは、刺々しい口調でそう言った。
「ふむ……?」
瑠螺は怪訝そうにしたものの、ひとまず素直に頼みを聞き、かがみこんでルイズと顔の高さを合わせてやる。
ルイズはそんな彼女の顔の前で手にした小さなワンドを振ると、朗々と呪文を唱え始めた。
「――我が名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
使い魔であれ何であれ、初めから運命を受け容れるつもりでここにやってきた瑠螺は、特に抵抗などもせずに興味深そうにその儀式の次第を見守っていた。
が、ルイズが自分の額に杖をそっと押し当てて顔を近づけてくると、不思議そうに目をしばたたかせる。
「……? これ。契約とは一体、何をするのじゃ?」
「いいから、じっとして!」
ルイズは怒ったようにそう言うと、ええい、ままよ、と思い切った様子で目を瞑り、左手でがしっと瑠螺の頭を掴んだ。
そして、思いっきり唇を押し当てる。
「――むぐ!?」
予想もしていなかった行動に、瑠螺は目を白黒させた。
思わずルイズを押し退けて、あわててぴょんぴょんと後ろに飛び退く。
ルイズの大胆な接吻と、瑠螺のその子供じみた仕草とに、ルイズの同級生らが冷やかすような歓声や品のない笑い声を上げる。
「だだ、出し抜けになな、何をいたすのじゃ!?」
動揺のために、ほんの一瞬ぴょこんと狐の耳が飛び出てしまう。
もっとも、大抵のものはそれに気付かなかったか、気付いてもごく短い時間ゆえに、何かの見間違いだと思ったようだが。
先程の小さく跳ねるような飛び退き方も、咄嗟のことで狐の本能が出たためであろう。
ルイズは使い魔からの質問に答えず、真っ赤な顔を彼女から背けて、くるりとコルベールの方を向いた。
「……お、終わりました」
「うむ。どうやら『コントラクト・サーヴァント』は、一回できちんと成功したようだね」
瑠螺は暫時の動揺から立ち直ると、いささか不本意そうに眉をひそめて、口元を袖で押さえる。
「……これが契約、とな。なんであれ受け容れるとは言うたが、またずいぶんな。それとも、このあたりでは今のような挨拶が普通なのかえ?」
「そんなわけないでしょ! 儀式の決まりごとじゃなきゃ、誰がこんな……」
ルイズがいまだに赤い顔をしたままそう言って、肩越しに使い魔を睨んだ。
その時、周囲の者たちの中から、相手がどこかの田舎から来たただの人間だからできたんだ、幻獣なら失敗してる、などと嘲る声が聞こえてきて、ルイズはそちらとぎゃあぎゃあ言い合いを始めた。
「そうか。……ぬ?」
まあ、大概の仙術にも口訣(詠唱)と導引(動作)はつきものであるし、こちらの魔法にはこういった行為が必要となることもあるのか……と、瑠螺が考えていたとき。
にわかに体が、不自然な熱を帯び始めた。
しかし、それに対してなにがしかの対策を講じるほどの暇もなく。
熱はじきに左手の甲の方に集まると、奇妙な文字か模様のようなものを形作って消滅していった。
「……これはまた、なんじゃ」
「失礼します。ふむ、珍しいルーンですな」
瑠螺が自分の手の甲にできたそれを顔をしかめてじろじろと眺めていると、横の方からコルベールが近寄ってきて、その模様を検分した。
それが済むと、会釈をして、騒がしい生徒たちのほうに向き直る。
「こらこら、貴族はお互いを尊重しあうものだ、言い争いはやめなさい。……さて、ミス・ヴァリエール。ミス・リュウラは君の使い魔とはいえ人間であるし、高貴な身分の方でもあるようだ。待遇は、双方の合意の上で決めなさい。後ほどこちらからも確認します」
「は、はい。もちろんです」
「よろしい。それではだいぶ長引いたことだし、皆そろそろ教室に戻ろう」
コルベールはきびすを返して杖を軽く振り、宙に浮き上がると、少し離れた場所に見える石造りらしき大きな建物に向かって飛び始めた。
他の生徒たちも、彼に続いて次々に飛び立って行く。
「ほう……」
瑠螺は、受け容れる気でいたとはいえいきなり訳のわからぬことをされた困惑と不満も一時忘れて、感心したようにその様子を見つめる。
見た感じでは年若い見習いのような連中だが、その全員が飛行術を使えるのか。
魔法というのは、仙術とはまただいぶ違うようだ。
(とはいえ、どうやら口訣と導引が必要なのは同じで、おそらくは全員が手にしておった杖のような物も必要らしいがの)
しかしながら、今しがた自分と契約とやらをしたルイズという少女は、一向に飛び立つ様子がない。
どうしたのだろう、と疑問に思っていると。
「じゃあなルイズ、ゆっくり歩いてこいよ!」
「そうそう、『フライ』も『レビテーション』も使えないんだもんな?」
「その田舎者、あなたにお似合いよ。見てくれだけは立派なのに、中身が残念なあたりがね!」
軽薄で意地の悪そうなルイズの同級生らが、去り際にそう嘲っていく。
「……ふむ、おぬしは飛べぬのか」
「どうぞお構いなく。……あと、ミス・リュウラ。あなたは年上とはいえ私の使い魔で、わたしは貴族なんだから、これからは『おぬし』とかじゃなくて、もう少し呼び方を考えてくださらないものかしら!?」
ルイズは不機嫌そうにそう言い捨てると、ぷいっと顔を背けて歩き出した。
(ふうむ……)
瑠螺はそんな彼女の背を見つめながら少し首を傾げて何事か考え込んでいたが、やがて袖に手を突っ込んで一枚の扇を取り出すと、軽く振る。
すると、その扇は見る間に大きくなって、すうっと宙に浮かんだ。
「主人が命じる、舞い上がれ、疾く!」
瑠螺がひょいと飛び乗って口訣を唱えると、扇は風に乗ってすうっと滑るように移動し、たちまち前を行くルイズに追いつく。
「これ、ご主人」
「……!? なな、何よ、それは」
「これは仙宝――仙人の用いる道具のひとつで、飛葉扇というものじゃ」
「ど、どこにそんなものを持ってたのよ?」
「それは無論、袖の中じゃが」
この技を極めた鎮元大仙は、天地万物を袖の中に包み込んでしまうことができ、天帝も恐れるほどの大妖怪さえわけなく捕らえられるという。
そこまではいかずとも、袖の中に通常なら収まり切るはずのない大量の物品を収納しておく程度のことは、仙術では洞統を問わずどんな駆け出しの道士でもできるであろう初歩の初歩である。
「そんなことより、先ほどは失礼した。お詫びといってはなんじゃが、ご主人も乗っていかぬか?」
ただでさえ長時間の儀式で疲れている体を引きずり、みじめな思いをしながらとぼとぼと遠い学院まで歩いて戻るか。
それとも、できたばかりの使い魔の忠義(?)な申し出に甘えて、快適な空の旅を楽しんで戻るか。
「……」
もちろん、答えは決まっていた。
・
・
・
ちょうどよい風が出ていたので、飛葉扇は軽々と先行していた生徒たちを追い抜いた。
驚いた顔をした彼らを背後に残して空を飛ぶのは、魔法の使えぬルイズにとってはもちろん初めての体験で、なんとも心地よかった。
そんなルイズの機嫌が直った顔を自分も楽しげに眺めていた瑠螺は、ふと思い出したように尋ねる。
「……ああ、そうじゃ。ご主人、使い魔の契約とやらとこのルーンとやらは、いつまで残るものなのかの?」
「え? もちろん、使い魔の契約は一生のものに決まってるでしょう」
「――なぬ!?」
当たり前のようにそう返されて、瑠螺の顔が引きつる。
「……一生じゃと? すると、わらわはこれからずっと永遠に、この妙なルーンとかいうものを体に残されたままということか!?」
運命を受け容れるとは言ったものの、彼女としてはせいぜい数年から数十年のことであろうというつもりでここにやってきたのである。
仙人にとっては、入れ墨のような容易に消せないものを安易な考えで体に入れたりしたら、その若気の至りと数千年や数万年、下手をしたら今後永遠の付き合いになるかもしれないのだ。
もちろん、なにがしかの仙術や仙宝で消したりはできるかもしれないが、断りもなくそんなことをされては困る。
「永遠っていうか……、どっちかが死ぬまでね」
「そ、そうか?」
それを聞いて、少しホッとする。
おそらく寿命はただの人間と大差ないであろうルイズが死ぬまでなら、まあ、長くて百年ほどであろうか。
「ところで、あなたの言うセンニンとかセンポウって、何よ? メイジやマジックアイテムとは違うの?」
今度は、ルイズの方が質問する。
「その、『めいじ』や『まじっくあいてむ』というのは、仙人や仙宝とは違うものなのかの?」
瑠螺は、若干皮肉っぽい調子でそっけなくそう答えた。
「そう聞かれても答えようがあるまい。互いに、まだ相手のことをよく知らぬのだからの」
普段なら、彼女はルイズのような子供相手にそんな刺々しい、ことさら揚げ足を取るような答え方などしないのであるが。
幸い一生ものの話にはならなかったとはいえ、いきなり接吻されたりルーンを刻まれたりして、しかも使い魔とやらを引き受けると自分から言ってしまった以上はそんなことになるとは知らなかったのだと文句を言うわけにもいかないものだから、ちょっと拗ねているのである。
仙人のことを悟りを開いた真人だと考えている者は多いが、往々にしてかなりの買い被りである。
修行を積んで天地自然に還っていけば、生のままの子供に近くなるものだ。
特に瑠螺のような五遁(五行)の仙人は、その多くが『感情や欲望を否定せずそれを修行に活かすべし』という戒律に従っているため、快不快の感情も素直に表す。
(……まあ、この出会いが飛翔兄上の卦の通り、大道の導きであるのならば。それはこれから、追々わかっていくことであろうよ――)
自分にも、そしてルイズにも。
心の中でそう呟きながら、瑠螺は『ご主人』が教えてくれた彼女の教室に向かって、真っ直ぐに飛葉扇を飛ばせた……。