「……な、なななな」
目の前で巨大ゴーレムが崩れ落ちていく様を見ながら、ルイズは口をぱくぱくさせていた。
剣などは魔力を持たぬ平民のなけなしの牙だというこの世界での一般的な認識をもつ彼女からしてみれば、目の前の光景がにわかには信じられなかった。
「……凄い、わねぇ……」
離れた場所で呆気にとられたような顔をしているキュルケにしても、それは概ね同じこと。
おそらくは、相当な魔剣宝剣の類なのではあろう。
だが、それを振るう瑠螺の動きもまた常人離れしたものだった。
「きゅいぃ……」
シルフィードもまた、しばし足を止めて(というか、ホバリングをして)、目を丸くしながらその光景に見入っていた。
唯一、彼女の主であるタバサだけが、この結果にも動じず落ち着いているように見えた。
(やっぱり)
タバサはつい先日、彼女がハルケギニアの系統魔法や先住魔法の範囲からするとおよそ常識外れな術を使うところを目の当たりにしていた。
器物をしゃべらせる術や、死者の魂を見る術に、それを新たに作り出した肉体に蘇らせる術。
さらには伝説上の存在だと思っていた女神ワルキューレの姿を見るにまで及んで、タバサは瑠螺自身も神々の関係者なのではないか、と考えるようになった。
そうでなくて、どうして人間の生き死にの運命を覆したり、神々の姿を見たりするなどということができようか?
思えば、彼女がこの学院にやってきた経緯からして、普通では考えられぬようなものだった。
人間の使い魔など、およそありえない。
実際には人間ではなかったわけだが、正体は本人の言うような韻獣の一種などではなくて、もっと特別な何かであるのかもしれない。
さまざまな書物にある物語を見ても、そのような御使いが人間に対して己の素性を隠すことは珍しくないようだ。
そして今、自分の魔法をもってしても到底破壊しえないであろう巨大なゴーレムを魔法も用いずにただの一太刀で斬り捨てる姿を目の当たりにして、タバサはついに確信した。
あのワルキューレの姿を目撃するよりも前に、自分はもう既に、女神に出会っていたのだと。
「む、っ……」
当の瑠螺の方は、破壊したゴーレムが崩れ落ちることでもうもうと舞い上がった土煙に顔をしかめていた。
このまま地面にいては視界が遮られるので、再び足の裏から火を噴いて飛び上がると、上空の飛葉扇のところへ戻る。
ルイズが、そんな瑠螺の姿を呆然としたような顔で見上げた。
「これ、ご主人。わらわの顔を見ていてどうするのじゃ。賊はまだ、逃げてはおらぬのであろうな?」
怪訝そうに顔をしかめた瑠螺にそう言われて、ルイズははっと我に返った。
そうだ、無理に要求してまでこの場についてきたというのに、自分は何をしているのか。
使い魔がゴーレムと戦う役を買って出たのなら、その間に敵のメイジと対峙するのが主人の役目ではないか。
あわてて壁面の亀裂に目をやるが、自分が呆然と瑠螺の姿を見つめていた間にそこから何も逃げ去っていないかどうかは、もちろんわからなかった。
「だ、大丈夫……だと、思う」
それでも、ルイズはそう答えた。
多少言い訳がましい気持ちがなかったとは言えないが、自分が壁面から目を離してぼうっとしていたのはどう考えてもせいぜい数十秒程度の間であり、賊がその間に機会を逃さず、まったく気付かれもせずに逃げ去ったという可能性は低いだろう。
そのあたりは、瑠螺も概ね同じ意見であった。
彼女の反応を見る限り、ルイズにとっては先ほど自分がゴーレムを斬り捨てたのは非常に意外な出来事だったようだ。
この世界ではああいったことのできる武器は無いか、あるとしてもかなり珍しいのだろう。
ならば、巨大ゴーレムが剣の一撃で破壊されるなんてことがまったく想定外の事態なのは、フーケとやらにとっても同じだったはず。
そんな想定外の事態にもあわてず騒がず、事前に準備万端整えていたかのように速やかに逃げ去ったとは思えない。
「ならば、賊はまだこの中におるはずじゃな。今からわらわが探してくるゆえ、ご主人はここで逃げ出さぬよう見張っていておくれ」
そう言って、壁面に開いた穴に向かう。
(……ど、どうする!?)
さて、その時フーケは、確かにまだ宝物庫の奥の方に残って青ざめていた。
まさかゴーレムが破壊されるなんて思ってもいなかったし、そんな想定外の事態が起きたときに入ってきた壁面の穴から今すぐに逃げようだなんて、一瞬で決断できるはずもない。
なんといっても、穴のすぐ外には巨大ゴーレムを一撃で破壊するような化け物がいるわけなのだから。
しかし、無理もないこととはいえ、それで逃げ出せる唯一のチャンスを逸してしまったことは確かだった。
この強固な宝物庫からの出口は、そこしかないのだ。
入り口には外から錠が降りていて内部からは開けられないし、周囲はすべて強力な『固定化』で守られた分厚い壁で、破壊して逃げ出すことなどできはしない。
かといって、どんな魔剣を使ったのだか知らないが、三十メイル級のゴーレムを一撃でぶった切るような相手と戦おうなどという気にはなれなかった。
到底勝てる気がしない。
フーケはこの時点で、もはや袋の鼠も同然だったのである。
「て、手を上げなさい! あなたが賊ですね!?」
「む……?」
宝物庫に入って奥の方に進んでいった瑠螺は、死角になっている展示棚の角を曲がろうとしたあたりで、震えながら自分に杖を突きつける緑色の髪をした女性に遭遇した。
「……おぬしこそ、フーケとかいう賊なのではないか?」
「わ、私は学院長秘書の、ロングビルという者です。これでもメイジです。覚悟なさい、言い逃れをしようとしても無駄ですよ!」
要するに、逃げようがないと悟ったフーケはやむなく変装用のローブを脱ぎ捨ててそこらに隠すと、部外者ではないということを利用して、騒ぎを聞きつけていち早く現場に駆け付けたふうを装って相手を騙そうとしたのだった。
なかなか堂に入った演技で、その姿は確かに、怯えながらも義務感から精一杯の勇気を振り絞って賊と対峙しようとしているかのように見える。
とはいえ、所詮は即興の小芝居。
いくら秘書といっても宝物庫の合鍵など持っているはずもないのに入口の錠をどうやって外したのかとか、いくらなんでも現場に駆けつけるのが早すぎないかとか、そもそも宝物庫の入口が開いた様子がないとか。
相手が冷静に考えて深く突っ込んできたならすぐにぼろが出るような、苦しい言い訳には違いない。
それでも、とにかくこの場だけでもやり過ごせればあとは自分に嫌疑の目が向く前にどこかに雲隠れするくらいのことはできよう。
警戒しながら周囲の様子を窺っているであろう実力者を相手に一か八かで不意討ちを仕掛けようとするよりは、その方がまだ成功率は高いと踏んだのである。
「では、外におるルイズに聞けばわかろう」
瑠螺はそう言って、外にいるルイズを呼んだ。
彼女が自分の使い魔と学院長秘書の両方の身元を確認し保証してくれたので、互いの嫌疑はひとまず晴れる。
「では、あなたが賊のゴーレムを破壊してくださったのですか! そうとは知らず、大変失礼を……」
「いや、構わぬ。それよりも、ここにはもう他に誰もおらぬようじゃな?」
確かに周囲を見渡してみても、ここには自分たちとロングビルの他には誰もいないようだ。
それを確認して、ルイズはうう、と顔をしかめた。
やっぱり、自分が目を離した隙に賊に逃げられてしまっていたのか。
「……すみません、ミス・ロングビル。逃げられたのはわたしの責任です。リュウラが戦っている間、ちゃんと外で見張っておけば……」
「いえ、とんでもない。まだ学生のあなたがこうして速やかに駆けつけられたその勇気こそが、何よりも賞賛されるべきものですわ。オールド・オスマンもお褒めになることでしょう」
ロングビルはにこやかな表情で、本心からそう言った。
そのおかげで、自分はこうして困ったことになっているわけなのだから。
「秘宝である『破壊の札』がこうして無事だったのも、あなたがたの行動が早かったおかげです。フーケは恐れをなして、取るものも取り敢えずに逃げ出したのに違いありません」
といって、近くにある『破壊の札』の展示棚を指差した。
見ればなるほど、その棚は覆いのガラスが消失しているようだったが、しかし中にあったのであろう札らしきものと質素な衣服とはあたりに散乱しているだけで、その場に残されていた。
欲張って『破壊の札』を持ち出そうなどとして、もしも身体検査をされてそれを発見されてしまったら、言い訳がきかない。
この際、怪盗としてのプライドや金よりも身の安全の方が優先である。
ただし少年の姿をした木彫り人形だけは、置いていくなどと言えばリンが半狂乱になって暴れるだろうから、やむなく懐に隠し持っていた。
幸いなことに大した価値のありそうな品ではないから、見つかってもおそらく私物で通るだろうと踏んで。
「『破壊の札』? これがかえ?」
瑠螺は、その札と衣服とをじぃっと見つめながら、小さく首を傾げた。
「ええ、そうよ。以前に宝物庫を見学したときに見たことがあるわ、この学院の秘宝のひとつよ」
「……ふぅむ……」
ロングビルは彼女の反応にやや妙なものを感じたが、今はそんなことをいちいち詮索していられるほど心に余裕がなかった。
「さあ、急いで探せば、まだそのあたりにフーケがいるかもしれませんわ。私はその間に、オールド・オスマンにご報告を!」
さっさとこいつらを追い払って、どこかへ逃げ去らねば。
「そうだわ! 早く捕まえなきゃ!」
今度こそは後れを取るまいと、ルイズは勇んで外に戻ろうとする。
しかし、瑠螺は動かなかった。
「リュウラ、何してるのよ! 急がないと……」
「ちょっとお待ち。その前に、ロングビルどのに聞きたいことがあるのじゃ」
ロングビルことフーケは、どきりとした。
「な、何でしょうか?」
「おぬしは一体、どこからこの宝物庫に入ってきたのかえ?」
「そ、それはもちろん、入り口から……」
「では、そこの扉は錠が外れておるはずじゃな。試しに、開けてみせておくれ」
瑠螺はそう言って、宝物庫の入口を指差した。
ルイズも彼女の意図するところを悟って、はっとしたような顔になる。
(畜生、うまくいったかと思ったら……。こいつ、やっぱり疑っていやがったのかよ!)
心中でそう毒づくミス・ロングビルこと『土くれ』のフーケの背中を、たらたらと冷や汗が流れた。
動揺を顔に表さないよう精一杯努めながら、何かうまい言い訳はないものかと大急ぎで考える。
「え、ええと。それは……」
そうだ、防犯のために一度閉めると、自動で鍵がかかる仕組みになっているというのはどうだろう。
壁に穴が開いているのがわかったので、出る時はそこから出ればいいと思った……。
(……)
苦しい。
そんな仕組みにしたら、普通に考えて防犯どころか人が鍵ごと中に閉じ込められる事故が頻発するだけではないか。
納得してもらえるはずがない。
いや、それ以前に、現実的によくよく考えてみれば。
もう既にはっきりと疑われてしまっている以上は、たとえどんなにうまい言い訳をしてみたところで、それだけで裏もとらずに無罪放免してもらえるはずはないだろう。
その場しのぎの嘘などは、あとで学院長にでも確認されれば、すぐにばれてしまう。
(……もうこれ以上は、誤魔化そうとしてもこっちの立場が悪くなるばかり、か……)
フーケはそう悟って、観念した。
ひとまず、この場では。
「……参ったよ。ああそうだ、あたしがフーケなのさ!」
肩をすくめて投げやりにそう言うと、杖を捨てて手を上げる。
「降参するから、どうとでも好きにしなよ」
さすがに、無抵抗の相手を斬ったりはするまい。
いちかばちか戦ってみるという選択肢もないではないが、巨大ゴーレムを一刀両断にしたバケモノとその主人だという娘が相手では、望みは薄い。
そんなことをしてこの場で殺されるよりも、大人しく降伏しておいてあとで何とか隙を見て逃れることを考えた方が得策だろう。
「ほ、本当に?」
ルイズは、そんなフーケの姿を困惑したように見つめた。
基本的に教職員など目上の人間には敬意を払っている彼女にとっては、学院長秘書ともあろう女性が犯罪者であったということはかなりの驚きであった。
もちろん愚かなわけではないので、状況的に確かにそうらしいということはわかっているが、感情的な問題はまた別だ。
「……ふむ。降伏するというのであれば、役人に引き渡して裁きを受けさせて進ぜるが……」
瑠螺は、ちょっと小首を傾げた。
タバサらの口からその名前が出てきたことからして、目の前の女はかなり悪名高い盗賊で、大きな犯行を幾度も重ねているのだろうと思える。
「……ご主人。この者をここらの役人に引き渡して裁きを受けさせたとすれば、どのような罰を与えられることになるかのう?」
「え? さ、さあ。それは、わからないけど……」
ルイズはやや戸惑いながらも、使い魔の疑問に対する答えを自分なりに考えてみた。
刑法に詳しくはないが、フーケは各地で宝物を奪い、国中の貴族のプライドを傷つけてきた名うての怪盗だと聞く。
盗みの過程で護衛などを殺しだってしているかもしれないし、軽い罪で済むはずはあるまい。
「……たぶん、縛り首とか。よくて、島流しとか……」
「そうか。まあ、そんなところであろうのう」
瑠螺は頷きながら、ちらりとフーケの様子を窺ってみた。
彼女は自嘲気味の笑みを浮かべてはいるが、ルイズの言葉に動揺した様子はない。
(縛り首になるとわかっておって、抵抗もせずにただ降伏するはずはなかろうがなあ)
そうすると、どこかで隙を見て逃亡できる自信があるか。
もしくは助けに来てくれる仲間がいるとか、賄賂を渡していざという時に逃がしてくれる段取りをつけてある役人でもいるとかだろうか。
そう考えていた時、宝物庫の壁に開いた穴から、キュルケとタバサがひょっこりと顔をのぞかせた。
「リュウラー、ルイズー。どう、フーケは捕まったの?」
「……その人が、フーケ?」
彼女らは瑠螺の活躍を横目に見ながら詰所へ向かったのだが、呆れたことに当直の教師はさぼっているらしく不在だった。
そこで、既に賊のゴーレムが破壊されてしまったということもあってそう急がずともよいと判断し、むしろフーケの捜索や捕縛のために人手があった方がよい可能性を考えて、詰所の衛兵に教師らへの連絡を任せるとこちらへやって来たのである。
「うむ。学院長どのの秘書でもあるそうじゃがな」
瑠螺はフーケの動向から完全に目を離さぬよう、二人の方を横目で見ながらそう答えた。
(まあ、ひとまず役人に引き渡すまではこちらの責任として、逃げられぬように見ておかねばなるまいな)
その後のことは、向こうに任せておけばそれでよいだろう。
人殺しや人身売買などをやらかす極悪人はいざ知らず、盗みを働いたくらいの人間に対しては、瑠螺もあまり厳しくは考えていなかった。
自分も子狐だった頃に、こっそり食い物や宝飾品をくすねるくらいのことはやってきたわけだし。
それでももちろん、盗まれた側にとってはしばしば深刻な問題であるのはわかるし、やっても構わぬことだなどとは思わない。
法で裁いた結果死罪になるというのなら、このあたりに住まう人間はその法に従いそれに守られて生活しているのだろうから、それもいたしかたないことではあろう。
「では、ひとまず両手足を縛りあげて、猿ぐつわを噛ませてから運び出すとするかのう」
「ちょっと。もうすっかり降参してるってのに、そこまでするのかい?」
後のことを考えるとなるべく身動きを不自由にはされたくないフーケが手を拡げてそう抗議したが、瑠螺は取り合わなかった。
「そのくらいは当然であろう、賊の身で虫のいいことを言うものではない。それとも、手足を斬って動けなくする方がよいかや?」
真顔でそんな物騒なことを言われては、フーケも黙るしかない。
その時、フーケの胸のうちで、何かがもぞもぞと蠢いた。
「……っ!?」
それに一番驚いたのは、当のフーケ自身であった。
(ば、馬鹿! いま出て来るんじゃないよっ!)
しかし、もちろん声に出してそういうわけにはいかないし、心の中でそう思っただけで伝わるものでもない。
他の面々がなんだなんだと警戒しながら見守っていると、突然フーケの胸がばいぃんと大きく膨らんで、着衣が内側から弾けるように開けた。
といっても、別に乳房が膨張したとかいうわけではない。
そこから姿を現したのは、ほのかな橙色に輝く、少女を模った木彫りの人形であった。
それはフーケの懐から飛び出して床に落ちるとみるみる膨らみ、木目が消え、じきに本物の人間の少女……先ほどから姿を消していた、リンの姿になる。
「ほう、木彫り人形の精か……」
目を丸くするルイズ、驚きながらも杖を構えて警戒するキュルケ、タバサに対して、瑠螺は小さく首をかしげただけであった。
人型を取れるようになった器物の精など、央華の仙人にとっては特に珍しいものではない。
「して、おぬしは何をしに出てまいったのじゃ?」
リンは手を広げてフーケを庇うように立ちながら、そう尋ねる瑠螺の顔をじっと見つめる。
「ねえ、お願い。この人を見逃してやってよ、仙人さま。この人、本当はそんなに悪い人じゃないから!」
「あたしを庇おうなんてして、余計なことを言うんじゃないよ!」
フーケが、背後からぴしゃりとそう言った。
「この子はあたしの仕事とは関係ないよ。たまたま拾っただけでね、買い手がつくまで持ち歩いてたのさ」
本当はこの少女が懐に隠れたままでいれば、捕まった後も逃げられる可能性が高いと踏んでいたのだが、出てきてしまった以上はもうどうしようもない。
あまり予想外な事態で咄嗟に人形に戻らせて懐に隠すしかなく何も打ち合わせはしていなかったし、こちらを庇うつもりで姿を現したのだろうから、責めるわけにもいくまい。
こうなった以上は要らぬことを言わせないようにして、この子だけでも無罪放免にしてやらねば。
しかし、フーケのそんな思いに反して、リンは言葉を続けた。
「だって、このままじゃマチルダは殺されちゃうんでしょ。そしたら、妹さんやあの子たちはどうなるの?」
「リン!」
そんなやり取りを見て、瑠螺はまた少し首をかしげた。
「……ふうむ。なにやら、訳ありのようじゃな……」
それから、宝物庫の外の方を指差す。
「このままここにおっては誰が来るやもわからぬし、ひとまず場所を変えようではないか。シルフィードと飛葉扇に乗って遥か上空で話せば、誰に聞かれる恐れも、逃げられる恐れもなかろう?」
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少女は、元はといえば央華の出で、仙人が住まうような陽の気が集まる秘境の地に生えていた一本の木から作り出された木彫り人形であった。
同じ木からは同時に男女一対の人形が作り上げられており、少女はその女の方だったのである。
制作者が夫婦や恋人のつもりで彫ったのか、あるいは兄妹や姉弟のつもりで彫ったのか、それともまったく関係ない別々の人形として彫ったのか、それはわからない。
だが、既にたっぷりと陽の気を浴びて半ば妖精へと変化を成し遂げつつあった一本の木からほぼ時を同じくして、その体を分け合って作られた二人であるために、彼ら自身は互いを大切な自分の片割れだと認識していた。
当時のことはぼんやりとしか覚えておらず、それがどのくらいの期間であったかも判然とはしないのだが、一対の人形は作り上げられたその時からずっと、傍近くにあり続けた。
ある時、彼らはこの世界……ハルケギニアに召喚された。
あるいは彼ら自身が召喚されたのではなく、他の何らかの存在……おそらくは彼らを彫った仙人かその所有物かの巻き添えを食って、一緒に連れてこられただけなのかもしれない。
いずれにせよ、それ自体は彼らにとっては大した問題ではなかった。
それよりもずっと深刻な問題は、召喚されていくらも経たないうちに所有者が死に、その過程で二人も別々の場所に引き離されてしまったことである。
紆余曲折あって、最終的に少年の方は魔法学院の宝物庫にそれと知らずに収められ、少女の方は打ち捨てられているところを見つけた人間によって拾い上げられた。
少女はやがて、大地を離れた遥か天空にあるアルビオンという場所に渡り、その地の貴族に買い上げられた。
元々陽の気をたっぷりと吸い込んだ素材から作られていた少女は、魔力に満ちた天に近い場所で異界の双月の光を浴びながら数十年の年月を過ごすうちに、いつしか精を宿し命を得たのである。
はっきりとした自我を得た彼女が最初に考えたことは、片割れに再会したいということだった。
片割れが遥か離れた下界の大地で暗闇の中に閉じ込められていることは、同じ木から作られた彼女にははっきりとわかっていた。
その時点での彼女の持ち主は、貴族の名を失いながらも、義理の妹と身寄りのない孤児たちを匿い育てている、マチルダという名の娘だった。
リンは自分の持ち主が妹たちを育てるため、そして貴族社会へのささやかな復讐のために盗賊の道を選んでいることを知り、その力を借りることで片割れの元へ辿り着けるのではないかという希望をもって、彼女に自分の素性を明かすと助力を請うたのである――。