央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

22 / 47
第二十二話 公主知昔日道友

 

「まさか、この魔法学院に賊が入るとはのう……」

 

 衛兵から真っ先に報告を受けて叩き起こされたオールド・オスマンは、学院長室で長い口髭をいじくりながらそう呟いた。

 

 目の前には、目撃者でありかつ賊を撃退した功労者でもある、ルイズ、キュルケ、タバサ、瑠螺、それに秘書のミス・ロングビルがいる。

 机上には、かろうじて奪われるのを免れた『破壊の札』と、それと一緒に展示棚に入っていた着衣が置かれていた。

 

「よもやメイジだらけの学院をあえて襲おうなどという者はおるまいと、当直をさぼる教師が多いのを知りながらこれまでずっと黙認してきたが、それは間違いだったようじゃ。我々教職員は油断して、当然行うべき職務を怠けておった。それがために君らを危険な目に遭わせることになってしまったのを、まずは詫びねばなるまい」

 

 学院長は重々しくそう言って、頭を下げた。

 

 他の教師たちは、彼女らによってフーケが既に退散したという報告がもたらされたために衛兵に叩き起こされるのを免れて、この場にはいなかった。

 もちろん、翌朝にはここに集められて、油を絞られることになるのだろうが。

 

「君らが無事で何よりじゃ。それに、諸君らのおかげで賊が狙ったと思しきこの『破壊の札』を始めとする宝物の数々が失われずに済んだ、その働きにも重ねて感謝する」

 

 そう言われてルイズ、キュルケ、タバサの三人は進み出て礼をしたが、その顔は誇らしげなものではなく、むしろ少しばかり後ろめたそうだった。

 後ろの方で頭を下げる瑠螺とロングビルも、概ね似たようなものだ。

 全員に学院長に対して真相を伏せている負い目が、内一人には自身が真犯人であるという負い目までもがあるのだから、それはそうだろう。

 

 とはいえ当のオスマンはそんなことには気付かず、生徒たちの頭を順に撫でていった。

 

「残念ながらフーケは捕縛できなかったゆえ、王宮からの褒賞は出んじゃろうが。後日、全校をあげての表彰を行い、学院から心ばかりの謝礼金を出すことを約束しよう」

 

 そう言われた三人はしかし、顔を上げると迷うことなく首を横に振った。

 

「いいえ、お金はいりません」

「なんじゃと?」

 

 きっぱりとそう言ったルイズを見て、オスマンはきょとんとして目をしばたたかせた。

 

「……しかし。君たちは、それに値するだけの働きをしたのじゃぞ?」

「あたしたちの働きにそれだけの価値があるかはともかく。今回破損した宝物庫を修繕するだけでも、予定外の出費ではありませんこと?」

「学院の予算は、そのために」

 

 キュルケとタバサまでもがそう言うのを聞いて、オスマンはほう、と溜息を吐いた。

 それから顔を綻ばせて、もう一度生徒たちの頭を丁寧に撫でていく。

 

「高貴な心掛けじゃ。君たちの態度こそは、真に貴族の鑑というべきものであろうぞ」

「いえ、それほどでは……」

 

 そう言いながら、ルイズはちらりと、背後に控える瑠螺の方に目をやった。

 そこへ、他の学生たちが口添えをする。

 

「フーケを退けられたのは、概ね彼女の働きのおかげですわ」

「ほとんど一人でやった」

「……ええ。わたしなんかよりも、よっぽど活躍してくれました」

 

 それを聞いてオスマンは大きく頷くと、瑠螺の方に向き直って頭を下げた。

 

「ミス・リュウラでしたな。生徒とこの学院の宝物を守るために尽力してくださったこと、感謝いたしますぞ」

 

 以前にコルベールから彼女が異国の高貴な身分の女性らしいと聞いていたこともあって、その態度は丁重なものだった。

 瑠螺については他にも彼から聞かされたことがあったのだが、それはひとまず脇に置いておく。

 

「あなたにも、何か謝礼をお出ししたいが」

 

 そう言われて、瑠螺は首を横に振った。

 

「わらわも、金品の類などは遠慮させていただきたい。それよりも、できれば学院長どのに、いくつかお伺いしたいことがあってのう……」

「なんですかな?」

「まず、この『破壊の札』とやらについてじゃ」

 

 そう言って、机の上に置かれた数枚の紙札に目をやった。

 

 同じ紙といってもハルケギニアのそれとはやや違う材質や製法で作られた、厚めの風変わりな質感のもの。

 表面にはこの世界のルーンではなく、央華世界の漢字が書きこまれている。

 

「これは明らかに、我々仙人の作った『符』であるように思えるのじゃが……。それについては、何かご存じか?」

 

 符とは、あらかじめ仙術を込めて口訣を唱えることで発動できるようにしておいた仙宝の総称である。

 主として他人にも使えるようにしておいて仲間や弟子に渡したり、時間をかけてよく練った気を込めておくことで通常よりも強い効果の術を使えるようにしたり、まだ未熟な道士がいざという時に自力では発動することができない高度な術を使ったりするために用いられるものだ。

 形状や素材はさまざまで、文字を彫り込んだ木の棒だったり、骨や竹の牌だったり、泥玉だったりすることもある。

 だが、もっとも典型的なのは文字を書きこんだ紙札か木簡であり、『破壊の札』もそういった典型的な符であったために、瑠螺には外見ですぐにそれとわかった。

 

 しかし、オスマンはそれについてはまったく知らない様子で、怪訝そうにしている。

 

「はて、『センニン』? 『フ』……とは?」

「……ふむ。では、これらの宝物は、一体どこで手に入れられたのじゃ? 差し支えなければ、教えていただけぬか」

「ああ。それでしたら、もう三十年ほども前のことになりますかのう……」

 

 そう言ってオスマンが話したところによれば、『破壊の札』とこの衣服とは、元々はかつて彼の命を救ってくれた恩人のものであるらしい。

 

 三十年ほど前、森を散策していた彼は、そこでワイバーンと呼ばれる亜竜に出くわしたのだという。

 ただでさえ凶暴な気質をもつその生物は何かに気が立っていたらしく、激しくいきり立って暴れ回っており、オスマンは不覚にもそいつに杖を弾き飛ばされてしまった。

 

「もはや万事休すかと思われた、そこへその恩人が駆けつけて割って入ると、攻撃から庇ってくれたのじゃ」

 

 このあたりでは見慣れぬ、奇妙な装いをした男であった。

 驚いたことに、彼はワイバーンの毒をもつ尾にざっくりと肉を裂かれて弾き飛ばされながらも、それでも怯むことなく反撃に転じた。

 

「その男は手に数枚の札を持っておった。そのうち一枚を額に掲げて何やら呪文の詠唱のような言葉を呟くと、札が燃え尽きるのと同時に人型をしているようにも見える不思議な眩い輝きが天より下って、ワイバーンに向かってぶつかっていった……」

 

 それによって深手を負ったワイバーンに、その隙に杖を拾い上げたオスマンが呪文で追撃をかけることで、どうにか打ち倒して窮地を切り抜けることができたらしい。

 

「……しかし、彼はそれきり力尽きたように、ばったりと倒れてしまった。私は急いで彼を学院に運び込んだが、元より生きておるのが不思議なほどの酷い負傷であったし。致命的なワイバーンの毒が傷口から体の奥深くにまで染み込んでおったので、どうにも手の施しようがなく……」

「では、亡くなられたのか」

 

 オスマンは遠い目をして頷くと、机の中から折り畳まれた一通の手紙のようなものを取り出した。

 

「彼は死ぬ間際に懐から取り出したこれを握りしめながら、『いずれ師匠が来てくれるはずだ』と、うわごとのように呟いておった。しかし、今日に至るまで、誰も彼を訪ねてきたものはおらぬ」

 

 そう言いながらそれを広げて、瑠螺に差し出す。

 

「もしや、あなたになら読めますかな? この文章はハルケギニアのどの国の人間にも読めず、学院中の文献を調べても、解読はできなかったのじゃが……」

 

 瑠螺は受け取ってさっと目を通してみてから、小さく頷いた。

 

「これは、わらわの故郷で用いられておる文字じゃ」

 

 話の内容から概ね予想がついてはいたが、思った通り、それはその男の師匠が弟子に対して『どうにもならなくなったときには助けてやろう』と約束する内容のものだった。

 俗に『師匠の一筆』と呼ばれている仙宝の一種である。

 通常は師に対するある程度の期間の奉仕と引き換えに、その弟子に与えられるものだ。

 そのような品が用いられるか、あるいは明白に弟子たちの手に余る事態にならぬ限りは、師は直接的な助けの手を差し伸べてはならない決まりになっている。

 

(察するに、いずこかの道士が修行の旅の途上で何らかの事故にでも巻き込まれて、この世界へ迷い込んだのであろうな)

 

 衣服の中にレンという少年の人形が入っていたことから見ても、明らかに三十年前に死んだというその男が、先ほどのリンの話の中に出てきた元々彼女らを所有していた仙人なのであろう。

 

 見れば、恩人の形見としてオスマンが『破壊の札』と共に展示棚の中にしまい込んでおいた衣の左袖には、いくらか裂け目が入っていた。

 彼はワイバーンとかいう凶暴な生物に襲われて致命傷を負ったとのことだったが、その時に所持品をしまい込んでいた袖の一部が破損したために、オスマンによって学院へ運び込まれる途中でリンだけが彼らの気付かぬうちにどこかで零れ落ちてしまったに違いない。

 それを通りすがりの旅人か何かが見つけて拾い上げ、その後も紆余曲折あって、最終的にアルビオンという地の貴族に買い上げられた、といったところか。

 

(旅立つ前には、万が一の事態に備えて、自らの師からこの『一筆』をもらい受けていたようじゃが……)

 

 しかし、師匠級の仙人といえども、さすがに央華の外にある異界の地にまでは助けに来られなかったようだ。

 それ以前に、そもそも呼びかけ自体が師の元へ届いていなかったのだろうが。

 

 瑠螺はその不運な道士のことを哀れに思いながら、書面にもう少し細かく目を通してみた。

 

「……ふむ。本人の名前は首天道人(しゅてんどうじん)、師の名前は鎮獰大人(ちんどうたいじん)……と、いうらしいのう」

 

 どちらも瑠螺の知らぬ名だったが、央華へ戻った後で人づてに聞いて調べてみれば、師の方がどこで洞府を開いている仙人なのかはすぐにわかるだろう。

 いずれ訪問して、弟子の死を伝えてやらねばなるまい。

 

「では、あなたは彼と同郷の出なのですな。何という名の国に住んでおられたのか?」

 

 オスマンからそう尋ねられた瑠螺は、首を横に振った。

 

「仙人はふつう、邑に住むものではない。学院長どのの恩人はわらわと同じ世界の生まれではあろうが、彼が央華の何処に住んでいたのかまではわからぬ」

 

 それを聞いたオスマンの目が光る。

 

「『オウカ』? 『同じ世界』というのは、一体どういう意味ですかな?」

「それはつまり、その道士とわらわとはこのハルケギニアという世界ではなく、その外にある『央華』という名の別の世界から召喚されてきたということじゃ」

 

 元より特に隠す理由もない瑠螺は、正直にそう答えた。

 全員の視線が、彼女に集まる。

 

「なんと、別の世界……ですか。なるほど、そう考えればいろいろと納得がいきますのう……」

 

 そう言って大きく頷くオスマンと、そしてタバサとロングビルとは、彼女の言葉を信じているようだった。

 

「それって、本当? 前にも、あなたが月のひとつしかないところから来たとかいう話は聞いたけど」

「別の世界って、そんなのが本当にあるの? それとも、何かの例え話かしら」

 

 一方で残る二人の生徒は、半信半疑といった様子だった。

 巨大ゴーレムを剣で両断するとか、不思議な品々を持っているなどのそれらしい要素も知ってはいるが、遠く離れた異国から来たというくらいならともかく異世界だなどといきなり言われても、といった感じなのだ。

 

「いや、信じられぬのならそれでも構わぬ。そう思うのが当然であろうしのう」

 

 瑠螺は大してこだわった様子もなくそう言うと、一筆を畳み直してオスマンの方に視線を戻した。

 

「さて。図々しい頼みかもしれぬが、ここで宝物とされておるのがそれらの符だけなのであれば、この一筆と彼の着衣、それにその中身は、こちらの方で預からせていただくわけにはまいらぬか? いずれ故郷へ帰った折には、彼の師父へも知らせてやらねばなるまいし」

「おお、そうですな。無論、構いませぬが……。その『オウカ』という世界へ、帰るあてはおありなのですかな?」

 

 オスマンがそう尋ねると、ルイズははっとしたような顔になって、瑠螺の方を見た。

 胸中を、一抹の不安がよぎる。

 

 が、瑠螺は表情ひとつ変えるでもなく、あっさりと首を横に振った。

 

「いや、無い。無いが……、急ぎの話でもなかろうし、特にあわててはおらぬ」

 

 事前に飛翔の卦が示した通りに大道の導きによってこの世界へ招かれたのだから、やがてその時が来れば帰れるであろうことを瑠螺は疑ってはいない。

 連絡には、その後にゆるゆると場所を調べて赴けばいいだけのこと。

 

「それが数年先であっても数十年先であっても、洞府を開くまでに齢を重ねた仙人にとっては、大した違いではなかろう」

 

 それで礼をして引き下がろうとしたが、ふと思い出したようにもうひとつ尋ねた。

 

「……ああ、そうじゃ、もうひとつだけ。この左手にある、『使い魔のルーン』とやらのことなのじゃが」

 

 そう言って差し出された左手の甲を見て、オスマンは目を細めた。

 

「それが、何か?」

「うむ。先ほどゴーレムとやらを斬ったときもそうであったが、武器を握るとこのルーンが光って、体の切れが増すような感じがしてのう。使い魔とやらに与えられる力のひとつかと思うのじゃが、これについては何かご存じか?」

 

 それに、先ほど『破壊の札』を手にした時には、それを使うための口訣がなぜか頭の中に浮かんできた。

 武器と見なされるものの使い方がわかる効果もある、ということだろうか。

 

「……ふむ。人が使い魔となること自体、非常に珍しい事例ですからのう……」

 

 オスマンはそう言って、曖昧に頷いた。

 

 実際には、彼はそのルーンの正体を既に知っていた。

 先日召喚の儀式に立ち会った教師のコルベールがここへ駆け込んできて興奮気味に話したところによると、始祖ブリミルに仕えたという伝説の使い魔の一体、『ガンダールヴ』のものであるらしい。

 その伝説の使い魔はありとあらゆる『武器』を使いこなしたというから、彼女の話からしてもそれに間違いはなさそうである。

 

 しかるにこの場で正体を告げるのを見合わせたのは、迂闊にそんな情報を漏らせば彼女自身やその主人を利用しようと王室の者たちなどが介入してくるのではないか、と案じたためであった。

 伝説によればガンダールヴは、並のメイジをまったく寄せ付けぬほどの力を持ち、千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどであったという。

 そんな玩具を暇を持て余した王室の連中が手にすれば、何に使おうとするかわかったものではない。

 

「では。それについては、後ほど調べてみることにしましょうかな」

 

 

 

 そうして話がまとまってルイズらが退室すると、オスマンはただ一人残った自分の秘書の方に向き直って、丁重に頭を下げた。

 

「さて、ミス・ロングビル。君の迅速かつ勇敢な働きにも、深く感謝しておるぞ」

 

 それから、今日の礼として臨時のボーナスや昇給について検討したい、と彼女に伝えた。

 ルイズらがいなくなるまでそのことを話さずにいたのは、他の者たちが褒賞を辞退している同じ場で伝えたのでは受け容れにくいだろうと思ったからだ。

 オスマンは、本業が盗賊である彼女の素性について詳しいことはもちろん何も聞かされてはいなかったが、どうやら他国の生まれで、遠い故郷に養わねばならぬ身内がいるらしいということくらいはなんとなく把握していた。

 そのような境遇であれば、金は余分にあって困るものではあるまい。

 

 しかし、彼の予想に反して、彼女も他の者たちと同じく首を縦には振らなかった。

 

「ありがとうございます。ですが、皆さんが辞退しておられるのに、私だけがお受けするわけにはまいりませんわ。それに実を言いますと、私はもう少ししたらお暇をいただこうかと思っていたところなのです」

 

 突然の話に、オスマンは目を丸くする。

 

「……なんと。なぜじゃ? なにか、待遇に不満でもあったのかね?」

「いえ、不満だなんて。そんなものは……」

 

 そんなものは、あるに決まってんだろうがこのクソジジイ。

 と、フーケは胸中で毒づいた。

 

 たとえばセクハラとかセクハラとかセクハラとか、それからセクハラとか。

 あとついでに、暑苦しいコッパゲとか。

 まあ、給料はかなり割がよかったし、貴族崩れだからといって差別もされなかったから、そのくらいは我慢ならないってほどでもなかったのは確かだが……。

 

 いずれにせよ、辞める理由はそれではないのだ。

 

「最近、アルビオンの情勢が不穏になってきていることはご存じでしょう? 向こうに身内を残してきたものですから、万が一のことが起こった場合に備えて、近くにいてやらなければと」

 

 もちろん、直接的な理由はつい先ほど仕事をしくじった上に瑠螺らに正体を知られてしまったことなのだが、今言ったことも決して嘘ではなかった。

 

 故郷のアルビオンでは最近、『レコン・キスタ』とかいう叛徒どもによる大規模な反乱が起きている。

 なんでも反乱軍の首魁であるクロムウェルという男は、始祖ブリミルの意思を受けたとかなんとか言って、『ハルケギニアのすべての国をひとつにまとめる』だの、『エルフから聖地を取り戻す』だのと、夢物語のような大義を掲げているらしい。

 その話を聞いた当初はそんな馬鹿についていくおめでたい連中がそうそういるものかと思ったのだが、どういうわけか反乱は成功しているそうで、アルビオンの王党派は追い詰められて敗色濃厚になっているのだとか。

 

 父を殺して家名を奪った王家なぞ滅びようが知ったことではないし、むしろいい気味だといったところだが、それよりも故郷に残っている義理の妹が戦火に巻き込まれないかが心配である。

 だから、いざという時に彼女らを守ってやれるよう、そろそろこちらでの仕事を切り上げてアルビオンに戻ろうかと考えていたことは事実だった。

 

 自分が一生食うに困らず、妹と彼女が育てている孤児たちとの面倒を成人まで見てやれるくらいの金は、これまでの盗品で十分賄える。

 それでも賊の家業を続けていたのは貴族社会への復讐心からで、威張りくさった連中があわてふためくさまが愉快だったからだが……、要するにそれだけのことであって、考えてみればまあ、どうでもいいことだ。

 今回のことはある意味では、いいきっかけになったとも言えるだろう。

 

「……むう。そうであったか……」

 

 オスマンは、半ば得心が行ったような、半ば残念そうな顔をして深く頷いた。

 

 有能な上に美人でナイスバディでセクハラのしがいがある、……もとい、職場を華やかにしてくれる秘書を失うのは痛いが、そのような事情では無理に引き留めるわけにもいくまい。

 今回の件の礼として、退職金にはいくらか色を付けておくことにしよう。

 

「それでは、いたしかたないのう。して、いつここを発つつもりかね?」

「いえ、まだはっきりとは決めておりませんが。今日明日というつもりはありませんわ。皆さまにご迷惑をおかけしないよう身の回りの整理をして、後任を手配してからにします」

「後のことはあまり気を揉まなくてもよいのじゃぞ。手遅れにならぬよう、なるべく早く行ってやりなさい。君も身の安全には十分に気を付けて、向こうでも元気でな」

「ありがとうございます」

 

 ロングビルはそう言って深々と頭を下げると、朝までの間仮眠をとるために、自分も退出して行った。

 

 それを見送ったオスマンは、パイプに火をつけながらふうっと溜息を吐く。

 突然夜中に叩き起こされたかと思ったら賊に宝物庫を破られたと聞かされ、今度は有能な秘書まで退職するとは。

 そのうちのいくらかは自業自得だとはいえ、災難続きである。

 

「やれやれ……。また、この部屋が退屈になるのう……」

 

 それを聞いて彼の使い魔であるハツカネズミのモートソグニルが、『ご主人には自分がいるじゃないか』と抗議するように、足元でチュウチュウと鳴き声をあげた……。

 

 

 

 一方、学院長室から辞した後にひとまずルイズの私室に集まった一行の方はというと。

 

「ねえリュウラ。本当の本当に、あれで良かったの?」

「ご主人もしつこいのう……」

 

 何度も食いついてくるルイズに、瑠螺はいささかうんざりしたような面持ちでそう答えた。

 

「だって。オールド・オスマンにまで嘘をついて……」

「別に嘘はついておらぬ。フーケを捕まえなかったのは事実であるし、それが誰かということを言わなかっただけではないか」

「そもそも、本当に捕まえなくてよかったの? ミス・ロングビル……じゃなくて土くれのフーケは、何度も貴族を愚弄して回った賊なのよ。それを、無罪放免にするだなんて……」

「あの者のためではない、故郷で養っておるという子供らのためじゃ」

 

 世話を見てやらねばならぬ子供たちがいるという者を、極刑にさせるわけにはゆくまい。

 瑠螺がそう言うのを聞いて、キュルケは苦笑して肩をすくめた。

 

「慈悲深い人ねえ。それで、あのおばさんが嘘をついてないってことは確かなのかしら?」

「マチルダは嘘なんかついてないよ。わたしはあの子が小さいときに買われてから、ずっとそばで見てたんだ」

 

 既に折り畳まれた道士服の袖から出て人間の姿に戻っているリンが、横からそう口を挟んだ。

 

 瑠螺がオスマンから許可を受けて正式に、形見の道士服ごと中のものも譲り受けたので、彼女もこれで何の気兼ねもなくレンを連れ帰れるというものだ。

 手にはその大切な片割れの人形を、しっかりと抱きかかえている。

 

「あなたを疑うわけじゃないけどね。身内の証言はふつう、証拠にはならないものよ?」

「嘘をついておらぬことは仙術で確かめたゆえ、間違いはなかろう」

 

 先ほどリンからミス・ロングビルこと土くれのフーケ……本名はマチルダというらしい娘の事情について聞かされた瑠螺は、当然ながらその話の裏を取らねばならぬと感じた。

 そこで、『変化朋友』の仙術を用いて仲間の来星晶の姿と力を借りると、『禁舌則不能嘘(舌を禁ずれば、すなわち嘘をつくことあたわず)』をフーケにかけて、本当に間違いないかどうかもう一度彼女自身の口から話させてみたのである。

 言葉に詰まって話せなくなるというようなことも、大事な部分を伏せて言い逃れているような様子も、一切なかった。

 

「わたしは信じる」

「まあ、実質あなただけで捕まえたようなものだし。そのあなた自身がそう言うのなら、それでいいんでしょうね」

 

 タバサとキュルケがそう言ったので、ルイズもまだ納得しきれないところはあったが、しぶしぶ引き下がった。

 

 そこへ、部屋のドアをノックする音がして、学院長室での話を終えたフーケが入ってくる。

 多少緊張した様子のルイズら学生たちをよそに、瑠螺はフーケに席に着くよう促すと、彼女が故郷へ帰る前にもうひとつ要求したいことがある、と言った。

 

「なんだい?」

「うむ、おぬしがこれまでに盗み出したという宝物についてじゃが。それらはいま、どうなっておる?」

 

 フーケは、ああ、きたな、と考えた。

 さすがに、他所から盗んだものを不問でもっていかせてくれるわけはないだろう、とは思っていた。

 

「……いくらかは、金のために売り払っちまったけどね。大部分は、まだそのままだよ」

 

 貴重な宝物であればあるほど、市場に出せば人目を引く。

 盗品だと承知の上で買い取ってくれる闇商人はこのトリステインにもいないことはないが、相当足元を見てくる。

 安全に、かつそれなりの値段で売ろうと思えばフーケの名や盗難の事実がまだ世間に伝わっていない遠方へ足を運ばねばならず、盗んだものを捌くのにも結構な手間がかかるものだ。

 

「見逃してくれるっていうんだから、あんたが望むのなら拒否はできないさ。隠し場所へ案内するから、懐へ収めるのでも元の持ち主へ返して礼金を取るのでも好きにしなよ。なんなら、『盗みをしくじって面目が潰れたから、廃業してこれまでの盗品をお返しします』って手紙でも添えようか?」

「おお、それはありがたいのう」

 

 盗まれたものを取り戻したとなれば、フーケ自身の捕縛は成らなくても、王宮とやらの方からなにがしかの褒賞が出るかもしれない。

 自分には必要ないが、ルイズらにとっては誉れになることだろう。

 もちろん、盗まれたものが返ってきた貴族たちも喜ぶだろうし、皆にとって良いことである。

 

「……しかし。子供らを育てるために賊に身を堕としておったというのに、すべて返すとなれば後々の生活が大変なのではないか?」

「はっ。盗賊の心配をしてくれるとは、とことんお人好しな御仁だねえ?」

「おぬしではない、子供らの身を案じておるのじゃ」

「同じことだよ」

 

 フーケはそう言って苦笑すると、肩をすくめた。

 

「……ま、なんとかするさ。少なくとも、あの子らに春を売るような真似はさせないよ」

 

 既に売り払った分の金と、これまで働いて貯めた金とで、妹と共に故郷でつつましく暮らしていくくらいのことはできるだろうし。

 子供ら全員が独り立ちするまでの面倒をみられるかどうかは微妙だが、まあ、足りなければ自分が向こうでまた、何か仕事を探して働けばよいのだ。

 

「情勢の不穏なアルビオンでなら、傭兵の口もあるだろうしね」

 

 瑠螺は軽い調子でそう言うフーケに対して、首を横に振った。

 

「いいや、せっかく盗みから足を洗うのじゃ。おぬしはもう荒事などせず、その子らの近くにいてやるがよい」

「そう言われてもねえ。身なりからするとあんたはいいとこの生まれなんだろうし、あたしも昔はそうだったから、わからないのも無理ないとは思うけどさ。生活するには、それに先立つ金ってものが……」

「これでは足りぬか?」

 

 と言って、瑠螺が袖の奥から取り出したものは……。

 

「……へっ?」

「わあ、すっごいきれいだねえ。宝箱ってやつ?」

 

 ……昼間街で手に入れた、金銀財宝の詰まった黄金の小箱であった。

 

「……!? ちょ、ちょっと、リュウラ!」

「ま、まさか、それまであげちゃうつもりなの?」

「無欲」

 

 ルイズやキュルケは当然のように止めたものの、自分にとってはどうでもいい重たいだけの金属塊を有効利用して処分できるいい機会なので、瑠螺は聞く耳を持たなかった。

 こんなものよりも、先ほどオスマンから譲り受けた道士服に、おそらくは存在に気付かれぬまま収まっていたいくつかの仙宝の方が彼女にとってはよっぽど価値があるので、別に損をしているとも思わない。

 

「つまらぬ光り物と、子供らの幸福と、どちらの方がより大切なのじゃ」

 

 きっぱりとそう言って彼女らを黙らせると、ずっしりと重い宝箱を目を白黒させているフーケに押し付けて、今度はリンの方に向き直る。

 

「さて、リンや。おぬしもこの者と共に、アルビオンとやらへ帰るのかえ?」

「うん。空の上のアルビオンなら、月の光もたくさん浴びられるだろうし……。しばらくは、マチルダや妹さんと一緒にいるよ。そのうちにレンも人型になれるようになったら、そうだね。二つの月を眺めて歌でも歌いながら、二人でずっと一緒に過ごすんだ」

 

 そう言って、幸せそうに、待ち遠しそうに、腕の中の人形をぎゅうっと抱きしめる。

 瑠螺は目を細めて小さく頷くと、先ほどオスマンから受け取った道士服の奥から、何やら小さな皮の袋を取り出した。

 

「ならば。つい先ほど、おぬしらの前の持ち主がこのようなものをもらい受けておったのを見つけたのじゃが……」

 

 中には淡い桃色をした仙丹が、何粒か入っているようだ。

 

「ひとつ、試してみる気はないかの?」

 

 不思議そうにそれを見つめるリンに対して、瑠螺はそう言って悪戯っぽく微笑んだ。

 





師匠の一筆(ししょうのいっぴつ):
 弟子が師匠への9か月間の洞奉仕と引き換えに手に入れられる一種の念書であり、どうしようもなくなった時にこれを用いて願えば、一度だけ師にあたる仙人が駆けつけて助けてくれる。
仙人と邪仙との間の均衡を崩してより大規模な争いを招くような事態を避けるため、これによって願われるか弟子たちが全滅するなど明白に彼らの手に余る事態が発生しない限りは、師匠はたとえ弟子が窮地にあってもみだりに助けの手を差し伸べてはならないことになっている。
洞府を開いて弟子を取ることができる仙人は自分の専門とする系統の仙術については最低でも15以上の仙術行使値(一般的な仙術は、仙術行使値10の時点ですべて習得できる)を持っており、駆け出しの道士が戦うレベルの敵は簡単に全滅させられる。
師匠は他に、死んでしまった弟子やその仲間を生き返らせたり、単に助言を与えたり、状況がさほど深刻でないようならまだ力を出し切ってもいないのに安易に頼るなと叱責だけして去っていったりすることもある。
 なお、邪仙の場合は自分の欲望のまま好き勝手に振る舞う者が多く、仙人ならばまだ道士の域を出ない程度の力量であっても弟子を取っていることが珍しくない。
そうでなくても弟子などは使い捨ての道具だとみなしている者が大半であるため、このような仙宝を授けてやる邪仙はまずいないとされる。

来星晶(央華での呼び名はらいせいしょう、本名はくるぼしあきら):
 異世界である地球の日本から央華へと招き寄せられた少女で、瑠螺公主にとっては大切な妹分でもある。
元の世界へ帰るために伯工名という名の女仙の下で修業を積み、禁術系統の仙術を身に付けている。
 彼女は央華封神の小説シリーズにおける主人公で、地球から呼ばれた理由は、その胎内に新たに央華へ生じるべき第二十九番目の星宿が宿っているためだった。
飛翔や瑠螺といった仲間たちと共に修行の旅に出た彼女は、やがて央華の世界に大きな変革をもたらしていくことになる。
実力的には他の仲間たちと比べてやや劣るものの、央華の運命にとって大切な存在であるため、鴻鈞道人や太上老君といった名だたる仙人たちが製作にかかわったと言われる実力不相応に強力な仙宝をいくつも持たされている。

禁舌則不能嘘(舌を禁ずれば、すなわち嘘をつくことあたわず):
 禁術系統に属する仙術の一種で、抵抗に失敗した目標は一切の嘘をつくことができなくなる。
ただし、黙して語らずにいることはできる。
この術の効果は永続だが、一日を越えてかけっぱなしにすることは術者の濁業を増加させる行為である。
 なお、この術に限らず、原則として術者は自分の使った持続型の仙術の効果については任意のタイミングで解除することができる。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。