央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第二十六話 重温旧情

 

「こほっ、こほっ……」

 

 瑠螺は人気のない休憩用の小部屋にそそくさと入り込むと、そこで口元を袖で覆ってけほけほと咳き込んだ。

 それから、うっすらと涙が浮かんでいる目の端を、ごしごし擦る。

 

 店内の眩い光と人々の喧騒、酒の匂い……まではいいとして。

 元々が狐の出自である彼女は、煙でいぶされることには弱いのである。

 それゆえ、この店内でひっきりなしに客がふかしてそこらに充満させているパイプ煙草の煙は、瑠螺にとってはかなりの苦痛だった。

 さすがに身動きがとれなくなるというほどではないが、長時間晒され続けていると辛いものがある。

 仙人ゆえに呼吸は止めておくこともできるが、それでも目やら鼻やらが刺激されるのだ。

 

 瑠螺はしばらくの間……数時間くらいは我慢して、息を止め続けながらギャンブルとやらに打ち込むタバサの傍にいたものの。

 彼女が順調に勝ち続けているので、断りを入れて空気の悪い会場から逃げ出してきたのであった。

 

「……うぐぅ……」

 

 だが、外よりはまだましとはいえ。

 嫌な煙の臭いは、この小部屋の中にまでしっかりと充満していた。

 ここでの休憩中にも、煙草をふかす客がいるのであろう。

 

 やむなく袖の奥の方を探ると、こういう時のために用意してある『禁風則不能舞(風を禁ずれば、すなわち舞わすことあたわず)』の符を取り出して用いた。

 

 一旦すべての煙の粒子を落としてしまえば、ここは閉じられた小部屋だから、それ以上汚れた空気は入ってこない。

 ひとつ深呼吸をして、肺腑の中に入り込んだ煙をすべて追い出す。

 それから仙術で水を生み出して目などをしっかりと洗ってやると、ようやく人心地が付いた。

 

「まったく。なんでまたあのようなものを、好き好んで吸い込みたがるのじゃ」

 

 体に悪いに決まっているだろうに。

 どうにも人間の振る舞いというのは、長年見続けてきてもいまだに理解に苦しむことしばしである。

 仙人の中にもたまに、煙管をくゆらせている者など見かけるが……。

 

「……まあ、どうでもよいか」

 

 瑠螺は頭を振ってとりとめのない思考を打ち切ると、室内にあった座り心地の良い椅子に腰を下ろす。

 会場に戻ってもまた数時間くらいは我慢できることだろうが、急ぐ状況でもないし、少し休憩していくことにした。

 

 それから、このカジノに入って来てから見たもの聞いたものについて、思いを巡らせる。

 博奕のことはよくわからないものの、妹であるタバサの大切な任務のためなれば、わからぬなりに考えてみようとしたのである。

 

(あの子がいまやっておる博奕は……、確か、『しっくぼー』とかいうやつであったな)

 

 見た限りでは、三つの賽子を同時に振って、出た目を当てる遊びらしい。

 出目が平均より大きいか小さいか、奇数か偶数かといったような比較的当てやすい賭け方もできるし、ぞろ目かどうかとか、一点読みで値を当てるとかいった、うまくいけばでかい賭け方もあるようだった。

 央華でも、確か似たような博奕があったはずだ。

 

 いずれにせよ、先ほど瑠螺が同席していた時点では、タバサは勝っていた。

 それも、ずいぶんと。

 

(してみると、あの博奕には不正はない、ということかのう)

 

 彼女はかなり安定して勝てている様子だったし、相手を務めている店側の従業員も苦しげな様子に見えたから、おそらくわざと負けているとかではない……と思う。

 タバサが勝っているのは、瑠螺の見た感じでは、従業員が賽を投げる時の癖を見抜いたかららしかった。

 おそらくあの博奕は、彼女が得手とするものなのだろう。

 普段はちびちびと少額を賭け、相手の癖がはっきりと出て目が予想でき、勝てると確信したときにのみ大金を張るというやり方だ。

 

 タバサはまず自分の得意とする種目で大きく勝ちを積み上げ、店側がその勝ち金を取り返しに来るのを待つ算段のようだった。

 その時にこそ、店側は不正行為を行ってでも勝ちに来るに相違ない、というわけである。

 不正行為の仕組みさえわかれば、あとはそれ以上遊びに付き合う必要もない。

 直ちに客たちに店側の不正を暴露した上で、袖に隠した武器を抜いて巻き上げられた金を返却させれば、任務は完了だ。

 

「万事首尾よくいけば、問題はないが……」

 

 瑠螺はそれから、確かに不正があるとして、その行為にかかわっているのは誰なのだろうかと考えてみた。

 ここに来てから出会った、店側の人間たちの顔を思い浮かべてみる。

 

 地上の宝石店にいた店員に、地下の入口で出会った執事とドアマン。

 煙草くさいカジノへ踏み込んだ直後にタバサを少年と間違えてしなだれかかってきた、きわどい衣装を身にまとった女や、彼女と同業の接客役たち。

 その女を叱りつけながらこちらに挨拶と店の説明をしてきた、ギルモアという名の太った支配人の男。

 各種ゲームのテーブルで、客の相手をしているディーラーたち。

 そして、客に飲食物を提供したり、雑用を引き受けたりしている給仕たち。

 

 はたして、店側の不正を知り、それに関与しているのは誰なのか。

 あるいは、全員がグルなのか。

 もしかしたら客の中にも、店とつながっている者が混ざっているのだろうか……。

 

(……む?)

 

 瑠螺はそこで、誰かが小部屋の戸をノックしたのに気が付いて、思考を中断した。

 叩き方や叩かれている場所の床からの高さから判断すると、タバサやシルフィードではなさそうだ。

 

「どなたかな?」

「失礼します、給仕のトマですが」

 

 瑠螺の目が細まる。

 

 その名には、聞き覚えがあった。

 先ほど勝負中のタバサに近づき、飲み物を勧めてきた給仕の名だ。

 まだ若い、長い銀髪のすらりとした美形の男で、タバサは見向きもしなかったものの、ずいぶんと女性客から人気があるようだった。

 

 とはいえそれだけのことなら、大して印象には残らないだろうが。

 その後に、ちょっとした騒動が起こったのである。

 

 タバサとは別のテーブルで、なにやら札を使うらしい博奕をやっていた貴族の男が、イカサマがあったといって騒ぎだしたのだ。

 あまりにも都合のいいタイミングで相手によい手が入りすぎる、とかなんとか言って。

 その場では支配人のギルモアが、杖を持っている者はどこにもいないから魔法で不正は出来ない、カードを切ったのも店側の人間ではなくその男自身だから手先のトリックなども使えないと言って説き伏せ、退店させた。

 しかし、その言い方にどうにも人を小馬鹿にしたような調子があったためか、心の中では納得できていなかったようで。

 男はカウンターで杖を受け取ると帰らずに店内へ引き返し、あろうことかギルモアに向けて火球を放ったのである。

 

 瑠螺もさすがにこれはまずいと思い、周囲から疑惑の眼差しを向けられるのも覚悟の上で助けようかとしたのだが、その前にトマが割って入った。

 彼は、横合いから素早くギルモアを押し倒して火球をかわさせると、第二弾が放たれる前に素早くその貴族の懐に飛び込んで袖から引き抜いた短剣で杖を切り落とし、無力化したのである。

 なまじの道士では太刀打ちできまいと思えるほどの、見事な身のこなしだった。

 

「入られよ。何のご用じゃ?」

 

 そう言って、扉を開けてやる。

 トマは入り口のところでにっこりと笑って、軽く頭を下げた。

 

「先ほどはどうもお体の具合がすぐれないご様子でしたので、大丈夫だろうかと思いまして。ええと……」

「かたじけない。私は、リューラと申す者じゃ」

 

 瑠螺は微妙に変えた偽名を名乗ると、軽く首を横に振った。

 

「どうも、そちらの遊技場……カジノとやらは、煙たくての。しかし、少し休んで落ち着いたゆえ、今はもう大丈夫じゃ」

「そうでしたか。ここはなにぶん地下ですので、換気が悪くて……。ご無理をなさいませんように。何か、飲み物でもお持ちいたしましょうか?」

 

 瑠螺はちょっと考え込んでから、頷いた。

 

「ふうむ。では、『すぱーくりんぐ・わいん』とかいうやつをいただけるかの?」

 

 先ほどタバサが飲んでいたのを見ると、何やら泡立っていて、これは毒薬か何かかと思うようなぎょっとする見た目であったが。

 彼女は平気で傾けていたし、先日の舞踏会で飲んだワインとやらも血のような外見に反してなかなか美味だったし。

 それならひとつ自分も試してみようか、と思ったのである。

 

「かしこまりました」

 

 トマはそう言って頭を下げると、すみやかに部屋を出て、注文された飲み物を運んできた。

 それを瑠螺の前に置いた彼はしかし、すぐに出て行こうとはせず、彼女と会話をしたそうな様子を見せた。

 

「ところで。リューラさまが同行なさっている、あのたいそうお強い、美しいお嬢さまですが……」

「タ……いや、『まるぐりっと』お嬢さまのことかの?」

 

 ここでは、タバサは偽名を使っている。

 カジノではド・サリヴァン伯爵家の次女、マルグリットと名乗るようにというのが、この任務を言い付けたイザベラ王女からの指示だったらしい。

 

「ええ、そういうお名前を名乗っておられましたね。伯爵家の次女でいらっしゃるとも。……しかし、あのお方の立ち居振る舞いには、並の貴族には真似のできない品位が備わっております。それに、ガリア王族の証ともいえるあの鮮やかな青い髪。おそらくは、我が国でも有数の名家の出に違いありますまい――」

 

 トマはそう言って、探るような目で瑠螺を見つめた。

 

「――このような詮索は、失礼かとは存じますが。あのお方はもしや、他の貴族家から迎え入れられた方なのではありませんか?」

「うん?」

 

 唐突な質問に、瑠螺が目をしばたたかせる。

 トマはそれを見て、深々と頭を下げた。

 

「いえ、失礼いたしました。不躾な質問であることも、平民などに軽々しく話してよい内容ではないことも、よくわかっております。ただ、あのお方は私が以前にお仕えしていたさる名家のお嬢さまに大変よく似ておいででしたので、もしやと思いまして……」

 

 そう言って、教えてもらうわけにはいかないかと、頼み込むような目を瑠螺に向ける。

 

「他言は、誓っていたしません」

「……ふうむ?」

 

 先ほどタバサに近づいたときに、気が付いたということだろうか。

 本人と話そうにも、あの場では勝負中で人目が多いので込み入った話を堂々とするわけにもいかず、ひとまず自分の方に尋ねに来たというわけか。

 

 こうして見る限りは誠実そうな男で、嘘などはないように思えるが……。

 しかし、芝居でないとも限らないし。

 そうでなくとも、自分の判断で勝手に教えてよいものか。

 第一、タバサがド・サリヴァンとかいう家の娘ではないということは事実であろうが、名家だとか王族だとかは瑠螺としても初耳である。

 

 少し考えてから、無難そうな返答を返した。

 

「さて、私には詳しいことはわからぬが……。急ぎでないのならば、お嬢さまと直接話されるのがよろしかろう。戻ったら、おぬしのことを伝えておこうか?」

 

 トマはほっとした様子で、もう一度深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。コック長であったドナルドの息子と言えば、わかっていただけるかと思いますので」

 

 そうして出ていった彼の後ろ姿を見送ると、瑠螺は思い出したように、運ばれてきたスパークリング・ワインに口をつけて……。

 

「ごほっ!?」

 

 不慣れな発泡性飲料に、盛大にむせた。

 

 

「……これはまた……」

 

 トマが退出した後、もう少し休んでから賭博場へと戻った瑠螺は、タバサが勝負しているテーブルを見て半ば呆れたような声を漏らした。

 

 しばらく目を離していた間に、またずいぶんと勝ちが積もった様子である。

 貨幣と交換して博奕に使うらしい、このあたりの金属貨幣と似ているがもう少し安っぽく見える『ちっぷ』とかいうものが、彼女の前に山積みになっていた。

 相手を務めている従業員の男は、後でこの負けの責任を問われることを恐れているのか顔が真っ青になっていて、見ていて気の毒なほどだ。

 彼女の傍ではシルフィードが興奮してきゅいきゅいとはしゃいでいて、その周りには幼げな少女のこの大勝に興味を引かれたのであろう人々が、大勢集まっている。

 

 タバサは自身はと言えば、周囲の人々には目もくれず、対戦相手の一挙手一投足に細心の注意を払っているようだ。

 瑠螺が会場に戻ってきたことにも、気付いた様子がない。

 

(いま声をかけたのでは、勝負の妨げになってしまうかのう?)

 

 彼女の邪魔をしないためにも、ここは勝負が一区切りするのを待ってから声をかけたほうがよいだろう。

 そう考えて、瑠螺は煙草をふかしている者がなるべく近くにいない場所を選ぶと、目を細めて口元と鼻とを袖で覆うようにしながら、しばし他の客に混じって遠巻きに勝負の様子を見守った。

 

 その後、何度かの勝負を経た後に。

 ぞろ目を見事に大張りで的中させたタバサの勝ち分は、さらにこれまでの倍にも膨れ上がった。

 もはや土気色の顔をした店側の従業員はがっくりと肩を落とし、観客たちもただただ唖然として、タバサの博才に舌を巻くばかり。

 

 このまま放置してはおけないと感じたのだろう、支配人のギルモアが揉み手をしながら、そんなタバサにすり寄ってくる。

 

「いやはや、お嬢さま。お見事な大勝でございますな。さて、そろそろ夜もふけてまいりましたが……」

 

 もう大勝が決まったのだから、帰ってくれとほのめかしているのか。

 あるいは逆に、勝負を続けるという言質を取って、いよいよ件の不正行為とやらを解禁して回収にかかるつもりなのか。

 

 それはわからないが、いずれにせよタバサの答えは決まっていた。

 

「続ける」

 

 おおっ、と、ギャラリーがどよめく。

 

 シルフィードは乗り気ではなく、勝負は引き際が肝心だの、その勝ち金で自分に肉を買えだのとわめいているが。

 彼女の主は元よりここに稼ぎに来たわけではなく、任務を果たすために来たのである。

 

(頃合いじゃな)

 

 瑠螺はそこで、密集した客たちの間をすすっとすり抜けてタバサの傍に近寄ると、彼女に耳打ちをした。

 タバサは小さく首を傾げたものの、こくりと頷く。

 

「……その前に、少し休憩する。部屋を用意して」

 

 

 カジノが用意してくれた、宿泊もできる豪奢な内装の客室の中で。

 

「あなたは、手品が上手だった。一度も見抜けなかった」

「ええ、そのようなこともありましたね」

 

 普段よりも心なしか朗らかな表情のタバサと、心から嬉しそうにそんな彼女と会話するトマ。

 そんな二人の様子を見て、どうやら問題はなさそうだと安心した瑠螺は、シルフィードを連れてそっと部屋を出た。

 

「こんなところにタバサお姉さまのお知り合いがいるだなんて、おどろいたのね」

「うむ、世間は狭いものじゃな」

 

 二人の会話からすると、どうやらあのトマという給仕は本名をトーマスといって、昔タバサの実家で働いていたコック長の息子だったようだ。

 タバサは身分の隔たりがあったにも関わらず、五つか六つほど年長だった彼と懇意にしていて、よく手品などを見せてもらって一緒に遊んでいた……ということらしい。

 何かの理由でタバサの実家が没落し、その後は互いに安否もわからずにいたということなのだろう。

 こんなところで思いがけず再会できて、嬉しいのも当然だ。

 

「でも、このお店は悪いことをしてるって話なのね。なんでタバサお姉さまのお知り合いが、そんな」

「しっ」

 

 瑠螺は、シルフィードの口を指で押さえるようにして、話を遮った。

 どこかで聞き耳を立てている者がいないとも限らない。

 

「もっと小さな声で話すのじゃ。……同じ店で働いておるからというて、あのトーマスという男が不正に関わっておるとは限らぬであろう?」

「ああ、なるほど。そうに違いないのね」

 

 それであっさりと納得したシルフィードは、口をつぐんで落ち着かなげにうろうろと廊下をうろつきながら、そこらを眺めて回った。

 瑠螺も、同じように周囲の豪奢な客室の扉や装飾品などを眺めながら、はたしてあの男は本当に不正にかかわっていないのかどうか、と考えを巡らせていた。

 

 ややあって、トーマスが一礼して退出したのを確認すると、瑠螺とシルフィードはタバサのいる部屋に戻った。

 

 彼女は普段の感情の読めない顔つきに戻って、何やら机の上に置かれた紙きれをじっと見つめていた。

 トーマスが置いていったものであろうか。

 

「それは、何じゃ?」

「手形」

 

 それから、タバサが説明してくれたところによると……。

 

 トーマスは彼女と別れた後、失意の中で体調を崩した父とも死に別れ、ごろつきのような暮らしに身を堕としていたところを、このカジノのオーナーであるギルモアに拾われたらしい。

 ギルモアは、そのでっぷりと太った欲深そうな外見の割に良い人間だったのか、彼に読み書きを教えてこのカジノの仕事を与えた恩人だということだった。

 このカジノは彼が作った、いわば喜捨院で、富める者から金を集めて貧しい者に分け与える仕組みになっているのだという。

 

「喜捨、のう」

 

 瑠螺は、いささか胡散臭そうに眉をひそめた。

 つまりギルモアという男は、富める者から奪って貧しい者に分け与えるいわゆる義賊というやつで、トーマスは彼と共犯ということか。

 しかし……。

 

 兄である飛翔が昔、そんな連中は大概ろくなものではない、と言っていたのが思い出された。

 

『義賊などと呼ばれている連中の大半は、ただの気まぐれな悪漢だ。盗んだ金のごく一部をばらまいて人々から英雄扱いされることで、いい気分に浸っているだけだ』

 

 そんなものは、所詮は自己満足に過ぎないと彼は言った。

 悪辣な権力者から盗んで人々に与えたところで、その者が依然として権力の座に居座っている以上、また重税を課して搾り取るだけのこと。

 かえって人々の暮らしを貧しくするだけのことだ。

 それでも、民衆が憎むのは権力者だけで、義賊気取りは称えられ続けるのが常なのだという。

 

『善行でもなんでもない。独り善がりもいいところだ』

 

 飛翔は、不機嫌そうにそう説いた。

 彼は仙人となる前、盗賊団の仲間入りをしてあちこちで悪さをしていたそうだから、その頃に何か嫌な経験でもあったのだろう。

 

 その兄の見解が全面的に正しいか否かはともかく、瑠螺としても、このカジノのやり方には肯定しがたいものがあった。

 大体、喜捨というのは進んで差し出すもの、施しというのは自分の金でするものであって、不正な行為で他人から巻き上げた金を配って歩くようなことではあるまい。

 それに、飛翔も指摘していた通り、そんな真似をするギルモアという男が本当に巻き上げた金を全額人々に施しているのかどうかも怪しいものだ。

 かなりの部分をそのまま自分の懐に収めているとしても、驚くにはあたらない。

 

 ともかく、この先は絶対に勝てない。

 だからこれを持って裏口から逃げるようにと、トーマスは昔のよしみでタバサに忠告してくれたらしい。

 この手形を銀行に持っていけば、儲けた額の九割で換金してもらえるからと。

 

「それは助かるのね! せっかくのご厚意だからそうするべきなのね、きゅい!」

 

 任務がどうのこうのよりも、とにかく儲けた金で肉をたらふく食べたいシルフィードは、大はしゃぎでそう勧めたものの。

 もちろん、タバサとしてはそんなわけにはいかない。

 

「不正があるとはっきりわかった、ただそれだけ。やることに変更はない」

 

 彼女はきっぱりとそう言ったものの、その顔はどことなく曇っているように、瑠螺には感じられた。

 

(無理もないことであろうな)

 

 せっかく昔馴染みと再会できて旧交を温められたかと思ったら、その相手が不正な行いに加担していて。

 しかも、自分はそれを暴かねばならない立場にあるというのでは。

 

「……のう、タバサや。シルフィードも言うとおり、せっかくのご厚意なのじゃ。仕事があるのもわかるが、それはありがたくいただいておけばどうかのう?」

 

 なんであれば、この先のことは彼女に代わって自分がやるからと。

 瑠螺は、そう申し出た。

 

 

 それから、三時間ばかり後……。

 

「……遅いな」

 

 タバサのために用意された勝負用の個室で、支配人のギルモアは彼女の到着を待ちわびていた。

 もしや、逃げたのではあるまいか。

 でなけれは、疲れてベッドで寝入ってしまいでもしたのかと思い、女給仕に様子を見に行かせようとしたあたりで。

 

「いや、お待たせしたのう」

 

 しれっとした顔で、瑠螺がやってきた。

 彼女一人だけで、タバサとシルフィードの姿はない。

 

「いや、ここは煙の匂いがせぬ。よい部屋じゃな」

「リューラさま? なぜ……」

 

 ギルモアの横に立っていたトーマスが、驚いた様子で目を見開いた。

 

 どうして、お嬢さまの使用人である彼女がここに。

 まさか、せっかく忠告して手形をお渡ししたというのに、帰ってくださらなかったのだろうか。

 

「おお、マルグリットさまの使用人の方ですな。お嬢さまはどうされました、もしやもう遅いので、お休みにでも?」

 

 ギルモアが、笑みを浮かべて彼女を迎え入れる。

 

 それならそれで、翌日に日を改めてまた勝負すればよいだけのこと。

 逃げたのでなければ、問題はない。

 

「いや、なに。お嬢さまは夜遅くまで遊ばれていささか体調を崩されたのでな、やはり帰られることになったのじゃ」

 

 それを聞いて、ギルモアの顔が歪み、トーマスはほっと胸をなでおろした。

 瑠螺はそんな二人の様子に構わず、言葉を続けた。

 

「しかし、一度勝負を続けると申した以上は、それを反故にしても貴族の矜持に関わる。ゆえに、私に代役をせよと申し付けられてのう……」

 

 そう言いながら、手に持っていた袋を無造作に机の上に置くと、重たそうな音が響いた。

 

「そちらがそれでもよいと言われるなら、これだけの額を預けるゆえ、勝負をしてまいれとのことじゃ」

「も、もちろんですとも!」

 

 ギルモアは、露骨にほっとした様子で揉み手をする。

 

 その重たそうな音からして、中には結構な量の金貨が収まっているようだった。

 さすがに、あの少女が稼いだ全額には足りないだろうが、これでカジノの大損は防ぐことができる。

 目の前の女から手持ちのすべてを剥いで……ついでに、ある程度負債も背負わせてやれれば、今夜の収支も黒字になることだろう。

 

 トーマスはやや曇った顔になったが、何も言わなかった。

 

 彼が何よりも恐れていたのは、かつて親しくしていたシャルロット(タバサ)が貴族嫌いなギルモアに大敗した上、公衆の面前でこっぴどく恥をかかされるのではないかということだった。

 そうなれば、いま彼女が世話になっているという貴族家からの待遇も悪くなるかもしれない。

 しかし、負けたのは使用人だとなれば……目の前の彼女には悪いが、シャルロットが咎められるようなことはあるまい。

 彼女が預けられたという袋の中に入っているのも、見る限りでは先ほど稼いでいた全額ではないようだし。

 先ほど確かに手形に変えて渡したはずの金を、銀行も閉まっているはずのこんな時間に一体どこで換金してきたのか、あるいはそれとはまた別の金なのかと少し訝しくも感じたが、まあ、そんなことはどうでもよい。

 

「では、ギャンブルとやらをいたそうか。種目は、なんであったかな?」

「ええ。先ほどお嬢さまのなさっていたようなサイコロ賭博や、ルーレットなども楽しいものですが。しかし、痺れるような大人の駆け引きが楽しめるのは、やはりカードですな。ここは誰もが知るカードの王道、『サンク』での勝負はいかがです?」

 

 ギルモアは、瑠螺の置いた金を従業員がチップに替えて運んでくる間に、ご存じでしょうが念のためにと前置きをして、賭け事のルールを説明した。

 どうやら『サンク』というのは、配られた五枚のカードを交換して、できた役の強さを競い合う遊びらしい。

 

(ふうむ……。先ほど暴れておった男も、確かこのようなカードで遊んでおったのう)

 

 そうすると、このカードに何か仕掛けがあるのだろうか?

 

 瑠螺は、しげしげとそのカードを眺めたり、触って確かめてみたりしたが……。

 央華の人間社会では作れそうもないほど画一的に大きさや背面の外観が揃えられた、とてもきれいな札だということ以外、何も気付いたことはなかった。

 

「よろしいですかな? それでは、始めましょう!」

 

 ギルモアがそう宣言して、いよいよゲームが始まった。

 彼はまず、丁寧にそろえた札を瑠螺の前に置く。

 

「公平さを期すために、カードを切る役はお客さまにお任せいたしております。どうぞ、好きなようにカードを切ってください」

 

 自信たっぷりにそう宣言したオーナーに対して、瑠螺は怪訝そうな顔をする。

 

「好きなように……『切る』?」

「ええ。オーバーハンドでも、リフルでも、ご自由にシャッフルを」

「おーばー……? あー……、ううむ……?」

 

 瑠螺は、ますます困ったような顔になった。

 

「どうされました、何か問題でも?」

「いや……。『切る』と言われても。この札は、これから遊戯に使うのではないのか? それを切って、どうするというのじゃ?」

 

 そう言う彼女の頭の中には、自分が斬岩剣を抜いて札の束を真っ二つにする光景が思い描かれていた。

 

「……は?」

 

 ギルモアとトーマスが、顔を見合わせる。

 

「あの……リューラさま。もしや、あなたはサンクを……。いえ、カードゲーム自体、されたことが……?」

 

 瑠螺はちょっと肩をすくめると、目の前のカードの束を取り上げた。

 

「なあーに。これが、博奕に使う札なのだということは承知しておる。『さんく』とやらの作法は、やりながら覚えるゆえな」

 





禁風則不能舞(風を禁ずれば、すなわち舞わすことあたわず):
 禁呪系統の仙術の一種。術の持続する間、直径1丈(3m)の空間の空気の流れを止めることで、花粉や煙などが舞い散るのを防ぐ。
空気に混ざって運ばれるものならば、この術でなんでも止めて地面に落とすことができる。
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