央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第二十八話 金侵食人 蟲咬骨

 

「さあ、ギルモアさま。早くこちらへ」

 

 トーマスの手引きで、ギルモアは裏通りに通じる抜け道から外に出た。

 仕込み壁がいきなり割れたことに驚き、そこらで集まっていた猫たちが鳴き声をあげながら逃げ去っていく。

 

「くそっ! あの連中、どうやってエコーの化けたカードに気が付いたのだ。それに、子供を閉じ込めておいた場所にまで……」

 

 ギルモアが、悔しげに顔を歪めてぶつぶつと呟いた。

 

 エコーの鳴き声は通常、人間には聞くことができないはずなのだ。

 手触りも外見もすべて完璧で、たとえ杖を隠し持っていたとしてもその先住の変身能力は『ディテクト・マジック』には引っかからない。

 

「疑問は後回しです。今はとにかく、早く姿を隠すことが先決かと」

「う、うむ……。しかし……」

 

 ギルモアはカジノに残してきたここ数日分の売上金に未練ありげな様子で、何度も後ろを振り返っていた。

 それよりもはるかに多額の金を預けてあるシレ銀行の金庫の鍵はしっかりと懐に収めてあるのだが、大層な守銭奴ぶりである。

 

「捕まれば縛り首です。命がなくなっては、金などには何の価値もありませんよ!」

 

 トーマスに強くそう言われてしぶしぶ同意し、取りに戻ることは諦める。

 それでも、ぶつぶつと悪態を吐き続けていた。

 

「くそっ。自堕落な貴族どもめが、人を悪党呼ばわりしよって……」

 

 イカサマに気付かないのは、無能な貴様らが悪いのではないか。

 大体お前たちの金など、どうせ労せずして平民から搾り取った税金だろう。

 こちらは毎日汗水たらして働いているんだ。

 そっちだって、適当に遊んで楽しかったはずだろうに。

 

「どいつもこいつも、能無しのくせに文句ばかり。楽しませてやった対価としてあのくらいの金をいただくことの、一体何がいけないというのだ……!」

 

 そんな彼らの前に、いくつかの人影が立ちはだかった。

 

「!? ……き、貴様らは」

「人間のお金なんてどうでもいいけど、お前がエコーたちにしたことは絶対に許せないのね!」

 

 いまだフーケに化けたままのシルフィードが、怒ったような顔でギルモアに指を突き付ける。

 その後ろには、キュルケに化けたままのタバサと……。

 

「リューラさま」

 

 扇を手に厳しい面持ちでこちらを見据える彼女の姿に、トーマスが顔をしかめる。

 

「どうして、この抜け道がおわかりに」

「なに。この子が、風を辿ってくれたのじゃ」

 

 そう言って、傍らで無表情のまま黙ってじっとトーマスの方を見つめているタバサの肩に手を置いた。

 

 彼自身が先に言っていた通り、地下にあるカジノは換気が悪く空気の通り道は限られており、その流れは特定の方向を向いている。

 そうはいってもよほど鋭敏な感覚を持っていなければ知覚できないだろうが、優秀な『風』のメイジであるタバサにとってはどうということもなかった。

 それに瑠螺自身も、このような事態に備えて勝負中から既にギルモアの背中に麗麗虫を取り付かせてあったのだ。

 

「……さて。おぬしらがこれまで、不正に蓄えてきた富を返してもらうぞ。財貨を預けた『ぎんこう』とやらの鍵を、持っておるのであろう?」

 

 昔馴染みのトーマスに正体を明かしたくないであろうタバサに代わって瑠螺が進み出ると、彼らの方に手を差し出した。

 引きだされる前に金を取り返して、イカサマによって負けた客に分配して返さねばならない。

 そうしなければ恥をかいてしまう貴族が何人もいるからだと、タバサから聞いている。

 

 その言葉ではっとした顔になったギルモアが、いきなり地面に頭を擦りつけた。

 

「も、もしやあなたさまは、政府のお役人で? それならば何卒お見逃しくださいませ、我らはいわゆる義賊というものでございます! 富める方々からわずかばかりのお金をちょうだいし、それを貧しい人々に……」

 

 最期まで言わせずに、瑠螺の背後から顔を出したシルフィードが叫ぶ。

 

「そんなの大嘘なのね! エコーたちが、お前は施しなんかしてないと言ってたのね! 今日はいくらになった、明日はもっと増やすんだって、毎日みんなをこき使って。儲けはぜんぶ、自分の懐に貯め込んでいるんだって!」

「そんなところであろう。幼子を人質にとって不正を働くような輩が、まっとうに喜捨などするはずがないからの」

 

 瑠螺が冷ややかな目で頷くのを見て、ギルモアは悔しげに顔を歪めると、ポケットからフリントロック式の小型拳銃を取り出しながら立ち上がった。

 

「当たり前だ、誰が自分で金も稼げないような屑どもに施しなどするものか。人聞きの悪いことを言いおって! 騙されるのも、人質を取られるのも、無能な連中が悪いだけだろうが!?」

 

 血走った目をせわしなく目の前の女たちに走らせながら腕を振り回し、唾を飛ばす。

 

「全ては私の才覚で稼いだ金だ! 正当な私の金だ!!」

「その理屈ならば、不正を見抜いて金を取り戻すのもまた、見抜かれるおぬしが悪いということで正当であろう?」

 

 瑠螺は、前以上に冷ややかな目でそんな彼をにらんだ。

 

「自分に都合のよいことばかりを言ってないで、さっさと金を返さぬか」

「ははは、誰が? 私はまだ負けてなどおらんぞ? トマ、こいつらをやってしまえッ!!」

 

 命じられたトーマスは押し黙ったまま、そんな主と瑠螺らとを交互に見比べる。

 

 この距離で一対一ならば、自分は決してメイジにも引けを取らないという自信があるが、今は三対一。

 しかも、状況が著しく悪い。

 背後の二人(変身したタバサとシルフィード)はマントを身に付けていることからして、メイジなのであろう。

 目の前のリューラという女はおそらくメイジではないのだろうが、王政府の役人だというからには相応の腕前であるに違いない。

 つまり、腕利きの護衛を前衛にしたメイジが二人。

 しかも背後のギルモアを庇いながら戦わねばならないとなると、勝てる気がしなかった。

 

 だが、貴族を散々に愚弄した平民の犯罪者など、降伏してみたところでどの道極刑は免れまい。

 捕えられる前にこの場で必死に平身低頭して命乞いをすればあるいは、とも思ったが、主がこの調子では、こうなってしまった以上はもはや、それも望めない。

 

(やるしかないか)

 

 トーマスは覚悟を決めると、さりげなく右手を左の袖口に添えながら、ギルモアを守るように前に進み出つつ瑠螺に話しかけた。

 こうなれば、どうにか話を長引かせ、隙を作っての不意討ちに活路を見出すしかない。

 

「……リューラさま。あなたと後ろの方々とは、王政府の人間なのですか?」

「いや、そういうわけではない」

「では、なぜ貴族たちの金を取り返そうなどと」

「不正な行いを改めさせるのに、身分や種族は関係なかろう」

 

 瑠螺は気負った様子もなくそう言うと、逆にトーマスの方に質問した。

 

「トーマスどの。おぬしは、タ、……いや、シャルロットお嬢さまの昔馴染みなのであろう?」

「……ええ」

「なれば、不正に手を貸すことはもう止めてはどうじゃ。喜捨などしておらぬことはわかったであろう。これ以上その者に加担しておっては、お嬢さまも悲しまれようぞ」

 

 そう諭されたトーマスはしかし、一瞬苦しげな表情になったものの、はっきりと首を横に振る。

 

「元より、薄々とわかってはおりました。その上で黙殺していた私は、偽善者と誹られても仕方ありますまい。ですが……、それでもギルモアさまは、行くあてのなかった自分を拾ってくれた恩人なのです。ここで見捨てることはできません」

「言い分はわかるが、しかし」

 

 なおも話を続けようとしたところで、背後からタバサがそっと呟いた。

 

「もういい。これ以上、説得は無理」

 

 その声や表情はほんのわずかに切なげな、しかしきっぱりとしたものだった。

 彼の説得はもう諦めるということをこちらから伝えなければ、瑠螺は自分に気を使って思うように動けないだろう。

 

 タバサには、トーマスに対する幻滅はない。

 自分とて昔のシャルロットのままではないのだから、彼が昔のままでいられなかったことを非難する気持ちなどはなかった。

 ただ、彼には彼なりの事情や信念があり、自分には果たさなければならない任務があるというだけだ。

 

 瑠螺はほんの少し顔をしかめて、小さく首を傾げる。

 

「そうかのう、……!」

 

 その時、二人の視線がほんの少しお互いの方を向いて注意が逸れたのを、トーマスは見逃さなかった。

 次の瞬間、彼の袖からきらりと輝く投げナイフが抜き放たれ、瑠螺の背後にいたタバサを目がけて正確に放たれる。

 

 真っ先に後方のメイジを無力化しようとするのは、当然のことである。

 もしも、トーマスがその赤い髪と褐色の肌をした女性の正体を知っていたなら、おそらく行動を変えていたかもしれないが。

 

「ラナ・デル・ウィンデ!」

 

 タバサは素早く『エア・ハンマー』の呪文を唱えて、空気の鉄槌でそれを迎撃した。

 弾き飛ばされたナイフが、くるくると回って壁に突き刺さる。

 ちなみに彼女の杖は、カジノ内での所持がばれないよう瑠螺が幻術で外見を柄付きのオペラグラスのように偽装した上で、既に返却してあった。

 

 トーマスは間髪入れずに、今度は先ほどカジノから逃げ出すときに用いたのと同じと煙幕弾を袖から取り出して噛み千切る。

 煙が、ぶわっと噴き出した。

 

 これは、ごろつき時代に何度もメイジと悶着を起こした経験のある彼の必勝の戦法である。

 いきなり視界を奪われたことで焦った敵は、不意討ちでやられることを恐れ、まず煙を払うために呪文を使おうとするもの。

 その時の声を頼りに素早く攻撃を仕掛け、討ち取るのだ。

 トーマスは左の袖口から剣を引き抜いて、いつでも攻撃をかけられるよう姿勢を低くして身構えようとした。

 

 が、しかし。

 

「……!?」

「うぉおぉおぉっ!?」

 

 予想外の早さで、しかも詠唱無しでいきなり突風が襲い掛かってきて、トーマスは吹き飛ばされそうになった。

 背後のギルモアはひとたまりもなく、無様にすっ転ぶ。

 

 煙が苦手な瑠螺は、実は先の会場の煙幕でも咽込んで苦しい思いをしたので、また同じ手を使われるのではないかと最初から警戒していたのである。

 それゆえ、案の定そうなったときに素早く飛葉扇を振って、煙を強風で彼らの方に追いやってしまったのだ。

 

「くそっ……!」

 

 押し戻された煙幕弾の煙があたりに充満して、何も見えない。

 どうにか体勢を立て直そうとした瞬間、その煙の向こうから不意にタバサの姿が飛び出してきて、トーマスの鳩尾を強かに杖で打ち付ける。

 自分の方が逆に、声を頼りに場所を特定され、不意討ちを受けてしまったのだ。

 

「ぐ、……これまで、か――」

 

 半ば無念そうな、半ばほっとしたような声でそう呟いて、トーマスが崩れ落ちる。

 

「手品のコツは、見せている手を囮にして、意表を突くこと。……あなたが、そう教えてくれた」

 

 タバサはぽつりとそう呟いて、悲しげに顔を伏せた。

 それゆえ、煙幕を囮に魔法を誘う策だと見抜いて、逆にこちらが魔法を囮に懐に飛び込み、接近戦で勝負をつけることができたのである。

 

「成敗なのねー!!」

「ぶげらっ!?」

 

 少し離れたあたりで、同じように突っ込んだ……こちらは単に、後先考えずにだろうが……シルフィードが、ギルモアに飛び蹴りをぶち込んでいる音が聞こえてきた。

 蹴られたギルモアは、情けない悲鳴を上げてぶっ倒れる。

 同時に地面に落ちた銃が暴発する音が聞こえたが、幸い誰にも当たらなかったようだ。

 

『禁風則不能舞(風を禁ずれば、すなわち舞わすことあたわず)』

 

 そんな二人をよそに、瑠螺がさっさと符を用いて、風が止んで再びあたりに充満しようかとしている煙を地面に落とした。

 

 

「あとは、銀行の鍵を探して王宮に届ければ終わり」

「こいつらはどうするのね?」

「眠らせて、どこかの宿にでも預ける」

 

 タバサはそう言いながら、ちらりと瑠螺のほうを窺った。

 

 彼女自身には、彼らの罪を問うつもりはない。

 博奕であれなんであれ、どんな手を使っても勝つ、それが勝負というものだ。

 別に捕縛の命令を受けていたわけでもないし、王宮に居場所を知らせるつもりもなかった。

 

 しかし、瑠螺は違うかもしれない。

 

 シルフィードもそうだが、お金を騙し取ったことについてはまだしも、あの『エコー』という生物を利用したことについてはかなり憤っている様子だし。

 それに、よくはわからないが、他にも何か理由があるように感じられる。

 

 案の定、瑠螺は首を横に振った。

 

「いいや。ひとまず、タバサの受けた任務とやらは終わったが。わらわにはまだこやつに用事があって、片付けねばならぬことがあるのじゃ」

 

 飛葉扇でギルモアの方を指し示しながら、そう言って。

 それから、おぬしらは先に戻っていてくれてよいぞ、とも申し出た。

 

 だがもちろん、タバサもシルフィードもそうする気はない。

 危険の伴うことであれば彼女だけを置いていけるはずもないし、何なのかという好奇心もある。

 

「ふむ。いてくれるのなら、心強いがの」

 

 そう言って目を細めると、瑠螺は準備に取り掛かった。

 彼らの手を軽く縛って抵抗できないようにしておいてから、気付けの仙丹を噛み砕いた息を吹きかけて目を覚まさせてやる。

 

 意識を取り戻し、これからどうなるのかと青ざめて震えるギルモアに対して、瑠螺が厳しい顔で宣言した。

 

「おぬしは、良からぬものに取り憑かれておる。その呪いが金を介して賭博場の客にも広まって、誰もかれもが理性を失くしつつある。そうなれば、自分の家が潰れるまで金を費やし続ける者、民に重税を課す者などが増えて、店の客だけに留まらず多くの人々が苦しむこととなろう。見過ごすことはできぬ」

 

 ギルモアもトーマスも、わけがわからないというような顔をしている。

 

「……の、呪い? 一体、何の話を……」

「確かに、憑かれておるという自覚はないようじゃのう」

 

 瑠螺はそう言って肩をすくめると、ギルモアをじっと見つめた。

 

「おぬし、以前に央華の……いや、見覚えのない異国風の金貨が詰まった袋を、どこかで手に入れたことがあるじゃろう?」

「え? ……あ、ああ、確かに」

 

 唐突な質問にギルモアは戸惑ったが、言われてみれば身に覚えがあったので、へたりこんだままかくかくと頷きを返す。

 

「その金に、良くないものが憑いておったのじゃ。今は、おぬしの骨に乗り移っておる。骨は、黄金と同じく金行に属するものじゃからな」

 

 先ほど『祈願 三尸憶探』の術でギルモアの記憶を探った際に、瑠螺はそのことに気が付いたのである。

 この術は、対象となった者自身が認識していない潜在的な記憶さえも探知できるのだ。

 

 トーマスは、はっとしたような顔になった。

 

 ギルモアがある時、稚拙ながらも風変わりな作りの、見たことがないデザインの金貨が詰まった袋を手に入れたことは、彼も覚えていた。

 思えばギルモアが変わり始めたのは、確かにその頃からだったような気がする。

 前にもまして欲深くなり、貧民のための救貧院を作るなどと言って、金をかき集めることに執着するようになったのだ。

 どこでどうやって見つけたものか、エコーなどという先住の生き物を連れてきて利用したりもした。

 不審に思わなかったわけではないし、救貧院などというのは建前でその大半を自分の懐に収めていることにも薄々気が付いてはいたが、恩義のある相手ゆえ何も言えなかったのである。

 

「おぬしが駄目となれば、食い殺しでもしてまた別の誰かに取り憑こうとするであろう。そうなる前に、祓ってしまわねばならぬ」

「な、何をわけのわからぬことを?」

「まあ、見ておれ。……悪いようにはせぬゆえ、邪魔をいたさぬようにな」

 

 瑠螺はトーマスの方をちらりと見てそう断った上で、ここへ来る前にあらかじめ用意しておいた符を取り出すと、それを困惑するギルモアの方へ向けて口訣を唱えた。

 

『祈願 祓鬼(祈り願う、鬼を祓わんことを)』

 

 符がぽうっと青白く輝いて燃え尽きたかと思うと、それと同じ色の輝きが、ギルモアの体を包み込んだ。

 

「こ、これは一体……?」

 

 緊張に体を強張らせながらせわしなく自分の体に目を走らせていたのも、ほんの一時のこと。

 次いで自分の体に起こった現象を見て、ギルモアの顔から一気に血の気が引いた。

 

「……ひっ!?」

 

 青白い光に誘われるようにして、体中から蟻のように見える小さな影が滲み出してきたのである。

 まるで、砂糖の山の中から這い出しでもするかのように、次から次へと。

 

「ひっ! ひぃっ!! ひいぃぃっ!?」

 

 苦痛こそないものの、自分の体中から蟲が這い出して来るそのおぞましい光景に、ギルモアは半狂乱になった。

 狂ったように縛められたままの両腕を振り回して自分の体中を叩き、擦り、地面をのたうち回って、それらの蟲を払い落とそうとする。

 

 そうして暴れているうちに、懐からばらばらと金貨が零れ落ちた。

 それらの中からも、同じように蟻が這い出してくる。

 

「き、貴様! ギルモアさまに何を!?」

「よいから、見ておれ」

 

 瑠螺は、血相を変えて食って掛かるトーマスの手を押さえると、冷ややかな目でギルモアの狂態を見下ろし続ける。

 タバサも何が起こるのかと緊張した面持ちで杖を構えながらその様子を見守り、シルフィードは目を丸くしていた。

 

 無数の蟻のような形をした靄の群れは、やがてひとつところに集まって固まり、一体の人型を形成した。

 

 それは金属のような艶のある黒髪を長く伸ばし、瑠螺と同じ央華風の、貴族のごとき豪奢な装束を身にまとった女だった。

 その体つきは豊艶で面立ちも美しいが、あまりにも整い過ぎていてどこか人形のように不自然だ。

 悠然とした態度を装おうと努めてはいるようだが、目や指先など、体のあちらこちらが絶えずそわそわと蠢いて、どうにも落ち着きのない印象を与えている。

 そいつは状況を確かめようとせわしなく周囲に視線を走らせ、やがて瑠螺の姿に目をとめた。

 

「……汝か? こんな下賤な地表なぞに、我を引き出しおったのは」

 

 そう言って、険しい目でにらみつける。

 

「この、無作法な婢女めが!」

「断りもなく人の骨に憑いておったような居候風情が、何をえらそうなことを言うておるか」

 

 瑠螺は、そう言って冷ややかにその女をにらみ返した。

 女は、右手に持つ鉄扇を瑠螺につきつける。

 

「口を慎め! 我は統群王母(とうぐんおうぼ)。長き年月に渡って万余の民を率いてきた、威徳無類の女王なるぞ!」

「要するに、おぬしは女王蟻の化生なのじゃな?」

 

 瑠螺がそう指摘すると、その統群王母と名乗る女はぴくりと眉を動かして身じろぎをした。

 

「蟻や蝗のような殻類は、金行に属するもの。察するに、齢を重ねるうちに知恵と金銭欲とを身につけて、巣穴に金を貯め込むことを覚えよったかや?」

 

 統群王母は唇の端を歪めて、引きつったような笑い声を漏らし始める。

 

「……きき、きキキキ……」

 

 そうして、唐突に甲高い奇声を上げると共に、片腕をばっと瑠螺の方に向けて突き出した。

 

「キはあぁっ!」

 

 次の瞬間、統群王母の全身からほとばしった気が開かれた掌に集まり、小石ほどの大きさの黒い弾丸に変じて高速で撃ち放たれた。

 弾丸は鋼でできた甲蟲のような形をしており、不快な音を立てながら一直線に飛んで、瑠螺の豊かな胸を貫かんとする。

 

 瑠螺はしかし、それを真っ直ぐに見据えたまま動こうとはしなかった。

 ひとたび仙術による攻撃が放たれれば、どれほど速く動いてもそれを避けることはできないからだ。

 対抗する術は、回避ではない。

 

「はっ!」

 

 精神を集中させることで、瑠螺の周囲に瞬時にして『気』の防壁がはりめぐらされる。

 術を防ぐには、敵よりも激しく気をほとばしらせて打ち消すこと。

 当てられたくないと念じて、防壁をつくるのだ。

 

 飛来した弾丸には、それを貫くだけの力はなかった。

 甲蟲は目に見えぬ壁に衝突した衝撃でばらばらに砕け、そのまま陰の気に還って消滅していく。

 

「ぬっ……。おのれ、小生意気な!」

「それは、こちらの台詞というものじゃ」

 

 瑠螺はそう言って、いまいましげに顔をゆがめた統群王母を軽くにらみ返したものの、すぐに視線を外した。

 

 この妖怪をさっさと始末したいのは山々だが、一撃で倒せるとは限らない。

 そうした場合に悪あがきで人質や道連れにされかねない者を、まずはどうにかしなくては。

 

「これ、いつまで腰を抜かしておるのじゃ。下がっておれ」

 

 瑠螺はそう叱責しながら飛葉扇を大きく振って、強風を起こす。

 

「ふひいぃっ!?」

 

 いまだにへたり込んでがたがたと震えていたギルモアが、その風に押されて吹き飛ばされ、転がっていった。

 トーマスはあわてて、そんな彼の方に駆け寄っていく。

 

「ちいっ、逃がすか。……ぬうぅっ!」

 

 統群王母は彼らに追撃をかけようとしたが、タバサがすかさず放った『エア・ハンマー』を受けて吹き飛ばされ、仕損じる。

 

「おぬしらは、しばらくそこらに隠れておれ。くれぐれも、逃げ出そうなどとするのではないぞ」

 

 瑠螺は一言そう釘を刺してから、戦いの方に注意を戻した。

 

「あなたも下がっていて」

「わかったのね。お姉さまたちも、気をつけて!」

 

 タバサの短い指示を受けたシルフィードは、姉たちの身を案じながらも素直に後退した。

 

 人間に化けている間はろくに呪文も使えず体術の心得もない自分では、ギルモアのようなド素人を蹴り倒すのがせいぜい。

 無理を言って残っていても、足手まといになりかねない。

 

「ええい! よってたかって、小賢しい真似を……。ならば、もろともに始末してくれるわっ!」

 

 いらだった統群王母は、立ち上がりながら袖口に手を差し込むと、何やら奇怪な紋様のようなものが彫り込まれた金貨を取り出した。

 どうやら貨幣を符に仕立てていたらしく、それを握り潰しながら口訣を唱える。

 

「妖術、貫撃鋼蟲雨!」

 

 途端に、統群王母の全身からかっと放出された陰の気が渦巻いて、雲霞の如き無数の羽蟲の群れに変じた。

 群れは大きく膨れ上がると、周囲の者たちに向かって怒涛のように襲い掛かっていこうとする。

 

 タバサは咄嗟に、杖を振るって『ウィンド・ブレイク』を放った。

 広範囲を、強烈な風で薙ぎ払う呪文である。

 トライアングル・クラスの彼女が用いた『ウィンド・ブレイク』ならば、屈強な大男でさえも紙切れのように吹っ飛ばすことができるのだから、羽蟲の群れなどは簡単に吹き散らしてしまえるはずだった。

 

 だが、これはただの虫ではなく、妖蟲なのである。

 加えて、虫は金行に属するものであり、風は木行に属するもの。

 金克木の理からいっても、相性が悪い。

 

 その密度の大きさ、そして込められた妖力によって、並みの虫なら抗し得ぬ爆風にも雲霞の如き妖蟲の群れは一瞬動きを鈍らせた程度で霧散することなく耐えきり、そのままこちらに向かってきた。

 

「……!?」

 

 自分の呪文がたかが蟲の群れを吹き散らせなかったことに、タバサは驚愕して目を見開いた。

 そんなことは想定していなかったので、一瞬頭が真っ白になる。

 チェスの対戦のように先を読んで作戦を組み立てながら戦うことを得意とするタバサは、途中で予想外の事態が起こると判断を誤りやすい傾向があった。

 

 間近に迫る群れを見て、タバサはその蟲たちの体が鋼でできていることに気付いた。

 

(やられる!)

 

 次の呪文は、もう間に合わない。

 押し寄せる無数の鋼蟲の礫によって全身を撃たれ、ぼろきれのようにずたずたに引き裂かれる自分の姿を想像して、タバサは恐怖を覚えた。

 

 しかし、その時には既に、瑠螺は術の導引を結び終えようとしていた。

 

『以火行克金行 熔(火行を以て金行を克す、熔けよ)!』

 

 口訣と共に持ち上げた腕を、空をかきまぜるように、つかむように、大きく動かす。

 瑠螺の腕の動きに導かれるようにして、虚空から炎が現れた。

 それは大きく渦を巻いて、膨れ上がった妖蟲の群れを丸ごと呑み込む。

 金属でできた蟲たちはたちまち熔かされ、蒸発して、炎と共に消え去っていった。

 

 自分だけなら、わざわざ防御のためにこの術を用いずとも、先ほどの鋼蟲弾と同様に気の防壁でしのげただろう。

 しかし、それではタバサをはじめこの場にいる他の者たちが、蟲の群れに呑まれてしまう。

 

「なにぃっ!?」

 

 今の攻撃が何の成果も挙げられずに防がれるとは思っていなかった統群王母は、驚きに目を見開いた。

 

「この程度のことで、いちいち取り乱すでない」

「お、おのれっ。我の3か月間の苦労を、よくも無駄骨に……」

 

 統群王母は悔しげに顔を歪め、ぶつぶつとうらめしげなことを呟いて瑠螺をにらんだ。

 今しがた使ったのは、どうやら作成にかなりの時間を費やして、自分本来の力量を上回る術を込めた符だったようだ。

 

「ほほほ。たかだかその程度のことでとやかくいうとは、これはまたずいぶんと吝嗇家な王母どののようじゃな?」

 

 瑠螺はそう言ってやや高飛車な調子で笑ってみせながら、ちらりとタバサの方に視線を走らせた。

 

「さあ。おぬしの手で……」

 

 タバサの方もまた、目の前で起きたことに暫時は呆然としていたが。

 さすがに死線を幾度も潜り抜けてきただけあって、瑠螺が声をかけたときにはもう冷静さを取り戻していた。

 

(わたしの手で)

 

 つまり、守りは自分に任せてお前は攻撃しろ、ということなのだろう。

 そう察して、すぐに次の呪文の詠唱に取り掛かる。

 

「ええい、調子にのりおって! そんな小娘に、我が斃せるかァッ!!」

 

 統群王母はいきり立って袖口から素早く新たな金貨を取り出すと、怒りに任せて握り潰した。

 

「妖術、呪蟲鎖縛獄ッ!!」

 

 ぶわっと放たれた陰の気が、今度は無数ののたくる紐のような形状になった。

 それは一度地面に浸み込んだと見えた直後、今度はタバサの足元から噴き出して、鋼でできた無数の、奇怪な鎖か百足のような姿となって実体化する。

 そいつらは彼女の脚に、腕に、首に、巻き付き噛み付いて、その身動きを封じ殺さんと殺到していった。

 

「ラグーズ・ウォータル・イス――」

 

 タバサはそれに動じず、避けようとする動きも見せない。

 ただじっと精神を集中させ、詠唱を続けた。

 先ほどの役割分担を受け容れたとき、守りに関しては全面的に相方を信頼すると、既に決めている。

 

 いやらしい百足どもが今まさに彼女の華奢な体に絡み付こうとしたその瞬間、瑠螺の術が完成した。

 先ほどと同じ、『以火行克金行 熔』――火行によって金行を克するの術。

 

 ほとばしった気によって瑠螺の黒髪が大きく渦巻き、なびく。

 同時に、タバサの体の周りに彼女を守るかのように無数の赤い光点が生じ、そこから火球が膨れ上がって渦を巻いた。

 百足どもは、旋回する火球にことごとく胴体を焼き切られ、一瞬にしてすべてが溶断された断片となって、タバサの体をとらえることなく周囲に弾け散らばって消滅していく。

 

「ばっ!?」

 

 統群王母はその光景に目を剥いて、愕然と立ち尽くした。

 

「こんな程度の小技にいちいち大層な名をつけて誇示しておるようでは、おぬしの器が知れるというものじゃ」

 

 少しばかり苦い顔をしてそう断じる瑠螺の頭の中にあったのは、たかだか二尾の仔狐の分際で太上準天美麗貴公主だなどと名乗っていきがっていた、自分自身の黒歴史である。

 それとほぼ同時に、タバサの詠唱が完成した。

 

「――イーサ・ウィンデ」

 

 唱えたのはタバサの得意呪文である、『ウィンディ・アイシクル』だ。

 このトライアングル・クラスのスペルは、『風』の二乗に『水』の一乗を組み合わせることで空気中の水蒸気を凍らせて作った何十にも及ぶ氷の矢を飛ばし、相手を貫く。

 しかも今回は瑠螺を信頼し、敵より素早く放つことよりも必殺の威力を持たせることを重視して、時間をかけて十分な精神力を注ぎ込んであった。

 

 精神的な動揺で十分な気の防壁をはりめぐらすだけの余裕もなかった統群王母には、それを防ぐだけの力はない。

 

「がっ! がッ!! ガはあぁァァッ!?」

 

 氷の矢が、ガギィン、ガギィィン、と金属に突き立つような音を立てて、統群王母の肩に、脇腹に、首に、腰に、突き刺さっていく。

 その傷口からは、一滴の血も流れ出さなかった。

 

「お、ぉオォ……、オぉのれぇェェッ!!」

 

 ところどころに奇妙な、軋るような音が混じった怒号を上げながら、統群王母が逆上してタバサに躍り掛かろうとする。

 振りかざした右腕は、いつの間にか持っていた鉄扇と一体化し、黒光りする甲殻に覆われた昆虫の脚のような形に変化していた。

 

 そんな彼女とタバサとの間に、宝剣を抜いた瑠螺が割って入る。

 

「悪足掻きをいたすでない」

 

 統群王母が岩もを砕かんばかりの勢いで叩きつけようとした硬質の腕、もしくは脚を、下から斬り上げるように剣を掲げて受け止める。

 がきぃぃん、と金属同士が打ち合ったような甲高い音が響き、次の瞬間には統群王母の肢の先端がすっぱりと斬れて跳ね飛ばされ、宙を舞っていた。

 

「ギィぃやぁあぁァッッ!?」

 

 悲鳴を上げてのたうちまわる統群王母に対して、瑠螺の背後からすっと姿をあらわしたタバサが追い打ちをかける。

 

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース」

 

 先程放った多数の氷の矢では無く、一本だけだが一回りも二回りも大きい氷の槍が、詠唱に伴ってタバサの杖の先に生じた。

 必殺の威力をもつ『水』系統のライン・スペル、『ジャベリン』だ。

 

 タバサは容赦なくそれを振り下ろして、統群王母の胸を穿った。

 

「がは……ぁ、アァ……?」

 

 統群王母は、大穴が穿たれた自分の胸を、ふらつきながら呆然と見つめた。

 

 彼女の体から急激に陰の気が抜け、生気が失われていく。

 手の先、足先が黒ずみ、枯れ枝のように干乾びて、ぼろぼろと崩れ始めた。

 地面に落ちたそれらの残骸をよく見れば、どれもこれも、たくさんの丸まった蟻の死骸である。

 

「そ、そんな……。二百余年も続いた我の群れが、こんなところで」

 

 愕然とした面持ちで、力なく膝をつく。

 そのはずみで穴の開いた懐から、何枚かの金貨がばらばらとこぼれ落ちた。

 

「あああ。我の金が、金がぁ……」

 

 統群王母は崩れていく枯れ枝のような手で、虚しくそれらの金貨をかき集めようとする。

 そうしているうちにも、足が崩れ、腕が崩れ……。

 ついには全身が崩れ去って、山積みになった無数の蟻の死骸と化した。

 

 そのてっぺんには、猫ほどもあろうかという、異常に大きく腹の膨れ上がった女王蟻の屍がある。

 

「まったく。土を掘って金脈を求めるだけでは飽き足らずに、人の集めた財貨まで不正に騙し取ろうだなどと。そんな、欲深な人間の真似事なぞ、いつまでもせずにいられればよかったものをのう」

 

 そう呟く瑠螺の声には、哀れむような響きがあった……。

 





祈願 祓鬼(祈り願う、鬼を祓わんことを):
 召鬼系統の仙術の一種。人間に憑依した鬼や三尸などを祓うことができる。
憑依したものによってもたらされていたさまざまな弊害も、直ちに取り除かれる。

以火行克金行 熔(火行を以て金行を克す、熔けよ):
 五遁火行の初歩にして奥義ともいうべき仙術。火克金の理によって、金行の仙術・妖術の類を解除・無効化する。
既にかけられて効果を発揮している術だけでなく、今まさにかけられようとしている術を割り込みで妨害することもできる。
対象とする仙術が高レベルのものであるほど成功難易度は高くなるが、術を使用した術者の力量には左右されない。
要するに、ハルケギニアの呪文で例えるなら、それがマリコルヌの使ったものであろうと烈風カリンの使ったものであろうと、同じドット・スペルなら解除の難易度は変わらないということである。

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