魔法学院からラ・ロシェールまで馬で普通に旅をすれば、たとえ早朝に出発したにしても、その日のうちに到着することはまず無理だろう。
しかし、ルイズとワルドは地形を無視できる上に、馬よりもずっと持久力に優れるグリフォンに乗って飛んでいたし、瑠螺らの方は仙術を用いて、そのグリフォンに余裕でついていけるだけの速さで歩いていた。
そのおかげで、出発したその日の夜になる頃には、ラ・ロシェールの入り口が見えてきた。
「もうすぐだー! あー、疲れた!」
リンがぐーっと伸びをする。
仙術の恩恵でペースこそのんびりだったとはいえ、さすがに何時間も歩き通しというのは楽ではない。
「ああ。あの隊長どのとやらが無駄に張り切って飛ばしてくれたおかげで早く着きすぎたよ、まったく」
フーケもまた、疲れた様子で伸びをしながら、ここで二泊となると明日はさぞ退屈な日になるだろうと、ぶつくさ文句を言った。
「まあまあ、急ぎの用件ということだからのう……。気が急くのも、わからぬではなかろう?」
「ふん。ヴァリエールのお嬢ちゃんと終始相乗りでいちゃつきながら行くのが、気が急いてるやつのすることかねぇ……」
瑠螺のフォローに、フーケは皮肉っぽい笑みを浮かべて肩をすくめる。
「……ま、着いちまったものは仕方ない。今夜は風呂付きの宿でも手配して、さっさと休むか」
目的地に近付いたためか、ワルドがグリフォンの速度を緩めたので、瑠螺らもそれに合わせて歩調を落としてゆっくりと進んだ。
「レンは、この街に来るのは初めてだもんね。明日はわたしが案内してあげる!」
リンがちょっと得意そうにそう言って、お姉さん風を吹かせる。
ラ・ロシェールの入り口は、険しい岩山の中を縫うようにして進む曲がりくねった道になっていた。
それに沿って進んでいくとやがて、峡谷に挟まれるようにして立つ街が見えてくる。
街道沿いに、岩を穿って造られた建物が軒を連ねていた。
「なんと……。これはまた、見事なものじゃな」
瑠螺が一目見て、感嘆したような声を上げる。
トリスタニアの王都などと比べれば規模はかなり小さいものの、並び立つ立派な建物群の一軒一軒が同じ一枚の岩から削り出されたものであることが、五遁の達人である瑠螺には容易に見て取れたのだ。
央華でこれだけの物を作り上げるには、かなり高度な土行の仙術か、仙宝の力をもってせねばならないだろう。
「これは、メイジがやったのかえ?」
「そうだよ。なんでも大昔に、『母なる大地を知らぬ空の民にその美しさを教えるために、空に向かう旅人たちが母の素晴らしさを忘れないために』ってんで、『土』系統のスクウェア・メイジたちが協力して、この港町を作り上げたんだとか」
「おお、なるほど……。博学じゃのう、ロングビルどの」
「別に。こんなのはアルビオンの人間や『土』系統のメイジにとっちゃ、よく知られた話さ」
そんな雑談をしながら、一行がのんびりと旅籠の並ぶ通りを目指して歩いていたとき。
道の両脇にそびえる崖の上から彼女らのいるあたりを目がけて、不意に何本もの火の付いた松明が投げ落とされた。
松明は赤々と燃えて、峡谷を照らし出す。
「むっ……!?」
場数を踏んだ瑠螺とフーケは、それを見て速やかに事態を悟った。
二人とも直ちに己の得物(宝剣と杖)を抜き、このような状況に不慣れで反応が鈍いリンとレンを庇える位置に移動する。
直後に、何本もの矢が夜風を裂いて飛んできた。
「ちっ、襲撃かい!」
「狼藉者めが!」
瑠螺が剣を振るい、フーケが即席の石壁を作って、子供らを狙ったその攻撃を防ぐ。
リンとレンは最初の動揺から脱して事態を把握すると、互いに顔を見合わせて、きっとした顔つきになった。
「あいつら、レンを殺そうとするだなんて、ゆるせない!」
「リンを殺そうとするようなやつは、ただじゃおかない!」
怒りのこもった声でまったく同時にそう言うと、申し合わせもなく互いに自然に身を寄せ合い、手を取り合って導引を結んでいく。
二人が重ね合った手の中に、一枚の大きな葉がどこからともなく姿をあらわした。
それを見て、瑠螺が軽く感嘆したような声を漏らした。
「ほう、これは……」
まだ人型をとれるようになって間もない妖物が使うにしては、かなり高度な術である。
どうやらこの二人は、比翼鳥のように互いに手を取り合い、協力し合うことで、一人の時よりも遥かに強い力を発揮できるらしい。
(さすがは、同じひとつの木から生まれた片割れ同士だというだけあるのう)
そう考えていたところに、再び崖の上の狼藉者どもが矢を放った。
今度は、先ほどよりもさらに数が多い。
しかし、フーケがまた杖を振ってその攻撃を防ぐよりも早く、今度はリンとレンが口訣と共に、手にした大葉を振り下ろした。
『以木行為葉扇 吹(木行を以って葉扇と為す、吹け)!』
途端に、ものすごい爆風が発生した。
渦巻く風は味方の瑠螺とフーケには影響を及ぼすことなく、迫ってくる矢を一本残らず押し返し、巻き上げる。
のみならず、崖の上に立っていた狼藉者どもまで吹き飛ばして、宙に舞いあげた。
「ひ、ひいぃぃいぃ!?」
「ぎゃあぁぁぁ!」
「ひはっ!」
「ぎゃおおっ!?」
男らが情けない悲鳴を上げながら転げ落ちて、したたかに体を打ち付ける。
それだけで全員が戦闘不能になるほどのダメージを受けたというわけではなかったが、一瞬で総崩れにされたことと、二人の意外な強さに暫時驚いていたフーケが我に返り、杖を突きつけて降伏せねば殺すと脅したこととで、完全に戦意を喪失した。
一方夜目が利く瑠螺は、さっと崖の上に視線を走らせ、まだ残っている敵がいないかを確認した。
そうして、他の者よりも腕が立つのか、単に幸運だったのか、先ほどの術に抵抗して吹き飛ばされずに崖の上に踏みとどまっていた者が一人、こそこそと逃げ出そうとしているのを視界の端に捉える。
「ふっ!」
左手のルーンによる身体強化と、まだ残っていた『我知空理進道』の術の効果による縮地とが相俟って、駆け出した瑠螺はほんの一足でその男の前に回り込んだ。
男は突然現れた瑠螺に目を白黒させ、次いで突き付けられた剣に顔を青ざめさせて、へなへなとへたり込む。
「おぬしも、逃げるでない」
「は、はいぃ……。い、命ばかりは!」
それで、ひとまず片が付いた。
「大丈夫か?」
「誰か、怪我してない!?」
ようやく上空から降りてきたワルドとルイズに、瑠螺は微笑んで、大事ないと答えた……。
・
・
・
「終わりました。あの連中は、ただの物取りのようですわ」
魔法で縛めた狼藉者どもの尋問を担当していたフーケが、戻ってきてそう報告する。
「そうか、ならば捨て置こう。こちらには、大事な任務があるのだからね」
「……。うむ、そうじゃな」
そうは言ったものの、瑠螺にはどうも、納得しきれないものがあった。
グリフォンに跨った明らかに貴族らしきものが上空にいるというのに、メイジも擁していない野盗が襲撃を決行するというのも変だし、もしやるとすればまずグリフォンを奇襲で落とそうと考えそうなものだし……。
それ以外にも、どこがどうとはっきりとは言えないのだが、この襲撃は何か不自然なように思えるのだ。
しかし、どうあれフーケが尋問した結果何もなかったというのだから、それを信じるしかあるまい。
「さあ、もう夜も更けてきている。今夜の宿を探そう」
ワルドがルイズを抱えてグリフォンに跨り、そう言って飛び立つ。
リンとレンも、軽く欠伸をしながらその後を追った。
さて、瑠螺もそれに続こうとしたところで。
「……うん?」
フーケがつんつん、と脇をつついて、小声で囁いた。
「あいつらは物取りなんかじゃないよ、傭兵さ。最初はしらばっくれてたけど、食い詰めて野盗をしてるにしちゃあ、ぴかぴかのエキュー金貨をずいぶん持ってたし。ちょっと脅してから、正直に話せば助けてやるっていったら呆気なく吐いてね」
彼らは元々アルビオンの王党派についていた傭兵たちだったが、大規模な会戦で敗退した雇い主側の敗北がほぼ決定的になったとみて、手遅れになる前に地上へ逃げかえってきた。
そうしてラ・ロシェールの場末の酒場で昼間から飲んだくれていたところを、フードを目深にかぶった女と白い仮面をつけた男という得体のしれない連中に雇われ、ここで待ち伏せて一行を襲うように言われたのだ、と。
『そ、その仮面の男が、あんたたちの構成を詳しく教えてくれてよ。だから、一目見ただけでこいつらに間違いねぇとわかったんだ!』
傭兵どもは、そうも言っていたらしい。
「……むう」
瑠螺は、それを聞いて眉をひそめた。
つまりは密命の件が、自分たちの編成まで含めて、既に外部に漏れているということか。
「いったい、誰が……」
その時、なにやら聞き覚えのある羽音が、後ろから聞こえてきた。
「うん?」
振り向くと、上空には見覚えのある幻獣の姿。
「ありゃ確か、青髪のお嬢ちゃんの……」
フーケがそう呟いたところで、その背からひょこっと、長い赤髪の少女が顔を出した。
見ればその前には、短い青髪の少女の姿もある。
「あら? リュウラにフーケじゃないの! どうして、あなたたちがここに?」
キュルケが、きょとんとした顔でそう言った。
タバサも本から顔を上げて、しげしげと瑠螺の顔をみつめている。
シルフィードも、つぶらな瞳をして首を傾げると、不思議そうにきゅい? と鳴いた。
「それはこちらの台詞じゃ。おぬしら、なぜここに?」
それから、しばらく事情を聞いたところによると。
どうやらキュルケは、アンリエッタ皇女来訪の折に一目惚れしたワルドに声をかけようと、ずっと狙っていたらしい。
しかし昨夜は生憎と機会に恵まれず、今日は朝から姿が見えない。
このままでは王女一行が学院から去ってしまうので困ったキュルケは、別の魔法衛士隊隊員に近づき、事情を聞き出すことにした。
そうして幾人かに話を聞いた結果、隊長どのはどうやらなにがしかの密命を受けてアルビオンへ向かっているらしいとわかり、親友のタバサに頼んでこうして後を追ってきた、というわけである。
ちなみにそのタバサはというと、王女が昼頃まで滞在するので今日は授業がなく暇だからとベッドの中で遅くまで休んでいたところを叩き起こされたらしく、寝間着姿のままであった。
「そりゃまた、大したもんだね。あんたも、それに口の軽い魔法衛士隊のお方々もさ!」
「なるほどの」
フーケは皮肉っぽく唇を歪め、瑠螺はほうっと溜息を吐いた。
「しかしのう……。おぬしには残念なことであろうが、あの御仁はルイズの許嫁だそうじゃぞ?」
そう教えてやったものの、キュルケはさして気にした様子もなかった。
むしろ、ヴァリエールの恋人を寝取るのはツェルプストーの宿命だ、などと息巻きながら、喜び勇んで後を追っていく。
瑠螺はまた溜息を吐いて、その後にゆるゆると続きながら、再び襲撃の件に思案を戻した。
まあ、こうしてキュルケやタバサが事情を突き止めて追ってくるようでは、もはや誰が知っていても不思議はなさそうだが……。
それにしても、やはり先ほどの傭兵どもの襲撃は、手配が早すぎるのが気にかかる。
この世界では相当に速い部類の乗騎であろうシルフィードに乗って学院から追ってきた彼女らが今になってようやく自分たちに追いついたというのに、それよりも早く手を回し、こちらの行く道に先回りして傭兵を待機させていたとは。
(そやつらはわしらが学院を出るよりも先に、既に密命の件を知っておったということか?)
時間的に考えて、こちらの出発するよりも前から知っていたくらいでないと、間に合いそうにない。
いったい、いつ露見したのだろう。
アンリエッタ王女が忍んでルイズの部屋に向かったときか、それとも依頼の件をフーケやオスマン学院長に伝えに行ったときか……。
(……そういえば……)
王女が訪問してきたあの時、ギーシュという生徒が扉の外で立ち聞きしていたことを、瑠螺は思い出した。
(まさか、あの子が?)
途中で追い払ったものの、もしも彼が間者の類であったなら、事情は容易に想像がついただろう。
そういう男にはあまり見えないのだが、とはいえそんなことはあり得ぬと断言できるほどに彼のことをよく知っているというわけでもないし。
仮に本人が黒でなかったとしても、口の軽そうな男だから、事の次第を吹聴して回って情報が漏れたとも考えられる。
もちろん、キュルケが事情を聞き出したという魔法衛士隊の面々も疑わしい。
隊長としては、部下に事前に何も伝えずに出かけるというわけにはいかなかったのだろうが、あのワルドという男もああ見えて以外と口が軽いほうなのかもしれない。
(でなければ、あの男自身か)
ルイズの許嫁がまさかそんなはずはなかろうとは思うが、可能性は否定できない。
フーケも先ほど、その可能性を考えたからこそ、あの男の前では何も知らぬふりをして、自分だけに襲撃者の正体を突き止めたことを明かしたのだろう。
いずれにせよ、学院の内部か王女の従者のどちらかに、アルビオンの反乱軍と内通した間者がまぎれている可能性は高そうだった。
「ひとまず、そのことを伝えに戻った方がよいかな」
オスマンに伝えておけば、王女に事の次第を報告した上で、学院内に不審な者がいないか調べておいてくれることだろう。
王宮内に怪しい者がいないかを調べるのは、アンリエッタの側に任せておけばよい。
ついでに、寝巻のままのタバサのために、彼女の服などもとってこよう。
「伝えに戻る、ったって……。まさかさっきの早歩きの術で、今夜みんなが寝静まってるうちに大急ぎで戻って、起きる前にまた大急ぎで引き返してこようってのかい?」
フーケが困惑したように、そう尋ねた。
無理というほどでもないかもしれないが、いくら何でも一晩中そんなことをしていたらくたくたになってしまう。
瑠螺は、首を横に振った。
「そんな面倒なことをせんでも、一度着いてしまいさえすれば、後の行き来はそう難しくはないぞえ」
たとえば変化術を用いて、厭魅・厭勝の『似形 等身潜(形が似る、等しく身を潜らせたり)』の術の力を借りるなどすればよい。
その程度は、一人前の仙人にとっては容易いことだ。
どの道、自分は夜寝る必要がないから宿では暇なだけであるので、こういった事態がなくても最初から皆が寝ている夜の間は学院に戻って本を読むか、仙宝づくりでもしようと思っていたのだった。
「ひとまず、行き来するのに使う『起点』を確保しておくために、おぬしも協力しておくれ」
詳しいことは宿をとってから話そうといって話を打ち切ると、瑠螺は歩調を早めた。
あまり遅れては、ワルドから不審に思われるかもしれない。
両脇を峡谷で挟まれたラ・ロシェールの街の灯りが、そんな彼女らの行く手を怪しく照らし出していた……。
比翼鳥(ひよくちょう):
央華世界に存在する禽獣の一種で、片方の翼、片方の目、片方の脚しかない雌雄一対の鳥。
片方だけではほとんど行動することができず、夫婦が揃って初めて一人前の鳥として生きていくことができる。
また、雌雄が揃っている時のみ、巨大化して戦うことができる。
つがいは遠く引き離されても心と心でつながっていて互いの状況がわかり、もし片方が死んだならもう一方も死んでしまう。
その性質から夫婦愛の象徴ともされており、高貴な身分の夫婦が対になった比翼鳥のかんざしなどを身につけていることもある。
以木行為葉扇 吹(木行を以って葉扇と為す、吹け):
五遁木行仙術の一種。普通の葉を人間大の巨大な扇にしてあおぎ、強風を起こす。
あおがれた方向にいるうちで術者の選んだものすべてに効果が及び、対象は抵抗に失敗すれば、術者の望んだ場所(ただし視界内に限る)まで吹き飛ばされる。
対象が抵抗を行えない無生物だった場合には、一軒家以上の重さがなければ吹き飛ばされる。
この術は敵の行動に割り込んで使用することも可能なので、放たれた矢を敵ごと吹き飛ばすとか、狙われた味方を吹き飛ばして攻撃を回避させるとかいった用途にも使用できる。
似形 等身潜(形が似る、等しく身を潜らせたり):
厭魅・厭勝仙術の一種。術者は円や長方形など、同一の形を扉として、他の場所に瞬時に転移する。
転移できるのは視界内もしくは術者がはっきりとした位置を知っている、形の似たものがある場所に限られる(したがって、未見かつ絶えず空中を移動して位置を変えているアルビオンにはこの術で行くことはできない)。
この術は敵の行動に割り込んで使用することも可能なので、攻撃の回避などにも使用できる。
なお、術を唱えて潜る起点には術者が入れるだけの大きさがなくてはならないが、出現する側にはそれだけの大きさがなくても構わない。
たとえば、紐を結んで作った輪(円形)に体を通して、指輪(同じく円形)の中から現れる、といったことも可能である。