「ふむう……。裏切り者、ですか」
オスマンは、今朝方確かに学院から出立したはずの瑠螺が一時帰還した姿を見て、さすがに少しばかり驚いたような顔になったものの。
その後の彼女の報告にはさして驚いた様子もなく、重々しく頷いた。
「……あまり、驚かれぬのう?」
瑠螺は、怪訝そうに目をしばたたかせた。
同僚の教師や教え子たちの中に間者がまぎれ込んでいるかもしれないといきなり聞かされたにしては、えらく反応が薄いようだが、どういうことだろうか。
そんな彼女の疑念を察して、オスマンが説明を加えた。
「いや、なあに。実は、あなたがたが出発された後に、コルベール君からちょっとした事件の報告がありましての」
彼によると、なんでも一昨日の夜に、チェルノボーグと呼ばれるトリステイン城下で最も監視と防備が厳重な牢獄から罪人が一人、脱獄したとのことだった。
しかも門番の話では、貴族を名乗る怪しい人物に『風』の魔法で気絶させられたらしい。
その人物は魔法衛士隊が不在の隙をついて脱獄の手引きをした疑いが濃厚であり、王宮内の動きに詳しい人物の犯行と思われることから、城下に裏切り者がいる可能性が高いというのだ。
「なるほどのう……」
そうなると、間者はこの学院ではなく、王宮内にいる可能性が高いということになるか。
学院の者だけでなく、ワルドら魔法衛士隊を始めとする王女に随行していた従者たちも、一昨日のうちにトリステイン城下の牢獄にまで行って脱獄の手引きをすることは難しいだろうから、嫌疑はかなり薄くなる。
とはいえ犯人が一人だけとは限らない、脱獄の手引きをした者と襲撃を仕掛けてきた傭兵たちを手配した者とは別人かもしれないから、完全に白とまでは言い切れないが。
「姫君も、さてはアルビオン貴族の暗躍かと、ずいぶんと案じておいででしたな。とはいえ、すでに杖が振られた以上は、ここにおる我々にできることはただ待つことだけ、と思っておったのですが……」
襲撃は災難だったが、思いがけず戻ってきてくれたおかげでそのことを伝えられてよかったと言って、オスマンはほっほっと笑った。
「ご無事で何よりですわい。無論、道中どんな困難があろうとも、あなたならやってくださるとは信じておりましたがの」
瑠螺は、苦笑して軽く肩をすくめた。
「そのように、全幅の信頼をよせていただけるのは嬉しいが。先刻の襲撃を退けたのは、わらわではありませんでな」
「うん? では、ワルド子爵ですかな」
「いいや、ロングビルどのの連れじゃ。頼りになる子たちでの」
瑠螺はそう言うと、きょとんとした面持ちのオスマンに軽く一礼して、退出しようとした。
頼れる同行者たちがいてくれるのだから心配はないとは思うが、とはいえ早くルイズの元に戻って、更なる襲撃に備えておかなくてはなるまい。
オスマンは、そんな彼女を呼び止めた。
「あー、お待ちくだされ。ひとつ、お話ししておかねばならぬことを忘れておりましたわい」
「なんじゃ?」
「いや、本当は今朝の内にお話ししておくべきことだったのですが。申し訳ない、すっかり忘れておりましてのう……」
振り返って小首を傾げた瑠螺に対して、オスマンは顎髭を弄りつつ、もったいぶって前置きをしながら考え込んだ。
こうして彼女の主が王族から直々に大事を任され、危険な戦場へ赴くに至った以上は、少なくとも本人にだけは使い魔のルーンに関してちゃんと説明しておかねばなるまいが。
異世界から来たというこの女性に、いったいどうやって説明したものか。
「……そうですな。まずリュウラどのは、始祖ブリミルの伝説を……、特に、『ガンダールヴ』に関するくだりのことを、ご存じか?」
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さてその頃、ラ・ロシェールで最も上等な宿、『女神の杵』亭でも最上の部屋を借りたルイズとワルドもまた、向かい合って話を始めようとしていた。
ちなみに取った部屋は四つで、ルイズとワルド(婚約者同士)、リンとレン(片割れ同士)、キュルケとタバサ(親友同士)、瑠螺とフーケ(余り者同士)がそれぞれ相部屋である。
ワルドに同室でと言われたルイズは驚いて、婚約者と言ってもまだ結婚してるわけじゃないんだから駄目だと言って断ろうとした。
そもそも一行の中で男性は二人だけなんだから、その二人で組むのが筋というものである。
ルイズと瑠螺(主人と使い魔)、フーケとリン(身内同士)、キュルケとタバサ(親友同士)、ワルドとレン(男同士)というのが順当ではないか、と主張したのだ。
が、それにはリンとレンから苦情が来た。
『ええ~? マチルダと同じ部屋はいいけど、レンと別々なんて嫌だよ!』
『これから違うベッドで寝るの?』
『やだ! 絶対にレンと一緒、じゃなきゃ寝ない!』
ひしっと抱き合いながらひたすら純真に、一心にそう訴える彼女らの姿を思い返すと、ほのぼのしてくるというか、切なくなってくるというか、口の中が甘ったるくなってくるというか……。
まあ、何とも形容しがたい気分になってくる。
とにかく、あの二人にとっては男女だとかなんだとか関係なく、それが自然なことらしい。
引き離すなどということが受け容れられないのは、誰の目にも明らかだった。
おまけにワルドが「大事な話があるから二人きりで」とかいうものだから、結局なあなあになって流されて、そのままの部屋割りでいくことになってしまったのである。
(あー、もう! いっそのこと永遠のアドレサンスでも満喫してなさいよ、あの二人は……)
ぐちぐちとそんなことを考えているルイズをよそに、ワルドはテーブルにあったワインの栓を抜くと、杯に注いでぐっと飲み干した。
「きみも一杯やらないか? ルイズ」
「……ええ」
ルイズとしては、アルコールに弱いので晩酌などする習慣もないし、先ほどの連中はもしかして物取りではなくアルビオン貴族の差し金だったのではないか、また敵襲があるのではないかと思うと心配で、とても酔いたい気分にはなれなかったが。
とはいえ断るのも失礼だろうと、大人しく申し出を受けることにした。
二人に、といって杯を掲げたワルドと、少し俯きながらも黙って杯を触れ合わせ、形だけ軽く口をつけると、そのままテーブルに置く。
それから、昔話が始まった。
「覚えているかい? あの日の約束を。ほら、きみのお屋敷の中庭で……」
「あの、池に浮かんだ小船のこと?」
そう言ったルイズは、少し遠くを見るような目になった。
幼い頃の彼女は魔法ができなかったりして叱られると、よくその小船の中に逃げ込んで身を隠していた。
その隠れ場所のことを、十歳ばかり年上の憧れの貴族だったワルドだけは知っていて、両親にとりなしたりしてくれたのだ。
そして彼は、互いの父親同士が約束して取り決めた、自分の婚約者だったのである。
まだ幼かった自分には結婚といわれてもよくわからず、実感も薄かったが、そうすればずっと一緒にいられるのだと言われて、嬉しかったのを覚えている。
「きみはよく、お姉さんたちと魔法の才能を比べられてできが悪いなんて言われていた。でも、それは間違いだと、僕はずっと思っていたよ」
「そんなお世辞は止めてちょうだい。意地悪ね」
「そうじゃない、本当のことさ。きみは誰にもないオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは、きみが他人にはない特別な力を持っているからさ。僕だって並のメイジじゃない、だからそれがわかる」
ワルドはきっぱりとそう言い切ると、疑わしそうな、当惑したようなルイズの顔を見つめて、にっこりと微笑んだ。
「たとえば、きみの使い魔だ」
「リュウラ?」
「そうだ。先ほどの傭兵たちの襲撃で、彼女が武器をつかんだときに……」
傭兵? と、ルイズは怪訝に思った。
フーケによると、あの連中は物取りだということだったはずだが。
しかし、それに続くワルドの話に注意を惹かれたために、そんな些細な違和感はすぐに忘れ去ってしまった。
「……彼女の左手に浮かび上がったルーン、あれは『ガンダールヴ』の印だ。きみも知っているだろう。始祖ブリミルが用いたという、伝説の使い魔だよ」
そう語るワルドの言葉には抑えきれない熱がこもり、目がきらりと光った。
「『ガンダールヴ』ですって? まさか!」
「まさかじゃない。きみは、それだけの力を持ったメイジなんだよ」
彼の顔は真剣そのものだ。
どう見ても、冗談を言っている様子ではない。
「……そうね、リュウラがすごいのは確かよ。伝説の使い魔だとしても、不思議はないかもしれない」
「その通りさ。それは、主であるきみが特別だからだ」
「そう、かしら?」
ルイズは、疑わしそうに顔をしかめた。
以前にリュウラも、お前は特別な存在に違いないと言ってくれたけれど、あいかわらず魔法は失敗ばかりだし、とてもそうは思えない。
確かに『ガンダールヴ』の力は自分との契約によるものかもしれないが、そんなものがなくても彼女は十分過ぎるほどに力のある特別な存在ではないか。
自分など関係なく、彼女が元々特別な存在だからこそ、伝説の力に選ばれたのではないだろうか。
それに自分は、別にそんな、特別な何かになりたいわけではないのだし。
「ありがとう。でも別に、わたしは特別かどうかなんてどうでもいいのよ。やるべきことは、変わらないから」
ルイズは背を伸ばして少しばかり不敵そうな微笑みを浮かべると、きっぱりとそう言った。
自分はただ早く魔法を成功させて、一人前の、いや半人前でも構わないから、真っ当なメイジになりたいだけだ。
たとえ使い魔と主人であっても、リュウラはリュウラ、自分は自分。
特別であろうが、そうでなかろうが、これまでどおりにがんばって修行をするだけのこと。
しかし、上等なワインに酔っているのか、それとも自分の考えに酔っているのか。
ワルドには、そんなルイズの真摯な気持ちが伝わらなかったらしい。
「きみは偉大なメイジになるだろう。始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような素晴らしいメイジになるに達いない。僕はそう予感している」
ワルドは熱っぽい口調でそう言うと、ルイズを見つめた。
「ルイズ。この任務が終わったら、僕と結婚しよう」
「え、……ええ?」
突然のプロポーズに、ルイズは目を丸くする。
たしかに、彼は婚約者だったし、憧れの相手でもあった。
でも、ワルドの父が戦死し、彼が子爵の地位を継いですぐに領地を離れて魔法衛士隊に入隊してからは、かれこれ十年間もほとんど会ったことはない。
ほんの六つかそこらの年頃のことであったから、自分もそのうちに彼のことはすっかり忘れてしまった。
婚約の約束についてもそれきり耳にしたことはなく、元々があてのない半ば戯れのような約束で、ワルドの父が死に、ワルド自身も疎遠になっていったことで自然消滅したものだろうと思っていたのだ。
先日思いがけず再会したことで、遠い記憶の中の思い出が不意に現実になってやってきて激しく動揺し、しばらくぼんやりしてしまったりもした。
「僕は、魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは、国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている。ずっとほったらかしだったことは謝るよ。婚約者だなんて、言えた義理じゃないだろう。でもルイズ、僕にはきみが必要なんだ!」
「ワルド……」
つまり、それだけ立派な貴族にゆくゆくはなってみせるからどうか結婚してほしい、君が傍にいてくれればできる気がする、ということだろうか。
彼が本気なのはわかる。
胸がときめくような、熱い求愛の言葉だとも思う。
ワルドは優しいし、凛々しいし、ずっと憧れの存在だったのだから、こうして真剣に結婚を申し込まれて、嬉しくないはずはない。
けれど、何か違和感があった。
それがルイズの心に引っかかり、即答を避けさせたのである。
(結婚したら……、そしたら、わたしはどうなるの? 魔法の勉強は?)
自分でもなぜなのかわからず、困惑してしばらく考えているうちに、そんなことが頭に浮かんできた。
トリステインの慣例からいって、結婚しても当分は別居してこれまでの生活を続けるなどということは、まず考えられない。
ワルドの元へ移り、二人の生活、そして出産。
勉学も魔法の修行も中断して、ゼロのままで学院を去らなくてはならない。
そうなったら自分はこの先もきっと、ずっとゼロのままだ。
(それに、リュウラのことは?)
リュウラは、結婚してもまあ、自分の傍にいてはくれるだろう。
でも、彼女は善行を積むための修行とかで、今でさえ自分よりもタバサあたりといる時間の方が多いくらいだ。
結婚生活に入ったら、自分とは接点がほとんどなくなり、たまに顔を会わせるだけになるかもしれない。
それは嫌だった。
いまさらワルドに言われるまでもなく、少なくとも自分にとっては、リュウラは特別な相手だ。
使い魔が特別な存在であることはメイジなら当たり前だが、それだけでなく生まれて初めて成功した魔法の証でもあり、異世界から来たと称する、規格外な力の持ち主……。
出会えたこと自体が、奇跡なのだとしか思えない。
もし本当に伝説の使い魔だというのなら、あるいは始祖のお導きで自分の元に舞い降りてきてくれたのかもしれない。
ワルドとの結婚生活に入り、彼女との縁を切ってしまったなら。
始まったばかりの、あるいはまだ始まってすらいないかもしれないその奇跡を、永遠に失ってしまうような気がする。
(第一、あんな姿を見た後じゃ……ねえ?)
最後にリンとレンのことを思い出すと、ルイズは内心で苦笑した。
あの二人のつながりは男女の仲というものとはまた違うのだろうが、それにしてもああも睦まじい姿を見せつけられてしまうと。
恋人同士というのがどんなものかはまだ知らないが、自分がワルドとあんなに自然に近しく接するなんて想像もできない。
しかるに夫婦の結び付きというのは、男女のつながりとしては最も強いものであるべきはずだ。
ということは、つまり。
自分とワルドとは、少なくとも結婚などは、まだまだ時期尚早だということなのだろう。
だから、ルイズは首を横に振った。
「その、あのね、ワルド。わたしはまだ、あなたに釣り合うような立派なメイジじゃないと思うの。もっと修行をして、いつか立派な魔法使いになって。みんなから認めてもらえるように、リュウラに見劣りしないようなメイジになりたいのよ」
ルイズは失礼にならないように言葉を選びながら理由を説明して、ワルドを真っ直ぐに見つめる。
「だから、それまではまだ、誰とも結婚はできないわ。ごめんなさい」
「……そうか……」
ワルドは表向きはやや残念そうな穏やかな微笑みを浮かべてそう言いながら、内心では顔をしかめて、ルイズが色よい返事を返してくれなかった理由を考えた。
世間知らずかつ、昔から自分に憧れていたルイズを誑し込むくらいわけもないと思っていたのだが、どうも彼女は昼間からあまり乗り気でない。
(もしや、他に想い人でもできたか?)
真っ先にそう思ったが、どうもそれはなさそうだと考え直す。
ルイズの態度を見る限りでは、それっぽい様子はない。
彼女が一番気にかけている様子なのはあのリュウラとかいう『ガンダールヴ』のようだったが、自分の使い魔であることを考えれば当然のことだろう。
(長い間離れていたし、もう十六だからな。さすがに、出会ってすぐに甘えてはこんか)
それに、道中で自分の頼れるところを十分に見せることもできなかったからなと、ワルドは忌々しげに思い返した。
結構な額の報酬を払ってやったと言うのに、あの傭兵どもの不甲斐なさときたらどうだ。
あんな子供らにあっという間にやられてしまって、こちらの見せ場を作ることはおろか、あの『ガンダールヴ』の力を見ることさえもろくにできなかったではないか。
(確かに、思ったよりも厄介な同行者どもではあるようだが……。まあ、いいさ)
この旅の間に、ルイズの気を引く機会も、邪魔な同行者どもを振るい落とす機会も、まだいくらでもあるだろう。
手駒もまだ残っていることだし、なんならこちらから作り出してやることだってできる。
ワルドはそう考えて気持ちを切り替えると、にこやかな微笑みを浮かべて頷いた。
「わかった、取り消そう。今、返事をくれとは言わないよ。でも、この旅が終わるまでには、きみの気持ちは僕に傾くはずさ」
そういう問題ではないのだとは思ったが、うまく説明できる自信もなかったし。
リュウラがどうのというような話をするのはなんだか恥ずかしいような気もしたので、ルイズも黙って頷きを返す。
「……! それじゃあ、おやすみなさい。疲れたから、もう寝るわ!」
ワルドが近付いてきておやすみのキスでもしそうな気配を見せたので、ルイズはあわててそう言うと、そそくさと寝床へ潜り込んだ。
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「……なんか、あんたってさあ。もう、なんでもありって感じだねぇ」
宿の一室で、自分で結び合わせた縄の輪から学院に出発したと思ったら、しばらくして花瓶の中から戻ってきた瑠螺を見て、フーケは深く溜息を吐いた。
盗みに入った夜にたまたまこんなのと出くわすなんて、自分は良くも悪くも、とにかく妙な運回りだったようだ。
「そうでもないぞえ。どこまでいこうとも、上を見ればきりがないし、下を見れば霧の底……というものでな」
瑠螺はしれっとした顔でそう言うと、フーケに酌などしてやりながら、オスマンから聞いた話をいろいろと説明して聞かせた。
「ふうん、あのチェルノボーグから脱獄する手引きをねえ。そうなると間者は城下か王宮にいそうだけど、学院にいたこっちの情報も漏れてる、と……」
フーケは注がれたワインを口に運びながら、少し考え込む。
「……ま、普通に考えりゃあ裏切り者が何人もいて、城下とか学院とかあちこちに散らばって互いに連絡を取り合ってるってのが、一番ありそうな線か」
ややあって、そう結論を下した。
「ふうむ、やはり、そうなるかの」
「ああ。情報だけなら、移動の速い使い魔かガーゴイルあたりに運ばせるって手もあるけどね。学院と王宮の両方の情報を細かく収集して、脱獄の手引きもするってなると、並みの使い魔やガーゴイルじゃ難しいかな」
「風の『偏在』という手もある」
瑠螺が学院から持ってきてくれた服や荷物を受け取りに来たタバサが、つまみのチーズを失敬しながら、横合いからそう口を挟んだ。
ちなみにキュルケはというと、ワルドを口説きたくてここに来たものの、彼の態度があまりにそっけない上に目が冷たくて情熱の欠片もなかったとかであっという間に冷めてしまい、今は下の食堂で男を物色しながら、酒や料理を楽しんでいる。
彼女としてはもう用は済んだので学院に帰ってもいいのだが、今度は瑠螺がいることを知ったタバサの方が同行して彼女を手伝うと言い出したものだから、友人として付き合うことにしたのだった。
リンとレンは姿を見かけないが、何はなくともまずお互いさえいればそれでいい二人のことだから、自分たちに割り当てられた部屋で仲良くよろしくやっているのだろう。
「ああ……なるほど。確かに、そういう手もあったね」
「ふうむ? タバサや、その『ゆびきたす』というのはなんのことじゃ?」
そう尋ねた瑠螺に、タバサが説明する。
「ユビキタス(偏在)は、自分にそっくりな分身体を造り出す魔法。風の吹くところならどこにでも現れ、ひとつひとつが意思と力を持っている」
もちろん呪文自体が高度なものであるし、並みの使い手では、学院から王宮までの長距離を隔てて維持することは難しいだろう。
しかし、守りの薄い時を狙ったとはいえ、難攻不落と謳われたチェルノボーグをあっさりと破ってのけるほどの使い手であれば、その可能性も十分考慮に入ると思えた。
「なんと。それはまた、強力な術があるものじゃな……」
「ああ。それを誇って、あんたたち風メイジは『風の魔法が最強だ』って言ってるんだっけね?」
一握りのスクウェア・メイジしか使えない呪文だろうにと、フーケが皮肉っぽくそう言ったのを、タバサは表情を変えずに受け流した。
「呪文の系統に、明確な優劣はない。強い弱いは使い手の問題」
「うむ。仙術と同じことじゃな」
瑠螺も同意して頷くと、席を立った。
「さて、わらわはこれから仙宝づくりでもしようかと思うが。おぬしらは、もう休んだ方がよかろう?」
最後に、夜の間の見張りのために変化術を使って『祈願 使鬼哨戒(祈り願う、使鬼に哨戒せんことを)』の術を用いると、それでその夜はお開きとなる。
タバサとフーケはそれぞれの割り当ての部屋で眠りにつき、瑠螺は朝までの間、仙宝づくりに没頭した。
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「……うん?」
瑠螺が夜の間に簡単な仙宝をいくつか作り終えて、そろそろ朝食時だろうかと思っていたとき。
部屋の外に、人の気配がした。
哨戒中の使鬼が警告しなかったということは、外部からの侵入者ではなく、自分たちの借りた部屋の中にいる誰かのようだが……。
そう考えている間に、ドアがノックされる。
「どなたかな?」
ドアを開けると、ワルドが立っていた。
瑠螺も女性にしてはかなり大柄で長身の部類だが、身の丈184サントもあるワルドと対峙すると、さすがに少々見上げるような形になる。
「おはよう、レディー」
「お早いのう、ワルドどの。なんじゃ、朝食のお誘いかな? ロングビルどのは、まだお休み中じゃが」
その問いかけを無視するように、ワルドはにっこりと笑ってこう言った。
「レディー。きみは伝説の使い魔、『ガンダールヴ』なんだろう?」
「……なんじゃと?」
瑠螺が、怪訝そうに眉をひそめる。
その話は自分自身、昨夜オスマンから聞いたばかりだったからだ。
(どうして、この男がそんなことを知っておるのじゃ?)
そう思っていると、ワルドはなぜか誤魔化すような調子で説明を加えた。
「……その、あれだ。僕は前々から、歴史と兵に興味があってね。それで、王立図書館で調べた『ガンダールヴ』のルーンを覚えていたのだが、きみが昨夜剣を握ったときに、左手にそのルーンが輝くのを見たんだよ」
「ほう、なるほど?」
瑠螺は頷いたものの、いささか胡散臭そうな顔をしていた。
一応筋は通っていないこともないが、そんな些細な出来事だけではっきり断定できるほどに確信するとは、妙な話である。
(しかし、ルーンとやらに詳しいからと言って、間者だということにはならぬし……)
単に、観察力が鋭いだけなのだろうか。
だとしたら、さすがと言うべきか。
そんな瑠螺の思案をよそに、ワルドは話を続けた。
「それでだね。その力がどれほどのものかを、ぜひ知りたいのだ。ひとつ、手合わせを願いたい」
「手合わせ、とな?」
「そう。つまり、これさ」
ワルドはにやっと笑って、腰に差した魔法の剣杖を引き抜いた。
瑠螺は、小さく首を傾げる。
「ふうむ……」
それは、メイジと戦う上での参考になりそうだ。
「……そうじゃな。わらわとしては、一向に構わぬが」
「では、決まりだね。この宿は昔、アルビオンからの侵攻に備えるための砦だったんだよ。中庭に練兵場があるから、朝食の前に軽く運動といこうじゃないか」
祈願 使鬼哨戒(祈り願う、使鬼に哨戒せんことを):
召鬼術の一種。使鬼(陰陽の気を人工的に融合させることで作り出された、霊的な存在)に命じ、特定の空間を哨戒させる。
巡ることのできる範囲は周囲1里(300メートル)半径内で、ルートは自由に設定できる。
哨戒中の使鬼は実体をもたず(したがって通常は、発見されたり打ち倒されたりする心配はなく)、指定した範囲内に侵入者や異変があった場合、ただちに術者の元へ知らせに戻る。
この術の効果は、最長で1日の間持続する。