央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第三十九話 瑠螺 成飛翔

 

「面白そう、ときたか……。これはまた、大した自信だね?」

 

 ワルドは笑顔でそう言ったものの、その目つきはやや鋭く、険しかった。

 スクウェアメイジであり、若くして一国の魔法衛士隊隊長まで務めるこの自分がここからは魔法を使うと宣言したにもかかわらず、対峙する瑠螺の態度には気負ったところがまったく感じられない。

 そのことが気に障ったのだ。

 

(たかが数合の打ち合いに競り勝ったくらいのことで、この勝負にも勝ったつもりでいるのか?)

 

 確かに、武技では向こうの方が勝るようだ。

 そのことから、この間合いで一対一ならば魔法を使おうとしたところで詠唱の隙に斬り込んで妨害できる、恐るるに足らず……、とでも考えているのだろうが。

 

(ふん、おめでたい女だ)

 

 間合いの詰まった近接戦闘の状態からでも、杖による刺突に詠唱の動作を交えて敵を牽制しつつ呪文を完成させる実戦的な呪文発動の技法は、軍人にとって基本中の基本。

 実戦においては往々にして、強大な破壊力を持つ高位の呪文よりも素早く発動できる初歩的な呪文のほうが有用性が高いものであり、優れた軍人ならば次にどの呪文を選択するべきかを戦いながら瞬時に判断できるのだ。

 ワルドはもちろんその技術に通じており、加えて『閃光』の二つ名で呼ばれるほど、呪文を完成させる迅速さを高く評価された男でもある。

 武技では多少遅れをとるにもせよ、そうそう呪文の発動を阻止させたりなどはしないという自信があった。

 そして一度呪文が完成してしまえば、同じ呪文で対抗することの出来ぬ平民に為す術はない。

 

 しかし、勝つのは容易いにもせよ、油断したせいで不覚をとったのだなどと思われるのも面白くなかった。

 

 ここは本気で戦わせた上で、負けをはっきりと認識させ、心を折っておきたいところ。

 そうすれば、この旅で使い魔が頼りにならないことを、ルイズも感じ取るだろう。

 その上で、大切な仲間だからこそ置いていった方がいいのだとでも説いてやれば、この小生意気な使い魔も含めた計画の邪魔になり得る者どもを、まとめてここで排除できるかもしれぬ。

 

 そんな皮算用を立てたワルドは、一旦杖を下げて軽く肩をすくめると、にやっと不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

「頼もしいことだが、くれぐれも油断などしないでくれよ? 後悔の無いように、互いに力を尽くそうじゃないか!」

「確かに、互いに礼を尽くさねばのう」

 

 根が素直な瑠螺は、なるほどもっともなことだと頷いて、きりりと表情を引き締め直した。

 

 さて、そうなると。

 向こうが望んでいる『ガンダールヴ』とやらの力が手合わせ用の剣では発動しない以上、ここはこちらも術を披露するのが礼儀に適うだろうと、瑠螺は考えた。

 相手に術を使わせてこちらは素の剣技だけというのでは、手抜き、片手落ちというものだ。

 

(……とはいえ、術を用いるといっても……)

 

 自分の仙術には、手合わせなどで軽々に使えるような代物はあまりない。

 ルイズにも互いに大怪我などはしてくれるなと言われていることであるから、まさかワルド本人を針で貫くわけにはいかないし。

 メイジにとって大切な杖を撃ち砕いたり、曲げたり、溶かしたりなどというわけにもいくまい。

 

(変化術や幻術になら、多少は使えそうなものがあるか。いや……)

 

 どうせ変化術を使うのなら、ここは仲間の力を借りるのがよかろう。

 今のような手合わせで使えそうな術の持ち合わせが豊富な者となると、適役なのは。

 

(葎花師姉か、高林師兄か……。それとも、飛翔の兄上あたりかな)

 

 その中でも、葎花女仙の得意とする巫蠱の仙丹には、眠りをもたらすなどの相手を傷つけずに戦いを終わらせられるようなものがいろいろとあるのだが。

 あるいはこちらの決闘の作法では、自分で作ったものとはいえ、毒物などの使用は卑怯な行為と見なされるかもしれない。

 考えすぎかもしれないが、可能性が否定できない以上、ここは使わずにおくほうが賢明だろうか。

 

(その考えでいくと、高林師兄の技も……。紙だの墨だの、いろいろと使うからのう……)

 

 まあ、剣や杖を使ってよくて紙や墨が駄目ということがあるか、という気もするが。

 消耗品の類を後から取り出すのは、もしかしたらマジックアイテムの類なのではないかといったような、あらぬ疑いを招くかもしれない。

 そうでなくても高林道人のような、こういっては何だが正直言ってあまり上品な見た目とは言えない中年男性に人前で化けるというのも、瑠螺としては今ひとつ気が進まないところではあった。

 

 と、なると、残るは一択。

 

「……では、まずはこちらから一手、拙い芸を披露いたそう」

 

 そう言って、ワルドからなにか問いかけられる前に素早く導印を結んで口訣を唱え、『変化朋友』の術を使う。

 

 たちどころに、瑠螺の姿がざあっと砂のように崩れ、ひとまわり大きな別の姿に変わった。

 対峙するワルドが、目を丸くする。

 

「こ、これは……!?」

 

 それは、精悍な美丈夫だった。

 

 身の丈は、対峙するワルドにも引けを取らない。

 逆立った銀髪と太い眉に飾られた野性味あふれる顔つきは、しかしまた一方ではどことなく幼げな少年の香りを残していて、青年にうつりかわったばかりの年頃に見える。

 所作は軽快で、女のふとももほどもあろうかというたくましい腕も、鍛えられた筋肉が躍動するさまを露わにしているむき出しの肩口や、着衣の上からでもわかる分厚い胸板も、決してごつごつとした印象を与えてはいなかった。

 体を覆い隠すような衣服を身にまとい、柔らかな物腰を心がければ、あるいは優男にすら見えるかもしれない。

 

 これこそが、瑠螺の義理の兄、遙飛翔その人の姿である。

 いや、今の彼はもっと年上の落ち着いた容貌をしているので、正確には道士時代の姿だが。

 

 

 

 少し離れたところにいる立会人や野次馬たちも、その様子を見てざわめいている。

 

「あら。いい男じゃないの!」

 

 そんな場違いなことを言って、キュルケが顔を赤らめた。

 ルイズはそんな級友に、冷ややかな目を向ける。

 

「いい男って、あんたねえ。中身はリュウラじゃないの、色ボケもいい加減にしときなさいよ?」

 

 彼女が変化術を使うところはこれまでにも見たことがあるので、いまさら外見が変わったくらいでは驚かない。

 

「わあ、かっこいい! ねえねえ、レンもあんなふうになりなよ!」

「え、いや。あれは、ちょっと無理じゃないかな……」

「なによう。いっぱい食べて、頑張ればいいでしょ?」

「いっぱい食べるって……、バナナとか?」

 

 よく似た少女と少年とが、わいわいとはしゃいでいる。

 その傍で、彼女らの保護者役である緑色の髪の女性が、呆れたように溜息を吐いた。

 

「……まあ、あいつが何でもありなのは知ってるけどさ。なんでまた、あんな恰好に……?」

「どんな恰好をしていても、あの人はあの人」

 

 などと言いながらも、タバサもじいっと、観察するように瑠螺のほうを見つめる。

 

 その瑠螺はというと、ごつくなった自分の体を確認するように、ひととおり眺めやって。

 手を握ったり、開いたり、ちょっと頬を赤らめて胸板などをさすってみたり。

 それから、心なしか嬉しげに目を細めてみたりと、普段の彼女からすると若干意外な姿を見せていた。

 

 その青年の姿が、瑠螺が兄と思い慕う男のものだなどということは、もちろんタバサは知らぬ。

 ややあって、小さく首を傾げて呟いた。

 

「……趣味?」

 

 剣で戦うなら、この方が強そうに見えるからとか。

 決闘なら、たくましい男同士がぶつかり合う方が見栄えがいいからとか。

 単に、筋肉が好きだとか……。

 

 

 

 そんなギャラリーの反応をよそに、ワルドは鋭い目で瑠螺の方を見つめながら、これは一体どういうことかと考えを巡らせていた。

 

 真っ先に思い浮かぶのは風と水の合成魔法である『フェイス・チェンジ』だが、この変身は明らかにそれとは異なっている。

 大体、いかに伝説とはいえ使い魔に系統魔法が、ましてや最上位に位置するスクウェア・クラスのスペルが使えようはずもないだろう。

 

 と、なると……。

 

「……それも、伝説の使い魔がもつ能力の一種なのかね?」

 

 必要に応じてさまざまな戦士の姿を使い分けられる力、とかだろうか。

 そんな能力が『ガンダールヴ』にあったなどという話は聞いていないが、伝承に残っていないだけだと考えられないこともない。

 

「でなければ、先住魔法とかかな?」

 

 目の前の女、あるいは男は、実は人間ではなく、風の先住魔法で姿を変えた亜人か韻獣の一種だったのかもしれない。

 伝説ゆえの特例ということもあり得ようが、普通は人間が使い魔になるはずなどないのだから、考えてみればその方が自然ではある。

 

 飛翔、の姿をした瑠螺は、それに答えてやろうかとして口を開きかけたが。

 思い直してむっつりと口を閉じ直すと、腕組みをして首を横に振る。

 

「……さあな」

「おや、教えてくれないのかい?」

「なんでもすぐに答えを教えたのでは、知恵を働かせ、ものごとの意味を解き明かそうとする姿勢を忘れるからな」

 

 敵の手の内を暴くこともまた、戦いの一部。

 手合わせなのだから自分で考えてみたらどうかと、そう言ってやった。

 

 本物の飛翔は風水・卜占の厳格な戒律に従うがゆえに、軽々しく本心を語らず、やたらと回りくどく話したり、必要以上に情報を伏せておこうとしたりする習慣があるのだ。

 肉体の変化に伴って、声も口調も、態度も、姿に見合うものに変化している。

 もっとも、声以外については変化術の効果ではなく演技であって、瑠螺本人の気分の問題だったが。

 

「……まあ、そうだね」

 

 ワルドは軽く肩をすくめると、話題を変えた。

 

「それじゃあ、手合わせとは関係ない質問をしようか。……きみは、本当は男なのかね? それとも、女なのか。どちらかな?」

 

 そう問いかける彼の顔は朗らかだったが、目は笑っていない。

 

 その頭には、かつてはあれほど自分に懐いていたはずのルイズが、昨日から思いの外なびいてこないことが浮かんでいた。

 とはいえ他に男ができたなどということもなさそうだし、単に離れていた期間が長すぎたせいだろうと、つい先ほどまではそう思っていたのだが……。

 

(まさか、こいつが相手だなどということはあるまいな?)

 

 そんな疑念を抱くワルドに対して、瑠螺はむっとしたように顔をしかめた。

 そういった顔つきをしていると、ますます本物そっくりに見える。

 

(なんともまあ、不躾な男じゃのう……。わらわが男? そんなわけがあるかやっ!)

 

 もしそうだとしたら、なんでまた普段から異性の格好なぞをして出歩かねばならないのだ。

 いやまあ、央華にもあの来星晶の師母である伯工命のように常日頃から男装をしている女仙とか、その逆に女装をしている男仙とかもいるにはいるが、瑠螺にはそういった趣味はないのである。

 それ以前に、この変化術はごく短時間しか持続しないから、普段から異性の姿を取り続けておくなどということはそもそもできないし。

 

 そういった事柄をいちいち口に出して説明はせず、瑠螺は兄の口調を真似て、不愛想に答えてやった。

 

「手合わせとは関係ない話なら、なおのことどうでもいいだろう。いつまでもつまらんことを詮索してないで、いい加減にかかってきたらどうなんだ」

 

 今度は、より本物っぽくしようとして本人らしい行動を心掛けたのと、気分を害したから教えてやらんという意地悪とが半々である。

 瑠螺には割と拗ねやすい、子供っぽいところがあるのだった。

 

「む……、そうかい?」

 

 そんな彼女の態度が、ますますもってワルドの疑いを深める。

 

 使い魔はどんなメイジにとっても唯一無二の、かけがえのないパートナーだ。

 普通は動物や幻獣だから、男女の仲などになることはないが。

 人間、もしくはそれと区別がつかないほどによく似た存在が使い魔となり、常に傍にいたとしたら……。

 

(その絆を男女のそれと思い違えるということも、あり得る……か?)

 

 無能と蔑まれ続け、その結果として強がった高慢さで人を寄せ付けぬ娘に育ったあのルイズだからこそ。

 ただ初めて自分の近くに留まり続けてくれた相手だからというだけのことで、平民だか亜人だか韻獣だか知らぬが、たかが使い魔を相手に恋をしたと勘違いしたのか。

 

(だとしたら、なんとも滑稽なことだ。馬鹿な娘が!)

 

 まったくもって、貴族の風上にも置けぬ。

 おかげでこちらは要らぬ苦労をさせられると、ワルドは内心で悪態をついた。

 自分のほうこそが思い違いを重ねて、真実からはるか離れた方向に迷走しているのだが、そんなことにはこれっぽっちも気付いていない。

 

「……おい」

 

 飛翔の姿をした瑠螺は、腕組みをしながら苦虫を噛み潰したような顔をして、そんなワルドをじろりとにらんだ。

 

「あんたは伝説の使い魔とやらの力が見たいんじゃなかったのか? いつまでも何を考え込んでいるんだ。戦わんのなら、俺は帰るぞ」

 

 ワルドは薄く笑うと、あらためて杖を構え直しながら、そんな瑠螺の視線を真っ向から受け止める。

 

「おっと、そうだね。それじゃあ再開といこうか……使い魔くん!」

 

 言うが早いか、後方に軽く跳びながら素早く杖を動かし、口の中で小声で呟くようにして、呪文の詠唱を開始する。

 

「ラナ・デル・ウィンデ!」

 

 普通の一呼吸にも満たぬ時間でそれを完成させ、杖を突き出して解き放った。

 杖の前方のあたりでボンっという爆音がして空気が撥ね、見えざる空気の塊が、瑠螺に向けて襲い掛かる。

 

「むっ……!」

 

 この呪文は以前に、タバサが使うところを見たことがあった。

 確か『エア・ハンマー』とかいう、空気でできた不可視の鉄槌を放つ術だ。

 

 瑠螺は杖の向きや空気の動きから軌道と着弾のタイミングを見切り、さっと横に飛んでそれをかわすと、地を蹴って素早く方向転換し、ワルドに向けて斬りかかろうとする。

 

「おっと」

 

 しかし、ワルドもそのくらいのことは予期していた。

 最初の呪文を放つや、それが命中するのを待たずに油断なく身構えながら、即座に次の呪文の詠唱に入っている。

 

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」

 

 斬りかかろうとする瑠螺から離れるように斜め後ろに跳びながら、間一髪で完成した呪文を解き放つ。

 途端に、強烈な爆風が吹きつけた。

 

「ぐおっ!?」

 

 咄嗟に、砂煙から目を庇うように腕を持ち上げて姿勢を低くし、全身に『気』の防壁をはりめぐらす。

 その甲斐あってか吹き飛ばされることは避けられたものの、追撃の足は止められてしまった。

 

 顔を上げると、距離を取り直したワルドが、次の呪文を放とうとしている。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちをしながら斜め後方に跳んで、紙一重でまた『エア・ハンマー』をかわした。

 

 その後も爆風で足止めして距離を保ちながら、隙を見ては空気の槌や風の刃を撃ち込むという攻撃が続けられる。

 瑠螺は防戦一方で、なかなか斬り込めないでいるようだった。

 

 

 

「リュウラ、思ったより苦戦してるみたいね……。さっきの攻撃なんか、もうちょっとで当たるところだったわ」

「ああ、もうっ!」

 

 キュルケがやや意外そうに、ルイズははらはらした様子で、二人の戦いを見守っている。

 しかし、二人の傍で同じように戦いの様子を見ていたタバサは、小さく首を横に振った。

 

(子爵の攻撃は、もう見切られている)

 

 瑠螺は確かに、きわどいところでかろうじて攻撃をかわしているように見える。

 このままでは、遠からずやられてしまいそうに思える。

 

 だが、観察力の鋭いタバサには、彼女(今は彼、かもしれないが)の動きが回を追うごとに小さく、必要最小限のものになっていっていることがわかった。

 最初は大きく跳んで余裕をもってかわしていたが、つい先ほどの攻撃をかわすときにはほんの半歩、横に動いただけ。

 それはつまり、空気の動きによってか、音によってか、あるいは魔力や『気』とやらの流れによってか、それはわからないが、攻撃が来るタイミングとその有効範囲とを正確に見切ったということだ。

 いくら不可視とはいえ、達人を相手に何度も同じ攻撃を繰り返せばそうもなるだろう。

 

 いちいち大きく避けないで済むようになったということは、つまり、こちらの態勢の崩れが最小限で抑えられ、相手の攻撃の隙を突きやすくなったということ。

 と、なれば、そろそろ瑠螺の側が反撃に回るはずだ。

 

(……でも、子爵にはまだ『ウィンド・ブレイク』がある)

 

 広範囲に爆風を巻き起こすかの呪文は、『エア・ハンマー』や『エア・カッター』とは違い、まず回避できるものではない。

 放たれれば、たとえ吹き飛ばされずにこらえられたとしても、どうしても一瞬は足止めをくらってしまい、その隙に間合いを取り直されてしまうだろう。

 

(あの人は、どうやって攻略するつもりなのだろうか)

 

 タバサは、戦いの行方を注視した。

 

 

 

「僕の呪文を、一度ならずかわし続けるだけでも驚異的だが。さすがに、踏み込んではこれないようだね?」

 

 ワルドは一旦攻撃の手を止めると、にやりとした笑みを浮かべた。

 このまま続けても遠からず被弾させられるだろうが、挑発して相手のミスや性急な行動を誘えればなおよい、とでも思っているのだろう。

 

 瑠螺はしかし、焦るでも怒るでもなく、むっつりとした顔で軽く首を横に振った。

 

「そうでもない。……が、いずれにせよ、遠からずそちらのほうから間合いを詰めたくなるだろうな」

 

 予言めいたその言葉を、ワルドは一笑に付した。

 

「それは挑発のつもりかい? それとも、このままいけばこちらの精神力が切れるとでも思っているのかな? 生憎だが、まだまだ何十発でも撃てるよ。その前に、きみの方が疲れ切ることになるさ」

 

 ワルドの言葉は、決して強がりなどではない。

 

 メイジとしてのランクが上がれば、同じ呪文を使っても、精神力の消費は少なくて済むようになる。

 彼のような最上位のスクウェア・クラスのメイジともなれば、ドットやライン程度の呪文を十発やニ十発放ったところで、大した消耗にもならないのだ。

 どう考えてもこちらの精神力が尽きるより、激しく動き回っている相手の体力が尽きるか、注意力が切れるのが先だろうと、そう踏んでいる。

 

「百聞は一見に如かずか。行くぞ!」

 

 瑠螺はそう言うと同時に、剣を握った右手の人差し指と中指とをぴんと伸ばして、空中に何か複雑な図形のようなものを描き始めた。

 

 その鉄剣は、いつの間にか形状が少し変わり、軍神の星とされる北斗七星の紋様が浮かんでいた。

 変化術によって肉体だけでなく身に帯びた装備品の形状も似せられて、本物の飛翔の武器である『七星剣』を模したのである。

 もちろん見た目だけで、性能自体は変化していないが。

 

「! させんよ!」

 

 さては先住魔法か何かを使うつもりかと考えたワルドは、妨害のためにすかさず最短の詠唱時間で放てる攻撃呪文、ドットスペルの『エア・カッター』を放つ。

 

 しかし、既にその攻撃を何度も見てきた瑠螺は、ほんの少し体をひねっただけで、飛来した風の刃を危なげなく回避した。

 その直後に、並の人間ならば数分はかかりそうな複雑な形状をした図形をわずか一呼吸の何分の一かの時間で描き終えると、そこに向かって左の手刀を振り下ろす。

 

「……がふっ!?」

 

 同時に、ワルドが苦痛の呻きを上げた。

 風水の図形によって瑠螺の眼前と彼のすぐ横の空間とがつなげられ、振るった手刀の衝撃が空間を渡って、ワルドの脇腹を抉ったのである。

 

「こ、これは……っ!?」

「これは、飛斬の術というものだ。覚えておけ」

 

 瑠螺は心なしか誇らしげに胸を張ると、参考のためにともう一度術を紡ぎ、今度は右手に握った鉄剣を振り下ろした。

 斬撃が空間を飛び越え、ワルドの足元の地面がすっぱりと切り裂かれる。

 

「……ぐっ」

 

 ワルドはその様を見て、顔を歪める。

 

 あんなもの、かわしようがない。

 まさか、こんな能力を隠し持っていようとは。

 

(先住魔法か?)

 

 いや、精霊の力を借りてこんなことができるとは思えないし、このような術を使う妖魔や幻獣がいるという話も聞いたことがない。

 となるとやはり、これも『ガンダールヴ』の力……?

 

「さあ、どうする。このまま、間合いを離して撃ち合ってみるか?」

 

 そんな瑠螺の言葉で、ワルドははっと我に返った。

 今は、そんなことを詮索している場合ではない。

 

「……ちいっ!」

 

 ワルドは脇腹の痛みをこらえると、猛然と突進して、瑠螺に突きかかっていった。

 

 一国の魔法衛士隊をまとめるだけあって、さすがに決断は早く、思い切りもいい。

 間合いを詰めて斬り合い、敵に先の技を使うだけの余裕を与えない。

 近接戦の技量では後れを取るにもせよ、使われれば回避のしようがない以上、それしか道はないだろう。

 

 先の相手の予言通りになった形だが、そのことに気付くだけの余裕も、それを屈辱と思うような暇も、今の彼にはなかった。

 

「はあああっ!」

 

 ワルドはその二つ名の通り、閃光のような速さで突きを繰り出し続ける。

 

 一見すると、とにかく敵に反撃する隙を与えまいとして、盲滅法に攻撃しているだけのように見えた。

 しかし、注意深く観察するとその突きには一定のリズムと動きがあり、口の中では小さく呪文の詠唱を呟いているということがわかる。

 これこそが、杖を剣のように扱いつつ詠唱を完成させる、軍人にとって基本である近接戦闘時呪文詠唱の技術なのだ。

 

 武技で後れを取る以上、接近戦は危険だが、それは相手にとっても同じこと。

 これだけの近距離であれば、とにもかくにも呪文を完成させて放ってしまいさえすれば、もはやかわせるものではない。

 

(よし……!)

 

 対峙する相手に気付いた様子はない、反撃や妨害を入れてくるでもなく、突きの受け流しだけに専念している。

 あるいは、もはや勝ったも同然と油断して、様子見をしているのか。

 

(その慢心が命取りだ、『ガンダールヴ』!)

 

 心の中でそう叫ぶと、ワルドは杖の切っ先を横から叩きつけるように振り、完成した呪文を解き放った。

 ボンっと音を立てて、空気が撥ねる。

 小賢しい使い魔はそれを食らって紙切れのように中庭の端まで吹っ飛ばされ、積み上がった樽に叩きつけられるはずだった。

 

 が、しかし。

 

 それよりも早く、瑠螺が目にも止まらない速さで両の手を動かして左右対称に印を切り、ぱんっと叩きつけた。

 同時に、ワルドの目に見えている景色が一瞬にして変化する。

 彼と瑠螺との空間的な立ち位置が、術によって瞬時に入れ替わったのだ。

 

「……!!??」

 

 しかし、彼には何が起こったのかを理解するだけの時間はなかった。

 次の瞬間には、自分自身が放った空気の鉄槌に横殴りに吹き飛ばされて十メイル以上も宙を舞い、積み上げられた樽の山に突っ込む破目になったからである。

 

 瑠螺はそんなワルドの元へ一足飛びに駆け寄ったが、もはや追撃をかける必要はないとわかった。

 まったくの不意討ちで予期せぬ方向からの強烈な衝撃を受けたことで、彼は完全に失神していたのだ。

 

「これで、勝負ありだな」

 

 気を失ってはいるが大した負傷ではないことを確かめると、瑠螺はワルドの落とした杖を拾い上げて、そう宣言した。

 

 

 

「ワ、ワルド! 大丈夫!?」

 

 ルイズが、あわてた様子で駆け寄ってきた。

 念のためワルドに金丹の煙などを吹きかけてやっていた瑠螺は変化を解くと、小さく頷く。

 

「なに、心配ない。ただ気を失っておるだけで」

 

 言い終えないうちに、むこうずねを蹴られた。

 

「あいた! こ、これ、ご主人。なにをするのじゃ?」

「なにが大丈夫よ! 気絶してるし、どう見てもやりすぎじゃないの。怪我しないようにって言ったでしょ!?」

「あ、いや……。しかしじゃな、こやつは、自分自身がわらわにぶつけようとした呪文で吹き飛ばされたわけであるから。これは、そんな術を使った側の自業自得というもので……」

 

 ワルドの言動がちょっと不愉快だったので、やっぱり少し痛い目を見させてやろうかと思わないでもなかったのは確かだが。

 

「うるさい! やかましい! 言い訳しない!」

 

 ぎゃーぎゃーと騒いでいる主従を、他の同行者たちが苦笑しながら見つめている。

 最終的にタバサが、二人を杖で小突いて黙らせた。

 

「いいから朝食。お腹空いた」

 





遙飛翔(ようひしょう):
 風水・卜占の洞統に属する仙人で、蒼空山風洋洞の洞主。
人々に悪戯をはたらいていた仔狐時代の瑠螺を高林道人と共に懲らしめて改心させ、仙人の道に進ませた男であり、瑠螺からはそれ以来兄として慕われている。
たまに、瑠螺のことをその頃の偽名(太上準天美麗貴公主)で呼んでからかったりもしている。
また、小説版の主人公である来星晶がよく口喧嘩をしながらも、密かに想いを寄せていた相手でもある。
道士時代には彼女から『筋肉莫迦』とあだ名をつけられるほどに隆々とした体格であったが、外見によらず思慮深い一行のリーダー格で、いつももってまわった話し方をし、すぐに説教を始める癖があった。
現在ではかつて逆立てていた髪も長く垂らし、黒々とした美髯をたくわえて、すっかり落ち着いた印象になっている。

風水・卜占(ふうすい・ぼくせん):
 央華世界の法則である「大道」を読み解き、世界の行く末やその構造を把握する仙術系統。
風水は空間、卜占は時間に関わる。
この系統の術者はいかなる時も相手の機先を制することができ、空間を縮めて飛び越え、あるいは拡張して壺の中に住居や庭園を造り、何もない虚空に身を隠す。
卓越した術者ならば過去を改変し、未来を予見するばかりか規定することさえもできるようになるという。
また、時空間を組み替えて「陣」と呼ばれる特殊な空間(「封神演義」における十絶陣など)を作り出すのも、風水・卜占の極意である。
 この系統の仙術は口訣を必要としないが、導印は必須であり、印を結べない状態では使用することができない。

七星剣(しちせいけん):
 風水・卜占の仙宝の一種で、刃に軍神の星である北斗七星の紋様を刻んだ青銅剣。
剣としての性能そのものは通常の鉄剣と同程度だが、刀身の帯びた霊気によって、実体のない鬼(幽鬼)も斬ることができる。
また、悪しき妖怪や邪仙、不浄な土地などが漂わせる陰の気にさらされると刀身が曇り、所有者に危険の存在を知らせる。

我知世理飛斬(我、世の理を知り、斬を飛ばす):
 空間を歪ませ、その場に居ながらにして離れた目標に手持ちの武器で攻撃を加えることができるようになる、風水・卜占の仙術の一種。
この攻撃に対しては通常の回避や受けは不可能だが、代わりに抵抗を試みることができ、成功すれば攻撃を避けられる。
風水・卜占の一般的な仙術では唯一、敵に直接的なダメージを与える攻撃術である。

我知空理替位(我、空の理を知り、位を替える):
 術者の視界内にある二者の位置を入れ替える、風水・卜占の仙術の一種。
この術は敵の行動に割り込んで使用することもできるので、味方が攻撃を受けそうになった時に敵と位置を入れ替えれば、同士討ちや自爆をさせることもできる。
作中では、ワルドが呪文を放った直後に使って、自分と彼の位置を入れ替えることで自爆させている。
 ただし、対象となる二人のうち片方でも抵抗に成功すれば、術は効果をあらわさない。
瑠螺は先に放った飛斬の術が抵抗されなかったことからワルド相手なら通るだろうと判断したが、そのような使用法はリスクが大きいといえる。
実際のゲームでは、抵抗力の低い取り巻きのザコ敵あたりを対象に選ぶか、より確実を期するなら攻撃を受けるだけの余裕がある別の味方と(もちろん双方合意の上で)入れ替えるのが常道であろう。

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