「……んむ?」
外に出た瑠螺は、なにやら巨大な動物が自分と同じように学院の窓から離れ、中庭に降り立つところを目撃した。
「はて、あれは……」
確か召喚の儀とやらの折に生徒らの近くにいたな、と瑠螺は思い出した。
つまり、自分と同じ使い魔というやつだろう。
ちょっとずんぐりしてはいるが、少しばかり央華の龍族に似ているような気もする。
あるいは、このあたりに住む龍族の仲間なのかもしれない。
実際、この世界では人間も、ルイズを始め多くの者は、央華の人間とは目鼻立ちや髪の色などがだいぶ違っているようだった。
それが正しいかどうかはさておいても、その生物のなにやら不満げな仕草の端々からは、間違いなく高い知性があるであろうことが感じられる。
(ここで出会うたのもなにかの縁、ひとつ挨拶をしておくかの)
瑠螺はそう考えて、飛葉扇をこれから丸まって寝ようかとしているその生き物のすぐそばに降り立たせると、声をかけた。
「もし、ご同輩。お休みになるところをすまぬが」
「きゅい?」
大きくつぶらな青い瞳が、瑠螺を見つめる。
「わしはルイズという娘に召喚されて来た、瑠螺と申すものじゃ。同じ使い魔として、これからよろしくお願いいたす」
瑠螺は両の手を袖口に納めて合わせると、そう言って頭を下げた。
その龍っぽい生き物は、挨拶をしてもらえたことに、心なしか嬉しそうな顔になる。
「こち――」
が、口を開いてなにやら返事をしようかとしたところで突然固まって、困ったように視線を泳がせた。
しばしの後に開きかけた口を閉じて、こくこくと頷く。
「?」
瑠螺は、なぜ急に押し黙るのかと首をかしげた。
先ほどその口から、明らかに言葉らしい響きの音が飛び出しかけたのを聞いたし。
龍族にしてはあまり大きくないから比較的若いのかもしれないが、そうであるにしてもこちらの言うことは間違いなく理解しているはずなのだが。
(シエスタと同じように、人外の種族にして言葉を解するだけの知性をもつ存在であることを、余人に知られるのを恐れておるのかの?)
単に巨大なだけの動物と、知恵のある妖物とでは、確かに大きな違いがあるだろう。
龍族は央華の世界における鱗類の長であるが、生まれついての龍もいれば、他の生き物、たとえば鯉などから『昇格』するものもいる。
その知恵や力のほども個体によって千差万別であり、上位にあたる龍王ともなれば仙人に匹敵する存在であるが、ごく下位の龍族である蛟(みずち)などは、その大半が単に大きく強いだけの動物に過ぎないのだ。
とはいえ、龍のような姿をした巨大な生き物という時点で普通の人間にとっては十二分に恐ろしい存在であろうし、であれば言葉を理解しようがしまいが大した違いになるとも思えないのだが、まあ、こちらにはこちらの事情があるのかもしれない。
「……ふむ、名前も教えてもらえぬのは残念じゃが。まあ、故あって口を開きたくないのであれば仕方ないのう。……では、これにて」
好奇心はあるものの、初対面の相手に強いて問い質すようなことではあるまい。
瑠螺はもう一度頭を下げると、くるりときびすを返した。
が、そこで。
「うん?」
その龍のような生き物は、引き留めるように首を伸ばして、瑠螺の肩を背後からつんつんと口で小突いたのである。
それから、振り向いた彼女に、乗れ、というように、自分の背をくいくいと示してみせる。
「なんなのじゃ、一体」
瑠螺は怪訝そうに眉をひそめたものの、とりあえず相手から悪意は感じられない。
ひとまず要求にしたがうことにして、飛葉扇を袖にしまい込むとたんと地を蹴り、その生き物の背に飛び乗った。
「きゅいっ」
龍のような生き物は、瑠螺が乗ったのを確認すると一声鳴いて翼を大きく拡げ、一気に空へと飛びあがった。
上昇気流を器用に捉えて、矢のような速さでぐんぐん上昇していく。
(おお、これはなかなか速いのう)
瑠螺は急な動きにあわてるでもなく、のんびりとそう考えた。
彼女の師である紫目娘々が使っている乗騎の赤睛黄烟獣は、鳥の速さを倍にして、さらにその倍にしたほども速く、ほんの数呼吸のうちに雲の高さまでも駆け上がることができるのだ。
この使い魔も並みの仙馬などよりはかなり速いようだが、今さらこのくらいの急加速で驚いたりはしない。
雲を眼下に臨むほどの高空にまで達すると、その生き物はようやく上昇するのをやめて、口を開いた。
「……わたしがしゃべったことは、内緒にしといてほしいのね。ここなら誰にも聞かれないから、そうすればあのちびすけにも文句はないはずなのね」
そう断りを入れて了承を得るや、背中の瑠螺に対して、一気にあれもこれもとまくし立て始める。
まず、自分の名前はイルククゥだという名乗りから始まって。
自分は家族と共に人里離れて隠れ住んでいた、風韻竜という知恵あるドラゴンの一族(瑠螺の理解した限りでは、ドラゴンとはやはり龍族の一種、またはその亜種族であるらしい)なのだとか。
二百歳を過ぎても同族たちから外の世界を見ることを許されず、あまりに退屈だったので、たまたまやってきた召喚の要請に応じてやったのだとか。
でも、その召喚主がぜんぜんすごそうじゃないちっぽけな小娘で、しかも偉大なる風韻竜であるこの自分に対してやたらとぞんざいな扱いをするので、召喚されてからこのかた不満たらたらなのだとか……。
「あのちびすけ、これからはしゃべっちゃダメだなんていうのね! わたしが風韻竜だって知られたら面倒だからとか、わけのわかんないことを言って! 横暴だわ! このイルククゥが許しても、大いなる意思はきっと、あの小娘のちびさかげんを許さないのね!」
「まあ、まあ。不満なのはよくわかったし、無理もないことかとは思うが。あまりそう、人のことを悪しざまに言うものではないぞよ」
瑠螺は、よしよしと首筋のあたりを撫でてやりながら、ぷんすかしているイルククゥをなだめるように説いて聞かせた。
「察するにそのタバサとかいう娘も、おぬしの身を案じればこそ、そのように言いつけたのではなかろうかの」
「きゅい? どういうことなのね」
「だって、こちらのほうではそなたらのような韻竜という種族は、絶滅したと思われておるのであろ? それがまだおったとなれば、どこの誰が捕らえて自分のものにしたがるやらわかったものではあるまいからのう……」
そう言って少し遠い目をする瑠螺は、昔、龍の味をぜひ知りたいからと、その肉を所望した人間の王に出会ったときのことを思い出していた。
道徳的に多少いかがわしくても、いや、なればこそ珍しいものを試してみたがるのは、彼らの性というものなのであろう。
多くの人間は、そのようなことは求めても叶わない高望みで、身の破滅につながることだと思うから手を出さないが、力や地位があればまた話は変わってくるものだ。
そして世界が変わろうと、人の心というのはそうそう変わるものでもあるまい。
特に、ここでは普通の人間よりも遥かに力のあるメイジとやらがありふれているようだし、彼らの多くは貴族としての権力を持ってもいるらしい。
なれば、中には竜を無理矢理にでも捕らえて飼おうとか、食おうとか、研究に使おうとか考える者も、少なからずいることだろう。
「きゅいっ!? ……そ、そういうものなのね?」
イルククゥは困ったような顔になって、うーうーと唸った。
確かに、人間は弱いが魔法を使うメイジだけは油断ならないと、両親からも聞かされている。
もしや、喋らないようにと言いつけたのも、そこらにいるただの風竜であるかのようにぞんざいな扱いをするのも、すべては周囲の目を欺いて、自分の身に危険が降りかかるのを防ぐためだったのだろうか。
小さくてやせっぽっちな小娘だし、変な色の髪の毛だし、いつもぼんやりしたような眠そうな目をしてもいるけれど、実はそこまで考えていたのだとすれば……。
「……きゅい、まあ。そういうことなら、仕方ないかもなのね……」
そう言うイルククゥの声の調子には、嬉しさとかくすぐったさとか、半信半疑とか不満とかいったさまざまな感情が、微妙に入り交じっているようだった。
「でも! だからって、このままずっとしゃべれないなんて困るのね!」
「それはまあ、そうじゃのう」
「でしょ? リュウラさん、あなたかしこいみたいだから。なにかあのちびすけも納得するようないい方法を、あいつに教えてやってほしいのね!」
「なに? それは……つまり、わしにおぬしのご主人に口をきいてくれということかの?」
「そうなのね。見たところ、あいつは子どもみたいだから、あなたみたいな大人の言うことなら聞くに違いないわ! これは名案なのね!」
得意げにふんぞり返って首を伸ばすイルククゥの様子を見て、瑠螺は軽く頭を押さえると、内心で突っ込みを入れた。
(聞くかっ。そもそもわしは、おぬしの主人とはまだ話したこともない、赤の他人ではないかやっ)
このドラゴンとやらの実年齢は二百歳以上ということだが、精神的にはかなり幼いようだ。
もしも、瑠螺に一番弟子の悠季を幼少の頃から迎え入れて育てた経験がなければ、うんざりしていたことであろう。
が、まあ。
いたいけな幼子の頼みとあっては、なんとかしてやらねばなるまい。
「……そうじゃのう。イルククゥよ、おぬしは人間の姿に化けることはできぬのかや?」
・
・
・
「――もし、お頼み申す。もし」
こんこん、と自室の窓がノックされる音と声とで、タバサは目を覚ました。
すぐに傍らの杖を握って窓の外を見ると、なにやら奇妙な装いの女性が二人、巨大な扇のようなものに乗っかって、そこに浮かんでいる。
(何者?)
タバサは記憶の糸をたぐって、そのうちの一人が昼間に召喚された、同級生の使い魔であることを思い出した。
もう一人の方にはまったく見覚えがなかったが、見たところ二十代ほどのスタイルのよい女性で、その整った顔立ちと青色の長髪からすると、あるいはガリア王族の関係者だろうか。
「……」
杖を握る手に、力がこもった。
いずれにせよ、この女性たちはまったく心当たりのない来訪者である。
あるいはガリアから自分が受けている任務に関わりのある者かとも思えど、ならばなぜ召喚されたばかりの同級生の使い魔が、そこに加わっているのだろうか。
はたして、この窓を開けるべきだろうか……?
「お休みのところを窓からなどと、大変失礼かとは思うのじゃが。何卒、あなたの使い魔のために、お時間を割いていただくわけにはいくまいかのう?」
瑠螺が警戒している様子のタバサにそう言って頭を下げると、傍らの女性も横から口を挟んだ。
「そうなのね。ちびすけ、早くこの窓開けるのね!」
瑠螺も初めてのことで興味深く見せてもらったのだが、このイルククゥが人間に化けているのは齢を経た妖物が自然に体得するような妖術によるものではなく、『精霊魔法』というこちらのメイジの使うのとはまた違う体系の魔術によるものであるらしい。
変身している間ずっと魔力とやらを使うので、その間他の術がほとんど使えなくなってしまうという欠点はあるものの、感情の昂りによって一時的に変身が解けてしまったりといった問題は起こらないのだという。
彼女のような精神的にまだ幼い者でもほとんど露見の心配なく変身し続けていられるという点では優れていて、好都合だといえるだろう。
ちなみに彼女が今身に付けているのは、裾を引きずるほどの長さの、ハルケギニアでは見かけないデザインの絹の衣だ。
瑠螺が昔着ていたもので、変化の魔法とやらで人間に化けたはいいものの裸のままだったイルククゥのために、袖の奥の方から引っ張り出して貸してやったのである。
幸い、二人とも女性にしては長身でスタイルもよい似通った体格をしていたため、着られないほどにはサイズは違わなかった。
「…………」
タバサはそれで警戒を解いて、杖を握る手の力を緩めた。
と、いうよりも、頭がくらくらしてきて力が抜けた、といった方が正しいだろう。
ほんのちょっと目を離した隙に、この使い魔は一体また何をしてくれているのか。
やむなくベッドから出て二人を迎え入れると、すぐにまた窓を閉めて、自分の使い魔が化けた方の女性の頭を握り直した杖で殴った。
「痛い! なにするのね!」
「しゃべるのは禁止といったはず」
「この人に話しかけられたから返事しただけなのね! ね?」
イルククゥは、不慣れな人間の体ゆえの珍妙かつ過剰な動き方で、抗議するように腕をばたばたと振りながら瑠螺の方を見た。
先ほど一人でタバサと話していた時には彼女の無言の圧力に負けて抗議もそこそこに大人しく従っていたのだが、今は『保護者付き』だと思って強気になっているらしい。
そういうところは、やはり子供なのであろう。
瑠螺は心の中で軽く溜息を吐いたものの、仲裁に入ってやった。
「まあ、その通りなのじゃ。なにやら振る舞いが知恵のありそうなふうに見えたもので、通りがかりに挨拶をと思うてのう。よもや、話してはならぬ相手じゃなどとは思いもせなんだ。イルククゥどのも、話しかけられた以上は返事をせんでは礼儀にもとると思われたのであろう。話は高空でいたしたゆえ、他に誰も聞いてはおらんはずじゃ。何卒、許してやっておくれ」
そう言って、両手の袖を合わせ、丁重に頭を下げる。
タバサは、そんな瑠螺の顔をじっと見上げて、ぽつりと一言。
「このことは、内緒に」
「もちろんじゃ。幸い、というべきかわからんが、わしのご主人は『感覚の共有』とやらはできんらしいのでな。ルイズにも、知られる心配はなかろう」
「……感謝する」
タバサはそう言って軽く頭を下げたものの、目の前の相手がはたして信頼できるものなのかどうか、まだ計りかねていた。
もしもこの使い魔が信頼できない相手だとしたら、彼女とその主人とに、厄介な弱みを握られてしまったことになる。
彼女の主人であるルイズはメイジとしては落ちこぼれなものの努力家で、人間的には信頼できる人物だとは思うのだが、ほとんど話したこともない。
しかも自分の友人であるキュルケとは犬猿の仲で、実家同士も昔から折り合いが悪いと聞いている。
とはいえ、口を割らないよう脅しをかけるなどというのはやりすぎだろうし。
後々、面倒なことにならないよう祈っておくしかないか……。
「ほれ、イルククゥや。タバサどのはやはり、おぬしの身を案じてくれておるのじゃ。だからこそ、わしにもおぬしの正体を伏せておいてくれと頼まれるのではないか」
そんなタバサの悩みをよそに、瑠螺はイルククゥの頭をぽんぽんと撫でながら、諭すように穏やかに言い聞かせた。
「なれば、頼みごとの前に。まずは、ご主人に対して言うべきことがあろう?」
「うー……」
イルククゥはしばし、不服そうにもじもじしていたが、やがて瑠螺の手に半ば押されるような形で頭を下げて、おずおずと口を開いた。
「あ、あの、タバサさま。どうもありがとう。いろいろ考えてくださってたのに、わたし、ちびすけとかなんとか、失礼なことをいったのね。リュウラさんにいわれて気付いたのね、ごめんなさいなのね……」
「…………」
タバサは、突然使い魔から感謝されて、謝られて、きょとんとした。
まったくもって予想外の言葉だったからだ。
召喚してまだ半日の付き合いとはいえ、この風韻竜として気位が高いくせに子供じみているらしい使い魔が、まさかそんなことを言いに来るなんて思ってもみなかったのである。
もっとも、常日頃から感情を表に出さないように訓練してきた彼女の顔には、見た目にはまるで変化はなかったが。
イルククゥはそこでがばっと顔を上げて、しおらしい態度から一転してまくしたて始めた。
「……でも! だからって、ずっとしゃべれないなんて困るのね。わたしだっておしゃべりしたいのね。だから、提案をするの!」
勢い込んでそう言うと、後はお願いなのね、というように、頼りにした目で瑠螺の方を見る。
瑠螺は肩をすくめると、タバサのほうに向き直った。
「あー、その。あまり我慢をさせすぎても、不満がたまって、かえってボロが出るやもしれぬし。どうか、この人の姿でおるときは、話してもよいということにしてやってはいただけぬかのう……?」
赤の他人がしゃしゃり出てと思われるじゃろうが、この子に口添えしてくれと頼まれて……と、瑠螺は申し訳なさそうに頭を下げる。
そんな二人の様子を見ているうちに、タバサの心の中に何か温かいものが生まれて、疑念や不安がすうっと消えていった。
この女性がこちらの弱みを握って利用しようと考えているなんて、そんなことはあるはずがない。
「ミス・リュウラ、頭を上げてほしい」
タバサはそう言うと、もう一度、使い魔の頭を杖で小突いた。
「きゅいい!? 何でまた殴るのね!」
「この人に迷惑をかけた罰。頼みがあるのなら、自分だけで言いにくるべき」
冷たくそう言ったものの、タバサは、変身は絶対に人目につく場所で行わないことという条件を付けた上で、その提案を受け容れた。
さらに、人に聞かれる恐れのない上空三千メイル以上の高さまで上昇したときも話してよい、と付け加える。
「きゅい! ありがとうなのね、タバサさま!」
「さまは要らない」
「わしのことも、ただのリュウラでよいぞ。わしは別に、貴族でもなんでもないからのう」
公主などと名乗ってはいるものの、それは女性の仙人がよく自称する称号の一種に過ぎず、もちろん狐の生まれである瑠螺は実際には皇族などではない。
昔、まだ仙人になる前の悪さをして回っていたいたずら狐だった時期に、『太上準天美麗貴公主(だいじょうじゅんてんびれいきこうしゅ)』などという大仰な名前を名乗っていた黒歴史があるので、その名残のようなものである。
当時の自分を知る仲間から、いまだに時折その名前で呼ばれることがあるのには辟易しているが。
「それでは、わしはこれで。……ああ、余計な世話かもしれぬが。せっかくあの子が人型になったのじゃから、今宵は同じ寝床で語り明かされてはどうかのう?」
他にも言い含めておかねばならんことが残っているかもしれぬし……と、タバサに耳打ちする。
なにせ幼い上に人間の社会に疎く、おまけにおしゃべりな性格のようであるから、実際に学院内を人の姿でうろつき出す前にあらかじめいろいろと言い含めておかなければ困ったことになるかもしれない。
そうでなくとも、召喚したばかりの使い魔とこの機により理解と親睦を深めておくというのは、悪いことではあるまい。
「そうする」
タバサはこくりと頷くと、今度こそ散策に出ようと窓から去っていく瑠螺の背に、ぽつりと呟くように声をかけた。
「一個借り」
その声には、ほんの少しだけ、嬉しそうな調子が混じっていた……。