央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第四十一話 夸父逐日

 

「……あー。それは、つまり? おぬしは、ご主人らを先に行かすために、わらわと上の三人とにはここで捨て石になってほしいということかや?」

「死ぬとは限らないが……。悪く言えば、そういうことになるな」

 

 ワルドはいかにも沈痛そうな面持ちをしながらも、きっぱりとそう言った。

 ルイズはぎょっとした様子で、そんな彼に食ってかかる。

 

「そんな! メイジが自分の使い魔を置いていくなんてことが、できるわけないでしょう!?」

 

 それに、フーケやリン、レンは、本来ならこの任務とは関係なかった人々なのだ。

 アルビオンに詳しいからということで、無理を言って案内を引き受けてもらっただけなのである。

 

「それを、置き去りにしていくだなんて!」

 

 そう訴えたが、ワルドは重々しく首を横に振る。

 

「僕もすまないとは思う。しかし、現地での案内役は必須というわけではないし、これは姫殿下からの重大な任務だ。どんな犠牲を払ってでも、達成せねばならない」

 

 ルイズはさらに何か抗議しようとしたが、瑠螺がそれを手で制して、質問を挟んだ。

 

「それで。おぬしは半分だけにここで戦わせて、その間にもう半分には何をさせようというのじゃ?」

 

 そのあたりのことが、いまひとつよくわからない。

 普通に考えれば、全員で戦わずに一部だけを戦わせようということは、その間に残りはどこか裏口なりから脱出する算段なのだとは思うが。

 とはいえ、船は明日までは飛べないという話だったし、ここを脱出したところで行く場所がないのではないか?

 

 そんな瑠螺の疑問に、ワルドが答えた。

 

「きみたちがここで派手に暴れて敵をひきつけてくれれば、その間に僕らは裏口から出て、桟橋へ向かう。こうなった以上はなんとかして、船を早く出させるように交渉しよう。任務の件が敵方にばれているとわかった以上は、翌朝までここで待つわけにはいかない」

 

 それを聞いて、瑠螺は怪訝そうに眉をひそめる。

 

(急かせば船を早く出させることも可能だろうというのかえ?)

 

 だったらなぜ昨夜ここについた時点でそうしようとしなかったのかと、瑠螺は呆れと疑念とが半々に入り混じった目で、ワルドをじっと見つめた。

 

 この世界に詳しくない彼女では、船を出してくれるように自らが交渉することはできない。

 しかし当然ながら、ワルドができる限りの交渉を昨夜の時点で既に行ってくれていて、それでも無理だったのだろうと思っていたのだ。

 

 それがそうではなかったとは、一体どういうことなのか。

 

 姫君からの極秘の任務である以上は、取れる限りの手を尽くして急ぐのが、彼の立場としては当然の行動ではないのだろうか。

 実際、昨夜のうちに出発してさえいれば、ここでこうして敵からの襲撃を受けることもなかっただろうに。

 

(こやつ、本当にあの姫君からの依頼を果たす気があるのじゃろうな?)

 

 そんな彼女の胸中に気付いているのかいないのか、ワルドは瑠螺を厳しげな面持ちで見つめ返す。

 

「どうかな。困難な役目だとは思うが、きみの主人のためだ。引き受けてはくれないか?」

 

 瑠螺はそれを受けて小さく肩をすくめると、疑念を一旦脇に置いた。

 

「そうすることが皆の望みだというのなら、いくらでもやって差し上げるがな」

 

 つんと顔を逸らしながら、返事をする。

 

「聞いてのとおりだ。裏口に回るぞ」

 

 ワルドがそう言って、一行を促す。

 しかし、タバサは考えるまでもないといった様子で、即座に首を横に振った。

 

「行かない」

 

 皆の視線が、彼女に集まる。

 タバサは本を閉じると、杖を振って飛来した矢を反らしながら瑠螺の傍に移動して、すとんと腰を下ろした。

 

「あなたが囮になるというのなら、わたしも付き合う」

 

 そもそも彼女は、最初は友人であるキュルケに付き合ってここへ来ただけだったが、今は瑠螺の手伝いをするために留まっているのだ。

 タバサからしてみれば、瑠螺は友人であり、恩人であり、そしてまた、自分と母にとっての救いの女神なのではないかと考えて、希望を託した相手でもある。

 ほんの戯れめいたものだったのかもしれぬにせよ、義姉妹の誓いを交わしさえした。

 それを囮にして自分が逃げようなどと、そんなことを考える道理がない。

 もちろん、もしかしたら比喩ではなく文字通りの意味で女神なのではないかとさえ思えるこの女性が、この場に一人で残ったくらいのことで死ぬなどとはまったく思っていないが、それとこれとはまた話が別だ。

 

 キュルケは何やら優しげな目をしてそんな親友を見つめると、自分もまた、そっと彼女らの近くに寄り添った。

 

「あなたたちを残していこうって気にはなれないわね。それじゃあ、あたしも残ることにするから。あとはお二人でどうぞ?」

 

 しかし、そんなキュルケをいささか不服そうな面持ちと強い決意を秘めたような目でじろっと睨んでから、ルイズもまた彼女らに倣う。

 

「何よ。言い出すのがちょっと遅れただけで、わたしだって最初から行く気なんかなかったんだからね!」

 

 瑠螺はそんな彼女らを咎めるでもなく、ごく当たり前のように頷いた。

 

「そうであろうな。……では、行くのは子爵どのだけ、ということになるかのう?」

「風のスクウェア・クラスなら、『偏在』を使えばおそらく四、五人にはなれるはず。数的には問題ない」

 

 この展開に、ワルドはたじろいだ様子だった。

 

「ルイズ、何を言うんだい? きみが一緒に来てくれなければ、困るじゃないか」

 

 どうにか笑顔を繕って、優しげな調子でルイズを説き伏せようとする。

 

「どうして困るの?」

「どうしてって、……そうだ。きみは姫殿下から、大切な任務を預かった身だろう? こんなところで脱落しては、その義務が果たせなくなる」

「ただ手紙を抱えて届けるくらい、誰にだってできることじゃないの」

 

 ルイズはさらりとそう言って、アンリエッタから預かった手紙を懐から取り出すと、ワルドに差し出した。

 

「あなたが持っていくといいわ。そうすれば、どちらでも生き残ったほうが任務を達成できるから。わたしはウェールズ殿下とは面識があるし……、仮に覚えておられなかったとしても、姫殿下から指輪も預かっているからなんとかなるはずよ」

 

 キュルケとタバサは任務の詳細については何も聞いていなかったので、なるほど、アルビオンのウェールズ皇太子にアンリエッタ王女からの言伝を伝えに行く任務だったのかと思ったが、何も言わなかった。

 他国人である自分たちが、あまり首を突っ込むべき問題でもないだろうから。

 

「いや……、そう。ルイズ、きみは僕の婚約者だ、置いてはいけない。それに、こんなところできみが死んだら、きみの父上や母上、姉上たちが、どんなに悲しまれることか……」

 

 どうにかして自分の予定通りに事を運びたいワルドは、なおもルイズを掻き口説こうとした。

 

「なら、わたしもこんなところに使い魔や友達を置いてはいけないわ」

 

 そんなことをしたら、それこそ家族には二度と顔向けできないだろう。

 ルイズはワルドの方を見もせずに、やや不快そうな刺々しい声でそう言うと、机の影から顔を出して呪文を唱えながら杖を二、三度立て続けに振った。

 いささか的外れなところが爆発しただけで敵にダメージを与えることはできなかったが、傭兵たちをいくらか怯ませることはできたようだ。

 

「それにね。守るべき民を置いて逃げ出すような者は、貴族じゃないのよ!」

 

 彼女の視界の端には、先ほど瑠螺も目をやった、腕に矢を受けて負傷したこの宿の主の姿が映っていた。

 

 こんな狼藉者どもから、今まさに危機に晒されている人々を置いて逃げ出すなど、およそ誇りある貴族のすることではない。

 ましてやその狼藉者どもの狙いが自分たちとあれば、巻き込んでしまった責任もあるのだから、なおさらのことだ。

 目当てである自分たちがここを立ち去りさえすれば、賊どももそれ以上は何もせずに立ち去るだろう……、なんて生温いことを考えるほど、ルイズもお子様ではない。

 ためらうことなくこのような犯罪行為に走る無法者どもが、見捨てられ放置された無力な人々から略奪の限りを尽くすのは目に見えている。

 

「だから、その役目はこの場に残る者たちに……」

「子爵。裏口から出るなら、早めに。矢はわたしが逸らす」

 

 もうワルドの言葉にいちいち返事をしようともしないルイズはもちろん、彼の方に一瞬だけちらりと視線を向けてそう言ったタバサも、彼女の傍らで戦うキュルケも、もはや撤退することは微塵も考慮していないようだ。

 

(ぐっ……!)

 

 ワルドはようやく、自分の意見が孤立無援なのを悟った。

 

 まあ、正当性云々をさておいても、そもそもが女四人に対して男一人なのである。

 そりゃあ意見を違えれば、男の側に勝ち目はないというものだろう。

 

「理想論が過ぎるぞ! この数を相手に留まって戦えば、皆を守るどころか、……ぐっ!?」

 

 それでもなお、苛立っていささか声を荒げながら往生際悪く食い下がろうとするワルドの頭に、瑠螺が無言で拳骨を降らせた。

 

「な、何を!?」

「いい加減にせい、この小童がっ」

「こ、コワッパ……?」

 

 見た感じはせいぜい自分と同年代程度にしか見えない女に殴られた屈辱と、聞きなれない言葉に対する困惑とで、ワルドの顔が妙な感じに歪む。

 

「いいから、お聞き」

 

 瑠螺はそんな彼の顔をじいっと見つめながら、聞き分けのない子に教え諭すような調子で話を続けた。

 

 実際、ワルド本人は自分が年長者でこの一行の指導役だというつもりでいるのだろうが、瑠螺からすれば彼は遥かに年下で、ルイズらと大して変わりもない相手である。

 それに央華の社会なら、ルイズらだってワルドと同じく、もう大人扱いされてよい年齢なのだ。

 同じ大人なら、年齢が五歳や十歳上だろうが下だろうが、寿命千年を優に超えるまでに至った仙人にとってどれほどの違いがあろうか。

 

「そもそもじゃな。我らはこれから、数万の敵軍がひしめく戦地へ赴こうというのではなかったか? だというのに、まだそのアルビオンとやらへ着きもせぬうちから、たかがこればかりの敵に囲まれたくらいのことで、早くも仲間の半数を捨てていこうだなどとは……」

 

 話しながら、首を小さく横に振る。

 

「おぬしはそんな志で、本当にこの任務とやらが達成できるつもりなのかや?」

 

 一瞬、ワルドの目が険しくつり上がり、瞳には冷たい光が宿った。

 それを見た瑠螺が、もしやこいつは人間ではなくてトカゲか蛇あたりの化生だったのでは、などと疑ったくらいの顔つきだった。

 

「……なるほど、きみの志とやらは立派なもののようだ。もう少し、現実というものも見なくてはいけないとは思うがね……」

 

 そんなことをやや皮肉っぽく言ったときには、ワルドの顔は既に、若干の不機嫌さを漂わせている以外は元の品のよいものに戻っていた。

 

「だが、多数決では仕方ないな。では、全員でここに籠城し、戦って切り抜けてみるかい?」

 

 瑠螺も気を取り直すと、首を横に振った。

 

「いいや。最初に言ったとおり、防戦というのはわらわの性に合わぬ。それに、早く片付けねば犠牲も増えよう」

 

 そう言うと、机の影からひょこっと顔をのぞかせて外の方を見る。

 

 夜目が利く彼女には、傭兵たちが上方からの強風にあおられて地に転がったり、先ほどまでは偽フーケが操作していたはずのゴーレムに襲われてあわてふためいたりし始めている様子がよく見えた。

 どうやら、上のほうの戦いは既に片が付いたらしい。

 

 それを確認して、ワルドの方に視線を戻した。

 

「先のおぬしの提案通り、わらわが行って、上の三人と協力して外の敵と戦おう。その間、おぬしらはここで後方からの支援と客の身を守ることを受け持っておくれ。片が付き次第、後片付けや怪我人の手当てを済ませてから、桟橋とやらへ向かえばよかろう?」

 

 そう言うと、瑠螺はまず、袖の奥の方をごそごそと漁って、一枚の符と、無限紙帳と鋏を取り出した。

 紙を何枚か切り抜き、折って形を整えてやりながら、その符を発動させる。

 

『似兵 等戦(兵に似る、等しく戦いたり)』

 

 たちまち、兵士を模して作られた五体の折り紙細工が、本物の武具を備えた兵士……紙兵衛(しへい)に変化する。

 ハルケギニアの魔法でも似たようなことはできるため、ルイズらもそこまで驚きはしなかったが、それでも興味深そうにその姿を見つめた。

 

「これって、ゴーレム?」

「まあ、そんなようなものじゃろうな」

「では、先ほどの紙切れはマジックアイテムかい? そんなものも持っていたとは、一体どこで……」

 

 長々と話している暇はないので、瑠螺は手を振って質問を遮った。

 

「話は後にして、ともかくこやつらはご主人の命令に従うようにしておくから、護衛にでも攻撃にでも好きに使っておくれ。そこらの兵士よりは、腕も確かじゃ」

 

 そう言って宝剣を引き抜くや机の影から飛び出し、『ガンダールヴ』のルーンによって強化された脚力で、一足飛びに敵の只中へ斬り込んでいく。

 

 玄関付近に展開していた傭兵たちはあわてて矢を撃とうとしたが、彼女の動きが早すぎて、まともに捕らえられない。

 瑠螺は彼らの構えた弓を斬り捨て、体を蹴り倒すと、そのまま風のように外へ飛び出して行く……。

 

 

(ちぃっ! 結構な金をくれてやったというのに、情けない連中が!)

 

 物陰に身を潜めて事の成り行きを見守っていた仮面のメイジは、胸中でそう悪態を吐いた。

 

 フーケを名乗るあの囚人は、トライアングル・クラスの土メイジということでそれなりに期待していたのだが、思いの外使えない輩だったようだ。

 どうやら、上に残った連中に打ち倒されてしまったらしい。

 突然、宿の上方から地上の傭兵どもに向かって突風や木の矢といった魔法によるものらしき攻撃が飛来し、巨大ゴーレムは一旦崩れた後で別の術者……おそらくはロングビルとかいう女によって再構築され、これまた傭兵どもに襲い掛かってきた。

 

 それでも、どうにか体勢を立て直してそちらに向かって反撃を始めようとしたところへ、今度は宿の入口からあの忌々しい使い魔が飛び出してきて暴れ始めたのである。

 

 先ほど屋内にいるルイズらと撃ち合っていた時には、暗闇を背にした傭兵たちの方に地の利があった。

 だが、『ガンダールヴ』は夜目が利くのか、それとも嗅覚や聴覚といった感覚が鋭いのか、とにかく暗闇をものともしないようで、灯りも持たずに夜闇にまぎれて素早く走り抜けながら、的確に傭兵たちを叩いている。

 彼女は剣を振るって、あるいはどこに隠し持っていたのか鋭い針のような飛び道具を放つことで、傭兵たちの武器を次々に破壊していった。

 巨大ゴーレムへ呪文で反撃を試みていた貴族崩れのメイジ傭兵たちがことごとく杖を撃ち砕かれ、無力化されてしまった時点で、実質的に勝敗は決まったと言えよう。

 平民の振るう武器だけでは、あの巨大ゴーレムにはまるで歯が立たない。

 

 残る手段は術者を直接叩くことだが、そのためには屋内を突破して上階にいかねばならない。

 そして、どうやらそれも不可能なようだった。

 

 瑠螺が飛び出して行った後、ルイズらは素早く屋内に残った傭兵たちを迎え撃つ算段を立てた。

 まずはキュルケが、紙兵衛たちに厨房から油入りの鍋を持ってきてもらい、それを傭兵どもの方に向かって投げさせてから呪文で火をつけることで、戦闘の口火を切った。

 炎にまかれて怯み、あわてふためく彼らに、さらにタバサやルイズの攻撃が追い打ちをかける。

 傭兵たちからも反撃はあったものの、飛び道具はすべてメイジが呪文で逸らし、突撃を敢行しようとした連中は紙兵衛が遮って叩きのめした。

 瑠螺が保証したとおり、一対一ならば、ほとんどの傭兵よりも紙兵衛の方が強いようだ。

 

 その後も屋外からいくらか援軍は突入したものの、それらもことごとく紙兵衛に遮られている間に待ち構えていたメイジたちに討ち取られ、無駄に兵力を消耗するだけに終わった。

 これまでの被害は、紙兵衛のうち一体が全壊、もう一体が半壊、残る二体が軽傷を負ったくらいで、メイジたちは全員が無傷。

 おまけに、彼女らの戦いぶりに勇気をかき立てられたのか、震えて見ているだけだったメイジの客も何人か、消極的ながら戦闘に加勢してきた。

 その中の一人が作った人間大の岩ゴーレム数体までが戦線に加わったとなると、もはや平民の傭兵が数ダースばかり束になって突撃した程度ではどうにもならない。

 

(戦いの趨勢は、既に決した……か)

 

 それでも、このまま引き下がるわけにはいかなかった。

 

 結構な額の金を注ぎ込み、これだけの戦力を用意しておきながら、またしても何の成果も挙げられませんでしたではすまないのだ。

 チャンスはこの後そう何度もあるわけではないし、手駒も減ってきている。

 それに、全員で踏み止まって戦った結果、犠牲者の一人もなく敵を壊滅させることに成功したというのでは、自分の面目は丸潰れというもの……。

 

(こうなれば、貴様だけでもここで死んでもらうぞ、『ガンダールヴ』!)

 

 もっとも、たとえそうでなくても仮面のメイジは元より、踏み止まって戦ったにせよ、裏口から逃げ出したにせよ、彼女に隙を見て不意討ちをかけることで殺す算段でいた。

 己が計画の最大の障害となり得る者の排除であり、受けた屈辱への返礼。

 これだけは、何としてでも成し遂げねばならぬ。

 

 そのための計画も、既に立ててあった。

 

(なるほど、貴様は素早く力強い。風の鎚や刃ならばかわせようし、爆風であっても踏み止まって耐えられよう。だが……)

 

 男は剣を振るいながら走り抜ける瑠螺の姿を物陰から密かに見据えながら、心の中でほくそ笑んで杖を振った。

 彼の頭上の空気が、急速に冷え始める。

 

(いかに貴様とて、『閃光』の速さで迫る電撃はどうにもできまい!)

 

 手合わせなどで使われる温い代物とは一味違う、真に殺すための呪文の威力を、間もなくその身に刻み込んでくれよう。

 

 

 

 一方、瑠螺は果敢に戦い続けながらも、心の片隅で訝しく思っていた。

 

(こやつらはなぜ、ここまで押されておるというのに、逃げようとも降参しようともせぬのじゃ?)

 

 戦況は明らかにこちらの勝勢であるし、利に聡く危険に敏感なのが傭兵というものであることを、瑠螺は長年の経験から知っていた。

 央華でもこちらでも、そのあたりはおそらく大して変わるまい。

 なのに、こいつらはうろたえながらも戦い続けようとし、逃走や降伏を選ぼうとしない。

 

(あるいは、逃げれば殺すとでも脅されておるのか……)

 

 その脅した張本人、恐ろしい雇い主がすぐ近くにいるから、逃げ出すも降伏するもままならぬと考えれば辻褄はあう。

 そういえば、あの偽のフーケのすぐ傍にいた妙な仮面の男の姿を、まだ見ていない……。

 

「……む?」

 

 その時、自分の周囲の空気が急に冷えだしたのに、瑠螺は気が付いた。

 肌がちくちくするほどの冷気だ、気のせいではない。

 

(これは……)

 

 唐突に、宿の上のほうからフーケの声が降ってきた。

 

「リュウラ、気をつけな! そっち、あんたの右後ろの物陰に……!」

「残念だが、気付くのが遅かったな」

 

 瑠螺がそちらの方を振り向き、冷笑を浮かべた仮面の男の姿を視界に捉えた瞬間、空気が震えてばちんと弾けた。

 同時に、男の周囲から稲妻が伸びて、瑠螺の体に襲い掛かる。

 

「『ライトニング・クラウド』ッ!」

 

 呪文の正体に気付いたフーケが叫んだ。

 

 小規模な雷雲を生み出すことで遠隔的に稲妻を発射して敵を撃つ、『風』系統の高度な攻撃呪文である。

 一度放たれればまず回避する術はなく、まともに受ければ人間はほぼ絶命する。

 

「むうぅぅっ!」

 

 瑠螺は眩い雷光に目を細めたが、動き回って回避しようとはせず、足を踏みしめ、ぐっと胸を張って『気』の防壁を張り巡らせた。

 

 稲妻はその壁に当たり、一瞬のせめぎ合いの後に、それを貫けず宙に停滞する。

 そして、次の瞬間。

 

「!?!?」

 

 稲妻は反転して、逆に仮面の男に襲い掛かったのである。

 電撃に撃たれた男は悲鳴を上げる間も、何が起こったのかを正確に理解する暇もなく、風に還って消滅した。

 

 彼には予想のしようもないことだったが、『返雷枝(へんらいし)』を身に着けている瑠螺を相手に電撃で攻撃するのは自殺行為だったのだ。

 

「……消えた? 逃げられたのか、それとも術か何かで姿を隠したか……?」

「いや、ありゃあたぶん『偏在』ってやつだね。あたしも、二、三回しか見たことはないけどさ」

 

 油断なく身構えたまま周囲を警戒し続ける瑠螺の元に、少し驚いたような顔をしたフーケが『レビテーション』で降り立ちながら、そう説明する。

 

 ともかく、それで戦いは終わりになった。

 雇い主のメイジがあえなく自滅して消え去ったのを見た傭兵たちは、全員が降伏するか、あるいはこそこそと逃げ去っていった。

 

「リュウラ! フー……、ミス・ロングビルも。さすがね、もう終わったみたいじゃない!」

「おお、キュルケか。そちらも、どうやら片が付いたようじゃな?」

 

 戦いが終わったのを見て取って、勝利の喜びに目を輝かせたルイズ、キュルケ、いつもと変わらぬ様子でさっそく読書に戻っているタバサ、そして何故だか愕然としたような面持ちのワルドが、宿から姿をあらわした。

 

「さて、怪我人の手当てや片付けの手伝いをせねばのう。狼藉者どもの身柄は、どこへ引き渡せばよいものかな?」

「あたしとタバサとで、この街の詰所に行って話をつけてくるわ。牢の数が足りそうにないから、この宿の部屋でも借りることになるかもしれないけどね。王都から引き取りが来るまでの間の見張りくらいなら、宿の客が手伝ってくれるでしょ」

「それでは、私は一度部屋に戻りまして。あの子たちと一緒に、皆さんの荷物を用意しておきます」

「そうね。それじゃあ終わり次第、船でアルビオンへ向かいましょう!」

 

 ルイズのその宣言に、いまだに心ここにあらずといった様子のワルド以外全員が、力強く頷いた……。

 





似兵 等戦(兵に似る、等しく戦いたり):
 厭魅・厭勝系統の仙術の一種で、紙や木、石、金属などのさまざまな素材でできた人形から「兵衛(へい)」と呼ばれる疑似的な生命体を作り、兵士として使役する。
素材によって若干強さや弱点が変化するが、いずれにせよ並の兵士よりはかなり強い。
一般的には持ち運びが簡単で、必要に応じてその場で即座に作れる紙製の兵衛が用いられることが多く、厭魅・厭勝の術者は大抵紙束(央華では紙は貴重品なので仙宝扱い、五十枚セット)を持ち歩いている。
複数の兵衛を一度に作成することも可能で、術の難易度は「6+(同時に作り出す兵衛の数)」である。
 洞主クラスの使い手なら7体やそこらは危なげなく作り出せるが、ドット・クラスのギーシュでもワルキューレを7体同時に作り出せるあたりからして、ハルケギニアの基準ではあまり強い術には感じられないかもしれない(精神力を消費せず、何度でも使えるという利点はあるのだが)。

返雷枝(へんらいし):
 先端を尖らせ、緑に塗った小枝の形をした、五遁木行の仙宝。
央華の世界では稲妻は木行に属するものとされており、この返雷枝は所有者を目がけて撃たれた稲妻を引き寄せ、跳ね返す力を持っている。
これを持っている者は自然の稲妻によって害を受けることは決してなく、仙術や妖術などによる稲妻を受けた場合には、仙術抵抗に成功すればその攻撃は術者に対して跳ね返される。
仙宝としてはあまり高度なものではなく、洞奉仕9か月で得ることができる。
 本作の瑠螺は装飾具の一種として、常に身に帯びている。

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