央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第四十三話 楽人退場

 

「…………」

 

 ルイズは、いささか緊張したような面持ちで、大きく扉を開けて部屋に入った。

 ふうっとひとつ息を吐いてから、あわてずにゆっくりとその扉を閉め、ワルドの前に座る。

 

 ワルドは、そんなルイズに優しげな笑みを向けながら彼女の前にグラスを置いて、手にしたクックベリーの果実酒を勧めた。

 

「話とは何かな。その前に、まずは一杯やって、気持ちをほぐしてからにするといい。きみのためにこれを探しておいたよ、クックベリーは好物だっただろう?」

 

 そう言いながら、自分の前にはそれとは別に用意しておいたブランデーの瓶を置く。

 もちろん、自分自身が薬入りの酒を口にするわけにはいかない。

 

「……ええ。まあ……」

 

 ルイズは、曖昧な返事をしながら、少し眉をひそめた。

 

「……ありがとう。でも、わたしはお酒に強くないから。飲むのは、話が済んでからにするわ」

「そうかい? そんなに強い酒じゃない、飲めばきっと気に入ると思うよ」

 

 にこやかにそう言いながらも、グラスに果実酒を注いでルイズの前に押しやる。

 ルイズはしかし、軽く礼を言いながらもそれには手を出そうとせず、ちょっと俯いて視線を逸らしながら、机の下でもじもじと落ち着かなげに手を動かしていた。

 

 それを見て、ワルドは内心で舌打ちをする。

 

(さっさと飲めば、話が早いものを)

 

 もう既にチェックメイトまでの道筋が見えている勝負をだらだらと長引かす、下手な指し手の相手をしているような気分だった。

 

 まあ、目の前に置いたのだから、いくらか話をしていればそのうちに自然と飲むだろう。

 ここは無理に強要して不信感を抱かれたり、強引に飲ませようとして騒がれる危険を冒すよりも、少しくらい付き合ってやるほうが賢明だと自分に言い聞かせて、気持ちを切り替える。

 

「それで、話とはなにかな?」

「ええ……」

 

 ルイズは手をもじもじと動かすのをやめて顔を上げると、口を開いた。

 

「なんでも……、あ、いえ。つまり、その……、あなたは昨夜、わたしに結婚を申し込んだ……のよね?」

「? ああ、もちろんだよ」

 

 ワルドはルイズのその歯切れの悪い物言いに、少し引っかかりを覚えた。

 が、自分の目的の方により気を取られていたので、それ以上深く考えずに頷く。

 

 ルイズは、そんな彼の顔をじっと見つめた。

 

「どうして?」

 

 ワルドは一瞬、怪訝そうに眉をひそめたが、すぐににっこりと微笑んでみせる。

 

「言わなかったかな。僕にはきみが必要なんだ。きみはいずれ、始祖ブリミルのような素晴らしいメイジになるに達いないし、僕もいずれは、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている。だから……」

 

 熱っぽくそう言ったものの、ルイズは心を動かされた様子はなかった。

 むしろ、少しばかり眉をひそめている。

 

「……わからないわ。それが、どうしてわたしと結婚したい理由になるの」

 

 そう言われて、ワルドは戸惑った。

 

 わからないだって?

 自分はハルケギニアを動かすような偉大な貴族になる、そのためにルイズの力が必要だ。

 そうすれば彼女もこれまでの汚名を返上して、その類稀なる力に相応しい地位に就くことができるというものではないか。

 

(そんな明白な道理の、なにがわからないというのだ)

 

 トリステインなどというカビの生えた小国をさっさと捨てて黙って自分についてきさえすれば、光栄に浴することができようものを。

 なんとも物分かりの悪い、面倒な娘だ。

 

(こうして不幸な目に遭うことになったのもそのためだぞ、ルイズ。お前がもっと従順なら、こんな薬など飲まされずに済んだものを……!)

 

 今すぐにルイズの体をひっつかんで、その喉に薬入りの酒を流し込んでやりたいのをぐっとこらえて、ワルドは笑顔で話し続ける。

 

「つまりだね。僕はきみの力になれると思うし、きみにも僕の力になってほしい。そうすれば、お互いに幸せになれる。そうだろう?」

 

 小さな子に優しく言い聞かせるような調子でそう言って、ルイズの頭に手を伸ばそうとする。

 しかし、ルイズはそれを押しとどめると、冷ややかな目でワルドをにらんだ。

 

「つまり。結婚をしたいのは、あなたがルイズを愛しているからではないのね?」

 

 そう言われて、ワルドは困惑した。

 

「何を言うんだい? もちろん、愛しているさ!」

 

 心外だというようにそう言って、ルイズの掌を自分の両手でぎゅっとつかむ。

 本人は情熱を込めた態度を装ったつもりだが、その感触はまるで、獲物を離すまいと絡み付く冷血な蛇のようだ。

 

「……そう」

 

 ルイズは、ぽつりと呟くと、俯いた。

 

(……騙せたか?)

 

 彼女の顔が赤らんでいるのは、喜びと恥じらいのためか、それとも怒りと屈辱のためか。

 事と次第によってはすぐに彼女を押し倒して有無を言わさず毒を飲ませてやろうと、ワルドが爬虫類のような無機質な目を向けて様子を窺う。

 

 ややあって顔を上げたルイズは、少し強ばってぎこちないものではあったが、笑みを浮かべていた。

 

「わかったわ。ごめんなさい、疑うようなことを言って。それじゃあ、お酒をいただきましょうか」

 

 ワルドは安心して手を離すと、グラスを手に取った。

 

「なに。僕の気持ちが伝わってくれたようで、嬉しいよ。それじゃあ、二人に」

 

 そう言って杯を掲げようとするワルドを、ルイズが制する。

 

「待って、なにか食べるものも欲しいわ。向こうの棚に置いてあるのを、取ってきてくれない?」

「ああ、いいとも」

 

 会心の勝利を収めた対局の余韻を楽しむ気分で、ワルドは快くそれに応じてやった。

 席を立って背後の棚に向かい、つまみになるようなものを物色する。

 

 皿にいくらかの乾果やナッツ、チーズ、オートケーキなどを盛って席に戻ると、ルイズがにこやかな笑みを浮かべて杯を掲げた。

 ワルドも同じように杯を掲げて、それに応じる。

 

「あらためて、二人に」

「未来に」

 

 互いにそれぞれの言葉で祝杯を挙げて、ぐっと飲み干した。

 

「……なんだか、変わった味ね。なにか入っていたの?」

 

 ルイズがわずかに頬を赤らめて、そう尋ねる。

 ワルドは目を細めて、これまでとは違う内心の悪意を隠さぬ笑みを浮かべながら、説明してやった。

 

「ああ。水魔法の薬をね」

「そうなの……。どんな薬?」

「何事にも疑問を持たず、思考を放棄して与えられた命令に忠実に従うようになる薬さ」

 

 既にその薬を飲んでしまったルイズに明かしても、なんら問題はない。

 彼女は既に、自分の意のままに従う傀儡なのだ。

 

「では、わたしはもう、あなたのいいなりということ?」

「その通りだ」

「それで、わたしになにをさせる気なの……?」

 

 ワルドは内心の下劣な欲望を一切包み隠さず、正直に伝えた。

 

「まずはきみの爆発で、あの面倒な使い魔を殺してもらう。主人が相手となれば、油断するだろうからな。もちろん、他の連中も順番にだ。きみは手に入れたが、まだウェールズの命と手紙も手に入れねばならないし、それには邪魔でしかないからな」

 

 それから、酒精のためか薬のためか、わずかに顔を赤らめて椅子の背にもたれかかったルイズの体を眺めやって、にやりと口元を歪めた。

 

「いや、だが。行動を起こすのは、もっとアルビオンに近付いてからの方がいいだろう。そうすれば、いざという時には船ごと沈められるからね。その前に、まずは勝利の美酒でも味わいながら、きみに『奉仕』してもらおうかな? いずれ夫婦になるのだから、構わないだろう?」

 

 そんなことを言いながら、注ぎ直したグラスの中身をぐっと干してナッツを二、三粒口に放り込むと、悠然とルイズの方に近寄っていく。

 

「近寄るな」

 

 ルイズが椅子の背にもたれたまま、じろりと目だけをワルドのほうに向けて、冷ややかな声でそう言った。

 

「ん、そうかい? わかったよ」

 

 ワルドは驚くでも憤慨するでもなく、素直に足を止める。

 ルイズは椅子から立ち上がると、掌にペッと飴玉のようなもの……望み通りの声音を作り出す仙宝、『声彩珠』を吐き出した。

 

「紳士ぶってみせてはおるが……、どこまでも下劣でどうしようもない男のようじゃな、おぬしは」

 

 本物のルイズとは似ても似つかぬ、怒りを押し殺したような声でそう言って、身にまとった幻覚を解除する。

 その正体はもちろん、瑠螺であった。

 

 同時に、机に置かれた二つのグラスにかけられていた幻覚も解除された。

 クックベリーの果実酒が入っていたように見えたグラスはブランデーのグラスになり、逆にブランデーのグラスが果実酒のグラスに姿を変える。

 瑠螺はワルドが背を向けていた間に素早く『仮装近似(近しきものを装う)』の術をかけて、グラスを入れ替えたのだ。

 

 彼の企みを看破できたのは、最初に机の下でこっそりと発動した『祈願 三尸探心(祈り願う、三尸に心を探らせんことを)』の術で話しながらワルドの思考を読んでいたからである。

 もしも無実であったならすぐに事情を打ち明けて無断で心を読んだことを詫びるつもりであったが、その必要もなかったようだ……残念ながら。

 

「……む?」

 

 その時、扉の外でぎゃあぎゃあという獣の鳴き声と、争うような物音が聞こえてきた。

 

「あれは何じゃ、おぬしが何か仕込んでおったのか?」

 

 ワルドの方に目を向けてそう問い質すと、彼はわけなく答えた。

 

「ああ、あれは僕の使い魔のグリフォンだろう」

「なるほど、主人に異変が起こったことをいち早く察知したのじゃな」

 

 なんとも優秀な使い魔である。

 主人に恵まれなかったのは気の毒なことだが。

 

 瑠螺は外に出て対処を手伝おうとしたが、駆け付けた時にはすでに、ルイズ、キュルケ、タバサらが片を付けた後だった。

 複数のメイジを同時に相手にしては、いかにグリフォンが強力な幻獣とはいえ、どうにもなるものではない。

 

「リュウラ、どうしたの? なんで、ワルドの使い魔が突然……」

 

 彼女が戻ってきて調査結果を報告してくれるのを待っていたルイズは、曇った顔でそう尋ねた。

 もちろん、状況から判断すれば、答えはわかり切っているのだが。

 

「うむ、それは……本人に説明してもらうのが、一番良いじゃろうな」

 

 瑠螺は気の毒そうな様子でそう言うと、薬によって思考を放棄し、自分の企みが暴かれたことにも使い魔がやられたことにも何の危機感もいだかずに、のんびりとこちらへやってくるワルドの方に目をやった。

 

 

 その後、ワルドは皆の前で自分の計画について事細かに説明し、その結果として全員の冷ややかな視線を浴び、ルイズに一発張り飛ばされ、キュルケからそのルイズでさえ思わず止めに入るほどの苛烈な暴行と辱めを受けた。

 それから、質問に応じて自分の身の上やアルビオンの情勢、『虚無』などについて知っている限りの情報を提供すると、速やかに王宮へ出頭して事情を説明し捕縛してもらうよう命じられて、船から放り出されたのであった。

 

 彼は結局敵と戦うこともなく、ルイズを思うがままにしたという勝利の幻想を抱いたままで、己の敗北にも気付かずに楽しげな様子で去っていった……。

 





仮装近似(近しきものを装う):
 幻覚によって共通点のあるものを別の物体に見せかける、変化・幻術系統の仙術の一種。
この見せかけは五感すべてを欺く。
落ち葉を布団に見せかけたり、野壷を風呂と思わせたりして人を騙すのは、瑠螺のような妖狐が特に得手とするところである。

祈願 三尸探心(祈り願う、三尸に心を探らせんことを):
 三尸を目標の精神に送り込んで表面的な思考や感情を探らせる、召鬼系統の仙術の一種。
目標自身が忘れてしまっていることや潜在意識下のことまではわからない。
術を失敗すると行き場を失くした三尸は術者を襲い、術者自身が精神値にダメージを受けることになる。
当然ながら、目標がこの術に対する知識を持っていた場合、術の失敗(目標はこの術をかけられたことに気付く)は目標に多大な悪感情をもたらす恐れがある。

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