央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第四十四話 李下瓜田

 

「ルイズや、おぬしはもうお休み?」

 

 ワルドを放り出した後、ぼうっとして船縁から空を眺めている彼女を気遣って、瑠螺がそう声をかけた。

 

「見張りならばご主人の代わりに、わらわがやっておくゆえな」

 

 ルイズは彼女のほうにちらりと目を向けたが、すぐに視線を元に戻して首を横に振った。

 

「ありがと。でも、別に見張りとかじゃないし、眠くないのよ」

「……そうか……」

 

 何か慰めなり、気の利いた言葉なりを掛けたいとは思うものの、瑠螺にはこういう時にどういったことを言えばいいのかが思いつかなかった。

 色恋沙汰には疎いし、そんな時の人間の感情の細かな機微などはなおのことよくわからない。

 そもそもルイズがワルドに対して本当にそういった感情を持っていたのかどうかも、定かではないが。

 

「あんたこそ、寝ておいたらどうだい?」

 

 結局、どうしていいかわからず困ったように立ち尽くす瑠螺に対して、フーケが声をかけた。

 

「いや。わらわは別に、一月や二月寝なくとも」

「あんたなら大体何でもありだから、強がりとかじゃないんだろうけどね」

 

 そう言って、肩をすくめる。

 

「だからってここに突っ立っててもしょうがないだろうし、見張りやご主人の話し相手くらいはあたしらに任せて休んどきなよ。あんたたちはこの後が大変だけど、こっちは港に着いたらそこでさよならなんだからね」

 

 瑠螺は少し考え込んだものの、その提案を受け入れることにした。

 確かに、自分がここにいても役に立つとは思えない。

 

「かたじけない。では、お言葉に甘えるとしよう」

 

 礼を言って、船室へ向かった。

 

「……やはり、かつては許嫁の約束を交わすほどに親しゅうしておった者に裏切られたとあっては。そうすぐには気持ちは晴れぬかのう……」

 

 途中で、ぽつりとそう呟く。

 

 以前には懇意にしていた者に裏切られ、敵対せねばならなくなる辛さは、瑠螺にも覚えがあった。

 まだ道士だった頃、瑠螺は修行の旅に出ていた途中で、生き別れた従姉である璃鈿(りでん)と思いもかけぬ再会をしたのだが。

 人間の狩りによってすべて失ったと思っていた身内がまだ生きていてくれたと喜んだのもつかの間のこと、彼女は邪仙の手先となってしまっていたのである。

 以前に瑠螺も抱いた人間への復讐の志を、彼女もまた持っていたのだ。

 瑠螺はそれを捨てて正道に立ち戻ったが、彼女は抱え続けて悪道に堕ち、二人の道は分かれてしまった。

 なんとか説得しようとしたが彼女は聞き入れず、瑠螺は涙しながらも、その愛する従姉を殺さねばならなかった。

 

(わらわもまた璃鈿姉者のようになっておったとしても、少しもおかしくはなかった)

 

 そうならなかったのはおそらく、当時の自分がまだ幼く精神的に未成熟だったために根深い恨みを抱けるような年頃ではなかったのに対して、璃鈿はそれよりも年長でより成熟していたこと。

 そして、自分は飛翔や高林に出会えたのに対して、彼女は邪仙に出会ってしまったことが要因であろう。

 ほんのわずかな巡り会わせの違いだけだったのだ。

 

 そんな経験があるから、瑠螺はワルドが元々悪人だったのだとは思わない。

 

 ルイズがかつて兄のように慕った男だったというのなら、その頃の彼は正道を歩んでいたのだろう。

 おそらくは彼もまた、姉と同じく、数奇な人生の巡り会わせによって道を踏み外してしまったのに違いない。

 だからといって現在の彼の行いを擁護するつもりはないが、哀れには思う。

 

 もちろん、裏切られたルイズのほうはもっと気の毒だ。

 

 どんな事情や望みがあったにせよ、兄や姉であるならば妹弟を泣かすようなことをするものではないと、瑠螺は固く信じている。

 幼い頃に一度すべての身内を失ってしまった彼女にとって、家族ほど大切なものはなかった。

 

「早く、元気になってほしいものじゃが……」

 

 気落ちしたままでは、この後に控えている危険な任務を果たすのにも差し障りが出るかもしれない。

 それとも、大変だからこそいつまでもくよくよと悩んでいる暇などなくなって、かえって気が紛れて彼女にとっては良いだろうか。

 フーケや他の仲間たちなら、同じ世界の同じ人間であるし、年もずっと近いから、あるいは自分よりも彼女の慰めになるようなことを言ってくれているかもしれない。

 

 ルイズのことを案じる瑠螺自身もまた、そんな調子でいろいろと悩んでいたが。

 やがて、せっかく気を使ってもらったのだから休まねばと気持ちを切り替えると、船室の簡易ベッドに潜り込んで目を閉じ、瞑想の要領で精神を鎮めて眠りに落ちた――。

 

 

「――む……」

 

 部屋の外から聞こえてくる船員たちの声と、差し込んでくる明るい光とで、瑠螺は目を覚ました。

 

「久し振りに、よく寝たのう」

 

 ぐーっと伸びをすると、服を軽く整えてから外に向かう。

 

 甲板に出ると、船は雲の上を進んでいた。

 周囲は一面の青空で、舷側から下を覗き込むと、白い雲の海が広がっている。

 

「アルビオンが見えたぞー!」

 

 マストによじ登った見張り役の船員が、大きな声を出してそう伝えた。

 

「……おお、あれか」

 

 瑠螺は周囲を見渡してアルビオンの姿を探し当てると、ほうっと感心したような溜息を吐いた。

 

 雲の切れ間から見えるその大地は、視界の続く限り延びていた。

 地表には山がそびえ、川が流れている。

 それは正しく央華の八大仙境にも匹敵するような、巨大で不可思議な空の大陸だった。

 

「なんともまた、雄大な眺めじゃな……」

「驚いたかしら?」

 

 そんな声のした方を振り向くと、ルイズが傍にやってきていた。

 

 その自然な、少しばかり得意気な笑顔を見て、瑠螺はほっとした気分になる。

 どうやら昨夜のワルドの一件は、彼女の中ではさほどに尾を引いてはいないように思えた。

 

「うむ。よもや人の辿り着ける場所に、あのようなものがあるとはのう」

「浮遊大陸アルビオン。普段は主に大洋の上をさまよい、月に何度かハルケギニアの上にもやってくる。大きさはトリステインの国土ほどもあるわ」

 

 ルイズがそう説明しながら、アルビオンを流れる大河を指差した。

 そこから溢れた水が空に落ち込んで白い霧となり、大陸の下半分を包んでいる。

 

「地上の人々にとって、あの霧は雲。アルビオンは常に白い雲に包まれていて、上空を移動しながらハルケギニアの広範囲に大雨を降らすの。それこそが、アルビオンが『白の国』と呼ばれる所以ね」

「なるほど。さすがはご主人、博識じゃのう」

「このくらい、誰でも知ってるわよ」

 

 そう言いながらも、ルイズは満足そうに胸を張る。

 その時、見張りの船員が突然、大きな声で警告を発した。

 

「報告! 右舷上方の雲中から、船が接近してきます!」

「うん?」

 

 瑠螺がそちらの方に目を向けると、なるほど、一隻の船が接近してきていた。

 見た感じではこちらの船よりも一回りほど大きいようで、船体に黒くタールが塗られているのがなんとなく危険な印象を与える。

 舷側には数十個ほども穴が並んでいて、そこから妙な金属製の筒がこちらに向けて付き出しているようだった。

 

「なんじゃ、あれは」

「大砲ね……」

 

 ルイズはそう呟いて、眉をひそめた。

 そんなもので武装しているということは、もしや、反乱軍の軍艦とかではないだろうか。

 

「貴族派か? お前たちのために荷を運んでいる船だと教えてやれ」

 

 後甲板で操船の指揮を取っていた船長が、そう指示を出した。

 見張り員はその指示通りに手旗を振って信号を送ったが、黒い船からはなんの返信もない。

 

「……あの船は、旗を掲げていない」

 

 足元に子狐の姿に化けたシルフィードを従えて、いつの間にやら瑠螺らの近くにやってきていたタバサが、本を閉じてぽつりとそう呟いた。

 要するに、まともな船ではないということだ。

 

 船長のほうもすぐにそのことに気付いて、青ざめた顔になる。

 

「く、空賊だ! 逃げろ、取り舵いっぱい!」

 

 船長がそう命じるが、黒船は既にこちらの船と併走し始めていた。

 大砲のうち一門が火を噴いて、脅しの一発をこちらが進もうとする先に放つ。

 黒船はそれから、マストに四色の旗流信号をするすると登らせて、停船命令を出してきた。

 

「ぐうぅ……」

 

 船長は、苦しげに顔を歪めた。

 

 この船には、武装といっては移動式の大砲が三門ほどあるだけだ。

 片舷側だけで二十数門もの大砲を備えた敵船に対抗することなど、到底できた話ではない。

 だが、向こうの指示に従って停船すればよくて破産、悪ければ奴隷として死ぬまで働かされるか、その場で殺されて空にばらまかれるか。

 

 船長は助けを求めるように、雇い主たちのほうを見た。

 

 騒ぎを聞きつけて、いつの間にか船に乗り込んだ全員……途中で用事ができたとかで身一つで降りていった、妙な男を除いて……が集まってきている。

 メイジが何人もいるようだから、何とかしてくれるかもしれない。

 

 瑠螺たちは、顔を見合わせた。

 

「……今のうちにシルフィードに乗って、船の逆側から降りることはできる」

 

 タバサが、呟くような小声でそう提案した。

 

 既にアルビオンは見えているのだから、船を降りても、あとは自分たちだけでなんとかなる。

 この船の全員は乗せられないから、船員らは置いていくことになるが……。

 元よりトリステインやアルビオンにとっては敵側にあたる貴族派への物資輸送で儲けている連中なのだから、負い目を感じることもあるまい。

 

「ここまで運んでもらったのじゃ。賊どもに襲われようかとしておるのを、見捨てるわけにもいくまい」

 

 瑠螺が、そう言って首を横に振った。

 

 もちろん、高い金を払ったからこそであり、あくまでも取引なのだから恩義があるというわけではないが、そうは言っても世話になったのは事実である。

 見捨てるのは忍びないし、善行とは言えまい。

 この船員たちが、真っ当と言えるかどうかはさておくとしても、ともかくも商売で儲けようとしているのに対し、相手方の賊どもはその富を不正に奪い取ろうとしているわけだから、なおさらのことだ。

 

「そうよ。助けを求められているのに無視して、賤しい盗賊から逃げ出すだなんて、貴族のすることじゃないわ!」

 

 ルイズもそう言って同意する。

 

「そうは言うけどねえ。あれだけの大砲で狙われてるんじゃ、戦っても勝てるかね?」

「勝てるとしても、この状況で戦うのは危ないわよね。結局、巻き込まれて死んじゃうかもしれないし。素直に降伏するほうがいいかもしれないわよ?」

 

 フーケとキュルケは、そう言って難色を示した。

 リンとレン、シルフィードは、なるべくなら助けたいとは思っているものの、状況を判断できるほどの知識や経験がないので、口をつぐんでいる。

 

「……ううむ……」

 

 瑠螺は、腕組みをして考え込んだ。

 とはいえ、あまり長々と悩んでいられるだけの時間もない。

 

「……なにやら塗ってあるようじゃが。あの船体は、木製じゃな?」

「え? ……ええ、そりゃそうでしょ。金属製の飛行船なんてないわよ、重すぎて風石がどれだけ必要になるか」

「ふむ。わらわには、あの『たいほう』とかいうものがどんな武器なのか、よくわからぬのじゃが。一撃ちで、この船をばらばらにして沈めてしまうほどのものなのかえ?」

「いえ、そこまでは。でも、見たところ二十門以上あるみたいだし。一斉に火を噴いたら、あっという間に船は半壊状態になるでしょうね」

「おぬしらの呪文で、防ぐことは?」

「ここには土も岩もないから、あたしにはちょっと厳しいねえ」

「……ニ十発ぜんぶは自信がない。でも、何発かなら」

 

 なにか策があるのかと尋ねられて、瑠螺はこくりと頷いた。

 

 敵方にこの船に乗り込んでこられて乱戦になってからでは、犠牲なく切り抜けることは難しい。

 今は大砲とかいう武器に狙いをつけられているようだが、とはいえ、距離が離れているうちに何とかするしかあるまい。

 

「うむ。時間がないゆえ、手短に話すが……」

 

 

「よ、よし、裏帆を打て。停船だ!」

 

 船長が強ばった声で、そう命令を下す。

 

『船主どの。ここは降伏するふりをして、あの船をいま少しだけ引き付けておくれ』

 

 瑠螺は仲間たちとの短い話し合いの後に、船長にそう指示を出したのである。

 

『なるべく早く片をつけるようにはするが、敵方からいくらかの反撃があるやもしれぬ。可能な限りは防ぐが、どうなるかはわからぬ。ゆえに、わらわが行動を起こしたら、おぬしらは物陰に伏せて、できる限り己の身を守っておくれ』

 

 そう断った上で、嫌であれば降伏してもよい、その時は自分たちも付き合うと言い添えたが、船長は瑠螺の案を受け入れ、他の船員たちもそれに従った。

 不安はあったものの、このまま降伏すれば破産、もしくは破滅である以上、このメイジたちを信じるよりないと覚悟を決めたのである。

 危険を承知で戦地で商売をしようという連中だけあって、胆は据わっていた。

 

 行き足を弱め、停船したこちらの船に、黒船がゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。

 

 瑠螺は落ち着いて呼吸を整えながらその様子を眺め、他の者たちは、息を殺して物陰に身を潜めた。

 黒船側の甲板には弓や銃などを手にしたかなりの数の男らがいるのが見えるが、まだ距離が詰まっていないので、それらの武器を構えてはいない。

 風の強い高空ゆえに、砲弾ならばともかくそれらの軽量な飛び道具はある程度接近しなければまともに届かないのだ。

 やがて、こちらに何か呼び掛けようというのか、一人の男がメガホンを持ち上げたとき。

 

(……今じゃ!)

 

 瑠螺が素早く印を結んで、口訣を唱えた。

 狙う的が大きいだけに、通常よりもやや離れた距離であっても、問題なく術をかけることができる。

 

『命金行木砕 壊(金行に命じて木を砕く、壊れよ)!』

 

 黒船の方に突き出した手を、なにかを潰すかのようにぐっと握りしめた。

 

 途端に、船全体が金行をあらわす眩い白い輝きで覆われ……。

 次の瞬間には、船を作る木製の板がことごとく轟音を立ててバラバラに砕けていく。

 勇壮だった黒船は、一瞬にして廃船と化した。

 

「う、うぉおぉっ!?」

「ひぃっ! なんだぁぁ!??」

 

 黒船側の乗組員たちは、当然ながらパニックを起こしている。

 突然船体に空いた穴から落ちそうになって必死に残っている骨組みにしがみつく者や、弾けた木片に体を打たれて負傷し転げ回る者などが続出し、もはやこちらへの攻撃どころではなかった。

 それでも何名か、咄嗟に矢や銃弾を放った者はいたようだが、その大方は見当外れの方向に飛んだし、そもそも飛距離が不足していて当たるものではない。

 

 大砲も、その半数以上が既に砕けた船体から落下してしまっている。

 船は全壊に近い状態となりながらも、『風石』のはたらきが残っているおかげかかろうじてまだ宙に浮いてはいたが、当然ながらもはや航行することはできず、高度自体も徐々に落ちていく。

 瑠螺はその様子を確認して、指示を出した。

 

「よし、船主どの。もうよかろう、船を出しておくれ」

「……へ、へい! おい、お前ら。出航だ!」

 

 呆然としていた船長ははっと我に返ると、部下たちに命令を出していく。

 船員たちは急いで帆を張り直すと、直ちに船を出発させた。

 

 今や落ちるのを待つばかりの黒船には、それを追撃するだけの力はない。

 

 それでも、こんな状況下でも自分の持ち場を守って職務を果たそうとする船員が多かったらしく、残っている大砲の何門かが去っていくこちらに向けて数度、火を噴いた。

 そのうちのいくらかは的外れで、残りはタバサらメイジたちの呪文によって防がれる。

 それでも一、二発ほどが守備をかいくぐってこちらの船体に命中したが、リンとレンがすぐさま木行の術を使って破損個所を修復し、航行能力に影響は出なかった。

 

 二、三名ほど、杖を抜いて『フライ』の呪文で追いかけてこようとした者もいたようだったが、向こうの船長らしき男が止めていた。

 賢明な判断だろう、いかにメイジでも、そんな少数で乗り込んできてどうなるものでもない。

 彼らは悔しげにこちらを見送ると、代わりに破損した船体から落ちかかっている仲間たちの救助に向かっていった。

 

「やれやれ、どうにかなったかのう……」

 

 無法者どもにしては、なかなか統制のとれた動きをしているようだったが、こちらの賊はそんな感じなのだろうか。

 瑠螺は少しばかり疑問を抱いたが、今しがたの術に関する仲間たちの質問に答えることに忙殺されたのと、この先の任務に関する思案とで、そんな些細なことはすぐに頭の隅に追いやられた。

 

 彼女が台無しにした軍艦に乗っていた男たちが一体何者だったのか、この時の一行には知る由もなかった。

 





命金行木砕 壊(金行に命じて木を砕く、壊れよ):
 五行相克における金克木の理に従い、木、もしくは木製の物体を一言の元に砕いてしまう、五遁金行の一般的な仙術では最高レベルに属するもののひとつ。
成功難易度は、対象の大きさによって変化する。
瑠螺ほどの達人になれば、「小さな村ほど(一辺が3キロメートル程度)」の大きさがある建造物でさえ、その主材料が木でありさえすれば瞬く間に粉砕することができる。
対象が木の妖怪や邪仙であった場合、抵抗に失敗すると四肢のいずれかを失う(木の姿をしていた場合は即死)。

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