「ふうむ……。まさに、『神も悪魔も降り立たぬ荒野』といったところかの……」
夜明けまで一通り周辺を散策した瑠羅は、そんな感想を漏らした。
「いやいや、荒野などとは呼べぬのう。肥沃な土地じゃ」
瑠螺はあたり一帯を自らの目で見て回って、この世界に流れる『時代』が、央華のそれとは大きく異なっているのであろうことをはっきりと感じ取った。
なにせこのあたりでは、央華ではそこかしこにうずくまっている鬼も、土地神の類も、まったく見られないのだ。
大地を跳梁跋扈する妖怪も、空の彼方に見え隠れする天人もいない。
央華の世界とは、すなわち古の世界である。
神々がまだ遥けき郷愁の彼方ではなく、すぐ地続きの隣におわす、『神話の時代』が流れている世界なのである。
そこで活躍する仙人は人間の英雄ではなく、人より出でて神をも超える、人外の存在となった者たちだ。
それに比べれば、このハルケギニアはずいぶんと新しい。
どうやら神々も、仙人のような存在も、地上から姿を消して久しいようだ。
おそらくはメイジのような力を持った人間の英雄たちが頭角を現す、『伝説の時代』とでも呼ぶべき段階に入っているのであろう。
いずれは央華にもそのような時代がやってくるであろうことを、天界・冥界を行き来し星の世界から地上を見下ろせるまでになった一人前の仙人ならば、個人差こそあれど、ある程度は理解しているものだ。
それよりもさらに後には、英雄もまた姿を消し、人の能力にほとんど差がなくなって、万人に用いられる技術が発達した『科学の時代』がやってくるであろうとも言われている。
星晶の故郷である『チキュウ』という異世界はその『科学の時代』であったそうだが、ハルケギニアではメイジとそれ以外の人間に大きな違いがあるようだから、おそらくそこまではいっていないのだろう。
(さて、そうなると)
自分のような、この世界にとっては過ぎ去った時代の遺物のような仙人がここに呼ばれたことには、一体どのような意味があるというのだろうか。
星晶がそうであったように、この世界の命運にかかわるような、何か重大な役目があるのか。
それとも、そこまで大仰なものではなく、ルイズやその周囲の人間に関わる個人的・局地的な使命を果たすことにこそ意義があるのか。
あるいは……。
「……まあ。今ここで考えておっても、埒があかんわな」
瑠螺はそう呟いて、とめどない思考を打ち切る。
いずれにせよ、仙人が成すべきことは善行を行い、清徳を積むこと。
そのためになにをすればよいかなどは、その都度考えていくべきことであろう。
当面はルイズの元で使い魔とやらの役目をはたしながら、引き続きこの世界について学び、成すべきことを探して回ればよい。
央華の世界では、仙人は妖怪退治などはするが、普段から人の傍にいて助け続けるなどということはしないものだ。
常の人の身でもなんとかなることにまで手出しをするのは、かえってためにならないからである。
(しかし、メイジという超常の力をもつ人間がありふれているらしいこの世界では、はたしてどうであろうか?)
それもまた、自らの目で確かめ、自ら考えて判断するしかないのだろう。
道を見出すこと、それこそが仙人にとっての修行なのだから。
「さてと。今日のところは、そろそろ戻るとするかのう」
この後は、部屋でまた楽居壺を拡げて、仙宝づくりの続きをして。
それから、時間を見てゆるゆるとルイズの部屋に赴き、合流して朝食に向かうこととしよう。
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「これはよくよく見れば、なんともまた、精巧なつくりじゃなあ……」
瑠螺はルイズの部屋の前で、昨夜彼女から預かった部屋の合鍵を指先で弄びながら、感心したようにそう呟いた。
五遁金行を専門とする彼女としては、当然ながら金属を加工して作った製品には強い関心があるし、かなりの知識もある。
これほど精緻な鍵など、央華の世界では、仙人の作るもの以外ではおよそ見たこともない。
そもそも、央華では金属製品といえば青銅器が普通で、鉄を加工すること自体が高度な技術なのである。
鉄製の剣はそれだけで、ごく下級ではあるものの仙宝の一種として扱われるほどだ。
「しかも、なにか……術が施してあるようじゃが。これは、錆が浮くのを防ぐためかや?」
瑠螺がそうして、ルイズを起こしに行くのもそっちのけで手の中の鍵を分析することに夢中になっているうちに、隣の部屋の扉が開いた。
そこから、瑠螺と同じくらいに背が高くスタイルのいい、燃えるような赤髪と健康的な褐色の肌をした、若い女性が姿を現す。
年の頃は、ルイズよりも何歳か上、くらいだろうか。
瑠螺は、その少女になんとなく見覚えがあった。
おそらくは昨日の召喚の場に居合わせた、ルイズの学友なのであろう。
少女はルイズの部屋の前に立っている瑠螺の姿を見て一瞬きょとんとしたが、じきにそれが学友の召喚した使い魔であることを思い出したようだった。
「おはようございます、ミス……リュウラ、でしたかしら?」
「いかにも、わしは瑠螺と申す者」
瑠螺は両手を袖に納めて合わせ、軽く頭を下げた。
「しかし、貴族ではないゆえ、ただのリュウラで構わぬ」
「あら、そうですの? あなたの主人よりも、よっぽど貴族らしく見えますのに」
少女はそう言って、にやっと笑いながら髪をかきあげた。
「申し遅れましたわ。あたしはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー、二つ名は『微熱』。こちらのことも、キュルケと呼んでいただいて構いませんわ」
「かたじけない、キュルケどの」
「いえいえ。それで、お部屋の前で何をしてらっしゃるのかしら?」
そんなキュルケの問いに、瑠螺は正直に、自分は昨夜別の部屋をあてがってもらったのだが、朝になったのでルイズと一緒に食堂へ行こうと呼びに来たのだ、と答えた。
「しかし、わしの住んでいたところでは見かけぬほど精巧な鍵なので、気になってのう」
「ふうん?」
鍵などに何の興味もないキュルケは、ちらりと瑠螺の掌にあるそれを一瞥する。
「あたしの故郷のゲルマニアには、もっとつくりがよくてきれいな鍵がいくらでもありますわよ。……それじゃ、あたしはお先に」
キュルケはそう言って手をひらひらと振ると、フレイム―、と自分の使い魔の名を呼んだ。
その呼びかけに応じて部屋の奥から姿を現した、虎ほどの大きさがある熱そうな赤色の大蜥蜴を従えて、彼女は悠然と歩き去っていく。
「ほほう……」
瑠螺は、央華の世界では見かけないその生き物の姿を興味深く見送った。
体の一部に火が灯っているあたりからすれば、五遁の火行に属する生物であろう。
蜥蜴のような外見からすると、鱗類の一種か。
あるいは、あれもドラゴンというやつと同じ、この世界に住む龍族の一種なのかもしれない。
それからようやく、鍵を開けてルイズの部屋に入る。
部屋の主は、まだ寝台で寝息を立てていた。
「これ、ご主人。ルイズや。もう朝じゃぞ、起きぬか」
そう言って身体を揺さぶると、ルイズはようやく薄目を開けてのろのろと体を起こし、くああ、と大きく伸びをする。
彼女は昨日着ていた服を脱いで、なにやらゆったりとした上等そうな寝巻(ネグリジェ)に着替えていた。
瑠螺にとってはそれもまた興味深い代物であったが、いちいち詮索していてはきりがないし、ルイズはまだ寝起きでもあるので、質問することは控える。
「おはよう。……服、とってー」
「どこにあるのじゃ」
「椅子ー。下着は、そこのクローゼットの一番下ー」
むにゃむにゃした声で自分を小間使いか何かのように扱うルイズに少し肩をすくめながらも、瑠螺は黙って頼まれたものを用意してやった。
このような雑用は道士として修業をしていた頃に師匠からたくさんさせられたものであるし、これも使い魔の仕事のうちであるというのならば、強いて拒否せねばならないようなことでもない。
着せつけろとまでいうのはさすがに要求しすぎだと思ったのか、ルイズはのろのろとネグリジェを脱いで、渡された服に自分で着替え始めた。
「顔を洗いたいから、水汲んできてー。たらいは向こうにあるからー」
昨夜の飛葉扇とやらで水場まで行けば早いだろうと思ったルイズは、ついでにそう要求する。
「ふむ?」
瑠螺は最初、指示された通りにやろうとしたが、ルイズの示した場所に置かれていたのが金だらいだったので、手間を省くことにした。
『命金行生水 湿(金行に命じて水を生じる、湿れ)』
くるりと円を描くように金だらいの上で手を動かし、口訣を唱える。
ほとばしった気が金属表面に絡みつくと、そこから湧き出すように大量の水滴が生じ、見る間に容器いっぱいに水がたまった。
五遁相生の考えによれば、冷たい金属の表面に自然と水滴が結露するように、金は水を生じるのである。
「ほれ、もってきたぞよ」
その冷たい水で顔を洗うと、ようやくルイズは頭がはっきりしてきたようだった。
「お待たせ。……じゃ、食堂にいきましょうか」
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「偉大なる始祖ブリミルと、女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを、感謝いたします――」
豪奢な食堂で豪勢な食事を所狭しと並べた食卓につきながら、生徒たちが食前の祈りを唱和する。
「ささやか、には見えんわな」
瑠螺はその様子を少し離れて見守りながら、やや皮肉っぽくそう呟いた。
このように食べ切れないほどの料理を食卓に並べるのもまた、貴人の作法というものであろう……と、理解してはいるのだが。
おそらくはかなりの部分が食べきれずに残されるであろう大きな鶏肉の塊などを見ると、顔をしかめずにはいられない。
元々が野の狐である瑠螺としては、人間がしばしば明らかに必要な量を超えた狩りや採集をして、その分を無駄にしてしまうことが、どうにも好かないのであった。
(無益なことをするものじゃ)
彼女には子狐の頃に人間の狩人に追い立てられ、親兄弟や仲間たちを狩り殺された経験がある。
仙人になる前には人間にいたずらを仕掛けて回っていたのも、元を正せばその恨みがあったればこそなのだ。
まあ、途中からは天人さまだ太上準天美麗貴公主さまだとちやほやしてくれて、美味しい食事でもきれいな服でもなんでも持ってきてくれるのが嬉しかったから、というのもあるが……。
いずれにせよ、強要できるようなことでもないし。
自分で狩ったわけでもないここの生徒たちに、言ってみたところで仕方がない。
「それでは、ご主人。わらわは向こうでいただいてくるゆえ、また後での」
そっけない調子でそう言い置くと、きびすを返して厨房の方へ向かう。
去り際に、顔見知りのキュルケとタバサにも軽く会釈をした。
ここは生徒と教師の食堂ゆえに使い魔である瑠螺が食べるための場所はないし、あまりここで食べたいとも思わない。
よって、今後は厨房で食事を摂るということに、昨夜取り決めたのである。
ルイズとしても、昨日あれこれと尋ねまくられて周囲の視線が痛かったのもあって、彼女と別々の場所で食べることに特に異議は唱えなかった。
「どうぞ、リュウラさん」
「かたじけない」
厨房でシエスタが瑠螺の前に並べてくれた皿の数は、ルイズら生徒たちの前に並んでいたそれよりも、だいぶ少なかった。
といっても、別に差別されているというわけでも、主人であるルイズからお仕置きをくらっているとかいうわけでもない。
瑠螺自身が、昨夜のうちにそうしてくれるようにと頼んでいたからである。
彼女は仙人であるから、中には食べるわけにはいかない食事というものもある。
昨夜食べさせてもらった食事はどれも物珍しく美味しかったが、そういう理由で手を付けられない品も多かった。
無駄になってしまってはもったいないし申し訳ないので、あらかじめ自分の食べられないものを伝えて、それらが入っている料理は除去してもらうことにしたのだ。
「うむ、うまいのう。どれも見事な味付けじゃ」
使い慣れないこちらのナイフだのフォークだの、スプーンだのにはまだ多少手間取っているが、食事の味はやはり申し分なかった。
もちろん、友人である葎花女仙が宴会のたびに振る舞ってくれる、何十年何百年の研鑽を経た腕と厳選された食材で作られた数々の美味美食には劣るであろうし。
仙桃や人参果といった超常の食物とも、比べられるものではないが……。
ごく普通の日常的な食事としては、これまでに食べた中でも間違いなく最上の部類に入るだろう。
自然と、目尻や頬が緩む。
「ふふっ……。リュウラさんって、ほんとうに幸せそうな顔で食べられるんですね」
シエスタが微笑んでそう言いながら、彼女の前に食後のデザートとして、瑞々しいフルーツを並べていく。
「それが食物と作り手への礼儀というものであろうぞ。たとえそうでなくとも、ほんとうにうまいからのう」
この料理はおぬしが作ったのか、という瑠螺の問いに、シエスタは首を横に振った。
「いえ、とんでもない。私はただのメイドですから、賄い食ならともかく、貴族の方にお出しするような食事は作れませんわ。この厨房の料理責任者は、コック長のマルトーさんです」
そう言ってシエスタが示した先には、丸々と太った体を立派なあつらえの服に包み、他の使用人たちにあれこれと指示を出しながら忙しく働いている四十がらみの男がいた。
「ほう、あの方か」
なるほど、優れた料理の腕を持つだけあって、羽振りのよさそうななりをしている。
書物などまだろくに普及しておらず、知識や技術が概ね口伝や徒弟関係を通してのみ伝えられる央華のような世界にあっては、うまい料理が作れるというのは高度な専門技術である。
そういった技術を持つ者は希少で、かけがえのない価値があるのだから、貴人からの引く手数多で高待遇で召し抱えられるのは当然というものだ。
おそらくこのハルケギニアでも、そういった点はさほど変わらないのであろう。
挨拶をして食事の礼を言っておきたいところだったが、今は多忙そうなので、かえって迷惑か。
瑠螺はそう判断すると、食事をきれいに食べ終えてシエスタに礼を言い、マルトーらにも後でよろしく伝えておいてほしいと頼んで、席を立った。
命金行生水 湿(金行に命じて水を生じる、湿れ):
金属の表面に澄んだ水滴を多数生じさせる、五遁金行の仙術。
一度の行使で生じる水は金属の大きさにかかわらず両手に一杯分ほどだが、時間さえあれば何度も繰り返し用いることで大量の水を得ることも可能である。
生じさせた金属が清潔なものであれば、水は飲用にすることもできる。