央華封神・異界伝~はるけぎにあ~   作:ローレンシウ

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第九話 疾空公主 赴征伐

 

「そういえば、先ほどのあのロレーヌとかいう小僧はえらい怯えようであったが。おぬしは以前に、あやつをこらしめてやったことがあるのかえ?」

「喧嘩を売られたから、買っただけ」

 

 飛葉扇でゆるゆると王都トリスタニアへ向かいながら、瑠螺とタバサは先ほどの雑談の続きをしていた。

 タバサの方は腰を下ろして手持ちの本に目を落としていたが、話しかけられれば返事はする。

 

「あの様子からすると、相当痛い目を見たようじゃな」

「別に。キュルケほどのことはしてない」

「ほう、あの子もなのかや」

 

 瑠螺はまた、彼女が読んでいる本にも大いに興味を示した。

 しっかりとした装丁の付けられた本など、央華の世界にはまず滅多にあるものではない。

 そもそも紙自体が珍しく、書き物は普通竹簡か木簡にするものだ。

 

「わらわも読んでみたいものじゃが、こちらの字がわからぬでなあ……」

「暇があれば、教えてもいい」

 

 そんな風に、しばらくは和気藹々と(タバサは無表情だったが、なんとなく楽しそうな雰囲気は出ていた)話していたのだが。

 途中でもう一度イルククゥの現状を確かめようと目を閉じた直後に、タバサの様子が変わった。

 

 彼女は目を開けると、本を閉じて瑠螺の顔を見上げる。

 

「どうしたのじゃ?」

「もう少し、スピードを出して」

「スピー……? ああ、速さのことじゃな」

 

 瑠螺は、申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「残念ながら、この飛葉扇は風に乗って飛ぶものじゃからのう。今は、これより速くはならぬ」

 

 なるべく速度が出るように地上よりも強い風が吹いている高空を飛んではいるのだが、それでも現状の速度は、並みの人間が走るよりはやや速いという程度。

 よほどに強い追い風の時でもない限り、飛葉扇は仙人の乗騎の中ではかなりのんびりと飛ぶ部類である。

 逆に強い向かい風が吹いていると、前進できないことさえあるのだ。

 

 それでも央華であれば、世界のあちこちをつなぐ『風路』という仙人だけが利用できる近道を通ることで、かなり遠方の目的地にも比較的短時間で到着することができるのだが。

 この世界では、どうやらそのような通路はほとんど存在していないようだった。

 元々そうだったのか、それとも神話の時代から伝説の時代へ移り変わって行くにつれて徐々に失われていったのかまではわからないが。

 

「……そう」

 

 かすかに顔をしかめてぐっと手を握りしめたタバサの様子を見て、瑠螺も顔を曇らせる。

 

「もしや、イルククゥに何かあったのかや?」

 

 タバサは一瞬躊躇した後に、こくりと頷いた。

 

「人さらいに騙されて、捕まったらしい」

「なんと……。しかし、あの子がただの人間に捕まるものか?」

「人の姿に化けているときは、ほとんど無力」

「ならば、変化を解いて戦えば」

「正体がばれることになるかもしれない。それに、おそらく相手側にはメイジがいる。危険が大きい」

 

 そう説明する彼女が先ほどの一瞬の躊躇の間に考えていたのは、ここは瑠螺には何も言わずに一人だけで『フライ』の呪文で飛んでいこうか、ということだった。

 このままのペースで飛んでいては間に合わないかも知れないし、向こうに着けば人さらいどもと対決しなくてはならないだろうから、自分の使い魔のことで彼女を危険に巻き込みたくもない。

 

 しかし、身ひとつで呪文で飛べば、精神力や体力を消耗することになる。

 トリスタニアまではまだかなりの距離があり、到着した後のことも考えると、ここから自力で飛んでいくというのは避けたかった。

 自分の呪文で風を起こせばこの飛葉扇とやらを加速できるのでは、とも考えたが、到着まで呪文で強風を吹かせ続けたりすれば、やはり相応の精神力を消耗することは変わるまい。

 

 イルククゥの周囲には他にも大勢のさらわれた少女たちがおり、そのあたりからして人さらいたちはそれなりの数で、仲間内にはメイジもいるものと推察される。

 彼女らを戒めているロープは魔法が込められたものであるらしく、それゆえ容易には切れないためにイルククゥも未だに拘束を解いて暴れ出さずにいるのだが、そのことがかえって幸いした。

 暴れ出してもしも敵に歯が立たなければ、即座に殺されてしまうだろうから。

 

 だが、いかに魔法のロープといえども、イルククゥがこの状況に耐えかねて多少の痛みをこらえて無理に変身を解くことにすれば、よほどのものでない限りは巨体の圧力によって引き千切れてしまうはずだ。

 

(あの子がそうしようとする前に、助けに行かないと)

 

 学院にまだいる内にこの状況に気付いていれば、なにか足の速い乗り物を借りて行くこともできたものを。

 もっとも、その分出発が遅れれば、結局到着する時間に大差はないかもしれないが……。

 

 タバサが内心で焦っていると、瑠螺が厳しい顔をして頷いた。

 

「なるほど、ならばこう悠長に飛んでおる場合ではないのう。急いで向かわねばならぬ」

 

 そう言いながら、手持ちの手段で最も早く移動できる術を真っ先に頭に思い浮かべる。

 自分とタバサの両方にその術をかけることは容易いが、さて。

 かなり速度が出ることもあって、初めて使う者とでは上手く足並みを揃えて飛べないかもしれない。

 仙人の発声法を知らない者とでは、互いに飛びながら言葉を交わすことも難しいだろうし。

 

 それよりなにより、魔法で飛ぶことには慣れていても仙術には不慣れなはずのタバサが、万が一にも飛行の制御を誤って何かに高速で頭から突っ込みでもしたら命にかかわることになる。

 と、なれば。

 

(この子を抱えて飛んだほうが安全か)

 

 本来はそういった使い方を想定した術ではないのだが、まあタバサは小柄だし、一人くらいなら抱えても十分に飛べるはずだ。

 そう結論して、ちょっと屈み込むと、彼女と目線を合わせた。

 

「……何?」

「タバサや。わしが仙術を用いれば、この飛葉扇よりもずっと速く飛ぶことができる。おぬしさえよければ、抱えて飛んで行けば早く着けるであろう」

 

 それを聞いて、タバサはきょとんとした様子で、二、三度目をしばたたかせた。

 ややあって、口を開く。

 

「……その『センジュツ』というのは、先住魔法……精霊魔法のこと?」

「わしの故郷ではどちらの言葉も聞いたことがないゆえ、同じものかと聞かれてもわからぬ。が、イルククゥの使っておった変化の術は、仙術とはまた違うもののようであったが」

「そう……」

 

 タバサは少しだけ考えて、首を横に振った。

 

「あなたに抱えてもらわなくても、わたしも自分で飛べる」

 

 風系統の優秀なメイジであるタバサは、当然ながら自系統の魔法である『フライ』の扱いには熟達していて、かなり速く飛べるのだ。

 少なくとも、学院の同学年で自分より速い者はいないと、自信をもって言い切れる程度には。

 瑠螺のセンジュツとやらがどれほどのものかは知らないが、人ひとり抱えてそれ以上の速度が出せるとは考えにくい。

 

 ならば、あえて大変な思いをしてまで自分を抱えて飛んでもらわなくても、この際消耗はやむなしと割り切って自力で飛んだ方がいいのではないだろうか。

 消耗した状態で人さらいどもと対決しなくてはならないのは痛いが、途中で瑠螺を振り切れれば、彼女を危険に巻き込まなくても済むことだし。

 自分の使い魔が危険にさらされているのだから悠長に待っているわけにはいかないということで、彼女を置いていく言い訳も立つ。

 

 瑠螺は少し口を開いて何か言いかけたが、思い直してこくりと頷いた。

 

「わかった。では、ひとまず互いに、自力で飛んでみるとしよう」

 

 

 そんなやりとりのあった、一、二分後。

 タバサは結局、瑠螺の腕に抱きかかえられて運んでもらっていた。

 

「シルフィードより、ずっとはやい。……かも」

 

 飛葉扇から降りて実際に飛んでみると、瑠螺の方が自分よりも遥かに速いことがすぐに明らかになったのである。

 風のメイジとしてはそのことにいささかプライドが傷つけられないでもなかったが、今は非常事態。

 より早く、より消耗せずにたどりつける手段があるのなら、そちらを取るのは当然だ。

 

 昨日召喚して昨夜和解したばかりの使い魔にはまだろくに跨がったこともないが、おそらく彼女のような幼生の風竜よりは速いだろう。

 もしかしたら、成体の風竜と比べてもなお速いかもしれない。

 

「なんだか、小牟あたりが口にしそうな台詞じゃなあ」

「シャオムゥ……? 誰?」

「わしの知人じゃ。同じ仙狐仲間での」

「……センコ?」

「ああ、いや、どうでもいいことじゃ。気にせんでおくれ」

「そう……」

 

 さすがに抱きかかえられていては本も開けないので、そんな無駄話などをしながら、タバサはちらりと瑠螺の足に目をやった。

 そこからは、猛烈な勢いで眩い炎が噴き出し続けている。

 彼女はセンジュツとやらによって両足の裏から火を吐き、その勢いを利用して超高速で飛行しているようだった。

 

 確かに、爆炎に物を吹き飛ばす力があることくらいはタバサも知っていた。

 しかし『火』によって『風』を超える速度が出せるなどとは、これまでに考えたこともなかった。

 

「寒いかもしれぬが、いま少し辛抱しておくれ」

 

 瑠螺はタバサにそんな言葉をかけながら、腕の中にある彼女の体をしっかりと抱き寄せ、頭や頬も寄せて自分の体で庇い、できる限り風に当たらないようにしている。

 仙人ならともかく、この速さで叩きつけてくる風は、当たり前の人間の体には堪えるのではないかと気遣っているのだ。

 

 瑠螺は昔から、年下の仲間に対してはしばしば姉や母のように接して慈しみ、守ってやろうとする。

 それは自身が過去に家族を、両親も兄弟姉妹もすべて失ってしまった経験があるからだろう。

 

「大丈夫」

 

 タバサは呪文を唱えて空気のシールドを張り、自分たちに当たる風の勢いを和らげようかと思った。

 

 しかし、少し躊躇した後に、やっぱりやめておこう、と考える。

 この体勢では杖が振りにくいし、万が一にも大切な杖を落としたりしたら大変だし、到着した後に備えて少しでも精神力を温存しておかなくては。

 

「……」

 

 自分にそう言い聞かせて、抱きかかえてくれる瑠螺の腕にぎゅっとしがみつき、かすかに紅潮した顔を押しつけられたその胸に埋めるようにする。

 

 要するに、意識しているかどうかはともかくとしても、タバサは気遣いをしてくれる瑠螺にいま少しの間甘えたいのだった。

 普段は冷たい氷のような態度をとって人を避けてはいるが、決して人肌の温もりが恋しくないわけではない。

 理不尽な運命によってある日突然家族をすべて奪われてしまったのは、彼女も同じなのだ。

 

 ……に、しても。

 

(大きい)

 

 ゆったりとした豪奢な衣を二重三重にまとっている上からでもプロポーションの良さがはっきりと見て取れるくらいだが、実際にこうしてくっついてみると、思った以上に大きいのがよくわかる。

 もしかしたら、友人のキュルケよりも大きいかもしれない。

 彼女のがメロンだとしたら、こっちは。

 

(……小玉スイカ?)

 

 そんなタバサの内心などつゆ知らず、瑠螺はふと、思い出したように尋ねた。

 

「ところで、さっきの『シルフィード』というのはなんじゃ?」

「イルククゥ。……新しい名前を、と思って。このあたりの言葉で、風の妖精という意味」

 

 別に改名を強要しようなどと言うわけではなく、普段呼ぶための仮の名前を用意しようと考えたのだ。

 先住の民である韻竜の名前は、このあたりでは奇妙で目立つだろうから。

 

 そう説明を聞かされた瑠螺は、目を細めて優しげな笑みを浮かべた。

 

「近しい人から名前をいただけるというのは、素晴らしいことじゃな。自分で大仰な名を付けたりするよりも、その方がずっとよい。きっと、あの子も喜んでくれると思うぞ」

 

 そう語りながら瑠螺が頭に思い浮かべていたのは、もちろん自分のことを『太上準天美麗貴公主』と呼んでからかう飛翔と高林の姿であった。

 臆面もなくそんな名前をひねり出して、胸張って名乗っていた子狐時代の自分のことを思い返すと、今でも頭を抱えてのたうち回りたいような気分になってくる。

 

 もちろん、それ以上に恥ずべきなのは、その当時にはたらいていた悪戯と小悪事の数々であるが。

 

「……そうかも」

 

 そう呟いて、かすかに俯くタバサの頭に思い浮かんだのは、自分が現在名乗っている『タバサ』という名前のこと。

 それは自分で付けた、大仰でこそないが、哀しい名前だった。

 

「わたしも、そうだったらうれしい。うれしかった……」

 

 タバサは最後の部分を誰にも聞こえないほどの小声で付け足すと、瑠螺にしがみつく腕にもう少し力を込めた。

 

 

 それからほどなくして、二人は目的の場所へと到着した。

 

 タバサがイルククゥ、あらためシルフィードとの感覚の共有で得た情報から、賊が通るであろうと目星を付けた経路である。

 そこはトリステインから隣国のゲルマニアへ向かう者が通る、人気のない峠道だった。

 おそらく人さらいどもは、少女たちを身寄りのない国外へ運び出して売り飛ばしてしまうつもりなのだろう。

 

 待ち伏せに適したところを見繕って、そこで身を潜めて張り込んでいると、しばらくしてさらわれたシルフィードらが乗せられていると思しき馬車が通りかかった。

 

 タバサは眼下に見えるその馬車が、間違いなく探しているものであるかどうか、慎重に見極めた。

 ややあって、その馬車の動きとシルフィードから送られてくる映像の揺れとが完全に一致していることから、間違いないと断定する。

 

「シルフィードは、他のさらわれた子と一緒に手前の荷馬車に乗せられている。後ろの大きな馬車には、おそらく賊の頭が乗っている」

「うむ……」

 

 タバサの説明を聞いて、瑠螺は少し考え込んだ。

 

「……のう、タバサや。わしはこのあたりの作法には疎いゆえ、仕掛ける前にちと聞いておきたいのじゃが」

 

 何か、というようにタバサが自分の顔を見上げたのを確認して、瑠螺は質問を続けた。

 

「ここらでは、ああいう人さらいどもというのは、殺してしまってもかまわぬものなのかや?」

 

 彼女としては、数多くの犠牲者たちの人生を己の利益のために平気で踏み躙ってきたような者どもは、直ちに冥界へ落としてやってもよかろうと考えていた。

 

 なにも、自分が狐の生まれで、狐を狩るような異種族にそこまで深い慈悲を示す気がないから、というわけではない。

 央華では、軽い罪を犯した者には鞭打ちなどの罰を与え、それで済まない重い罪を犯した者は殺してしまうというのが通例なのだ。

 一般の人々はもちろん仙人の間でも、罪が重く現世で償いきれない場合には、一度死なせて冥界で罰を受けさせた上で、生まれ変わらせてやり直させるべきだと考えられている。

 

 それは輪廻転生が確かに存在し、そのことが広く一般に知られている世界なればこその考え方だが、社会的な事情というものも大きい。

 央華では小規模な邑が離れて点在している地域が多く、そのような場所では悪人を生かして捕らえても、その後の扱いに困るのが目に見えているからだ。

 まともな牢などない邑も多いし、仮にあったとしても、捕らえた者たちの見張りをしたり世話をしたりするのに割けるほどの人手がない。

 かといって、二度と悪事をせぬと約束させて放免したとしたところでそれが守られる保証はどこにもないから、結局は捕らえたらすぐに殺してしまうのが一番現実的だということになる。

 捕らえてしばらくは生かしておいた者を結局処分せざるを得なくなって後味の悪い思いをするくらいなら、その方がましであろう。

 

 だが、別の世界には別の世界のやり方があることを、瑠螺は星晶という異世界から来た少女に出会ったことで知っている。

 

 星晶は、たとえ相手が既に何十人も殺している盗賊団でも、殺すことを避けて生かして捕らえようとしていた。

 それが、彼女の故郷における当然のやり方なのだと言って。

 そもそも星晶の故郷である『チキュウ』という世界では、来世自体がはたしてあるかどうかも定かではなく、ひとつきりの命を奪うというのは非常に重い行為であるらしいのだ。

 

 そういった経験ゆえに、このハルケギニアでも央華と同じやり方をするのが妥当であるとは限らないだろうと思って、事前に尋ねてみたのである。

 

「……やむを得ない場合には、殺しても仕方ないと思う」

 

 タバサはそう答えたものの、瑠螺に対しては昨夜からずっと優しい女性だという印象を持っていたので、殺していいのかなどという話をあまりにさらりとふられたことには内心少し面食らった様子だった。

 いろいろと事情があって荒事には慣れている彼女であっても、妖魔や獣が相手ならともかく、さすがに人間を殺すことにはかなりの抵抗を覚える。

 

 とはいえ、相手は人身売買という重犯罪を犯した罪人どもなのだから、激しく抵抗するなどした場合にはやむなく殺してしまっても咎められることはまずないだろう。

 さらわれた少女たちが、正当な行為であったと証言してくれるだろうし。

 そういう意味では、捕らえようなどと考えずに即座に殺す気で攻撃をかけたほうが、確かに楽で安全ではあるかもしれない。

 

「それはつまり、やむを得なくないときには捕らえた方がよい、ということでもあるわけじゃな?」

 

 瑠螺はそう言って、やや困ったような、曖昧な笑みを浮かべた。

 

 罪人を生かして捕らえるだけの余裕のある社会や、現世での更生を目指そうという考え方は決して嫌いではないのだが。

 彼女の専門とする五遁仙術は戦闘では直接的な破壊力に優れた系統であり、殺さずに捕らえるとかいったことにはあまり向いていないのである。

 

「無理に手伝ってくれとはいわない。ここまで連れてきてくれただけでも、感謝している」

 

 タバサは瑠螺に気を遣って、そう言ってみた。

 

 先ほどの高速飛行術から見ても、彼女が先住魔法の使い手であれそれ以外の何かであれ、相応の実力者であることは確かなのだろう。

 しかし、自分の使い魔を助けねばならない義務など、本来彼女にはない。

 瑠螺はあくまでも、ルイズの使い魔なのだ。

 

「あなたを危険な目に遭わせては、ルイズに申し訳が立たない」

 

 ついでにそう理屈を付けてもみたが、瑠螺は一瞬の迷いもなく首を横に振った。

 

「それでは、おぬしは自分が死ねば父母が悲しむからというて、目の前で苦しんでおる友を救うために危険を冒すことを拒むのかや?」

「…………」

「そのようなことをできるはずがなかろう。わらわを見損なって、くだらぬことを言うものではない」

 

 そもそも、『仁を貴び、おのが信ずる善をなすべし』という戒律を遵守する瑠螺にとっては、最終的に従うべきものは己の良心だけなのである。

 

「それよりも、馬車が行き過ぎないうちにさっさと襲撃の算段を立てようぞ」

 

 そう促す瑠螺の、少しつり上がり気味の瞳には、優しさと鋭さとを同居させておくに十分なだけの大きさがあった。

 タバサはそれをじっと見つめながら、こくりと頷きを返す。

 

 二人は速やかに作戦をまとめて、一人が人質となり得るシルフィードや少女たちの乗った馬車を奇襲して押さえ、残った一人が同時にもう一方の馬車を攻撃して賊どもを制圧しよう、と取り決めた。

 もちろん、どちらかが先に片付いて手が空いたなら、もう一方に助勢すればよいわけだ。

 

「あなたは、シルフィードの乗った馬車の方を押さえておいてほしい。わたしがその間に、賊と戦う」

 

 自分の使い魔を解放する役を他人に委ねるのは気が引けるが、より危険度が高いであろう賊の頭との戦いを任せるわけにはいかないという気持ちから、タバサはそう提案した。

 

 その提案に瑠螺が首肯を返したのをもって、話し合いの時間は終わり。

 いよいよ、行動の時となった。

 





以火行為噴進 翔(火行を以て噴進と為す、翔べ):
 第2版のルールブックに記載されている、瑠螺公主独自の高レベル仙術。
この術をかけられた者はその後一日の間、足の裏から火を噴いて超高速で飛行することができるようになる。
この勢いを利用して敵に突撃をかけると攻撃/受けに+4の修正を得ることができ、敵はたとえこの攻撃を受けることに成功したとしても、その威力によって10丈あまりも吹き飛ばされてしまう。
ただし、あまりに速いため回避されると地面に激突して逆に自分がダメージを受けたり、遥か彼方まで行き過ぎてしまって戦場への復帰に手間取ったりする恐れがあり、狭い部屋の中などで使用することは非常に危険である。
この術を割り込みで防御に用いれば、回避に+4の修正を得ることもできる。
 なお、超高速というのがどのくらいの速さなのか正確なところは第2版のルールブックには書かれていないのだが、とりあえず普通の鳥の四倍の速さで飛ぶ乗騎に跨っていても攻撃/受けと回避には+1のボーナスしかつかないので、それよりも格段に速いものと思われる。
ちなみに、央華世界でも有数の強力な大仙が所有している使役獣の中には、「光の速さで飛べる」ものもあるとされている。

洞統五戒:
 央華の仙人は大道から導き出された戒律に従って生き、それを守ることで徳を積み、寿命を延ばす。
各洞統ごとに五つの戒律があり、仙人はそれぞれが自分の修行した洞統の戒律の中から三つを選んで、それを守らなくてはならない。
それに加えて、新たに別の洞統で学んだ場合には、そちらの洞統の戒律からもさらに一つを選んで、以降はそれも守るようにしなくてはならない。

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