こんにちは。いやもう、こんばんはと告げてもいい時刻かな。
はじめましての人ははじめまして。一年ぶりのあなたには、ご無沙汰しておりますとでもあいさつしておきましょうか。
どうも、東の空にぷかりと浮かぶ赤い円形、名前をストロベリームーンといいます。どうぞよろしく。
いやー、ねえ? なんといいますか。
年がら年中365日、あるいは366日、太陽さんとの二人体制でシフトを組んでるお月様なんですが、やっぱり今年もこの日だけは休ませてくれって聞かなくて、しょうがないから私がこうして出てきたわけなんですけど。
いかんせん私ってほら、赤い体をしてるじゃないですか。姿形はお月様と瓜二つでそっくりさん状態なんですけど、色だけがこの通り違うわけなんです。
だからなんですかね。
人間たちのあいだでは、私のことを別名『恋をかなえてくれる月』と呼んでくださることもあるそうで。
いやぁもうね、ありがたいのなんのって。
恋ですよ、恋。
私もしてたなぁ。若い頃の話ですけどね。それも叶いようのない無謀な恋でしたけど。だって相手が、あの太陽さんですよ。いつまで経ってもぐるぐるぐるぐるお空の上を追いかけっこしているうちに、なんだかこう、好きになっちゃって。追いつけるはずもないのにね。もうあの頃の気持ちは思い出せないですけど、いい恋をしていたなあって記憶はあるんですよ。でへへ。
しょうもない自分語りはこの辺りにしておいて、どうやら今年も全世界各地から恋の願いごとが私のもとに届いているみたいなので、ちょっくら覗かせていただくとしますか。
おっ? おおっ? この、ひときわ強い恋慕の情を発しているのは、誰だろう? 場所は日本だねこれは、そしてその首都の東京で、えーっと、東京にお住いの女の子だね。女の子。やっぱりこういうおまじないとか好きなのは女の子だって、相場が決まってんだよね。恋のおまじないに躍起になる男の子も、それはそれでかわいいからアリだけど、今年のところはこの女の子に決めたっと。
地表をズームして拡大して凝視してやっと見えてきた。身長差のある男女が、近代的な街中を歩いてる。男の方はどの国でも流通しているようやスーツ姿で、女の子の方はあれだね、日本特有のジャパニーズKIMONOってやつだね。着物。あれどうやって着て、どうやって脱ぐんだろ。ざっと付近を見下ろしてみてもあんまり着ている人を見かけないってことは、今となっては日本の中でも希少性があって値段もそこそこするのかね。
そんな着物を身にまとい大和撫子然とした女の子が、小柄な体躯に見合わず肥大した想いを抱えているようだから、さらに興味がひかれていく。となりの男はなんか普通。普通すぎて逆に怖い。
なにはともあれ、まずは心を読ませてもらおうか。
「寮まであと五、六分ってところか」
とは男の弁。心の中で考えてることをそのまま、まるっきり修飾も省略もせず口に出したようだ。頭からっぽなのかこいつ。
にしても寮か。男の方は社会人といった出で立ちだから、入寮をしているのは女の子の方とうかがえる。男はふだん、女の子を監督する立場か役職についているため、こうして帰路に付き添っているのだろう。そうでなければ、あと考えられる間柄は恋仲くらいだ。その可能性もないわけではないのかもしれないけど、どうもそういう浮ついた雰囲気はふたりから感じられなかった。
「もうすこし、寮と事務所の距離が近くてもよかったかもしれないな」
「……いえ、リンゼはこのままでも」
リンゼ? リンゼというのかこの女の子は。鈴が鳴るような声で告げられた聞き馴染みのない単語は、彼女の立ち振る舞いと合わせてみれば、じんわりと馴染んでいくような印象があった。似合っていた。名は体を表していた。
「たしかに、事務所のあたりって人の通りも少ないとは言えないし、そこらに寮を構えちゃうのは良くないかもな。騒音とか防犯的にも」
「……リンゼは」
「ん?」
言葉を詰まらせた少女の胸の内が気になり、覗いてみた。
『凛世は、プロデューサーさまのお隣で、できるだけ長く歩いていたいだけなのです……』
ハッとした。
凛世、そういう字を書くのか――ではなく、世界にごまんといる乙女を差し置いて、私の目が留まるほどの想いを抱えていた少女なんだ。心を読めば、こういったセンチメンタルを暴いてしまうのは当然だった。
静かでありながら、確かに灯っていた小さくて色濃い想いはしかし、外気に触れることはなく、まぼろしのように消えてゆく。
「ご覧ください、プロデューサーさま。こうして外を歩いていると、さまざまなものが目にとまります……」
少女の赤みがかった双眸に射抜かれた。一瞬、私がこうして観察しているのがバレたのかと肝が冷えたが、そんなわけはない。
『あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも』
彼女は、声に出さず呪文のようななにかを唱えていた。なんじゃらほいと疑問に思っていると、小さな彼女のからだのなかで、風景が広がっているのに気づいた。山が見える。鳥が飛んでいる。きつねが横切った。石畳を踏む感触がした。竹箒を握った。紅の鳥居がそびえ立っている。山の陰に夕日が沈んでいく。うしろのそらに、私がいた。いつの日かの私。赤い月。夕日の残滓と、私が放つおぼろげなひかりに照らされて、ひとりの女の子がなにをするでもなく立っている。それを離れた場所に立つ女の子が見ている。ふたりはよく似ていた。というより、背格好はほとんど同じで、違うのは身にまとった衣服だけだ。
ようやく彼女の心情が、私の中で循環した。理解できた。
彼女は今の私を見て、過去に故郷で見た私を思い出し、想いを馳せていたようだ。さきほど唱えていた呪文のようななにかにも、そのような意味が込められていたのだろう。
「おっ、なんだか今日の月は赤く見えるな」
男が驚いたように声を上げる。少女の視線を追って、やっと私の存在に気づいたらしい。にぶいやつだ。
「なんだか、まるで凛世の瞳の色みたいだ。きれいだな」
「……プロ、デューサーさま」
なんて歯の浮くようなセリフなんだと、傍観者の私はモヤっとしたが、少女は無反応に見えて内心で混乱しているみたいで面白いから、まあよしとする。ちなみに今現在、彼女の心中風景では、自身の故郷らしき神社で結納の儀式を執り行うふたりの姿が見えた。幸せそうで、なによりだ。
「でも、残念だな」
「……どうかなされたのですか」
「もうすぐであの月、雲に隠れてしまいそうだ」
えっ? なんですって?
見回してみると男の言うように、雲が私の視界をさえぎろうと等速運動していた。しかもなかなか分厚くて規模も大きい。このままのペースでいけば三秒後には、あのふたりの姿が見えなくなってしまう。
「……また来年、こうしてお目にかかれれば、嬉しく思います」
「そうだな」
男の相槌を最後に、私の視界は雲一色となった。
あの男は少女の言っている意味がわかっていたのだろうか。あの子は、来年もあんたの隣で私を見上げたいと遠回しに伝えてるんだぞ、そこんとこわかってんのか?
わかってないだろうなぁ……。
なにはともあれ、あの凛世という素敵な女の子の恋愛成就を願って、私は知り合いの星たちに頼んで、五発ほど流れ星を撃ってもらうことにした。
(おしまい)
意識して見たのは今年が初めてだったんですけど、本当に赤みがかってて大きくて綺麗でした。