けものフレンズR あるトラのものがたり   作:ナガミヒナゲシ

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 あるトラのものがたり第30話です。
 
 現実とまどろみの狭間を足掻く、弱き獣がいた。
 もう一人の主人公が、始まりの途を静かに歩き出す。
 


過去編後章13「クズリとヒツジ」

 一番最初の出来事。

 遠い記憶の彼方に過ぎ去った、それでいて目蓋の裏に今も焼き付いている過去。

 

 春も半ばを過ぎ、新緑が力強く大地から芽を吹き始めた頃、僕はいつものように草原を駆け回っていた。遊び仲間の間では一番体が大きくて、足も速かった僕は、南から吹いてくる暖かい風の中へ飛び込むように走り抜けた。

 

 そんな僕の高揚した気分を、目の前に立ちふさがる行き止まりが食い止めた。

 苔生した木材で作られた柵が、緑が芽吹く草原の向こう側までずっと並んでいる。この柵の内側だけが僕たちの世界だった。

 この柵の向こうには出るな、とお母様からいつも口を酸っぱくして聞かされていた。

 

 僕はヒツジ。中でもメリノ種と呼ばれる品種だ。分厚くて暖かい体毛がヒトに重宝され、世界中で家畜化されている。

 

 僕はまだ子供だけど、自分の一生はたかが知れていると思っている。この柵の中で草を食み、その代わりに排泄して土を肥やしながら大人になっていく。

 そうしたら今でさえ鬱陶しいぐらいに重たい体毛をヒトに差しだすんだ。気の遠くなるぐらいに何回も刈られて、まともに毛が生えなくなるぐらいの年寄りになった頃、僕はシチューの具にされるのかもしれない。あるいはただ年老いて死ぬだけかも。

 なんてつまらないんだ。片田舎の牧場で飼われながら、自分の人生の意味を問うこともなく、可能性を試すこともなく・・・・・・

 

 柵を背にして振り返ると、後から追い付いて来た仲間たちの笑顔が目に入った。彼らは何が面白いんだろうか。

 いや、あるいは彼らもヒツジの一生のつまらなさに気付いているのかもしれない。それを口にしたら一遍にしらけてしまうから、あえて黙っているのかも。

 

「今度は反対側の柵まで走ろうよ」と、僕は用意していたつまらない一言を告げる。仲間たちもその提案に面白そうに乗ってくれた。

 本心ではつまらないと思っているのかもしれないけど。

 

_______ガァァウウウッッ!!

 いちにのさん、で反対側まで駆け出そうとしたその瞬間、地獄の底から聞こえるような野太い叫び声が僕たちの合いの手を打ち消した。

 ヒツジの白くて分厚い間抜けなそれとは異なる、黒光りするギザギザの体毛。大人のヒツジより一回り以上も大きい体躯、血走った赤黒い瞳。

 

 オオカミだ。オオカミが牧場に入ってきた。

 大人たちから柵の外に出てはいけないと聞かされてきた一番の理由。僕たちヒツジを襲って食べてしまう猛獣だ。

 僕のひいじいちゃんや、親戚の叔母さんもオオカミに食い殺されたらしい。牧場を守るヒトが銃を持って何度も彼らを撃退しているから、なんとか僕たちは生きながらえることが出来ている。彼らはヒツジにとって絶対的に恐ろしい存在だった。

 

 遊び仲間たちが声にならない悲鳴を上げながら一目散に逃げだした。最初に見つけた一匹だけじゃなく、何匹ものオオカミが柵を乗り越えて牧場内に侵入してきていた。

 

 オオカミの俊足が、逃げ惑う鈍足の仲間に追いついた。

 一つの命が終わる瞬間だった。この世のあらゆる色彩を織り交ぜたような鮮血と内臓が飛び散って、仲間の一人が息絶えた。

 僕はそれを見て、自分の想像を超えた景色がこの世界にあることを知った。

 

 逃げられっこないと思って、ただ茫然とその場に立ち尽くしていた。

 そのまま目を閉じて最後の瞬間を迎えようとしていた瞬間、オオカミではない生き物が僕に覆いかぶさってきた。

 お母様だった。僕にたくさんお乳を飲ませてくれた。寒い夜は寄り添ってくれた。柵の中で僕を立派なヒツジに育てようとしてくれた、世界で一番大好きなお母様・・・・・・だけどお母様も所詮はか弱いヒツジの中の一匹だった。オオカミのたった一噛みで絶命させられて、肉塊と化して地面に横たわった。そうして目の前に現れたのは、隙間なく僕を取り囲むオオカミたちの姿だった。我さきにと僕を食い殺さんとする視線を向けて迫ってくる。

 

 悲しかった。怖かった。でもそれ以上に、これから自分が死ぬことを受け入れようという諦めの感情の方が強かった。

 だってそうだろう。オオカミっていうのは、こんなに強くて凶暴で、自由奔放な存在なのだ。こんな奴らに見つかったら、ヒツジみたいな弱い生き物は、命を差し出す他はない。

 オオカミとヒツジ、食らうものと食らわれるもの。その関係が変わることはない。

 ヒツジに生まれた時点で遅かれ早かれこうなる運命だったのだ。

 

 観念して閉じた目蓋の裏側に、赤い光が突き抜ける。痛くもない、苦しくもない。ただただ眩しい。赤一色に世界が染まって、他の全てがわからなくなった。

 

 僕はそれで終わりのはずだった・・・・・・。

 

 

「・・・・・・メリノ? そんなにボーっとして何考えてるっスか?」

 僕が窓ガラス越しに外を眺めていると、後ろから誰かが声をかけながら近づいてきた。

「スパイダーさん」

 見知った姿の方を向いて僕は軽く会釈した。

 彼女は僕のすぐ傍で足を止めて柵に手を付くと、同じように窓ガラスの向こうを見やった。

 

 窓ガラスに反射して、僕とスパイダーさんの姿が映り込んでいる。

 

 彼女は愛嬌のあるクリっとした大きな瞳を眩しそうに瞬かせている。鮮やかな短い金髪と、同様に金を基調としたシンプルで身軽な軽装に胴体を包んでいる。何より目を引くのは、臀部から生えている彼女自身の身長よりも長い尻尾だ。

 彼女は元はジェフロイクモザルという、南米に生息するサルの一種だったそうだ。

 

 僕はといえば、相変わらず白くてブカブカの毛に全身が覆われていたけど、顔や手先、太腿なんかはつるっとした地肌が露出している。左右のこめかみからは、昔は生えていなかった大人のヒツジの証である渦巻き状に湾曲した角が生えていて、ちょうどそれが変な形の横髪みたいに見える。

 ふわふわの前髪から覗く瞳は、自分でいうのも何だけど、気だるげで覇気が感じられない。

 

 僕もスパイダーさんも、それぞれに全く異なる身体的特徴を持っていたけれど、それでもいくつかの部分が不自然に一致していた。

 直立二足歩行をすること。両手が自由に使えること。言葉を話したり考えたりする知能を持っていること。

 そんな特徴を持っている動物は世界中にただ一種しかいない。ヒトだ。

 

 フレンズはヒトに似た姿の中に、ヒトと同等の知能と、数十倍の身体能力とを兼ね備えた元動物であるとされる。

 オオカミに食い殺されて死んだはずの僕は、そんな奇妙奇天烈な生き物になって甦ったんだ。

 新しい姿を得たのと同時に、新しい役目もあてがわれた。それは柵の中で守られて生きてきた安穏とした前の人生からは想像も出来ないものだった。

 

 役目・・・・・・それは世界を蝕む未知の危険生物セルリアンを倒すために戦うこと。

 セルリアンはすべての命を食らいつくす存在。食物連鎖という辻褄から外れた、繰り返される命のバトンを断つ存在。

 

 何が起こったのかすらわからない状況で、生き返るなりそんな説明を受けて、最初はただただ混乱していた。だが納得が得られるまで繰り返しの説明を受け、同じように一度死んで生き返った動物たちと一緒に厳しいトレーニングや、仮初めの夢の中で戦う訓練を積まされていく内に、セルリアンと戦うこと以外に生きる道がないことを段々と自覚するにいたった。

 

 死ぬ前はか弱い子羊ではあったが、この姿になってからは、あの頃と比べ物にならないパワーとスピードが体に宿っていることを知った。

 螺旋状に絡まりながら伸びる、ヒツジの角を模した二又槍を手元に自在に出現させられるようになってからは、槍を操る訓練にひたすらに励んだ。

 いつの間にか、訓練生の間でも有望株と目されるようになっていった。

 

 それでも僕の心は長らく晴れなかった。

 生き返ったことを喜ぶ気にもなれなかった。オオカミに食い殺されたあの瞬間、間違いなく死んだと思っていたし、それを受け入れてもいた。

 そんな僕が不自然の産物で無理やり生き返らされて、終わったはずの命の続きを、セルリアンと戦うという第二の人生を歩まされるのだ。

 冷めない悪夢を見させられている気持ちになる。

 

 僕の体にはまだ十分にヒツジの特徴は残っているのに、柵の中で安穏と守られながら生きることはもうないのだ。あの頃の僕と今の僕が同じ存在には到底思えない。

 僕は何者なんだろう。これから何者として生きて行けばいいんだろう。そんなことばかり考えてしまう。

 

 僕をフレンズとして生き返らせたのはヒグラシ所長という、ヒトの良さそうな顔をした、小ざっぱりとした身なりの長身痩躯の中年だった。

 僕に無理やりに第二の人生を歩ませた男ではあったが、彼自身のことは憎からず思っていた。僕がフレンズに生まれ変わった時の混乱も、これから戦いに行かなくてはならない不安も丁寧に受け止めてケアをしてくれたからだ。

 

 ヒグラシ所長はこれまでにも僕みたいなフレンズを何人も育てあげていて、特に「無敵の野生」「最強の養殖」と呼ばれる2人は、英雄視されるほどに強いことで有名だ。

 

 2人が夥しい数のセルリアンをいとも簡単に屠り去っていく映像も見たことがある。

 ”無敵”は猛烈な勢いで敵の群れに突っ込み、竜巻のごとき激しさでセルリアンを引きちぎり、食い破り、あまりにも一方的に破壊の限りを尽くしていた。

 ”最強”はセルリアンの攻撃をことごとく受け流して、狙いすました一撃で返り討ちにしていた。その静かな立ち姿からは海のように巨大な圧力が感じられた。

 対極的な戦闘スタイルの2人だったが、共に何者をも寄せ付けない力を持っていた。次元の違う強さを前にして、ただただ畏怖と驚愕の感情が湧き上がったのを覚えている。

 

 ・・・・・・それほどまでのフレンズを育てたヒグラシ所長だったが、彼は僕をただ鍛え上げただけではなく、文字の読み書きも教えてくれた。

 そして今の僕にとって、人生の慰めとなるかけがえのない物とも出会わせてくれた。

 

 本だ。物語だ。

 日本語のごく初歩の読み書きを覚えると同時に、僕は何冊かの本を手に取って読んだ。

 

 本の中に記された物語が、僕にとっての救済のように思えた。

 何がいいって、物語には必ず結末があることだ。登場人物はそれぞれに自分の意志や目的を持っていて、それに向かって突き進んだ結果、各々の結末に辿りつく。それが勝利でも敗北であっても、彼らが歩んだ道筋には違いないのだ。

 信念を持って歩み、結末に辿り着く。物語が作り出す過程の美しさに僕はすっかり魅了されてしまった。

 

 僕はフレンズとしての第二の人生を、信念もなく流されるままに生きている。どのような結末が待ち受けているかなど想像もつかない。

 ふわふわと形のない、道筋がまったく定かでない今の自分が嫌だった。だから物語の登場人物の中に自分の道筋を探すように、取り憑かれたように本を読みふけった。

 

 やがてヒグラシ所長の元を卒業し、現実にセルリアンと戦う日々がやってきた。恐ろしい敵を相手に、死なない程度には戦える実力が備わっていたので、何とか生き延びることが出来ていた。

 だが言われるがまま戦う日々の中に、これだと思える自分の道筋を見つけることは、やはり出来なかった。

 僕はますます本の虫になっていった。所長が東京から送ってきてくれる本を欠かさず目に通し、本の中にいる知らない他人が結末に向かっていく様を自分に重ね合わせた。虚構の中よりも情熱を注げない自分の本当の人生を、どこか他人事のように思いながら過ごした。

 

 ・・・・・・そういえば、ここのところ所長から本がパタリと送られてこなくなってしまったのは何故だろう。こちらから所長に連絡を取るすべはないし、普段僕と関わっているCフォース中国支部のヒトも何も言ってこなかった。

 

 そんなことを考えながら戦いの日々を送るうちに、つい最近、配置換えの命令が下された。今までは中国でセルリアンと戦っていたが、今度はアフリカに飛ぶように言われた。

 Cフォースアフリカ支部研究所と呼ばれる拠点に召集されて、そこで新たな任務に当たらされるのだ。世界中から集められた総勢40余名のフレンズが、Cフォースが所有する大型輸送機に乗せられて目的地に向かっていた。

 

「すげー景色っスよね。こんな高い所には鳥もやってこれないって聞いたっス」

「そうですね。高いとか低いって概念すらもはや曖昧に思えてきます。本で読んだ、地球の底に広がるという海底もこんな感じなのかもしれません」

「読書家のメリノの言うことは難しくてよくわかんないっスよ」

 

 僕たちは今、はるか空の上の成層圏にいる。地球の大気と宇宙空間の境界。そこに根付く命は存在せず、どこまでも真っ青な虚空が広がるだけの空間。

 下を見やれば分厚い雲が何層にも絶え間なく広がって、地球の輪郭を完全に覆い隠してしまっている。

 地上に縛られているだけのちっぽけな命には決して見ることが出来ない、あらゆる命の息吹を寄せ付けない冷たい輝きに満ちている。

 

「見ろよ、逃げの天才と読書バカが2人でなんか話してるぜ?」

 後ろの方の暗闇から僕ら2人を嘲る声が聞こえた。それに合いの手を打つように周囲から笑い声が響いた。

 その中心にいる茶色くて大柄なフレンズは僕の以前からの顔見知りだった。

「脱走の相談でもしてんのかな?」

 彼女の名はディンゴ。中国のCフォース部隊で一緒に戦っていた同期だ。今この場においても、その威勢でもって早くも数人の取り巻きを得ているようだ。  

 

 ディンゴは僕とは違って、フレンズとして強い肉体を得たことを心から喜び、日々の戦いにのめり込み、中国の仲間たちの中でも押しも押されぬエースとして君臨していた。 

 彼女の目からは、いまいち情熱を見せないまま、死なない程度に戦いをこなしていく僕のことがさぞかし不愉快に映っているのは明らかだった。

 

 ディンゴからは暴言や暴力などのいじめを日常的に受けていた。

 僕が読んでいたお気に入りの本を取り上げられて破かれた時も何度かあった。一度だけ本気で怒って、彼女と殴り合いのケンカをしたこともある。

 それ以降は直接的な嫌がらせは鳴りを潜めて、今のような聞こえよがしの侮蔑を向けてくる程度だったので、何とか無視していたけれども・・・・・・今のは見過ごせないと思った。

 

 僕には何を言っても構わないが、スパイダーさんを面と向かってバカにするような物言いは明らかに不適切だ。彼女は今ここに集まったフレンズたちのまとめ役、僕やディンゴの新しい隊長になる存在なのだから。

 

 スパイダーさんは元はブラジルの部隊の副隊長として、数多の戦いで活躍してきたベテランだ。そんなに強くないけれど、ある異常な能力を使いこなすことで有名だった。

 それは「影に潜って姿を消す」こと。一度潜ってしまえば、いかなる相手でも彼女を捕まえることが出来なくなる。

 便利極まりないその異能を用いて、どんな苛酷な戦場でも生き残り、一緒に戦った仲間をも必ず生かしてきたという。

 フレンズの中でも限られた超一流の者たちは、おとぎ話の魔法のような異能を持っていると聞く。スパイダーさんもその1人なのだ。

 

 ・・・・・・しかしディンゴのような腕っぷし至上主義者の目には所詮「逃げるしか能がない臆病もの」として映っているらしかった。

 

「言わせときゃいいじゃないっスか」

 スパイダーさんはディンゴたちの軽蔑交じりの視線を背中で受けながら、どこ吹く風と言った感じで変わらずに成層圏の空を遠い目で眺めていた。血気盛んさとは無縁の華奢な印象の彼女だったが、それを補って有り余るほどの余裕が感じ取れる。

「可愛いモンっスよ。あの手のタイプは」

 

 まったく堪えていないスパイダーさんの態度に逆上したディンゴが、ズカズカと近寄ってきてスパイダーさんの胸倉を掴みあげた。2人の背丈は一回り以上違う。

 スパイダーさんはディンゴにされるがまま、逃げようともせず、足をぶらりと宙に浮かせた。

 

「小物が大物気取ってんじゃねえ! アンタはツいてただけだ! ”無敵”と”最強”と一緒にいたから生き残れただけだ!」 

「・・・・・・まったくアイツらも有名になったモンっスね。どこに行ってもその異名を聞く」

 スパイダーさんは、やれやれとため息を付きながら、間近で睨み付けるディンゴを無視するように、懐かしさに浸るように独り言ちた。

 

「ディンゴとか言ったっスか? 確かにウルヴァリンもシベリアンも強いっスよ・・・・・・でもアイツらだって、たった1人でなんでも出来るぐらい強くはないっス」

「な、何が言いてえ」

「アタシたちフレンズは弱い。逆にセルリアンは絶望的なぐらいに強いっス。フレンズは一人一人が長所を最大限に発揮して助け合わないと、簡単に死ぬっスよ・・・・・・だからもっと仲間を尊重するっス。自分1人だけで何とかなるっていう幼稚な考えは捨ててほしいっス。死にたくないなら、ね」

 

 自分が見下しているはずの相手に説教を受けて、ディンゴの肩がわなわなと震えているのがわかる。いよいよ暴力沙汰が起きそうな予感がして、止めに入ろうと身構えた刹那、ディンゴがスパイダーさんの体を下ろして解放した。

 

「やめだやめ! ザコをぶん殴っても仕方ねえ!」

「わかってくれて嬉しいっス・・・・・・ついでと言っちゃ難スけど、席に戻って欲しいっス。そろそろ目的地に着くみたいなんでね」

 

 スパイダーさんの言葉で、めいめい好きな所に集まって過ごしていたフレンズ達は各々の座席に戻ってシートベルトを締めた。

 

 成層圏を漂う真っ青な空を行く輸送機が突然に振動が沸き起こり、空間を切り裂いて一直線に明滅するガイドビーコンをなぞるようにゆっくりと下降し始めた。

 程なくして眼下に現れる異様な景色に、その場に着席する全員が息を飲んでざわつき始めた。

(こ、これが、アフリカ支部研究所・・・・・・)

 

 冷たく広がる虚空の中に、それはあった。

 余すところなく銀色の凹凸が敷き詰められた、棺のように扁平で巨大な塊が悠然と鎮座していた。それはまるで、栄華を極める地上の都市を、そのまま成層圏に浮かび上がらせたような風情だ。

 

 ちょっと前に読んだ旧約聖書という本には、大昔のヒトが神に挑戦するために、天にも届く巨塔を築いたと記されていた。それが今現実に目の前に現れているような気がした。一つ決定的に違うのは、この巨大な都市は天を目指すのではなく、天そのものに存在しているということだった。

 

 銀色の地平に降り立たんと接舷した輸送機が、徐々にその速度を緩め、やがて完全に宙に静止すると、その真下にある辺りが突然に消失して、ぽっかりと大穴を開けていた。

 その穴に向かって機体がゆっくりと垂直に下降していき、ほどなくして視界が暗闇に包まれた。

 

______プシュウッッ!

 

 輸送機が完全に着陸し静止した後、気圧が吹き戻される音が小気味よく響きながら、僕たちがいる輸送機の格納庫のガラス扉がゆっくりと開かれた。

 フレンズの体からは放射能が出ているから、それを避けるための防御が万全に施されているのだ。

 

 僕たち40人のフレンズは何が何だかわからないままに輸送機の後部出口を駆け下りて、アフリカ支部研究所内部を歩き始めた。

 鏡のように光を反射する平な床だったが、しかし機械の基盤のような複雑な紋様が走っていた。

 外観の巨大さからわかり切っていたことだが、内部の広さも相当なものであるようだ。天井も壁も見当たらない空間で、床の下で等間隔に点灯する冷たく青白い光だけが僕たちを照らしている。

 そこに働くヒトの姿は1人としてなく、ナビゲーションユニットの姿も見えない。

 ここは天の宮であるはずなのに、地の底に来てしまったような寒々しさだ。

 

≪ようこそ、Cフォースアフリカ支部研究所へ≫

 落ち着き払った鈴の音のような声がどこかから聞こえると、突然に暗黒空間の一点が光輝いて、その中に形を描き出した。

≪歓迎するわ、あなた達を≫

 

 光の中に現れたのは、豊かな金髪を後ろに束ねた白衣の女性だった。銀縁メガネの向こうの大きな瞳が友好的な笑みを向けている。

 

≪うふふ♪ はじめまして。世界中から集められた精鋭のフレンズさん達。私はイヴ。イヴ・ヴェスパー。責任者よ、このアフリカ支部研究所の≫

 

 笑いながら自己紹介するイヴという女性の姿は、大きさも厚みも実体としか思えない存在感があったが、それはしかし光によって形作られた虚像でしかなかった。この研究所のどこかから、映像を飛ばして僕たちに語り掛けているのだ。

 

 暗黒の中から突如現れた彼女に、40余名のフレンズ達は呆気に取られてしまっていたが、ただ一人隊長のスパイダーさんだけが「それで」と落ち着いて口を差し挟んだ。

 

「アタシ達をこんな空の上に集めて何をさせる気なんスか?」 

≪うふふっ・・・・・・とっても大事なお仕事、よ≫

 

 どこか浮ついた、冗談めかした態度のイヴという女性がおもむろに片手を振り上げると、その手をぱちん、と打ち鳴らした。

 すると、僕たちが集合している一帯の床が浮き上がり、僕たちを乗せたまま天井の見えない虚空に向かって上昇しはじめた。

 誰もが言葉を失ってその場に固まる中、彼女はしたり顔で静かに語り始めた。

 

≪私たちは勝ちたいの。一秒でも早く平和を勝ち取りたい。そうすればあなた達フレンズを戦わせなくても済むようになるし・・・・・・じゃあ、どうすればいいと思う? 勝つためには≫

「強けりゃ・・・・・・強けりゃ勝てる!」

 

 ディンゴが熱に浮かされたように即答する。それを受けてイヴ女史は「そうよ」と上機嫌に微笑みを返した。

 

≪あなた達1人1人が、今よりもずっと強くなれば、平和をもたらすことが出来る。それが目的、この施設の≫

 

 僕たちを乗せた床が浮遊したまま、上下左右へと、迷宮を漂うように移動を続けた。

 通り過ぎていく直線的な景色は透明なガラスみたいだったが、そのすぐ内側には複雑な基盤が走っていた。それはまるで生き物の毛細血管のようだった。

 無機質そのものの冷たい空間ではあるが、巨大な生き物の体内にいるような錯覚も起こさせる。

 

「ここは現代に蘇ったバベルの塔なのですか?」

≪へえ、フレンズなのにそんな感想が言えるだなんて・・・・・・あるのね、それなりの教養が≫

 

 思わず独り言ちるように漏らした僕の感想に、イヴ女史は感心したように相槌を打つと、機嫌が良さそうに何かを考え始めた。

 

≪・・・・・・あ! この施設にはまだ名前がなかったけど、閃いたわ! ぴったりの名前を!≫

 

 イヴ女史は一人で納得して、笑い声を上げながらそう告げた。彼女は見る見るうちに、付いていけなくなるぐらいにテンションが高くなっていた。

≪聞いて! 今日からここはアフリカ支部研究所あらため、スターオブシャヘル! 天を目指すバベルではなく、大地を下にきく明けの明星なのよ! 神でさえも不可能! シャヘルを落とすことは! そもそもここを浮上させている反重力パルスシステムはっ・・・・・・!≫

 

 彼女は長広舌でその場にいる誰もが理解できない説明を始めた。僕も話の内容に興味がなくなったので、黙って聞き流すことに決めた。

 

 ところで、イヴ女史について一つ気が付いたことがある。彼女の喋り方のクセについてだ・・・・・・彼女は言葉の節々に不自然なぐらいに「倒置法」を織り交ぜて話している。それが奇妙な迫力と、芝居がかった感じを出させている。

 

≪あ・・・一人で盛り上がってごめんなさいね。そろそろ着くわ、彼女のいる所に≫

「いや、誰のことっスか?」

≪すぐにわかるわよ、ほら≫

 

 イヴ女史の立体映像が、僕たちフレンズからそっぽを向いて、飛んでいる床の隅に向かって歩き出し、眼下の一点を指さした。

 

 僕たちも彼女に付いて行って、恐る恐る下に広がる光景を見下ろした。

 無機質な基盤の地面の上を、黒く生々しい物体が蠢いている・・・・・・それはこの場にいる全員が見慣れた、吐き気を催すほどに醜い死神の眷属たちの姿だった。

「おい・・・・・・! あれはセルリアンじゃねえか! それもあんなに大量に!」

 ディンゴが大声を上げながら、実体のないイヴ女史に掴みかかるように詰め寄った。他のフレンズたちも口々に抗議の声を上げた。

 

≪安心して・・・・・・奴らは数分以内に全滅するから。”彼女”が皆殺しにしてくれるから≫

 

 イヴ女史はフレンズたちの混乱を治めるように両手を広げると、僕たちの視線を誘導するように目配せしてきた。

 

______グチャッッ! ドキャッッ! ミチィィッ!

 

 僕たちが目を凝らして下を見るよりも先に、生々しい液体の落下音や鈍い打撃音が耳を汚すように鳴り響いてきた。眼下を埋め尽くすセルリアンの海を掻き分けるように、小さな人影がたった1人で応戦している。

 

 腕の一振りで数体のセルリアンを吹き飛ばしている。数の差を物ともしない圧倒的な暴力で、多数のセルリアンを蹂躙している。

 それは僕が前にも見たことがある光景だった。あの頃は映像の向こう越しだったけど、今は隔てる物は何もなく、眼下に現実としてそこにあるのだった。

 

 腰に届くほどに長い黒髪と、ただ肩にかけているだけの上着に縁どられた白い炎。小柄な体からは想像もつかない程の腕力。

 彼女を一度でも見たことがあるならば、見間違えることは決してないであろう、深く印象に刻まれる強烈な特徴だった。

 

「すげー! マジかよ!」と、ディンゴが興奮して大声を上げた。彼女の取り巻きも同じように狂喜している。

「無敵の野生とナマで会えるなんてよ!」

 

 イヴ女史の宣言通りだった。いや、数分どころか数十秒だったかもしれない。

 セルリアンの大群は見る間に皆殺しにされて、虹色の断末魔の光をばら撒いて爆散し、辺りには最初から何もなかったように、無機質な基盤の地面が広がるばかりになった。

 

 眼下が静かな安全地帯になったのを見計らったようなタイミングで、僕たちを乗せる床が真っ直ぐに下降していった。

 程なくして地面に着陸すると、つい先ほどまで僕たちを乗せて飛んでいたはずの床が、繊維がほどけるように分解されて、周囲の床と同化してしまった。

「ゆ、床が溶けちまいやがった・・・!?」

≪シャヘルの主な建材は、ナノ分子加工が施された形状記憶合金なのよ。だから出来るの。自在にくっ付いたり離れたりすることが≫

 

 今しがた戦闘を終えたばかりの、無敵の野生ウルヴァリン・・・・・・いや、僕と同じ東京の研究所出身の先輩であるクズリさんが、上からやってきた40人のフレンズの姿を、振り返りもせず肩越しに睨むように見つめている。

 こうして相対するだけでも、クズリさんの尋常じゃないプレッシャーが伝わってくる。ただ一人でそこにいるだけなのに、それだけで場の全てを支配する存在感がある。

 まるで竜巻が部屋中に吹き荒れているような、またはいつ爆発するかわからない爆弾がそこに落ちているような・・・・・・ともかくこの場から真っ直ぐ後ろに走って逃げ出したくなるような気分になった。

 

「・・・・・・あ、あ、あの・・・」

 ディンゴは何かを口ごもりながらも、その場から一歩も動けないでいた。ディンゴは以前から「無敵の野生」の活躍に強い憧れを抱いており「いつかあんな風になりたい」と公言して憚らないほどだった。

 そんな彼女だから、クズリさんに今すぐ挨拶に行って知遇を得たいだろうと思うのだが、眼前の突風のようなプレッシャーに威勢の火が吹き消されてしまったようで、すっかり大人しくなってしまっていた。

 

 ディンゴだけでなく他のフレンズたちも右往左往するばかりだった。

 クズリさんに対する畏怖だけでなく、床が飛んだり消えたりする「シャヘル」内部の奇妙奇天烈さに圧倒されてしまっており、借りてきたネコのように動くことが出来なくなっていた。

 

「腐れ縁ってヤツっスかね?」

 スパイダーさんだけが、何の気なしの軽い足取りでクズリさんに歩み寄っていった。2人は共にCフォースのブラジル支部出身で、旧知の間柄なのだとしたら何もおかしいことはないが、僕たちの目からしたら、恐ろしい殺気の渦の中心に、スパイダーさんが無防備に突っ込んでいくようにしか見えなかった。

 

「てめえ、誰かと思えば・・・・・・」

 クズリさんもようやくこちらを向いて、ズカズカと気怠そうに歩き出すと、スパイダーさんの傍で足を止めた。

 至近距離で向かい合う2人。背丈は若干スパイダーさんの方が高い。剣呑とした相対を、その場にいる誰もが息をひそめて見守っていた。

 

______ガシィッッ!

 クズリさんとスパイダーさんは、どちらからともなく歩み寄って互いの手を取り合った。にぎりしめるように握手しながら互いの目を見つめて、その視線の中に多くの言葉を交わしているようだった。

 

「スパイダーよォ、またブラジルの時みたいに大暴れしようぜ?」

「暴れてたのはアンタだけっスよ。アタシはアンタに振り回されてばかりだった」

「そう言うなよ。オレが暴れて、てめえの影潜りでずらかる・・・・・・こんな凶悪な組み合わせは他にはねえぞ」

 

 そのやり取りを聞いて、2人は互いに一目置いている関係だ、と思った。

「無敵の野生」と「逃げの天才」では全然タイプが違うけど、それゆえに一緒にいても衝突せず、長所短所をジグソーパズルみたいに噛み合わせてカバーし合える間柄だったのだろう。

 親友・・・相棒・・・あるいは別の言葉なのかもしれないが、命を預け合ってきた信頼関係で結ばれているのは明らかだった。

 

 思えば僕にはそんな相手はいない。誰に対しても心を閉ざしている。自分自身からさえも。

 

「暴れるより先に、事情を説明して欲しいっスよ。何でこんな所にセルリアンの大群が? それに・・・・・・アンタ、腕に何を付けてるんスか?」

 

______ジャラリッ

 クズリさんの両手首には、一対の頑丈そうな丸い手錠が嵌められていた。それらを繋ぐ鎖が、彼女が着ている黒い長袖の背中ごしに通されていた。

 鎖は彼女が両腕を広げた長さよりも若干長かったので、動きの邪魔にはならなさそうだったが、こんな物を付けられているフレンズなんて見たことも聞いたこともない。そもそも鎖につなぐまでもなく、オーダーという洗脳がフレンズの自由を奪っているはずなのだ。

 

≪消去したの。ウルヴァリンの体から、オーダーをね≫

 

 後ろにいるイヴ女史の虚像が説明を始めた。

 この「シャヘル」では、フレンズの能力を限界まで高めるための実験が行われていると聞く。その実験体第一号に選ばれたのが、現時点で一番強いフレンズと目されるクズリさんだ。

 肉体の潜在能力を100%引き出す準備をするために、体内にブレーキとして存在しているオーダーを消し去ったのだ。

 

 だから今のクズリさんには、オーダーによって禁止されている行為である「殺人」も「脱走」も可能だ。

 だが本当にそれをやられては困るので、代わりにあの手錠を嵌めているというのだ。

 あの手錠はクズリさんの怪力をもってしても絶対に破壊出来ない物質で作られているらしい。

 そして何かあれば、イヴ女史が遠隔操作で彼女の動きを封じることも出来るとも言っていた。

 

「で、あのセルリアン達は何だったんスか?」

≪このシャヘルで培養したのよ、人工的に≫

 

 目的は勿論フレンズと戦わせるためだ。潜在能力を引き出すための調整は、VRよりも実戦で行う方が正確で手っ取り早いそうだ。

 そしてもうひとつの理由は・・・・・・

 

≪平和を勝ち取るために一番の方法は、セルリアンを絶滅させることではなく、支配すること。そう思わない? だから研究しているのよ、セルリアンを支配する方法を≫

「脱走でもされたらどうするっスか?」

≪大丈夫。ここで生み出した子たちは、体をいじってあるの。水に溶けちゃうように≫

「み、水?」

 

 水に溶けるという性質は、野生のセルリアンには無いものだ。万が一にも流出を防ぐための予防策として、あらかじめ施された処置らしい。

「シャヘル」内部には緊急時用のスプリンクラーがほぼ全域に設置されていて、それを作動させれば施設内のセルリアンを瞬時に始末できる。

 ・・・・・・であるならば、確かに備えは万全と言えるだろう。

 

 それに、外から野生のセルリアンが襲ってくる心配もいらないそうだ。

 なぜならば成層圏の空には彼らの栄養となる物など存在しないから。そう考えるとここは地上よりはるかに安全な場所と言える。

 

 セルリアンとは大地から沸き立つ怪物。中には空を飛べるセルリアンもいるが、矮小な個体に限られる。

 巨大で強力な個体になればなるほど、強靭な足を持っていたり、地面から生えてきたり、大地に根差した生き物としての性質を備えるようになる。

 このあたりのことは、今までセルリアンと戦ってきて、確かにそうだと実感する部分だった。

 

≪最後にお知らせがあるわ・・・・・・とても大事な≫

 それまで笑みを絶やさなかったイヴ女史が、その表情を不快そうに歪ませながら、相変わらずの倒置法で勿体付けるように告げた。

≪セルリアンだけじゃないの、私たちの敵は・・・・・・私たちの崇高な目的を邪魔する、野蛮で下劣な人間たちがいる≫

 

≪パーク、それが奴らの名。アフリカ大陸中に細かく散らばっているゲリラ組織よ・・・・・・残念ながら、ここの職員であるミスター日暮と、ウルヴァリンと一緒にここに来るはずだったシベリアン・タイガーは、捕まってしまった。パークに≫

 

「ヒグラシ所長が!?」「シベリアンが!?」

 僕とスパイダーさんが、ほぼ同時に驚きの声を上げた。それを聞いたクズリさんが初めて僕の方を向いて怪訝そうな一瞥を向けてきたが、すぐに興味を失ったように目を逸らして、イヴ女史の言葉に口を挟んだ。

 

「捕まったんじゃねぇ・・・・・・寝返ったんだ。確証はねえが、ほぼ確実にな」

「どういうことなんスか? だいいちアタシたちはオーダーの影響で脱走すらできないのに、敵に寝返るなんて無理に決まってるっス!」

 

≪オーダーは結局、精神に作用する洗脳であり、物理的な拘束は出来ないわ。もし仮にシベリアン・タイガーがCフォースから逃げるのではなく、歯向かおうとしているのなら“脱走禁止”のオーダーが顕在化しないことが考えられるわ。意外な盲点があったということね≫

 

「だ、だけど、シベリアンがアタシたちを裏切るはずが!」

「エテ公、てめえもアイツの性格は良く知ってんだろ。アイツは、綺麗ごとばかり抜かすパークの連中に、すっかりホダされちまったのさ」

 

 スパイダーさんが、心当たりがあるような顔をして黙り込んだ。

 最強の養殖ことシベリアン・タイガー、またの名をアムールトラ・・・・・・彼女のことは、映像の中で戦っている姿しか見たことがない。

 しかし彼女を育てたヒグラシ所長から、何度か話を聞かされたことがある。

 戦いに向いていないぐらいに、優しくて穏やかな性格をしていると。それでも真面目で頑張り屋だから、苦労して今の実力を身に着けたと。

 僕と似通う部分も多いから、もし会うことがあればきっと友達になれる、と。

 

 ・・・・・・僕はその話を聞いて、何故だか嫌な気持ちになった。

 ヒツジの僕が、トラと友達になんてなれるものか。

 トラといえば、オオカミと並ぶ肉食獣の代表格のはずだ。相手の命を躊躇なく奪える冷酷さがなければ肉食獣なんてやっていられないはずだ。

 優しいトラだなんて、字面だけでも矛盾が起きているじゃないか。

 

≪ここら辺でやめましょう。キリがない、今この話をしても・・・・・・ともかく今日はお疲れ様。休みなさい、ゆっくりと。明日からお仕事よ≫

「アタシたちもここでセルリアンの相手をするんスか?」

≪いいえ、地上に降りてほしい。回収してきてほしい。新しいセルリアンのサンプルを≫

 

 イヴ女史はそう告げると、光で描かれた自身の虚像を消滅させた。

 僕たちはまた宙に浮かぶ床に乗って、巨大なシャヘルの体内を移動させられた。

 

 そうして辿り着いたのは、余すところなく銀色の、流線形の金属で作られたベッドや机が並ぶ、まるでSF小説の宇宙船の中のような宿舎だった。

 あの手の物語さながらの、虚無感と未知への好奇心が表裏一体になったような光景だったが、今の僕は全く別のことに気を取られていた。

 ヒグラシ所長がCフォースを裏切ったとは、どういうことなのだろうか・・・・・・クズリさんにそれを問い詰めたかったが、彼女に話しかける勇気はないし。

 

 机の上にはすでに食事が並べられていた。肉食のフレンズ達にはビーフやチキンなど肉の盛り合わせを、僕のような草食には、果物や野菜で作られた料理を。

 クズリさんとスパイダーさんは早速席について、それぞれステーキと一房のバナナを頬張り始めたが、下っ端の僕らは遠慮したようにその場に佇んでいた。

 

「あ、あ、あの!」と、額に汗を浮かべて緊張しきったディンゴが、食事を始めていたクズリさんとスパイダーさんの前に詰め寄って頭を下げていた。

 

「ウルヴァリンさん、オレはディンゴって言います! ずっとアンタに憧れてました! 一緒に戦えて光栄です。これからよろしくお願いします! ・・・・・・それからスパイダーさん、さっきは失礼なこと言ってすいませんでした! 許してください!」

「別に気にしてない、今後も仲良くやろうっス。さあ早く座ってメシを食うっス、みんなも」

 

 僕はいじめっ子のディンゴのことが嫌いだったが、一心に頭を下げている彼女を見て、少し感心する気分になった。

 スパイダーさんがクズリさんと想像以上に懇意な関係だったと知り、早く謝罪しなければ不味いことになることを悟って、打算でそうしているのか、それとも心から反省して謝っているのか。

 ディンゴの真意はわからなかったが、すぐに態度を改めて謝るなんて中々出来ることじゃない。

 

 穏やかに対応するスパイダーさんとは対照的に、クズリさんはディンゴを品定めするように睨んでいた。

 真っ青な表情のディンゴが背筋を硬直させたまま彼女の出方を伺っている。

 

「な、何かまずかったですか?」

「・・・・・・毒気のねえ奴だ。まあいい、おら食えよ」

 

 クズリさんはディンゴに向かって、手のひら大のフライドチキンを差し出した。ディンゴはそれを丁重に受け取って「いただきます!」と叫ぶと、正座してガツガツと食べ始めた。

 その空気に押されて他のフレンズたちも少しずつ席について食事にありつきはじめた。

 

 ディンゴに倣って、クズリさんに1人ずつ自己紹介をしていく流れになった。程なくして僕の番になった。

「・・・・・・メリノヒツジです。ディンゴと一緒に中国の部隊から引き抜かれてきました。出身は東京の研究所で、あなたと同じです」

「知ってるぜ」

 

 黙って後輩たちの自己紹介を聞いていたクズリさんが、僕の自己紹介を遮って話し始めた。

 

「さっき動揺してたもんな・・・・・・気になるか? ヒグラシのことが」

「はい、僕たちを裏切るなんて思えません。優しくて仕事熱心なヒトだった」

「その優しいってのが問題なんだよなァ。あのオヤジはオレたちフレンズに余計な世話を焼き過ぎる。挙句の果てに変な気を起こしちまったんだ」

 

 クズリさんは告げる。シャヘル独自の監視網が掴んだ情報によれば、ここ最近、南アフリカ領内に所属不明の船舶や車両の密入国が相次いでいる。

 ヒグラシ所長がパーク側に寝返った確証はまだないが、謎の密入国者たちがパークの関係者であり、シャヘルの動きを警戒して集まってきたと仮定するならば、こちら側の情報が漏れるのが早過ぎる、と。

 

「パークの奴らに拷問を受けて、無理やり口を割らされた、と考えるのが自然では?」

「いいや、連中のボスに一度会ったことがあるが、口を開けば綺麗ごとばかりほざくムカつく女だった。あの女が拷問なんてやりそうにねえ・・・・・・きっとヒグラシも、アムールトラとおんなじで、情にホダされたに違いねえ。2人して血迷いやがって・・・・・・まったく、優しい奴ってのは始末に負えねえよ」

 

 クズリさんの物言いはあまりにも直裁だったが、的確に本質を捕えようとする冷静さがあった。

 彼女には凶暴で恐ろしいイメージしかなかったが、実際に会って話してみると、かなり理知的なフレンズであることがわかるのだった。

 

「その点、あのイヴってイカレ女はわかりやすくていいぜ。あの女・・・・・・オレ達を見る目と、セルリアンを見る目がおんなじなんだ。多分だが、自分以外のすべてを道具だと思っているようなタチだぜ」

「でも、あなたはヒグラシ所長よりも彼女を選んだ」

「利害の一致ってやつさ・・・・・・あのイカレ女がオレを利用するつもりなら、オレも同じようにする。アイツを利用して、今よりも強くなってやるんだよ」

 

 クズリさんは、自身の両腕につながっている鎖をおもむろに掴むと、砕かんとばかりに強く握り締めた。鎖はギチギチと音を立てて軋んでいた。

 

「どうしてそんなに、迷いがないのですか?」

 思わず脳裏に浮かんだ言葉を口走ってしまっていた。

 ずけずけとクズリさんに抗弁を続ける僕に向かって、ディンゴをはじめとして何人かのフレンズが冷たい視線を向けている。それでも、クズリさんがどうしてそんなに頑ななのか、理由を知りたかった。

 

 彼女は全部わかっている。自分の置かれた立場も、リスクも。

 だが自分がやろうとしていることは絶対に正しいと信じて譲らない。

 

「メリノヒツジよォ」

 クズリさんが初めて僕の名前を呼んで、例の品定めする目つきで覗き込んでくる。

「ずいぶんと眠たそうなツラだな。てめえ、起きてんのか?」

 

 彼女を支えているものが何なのかわからなかった。

 自信っていうのとはまた違うような、もっと根底にある確信、あるいは信念? ・・・・・・そんな揺るぎない強い気持ちが彼女の中心にあるような気がした。

  

 それが僕とクズリさんとの出会いだった。

 今この瞬間こそが、僕にとって本当の、一番最初の出来事だった。

 

 to be continued・・・ 

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
_______________Human cast ________________

「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:24歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴

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